F.C.E

司馬乂

小説

13,429文字

エシャンドルは誰よりも前から、この日のために原稿を用意していた。少なくとも、この3日間の奴を生かしたのは、この日の自分のファッションに対する憧れの念だったに違いない。誰もが奴に目を奪われた。ロッポロが合図すると彼は、憎たらしい微笑を浮かべた。連中にとってはまったく思いもよらぬことが起こりつつあったのだ。次の瞬間連中は、エシャンドルの喋っていることなど、到底理解できなかった。

目次

Ⅰ. 12月5日

II. エマングのエマングによるエマングのための政府

III. 〈ライヴ・オブ・パ〉

IV. 予言者

V. ナポリを見てから

 

登場人物紹介

カーネギー・パ・プリカ(パ)…主人公。転入時はおとなしい生徒だったが、突如金髪のアフロヘアに変貌を遂げ、数々の挑発行為を実行に移す。
リベルジェ・イベルセン(リベ)…パの友人。死後の出版という淡い夢を抱いて日記を書き続ける。馬のような容貌。
エム・エマング(マイク・モリエ)…天使のような顔をした〈サウケン〉の権力者。裕福な家庭に生まれ、母とともにモデルでもある。誕生日は12月5日。
ケル・ケラング…エマングの弱々しい腰巾着。一人では何もできないが、心優しいところがある。
フィフォース・コントラスト・エシャンドル(F・C・E)…エマングの友人。美青年だが文学へ過度に傾倒し、挑発を行うパの猿真似をする。

テオドール・ケント(テオ)…フィフォースの親友。丸メガネのチビで、フィフォースに恋しているフリをする。
ジュネ・カダール…転入生の女の子。学校にバイクで乗り入れたことで周囲を驚かせるが、実際は気が弱く、エマングやフィフォースに目をつけられる。リベルジェと同じ幼稚園出身。
モルカルド・トゥルーリ…〈サウケン〉OBのイタリア人で、幼稚園来のエマングらの知人。〈V・V〉なる組織を結成し、チャイナタウンの中華料理店〈ミン・チャン〉を根城としてライバル校〈テオケン〉と対立する。
ラインハルト・バンニー…〈サウケン〉の影の実力者。兄は医学部。数学の天才であり、エマングも実は彼を恐れている。

 

 

