内戦の起源

応募作品

一希 零

小説

3,844文字

これはノワール小説ではない。これは現代ノワールである。2018年5月合評会「現代ノワール」応募作品。

右手と左手はいつも対立している。

対立は通常、僕の脳内で収まっているが、議論が白熱すると、思わず手が出るときもある。脳から電気信号が出力され、命令が下されると、実働部隊はその命令に従って武力を行使するだけ。武力を用いる理由は簡単だ。互いの争いに白黒つけるため。左手と右手による内戦は、すでに二年以上にわたって継続中だった。時々軍事衝突が起き、それ以外は、常に並行線の議論を続けている。和平はもはや困難に思われた。

右手も左手も、僕自身である。ゆえに、僕はどちらか一方に肩入れすることは出来ない。しかしだからといって、状況をただ俯瞰しているわけにもいかない。右手も左手も、紛れもなく僕自身であり、この内戦において、僕が完璧な客観的態度を決め込むことは、右手も左手も僕ではないのだと、そう見捨ててしまうことと同義になるからだ。それはとても困難なことだった。

右手も左手も、僕にとって必要だ。間違いなく、噓偽りなく。僕は彼らが対立するよりずっと前から、彼らとともに生きてきた。ご飯を食べるときは右手で箸を持ち、文字を書くときは左手でペンを握った。右手と左手、双方どちらの立場であっても、僕自身は当事者として存在する。当事者の僕は、当事者であるにも関わらず、結局、彼らの争いを二年以上、ただ眺めていることしかできない。

そんな風に、僕が回顧している間にも、彼らの状況は変化する。激化してゆく。唐突に、第五十七度目の軍事衝突を迎えようとしていた。脳から電気信号が出力され、命令が実働部隊へ伝わる。着信のタイミングは左手右手の双方で限りなく等しかった。ロケットを装填し、まるで双方同時でなければいけないと決められているかのように、各々が等しいタイミングで先制攻撃を放つ。大量破壊兵器による一撃必殺。それが彼らの争いの、唯一無二の戦術だった。

右手は渾身のチョキを繰り出す。

左手は渾身のチョキを繰り出す。

 

 

初めて人を殺したのは、二年以上前のことだ。

初めて僕はセックスをした。初めて人を犯し、初めて人を殺した。真っ赤な口紅を唇に塗りたくり、こけしのような髪型をした、異常に乳の大きい女。つり目で、鷲鼻で、丸顔で、鏡に映るろうそくの炎のように微笑む女。どこかで出会い、どこかへ行き、終着点として僕の家を訪れた。女にとって、それは人生の終着点となった。

ある夏の日のことだ。ひどく暑い夜だった。たしか、テレビは国会前デモに集まる学生と、年寄りと、知識人とを映し出していた。人々の熱気が夜の空気を呑み込み、景色が湾曲して見えた。僕は、まるで壊れたダッチワイフのように、おかしな体勢で動かなくなった女の成れの果ての隣で、生ぬるい安物のウイスキーを浴びるように飲んでいた。テレビのスピーカーが「民主主義ってなんだ」と叫んでいた。

酔いが回り、視界が揺れ、世界が二重三重に見えたとき、僕は量子論を理解した。僕は数多ある可能性の一つを歩く自分を認識し、同時に存在しながらこの選択以外を採る自分を承認した。僕は統合された自己が分裂してゆくのを感じながら、世界の真理に触れた主人公のように小さく呟いた。「民主主義ってこれだ」と。

死体の隣で寝落ちし、照りつける日差しで目を覚ました。一つ言えるのは、僕が人を殺したのは、決して太陽のせいではない、ということだった。強い頭痛と吐き気に辟易している中、僕の脳内で、右手と左手が対立を開始していた。

 

以来、僕は人を殺し続けている。右手でピストルを握り、左手で女の首を締めながら、僕は腰を振り続ける。最後には引き金を引き、首を力の限り締め上げる。女の生命活動が絶たれた少し後、僕のペニスはびくびくと射精する。

