宇宙船の窓の家

黒田 薔子

小説

5,796文字

少年の夏の思い出。魔女のような老婆と、町で話題の『宇宙船の窓の家』の記憶。

夏の匂いがする、サクッと読める短編です。

 僕が住んでいた家の近くには、不思議な家があった。フツーの四角い、ガラスの窓じゃなくて、まるでベタなイラストのUFOの窓のようにまんまるで、出っ張った形の窓がいくつもある、白っぽい色の家。どんな人が住んでいるのかも、僕は知らなかった。
 その家の庭には桜の木が植えてあって、夏になるとウジャウジャと蝉がそこら中に張り付くものだから、何度も虫取り網とカゴを持ってその家の近くまで行った。塀に張り付いて庭木を見上げれば、クマゼミがびっしりと樹液でテカる木の幹に張り付いていて、網をそぅっと、木の幹に張り付けてなるべく高い位置から一気に下へ引き降ろせば網の中はあっという間にいっぱいだ。
 秋には塀の周りでドングリが拾えたし、キンモクセイの花が咲いていた。キンモクセイの花の中から、花弁が五枚のものを見つけて食べると願い事が叶うのだ、と同じ登校班の女子が言っていたから、一緒に探してやったこともある。
 小学校の登校班の集合場所がその家のすぐ近くだったから、僕たちの間では『宇宙船の窓の家』と認識されていた。この間までアップリケのついたスモックを着ていたような一年生まで『UFOだ!』と騒ぐ程度には、同じ小学校に通う生徒には有名だったはずだ。
 一度、なんとなく母親に聞いたことがある。どんな人が住んでるのか、と。
「そんなこと訊いてどうするの。それより宿題は?」
 はぐらかされてすぐに退散したけれど、一度気になった以上調べなくては気が済まなかった僕は、小五の夏休みに夜中こっそり抜け出して例の家まで向かった。
 たくさんある窓は一つも灯りがついていなくて、唯一の光源と言えばいつも蝉を捕まえる桜の木の脇に隠れるように掲げられた小さな表札だけ。建物と同じように白っぽい塀に埋め込まれた表札は漢字で書かれてはいなくて、僕には読めなかった。
 暫く見上げていたけれど誰も出入りもしないし、どの窓も光らない。段々と飽きてきた僕が家に帰ろうとした時に、ほんの小さな『カチャ』という音がした。
 門扉の脇に張り付くようにして目を凝らすと、季節の庭木が茂る奥には黒っぽい色合いの玄関があって、その扉が僅かに音を立てながらゆっくりと開いていく。どんな人が出てくるのか。息を殺してじっと見つめていると、木々の造り出す暗闇に不釣り合いなピンク色のシルエットが見えた。
 アニメキャラクターにしかいないような、イチゴミルクの色をした髪の毛と赤とピンク(だと思う)のワンピースを着た痩せぎすの老婆が、まっすぐに僕を見つめた。
 しっかりと隠れていたつもりだったし、想定していなかった事態に僕は叫び出しそうな口を両手で塞ぎ、塀に背を向けてその場にしゃがみこんだ。まるで魔女だ。オニババだ。否、もしかしたらやっぱり宇宙人なのかもしれない!とまで思い、家に帰ろうとどうにか腰を上げた時だった。
「取って食いやしないよ、坊主。あたしに何か用かい?」
 門扉から見下ろすように顔を出して僕を覗き込む老婆がいた。顔を上げた僕はまた、叫び出しそうになる。目を白黒させる僕が面白かったのか、老婆はしわがれた声で「ヒヒヒ」と小さく笑いながら、思いの外優しそうな顔で笑った。
 赤いワンピースを靡かせて老婆は音もなく移動する。どうにか落ち着き始めた僕を残して、玄関脇にぽつんと置かれていた小さな折りたたみ椅子に腰かけると置物か何かのように身動きしなくなった。僕の方へ視線を投げることも無く、ただ、庭木の合間から中空を見上げる格好でじっとしていて、時折瞬きする。でも、あまりにも動かないものだから、そのまま死んでしまったか、それとも元からそういう置物か人形か何かだった気さえしてくる。
 動かない老婆と、動けない僕。ぬるい、夏の夜の風だけが一度、ざあ、と音を立てて通り過ぎて行った。
「子供は寝る時間だろ、何の用があるってんだい。用事があるなら入ってきな。」
 ぼさっと立ち尽くす僕に、やっぱりピクリとも動かずに声をかけてくる。少し離れているし、まったく動いていないのに声だけがハッキリ、クッキリと聞こえるのはまるでテレパシーみたいだと思った。
「ココ……宇宙船みたいだな、って思ってて、その……」
 怒られる!そう思った僕は少し身構えてうつむき加減で答えた。勿論、その場から動けなかった。靴底に接着剤でも塗ってあったのだろうか、それともやっぱりこの老婆の魔法?幼い僕には身が竦む、なんて経験は無くて身じろぎ一つできない状況にほとほと困り果てていた。
「――そうだったらどんなにいいか。」
 小さく、呟いた声。なんて返せばいいのか困っていると、一拍の間を置いてまた言葉が投げかけられた。
「もう一度言うよ、用事があるなら入ってきな。いくら夏だからって夜風に当たると腹を下すよ。」
 やっぱりテレパシーみたい。声だけが耳元に確かに届いて、僕は漸く一歩を踏み出し門をくぐった。
 綺麗に敷き詰められた煉瓦の道を通り抜けて玄関前まで辿り着く。間近で見る老婆のワンピースは目に痛い程の緋色にピンク色の薔薇が咲き乱れる、外国の絵本の中の少女を彷彿とさせるデザインで、髪の色、服、いずれをとってみてもやっぱり自分の知っている『老人』とは違う。玄関灯の下で見上げる姿勢のままだった老婆が僕の方へとゆっくり顔を向けた。
「小僧、なんて呼ぶのも失礼だね。アンタ、名前はなんて言うんだい?」
「コータ。」
「じゃあコータ。宇宙船みたいな家に興味を持ったのは解ったけど、ここには今アタシ一人だけしか住んでないし、子供が喜ぶようなものは何一つ置いてない。涼んだら帰んな。」
 別に咎める様な物言いではなかった。テストの点が悪かった時やお手伝いをサボった時の母親の怒鳴り声とは違う、諭すような言い方だった。
 老婆が言う通り唯の興味本位でやって来て、宇宙船とは何の関係も無い上おかしな格好の老婆が独りで住んでいる、それだけでも大収穫でこの場所にいつまでも居座る理由にはならなかった。寧ろ、少し眠たくもなってきていたし、もしも夜に家を抜け出したことがばれていれば大目玉だ。そんな事は解っているのに何故か、この場所を離れたくないと思った。
 少しばかり考えて、老婆に話しかける。
「ねぇ……何を見てるの?虫?」
 夏の夜空を飛び回る虫と言えば、蚊、ハエ、蛾、少なくとも僕にとっては何も面白くない。色の綺麗な蝶々だとか図鑑に出てくるクワガタならまだしも、色も地味で大人の女の人が喜ぶとはとても思えない。
「アタシはね、王子様を待ってるんだよ。」