I. 12月5日

さて諸君、今年は疑うところなく、侮辱とパフォーマンスの年になる。おれは先日劇場に行って芝居を見てきたが、観客席に腰をおろしただけで、まったくのところ、それなりの侮辱を受けた気分になった。ステージからは侮辱が光り輝いているように思われる。おれは大衆を侮辱したい。この書物は、無論、そこらへんの無邪気な人々に、金を取らずに押し付けるつもりだ。金に換算すれば一ペニーも儲からないことなど、とうに知れている。おれは思想を万人に一方的に突き付けてみせよう。これはもはや、暴力に相違ない。誰もがおれからぶん殴られ、唾でも吐かれたような気分になるだろう。
おれは宣言する。この汚水にも似た年が、侮辱や挑発で埋め尽くされることを。必要なのは時速三百キロで飛んでくるトマトや生ゴミ、半熟卵の類であり、断じて歓声などではない。昨日はステージ上の全員から唾を吐かれたようだった。今度唾を飛ばすのはこのおれだ。双子の妹はうんざりして出ていった。自分の吐瀉物のような絵画を大通りの真ん中に展示して、通行人を打ちのめしてやるとこちらが言っただけで、ドックランドに家を借りる勢いだ。まあ、おれにとっては血縁など、大いに厄介なものだから、せいせいしたとでもいったところだろうか。
重要事項を列挙しておこう。その一、喧嘩という喧嘩に加わること。おれは以前、街中で見ず知らずの連中との殴り合いに参加した。学校でも喧嘩があれば必ずそこに、カーネギー・パ・プリカという狂人の姿が目撃されるだろう。
また、ストライキに参加し、野次馬になることで悲劇的な感情に酔うのもいいだろう。おれの知人、馬面がチャームポイントのリベルジェ・イベルセンは、三流新聞の記者になりたいらしい。だからおれは奴とは仲よくしている。その二、公共物の壁を自分のノートと思い込むこと。どんな事件にも進んで巻き込まれること。嫌悪感―トリスタン・ツァラ万歳!知人の一人、テオドール・ケントとかいう声変わりしないクソメガネは、ひどくトリスタン・ツァラに似ている。奴の友人にしてゲイのフィフォース・コントラスト・エシャンドルは、今低学年の〈ランディー君〉に夢中らしい。
その三、街中でパフォーマンスすること。おれはちかぢか、〈ライヴ・オブ・パ〉を開く予定だ。バババババ・パ・パ・パ!セント・ジェームズ・パークで朝の四時半から、ライヴのためにリハーサルをしていたら、この間なぞ、私服警官に補導され、無知な不良どもと同じ独房内に閉じ込められて、腰が痛いのなんの。おれは気違いだと思われてそろそろ一週間が経つ。チェーンの外れた自転車で、これみよがしにミレニアム・ブリッジを走ったのがまずかった。だがまあ、サウスケンジントン進学高校では、それなりにうまくいっている。高校の隣に住んでいる財閥息子、マイク・モリエは、おだてとけばいいし。とにかく、友だちに資本主義者がいるというのは、なかなか便利なものだ。マイク・モリエがいないと悪口もろくに言えないケル・ケラングには、ほとほと愛想が尽きるが、メゾ・ソプラノの声を無理に出そうとしているライラック・スマトラとか、スペイン生まれのロッポロ・マトスミスとか(奴はほらを吹くのがうまい)にも反吐が出る。とりわけ、ここの女どもときたら、他人の悪口をいうことしか能がない上、露出狂だ。そのうち皆逮捕され、おれも逮捕されるだろう。
学級委員長のラインハルト・バンニーは魅力的だ。とりわけ魅力的なのは、奴が女の子たちのまえでブラックコーヒーを飲むことだ。しかし、おれのほうがやはり勝っている。なにしろおれは、渋滞と停電が好きだし、赤の他人と電気屋で映画を見るのは、素晴らしいことだと思うし。
サウスケンジントンの連中ときたら、みんながみんな、つまらぬ怒りを抱えている。おれには奴らの堪忍袋の緒どころか、袋全体が破裂する音が聞こえるようだ。テオドール・ケントやリベ、フィフォースは、食事ではなく怒りをエネルギーにして過ごしている。その証拠にリベはガリガリで、ひどく病弱だ。ところが連中には、残念極まることに、おれのようにパフォーマンスをする勇気がないのだ。バババババ・パ・パ・パ!諸君、こんどの〈ライヴ・オブ・パ〉にはきっと来たまえ。おれはアウトサイダーだ。おれがいるのは月の上。月から地球の君たちを笑ってやろう。弾丸と化したトマトはもちろん歓迎、だがそんなふうに、地合いのこもった目で見つめないでくれ!そこのじいさん、あんたもだ。おれに犬の糞の一切れでも投げてみろ。おれが耐えられないのはその温かな目つき、おれに向かって投げられるトマトの当たる痛みじゃない、畜生。
おれが暮らしているのは、セント・ジェームズ・パークのすぐそばだ。セント・ジェームズ・ストリートには、ジョニー・デュエルヴェントが住んでいるんだが、こいつときたらひどい難聴だ。おれがマイク・モリエとケル・ケラングを一まとめにして「マイケル」と読んだら、「はい」と理想的な返事をする始末だった。おれは三時半に起き、四時から〈ライヴ・オブ・パ〉のリハーサルも兼ねて、セント・ジェームズ・パークの周りを走ることにしている。かねてから気づいていたのだが、これは随分と近所迷惑になっているようだ。そんなことはどうでもいい。おれはいつも寝不足だから、コーヒーが欠かせない。何しろ、十二時までソーホーをぶらつくか、あるいは見栄を張るために勉強しているんだから。五時からは専用のこてで(昔は妹と使い回していた)髪形をセットする。生まれた瞬間からアフロだったと周囲に思わせるためだ。ライラック・スマトラは秘密裡に髪を染め、エマングさながら誕生した瞬間既に金髪だったのだとおれたちに飲み込ませた。奴がうまくいったのなら、おれにもできるはずだ。五時半、スケボーで優雅にソーホーの高級中華料理店〈ミン・チャン〉を目指す。ここはおれが来た途端に開店するが、何しろあきらめが悪いので、おれが出た後も店を閉めない。