蛸やったら、

応募作品

牧野楠葉

小説

2,731文字

2018年4月度破滅派合評会、応募作品です。テーマの「春画」は、葛飾北斎による1820年頃の『蛸と海女』です。

 朝方、北斎がぷらぷらしていると尻の形が随分良い大柄の美人が酒の瓶を表へ運んでいた。

「見ねえ顔。名前なんていうの?」と極めてフランクな優男風で言おうと思ったのだが、実際口から出たのは、

「あの、多分新人さんですよね。お姉さんの名前はなんというんでしょうか」だった。どこにも行き場所がない、奉公するしかない、薄汚れた女中への恋だった。それも不器用な一目惚れ。

「うちか、絹や」絹はわきゃあ、と歯を出し猫のような欠伸をしながら言った。

「絹。大坂から来たの?」なんつったらいいのかなあ。こう、絹の感じが、俺にバシィィ、と来た、って感じかなあ。まあ勘違いによるシナプスのあれだよね。北斎は頭の中でひりひりと自分に向け孤独に弁解した。何で俺はこんな喜んで。

「そや。大坂」もっと間近で絹を見たい、話を聞きたい、一緒にいたい。出会ってまだ数十秒しか経っていない。

「……というかその痣、なに? 顔、青なって。酷くない?」

「酷ない、言われても、うちの料理屋の旦那はんがしはるやん、しゃあないやんか」

「しゃあないレベルじゃないでしょ。女将は何も言わないの」

「女将はうちなんぞ助けてくれへんがな。若い女いうだけで目くじら立てとるわいな」

「そう」

「兄さん何してる人?」

「絵描きや。北斎いうんや」絹の言葉が移った。言った瞬間からかなり恥ずかしかった。

「なんで大坂弁やの。気持ち悪。ええけど」絹は目尻に皺を寄せて快活に笑い、

「もう中、入ってええか? 眠いわ、ほんま」と言った。もちろん北斎には断る権利などない。だが、さらに北斎は絹に喋りかけていた。

「お前、そんなんでいいのんか」

「何がや」

「殴られて終わるぞ、それで。一生」絹の顔がさっと薄く翳ったように思えた。思えただけだ。

「ああ。もう。兄さん何言うてんの。ええのんや。別に、うち旦那はん好っきゃしな、殴られてると、なんかこんなつまらん女でも相手されとる思うんや。兄さんみたいに自分がこれしたいっちゅうこともないしな、ぼんやり死んで行くんや、そんなもんやろ、うち自分のこと大嫌いなんや、だからええんや」だいぶ日が昇って来たときにする話ではなかった。

「旦那はんがうちの肋折ったときも何も思わんかったわ」絹のほうが、北斎より、数万倍、上だった。

「とーんとくるわ」

「とーんとって、なんや」

「お前に惚れた、言うこっちゃ、おっこちきる」

「おっこちきる、って、なんや」

「ぞっこん惚れる、言うこっちゃ」

「やめて」絹は叫びのように目ん玉をひん剥きながらグロテスクに爆笑し、店の中へ入っていった。

 

 その夜、北斎は自分が持っているありったけの金を絹の店に持って行った。店は閑古鳥が泣いているわけではなく、それなりに賑わっていた。

「どないしたんやこれ」絹は金をじゃらじゃらやりながら笑っていた。北斎は絹が笑うたびに締めつけられた。

「強盗でもしたんけ?」

「俺は意外と稼いどんねん」

「何で大坂弁や」

「お前が好きやから移ったんや」さまざまな文献を急いで読み漁りそして練習し一日で自然な大阪弁を習得したとはとても言えない。

「俺はお前を少しでもわかりたい」

「兄さん、うちの旦那はんよりタチ悪いな、」絹は泣きべそをかきそうに、一瞬、顔を歪めた。

 

「でな。お前をモデルにして描きたいんや。その金は言うたらモデル料や。次のはなんやようわからんけど動物と女がやってる春画を頼まれてんねや」客が全て去った後に、北斎は目の前に絹を座らせ真剣に言った。

