コロニーとハローワールド

応募作品

一希 零

小説

4,590文字

リスペクト的、オマージュ的。2018年7月合評会「明日世界が確実に滅びるとして」参加作品。

1.Hello,world!

 

古ぼけた扉を開くと、太陽と大地が捻れ、虹色の世界が歪んでいた。

「なあ。もしかして、〈時震〉か?」僕は頭を抑えながら言う。

「安心しろ。今のところ、いたって平常だ。顔を洗ってこい。ただの二日酔いだ」

綺麗に刈りそろえられた、美しい芝生の庭。おかしな形状のマシーンを並べ、その中心に座り込んでモニターを睨みつける彼女は、一度だけ僕の方を振り返り、早口でそう言った。

庭の井戸で水を汲み、冷たい水を顔に何度か浴びせる。まるで脳みそをシェイクしたかのような状態も少しはマシになり、汲んだ水をアルミ製のコップで掬うと、それを一気に飲み干した。水を撒かれた砂漠のように、僕の身体は水分を吸収していった。

「昨日の記憶がないんだけど、時間も座標も飛んでないよね?」

「ああ。記憶が飛ぶほど酒飲んだだけだ」

「ちょっと、はしゃぎすぎたよ」

「最後だからって、限界量を超えすぎ」

「かもしれない」

そう言って、僕は彼女の隣に腰を下ろす。芝生の香りと彼女の香りが混じり合って、僕の鼻腔を通過する。

「明日、か」僕は呟く。

「これまでの〈時震〉の周期から考えると、明日でほぼ間違いない」彼女は、静かに告げる。

世界滅亡の最初の兆候として約二百年前に〈世界時間停止〉が起きてから、人々は定期的に発生する〈時震〉によって、現在とは全く異なる時間軸の、現在とは全く異なる場所へ、飛ばされるようになった。それは世界の強制力のようなもので、一度と飛ばされた人間が戻ってくることはなかった。詳細の理論はわからないが、きっと転移の際にかかる圧縮に耐えられるほど、人体の耐久値は高くない。大方の予想では、飛ばされることイコール、死である、とされた。それを事実と断言することはできない。飛ばされた先の世界で生きている、という可能性を、否定はできない。ただ、否定できないだけ。

いつか、あらゆる時間のあらゆる場所へ向かって、わけもわからず死んでゆく。〈時震〉によって、人だけでなく、すべての生命、物質、空間が転移される。世界は日々少しずつ失われ、残されたのは、僕と彼女と、古ぼけた木組みの家と美しい芝生の庭だけだった。彼女の出した演算結果が正しければ、そんな小さな世界も明日で全て消失する。

ロストテクノロジー趣味を持つ彼女は、僕にはよくわからないマシーンをいつも弄っていた。今も、彼女は誰かに齧られたリンゴのマークがついたマシーンのボタンを懸命に叩き、正面に据えられたモニターを睨んでいる。そんな彼女の隣に座って、一方僕は、カンバスと絵の具を部屋から持ってきて、絵を描き始める。

いつも通りの言葉を、僕は彼女に投げかける。

「今日は何をしているの?」

「世界をつくっていたんだ」それから、彼女も僕に問う。いつものように。

「今日は何を描くんだ?」

僕は言う。

「世界を」

 

 

2.コロニー

 

どこだろう。

声に出していた。曖昧な世界に溶けてゆく音は、曖昧なまま僕のもとへと戻ってきた。少しだけ形を変えて、ずぶり、と僕の体に飲み込まれ、消えてゆく。胸に手を当てて、幾度か深呼吸をする。

どこだろう。再度、僕は世界と触れる。僕の身体と世界の一番外側が融合していて、まるで蜃気楼のように、僕はその境界をうまく認識することができない。あるいは、世界はたった一つでないのかもしれない。一方で、複数重なり合った世界がその輪郭をぼかし、他方、複数重なり合った僕の身体がその輪郭をぼかしている。あらゆるモノとコトが重なり合って、時々、僕はどこか懐かしい空気を感じ取る。