* * *

 母親の怒鳴り声で叩き起こされ、夏休み恒例の朝のラジオ体操に行く。その道中にも、あの宇宙船の窓の家を覗いてしまう。
 あの夜『さあ、もういいだろう。』と半ば無理やり話を終了されて追い返された後、出てきたときと同じようにこっそり家に戻り布団に潜り込むとすぐ眠ってしまったけれど、あの人が待っている『王子様』というのが何のことかさっぱりわからなかった。
 授業で習ったことやテレビのニュースで知っている。日本には王様もお妃様も居なくて、天皇という人が一番偉いのだ。だから、王子様と言われて思いつくのはシンデレラとか白雪姫みたいな物語だけで、小学生の僕は頭を悩ませた。
 一週間もした頃、大嫌いな読書感想文を机に広げながらテレビを眺めていた時に耳に飛び込んできた台詞に眼を見開いた。
『いいのよっ!いつか白馬の王子様があたしを迎えに来てくれるんだから!』
 古いアニメの、高飛車な女の子がそう叫んでいた。王子様、というのは何も本物の王子様で無くて、恋人とか好きな人とか、意外と身近な誰かのことを表すときにも使うのだと一つ賢くなった瞬間だった。
 あの老婆は、誰か、恋人とか好きな人とか、男の人を待っているんだ。
 もう一度、あの老婆と話してみたくなって、どうにか原稿用紙を埋めるとたっぷりと昼寝をした。夜になって家中の電気が消えてから、こっそりと家を抜け出した。
「コータ。今度は何の用だい?」
 角を一つ曲がって辿り着いた目的地で、また、声をかけられずにそぅっと覗いているとあっさりと見つかる。塀に張り付いていた僕に声が届いて、それを合図に僕は門を潜り抜ける。
「ねぇ!この間言ってた王子様、っておばーさんのコイビト?」
 前回と同じく椅子に腰かけて赤いワンピースの老婆は少しばかり目を見開いて口を開くと、まずは僕を睨みつけながら『バカを言うな』と叱り飛ばした。
「コイビトなんて良いもんじゃないよ。アタシを連れて行くのを忘れた大バカ者が、いつ迎えに来るのか待ってるんだよ。」
「月から迎えが来るかぐや姫みたいに?」
「――竹取物語か。そんなにきれいでもないけどね。」
 まるで僕が来るのを待っていたように、足元に置いてあった水筒を取り出し、僕に飲め、と渡してきた。知らない人からものを貰ってはいけない、と先生からも両親からも強く言われていたけれど、前にあったこともあるし……と自分に言い訳をして中身を注ぐ。中身はただの麦茶だったけれど、何故か少しだけ甘かった。
 その後も小一時間程他愛ない話を振ってみるものの、たかだか小学生の子供が、大人が強く食いついてくるような話題を持ち合わせているはずも無く何度も会話のキャッチボールは途切れ、何度目かでまた追い返された。
 それでも僕は飽きることなく夏休みの間中この、謎に包まれた老婆の許へ足しげく通った。甘い麦茶をはじめ、徐々に態度が軟化した老婆は夏休みが終わるまで、僕が覗きに行くたびに色々な話を聞かせてくれた。星座の物語、庭木の種類、外国の名前、どんな授業よりもわかりやすくて面白い深夜の課外授業だ。
「もうすぐ学校が始まるんだろう。夜更かしは止めて、ちゃんと学校へ行くのが子供の仕事なんだから、コータも早く帰って寝な。」
 夏休み最後の日、早々に追い返されたのが、僕がその人に会った最後だった。

