引きこもりの下半身事情

村崎羯諦

小説

3,774文字

でっぷりと太った引きこもりの脚は、次第に座っている椅子と同化していった。

ある木造二階建ての一軒家に、でっぷりと太った中年の引きこもりがいた。

 

中学でいじめに遭い、不登校になって以来、彼は母親と二人暮らしでありながら、たった一人二階の自室にこもったまま、誰とも話さず関わらずに毎日を過ごしていた。母親の年金と貯金で生活には困らなかったし、机の上にあるパソコンを覗き込めば、そこには広大なネット社会が広がっていた。彼は一日中椅子に座って、パソコンを操作し、疲れたらその姿勢のまま眠り、目覚めると再びパソコンの操作に戻った。引きこもって最初の頃は、決まった時間にそっと部屋の前に用意されるご飯を取りに一々立ち上がってはいたものの、次第にそれすら面倒になって、キャスター付きの椅子を上手に動かし、一度も立ち上がらずにご飯を取るようになってしまった。排泄についても最初の頃は、忍び足で一階のトイレに行っていた。しかし、ペットボトルやバケツを使えば、わざわざトイレに行く必要もないことに気付くと、何の抵抗もなく、座った状態のまま排泄行為を行い、溜まった排せつ物は窓から家の庭へと捨てるようになった。風呂はそもそも入る習慣がなかった。だから、それ以降彼はずっと椅子に座って生活するようになり、その数年後には、立ち上がるという行為そのものを忘れてしまった。

 

すると、そんな生活をずっと続けていたからなのか、気が付くと引きこもりのお尻とと椅子がくっついて離れなくなってしまっていた。

さすがの引きこもりも最初は慌てたものの、数回頑張って引き離そうとしただけで諦めてしまった。もちろん、一階にいる母親に助けを求めることなどしたくはない。また、よく考えてみれば、くっついたままにしたところで何か困ることがあるというわけではない。よって、彼は熟慮の結果、くっついたままの状態をほったらかしにし、パソコンの操作という彼のワークライフをを再開することにした。排泄関係はどうするのかと疑問に思うかもしれないが、不思議に便意や尿意はとっくの昔に感じなくなっていて、いつの間にか排泄するということ自体がなくなってしまっていた。それと同じ時期に、食欲やらのどの渇きやらも感じなくなり、いつの間にか、朝昼晩の食事を取るということも次第になくなっていった。

 

そして、そのまま何年、何十年の時が経った。

くっついただけで済んでいた引きこもりのお尻と椅子は少しづつ同化していき、最終的には引きこもりの下半身と椅子が、完全に一体化してしまった。椅子の座面と結合するに伴い、丸みと柔らかみを有していた引きこもりのお尻は平らに、そして無機質的な硬さを持つようになり、かつては二本あった彼の脚は一本に、そしてその先は五つに分かれて、それぞれにキャスターが付いた。

それだけの年数が流れている以上、すでに彼の唯一の身内である母親はリビングで人知れず死んでしまっていて、時の流れによってその亡骸はとっくに白骨化していた。家の内装は剥がれ落ち、クローゼットに収納された衣類は虫に食い散らかされ、庭に生えていた草木や蔓は天敵からの駆除を免れたことで、家の壁や塀に覆いかぶさるようにその勢力を拡大させていた。電気や水道も止まり、ネット回線もとっくの昔に途絶えていた。引きこもりの目の前の画面はもう何年も前から真っ黒な画面しか移されていなかったのだが、引きこもりはその事実に気が付くこともなく、ずっと以前からそうしていたように、パソコンを操作し続けた。

 

そんなある日、荒れ果てた廃墟を見かねた近所の住民が、行政に撤去の申請を行うことになった。

煩雑な手続きを経た後、市役所職人はようやくその重い腰を上げ、ついに家の解体に身を乗り出した。その決定に基づき、市役所から委託された業者は、シロアリに食い荒らされた木製のドアをぶち抜き、手分けして中にあった家具や白骨死体やらの搬出をし始めた。業者が歩くたびに、積もった床やインテリアの上に積もったほこりが舞い上がり、業者が力を入れて持ちあげようとするたびに、机や家具は安いクッキーのようにボロボロとその身を崩した。家具をどかせば、そこには見たこともない大量の虫がびっしりとうごめいており、流し台には黄土色に光るカビとコケが生えていた。作業にあたった何人かは肺をやられ、何人かは正体不明の虫に刺された。それでも業者らは持ち前のプロ根性を発揮し、少しづつではあるものの、着実に家の中を片付けていった。
そんな状況下でも、引きこもりは、下の階がやたら騒がしいと思っただけで、右手のマウスを離すということさえしなかった。しかし、とうとう業者らは一回の作業をある程度終え、引きこもりの部屋をこじ開け、中に置かれていたものを外へ運び出し始めた。何十年も使われていないベッドや、窓の外から捨てるのを忘れていた引きこもりの排せつ物が入ったバケツ、何一つ例外なく彼らは外へと運び出していく。