僕はその温もりを知っていた。僕はなに一つ知らないはずなのに。僕はかつて記憶していたことがあった。「優しい」の意味を表現する記号として。懐かしい空気を、僕は懸命に繋ぎとめようとする。けれど、次の瞬間には離れてゆく。空間も時間も曖昧な世界で、僕はあらゆる前に向かって、ただ歩き続ける。

どこだろう。その「優しい」の記号に触れる度に、僕の身体のどこかが、チクリと痛む。曖昧な身体ゆえに、その正確な箇所を把握できない。あるいはそれは、僕の身体ではなく、世界の側が痛みを知覚しているのかもしれない。なに一つ正しいことがわからなくて、わからないということすら、はっきりとわかっていない。どこかから零れ落ちる涙の名前もわからないまま、はるか遠くの僕の頬を濡らすそれを、僕は雨と呼ぶことにした。

 

 

3.Hello,world!

 

僕らは生まれた瞬間に出会った。生まれる以前からこの世界で出会うことが決定されていた。誕生以後、僕らはずっと二人でいた。その頃は、まだもう少し、世界は大きくて人もたくさんいた。世界にはたくさんのモノが溢れ、様々な場所が存在した。僕と彼女は小さな両手でモノをいっぱい抱え、色々な場所を毎日一つ一つ丁寧に見て回った。人々が僕らに声をかけ、僕らが答え、彼らは笑った。僕らも笑った。そんな時代がかつてあった。そういえば、最近の彼女はあまり笑わない。

それから少しして、僕らも大きくなった。彼女はロストテクノロジーに没頭するようになり、僕は絵を描くようになった。各々が別の物事に夢中になっても、僕らは二人でいた。僕らは並び、異なる景色を眺めた。

僕は、日々消滅してゆく世界を、日々描き続けた。僕が描いた翌日に、その景色が消失した。僕が明日描く約束をしていた少年は、その日の夕方、どこか遠くへ飛ばされた。掬い上げた水を零さないよう、どれだけ気をつけても、やがて水は僕の両手の隙間から流れてゆく。それでも、僕はその手に筆を握り続けた。

本当の世界など存在しない。本当の自分などといったものが存在しないように。あるのは、誰かに認識された自分と、誰かに認識された世界だけだ。だから、僕は世界を認識し続ける。僕が生きるたった一つの世界をこの双眼で捉え、虹色の絵の具で描写する。その瞬間、僕は初めて、世界の中へ飛ばされる。世界の中で、僕は記憶を構築し、主観の中から客観性を創造する。僕の視点から僕を捉えたとき、僕の意識が誕生する。そこに僕はいる。ここにいる僕が、世界の中の僕を承認する。

筆先がカンバスに触れる場所が、僕と世界の境界だ。白いカンバスが、僕には透明な薄い膜のように見えるのだ。僅かに揺らいでいるその膜を、突き破らないように、静かに、撫でるようにして、そっと優しく筆をのせる。虹色の絵の具が世界の表層を染めてゆく。

晴れ渡る青空の下、美しく刈りそろえられた芝生に座ってモニターを睨む彼女を、僕はずっと眺めていた。透明化したカンバス越しに、彼女を捉え、彼女の姿をなぞるように、世界の境界に筆をのせた。できるだけ美しい色を僕は選ぶ。

太陽と大地が捻れた虹色の世界を、僕は歪んだままに描いた。だんだんと、世界の歪みは矯正され、大地は直線を取り戻した。太陽はいつも通りのルートを飛行し、世界の色は赤くなり、紫色になり、限りなく黒に近い青色へと移ろいだ。

いつも通りの一日だ。終わりを引き伸ばした先が今日だった。その先に、明日が来る。僕らはずっと終わりを生きてきた。終わりが新しい始まりなのではない。始まりこそが、終わりを決定づける。あらゆる生命が誕生した瞬間に、死を運命づけられるように。それは、最初からすでに終わっていた。

