黒い毒の精度

応募作品

谷田七重

小説

4,575文字

合評会・テーマ「現代ノワール」応募作です。書いてる途中でノワールがいったい何なのかわからなくなって逆ギレしそうになりましたがなんとかがんばりました。

「そうなんだ、うん、うん、」と目の前で楽しそうに喋りつづける妹の話を聞き流しながら、久枝は頭の片隅でとりとめもなく考えていた。この子は――実奈は、あの乙女椿のようなものだ、と。久枝が一人住まいをしているマンションから駅へ向かう道の途中、この時期になると乙女椿を見事に咲かせている家があるのだった。近づいてよく見てみたい、さわってみたい、とは思いながらも、朝の通勤のせわしなさに加え行きかう人たちの視線も気になって、いつも横目で見ながら通り過ぎる。そもそも、よそ様の家のものなのだ。……よそ様の家のもの? 目の前でにこにこ喋りまくっているのは私の妹じゃないの。
 変わらず実奈の話にテンポ良く頷き、表情を変え、さらに話を聞きだすようなそぶり、を見せながら、なおも久枝は考える。そう、乙女椿は、この子は、自身が愛らしいということをたっぷりと自覚している。軽薄なピンク色、わかりやすすぎる、開けっぴろげな愛らしさ。深みなんてこれっぽっちもない。――花びらの襞の影を除けば。……
「おねえちゃん、」と実奈がいきなり久枝の目を覗き込んできた。桃のような頬に、いたずらっ気が匂っている。「おねえちゃん、また私の話よく聞いてないでしょ」
 それに応え、ふ、と久枝が頷くように微笑むと、実奈はにっこりと笑い、また一方的なお喋りを始めるのだった。
 ふたりの間では、このやり取りは習い性となっていた。そもそも、一回り近く歳の離れている姉妹が、対等に共有できる話題などあるだろうか? あったとしても、同じ視点から話し合うには無理があるように久枝は思う。それならば、無駄な齟齬なんてない方がいいに決まっている。実奈も感覚としてわかっているようだ。姉妹はふた月に一度はこうして落ち合い、実奈はお喋りに興じ、久枝は的確な相槌を打ちながらも上の空で、それでもなぜか互いになんとなく心地よさを感じている。
 いまだ厳格な両親の庇護下にある実奈は、その鬱憤をこっそり晴らすべく、まあやることはやっているようだ。大学生になってからはじめて性の何たるかを知った久枝には、花咲ける妹の存在そのものがまぶしくてたまらないと感じることもある。
 実奈は、都立の進学校に通っている。進学校なのに、と言うべきか、だから、と言うべきか、校則はかなりゆるく、一応制服はあるものの、私服での通学もゆるされている。それなのに実奈は父親にねだってわりと値の張るブランドのブレザーを買ってもらい、いつもそれを着ていた。今日もそうだ。このファミレスに入るまでふたりで街中を歩いていると、何人かの男の視線が実奈に注がれているのを久枝は感じた。もちろん、そんなことは初めてではない。そしておそらく実奈もそんな視線には慣れ切っていて、そちらに目をやるでもなく、膝上のプリーツスカートをひらめかせながら脚を運ぶ。男たちはその規則正しい折り目の襞の影、さらにはその中へ、奥へ心をさまよわせていたかもしれない。
「おねえちゃん、彼氏とは順調?」と、唐突に自分へ投げかけられた疑問符に、久枝は我に返った。
「そうだね、まあまあかな」
 それまで前のめりになっていた実奈は、いいなー、と背もたれにブレザーの上半身をあずけた。「もうそのまま結婚しそうな感じだね」
「いやー、どうかな。わかんないけど」
 努めてはにかんでいるような表情を作ろうとしたものの、うまくいきそうにない。ごまかそうと、久枝は慌ててストローに口をつけた。
「あ、照れちゃって。グラス貸して、おねえちゃんのぶんも持ってきてあげる」
 そう言って、実奈はドリンクバーへと立って行った。久枝は、うまくごまかせたみたいだ、とほっとした。急に、ファミレス内の喧騒が大きくなったような気がした。無防備な耳から入り込み、さらに高まるノイズの中で、でも、と思った。うまくごまかせるだろうか。
 
