夢にかかる霧

大海 雄吾

小説

10,216文字

放り出され、生きる。探しモノも無いのに
場所は東京。作家になると大学を中退し、1つも小説を書き上げずに数年を過したユウヤは、いつか訪れる破滅の予感を確信し、自分を変えようと決意する。デリヘルの開業を目指しウリ専(男性向け風俗)で金を貯めていたユウヤは、都会の底流を生きる様々な人間達と友情を築いていく。しかし、彼らを支配するコンプレックスと不相応の美学は、彼らを健全な結末から遠ざけていく……。

夢にかかる霧

 

プロローグ

 

清潔で保守的なデパートに男が一人。髪は雑踏に踏まれた雑巾、左右不ぞろいの無精ひげが汚らしさに拍車をかける。伏し目がちな瞳は黒く、光が無かった。とはいえ彼の足取りは、目的の無い浮浪者の足取りではなかった。探し物をしている、探そうとしている人間の足取りだった。ただ、あまり多くのものを見るのはうんざりというふうに視線を低くしているだけで、広大なデパートの中で目当ての店を探しているという様子はあった。幾人もの人間とすれ違い、とうとう彼は目当ての物があるであろう画材屋の中に足を踏み入れ、辺りを見渡し、目についた店員に声を掛けた。

「額縁とかって、ありますか?」

「ございますよ。こちらに、どうぞご覧ください」

彼と対極を為すように清潔な女性の店員は、彼の見た目に対して何かを思うことは無かった。すくなくとも不審がる様子は見せなかった。大半の人間にとって、額縁の良し悪しなど知るところではないだろう。そうすると、さしずめこの男は画家か、コレクターか、その類である。そうであれば、清潔な場所に不潔な人間がいるのも頷ける。逆を言えば、芸術を介さない限り、不潔と清潔は同居し得ない。

「材質など、ご希望のものがございますか?」

額縁を眺める不潔な男に女性が言う。

「いや、特に拘りはないんです。でもできるだけ高級そうなヤツが良いです。立派なのが」

彼の答えは、清潔な店員を少し動揺させた。およそ、モノの良し悪しの分かりそうな様子ではなかった。然るべき芸術の特性をもたないとみるに、清潔な女はこの男を不審に能うと考え始めた。

「立派とは、材質の話でしょうか? サイズ等、ご希望のものはございますか?」女が言った。

「サイズは、これくらいの」

そう言うと、男は自分の手を回し、頭の中の四角を、空間に描いた。その時、男は初めて店員に顔を見せた。男の年齢は二十代の半ばに見え、また、端正と言える造形であった。

「それだと、一般的なスケッチブックのサイズ、F4くらいですかね?」女は言った。

「はい、一般的なスケッチブックのサイズ、それくらいだと思います」男は言った。

「それだと、このあたりになりますね」

女はゆっくりと微笑み、定型通りの対応をした。この男は、芸術家やその類にありがちな少し拗らせた様子をしているだけで、根は普通の男なのであろう。三十をすぎた清潔な女は、相手が年下であると知り、滑らかな砂沼のような安堵を覚えた。

「この辺だと、値段は……」

「飾られるのは、油絵ですか? こういうのはどうでしょう?」

喋る男を遮り女が勧めたのは、深みのあるマボガニーにしっかりとニスの施された、なるほど立派と言えそうなものだった。

「油絵なのかな?」男は地面に呟き、次は女に向かって喋った。

「油絵だと、なにか特別な額縁である必要があるんですか?」

「余程分厚い特殊な紙でなければ、基本どれも大丈夫ですよ。普通のスケッチブックの紙に描いたものですか?」

「はい、普通の紙です」

「では、これで大丈夫だと思いますよ」

女は言って、再度手に持っていた木製の額縁を男に勧めた。

「これは、いくらですか?」

「一万五千円となっております」

少し高いかなと思いながら、女は言った。とはいえ、この場所で立派なモノをと言われるのであれば、相手がどんな素人であれ、勧めるものはこの値段になる。

「それじゃ、安すぎます。もっと立派な、高いヤツにしてください」男は言いながら、突如として自身の前髪を掴み、掻き上げた。現れた額と眉目は、ついぞこの男を、不思議と気になる容姿と表現せざるを得ないものとした。危ういバランスの上に在る綱渡り師のような、鬼気迫るなにかがある。光の無かった眼に、苛立ちが宿り始める。

「申し訳ございません、では、こちらはいかがでしょう?」

一体なにをそんなに激昂しているのか、貧乏人と思われたのが癪なのか、絵画の額縁なんかを買いに来る客には本当にうんざりだと思いながら女は、今度は店内にある最も高価な額縁を差し出した。今度のものはゴシック調を思わせる細かな木細工にゴールドがあしらわれているかなりの品だ。それを受け取り、しばらく眺めた後、男は言った。

「こいつは、いくらくらいになるんでしょうか?」

「十二万八千円でございます」

強張った笑顔を作り、女が言った。この男はどんな反応をするのだろう。今度は高すぎるなどと言い出したら、少し笑ってやろうといういたずら心が、女にはあった。

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2018年8月6日公開

© 2018 大海 雄吾

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