* * *

 小学校、中学校を卒業して、高校生にもなると部活にバイトにとどんどん家にいる時間も短くなったし、自分の行動範囲から外れてしまったせいで、すっかり『宇宙船の窓の家』のことは頭の中からすっぽ抜けて消えてしまった。だから、母が回覧板を見て溜息をついた理由も、珍しく警察車両が近所にやって来ていたことも何も、知らなかった。
 社会に出て暫く、その頃には家を出ていて所謂中小企業の営業職として毎日を送っていた僕は、たまたま家の近くを車で通りかかった。後の予定も無いし、ついでに久し振りに顔を出そうか、と角を曲がろうとして驚き、慌ててブレーキを踏んだ。
 この曲がり角には、キンモクセイと桜が植わっていたのに。
 車通りの無い生活道で助かった、と胸をなでおろしながら車を降りる。そこには何も残っていなかった。敷き詰められた煉瓦の道も、アルファベットで書かれた表札も、あの頃の面影は何一つなくなって、味気ないロープと不動産屋の幟だけがはたはたと揺れている。分譲地、という文字の書かれた看板だけがぽつん、と立ち尽くしていた。
 数年ぶりに立ち寄ったのだ、変わってしまう事は当然あるし、いつの間に更地になったのかもわからない。取り敢えずは、と車に戻り実家へと向かう。
「母さん、あの角の家どうしたの?」
 ただいま、の声よりも先に飛び出したのは疑問。在宅だった母が淹れてくれた麦茶を受け取りながら居間に座り込む。そういえば実家にすら数年帰っていなかった。
「ああ、あのフランス人のハーフのお宅でしょ。もう随分になるわよ、アンタまだ家にいたんじゃなかったっけ?」
「初耳だよ。引っ越したの?」
「……亡くなったの。私が嫁いでくるよりも前から住んでらしたけど、ご主人を亡くされてからは奥さんが独りで住んでたのね。アーチだかなんだか知らないけど、庭木が背が高いし、鬱蒼としてるでしょ?あの玄関先で椅子に座ったままで亡くなってたらしくて、警察からアレコレ聞かれちゃったもの。もー、面倒だったわ。ウチはお付き合いなんか全然なかったから、回覧板で事前に警察に協力を~ってきた時にぎょっとしたわ。」
 僕は思い出した。すっかりと忘れ去られていた少年の頃の思い出。王子様と待っていると言ってずっと空を見ていたこと。
「フランス人のハーフって?」
「なんかね……私もまた聞きだし、良くは知らないんだけど……」
 母の話をまとめるとこうだ。
 フランス人のご主人とフランスで産まれたハーフの奥様は結婚後、天文学者のご主人の仕事の都合で日本にやってきた。当時はやっぱり見た目や生活習慣の違いから少なからず警戒され、なかなか友人知人もできずにご夫婦でひっそりと暮らしていた。
 ある時ご主人が病に倒れ、亡くなってからは奥様が独りで暮らしていて、時々買い物に出たりしている姿を見かけた人が居るものの、年甲斐も無く派手派手しい少女趣味のワンピースと奇抜な髪の色で余計に孤立、看取る人も無くたった独りで亡くなった。
「気味の悪いことにねぇ、玄関先で椅子に腰かけたまま息を引き取ったらしいの。異臭に気づいた向かいのお家が警察へ連絡したんだって。やっぱりああいう服装して――」
 あの人と幾つか話した中に服装や髪の色の話もあった。王子様に見つけてもらうのに、一番綺麗な格好じゃないと失礼じゃないか、なんて言っていた気がする。
 それ以上は半ば悪口や愚痴のようなもので、頭に入らなかったし聞きたくも無い。手の中で温くなっていった麦茶を一息に飲み干して話を遮り、適当に調子を合わせて実家を出た。
 会社へ戻る前にもう一度、あの更地へ立ち寄った。ちょうどあの門扉があった辺りに立ってみる。
 あの人が待っていたのは、ご主人だったのか。自分を置いて旅立ったご主人を想って夜毎、玄関で空を見上げていたんだろう。季節の木々のざわめき一つ、星の巡りの一つにも思い出が詰まっていたんだと思えば子供のころのバラバラの記憶が、吹き出すようにあふれ出した。
 知らず、頬を涙が伝った。別段親しいわけでもない、ただの顔見知りの子供だった僕とあの人の繋がりなんて些細なものだ。ただ、目の前のだだっ広い更地が妙に寒々しくて、悲しかった。

2018年7月2日公開

© 2018 黒田 薔子

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