 二週間ほどあと、久枝はふたたび実奈に連絡をした。大事な話があるから、また会えないかな? あれおねえちゃん、もしかして結婚の報告? まだひみつだよー、会ったら話すね、あ、ただ、実奈、少しいいとこに行こうと思うから、私服でね、できれば簡単なお化粧もしてね。
 久枝は、出会い系アプリで「ミニー」というアカウントを作っていた。間違えてはならない、年齢は十九歳。それ以外のプロフィールは空白のまま、和樹のアカウントにアプローチしていた。和樹――アカウント名KAZU――は、実奈の写真を送るとすぐに食いついてきた。久枝のふたつ上で三十一歳なのに、プロフィールでは二十七歳。何度も撮りなおしたであろう自撮り写真も滑稽だ。まあ、でも。和樹は顔だけはいい。顔だけは。そうそう、と久枝は思う。口も達者だ。だから私は一年半ものあいだ騙されていた。
 おれ、一年くらい彼女いないんだよ。えー意外、KAZUさんイケメンなのに。ミニーちゃんは? わたしもご無沙汰だなあ。え、ご無沙汰って(笑)、おれは真剣に彼女さがしてるんだよ?――馬鹿げたやりとりをしながら、久枝はもう怒りも呆れも通り越して、当事者でありながら傍観者、という自分の立ち位置を冷静に把握し、時が熟すのを待っていた。
 
 当日の昼過ぎ、待ち合わせ場所にあらわれた実奈の姿を遠くみとめて、久枝は満足した。とても高校生には見えない。それにしても、と久枝は思う。あの子はいつの間に、こんなにも女になったんだろう。
 行き交う人混みの中に立ち尽くし、実奈はスマホをいじり、時おりきょろきょろと首をめぐらせる。久枝はそんな妹を離れた場所から眺め、手早くLINEを送った。「ごめん、もう着いてるよね? 私も向かってたんだけど、いきなりお仕事関連で急用ができちゃった。ドタキャンになっちゃってごめんね、今度おいしいものご馳走するからね」
 実奈はスマホに目を落とすと、画面に右手指をすべらせた。すぐ久枝に返事がきた。「りょーかい!」
 あとは、久枝は願うだけだった。和樹の卑劣さと、実奈の軽さが遺憾なく発揮されることを。
「ねえ、これだけは守ってほしいんだけど」
 ミニーとして、久枝はKAZUに伝えてあった。
「ぎこちない感じで顔を合わせるのはイヤだから、ナンパでもするみたいに軽く声かけて。楽しそうじゃない? お互いのこと初めて知ったふうにして、ゼロから始めるの」
「おや、ゲーム感覚? まあいいよ、おっけー」
 若い女の子と遊べるのだから、このくらいの要求なら和樹も呑むだろうと踏んでいた。
 ――果たして、最高のタイミングで和樹は姿をあらわし、きょとんとしている実奈に話しかけていた。そう、と久枝はまた思った。あいつは顔だけはいい。口も達者。そして演技もお手の物。私は知っている。
 すこし怪訝そうな実奈の表情がだんだんとやわらいでいき、微笑のさざなみがはっきりとした笑顔になっていく様子が、遠くから見ている久枝にもわかった。やがてふたりは、肩を並べて歩き出した。
 いかにもなおしゃれカフェで談笑したあと、ふたりは当然のようにホテル街へ向かっていた。久枝は次第に汗ばんでくる手にスマホを握りしめていた。いつでも写真を撮れるように。やがてふたりはあるホテルの前で立ち止まり、短く言葉を交わすと、そのまま中へ入っていった。久枝は手の震えを抑えようと努めながら、カシャ、と写真を撮った。その音は必要以上に乾いていて、まるで自分を責めているように感じた。
 待っているあいだ、永遠とも思える時間の中、今日の計画を思いついた時の黒い感情がさらに濃度を増した上、全身の血管をめぐっていくような感覚に見舞われた。ここまで染まりきったなら、と久枝は思った。最後までやりきるしかない。もう彼女に迷いはなかった。だから、ふたりがやっとホテルから出てきた時にはもう写真は撮らなかった。
 久枝はさっきよりもさらに打ち解けた様子のふたりの後ろ姿――とりわけ実奈が和樹を見上げる横顔の無防備さ――をぼんやりと見ていた。和樹は私よりふたつ年上なのに、いつも私たち姉妹が互いに目を逸らしている年齢間の齟齬など軽々と超えたように見える。その肉体で。久枝は自分が誰を憎んでいるのか、そもそもこの感情が憎しみなのかもわからなくなってきた。それでも、けりはつけなくてはならない。
 ホテル街を抜け、街中を歩くふたりに追いついた久枝は、「実奈?」と妹の肩に手を置いた。
「おねえちゃん!」
 振り返って久枝を見た和樹の顔は蒼白に引きつっていた。
「今日はごめんね、でも思ったより早く用事は済んじゃった。こちらの方は?」
 実奈はとたんに赤くなって、はにかむように唇を丸めてから言った。
「……彼氏」
 和樹は久枝を凝視しながらも、言葉が出ないようだった。
 あらそうなんですか、いつも妹がお世話になりまして、……久枝は能うかぎりの言葉を尽くし、なんとか和樹を引きとめ、なんならご一緒に私の部屋へ、お茶くらいは、ねえ、実奈もしばらく私のおうちに来てないでしょ? と妹も巻き込んで自分の部屋にこの三人が揃うように仕向けた。ここまできたのなら、この三人が自分の部屋に揃わねばならなかった。
 
