さらばジパング

南沢修哉

小説

9,706文字

ニューヨーク証券取引所の鐘を鳴らすエグゼクティブのように、男は白い歯を見せて破顔一笑しながら、天井近くまで振りあげた9ポンドのハンマーで頭蓋骨を木っ端微塵に打ち砕いた。

海岸には謎の密入国船が舫っていた。船の近くのテントの前で日本人の子供が列をつくっていた。全員が全裸だった。炊き出しの列だと思った佐吉は駆け寄って列の最後尾に並んだ。彼以外の子供はみんな手枷と足枷を嵌められており、顔に殴られたような跡がたくさんあった。佐吉に枷がついていないことに気づいた入国管理局の下っ端の一人が、リー・エンフィールド銃の銃把で佐吉の後頭部をぶちのめし気絶させた。

水をぶっかけられて意識を取り戻した彼の手足には錆びた金属の枷が嵌められ、逃げられないように他の日本人の子供とロープで繋がれていた。白衣を着た医者らしき男の前に連れてこられた。医者は左手のピースサインを彼の顔に近づけて両瞼に触れ、いっぺんに下げ、懐中電灯で眼球を照らした。眩しさに顔を背けると、入国管理局の下っ端がものすごい力で彼の顔を押さえつけた。医者が広東語らしき言葉で何か言うと、下っ端は佐吉の顎をつかみ、口を開かせた。医者は同じように口の中を懐中電灯で照らし、咽喉の奥を覗き見た。それから聴診器で心音を測り、胸や背中を触診した。医者は紙に何か書きつけ、書き終えると佐吉の細い腕に注射を三本つづけざまに打った。佐吉が大声で泣くと、下っ端が彼の顔をぶん殴った。いきなり競売ナンバー付きのピアスを左耳の耳たぶに刺され、痛さのあまり彼は大声で泣いた。下っ端が罵声らしき言葉を吐いて彼を突き飛ばした。ロープでつながれていた日本人の子供にぶつかり、ムカデのごとく連結された全裸の子供たちがいっせいに倒れた。立ちあがっては倒れ、倒れては立ちあがるというお遊戯会じみたことを繰り返し、ようやく五人揃って立ちあがることができた。入国管理局の下っ端たちに促されるまま、彼らは舷門へとつづくタラップを歩かされた。甲板で一人ずつロープを解かれ、船倉に突き落とされた。

そこには家畜のごとく競売ナンバー付きのピアスを耳に刺された小学生くらいの全裸の少年少女が数えきれないほど押し込められており、佐吉は驚いて目を丸くした。

「まるで通勤ラッシュの東西線じゃないか」と彼は言った。

それはあまりにも場違いなセリフだった。ホーム・コメディの主人公のように気のきいた一言をぼそっとつぶやいて子供たちの爆笑をかっさらいたいという卑しい芸人じみた欲を抑えきれなかったのだ。

足をくすぐられるような感覚があって、見ると大量のゴキブリやドブネズミが餌を求めて床を彷徨っていた。いたるところに蝿が飛んでおり、彼の顔の近くをぶんぶん飛びまわっていた。佐吉は蝿を払いのけるような仕種をしながら「ここWi-Fi飛んでんなあ」と懲りずにつぶやいたが、相変わらず彼らは死んでいるも同然の無反応だった。

もみくちゃになった少年少女の肉のあいだから自分の名前を呼ぶ声がした。四年二組のクラスメイトのパー助がそこにいた。パー助とはいままでほとんど口をきいたことがなかった。一人っ子で家庭は貧しく、江戸川区のディスカウント・ストア、カンタベリーでレジを打っている母親のことをクラス内でさんざん揶揄われていた。パー助が飼い犬のチャーチルと土手を散歩していると、クラスの悪餓鬼どもがあつまってきて、チャーチルを川に投げ飛ばした。コロコロ・コミックばかり読んでちっとも勉強しない非嫡出子よろしく、彼らは指をさしてげらげらと笑った。佐吉はたまたまその場面を見ていたが助けようとしなかった。

「きみは志願してこの船に乗ったの?」「志願のわけないだろ。拉致られたんだよ、犬の散歩中に」「犬はどうした」「さあな。いまそんなことどーでもいいだろ」「あー」佐吉は口ごもった。そこで会話は途絶えた。ほかの子供たちも同じような会話をしては絶望を確認してすぐに静かになった。子供たちを乗せた奴隷船は絶望と死への恐怖に満ちみちていた。