 

 

四方上下全てが白色の空間。おろしたてのワイシャツのような白。幸福に蕩けたディストピア世界みたいなこの空間は、国の暗部であり、必要悪でもあった。正確には、その「入り口」だ。僕にここを教えてくれた男は、そのシステムを「しんえん」と呼んでいた。

白い空間の中心に存在する、高さ一メートルほどの立方体のオブジェクトに、学生証と会員証を二枚同時にかざす。ロックが解除され、前方の白い壁面の正方形の中心点から、床と天井に向かって垂直に線が入る。線は隙間を生み、その隙間は少しずつ拡大し、やがて人が一人通れるほどの間隙ができる。僕はゆっくりと歩き出す。四方上下の壁に、ドクターマーチンの足音が反響する。

間隙を通過すると、先の部屋とうってかわって、廃工場のような空間が続く。糞尿や体液の臭い、鉄の臭いが充満していた。カプセルホテルのように、人間の入ったボックスが縦に四段積み重なり、横に十個並んでいる。鉄の箱の一部が透明な強化ガラスとなっており、中の人間を見られるようになっていた。

一人一人確かめ、吟味する。この空間にいる誰を犯すのか、僕は考えなければならない。首を潰すように握り締めたらどんな声を出してくれるのか、カエルの腹みたいに白い体を強打し続けたら一体どんな色に染まってくれるのか。僕は考える。想像する。左手が疼く。右手が震える。体の感覚が鋭敏になり、分裂感に襲われる。左足に力が入り、右足が棒のように動かなくなる。内臓の中身が煮えたぎり、喉が乾燥し、脳が蕩け、ペニスが硬直し天を向く。

ペニスの向いた先には一人の女が収容されていた。僕はその女を凝視する。黒髪は艶を失い、唇の色彩は損なわれていたが、それでも、彼女は僕が初めて犯した女にとてもよく似ていた。なにより、この女もまた、異常に大きな乳をぶら下げていた。凄まじい興奮によって危うく射精しそうになるのを、僕はなんとかこらえる。

女の収容されたボックスに備え付けられたリーダーに会員証をかざすと、ボックスの鉄の扉がゆっくりと開く。女が嵌めている首輪からいくつかコードが伸びていて、それらはボックス内部の壁面のコンピュータに接続されており、このコードが囚人を捕える鎖の役割も果たしているため、逃亡される心配はない。女はやつれた表情をしながらも、焦点の合った目で僕をじっと見ていた。

「やあ」僕は言う。

女は何も言わない。

構わず、僕は女に話しかける。

「僕はこれから君に悪いことをする。そしてそれは、僕にとってとても楽しいことでもある」

女は何も言わず、それでも、僕の瞳から視線を外さない。

「僕は悪いことをしたい。正しくあることに疲れたし、常識を信用することもできなくなった。微塵もね」

女は、そこでようやく口を開く。

「私は悪いことをした。悪いとされていることをした。だからここに入っている」

「その通り」

「でもね、あなたとは違う」

「もちろん、僕は悪いことをしても許される。けれど君はそうじゃなかった」

「そうね。でもその意味を考えたことはあるの?」

「意味?」

「あなたがいくら悪いことをやっても、それは所詮、先生の目の届く範囲でいたずらに励む子供と同じだわ」

左手で女の首を掴む。右手でピストルを握り、女のこめかみに突きつける。

「君はこれから僕の家に行く。ねえ、本物のピストルは見るのは、これが初めて? なら、撃たれたことは? 体が穴だらけになって、体のあちこちで空気が出入りするんだ。自由の利かない体を無理矢理犯されて赤ちゃんが出来なくなるくらいボコボコに腹を殴られたことはある? 大丈夫かい、震えているよ。大丈夫、僕も震えているんだ。一緒なら怖くない。そうだろう?」

これっきり、女は何も言わなくなった。僕は彼女を、今日の相手に決定した。

 