「なんや一日で急に大坂弁うまなったな」

「俺の魂の奥底には実は大坂弁が存在してたんや、や、そんなんはどうでもいい」

「あんた絵描きなにゃろ。モデルなんぞいらん、想像力で描きはったらよろし」

「なんてドライなことを言うんだ」

「あ、江戸が出た」絹は酒豪だった。店の酒を飲みつくすほどの勢いだった。

「絹は、動物やったら、何とやりたい?」俺は……。

「動物なんかとやりたないわ」

「そらそや。もちろんそや。ただお前もこの金でだいぶ楽なるやろ」どれだけ卑劣な男なのかと北斎は思った。

「なあ、兄さん、あんたうちのこと可哀想やおもてるやろ? わかんねん、だから嫌やねん、ありありとわかるよ、それ。あのな、もちろん同情より金やで。でもな、自分に巣食うもんってついさっき出会った男でなんとかならんやろ」

「正論いうな、おもんないぞ」

「人生なんかおもんないやないか。痛いだけやないか。だからな、あんたのその愛情っぽい何か? 迷惑や、言うてんねん」絹は、もう、笑っていなかった。

 その瞬間、北斎の腹が強烈に鳴った。ぐぅああああ、と鳴った。しかも、結構、鳴り続けていた。全財産を持って来たから飯を食っていないことがバレてしまった。絹はため息をつき天井を見上げた。

「参ったわ、兄さんには。何か作るわ、待っとれ」

 

「蛸!」絹の作った汁飯はうまかった。出汁がきいていた。

「蛸ぉ!?」二度言った。

「お前、気、狂てんちゃうか。なんで蛸やねん」

「あんた、動物やったらなんでもええいうたやんか。うちは蛸がええって」

「だからなんで蛸やねんって」

「あんま言いたないわ。蛸、小さいのと、大きいの、二匹用意してな」

「だからなんで蛸やねんて」二人とも泥酔していた。

「吸い尽くされて、なんもかも、飲み込んでくれそうやからや!」絹は店で絶叫した。北斎は一瞬で鈍器で殴られたように意識がはっきりしていくのがわかった。

 

……目の前で絹が蛸に犯されている。北斎はそれを眼差す、絹はあんあん言っている、痴呆のようにあんあん言っている、……蛸やったらええわ、蛸やったら。どんどんやってくれ。絹は笑う。はー、気持ちい、もうずっと殴られっぱなしやったんやで、多分、うち、人間とわかりあえへんのや、こう、ずっと、駄目やったんや。兄さん、あんたのこと好きになれたらどれだけ幸せやったかな、多分、兄さんは努力してくれはったやろな、でもな、いつか終わんねんそれも、うちはようわかってる。だから兄さんのこと、怖くて愛されへん。うちは化けもんや、なんでこうなってしもたかもよくわからん、色んな男に殴られすぎたんかな、だからな、動物とやって、それが兄さんの収入なんねやったらな、全然いいよ、兄さんのこと好きになりたかったな。絹の口にへばりついている小さな蛸が、絹の紅が塗られた唇を思いきりぎゅうううううううう、と吸う。北斎は紙の上に思わず涙を落としたが、それでも、キッと顔を引き締め、絹の股間をまさぐる大きな蛸や絹の陰毛や痣だらけの額に浮かぶ玉のような汗を、描いた。

2018年3月31日公開

© 2018 牧野楠葉

これはの応募作品です。
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"蛸やったら、"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2018-04-21 09:24

    不器用な若い男女がリアルに書けていると感じた。江戸時代や北斎などの舞台装置をすっ飛ばして、読み手を登場人物に感情移入させる力強さがある。特に大阪弁の会話がテンポがよく、引き込まれた。今回の合評会応募作の中では最も優れた作品だと思う。

    時代設定に縛られない言葉遣いだけでなく、地の文章の荒っぽさや文と文のあいだの飛躍にも奔放さが感じられて爽快だ。読み手にシーンをきちんと説明しようとか、伏線を張ってきれいに構成をまとめようといった変なサービス精神がないところがかえってよい。不器用な人たちの話なので、文章が器用だと逆に白けてしまうかもしれない。

    • 投稿者 | 2018-04-21 22:00

      藤城さん、ありがとうございます!とても嬉しいです!!