いつも通りの一日も、終焉を迎える。何度も繰り返された、世界の終焉。明日が来る。明日が今日となる。かつて今日だった昨日が消滅する。

美しい芝生の庭で、二人並んで座っていた。それぞれが何かを見ていた。僕ら二人を置き去りにするように、時間は過ぎていった。あるいは、もう追いつけないくらい遠くへ行ってしまった時間の欠片を、僕はなんとかして、見ようとしていた。

ただひとつの、世界が終わる。

「これ」

そう言って、僕は描いた絵を彼女に渡す。

黒に近い青が、少しずつ淡さを取り戻してゆく。太陽が世界に帰還した頃、彼女は絵から視線を切って、僕の方を一度だけ、ちらりと見た。それから、どこか遠くを見つめながら、小さく言った。ほんの少しだけ、笑っているようにも見えた。

「ありがとう」

気がつけば、僕らの後方にあった木組みの家が姿を消し、庭の井戸もなくなっていた。

僕の右手は彼女の左手の上に重ねられた。僕の左手は筆が握られ続けた。

僕らが認識し続ける限り、世界は存在し続ける。

僕らは世界へ、証明する。

私はここにいる。

僕はここにいる。

 

 

4.Hello,world!

 

点灯。

 

#include <stdio.h>

 

int main(void)

{

printf(“Hello, world!\n”);

printf(“Hello, world!\n”);

return 0;

}

 

消灯。

静寂。

 

 

5.コロニー

 

何もない。

僕の声はどこへも行くことができず、どこにも存在することのないまま、僕の身体を駆け巡る。僕はどこかへ向かって歩いていた。それは、どこへも通じていなかった。ここはここしか存在せず、ここにはいかなるモノもコトも存在しなかった。何もない。

僕は、僕がかつて何かを記憶していた、ということのみを、ぼんやりと記憶していた。それはとても小さな情報量だった。何もない僕と世界は、何かがあった頃の僕と僕のいた世界をひらすら空想した。きっと、僕は様々なモノをこの手に抱えて、様々な知識をこの身体に刻んで、どこまでも遠くへ行くことができた。それは、かつての世界にいた僕の話だ。ここではない、どこかの世界。

僕は、僕がかつて何かを記憶していた、ということのみを、ぼんやりと記憶している。それはもしかしたら、とても大きなヒントなのではないか、ということに気がついた。確かに、この世界には何もない。けれど、僕がいる。僕は何も持っていない。けれど、たった一つ、記憶の記憶は存在する。

何かを記憶していた、と気づかせてくれた存在がある。その存在を求めて、僕は再び歩き始める。どこへも通じていない世界は、ここで完結している。波紋一つ浮かばない湖のように。僕は元の場所へ戻ることも、次の場所へ進むこともできない。ただ僕の足音だけが、世界に響き渡り、僕のもとへと戻ってくる。そんな有限の世界で、ただ僕は、いつかの雨がもう一度この身を叩き、何一つ明確な光を捉えることのできない閉じた両目に再度虹色を宿し、世界と融合し曖昧となったこの両手でしっかりと、重なっては再び離れてゆこうとするあなたを、どこへもいかないよう繋ぎ止めるために、身体がチクリと痛む合図があるまで、ただひたすら、歩き続ける。

けれど、わからない。

どこかが、痛む。痛みを、僕か、世界が感じている。

そこに、あなたがいる。

どこだろう。何もない。

何も。

 

 

〈参考文献〉

BUMP OF CHICKEN「Hello,world!/コロニー」,トイズファクトリー,2015.4.22

2018年7月17日公開

© 2018 一希 零

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"コロニーとハローワールド"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2018-07-27 01:02

    世界の認識をめぐる、何やら難しい哲学的な作品だと感じた。本作の世界観を十分に理解したとは言いがたいが、ほう、これが世に言うセカイ系というものか、と思いながら読んだ。「僕の身体と世界の一番外側が融合していて、まるで蜃気楼のように、僕はその境界をうまく認識することができない」という一文からは、本作がセカイ系作品に特徴的な主人公と世界の関係を自覚的に流用していることが分かる。

    文章は流麗で読みやすく、フレーズが反復される箇所(「どこだろう」や「僕は、僕がかつて何かを……」など)では詩的なリズムも感じられる。ただ、「主観の中から客観性を創造する」などのフレーズは抽象思考に弱い私には難解で、つっかえつっかえ意味を考えながら読んだ。小説なのだから抽象的なまま放りだすのではなく、同じ内容をもっと簡単に伝える表現方法があったのではないだろうか?

