ダチョウの村

村崎羯諦

小説

3,913文字

その村では一匹のダチョウが飼われ、信仰されていた。

都会から離れた山奥に行くと、思わず目を見張ってしまうほどに奇怪で独特な風習が残っていることがある。そして、路面電車が町中を走る地方都市から車で何時間もかけてようやくたどり着く辺鄙な土地に、民俗学者も首を傾げてしまうほどに奇妙な風習が存在していた。

その村の人口は三百人ほど。ほとんどの村民が農業によって生計を立てており、その他の村と同じように若者は数えるほどしかおらず、六十を超えた高齢者の方が多い。この村では、共同体全体の財産としてある一匹の生き物が飼われており、それを村民は信仰の対象としていた。そして、その動物というのが、極めて不思議なことに、一匹のダチョウだったのだ。
ダチョウは本来日本に生息していない。そのため、外部から村に連れてこられたものであることは確かなのだが、どのような経緯で持ち込まれたのか、そして、それはいつ頃だったのかというのは村にいる人間ですらわからなかった。村に生まれ育った年配の方々の断片的な記憶をより合わせれば、昭和初期にはすでに数羽のダチョウが村で飼われており、今村にいる唯一のダチョウはその子孫であるということは判明している。また、食料に窮した戦時下においても、ガチョウを食べようとすることはなく、自分たちの食事を削ってでもそれらを生かし続けていたという村の記録から、極めて早い段階から村人はダチョウを信仰対象と見なしていたことがうかがえる。しかし、それ以上のことは謎に包まれたままであり、またその謎を解明しようとする者もいない。バブル期という金余りの時代に、一度だけ県立大学に所属する民俗学者によって長期間調査が行われたものの、ついぞ真相が解明されることはなかった。
このような奇妙な風習は他に例を見ない極めて魅力的な文化だ。しかしながら、その他の村文化と同じように、ダチョウ信仰もまた、いずれ村の衰退とともに失われてしまうであろうことが運命づけられていた。村の若者は、ダチョウへの畏怖の念を持つには、あまりに現代文明に毒され過ぎていたし、未だに信仰心を絶やさない数少ない村人に関しても、高齢化ともに、影響力を持てなくなってしまっていた。そもそも信仰対象であったダチョウ自体がすでにたった一匹となってしまっており、その最後の一匹でさえ、老いによっていつ寿命が来てもおかしくない状態だった。ダチョウの世話役という役職も、次第に神聖さも失い、今では、健郎という四十過ぎの冴えない男が農作業の片手間に行っているに過ぎない。確かに、この健郎という男は、父親が前代の世話職であったことから、同年代の村民の中では珍しく、ダチョウへの時代錯誤な信仰心を胸に秘めていた。しかし、この健郎や高齢者を除けば、ダチョウを心の底から信仰しているものは誰一人としておらず、彼らは粗末に扱うことまではしないものの、もはや空気のような存在としか見ていないことも事実であった。

 

さて、このダチョウ信仰だが、内実がどうであれ、奇妙なことには変わりがない。ある夏の日、噂を聞きつけた地方テレビ局が真相を確かめに取材にやってきた。もちろん、学者や記者の取材は初めてではない。案内役となった世話役健郎も、こんなことはなんでもないことだと言わんばかりに、こなれた様子で取材に応じた。ダチョウ信仰が今でもなお細々と続いていること、そして、起源が謎に包まれていることを説明し、最後に実物のダチョウを彼らに見せるという、無難な進行で取材は進められた。
しかし、実際に小屋へ行き、ダチョウを見せる段階になったその時、事件が起きた。村にやってきたのは、三十代前半の若いディレクターで、宗教や伝統文化とやらに何の価値も見出さない、即物主義的な男だった。彼はもちろん、面白いからという理由のみでダチョウ信仰を取材したにすぎず、すでに健郎の無味乾燥な説明に飽き飽きとしていた。このままでは撮れ高が足りないという焦燥感もあったのかもしれない。ディレクターは健郎が小屋を離れた隙に柵を乗り越え、カメラを回したままダチョウへと近づいて行ったのだ。ディレクターは最初、柵の中に入ってダチョウに触ってみるくらいなんてことないことだと考えていた。しかし、健郎を含めた代々の世話役は小屋の清掃を行う時以外には決して柵の内側には入らず、また入るときにはダチョウを驚かさないように長い時間をかけて人間の存在に慣れさせなければならなかった。それだけダチョウというものは、人間への警戒心が強かったのだ。そのため、ダチョウは突然テリトリーに侵入してきた不審人物に対して、狂ったような鳴き声を上げ、その大きな羽をバタバタとはためかせながら、小屋の中で暴れ始めた。ダチョウの悲鳴にも似た鳴き声を聞きつけ、世話役健郎がすぐさま小屋へと戻ったものの、時すでに遅し、ダチョウは老いを感じさせない見事な跳躍力をもって、高く設置された柵を飛び越え、小屋の外へと逃げ出してしまっていた。