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-22 20:40

    グルーブがあってよかったのですが、考証がほとんどないので絵に合わせて話を作った感じが否めないです。なにかきっかけがあって、結果として絵がかかれたという正しい因果関係に見せるためには、有名な作者と絵だけにもう少し考証が必要では。ちゃんと調べたからって面白くなるとは限りませんが、質は上がるので、手間はかけたほうがいいと思います

    • 投稿者 | 2018-04-22 21:09

      そうですね、、完全に絵に合わせて話を作りました。ただ、絵に合わせて物語を作ることが今のわたしの中でベストな気がしました。これは、全く春画を調べず、この絵を見て、「おそらくこう書かれたのではないか」という個人の一意見にすぎません。テーマも「女性の怪物性」が蛸とたまたまマッチしたよ、というものなので。ただ、コメントを頂いたように、あまりにも有名な春画ですので、もう少し調べるべき、という意見は真っ当なものだと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-24 23:36

    えげつない浮世に翻弄されて痛みを痛みと感じなくなった女がよく描けていると思います。関西弁が利いてますね。男が本気で惚れているのにも感づいているのだけど、怖くて先に行けない。
    男は(北斎である必要はないかも)女の境遇を少しでもよくしようとしてモデルを依頼する、と読めましたが、一目惚れのエネルギーを春画にぶちこんだ方が清々しかったかなと思いました。
    動物でもオスではなくて蛸に犯されたいという気持ち、なんとなくわかる。殴られたり蹴られたり突っ込まれたりするのなら、吸い込まれたい…なんて言ったら変態だけど。でも、多分、実物の蛸に吸引されたらめちゃくちゃ痛いです。生蛸食べたら吸盤が口の中にへばりついてしばらく腫れが引きませんでした。

    • 投稿者 | 2018-04-25 17:20

      コメント、ありがとうございます。そして、「蛸やったら、」(犯されてもよし)という真意を汲み取っていただけてとてもうれしいです。実際、蛸に吸われたことはないのでその情報はありがたいです(笑)。痛いんですね……。それは知りませんでした……。

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-25 05:01

    今回作品の中では最も王道なモチーフと言えるかもしれません。なるほどモデルの女性が「蛸やったら、」とオチたというのは面白い解釈だったと思います。地の文に現代の外来語を入れるのはぼくの好みなので加点させていただきます。ちなみに、「北斎漫画」という映画では田中裕子演じる北斎の娘・お栄(応為)が蛸にヤラれますので、機会があったら見てみてください。

    • 投稿者 | 2018-04-25 17:21

      波野さんコメントありがとうございます。想像力とは似るものですね。見てみます。

      著者
  • 編集者 | 2018-04-26 13:11

    波野さんも言う通り、今回の中では王道だと思った。一番有名なものがモチーフになっているのでイメージに困らない。江戸時代にシナプスとかフランクとか言うだろうかと思ったが、俺も似た様なことを多分やってるので不問。タコ、がんばれ。

    • 投稿者 | 2018-04-26 14:06

      Juan.Bさんコメントありがとうございます!!確かに、いろいろすっ飛ばしてますね(笑)タコ頑張ってほしいです(笑)

      著者
  • 編集長 | 2018-04-26 15:01

    有名な絵がどのようにしてうまれたかを宮本輝的な舞台設定で書いている。2人の関係性、とくに絹のキャラクター設定がとてもよい。
    語彙の選択に関しては、あえてそうしていると言い切られるとそうなのだが、作者にとっては時代考証こそ冒険だと思うので、そこは正面から取り組んでいただきたい。

    • 投稿者 | 2018-04-26 19:19

      高橋さんコメントありがとうございます。確かに時代考証は自分の課題なので、次回以降精進します。

      著者
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