媒体の曖昧

一希 零

小説

4,614文字

「歴史の任務は、人間の冒険に意味を与えることです。神々がそうであったように。」マルロー

 

一冊の歴史書がある。

本という媒体。メディア。書籍と呼ばれることもあれば、書物と呼ばれることもある。物体を構成する材料は、木だったり、布だったり、紙だったりするが、僕の知っている本というものは、大抵の場合、紙で出来ている。複数の紙に、言葉(あるいはそれは、記号であり、図面であり、絵であり、要するに広い意味での言葉だ)が印刷され、一方の端を綴じられている。

僕らはこの媒体から情報を得るとき、何枚もの紙を捲り、紙に印字された文字列を読み込んでゆく。縦書きの文章は右から左へと文字列が情報を構成し、横書きの文章は上から下へと文字列が情報を構成する。それ以外にもいくつかのルールが存在するが、以上の基本的な構造を理解していれば、本という媒体から情報を得ることは可能である。それは難しいことではない。本はとても単純なメディアである。

僕の目の前に、一冊の歴史書がある。

歴史とは何か。それに答えるには、いくつかの前提知識と共有事項が必要だ。僕は歴史そのものについて語ることはしない。少なくとも今はまだ、それを語ることが出来ない。歴史そのものについては、とりあえずのところ、レモン・ピルバードの講義録でも参照してほしい。最低限のことはわかるだろう。僕が重い腰をあげ、朗々と世界の理について語り出すとすれば、それは歴史そのものについて、というよりも、歴史という概念を人々が共有するための媒介ないし物質的部分、つまり、歴史がいかなるメディアによって記述されてきたのか、という事柄についてのみである。

僕は思考する。世界には無数の物語が存在する。語るべきこと、語られるべきこと。語られないこと、語られるはずだったこと。それらの事柄を、あらゆる時間の流れの中で、僕が僕の言葉で語ろうと試みるためには、媒体となるものが常に必要だ。

僕の両手に、一冊の歴史書が佇んでいる。

歴史とは何か。もしも、それが何かしらのメディアによって、例えば、本という媒体によって、記述されたものを前提とするならば、どうやら一つだけ言えそうなことがある。

歴史には、明確な始まりが存在し、同時に、明確な終わりが存在する、ということ。

 

 

 僕の右手は、一冊の歴史書を開く。

鼻の穴九◯七年。〈世界には二本の樹がある国〉の国王、ポメポメピラコ七世は、国内に存在するいくつかの問題に頭を悩ませていた。

例えば、好色な大臣が際限なく垣間見を繰り返し、被害を受けた女性達から王城へ直訴が届いていること。あるいは、隣国の国王が「1+1=3である」という法律を出したことで、貿易における通貨のやり取りに混乱が生じていること。けれど、それらは大した問題ではなかった。最大の問題は「世界には二本の樹がある」という国家の基礎となる命題が崩壊しつつある、ということだった。

世界には二本の樹がある。二本の樹があることによって、世界は世界たりえる。片一本の木だけでは世界は世界たりえない。世界は二本の樹によって世界であり、国家は世界があることによって初めて存在する組織である。ゆえに「世界には二本の樹がある国」の最も基礎となる命題こそ「世界には二本の樹がある」ということなのだ。

世界には二本の樹がある。国民はそのことを全く疑わなかった。疑うという発想自体が生まれなかった。当然だ。自分たちの存在も、国家の存在も、世界の存在も、全ては「世界には二本の樹がある」ことによって存在しているのだから。人々はそれを疑うことなどできるはずがなかったし、どれだけ世界に対して哲学を試みたところで、全ての哲学的行為の前提にはやはり「世界には二本の樹がある」という命題があるため、人とは何か、社会とは何か、ということを問うことはできても、その問いが二本の樹を疑うことにはならなかったのである。

世界には二本の樹がある、と言われている。けれど、本当だろうか。その疑問が発生したのは、例の隣国の問題が関係している。「1+1=3である」という法律が公布された日、〈世界には二本の樹がある国〉の国民たちは「何をバカな」と、誰もが思った。そんなはずがあるわけないだろう、と。〈世界には二本の樹がある国〉のあらゆる人々が、隣国の新しい法律を小馬鹿にし、迷惑がっている中、ただ一人ポメポメピラコ七世だけは、事の重大さに気が付いていた。

ポメポメピラコ七世は聡明な王だった。豊富な知見があるわけでも、何か特別な才をもっているわけでもなかったが、物事の本質を見抜く目と、丁寧に問題に向き合う心構えを備えていた。ポメポメピラコ七世だけが気がついた問題とは、実に単純なことだった。すなわち、「もし、1+1=3が真だとしたら、世界にある樹は、果たして本当に二本なのだろうか」ということ。

二という数字は、一と一の構成によって成り立つ。二本の樹もまた、一本の樹ともう一本の樹とによって、二本の樹となる。しかし、1+1=3であるならば、一本の樹ともう一本の樹とによって生まれるのは、三本の樹だということになる。これは非常にまずい。

ならば、二本の樹が「一本の樹と一本の樹とによって成り立っている」という部分が誤りだとしたらどうか。〈世界には二本の樹がある〉という命題の正しささえ証明されれば、基本的に問題ないのだ。その構成が、例えば一本の樹と四本の樹とによって二本の樹があるのだとしても、百本の樹と百本の樹を足すと二本の樹になるとしても。

ポメポメピラコ七世は聡明な王だった。ここまで考え、聡明な王は思い直した。一本の樹と四本の樹を足したら二本の樹になる、などという言説が、果たして本当に通用するのだろうか。一応、通用はするかもしれない。国王である自分が一度、宣言さえすれば、それが真実として国中に流布するだろう。しかし、聡明な王にとって、そのようなことをするのは許せなかった。許されるはずがなかった。自分の国を守るために、これまで培ってきた全ての信仰を破棄するなど、彼にはどうしてもできなかったのである。ポメポメピラコ七世は聡明な王だった。