 和樹に苦しめられて常備していた睡眠薬を、こんなかたちで使うことになると久枝は思っていなかった。きれいな赤色、と言って何のためらいもなくごくごくとローズヒップティーを飲んだ実奈が真っ先に眠ってしまった。ねえカズくんも飲んでみなよ、酸っぱくておいしいよ、と実奈に言われてちびちびと飲んでいた和樹はまだ起きていて、混乱していて、それを怒りとして放出するのもためらっているようで、ただ目だけは鋭く久枝を睨みつけていた。久枝は実奈のあどけない寝姿を眺めていた、いくら化粧をしようが、寝顔だけは小さいころのままだ、と思った。小さいころ、実奈の小さかったころ、私の小さかったころ。実奈の小さかったころには私はつねに一回り近く年上で、両親は共働きで、私を親がわりみたいなふうに思ってたんだろうな。私も親がわりみたいにして、でも親がわりに過ぎなくて、親から実奈のことでよく怒られたっけ。子どもでも、姉でも、親でもなかった、実奈に関しては。それで私は、この子をどうするつもりだろう、そして今さら、私は何になれるというの? 
 久枝がそんなとりとめもないことを考えていると、おいこれなんなんだよ、どうなってんだよ、お前なに考えてんだよ、と和樹の声がした。あまり呂律が回ってなかったし、耳ざわりだった。久枝はティーポットを振りかぶり、和樹の頭に打ち付けた。陶器のかけらと一緒に、残っていたローズヒップティーも飛び散った。和樹は静かになった、がまだ死んだわけではなさそうだ。薄赤いお茶と和樹の血が混ざっている。とどめを刺さなくてはならない。久枝はよろよろと立ち上がり、キッチンへ行き、包丁を手に取った。リビングへ戻ると、さっきよりも静かなように感じた。実奈はおだやかに眠っている、和樹は気を失っている。あれ、と久枝は思った。私が殺したかったのは誰なんだっけ? 包丁の刃先はまず実奈へ、そして和樹へ、とぶれた。繰り返すうちに振り幅が狭くなり、物音ひとつしない中で、いつの間にか刃先は久枝自身の喉元に白く光っていた。

2018年5月17日公開

© 2018 谷田七重

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"黒い毒の精度"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2018-05-23 20:04

    殺人までの課程が丁寧に書かれていて良かったです。ノワール小説と聞くと舞台は現代で殺人を題材に扱った物を想像するのですんなりと話が入ってきました。

  • 投稿者 | 2018-05-24 13:07

    とにかく最後の一文が映える物語設計で面白く読みました。
    現代の部分の「出会い系」で実際、チャラい彼氏を見つけちゃう可能性ってどんなもんなんだろう?と思ったりもしました。あとはkazuの「おや?ゲーム感覚?」のところが本当にこの人はチャラいのだろうかとも思ってしまったので全開にしてみてもよかったかもしれません……
    とても丁寧な作りでした。

