公園から出る

佐藤相平

小説

6,620文字

公園でウロウロするだけの短い小説です。

第4回金魚屋新人賞 第二次審査通過作品の一つ

砂場の表面は乾いたグレーの砂に覆われているのだけど、スコップを使ったのか、靴がはまったのか、何らかの原因で掘り返された跡に見える土は、茶色くて湿っている。その土を触ってみようとしゃがみかけて、誰かに見られたら不審者だとみなされるかもしれないと思い、動きを止めた。少しだけ曲げていた体を元に戻しながら、しゃがみかけながら途中で止めた今の動きこそ怪しい動きで、どうせ動きはじめたのならば完全にしゃがんでしまった方が自然だったと気づいたけれど、もう遅い。背筋をしゃがもうとする前よりもしっかりと伸ばしながら、僕は砂場から離れて、逃げるように、ベンチへと近づく。

金属製のアームと木の板を組み合わせたベンチは、赤いペンキが塗られていたようだけど、ほとんど剥げていてしまっている。だんだんと近づいてみると、それぞれの板は削れて細くなり、ささくれていることも見えてくる。あまり座り心地が良くなさそうだなと予想しながら座ってみると、尻がザラザラして落ち着かず、本当に座り心地が悪かった。それならば、立った方がいいのではないかという考えは浮かんだのだけど、遠くから見ている人にはこのベンチの座り心地の悪さは伝わらない、実際に座ってみなければ理解できないのだから、座ってすぐに立つという行動は、おかしな行動と捉えられてしまうかもしれない。それなので、仕方なく、僕は数分の間はこのベンチに座っていることを決めた。

しかし、誰かが僕のことを見ているのだろうか。平日の昼間だからなのか、公園の中には僕しかいない。首を左右にひねり、周りの家を眺めてみても、窓から公園を覗いている人は見つからなかった。もちろん、僕は家の窓を一つ一つのぞくようなプライバシーを侵害する行為はせずに、それぞれの家の様子をざっと眺めただけだ。だから、確実に、誰も僕のことを見ていないと判断することはできない。しかし、誰かに見られている可能性が限りなくゼロに近いことくらいは分かっている。僕はそこまで自意識過剰でも、異常な想像力の持ち主でもないはずだ。誰かが通りかかった時にだけ、適度な緊張感を持てばいい。

少し落ち着くために、僕は公園の中をぼんやりと眺めることにした。どうして公園を眺めると落ち着くのかは分からないけれど。まあ、少なくとも、僕の後方にある高速道路を見るよりは落ち着くはずだ。距離があるはずなのに、車の騒音がかすかに聞こえてくる。だけど、そもそも、僕には落ち着く必要があるのだろうか。僕は普段よりも興奮しているわけではないから、心を落ち着けることなんてできないのではないか。

そうじゃないな。落ち着く必要があるのか、ないのかということは、本当の問題点ではない。問題の設定の仕方を間違えている。そうだ。僕は公園を見たいから見るのであって、そこに「少し落ち着くために」という理由は、必要ではなかったのではないか。本当に落ち着きたいのなら目を閉じた方がいい。つまり、僕は「公園を見たい」という欲求に、「少し落ち着くために」という理由を後から付け足したということになる。では、どうしてそんな理由を必要としたのか。見たいから見るではいけないのか。残念ながら、自分が欲求に理由を付け足したことについての説明は、全く思いつかない。しかし、ここでもっともらしい仮説に満足してしまったら、行ったばかりの反省が生かされないことになる。だから、僕は公園の中を見たいから、公園の中を見ることにしよう。