寒いよ、うちへ帰りたいよ、お母さん、お父さん、そのような泣き声、少女たちのすすり泣く声が聞こえてきた。その声を聞いたパー助は笑いをこらえることができず、一人で窒息するほど笑いつづけた。あまりにも非人道的な扱いを受けて気が狂ったのだろうと佐吉は思った。誰がいつ発狂してもおかしくない状況だった。

船が出てから半日すぎたころ、一人の少年が失禁した。ラッシュ時の東西線より混み合っている船倉で放たれた尿は、彼の内腿を垂れ流れるだけに留まらず、周囲の子供を巻き添えにした。一人失禁すると少年も少女も関係なく次々と失禁しはじめた。子供たちは突然しゃがみ込んでクソを垂れた。近くにいた別の子供たちがその一部始終を見ていた。船は一日にして糞尿まみれとなり、耐えがたい悪臭に包まれた。

船は何日も揺れつづけた。船倉に押し込められた彼らには時間というものを知る術がまったくなかった。体感時間は一年のようでも十年のようでも十億メガ・イヤーのようでもあった。垂れ流しの糞尿が船旅のマイレージのごとく床に溜まっていった。すさまじい悪臭が鼻をついた。次第に麻痺して気にならなくなったが、寒さと死への恐怖からくる全身の顫えは消えなかった。忌々しいドブネズミの死骸を投げ棄てた。手枷をしたままではあまり遠くへ投げることができず、投げ返されて頭にあたることもあった。次第に投げ返すのも面倒くさくなり、死屍累々の中で目を閉じ眠ることに努めた。病死した子供の屍肉を空腹のあまり貪り喰う者まであらわれた。やがてその子供も得体の知れない病に罹って死んだ。伝染病や酸欠で死にかけている乃至死んでいる子供が多数いた。

奴隷船を操るクルーたちは操舵室でラム酒を飲み、釣りたての烏賊を捌いて喰らい、和気藹々とこの船旅を楽しんでいたが、彼らの中にも病気に罹って死ぬ者がいた。香港の港に船が着くころに、船倉の床にはおびただしい量の吐瀉物がこびりつき耐えがたい悪臭を発していた。生き残ったクルーはマストに登って帆をたたみ、海底深くに錨を下ろした。

運搬中に死んだ子供たちは甲板から波止場の繋留柱の近くに放り投げられた。日雇いの港湾作業員たちによって一ヶ所にあつめられた死体は、折り重なるマネキンのような様相を呈していた。長いバールの先で肩甲骨のあいだをグサリと刺され、引きずられ、死体運搬用トラックの荷台に勢いよく積みあげられた。すべての死体を積み終えると作業員たちは慣れた手つきで幌をかぶせ、その上からゴム紐を巻きつけて死体が転がり落ちないように固定した。トラックの運転手は荒々しくエンジンを吹かしながらギヤをつなぎ、海岸道路を走った。15分ほど走り、トラックは港の近くの煙突のある工場の搬入口へゆっくりと入っていった。「バックします」という警告メッセージのリピート再生とともに、トラックは、もうもうと湯気が立ち昇る巨大な金属の釜の前まで近づいて停まった。工場の作業員が幌を外し運転手に合図すると、荷台が傾いてゆき、子供たちの死体が釜の中へ次々と放り込まれていった。死体は半日かけてじっくり煮込まれ、脂を搾りとられた。搾りとられた脂は水酸化ナトリウムと混ぜ合わされ、ジューサー・ミキサーのような回転ブレードつきの大きな鍋の中で完全に混ざり合うまで撹拌された。そうしてできた混合物は管を通り、fuckin’ japの鏡文字が彫られた鋳型に流し込まれた。いくつも同じ鋳型が一列に並べられており、一つの鋳型に混合物が流し込まれていっぱいになると、次の鋳型が管の真下へやってくる仕組みになっていた。すべての鋳型が満たされると、それらはたこ焼きのようにいっせいに焼かれていった。石鹸は中国全土に出荷され、出荷の過程で傷ついたり割れたりして売れなくなった石鹸が香港の港まで戻ってきて、生き残った日本人の子供たちの身体を洗うために使われた。