そして、ついに彼らは引きこもりの下半身と一体化した椅子をふたりがかりで持ち上げ、外へ持ち出そうとした。突然、二人の男から持ち上げられた引きこもりは当然驚いた。叫び声をあげ、目の前の机を右手でつかみ、左手で片方の業者の顔を引っかいたりした。二人は椅子のあまりの重さや顔への引っかき攻撃に悪戦苦闘したものの、引きこもりの抵抗をものともせずに、彼を強引に生まれ育った家から引っ張り出していく。ちょうど撤去作業の日は痛々しいほどの日差しが降り注ぐ真夏の日で、外に出た瞬間、引きこもりの退化しかけていた目に、ナイフのように鋭く尖った太陽光がぐさりと突き刺さった。引きこもりは強烈な痛みに悲鳴をあげた。そして、引きこもりは今まで経験したことのないその痛みを処理することができず、脳の一瞬の判断によってその意識を失うこととなった。

さて、引きこもりはその後、一旦は、役所の一角に保存された。しかし、すぐさま当時推奨されていたキャンペーンの下、東南アジアの貧しい国へと無償で贈与されることが決まり、撤去作業と同じくらい乱雑に運び出され、そのまま貨物船の中に詰め込まれることになった。

引きこもりはそんな状態に置かれながらも、長年の癖が抜けず、目に見えないマウスをカチカチと操作し続けていた。しかし、彼はそのような状況に陥って初めて、今まではまったく感じないですんでいた底知れぬ不安を感じ始めた。職員が単なる什器にいちいちこれからどうなるのか説明などしない以上、引きこもりは船に載せられたはいたものの、一体次はどこに連れていかれ、そしてどのようになるのかなどまったく理解していなかったからだ。そして、マウスの形のまま戻らなくなってしまった右手を動かしながら、引きこもりはそこで初めて生と死をすぐそこに感じ、今でのブランクを打ち消そうとするかのように、自分の人生を深刻に内省し始めた。自分が引きこもりになった経緯、そしてなぜそこからずっと脱出することができず、挙句の果てにはこのように椅子と同化してしまったのかを、引きこもりは必死に考え続けた。肥満がちだった体重は減り、幼さを感じさせる童顔はほっそりとやせこけた。しかし、それだけ考えても、彼は不条理な現実に対して、納得できるだけの答えを見出すことはできなかった。彼の頭の中に、問いと自分なりの答え、そしてその反論が姿かたちを変えずに何度も何度も浮かんでは消えていった。とうとう彼はそのスパイラルから自力で脱することができなくなり、しまいには生まれて初めての鬱状態に陥ってしまった。

しかし、船が長い航路を経て、ようやく東南アジアの港に到着し、倉庫から引きこもりが引っ張り出されたとき、引きこもりは眼前に広がる現実に驚きと、一縷の光明を見出すこととなった。

外国との窓口であり、背伸びしてでも豊かに見せたいはずの港も、端々に整備の行き届かなさ、品質の低さが見て取ることができ、そこで働いていたのはやせて骨が浮き出た子供たちだった。日本に生まれ、当たり前のように享受していた豊かさを、引きこもりは初めて実感することができた。それと同時に、引きこもりはこの見知らぬ国に対して一種の憐れみを覚え、そして、自分の甘えを否応なしに嫌悪せざるを得なくなった。もし、万が一、何かの奇跡が起こり人生をやり直せるのであれば。引きこもりは倉庫から二人係で引っ張り出されながら考えた。自分のちっぽけな命を使って、この国のために何かできることはないだろうか? いや、それこそが自分の使命なのではないか。今まで自分は自分以外の存在など一顧だにしなかった。自分というちっぽけな存在がこの世界に生まれ落ちたのは、自分以外の誰かのために汗水を流すためだったのではないだろうか。引きこもりは人生の意味、そして、自分という存在について、稚拙ながらもそのような理論づけをした。そして、引きこもりは願った。やり直せるのであれば、この国のためにこの身を削って働きたいと。

 

そして、引きこもりはその後、予定通り場末に向上に運送され、そこで細かい部品に分解され、跡形も残さず消えてなくなってしまった。

奇跡はなかなか起こらないから奇跡なのであって、結局はそういうものだ。せめてもの救いに、彼の来世のため、祈ろう。

2017年11月3日公開

© 2017 村崎羯諦

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