作用 1

甘い毒。(第6話)

黒田 薔子

小説

9,595文字

著者の代表作『甘い毒。』の第六話です。

女性向けR18サイトへ投稿、完結と共に瞬く間に10万PVを突破したデビュー長編です。
※性描写を含みますが官能が主目的のものではございません。苦手な方は予めご注意ください。

 私が生まれた町は、割と保守的で、ストレートな言い方をすればカビ臭い男尊女卑の残る田舎だった。田んぼと牛と、畑と老人が毎日目に入り、時々新しい家やアパートが建っては若い世代がUターンしてきて子供を産む。一家に一台車がないと生活できず、酒が飲めなければ男じゃないし子供を産めないと女じゃない。本家が絶対、女に学は必要無い、男に従うべし――それは私の家だけでなくて、数は少ないながら存在する同級生の家でもごく当たり前の事だった。
 幼稚園も小学校も中学校もこの町で同じ顔触れと過ごしてきた。顔を見ればどこの誰だかわかる、そんな限られた空間で生きてきた。
 仕事といえば割と新しくできた大型スーパーのレジ打ちのパートか、正社員なら隣町でサラリーマンをするか、農業高校、または昼間はアルバイトと家業を手伝い夜間高校を出て公務員、はたまた親から継いだ自営業をやっている、というところ。都会へ出るのは男だけで、女は高校を出るとサッサと結婚し、子供を産むことが求められている。
 中学の進路指導で、大多数が家業を継いだり地元の農業高校を選択する中、私は隣町の大きな私立高校へ行くことを希望した。もっといろいろな勉強がしたい、と。正直に言えばこの町から逃げ出したかったのだ。この町に生まれ、中学を出たら働くか農業高校へ行き、地元で働いて地元の人と結婚し、相手の家に尽くし男児を産み死んでいくのが怖かった。
 テレビの中と教科書の中にあった都会の写真や流行りの洋服に憧れ、同じ年頃の子が自分の部屋を持っていて友達同士でファミレスに屯するのが現実なのか確かめたかった。そして、自分もそちら側に行きたかった。
 進路担当の教師から渡されたプリントを見せると母と祖母が泣き崩れ、父は鼻で笑い祖父は飲みかけの缶ビールを母に投げつけた。
『女の癖に。』
『できそこないの癖に。』
『ガキの癖に。』
『遊びたいだけだろうが。』
『嫁が洗脳したせいだ。』
 祖母が母を詰り、叫び始めた。手元にあった灰皿、孫の手、リモコン、色々なものを母に投げつける祖父、くだらん、と一言だけ発してパチンコ屋へ行ってしまった父。何もかもが嫌だった。家の中がめちゃくちゃに荒れて、私はどうして男に生まれてこなかったのかと泣いた。勉強がしたいのだとプレゼンしても、農業や医療等自分たちの身近なもの以外は理解できない年寄りが実権を握っていたし、そもそも女に学業は不要と考えられている以上、どこまで行っても『女の癖に』の一言で否定されてしまう。
 その後、進路指導の教師を交え、どうにか三年間隣町へ通うことが許された。第二希望の私立女子高で、年寄りの女子高イメージといえば『女学校』『家政科』で止まっていたのが幸いした。花嫁修業のつもりだとごまかしたのも良かったのかもしれない。
 この家の、この町の、くだらないしがらみから抜け出せれば真人間になれるのだと信じて疑わなかった。
 受験シーズンが迫る中、私のセーラー服は同級生からのいじめでどんどん汚れていった。
 田舎町で陰湿なのは、大人や老人だけじゃない。それを見て育った子供たちもまた、田舎の陰湿さを身に着けていて嫌がらせに長けていた。私はこの町を出たい逃げ出したい一心で、後ろ指をさされながら参考書を買い、白い目で見られながら勉強した。