佐吉とパー助とその他の子供たちは港の近くのコンテナに入れられ、40リューベ毎時のポンプで汲みあげられた南シナ海の潮水のジェット噴射を浴びた。港湾作業員が石鹸のかけらをコンテナの入り口から中に投げ入れると、いかなる状況でもマナーのよい日本人の子供たちは順番に石鹸を使って身体や髪を洗った。金属の枷がガチャガチャと音を立てていた。何かの祭りでもやっているかのような騒がしさだった。港湾作業員は便所掃除用の硬いデッキ・ブラシで子供たちの身体をごしごしこすった。

何らかの方法で枷を外した少年がコンテナから脱走し、全速力で防波堤を走った。異変に気づいた港湾作業員が追いかけてきた。そこに偶然居合わせた緑の制服の警察官に少年はすがりつき、助けを求めた。彼はコンテナを指さしながら日本語で自分の身に起きていることを説明していた。全裸の少年が何をしゃべっているのか警察官は理解できず困惑していた。コンテナに残された子供たちは逃亡奴隷の行方を見守った。警察官はすべてを悟り、拳銃で少年の頭を撃った。一秒くらい遅れて銃声がコンテナの子供たちの耳に届いた。あとから追ってきた港湾作業員が死体を引き取り、足を持って引きずりながらもとの場所に戻った。子供たちの面前に死体を放り棄て「これが逃亡奴隷の末路だ」という旨の脅し文句を広東語で述べ、死んだ少年の顔を地面に踏みつけた。何人かの子供が泣き喚くと、カービン銃を持った奴隷監督官が順番にぶちのめしていった。折れた歯が地面に転がった。

奴隷の洗浄が終わると、巨大なタンクを担いだ大男がやってきて、タンクの下から伸びている掃除機のホースのような管を子供の口の中に突っ込みはじめた。何かの栄養を注ぎ込んでいるのが彼らにも理解できた。頑なに口を開かない子供は開口器で口をこじ開けられ、無理やり管を突っ込まれていた。前歯を折られ、血が流れた。使いまわしの管を口の中に入れられることに耐えられず、また、そこから流れてくる豚の餌のような半固形食に佐吉は吐き気を催した。子供たちは意味もなく鞭で打たれ、身体のあちこちにケロイド状の瘢痕が生じていた。まだ癒えぬ傷口を動物のように舌で舐めすごした。

コンテナの重い扉が閉められた。僅かな隙間から差し込む光を除いて中は真っ暗になってしまった。暗いよ、怖いよ、うちへ帰りたいよ……。トレーラーが走りだし、彼らは何時間も揺られて気持ちが悪くなった。少年と少女は裸で身を寄せ合い、がたがたと顫えていた。いますぐ性交したくてたまらない気持ちに駆られ下半身がうずいていたが、どうすればよいのか知る者は一人もいなかった。そこには最初から処女と童貞しかいなかった。

扉が開いた。一瞬眩しさを感じたが、すぐに目が慣れた。黄色がかったやわらかい照明が窓のない部屋をぼんやりと照らしていた。朱色の壁紙は張り替えの途中で、壁材がむき出しになっているところもあった。赤い絨毯が丸められた状態で部屋の隅に置かれていた。新しくオープンするために準備している中華料理店といった印象を受けた。

彼のすぐ目の前には鋼鉄の檻があった。動物園のでかい動物をどこかへ移動させるときに用いるような檻だった。奴隷監督官が鞭で地面を叩き、檻に入るように促した。檻の前には数名の奴隷商人とその使用人や首輪をつけられた若い女の奴隷らがあつまっていた。興行師、仲買人、ケシ畑の農園主といった裏社会の人間だった。彼らは奴隷のスペックが記載された小冊子を見ながら、奴隷たちの値踏みをはじめていた。

マオカラー・スーツを着た競売の主催者が奥の部屋からあらわれた。競売の参加者に一人ずつ声をかけ、握手をしていた。彼はいくつもの中華料理店を持つオーナーだったが、料理にアヘンを入れていることは知られていなかった。アヘン入り料理で一財を築いた彼は、UNESCOに認定された特級厨師を何人も買収し、国内外で多数のホテルを経営していた。そのすべてが繁盛した。二十代にしてありあまるほどの金を得た彼は、人身売買に手を染めた。日本で拉致した子供を船で香港まで運び、競売にかけて売った。