三十センチメートルくらいの幅があるコンクリートによって正方形に囲まれた中に、さっき触ろうとした土が見える。ザラザラしたコンクリートにはベージュのペンキが塗られているのだけど、ところどころ色が落ちて、元々のグレーが見えてしまっている。他の三つの角は尖っているのに、僕から一番遠い角だけは、外側が丸くなっている。だから、砂に接する内側はたぶん正方形、少なくとも四角形になっているのに、砂に接しない外側はイビツな形になっている。角を丸くする方が、尖らせたままにするよりも手間がかかりそうなのに、どうしてあそこだけ削ったのだろうか。子供のケガを防止するために削ったのだとしたら、すべての角を丸くするべきだろう。途中で面倒くさくなったのかもしれない。まあ、そんなことはないだろう。もしかしたら、何らかの事故であの角が欠けてしまったのかもしれない。そうだとしたら、元通りに角を造る修復をするよりは、角を滑らかにしてしまった方が楽にすみそうだ。この説明には筋が通っている気がする。角を一つだけ削っているのがデザインだという可能性はないだろう。それほど、いや、全くデザインには詳しくないけれども、角を一つだけ丸くするのが芸術なのだろうか。もしかしたら、そうかもしれない。その可能性を否定することはできない。しかし、大きな公園ならまだしも、こんな小さな公園の砂場が芸術的な目標の達成のために造られることがあるのだろうか。いや、無いはずだ。たぶん。役所はなるべく予算をかけずに公園を造ることを目指すから、余計なデザインは排除した遊具でそろえようとするに違いない。だから、事故で欠けてしまったから削っただけだというのが真実だろう。少なくとも、計画的に角を削ったわけではない、と思う。しかし、この砂場が美術館の前にあったら、人々はこの丸くなった角が何かの象徴だと考えることになる。「人間の不完全さを表している」とかなんとか、芸術的な説明をしなければいけない。そこで、「角が欠けちゃったから削って滑らかにしただけじゃないんですか」と言ったら、みんなから馬鹿にされる。その逆に、この砂場の角が丸くなっている理由を友達に聞かれて、「これは人間の不完全さを象徴しているんだよ」と答えたら、笑われてしまう。

つまり、えーっと、僕は何を言いたいのだろう。その場の状況に合わせて丸みの解釈は変わるわけだけれども、そんなことは当たり前だ。だいたい、砂場の角のことなんてどうだっていいじゃないか。僕はどうしてこんなおかしなことを、長々と考えているのだろうか。ベンチの座り心地が悪いことに原因がある気がして、立ち上がりかけたところで、立ち上がってしまったらその場に立っているわけにはいかず、どこかに歩いて行かないといけないのだけど、行きたい場所は特にないので、これからの方針が決まるまで、もう少しの間は座っていることにした。とはいえ、ベンチのささくれが、肌には触れなくても、スウェットパンツに刺さっている感触があり、少し体を動かす度に服が傷んでしまいそうなので、なるべく足を動かさないようにしている今の状態に、だんだんと耐えられなくなってきている。早く方針を決めないと。まあ、このスウェットは二週間前に買ったばかりとは言え、ユニクロで千九百八十円だったから、多少傷ついても気にする必要はないのかもしれない。そう自分を納得させて太ももを軽く揺らしてみると、スウェットがベンチに引っかかっている感触がした。だけれども、ザ・ノース・フェイスのダウンジャケットは五万円以上したから、ささくれた背もたれに寄りかかるわけにはいかず、はじめは姿勢を正しくして座っていたのだけど、だんだんと前かがみになりながら、とにかく、絶対に傷がつかないように気をつけている。

そうだ、立ち上がってスマホをいじっていれば、怪しまれることは無いのか。ただその場に立っていたら不審者に思われるかもしれないけれど、スマホを操作していれば、最悪でもスマホ依存者に思われるだけで済む。立ち上がり、スウェットにささくれが付着していないかと尻の辺りを触ってみたけれどよく分からないので、一応軽く叩いてから、右ポケットからスマホを取り出そうとして、その前に、なんだか手が汚れているような気がしたから、軽く水で洗うことにした。

砂場の奥には、砂場の囲いと同じ色で塗られた立方体があり、上部には水飲みが、側面には蛇口が取り付けてある。子供の頃のように幅の狭い囲いの上を歩き、バランスを取りながら蛇口に近づこうとすると、コンクリートの上には乾燥した細かい砂が積もっていて滑りやすく、三歩目でバランスを崩して落ちてしまった。あきらめて地面の上を歩くことにする。