このあとめちゃくちゃレイプした。いつもの手順を経て、女は呆気なく死んだ。死んだ女は手足がおかしな方向に折れ、車に轢かれたカエルみたいに見えた。それから少しして、僕の前から死体は消えた。一連の後始末は全て「しんえん」が請け負ってくれる。犯す相手の手配から、殺人の後始末まで。

カーテンを開けると、分厚い雲が空を埋め尽くしていた。たっぷりと水分を含んだ雑巾のようだった。安物のウイスキーをボトルに口をつけて飲みながら、僕は冴えない空模様をぼんやりと眺め続けた。太陽が頭上にあろうがなかろうが、僕は僕の好きなときに人を殺す。そんなことを思いながら、もう一度並行世界が見たいな、と期待して、僕は何度もウイスキーを口に注いだ。

 

 

右手と左手の対立は終わらない。

もしかしたらもう二度と、彼らが和平を結び、この不毛な戦争が終わる、その時は来ないのかもしれない。僕はそんな風に思い始めている。そして、それでも別に構わないとも。

長い期間に及ぶ内戦が、何にも支障をきたさないはずがなく、僕は次第に、上手く自分の体を動かすことができなくなっていった。モノを掴み損ねたり、きちんとした文字を書けなくなったり、箸を使ってご飯を食べるのが困難になったりした。これらの事態は僕にとって当然良い状態と言えるわけがなく、それは僕の一部を成す左手にとっても右手にとっても同様であり、彼らはこの状態の原因を敵側のせいにし、糾弾し合った。彼らにとって、あくまで自分は正義の為に戦っており、相手の思想を理解する気は微塵もない。僕自身の意思とは無関係に、脳は電気信号を各部位へ発信してしまう。誤った伝令を末端は信じ、忠実に実行に移すのだ。

右手がグーを放つ。

左手がグーを放つ。

2018年5月8日公開

© 2018 一希 零

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"内戦の起源"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2018-05-18 16:21

    右手と左手の対立という着眼点はとてもよくてどうなるんだろうと期待して読みましたが、結局女を殺すだけなのでちょっと残念です。殺すなら殺すで、ひとに理解できる理論と設定を作って欲しいと思います。

  • 投稿者 | 2018-05-23 19:58

    話の移り変わりがやや唐突だと思いました。哲学的な話にも読めました。
    未来の話なのだと思って読んだのですが、その未来的な要素が良く言えば面白いエッセンスを抽出している、悪く言えば表層的に扱っているように見えました。

  • 投稿者 | 2018-05-23 22:36

    ウヨクサヨクの対立を思わせる右手と左手の争いから、「しんえん」で女を懲罰的にレイプし殺害する話のつながりがよく分かりませんでした。酒に酔って脳内パラレルワールドが展開するのかとも思いましたが、そうでもないようで、そこが狙いなのかもしれませんが、ちょっと不親切に思いました。
    文章は端正で緻密です。大真面目な顔をして面白いことを語る文体は個人的にとても好きです。別の作品「媒体の曖昧」の方がより本領を発揮しているように思えます。

  • 投稿者 | 2018-05-24 12:43

    まず、政治に関する右手左手の書き出しと、その文章の密度にとても好感を持った。
    しかし、この書き出しが「現代ノワール」という今回のテーマに即して、必須であるファム・ファタルとどう絡んでいくのか、という全体の構造の部分において疑問を持った。これではただ殺しているだけなので、この女の「何が」どう「僕」を突き動かしたのか、という肝の部分の説明を、その端正な客観描写からあぶりだしてほしかったというのが一読者としての意見である。そしてこれもまた意図であろうと推測されるが、女があまりにも無機質すぎて全体を通すテーマが読み手としては掴みにくかった。女と僕の絡みにおいてもう少し複雑さや凄みがあればよかったのかなと思う。