 結果、高校には受かった。真新しい制服は地元にはなかったブレザーの制服で自由度も高かったし、髪型やカバンの選択肢も多かった。入学して気が付く。電車で三十分離れただけでこんなにも違うのか、と驚くほどに隣町の女の子は皆キレイだった。わずかに髪を明るくして毛先を巻き、メイクをしていた。アルバイトに彼氏とデート、塾に行った後どこかでお茶して帰ったり友達と買い物に行くとかで家にいる時間の方が少ないらしい。
 『学生らしく』を徹底していた私は、校則こそ破っていないけれど逆を返せば彼女たちからは浮いた存在で、たちまち『イジリ』の標的となる。田舎以上のいじめを受ける羽目になった。ダサくてあか抜けない、ノリの悪い子とはつるみたくないと言われた。
 女子高のいじめは、エグイ。男の目が無いからなんでもする。暴言暴力、モノを隠す・捨てるは当たり前、万引きや売春の強要もあった。団結力で教師陣を欺くが為に誰からも助けてもらえない。両親に相談などもってのほかだ。あの年寄りどもがこの事実を知ったら学校をやめて見合いをしろと言いかねない。私が地元を嫌いな理由はこれだ。二度と戻りたくない。
 学年が代わってもこのいじめは続いた。要するに私は学校の最底辺にいたのだ。
 ある程度都会に出た今は何となくわかる。彼女たちと仲良くするには異質すぎたのだ。自由になる金も時間も持っておらず、いつも門限だけを気にしていて趣味の一つもないし、テレビや雑誌の話も分からない。リップクリーム一つ持っていなかった私が『このマスカラどう?』なんて訊かれてコメントできるはずがない。
 だからと言っていじめていい理由にはならないにしろ、あからさまにみんなと違う、つまらない人間だということは明白でクラスメイト達は皆、私の存在を持て余していたんだろうと思う。
 クラスメイトに酷く殴られた日、私は駅前にあったドラッグストアでリップクリームを盗んだ。見た目が可愛くて、これ一つでもあのキラキラした同世代女子に近づける気がして。たった数百円が自由にならなくて魔が差したものの、罪悪感で使うことはなく、いつだったか駅のゴミ箱に捨てた。
 次に手を出したのは煙草。家の中は酒と煙草と古い畳の臭いがするから気が付かれずに済んで、高校一年からずっと付き合っていく相棒となる。スクールバッグの中に入れておいたら、不思議と鞄を漁られる頻度が減った。ダサい田舎者でもそのくらいのことはするんだよ、とひそかな抵抗心もあって三年間ずっとポーチの中に煙草と携帯灰皿、ライターを入れて持ち歩いた。
 どうしてもなじめない私は、学校にも、放課後にも、家にも、居場所がなかった―――
「―――ん、葉月さんっ!」
 揺さぶられて顔をあげる。嫌なことを思い出しながら眠っていた。かけっぱなしだったテレビはいつの間にか朝のワイドショーが始まっていて、諒が心配そうに顔を覗き込んでいる。膝を抱える姿勢だったのがいつの間にかソファに伸びて寝ころんでいた。
「……おはよう」
「うん、おはよ。ねぇ…顔色悪いよ?どうかした?」
 肩に触れている諒の体温は高くて少しほっとした。仕事をして手一杯なら忘れていられた古い記憶はじくじくと私の中で傷み続ける。化膿した傷のように。だから、思い出したくなかったのに。
 私は無意識に諒を抱きしめた。私の方から抱きしめてはいるけれど、たぶん、聡い彼は私が甘えたいのだということに気が付くはず。抵抗されることもなく、されるがままの彼の肩口に額を寄せる。今この家には諒がいてくれる。彼はきっと、私を必要としてくれる。大丈夫。
 自分に言い聞かせるように口の中でだけ呟いてそっと離れる。
「何でもないよ、家出少年。朝ごはんする?」