地面の上にも乾いた細かい砂が薄く敷き詰めてあるので、今日は風がほとんど吹いていないけれど、ちょっと強い風が吹いたら砂が舞い上がり目に入ったり靴に入ったりして大変だったなとか考えながら水を出してみると、思っていたより勢いよく水が出て、蛇口の下の金網に当たり跳ね返り、スウェットがほんの少し濡れてしまったので、慌てて水量を減らそうとすると、今度は水が止まってしまった。ちょうどいい水量を探ろうとしたけれど、勢いよく出るかほとんど出ないかの両極端で、なかなかうまく調節できず、結局はあきらめて、チョロチョロ流れた状態で手を洗うことにした。冷たいのかなと思い、恐る恐る人差し指を出してみると、思っていたよりは温かい。そのことに油断して大胆に手を濡らしたら、やはり、だんだんと指の感覚が無くなってきた。だから、さっさと手を洗い終えて水を止め、ダウンの内ポケットからハンカチを取り出し手を拭いて、そういえばちょっと濡れたんだよなと思い出してスウェットも拭いたら、スマホのことがどうでもよくなっている自分に気づいた。それどころか、すぐにこの公園から出てしまいたい気分だ。どうしてスマホをいじろうとしていたのか。ちょっと前に決めたことなのに、その理由を思い出せない。スマホなんて、家でいくらでもいじれるじゃないか。何が原因で気が変わったのか、自分のことがよく分からないけれど、ここから左へ十歩、いや十五歩進めば公園の外に出ることができるのだから、さっさと出てしまおうと思い歩き出そうとすると、公園を出て左へ続く道路の先にある、ベンチ後方の高速道路の上にかかる橋を渡りこちらの方へ、ベージュのダウンコートを着て、自転車を押した女性が向かってきていることに気がついた。久しぶりに人を見た。

さて、どのように行動すれば、最も怪しまれる可能性が低いのだろう。このタイミングで公園を出たら、女性に僕の姿を見られざるを得ない。「見られざるを得ない」。こんな言い回しを、少なくとも会話で使ったことはない。使われたことも無い。「今日の夕飯は豆腐を食べざるを得ない」とか使うのだろうか。そもそも、これで使い方はあっているのか。そうじゃない、横道にそれるのは楽しいけれど、目の前の問題、近づいて来る女性にどう対処するかについて考えないと。

残念ながら、平日の昼間に私服でフラフラしている成人男性は、それだけで怪しい存在だとみなされてしまうことがある。僕としては、様々な生活のスタイルが認められた、多様性に富んだ社会が実現してほしいと願っているけれど、そんなことをここで主張してもしょうがない。今は、できることならば、女性に姿を見られないとこがベストだろう。それならば、公園の中にいた方がいい。なおかつ、もし見つかったとしても言い訳ができるような体勢でいなければいけないと思い、ポケットからスマホを取り出しホームボタンを押す。ボーっと立っているよりは、スマホをいじっている方が、言い訳がしやすいはずだ。

残念ながら、新着メールは一通もない。知りたい情報はないけれど、ヤフーのホームページを開き、面白そうなニュースがないかと探してみる。女性は公園の入り口の前を通り過ぎようとしている。その様子を気にしながら、ニュースの一覧をゆっくりとスクロールしているのだけど、特に詳しく知りたいニュースはない。野球かサッカーがシーズン中だったら、困らずにすんだのに。女性はすでに公園を過ぎて、その先に続く坂を上りはじめている。もう女性に見つかる可能性はないはずだ。僕はスマホをポケットの中にしまった。

それにしても、どのくらいの間、僕は人と話をしていないだろうか。昨日、コンビニで肉まんを注文する時に話をしたのが最後かな。だけど、それを「会話」と呼べるだろうか。難しい問題になりそうなので、「会話」の定義については考えない。できれば店員と客の関係以外で会話を楽しみたいのだけど、どうすればいいのか。何も思いつかない。ここで、公園に誰かが来てくれて、素敵な物語が始まってくれればいいのにと思って、周りを確認してみても、公園にも、周りの道路にも、家にも、誰の姿も見えない。本当に誰もいないのか。もう一度、じっくりと確認しよう。