マオカラーの男は日本人の奴隷に命じ、ヒトの頭蓋骨を持ってこさせた。頭蓋骨は彼の前の象牙のテーブルに置かれた。暗闇へ誘うような二つの眼窩は子供たちのほうに向けられていた。彼は召喚の儀式めいた仕種で頭蓋骨のてっぺんに手を置き、訛りのない、流暢な日本語で、静かに語りはじめた。

「こいつは舞城王太郎だ。きみたちの中にも名前を聞いたことがあるという人もいるのではないかね? 日本ではたいそう名の知れた小説家だった。だが正体を隠して執筆していたのがよくなかった。こんな有り様になっていることを多くの幸福な日本人は知らないだろう」そう言いながら彼は頭蓋骨のてっぺんを爪でこつこつと叩いた。「漢民族と大和民族の本質的な違いについて多くを語るつもりはない。それはとてもセンシティブな問題だからね。重要なのは、なぜ舞城氏がこのような姿形となって今現在きみたちの目の前に置かれているのかということだろう、きみたち日本人のお友達である小説家がね。はっきり言って、きみたちは哀れな存在なんだ。それはきみたちが日本人であるかぎりにおいてどうすることもできないことなのかもしれない。とはいえ、きみたちや、きみたちの両親が、灰色の顔をして、今日もこの地球上のどこかで歩いたり、ぶつぶつ唱えたり、泣き言を言ったりして生きているという事実に、私はひどく胸を痛めているのだよ。きみたちの両親は四六時中ストレスの渦に飲まれ、意味もなく誰かに謝っている。他人の真似をして、公序良俗にびくびくしながら、アニメや漫画といった頽廃文化にうつつを抜かしている。きみたちは民族的特性として、思っていることや感情をあまり表に出さないが、先祖の言い伝えを後生大事に守る未開の部族か何かのように、無意味で、何の役にも立たないルールや礼儀作法といったものを守りつづけている。そのことに多くの善良な日本人は辟易し、疲弊しきっている。にもかかわらずそうした現状をあらためようとする者はほとんどいない。わかるかね? 舞城氏は私の父によって殺された。楽にしてもらった、と言うべきかな。彼は正体を隠して小説を書くことにひどく疲れていた。晩年の彼は、ぶくぶくと泡を吹くシオマネキのように黒い瞳をしていたよ。まったく、気の毒な話だ。しかしここへきたからには安心したまえ。きみたちが救われることは我々全員によって約束されている、この舞城氏と同じようにね」

話の内容を一ミリも理解できず、不安そうに口をぽかんと開けている「哀れな」子供たちをよそに、マオカラーの男は頭蓋骨を象牙のテーブルから部屋の中央に設けられた鉄板の上へと移動させた。ニューヨーク証券取引所の鐘を鳴らすエグゼクティブのように、男は白い歯を見せて破顔一笑しながら、天井近くまで振りあげた9ポンドのハンマーで頭蓋骨を木っ端微塵に打ち砕いた。それが競売開始の合図だった。

演台の前に立った、タキシードにカトー・マスク姿の奴隷競売人が、競売ナンバーと始値を告げた。奴隷商人たちは丸いプラカードを掲げ、懐事情と欲望のせめぎ合いの中で入札額を叫んだ。声が少なくなってくると奴隷競売人が競りをあおった。やがて入札の声が完全になくなると、木槌が叩かれた。

奴隷の少女が檻から引きずり出され、落札者の仲買人にわたされた。仲買人はアタッシュ・ケースから毛沢東の札束を出し、奴隷競売人がそれを一枚ずつ念入りに数えた。そのようなことが何度も繰り返され、檻の中の少年少女は次第に少なくなっていった。

仲買人は安い奴隷を大量に仕入れ、上海まで運んで別の奴隷商人に二倍、三倍の値段で売りつけ、莫大な利益を得ていた。買われた子供は臓器を売られ、まぐさ小屋でレイプされ、拷問ポルノの餌食となり、見世物小屋に売られ、マチェーテで四肢を切断され、物乞いをさせられ、去勢され、鶏姦マニアに売られ、スナッフ・フィルムの最後にして最初の主役を務めさせられ、裏の人間がたくさんあつまる地下闘技場で奴隷同士の殺し合いをさせられ、ライオンと闘わされ、いずれにせよ死ぬ運命にあった。運のよい子供はそこで比較的まともな中国人に買われ、広大なケシ畑でアヘンをつくりながらのんびり生活することができた。