 今日の朝食はエッグトースト。買い置きの食パンの真ん中をくりぬいてフライパンに敷き、真ん中の穴にベーコンと卵を落として焼いただけの簡単メニューとコーヒー、レタスをちぎってハムを添えただけのサラダ。駅前の百均で買った諒のマグカップにはミルクを入れてカフェオレにした。
「で、今日の予定は?」
「とくになし。煙草吸って、テレビ見て、本読んで、寝る。以上。」
 向かい合って座りながら食事を採ることにも慣れてきた。自分の中に芽生えたモヤモヤさえ封じ込めてしまえば、なんてことのない朝の風景としてすっかり定着し始めている。
「じゃあさ、ちょっと出かけてきていい?」
 意外な発言にマグカップを傾ける手が止まる。
「珍しい、ってか…初めてだよね?自分の家にでも帰る気になった?」
「違うよ。髪、切りたくて。そろそろ鬱陶しいし、色も変えたいんだよねー…」
 なるほど、よくよく見れば諒の前髪は目にかかるどころか、セットしても目が隠れる長さで鬱陶しそうだ。今はどこから仕入れたのかヘアピンで前髪をあげている。
「美容院とか行くんだ?頑張ってねー。」
「あっ、葉月さんも一緒に行く?イメチェンとかするのどうよ?」
「あんなとこ行くなら自分で切る。今までだってずっとそうしてきたし、行く気にならない。」
 コーヒーブレイク再開。自分が行くわけじゃないからどうでもいい。切るのも染めるのも、基本的に全部自分でやってきたから、美容院へ行くという考えが自分の中に無い。こういうところも女を捨ててると取られるのかもしれないけれど、どうしたってあの空間を好きにはなれないし、酷い時には金の無駄とまで思う。
「えっ。自分で切ってるの!?まじで?カラー位ならわかるけどさ、まさか自分でそんな綺麗に整う?」
「…なんなら切ろうか?見本さえあればやったげるよ。ただ、自分の髪じゃないから保証はしないけど。」
「やったっ!お金ないから迷ってたんだよねー!」
 今日の予定が決まったことで内心ほっとした。がっちりと鍵をかけていた筈の記憶の蓋が開いてしまった状態でぼんやりと過ごすのは危険だから、どうにかして予定を埋めておきたかったから。
 諒が嬉々として食器を下げ、近くのドラッグストアが開く時間だから!と私の手を引く。着替えて、二人で外に出る。現金なもので予定がある状態で外へ出るとそれだけで気分はマシになった。冷えた空気が頬に刺さっても、寧ろそれが心地よい。
「雪、ふらないかなー。」
 ぽつり、誰に言うでもなく、独り言のつもりでつぶやいたのに諒は聞き逃さなかったらしい。
「葉月さんは冬、好きなの?」
「ん、好きだよ。雪が降れば最高。」
 但し寒さまで好きだとは言ってない。マフラーも巻いてくるべきだったか、と少しばかり後悔する。服の隙間から容赦なく滑り込んでくる冷気に一つ身震いをしながら両手をライダースジャケットにつっこんだ。保温力の高いインナーと薄手のニットにライダース、いつものデニムという慣れ親しんだ格好ではあったものの寒い物は寒い。首をすくめるように、やや猫背になりながら徒歩十五分の大きなドラッグストアまで二人並んで歩いた。
 諒は目当てのカラー剤を見つけたらしく迷うことなく陳列棚から取り出した。真似るつもりはなかったが好みの色があったことと、彼に言われた『イメチェン』が気になってつい、自分用に同じブランドのカラー剤をカゴに放り込んだ。
 あれやこれやと買い込んでついでにスーパーにも足を延ばした。二人ともが両手いっぱいに買い物袋を提げている様は、他人から見たらどう見えるんだろう。『無職のクズと家出少年』でなく、平日休みのカップルに見えていればいいのに、と頭の隅で思う。
 帰宅するなり、私は支度を始める。セルフカットとカラーにはコツがある。速攻でタンクトップと普段は着ないジャージに着替えて、リビングの床に古新聞やチラシを敷き詰め、その真ん中に椅子を置いた。次に台所からゴミ袋を取り出し、底に鋏で頭より少し小さめの穴をあける。
「片付け終わったら、さっきの総菜で昼ごはん。食べ終わったら、上全部脱いでここ座って。」