砂場と水飲みの奥には葉が全くない高さ十五メートルくらいの木が二本並んでいて、その右に高さ十メートルくらいの、枯れた葉がまばらに残った木が植えてある。植木のさらに奥は高さ五メートルくらいのコンクリートの壁になっていて、見上げてみると、その上には水色の柵が立ち、柵の奥は道路になっている。道路には今、誰も歩いていない。たぶん、僕が公園に入ってから、誰もあそこを歩いていない。もちろん、僕が気づかなかっただけかもしれない。

道路のさらに奥には、家が並んでいる。ほとんど同じ大きさ、形の家々の壁の色は、左からクリーム色、薄いグレー、焦げ茶色、薄い黄色、薄いグレー、オフホワイト、薄い黄色という順番だ。淡い色が並んでいる中で、焦げ茶色の壁の家は調和を乱していて、悪い意味で目立っている。そして、どの家の窓の向こうにも、人の姿はない。もっとも、ほとんどの窓のカーテンが閉まっているのだけど。屋根の色は、少し背伸びをしてみても、この位置からはほとんど見ることができない。七軒並んだ家のちょうど真ん中、僕の正面にある外壁が薄い黄色の家の屋根が、黒に近い濃いグレーだということがなんとか分かった。

あまり気にしていなかった公園の右の方には、ブランコが設置してある。ブランコを囲む柵を構成している鉄の棒は、赤色で塗られている。棒と棒が交わる部分、つまり角の部分やT字になる部分は、黄色に塗られた金属製の器具で補強されている。ブランコ自体は、への字に交わった、青く塗られた鉄棒で支えられている。棒と棒との交点は赤く塗られた器具で補強されている。その赤い器具に空いた穴からぶら下がっている鉄の鎖に取り付けられた木の板には、何も色が塗られていない。二枚の木の板と、それを支える四本の鎖は、すべて静止している。ブランコ全体を眺めてみると、気持ち悪いくらいの、濃い色で構成されていることが分かる。子供はこんな色合いが好きなのだろうか。

これで公園を一通り見終わったと思っていたら、ブランコの手前に照明器具が立っていることに気がついた。十メートルくらいのブラウンの鉄の棒の上に、プリンを逆さにしたような形のガラスかプラスチックの半透明の覆いが乗っている。たぶん中には電球が入っているのだろう。もちろん、この時間には明かりは点いていない。明かりが点いていたら、この照明の存在に気づいていたはずだ。明かりの点いてない照明は、驚くほど存在感がない。覆いの上にはブラウンのフタが被せてあるらしい。フタの形は、ここからだと見ることができない。

大きな音がした。壁の上の道路を青い車が左から右へ通り抜ける、その後ろ姿だけが見えた。背後にある高速道路から車の通行音が聞こえ続けているはずなのに、青い車の通りぬける音が、怖いくらいに大きく聞こえた。今度はグレーの軽自動車が左からやってきて、また右へと抜けていく。車を運転しているのが、白かグレーのシャツを着た男性であることは確認できた。

車が見えなくなると、僕はこの公園から出ることに決めた。どうして出ることにしたのか。よく分からない。もっともらしい理由を、十通りはつくることができそうだ。ここには長くいすぎたとか、そろそろ不審者に思われる可能性があるとか。だけど、とにかく、ここから出たいから出る。僕はもう出口へと歩きはじめている。だけど、出てからどこにいくのか。まだ分からない。橋を渡り家に帰るのか。坂を上りコンビニに行くのか。目的地を決めずにブラブラするのか。それはきっと、公園を出た瞬間に決まるはずだ。少なくとも、この公園に戻るわけにはいかない。一度出た公園にすぐに戻ったら、本当に不審者だ。

僕はようやく公園から出た。そして、ゆっくりと歩きはじめた。

2018年2月6日公開

© 2018 佐藤相平

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

純文学

"公園から出る"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る