日本の芸能事務所のスカウトマンとしてやってきた芳川は一度も入札していなかったが、それはべつに、中国に出荷された日本人の奴隷を日本人が逆輸入するという非人道的行為に躊躇いを感じているからではなかった。もっとも、彼がれっきとした日本人であるからこそ、マオカラーの男は民族の格の違いについて深く言及することは避けていたのであるが、当の本人はそうした問題には無頓着だった。芳川の芸能事務所は子供に芸を仕込み、TVやステージで屈辱的な芸をさせることで多くの愚かな日本人から人気を得ていた。ニガーの真似をさせたり、全裸で漫才をさせたり、その多くは芸と呼ぶにはあまりにも幼稚でくだらない行為ばかりだった。役に立たない子供は容赦なく殺された。次はおまえの番だと脅された子供は、恐怖のあまり一瞬で白髪になることもあった。

佐吉の競売ナンバーが呼ばれた。入札額が小刻みに上がっていった。もう上がりそうもないだろうという額まで達したところで、芳川が倍の金額で入札し、奴隷競売人が木槌を叩いた。パー助も同じように芳川によって落札された。芳川が買ったのは、偶然にもこの二人だけだった。

二人は鎖つきの首輪を嵌められた。芳川は首輪の鎖を引っぱった。「このあいだまでチャーチルの散歩をしていたのに、いまじゃおれたちが犬だぜ」とパー助がつぶやいた。佐吉は笑った。芳川は、余計なことをしゃべるなと言って、二人の尻を蹴飛ばした。二人は首輪を引かれ、階段を上がり、地上に出た。砂の上を裸足で歩かされ、石門を抜けた先に停めてあるトヨタの四駆に乗せられた。二人は後部座席に乗り、芳川は運転席に乗った。芳川は車を走らせた。カーラジオからは中国語の短波放送が流れ、聞いたこともない中国語の歌謡ポップスがたてつづけに流れた。

「生きて日本に帰りたいか?」唐突に芳川が訊ねた。

話しかけられるとは思っていなかったので二人とも黙ってしまった。

芳川は勝手にしゃべりつづけた。

「おれは芸能プロダクションのスカウトマンをやっている芳川という者だ。おまえら、生きて帰りたければ、まずはこの国で売れることだ。ステージに立って、客を笑わせ、がっぽり稼いでもらう。金にならない餓鬼は容赦しねえ。手足をもぎとって、ダルマのようにして、物乞いをさせてやる。わかったか!」

芳川は怒鳴ってハンドルを叩いた。二人は黙りつづけていた。芳川はゆるやかなスピードを維持しつつ話をつづけた。

「まあ、そんなに心配するな。高い金を払って買ったんだ。そう簡単には殺さないさ。金を払ったぶんはきっちり稼いでもらう。なーに、おれの言う通りにすれば必ず成功できるさ。ここで成功して日本に帰った餓鬼はたくさんいる。日本のほうが金になるからな。おれとしてもこんな空気の悪い国とはさっさとお別れして日本に帰りたいんだ。愛する祖国に税金を納めたいんだ。わかるだろ? さてと、これからどうするか、おまえらのような餓鬼にいちいち伝えてやる必要はないのだが、今後のイベントを円滑に進めるためにも話しておくとしよう」

芳川はアヘンの吸引によって優雅に狂った人間の笑みを浮かべ、ルームミラー越しに佐吉の顔を捉えた。佐吉は出し抜けに「あーっ!」と言ってフロントガラスの向こうを指さした。芳川は目線を前に戻した。それは何の変哲もない直線道路に砂埃が舞っているだけの景色だった。

芳川が油断した隙に、パー助は己に嵌められた首輪の鎖を両手で持ち、芳川の首を背後から締めあげた。佐吉はそれに手を貸した。栄養失調の子供が二人がかりで大人を絞殺するのは難しかった。芳川は窒息してよだれを垂らしながら車のハンドルを右いっぱいに切り、急ブレーキを踏んだ。