 諒に指示を出しながらもう一枚、同じサイズの穴をあけたゴミ袋を作り、リビングのチェストからカット鋏とヘアクリップの束を取り出す。あとは、普段使わない大き目の鏡も一応出しておく。風邪をひいてしまわないよう、エアコンの設定温度を少し上げて部屋を暖めておく。ヘアカラーもこの方が色が入りやすいはず。最後に、掃除機を傍に置いた。
 買ってきた適当な総菜を次々と温めてはダイニングテーブルに並べ、簡素な昼食の支度。湯を沸かしてカップみそ汁の用意。たまに淹れるドリップコーヒーかカップ麺ぐらいしかヤカンの出番がないので、うちにあるのは小さなドリップケトルのみ。先の細い、ちょっと小洒落たカフェのマークみたいな、アレ。それでも、二人分のカップスープ位なら十分な量が沸かせる。
 冷蔵庫から取り出した作り置きのお茶をコップに注いで貰ってきた割り箸を並べ、手を合わせた。カップサラダとおにぎり、揚げ物をいくつかとあとは好みのものを色々。品数だけは多いが所詮は総菜、作りたてのおかずには劣る!と力説する約一名を無視して私は黙々と昆布のおにぎりを食べ進めた。
 でも、諒の事を無視してもいられない。今までは当たり前だった、このジャンクでインスタントな食事がどれを食べても味気ないのは何故だろうか。支度も後始末も絶対この方が楽なのに。自分の中の変化に気づいてしまいなんだか落ち着かない。このところ、急激にこんなことが増えた気がする。
 思えば彼がここに居ついてから一週間になるだろうか。私の中にはなかった新しい発見や衝撃の日々で仕事を失ったことは忘れていられるし、不満はない。ただ、とにかくこの変化と落ち着かなさがどうにも居心地が悪い。
 考え込んでもモヤモヤが募るだけだ、と思考を放棄して昼のバラエティー番組を眺めることにする。テレビの中では女芸人が私服を貶され、流行の服に着せ替えられていた。
 食後のコーヒーブレイクをはさんで、特にすることもなければテレビの番組が切り替わる頃、『そろそろお願いしていい?』とからのマグカップを回収した彼が笑いかけた。私は頷く。
 上半身裸の諒が椅子に座る。男の癖に細い肩、白い肌。ちょっと見とれてしまう。
 気を取り直して、ずぼっと容赦なくゴミ袋を頭からかぶせる。小さめに開けた穴から強引に頭を出す、こうすることで簡易ケープの出来上がり。
 次はブロッキング。軽く櫛を入れてからヘアクリップで邪魔な髪を止めていく。襟足を露出させる程度に四か所ほど留めてから諒に声をかけた。
「で、どう切ればいいの?」
「葉月さんの好きにして♡オレ、そういうの疎いからお任せでー。前髪さえ目に入ってこなきゃ御の字。」
「……了解。」
 語尾にハートマークがついていた気がしたが聞こえないふり。しかし『お任せ』とは、厄介な注文だ。気に入らなかったらどうしよう、と不安にもなる。まぁ……文句は言わせないけど。
 襟足はそのまま残して軽くすくだけに留め、全体のボリュームを生かすことにした。長すぎるところだけを鋏で切って、あとは少しずつすいていく。これの繰り返し。ヘアクリップを外して少し毛束をとってはまた留める。途中で自分が移動しながら全体を切りそろえていく。
 他人からの印象を左右する前髪は、出来れば『お任せ』は遠慮してほしかったが仕方がない。諒の正面に回り腰を折って、私は真剣に頭頂部の毛束の長さを整え前髪へと進んでいったのだが。
「絶景ー。ねぇ、誘ってるの?葉月さん。」
 唐突に諒の手が私の胸に伸び、壊れ物を包むようにそうっと触れる。不意打ちの刺激にびくり、と体が跳ねる。嗚呼、そういえばノーブラでした。髪を切った後すぐに風呂に飛び込むつもりだったので。
「私が今、鋏を持ってるの解ってる?余計なとこ切っちゃうかもしれないけど?」
「髪はそのうち伸びるし、男だから坊主になったって生きていけるよ。」
 諒の手はやわやわと私のボディラインを撫でる。誘うように優しく、触れるか触れないかの微細なタッチで腰へ、ウエストへ、胸へと行ったり来たり。上体を起こそうとするや否や片腕が私の首に回り阻まれる。吐息がかかる程に距離を詰められれば心臓が暴れ出す。