    参考文献(昨今の流行りか?)に挙げられているCDの曲をYouTubeで探して聴いてみたが、作品とのつながりはよく分からなかった。ただ 「Hello,world!」のコメント欄に第4節と同じような文字列があったので、プログラミング言語についての曲であろうことは理解した。合評会では曲の引用のねらいや文字列の意味について訊いてみたいと思っている。

  • 投稿者 | 2018-07-28 15:29

    スタイルに独創性があっていいと思います。認識論についての小説という感じで、文章も丁寧に構築され、言葉づかいも心地よく、全体を通しておもしろく読みました。観念的で抽象的な内容なので、書き方もこれでいいのではないでしょうか。「筆先がカンバスに触れる場所が、僕と世界の境界だ」ってとこ、いいですね。

  • 投稿者 | 2018-07-29 01:05

    難解でした。参考文献に記載されている曲を聴かなければ分からない内容なのでしょうか?
    「Hello,world」が主人公の活動の描写になっていて、「コロニー」では「僕」がたった一人で漂うような頼りなさの中でモノローグを続けています。で、唐突にプログラミングする人は必ず最初に見るであろう言語が…これは「ロストテクノロジー」なのでしょうか。
    視覚的に捉えている世界と、認識によって内在化する世界が違うこと、僕と彼女はロストテクノロジーと絵画によって共有するものを持つ双子のような存在であること、世界が消滅して一人漂っていても、かつて自分の存在と同期化した世界は残っていること、人はどうしてもそれを探し求めること、そういうことなのかもと思いながら拝読しました。

  • 投稿者 | 2018-07-29 10:52

    この話はSF……なのでしょうか。明確な意味や構成があって、難解な話になっているのか、一部で言われている村上春樹の批判のように、元から意味がないのに何かあるように見せているのか判断に困りましたが、話の意味が見えなくても雰囲気だけでも楽しめました。

  • 投稿者 | 2018-07-29 15:43

    私には大変難解でしたが、飽きることなく何度か読んでみました。時震によって滅亡とされた世界の先にあったのは・・・という読み方でいいのかな?と思いながら拝読しました。
    抽象的で観念的で、テンポの良い知的な文章がいつしか視覚的にプログラミング言語に見えてきて、不思議な感覚を持ちました。きっとこれは永遠に続くその後の話なのかしら?全くの見当違いでしたらすみませんという思いも持ちながら、拝読しました。

  • 投稿者 | 2018-07-29 15:51

    「セカイ系」なるものをよく知らず、このお話の内容もちゃんと理解できたとは言い難いのですが、不思議とすらすらと読めてしかもそれが心地よかったです。詩的で表現も洗練されていて、久しぶりに「このお話に帰結とかなくていいからこの文章をずっと読んでいたい」という気持ちになりました。

  • 投稿者 | 2018-07-31 02:06

    詩として受け止めるほうがぼくの受容体には合うかもしれない。なんらかの科学的な理由で世界が崩壊し、最期にセックスを望む作品が多い中で、他とは一線を画す世界観が独特なのではないかと思った。最終的には世界が滅んだかどうかもうどうでいいという気分にさせられた。

  • 編集長 | 2018-07-31 12:28

    内容が理解できなかった。インナースペースものと解釈することもできなくはないが、それだと世界が崩壊する必要はあまりないので、スリルがあまりなかった。

  • 編集者 | 2018-07-31 13:35

    例えにくいのだが、某おめでとうアニメの最終話みたいなものなんだろうか。(と言っても俺はそのアニメ全部見てないが)
    確かに今回お題からして最終話的だし、世界がどうなるかよりも主人公の精神や内面を優先させるセカイ系でも良いのだが、煙に巻きすぎているとも思う。

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