車はスピンして道の端の岩山に激突した。ボンネットがひん曲がって開いた。二人は鎖から手を離した。パー助は運転席に激突し、佐吉はシフトレバーの上に仰向けになるようなかたちで投げ出された。芳川はエアバッグの膨らみを払いのけ、怒りの咆哮とともに左の拳を佐吉の腹に打ち落とした。

佐吉は助手席のほうへ転がった。パー助は何か助言していた。激突の衝撃で開いた助手席のグローブ・ボックスにクロムメッキの自動拳銃が隠されているのを見つけた。佐吉は素早くそれを手にし、遊底を引き、銃口を芳川の眉間に向けて発砲した。

炸裂弾が芳川の頭蓋骨もろとも木っ端微塵に吹き飛ばし、一瞬にして車の中が真っ赤に染まった。パー助は死体のジーンズのベルトループに引っかけられた鍵の束を毟りとり、手と足と首に嵌められた枷を外した。流血の海に溺れる前に彼らは車を降りた。降りると同時に男の大声が聞こえた。芳川の仲間らしきリビア人が追いかけてきたのだ。

「リビア人だ!」

二人は潮風の吹いてくるほうへ走って逃げた。すぐ近くに港があるのがわかった。かすかに海の香りがしていた。

追うのをあきらめたリビア人はそこで立ち止まった。肩にぶら下げていたライフルの薬室を開き、サファリ・ジャケットのポケットを探ってつかみとった実包をそこに詰め、パー助の頭に照準を合わせて撃った。弾はパー助の頭を貫通したが、あたりどころがよかったのか、彼は頬にかけて血の筋を垂らしつつ何事もなく走りつづけた。

腐りかけた木の桟橋を駆け抜け、河口の岩礁のあたりに何隻か泊まっている木造船に乗り込んだ。船室で寝ていた漁民たちを叩き起こし、服を奪い、銃で脅して海に突き落とした。岩に頭を打ちつけた漁民は血を流して死んだ。パー助は操縦室に入り、エンジンをかけた。煙突から白煙が吹きあがった。ごごごという機関室の唸りが彼の握る舵へと伝わった。三枚刃のスクリューが高速でまわり海水を泡立てた。佐吉が舫綱をケバブ薄切り用のマチェーテで叩き切ると、船は沖へと走りはじめた。勢いよく開け放たれたジッパーのような航跡を曳きながら、船は全速前進した。

背後の水平線に陸が隠れて見えなくなるころ、縄張りを荒らされて怒り狂う抹香鯨の威嚇の声のような警報音を轟かせながら、米軍のコルヴェット艦が追ってきた。ブリッジの上からカシャカシャと信号灯を明滅させていた。海軍兵士は蒼天に向けて機銃を撃ちまくった。それが開戦の合図だった。

コルヴェット艦はスピードを上げ、少年二人が乗る木造船の真横につけた。二隻の船は並走し、しばらくすると艦砲がスイングして木造船に狙いを定めた。リズミカルな音とともに弾丸が舳先の周辺に何発か命中した。パー助は舵を切り、そのまま木造船の船体をコルヴェット艦にぶつけた。どごーんという鈍い音が響いた。すさまじい波の飛沫が上がり、木造船は転覆寸前まで傾いた。甲板を囲む左舷の手すりがひしゃげ、船底にひびが入った。その亀裂から機関室に海水が流れ込んできて、船は少しずつ浮力を失い失速していった。舳先のほうから徐々に喫水線が上へと迫っていた。エンジンが炎を吹き、機関室は黒煙に包まれた。煙は船全体を覆うように広がっていった。コルヴェット艦の海軍兵士はラウドスピーカーによる警告メッセージと停船命令の信号灯を発しつづけていた。

いまや舳先は半分近く海に沈んでおり、傾いた船に人が残っているのさえ難しい絶望的状況だった。エンジンから出た炎は燃料に引火し、燃料タンクの爆発によって木造船は木っ端微塵に吹き飛んだ。爆発の衝撃波がコルヴェット艦を大きく揺さぶった。だがそれだけだった。空高く飛び散った海水が細かな粒となり、太陽の光を浴びてきらきら輝きながら雨のように降ってきた。それから火のついた木くずが甲板にいくつも降ってきて、海軍兵士たちはその木くずを一つずつ海に蹴り落とした。少年二人の死体は碧い海の底に沈み、珊瑚に絡まって浮いてこなかった。

2018年3月30日公開

© 2018 南沢修哉

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