 ふと、前髪の隙間から覗いた顔が目に入る。悪戯っぽく余裕綽々の顔、それでいて、ほんのわずかに上気した頬がとてつもなくセクシーだ。思わず、つられてしまいそうになる。
「髪じゃなくて、耳とか口とか指とかあるよね?」
「こーわーいーなー、もう。」
 絞り出した容赦のない拒絶にぱっ、と手を離す諒。ようやく私は不自然な体勢とセクハラから解放されたが未だに心臓は暴れている。離れた手にホッとしたはずなのにどこか寂しい、続きを期待する気持ちがあるのは気づかないふりをして再び作業に戻る。
 彼の髪を切り終え、掃除機で頭から床にかけて順番に吸い込む。最近千円程度でカットしてくれるカットの専門店が増えたが、ああいった店と同じ流れだ。そのためにさっき、普段使わない掃除機の先端パーツを洗浄・消毒しておいた。おかしなところがないか前後左右からチェックして、次はカラーリングに移る。
 カラー剤は最近主流の泡タイプで手間はなかった。薬剤を混ぜて塗りたくり、揉みこんでいくだけ。これなら彼一人ででも問題はなかっただろうけど、まぁ、流れということで。それに、他人の髪を触るというのはなかなか無い経験で、悪くない気分だった。
 泡が垂れてこないように頭頂部に泡を持ち上げて、貫頭衣にしか見えないゴミ袋ケープを切り裂く。これはこのまま丸めて捨てればおしまい。余った薬剤やつけていた手袋を処分、諒にはキッチンペーパーを何枚か渡しておく。ついでに、暇つぶしできるようテレビのリモコンも。
「万が一、酷く泡だれして顔にかかったらこれで早々に拭いて。私はお風呂入るから。」
 そう言い残して私は風呂場へ移動する。諒の髪が体中についているせいでそこかしこがチクチクして仕方ない。勿論、排水溝が詰まるのを防止するため髪の毛ネットは新しいものにした。
 体だけをさっと流して戻ると諒は険しい顔で私の煙草をふかしていた。いつか、なじみの喫茶店で『タバコってそんなに旨い?』と不思議そうにしていたのに。別に気配を殺す必要もないのだけれど、なぜか声をかけてはいけない、否、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
 諒が、私に気づいて煙草を灰皿にねじ込んだ。
「あー。ばれちゃった。」
 悪戯っぽく笑う顔はいつもの彼だけど、あの険しい表情は何を考えての事だったのか。気にならないではないけれど、本人が聞いてほしいのだと意思表示しない限りは深入りする必要も理由もない。
 努めて、自然な態度で接しようと声をかける。
「なに?まさか前回私が小ばかにしたのを根に持ってて、こっそり練習でもしてるつもりだった?」
 茶化すように笑いながら言えば、取り繕った笑顔は崩れることなくいつものふにゃふにゃとした笑顔に戻る。
「ばれたか。葉月さんみたいにはパカパカ吸えないよ…やっぱ俺には向いてないのかなぁー。」
「やめとけ家出少年。これは大人の味だよ。」
「葉月さんいつから吸ってるの?」
「十五」
「だめじゃん!」
「もうとっくに時効だって」
 私だって、彼に言えないことはいくつもある。言いたくないことも、踏み込まれたくないことも。人間なんてそんなものだ。だから、彼が話したいのならば聞くし、悩んでいるならアドバイスもするけれど、そこまで踏み込むことをまだ、私には許されていない。
 諒の髪色の染まり具合を見て、風呂に入るように指示を出し後片付けを終わらせて私も一服することにした。と、その前に。自分用に買ってきたヘアカラーを使うことにした。放置時間で煙草が吸える。
 風呂から出てきた諒と入れ違いに今度は私が洗い流しに行った。髪を洗うだけでそんなに時間がかかるはずもなく、戻ると濡れた髪もそのままにテレビを見ながらスナック菓子を頬張る彼の姿。曰く『ドライヤーの場所がわからない』と。しまった。普段そんなもの使わないから寝室のチェストの奥底に置き去りだった。
 渋々探しに行き、ドライヤーを手に戻ると諒はまた甘えた顔で乾かせ、とばかりに頭だけを突き出してくる。撫でろと要求する犬か。それをまた蹴り飛ばしもせずにブラシを手にドライヤーのスイッチを入れる私も私だ。絶対にどうかしてる。