  • 投稿者 | 2018-05-25 00:07

    嫉妬や劣等感、焦りから、それらの感情が渦巻き自分を見失ってしまう。一方で、主人公がたんたんと計画を進めていく描写が重なり、書き手の抑制が効いていて、丁寧に綴られていると思いました。
    出会い系アプリについて、最近は様々なマッチングアプリサービスがあるみたいで、少し深掘りすると、また別の面白さがあったかなと思います。出会い系アプリが、いかにもな「出会い系」としてステレオタイプに使われているので、新しさには欠けると感じました。

  • 投稿者 | 2018-05-25 23:24

    久枝のモノローグが谷田さん独特のねちっこさで絡みついてきて、これからおぞましいことが起こる不吉な予感がゾクゾクと迫ってきます。ノワール小説と言ってもよいのではと思います。
    ただ一回り年下で、赤ん坊のころから自ら面倒を見た妹に対して、殺意を持つほどに強烈な劣等感を抱くものだろうかと感じました。出会い系アプリで出会った和樹という男も同様で、チャットやメールでいろんなやり取りがあったとしても、妹もろとも殺害するほどに惹かれていたのかということも。一年半も苦しんで綿密な殺害計画を練るにしてはちょっと動機が弱いように感じました。

  • 投稿者 | 2018-05-25 23:24

    面白く読めた。いつもの谷田さんらしく変態的で歪んでいる。ただし2011年以降の現代であることを指し示すものが出会い系アプリくらいしかないので現代感がちょっと薄い。女の情念は今も昔も変わらないので、この物語が現代を舞台とする必然性はそう高くない。

    主人公が和樹を殺す動機をもっと具体的に書き込んでもよいと思う。正気を失っている人は、執拗に自分の動機を語ろうとするものであろうからだ。それが歪んだロジックであればなおさらよい。あと実奈を殺す際には、冒頭でネチネチと書き込んだ花の比喩をもう一回用いて、もっと色気のある殺害シーンにするといいのではないか。結末部分は字数に収めるために急いで片づけたという印象を受け、物足りなかった。

    あとタイトルは黒よりも、睡眠薬が入ったローズヒップティーの赤や乙女椿の薄紅色を使ったほうがよかったのではないか? 文中に出てくる「黒い感情」を黒い毒とするのはやや安直で、中2病感がある。九芽さんの妖精小説を思い出した。

  • 投稿者 | 2018-05-26 16:22

    久枝が感情を揺すぶられ、殺人場面まで追い込まれていく過程がありありと伝わってきました。強い動機ではなかったかもしれないのに、あえてこの計画を仕組んだことによって自分の中の動機が強度を増していく。本当は誰を、何を憎んでいるのか、自分がどうしたいのか、すべてがわからなくなってしまうような、だけど言葉にできない苦しさのようなものがここにあるのだという、切迫していて滑稽でもあるような人間らしいところが描かれていてよかったと思いました。

  • 投稿者 | 2018-05-26 23:47

    結びが大変良かったです。が、妹を犠牲にしたいのか共犯者にしたいのかよくわからない(仲が良いようにも見えるが表面上取り繕っているだけにも見える)ところや、殺そうと思った男のいったいなにが嫌だったのかがはっきりしないので読み終わったあとに釈然としない気持ちになりました。

  • 投稿者 | 2018-05-29 04:40

    ちょっと登場人物の名前の傾向が描かれる世代とアンマッチかなと思いましたが、ミステリタッチのもったいぶった一人称でまとわりつくようにジリジリと進む感覚は楽しかったです。妹との浮気を発見して逆上というわけでもなく、自分で仕掛けておいて妹もろともめった刺しというのはとても恐ろしいと思いました(小並感)。冒頭の季節感の演出のせいか、凄惨な終盤までポカポカとした陽気を感じるのも不思議感満点です。

  • 編集者 | 2018-05-29 14:32

    関係が崩れていく描写が鋭く、谷田さんの得意分野が生かされている。色情に狂う人間描写はハラハラする。KAZU君の描写はもっと強くても良いかなと思うが、そうすると最後は躊躇なくKAZU君を刺してしまうかも知れない。前書きにある通りノワールはやはり難しいのは同感だった。
    まー妹さんもこれから大変だと思う。頑張ってください。(東京都千代田区 PN:象徴)

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