  • 投稿者 | 2018-05-25 22:59

    冒頭の「渾身のチョキ」のくだりでギャグ小説として読もうと決めたら、その次の節でいきなり強姦殺人の話になるので、どういう心構えで読めばいいのか分からず混乱した。第3節でさらに予想外のSFものになるので、たぶん意図的なものだろう。読みやすい話ではないが、この展開自体は悪くない。

    大猫さんの言うとおり、左手右手の対立と強姦殺人のつながりがよく見えなかった。左手右手の「内戦の起源」が最初の強姦殺人であるということは理解できた。しかし、強姦殺人の動機がぼやかされているため、タイトルの意図が最後までよく分からない。最初の殺人は衝動的なものなのかもしれないが、その後の殺人の動機は何か? 動機についてはカミュ風の哲学的まやかしに逃げるのではなく、もっと理解できるように説明してほしかった。また、両手の「内戦」そのものの内容が突発的なじゃんけんぽん以外に具体的に書かれていないため、どうして主人公が結果的に「上手く自分の体を動かすことができなくなっていった」のかピンとこなかった。

    しんえんが「国の必要悪」として存在しているという設定も今一つ意味が分からない。作者の頭の中では現代社会のアレゴリーか何かであれこれ世界観を組み立てているのだろうが、読み手にはその深い部分の意味がほとんど伝わっていない。また、第3節で右手と左手の対立はほぼ忘れられている。二つの手は仲よく役割分担をしながら女の殺害を行っているように見える。作者が主人公の心理をどの程度掘り下げようとしたのかは分からないが、殺人シーンで二つの手を対立させれば主人公の倫理的葛藤を表現することができるのではないか?

  • 投稿者 | 2018-05-26 13:19

    個人的にかなり好きな文章です。「右手と左手の対立」は政治的な比喩ではなく、単純にそのまま身体的な話だと思います。この「右手と左手の対立」を、殺人の話がはじまってからもずるずる引っ張っていったほうが面白かった気がします。
    殺人の影響で「右手と左手の対立」が開始されたと書かれていますが、逆に「右手と左手の対立」や「片手の暴走」によって殺人をしてしまう、殺人中は対立が止むなど、「右手と左手の対立」には由来を与えずに、はじめから「そういうもの」として扱ってもいいなと思いました。
    「しんえん」もわくわくしそうな設定ですが、生かしきれていないのかなと思いました。
    何度も言いますが、レイプや殺人という大げさな話にならずに、「右手と左手の対立」だけを延々と聞かされていたいという印象を持ちました。

  • 投稿者 | 2018-05-27 18:26

    なんだか偉そうな言い方になってしまいますが、確かな文章力のある方だと思いました。ハッとさせられるような表現も多く見られ、またまたすごい人があらわれた、と初読の時に思いました。両手の軍事衝突がジャンケン、というのもなんだかチャーミングだな、と感じます。個人的には、初めての強姦殺人以来、その行為をする時だけ右手左手が協力し合い、それからしばらくすると内戦が始まり、衝突(ジャンケン)して引分け、でまた強姦殺人、て感じなのかな?と思いました。なんだか自分でも何を言ってるのかわからなくなってきましたが(笑)、間違ってたらごめんなさい。

  • 投稿者 | 2018-05-29 05:30

    「このあとめちゃくちゃレイプした。」というパワーワードの出現でそこまでの文章が全部吹っ飛んだので、もう一度読んできます。

  • 編集者 | 2018-05-29 12:11

    この作品における脳の効果とは何だろうか。右手と左手が政治の対立を表してるなら、脳は政府なのか。すると少なくとも極左・極右の政府ではなさそうだ(片手が使えなくなるだろうから)。もしや天皇?まさか…。
    途中の「民主主義」の独白について言うと、国会前で集っている「だけ」の人々・シールズ的な物は、個人的には大したものではないと思う。(この後何か色々書いたがやめる。)
    主人公があれらに疑問を持って、集団のお祭りではなく(統合された自己が分裂)独自の戦いを目指して「これだ」と言ったなら、良く出来てると思った。

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