 結果として諒の髪は、黒髪のぼさぼさミディアムからブラウンレッドのミディアムに。元の髪型を崩さないよう全体を数㎝だけ短くしつつ、襟足だけはほとんど手を付けず伸ばしてあるのでセットの仕方によってはウルフっぽくしてみたり色々できるはず。ネットで見たことあるし、こんな髪型。
「つーか葉月さんすげー器用だよね。惚れるわー。」
「ハイハイ。無駄口はいいから仕上がりチェックして。気に入らなかったら染め直すにしても切るにしても、今ならまだドラッグストアとか開いてるから。」
 用意しておいた鏡を渡すと感動したように声をあげる。もう一つ、小さいけれど鏡を渡した。これで後ろもどうにか見えるはず。
 私もついでに自分の髪を乾かそうか、と温風を自分に向けたところで諒がそれを阻む。ひょい、とドライヤーを取り上げられた。
「これくらいオレがするよ。座って。」
 なんだか落ち着かないけれど。勧められるままにソファ脇に置いてあるオットマンに腰かける。諒が後ろに立って私の髪に触れた。濡れた髪はぺったりと肌に張り付いていて、肩にかけたタオルだけでは長さが足らず部屋着のスウェットの背中一部分だけが濡れている。私が適当に扱うのとは違って、大切なものを扱うように少しずつ、美容院でしてくれるように地肌に近いところから乾かし始めた。
 諒は、私に触れるときはいつだって優しく扱ってくれる。思い返してみれば、最初に番った時ですらそうだ。乱暴に、手ひどく扱われるのかと思いきやその実、行為はどこまでも優しく、甘かった。翌日も、私を気遣っていたし、ついさっきのセクハラだってそう。加減知らずに鷲掴みにすることはなかった。単なる女慣れなのか、気遣ってくれているのか…わからないけど。
 少しずつ頭が軽くなっていく。水気がだいぶ飛んだようだ。粗方乾いたサイドの毛束を一房つまんで透かして見る。肩甲骨の少し下辺りまである元の長さのままだけど、色をダークアッシュにすることで少しだけきつい印象が和らいだ気がした。黒々として硬い毛質だし、明るい茶系は好きになれなかったんだけどこれならいいか、とメンズヘアカラーのコーナーから選んだのだ。だから決して諒の真似ではない。
 時折、あっさりした甘すぎないシトラスの香りが漂ってきた。ヘアカラーに入ってる香料だとおもうけど嫌いじゃない。その昔女性向けヘアカラーを使った時には甘ったるい匂いに辟易したけれど、メンズのヘアカラーがこういう香りが多いのなら今後も染めることもできるかもしれない。
 前髪を含めようやく乾かし終わったのかちょろちょろと動き回っていた諒は背後に回り、かかる風が冷風になった。どうやら丁寧にブラシでセットまでしてくれるらしい。どうせ家でダラダラ過ごして、後は寝るだけなのに。手近にあった小さい方の鏡を渡されて確認すれば、色はまぁ納得できるところ。疑問なのは何故か、毛先が緩くカールしている事。所謂コテとかアイロンとかは使ってないんだけど。
 カチリ、スイッチが切られたところでふと、いつまでも熱いものに気が付いた。背中の一部分だけが熱い。まさかと思う。けど。位置関係から察すると答えは一つしかない。
 気が付かないふりをして私は手元に置いておいたシュシュで髪を束ねようと手を伸ばす、が。何故か、抱きすくめられていて。
「ごめん、ちょっと、やばい。」
 耳元で声がする。頭の処理が追い付かない。なんで?なにが?
「流石に若いんで。ごめん…いやだよ、ね?」
 彼にとっては扇情的だったのだろうか。それとも男なんてそんなもの?過去の男と比較しようにも、言うほどたくさんの男を知っているわけでもないし解らない。
「…いいよ。」
 ただ、不思議と嫌じゃなかった。
 諒なら、構わない、とさえ思った。

2018年6月28日公開 (初出 ムーンライトノベルズ

作品集『甘い毒。』第6話 (全12話)

© 2018 黒田 薔子

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