1+1=3。隣国はなぜ、唐突にそのような法律をつくったのか。表向きの理由は、「1+1=2よりも、1+1=3のほうが、国民は幸福になる」とのことだった。確かに、一つのリンゴと一つのリンゴを買ったとき、合計三つのリンゴが手に入るとすると、それは二つのリンゴが手に入るよりも、多くの人々にとって幸福なことかもしれない。店側にとっては損な気もするが、この法律の施行後、かなりの数の人間が隣国へ、モノを買いに国境を超えてやってきたらしい。隣国はたちまち、たくさんの人で溢れ、多国籍な雰囲気を醸し出している。かつての隣国は、〈世界には二本の樹がある国〉とは比べものにならないほどの貧しい国だったが、今や対等な国力を備えていると言っていいレベルにまで成長していた。

国家の経済的発展。しかし、本当にそれが狙いだったのかはわからない。ポメポメピラコ七世は考える。あるいは。我が国を壊滅させるために、あのような法律をつくったのではないか、と。

だとしたら、どうだろう。どうするべきだろう。ポメポメピラコ七世はそれからあらゆる可能性を試算した。彼はたった一人考え続けた。その果てに、一つの結論にたどり着いた。

そうだ、戦争しよう。

 

鼻の穴九◯七年六月四日、〈世界には二本の樹がある国〉は隣国へ宣戦布告した。翌日には〈世界には二本の樹がある国〉の軍隊が隣国の国境付近へと進軍、隣国側も早急に軍隊を組織し、まゆげ平原において軍事衝突が発生した。

隣国との戦争は、熾烈を極めた。当初、戦争は〈世界には二本の樹がある国〉の優勢が予想されていた。けれど開戦直後の〈まゆげ平原の戦い〉において、予想以上の苦戦を強いられた〈世界には二本の樹がある国〉は、速攻戦を取り止め、長期戦用の戦略を採用することになった。

戦争は二年間にも及んだ。最終的には〈世界には二本の樹がある国〉が、隣国の首都を軍隊が取り囲んだ段階で、隣国は降伏を受託した。

二年間に及ぶ戦争は〈世界には二本の樹がある国〉の勝利となったが、戦争の爪痕は極めて深刻で、両国に大きなダメージを残した。文明学者のレモン・ピルバードによれば、この戦争によって、本来進むはずだった文明が百年ほど遅れた、と言われている。この説に反論する論文もまた多数書かれていることのみを、ここでは追記しておく。

ポメポメピラコ七世は戦争開始から数ヶ月後に病死し、終戦する頃には、彼の息子であるポメポメピラコ八世に王位は引き継がれていた。ポメポメピラコ七世は死の直前、息子にだけこの戦争の本当の意味を話した。ポメポメピラコ八世は父の想いを受け止め、その一方で、早期の終戦に向けて全力を尽くした。のちに、ポメポメピラコ八世は名君として国民から慕われ、「賢王」の名によって歴史に刻まれている。

ポメポメピラコ八世は戦後処理を慎重に進めた。隣国の「1+1=3」の法律を永久に削除するために、彼は隣国の新しい憲法を作成した。隣国を植民地化できるほどの国力が〈世界には二本の樹がある国〉に残っていなかったことや、あくまで「1+1=3」法律を永久に削除することが第一の目的であったことなどから、戦後処理は隣国にとって、比較的やさしい内容で進められていった。

鼻の穴九◯九年。〈世界には二本の樹がある国〉は戦争を正式に終えたことを宣言する〈鼻くそ宣言〉を国民に示した。多くの犠牲を出したこの戦争で、国民は傷ついていた。夫を亡くし、子供を亡くし、親を亡くし、仕事や家を失った。それでも国民は勝利を喜んだ。明日から、もう一度新しい時代へ向かって歩き始めることを、国民は夢想し、歓声をあげた。

それから二ヶ月後、両国の間で〈脇の下条約〉が結ばれた。世界には平和が訪れ、世界には二本の樹があり続ける。ところで、その樹が実際にどこにあるのかは、誰も知らない。

 

 

僕の左手は、一冊の歴史書を閉じる。

パタン、という音が室内に響く。メディアの情報が全て解読された音だった。パタン。まるでドアが閉じるように、糸の切れた操り人形が地面にゆっくりと倒れこむように。歴史はここで終わっている。

一冊の歴史書は、しばらくの間、机の上に置かれ、その後、棚の奥にしまわれた。一度読んだ本は、再度読まれるとは限らない。しかし、棚にしまわれるということは、いつか再読の可能性があることを示してもいる。それがいつになるかはわからない。僕らは思っている以上に偶然の連続を生きている。その偶然の連続に対し、後の時代から意味を付加したとき、そこに歴史が生まれる。

僕は家を出る。僕は隣の家に住んでいる女の子と会う約束をしていた。家を出て三歩歩いて、ドアをノックする。十五秒後、彼女は僕がノックしたドアを開けて、家から出てきた。真っ赤なワンピースを着て、ツノのようなものが三本生えた珍妙な帽子を頭に被っていた。

「ひさしぶり」と、僕は言う。

「昨日会ったわ」と、彼女は言う。

「そうだね」

「そうよ」

彼女、ポメポメピラコは、にっこりと僕に微笑む。

「何かいいことあった?」

「別に。なんでもないよ」

僕はそう言って、彼女の手をとって歩き出した。

 

2018年5月13日公開

© 2018 一希 零

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