 

世話役は、飼育を含んだ一切の責任を負っている以上、ダチョウが逃げたのならば、追いかけなければならない。健郎は腰を抜かし、その場にへたり込んでいるディレクターに目もくれずに、ダチョウが逃げ出した方向へ向かって走り出す。しかし、全速力で走るダチョウに追いつくはずもなく、最初は何とか捉えることができたダチョウの後姿もいつの間にかすっかり見失ってしまった。それでも、健郎は諦めるわけにはいかなかった。世話役としての使命感もあったし、また村人の目もあった。健郎はとりあえずダチョウが逃げた方向へと走り続けた。幸いなことに、ダチョウなどそうそう見かけるものではない以上、分かれ道に差し掛かったとしても、すれ違う人にダチョウを見なかったかと尋ねれば、ほとんどすべての人間がダチョウが逃げた方向を教えてくれた。そういうわけで、健郎は時々立ち止まりながらも、粘り強くダチョウを追いかけ続けることができたのだった。
しかし、いつの間にか村から遠ざかり、村と市をつなぐ唯一の舗装された道路へ出ても、ダチョウの後ろ姿さえ捉えることができなかった。何時間も追いかけ続けているため、体力は尽き、走ることはおろか歩くことすら苦痛になってくる。それでも、健郎は疲労で悲鳴をあげる膝と腰に鞭をうちながら、根気強く歩き続けた。そこにあったのはダチョウへの愛借と、時代錯誤な信仰心だった。いつの間にか日は沈み、あたりはすっかり暗くなってきた。山奥であり、道路には外灯すらない。健郎は真っ暗な道を断った一人ぼっちで、黙々と進んだ。どっぷりと暗くなってから何時間もの時が流れたが、健郎は座ることすら一度もしない。次第に真っ暗だった空は次第にほんのりと赤みを帯び始め、気が付くと日が昇り、あたりはすっかり明るくなっていた。健郎は一晩中歩きとおしたのだ。

 

しかし、ずっと追いかけてはいるものの、ダチョウの姿は見えなかった。健郎も次第に不安を覚え始める。しかしながら、その瞬間、健郎の進行方向から一台の車が走ってやってきた。車は健郎のすぐ手前で停止し、運転席の窓から顔を出した運転手が、聞いてもいないのに、さきほど一羽のダチョウとすれ違ったことを興奮した様子でまくしたてた。やはり自分は間違っていなかったのだ。健郎の足に再び英気が宿る。健郎は運転手にお礼を言い、再びダチョウの跡を追いかけ始めた。
山を抜け、田園を抜け、いつの間にか車や戸建ての焦点が商店がポツリポツリと道のわきに見え始め、どんどんあたりの風景は都市化していく。すれ違う人間の数も増え、ダチョウがどの方向へ向かったのかを確認することはかなり簡単になっていた。そして、ついに健郎が市にたどり着き、さらにその中心部へとさらに進んでいこうとしていた時だった。自分と同じ方向へ進む者が周りにポツリポツリと現れ始め、さらに彼らの口からはダチョウという言葉が発せられていることに健郎は気が付いた。健郎は突然、言いようのない不安に襲われる。健郎はただ黙ったまま人の波と同調して歩いて行く。すると、前方で何やら人だかりができていた。健郎の不安は風船のように膨らんでいく。健郎は人ごみの中に飛び込み、人を押しやるようにして、前へ前へとしゃにむに進んでいく。
そしてようやく、健郎は群衆を招き寄せていた原因を目にすることができた。二車線に囲まれた、路面電車の線路の上。そこに、大きな翼をコンクリートの地面にいっぱいに広げたダチョウが横たわっていた。ダチョウの目は遠目からわかるほどに大きく見開かれ、くちばしはだらしなく開かれていた。周りには大量の羽が散らばっており、ダチョウの身体からは生々しい鮮血が今なお地面に流れ出ている。ダチョウのすぐそばには路面電車が停まっており、その前方には何かに激突したようなへこみや黒い汚れが付着していた。
そして、健郎の周りにいる人間は、それぞれのスマートフォンを死んだダチョウの方へと掲げていた。健郎のすぐ横にいた、学ランを着た数人の高校生は、グロテスクな死体に興奮し、お互いにくだらない冗談を言い合って、笑い転げていた。目の前に立っている、スーツ姿の男女は、携帯で動画を撮り、会社の仲間に送ってあげようと話していた。後ろの方では若い女性が、わざと怖がるようなそぶりを見せながら、隣にいる彼氏らしい人物に可愛らしい声で甘えていた。しかし、健郎は、周囲の人間やこの理不尽な現実に対し、不思議と怒りやら悲しみを感じなかった。
「帰るか」
健郎は横たわったダチョウに背を向け、今まで通って来た道を一歩ずつ歩いて戻っていった。

2017年12月16日公開

© 2017 村崎羯諦

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