ときおりここでジュネ・カダールというフランスからの転入生に会う。セント・ジェームズ・パークでの個人的なマラソンは、たまに彼女の個人的オートバイ・レースに抜かされ、二周ほど後れを取ることがある。彼女も三時半に起きているため、恋人はカフェインらしい。せっかく綺麗な顔をしているのに、近頃じゃ睡眠不足でむくみが目立つようになった。それにしても、〈ミン・チャン〉の料理がまずいことといったら、この上なしだ。入り口前にかかっている暖簾はマットレスのようだし、店長はケチで噂好き。テオドール・ケントは、メガネが3Dだと噂された。余談だが、サウスケンジントン進学高校の卒業生、モルカルド・トゥルーリが、大学をさぼって〈ミン・チャン〉の二階の一室にござを敷き、あぐらをかいて一点を見つめているらしい。ロッポロ・マトスミスの目撃情報は確かだ。〈ミン・チャン〉で一時間ほど粘った後あと、金があればタクシーで学校に行って、ボランティア清掃に参加する。先生には、「カーネギー・パ・プリカさんは、お掃除を頑張っていますね」なんて言われる。登校時間まで間があるので、教室の黒板を綺麗にして、それから〈放虫クラブ〉の朝の活動に参加する。
〈放虫クラブ〉は、おれが入部した当初は(入部希望者は掲示板に張られている応募用紙に名前を書くことになっていた)、〈エマング・ファンクラブ〉との名目だった。エマングとは、マイク・モリエのことだ。だが不可解なことに、サッカー部で一番の人気者、シャタギン・ゼリンスキーが名前を書きに行ったときには、〈R・Sファンクラブ〉に変更されていたらしい。R・Sとはもちろん、ライラック・スマトラのことだ。エマングはそのツラで、日本の消費税にも満たない金を稼いでいるという話だから、彼のファンクラブに入会したつもりだった女子たちは、さぞかし不快だっただろう。とにかくそんなわけで、〈エマング・ファンクラブ〉が〈R・Sファンクラブ〉になり、さらに〈放虫クラブ〉へと著しい退化を遂げたわけだ。主な活動内容としては、悪臭すさまじい小規模な山やゴミ溜めに赴き、害虫を採集して、それを学校中にばらまくといったもの。我が校には〈殺虫消毒実行委員会〉があるため、連中の仕事を増やすために我々が虫を採ってくる必要が生じたのだ。文化祭ではゴキブリの標本を食堂に展示した。おれのアイデアだった。
あるいは、おれは口笛を吹き、ポケットに手を突っ込み、ぶかぶかのズボンを履いて、ニューヨーク・ヤンキースのキャップをかぶってブロンプトン・ロードを散策したりもする。登校時間になると稀に、アルベール・カミュの著作を読みながら、車道へはみ出さんばかりのフィフォースと、必死の形相で歩いているデュエルヴェントとか、車椅子の娘を送り出したメイスン夫人に出会う。フィフォースは、いつ自分が事故に遭って所持品を調べられてもいいように、鞄には小難しい本(『資本論』とか)や『グレート・ギャツビー』をいつも忍ばせている。エム・エマングは、ふてぶてしく高校の隣に寄生しているくせに、黒光りの甚だしい高級車に乗ってやってくる。〈ミン・チャン〉の店長によれば、奴は五時頃、サザークのマンションまで行ってケル・ケラングを叩き起こし、車に乗せて来るそうだ。ロッポロ・マトスミスによれば、奴はアフリカを経由してここに来るそうだ。
昇降口にて、おれはテオドール・ケントに会った。奴は曇ったメガネをこすりながら、ロッカーを開けて呟いた。
「このメガネ、自発的に曇ったのかな」
「魔法使いでもいない限り、そりゃ無理だろう」フィフォースがやってきて、エマングとおそろいのサングラスを外し、皮の鞄にアルベール・カミュの本をしまおうとするが、思いとどまった。一方のテオドール・ケントは、丸メガネをかけたチビということもあり、中学時代は〈チビメガネ〉と呼ばれていたようだが、今では何をどう間違ったか、〈クソメガネ〉と呼ばれるようになっている。奴のロッカーの戸にも直筆で〈クソメガネ〉と赤ペンキで走り書きされていた。「湿気の多いところでも通ったんじゃないか?」
「いや、あるいは」テオはしばらく考えてから、数学の問題集をふところからひけらかした。
「ウェストミンスターでバスに乗ったとき、おばあさんが上昇気流を起こす勢いで立ち上がってぼくに席を譲ってくれたから、きっとそのせいだろう。さあ行こうぜ、もうすぐ予鈴だ」テオは生まれてこのかた、ずっと甲高い声だった。「ほら、ぼけっとつっ立ってないでさ。鏡なんか出すなよ」フィフォースはさっきから、エレガントな鏡の中を食い入るように見つめていた。「あんたはまともじゃないね。高校にスーツで来るとは。大スターになれるよ」
「それにはまず、アウトサイダーにならなきゃ」
クソメガネは、内側にトリスタン・ツァラの白黒写真と〈ダダ万歳!〉のサンセリフ体が張られたロッカーの戸を閉め、歩き出した。「さて、明日はいよいよ例のテオナハール・ケンブリッジ横高校と喧嘩する日だね。まったく、ケンブリッジとは百キロは離れているくせに、何が横高校なんだか!」
「喧嘩にはモルカルド・トゥルーリも加わるらしい」フィフォースが言った。
「全ては奴の〈V・V〉二周年記念が原因だ。あの式典よりは、エマングの資本主義パーティーのほうがまだマシさ。テオも気の毒に。〈税金教室〉を休んでまで健気に参加しただなんて」エマングは毎年十二月五日、自らの誕生をイエス=キリストのそれと同じくらい他人の脳裏に刻み込ませるため、パーティーを開くのだった。「あの式典は最悪だったな。開催場所に〈ミン・チャン〉を指定するとは、奴も老いぼれたもんだぜ」
「しかも、〈ミン・チャン〉のテーブルといったら、油でグランドピアノ並みに艶やかだった!」
「いいか、おれはあの店がクリーニング屋だったときのことを知ってるぞ」フィフォースは二十センチ下にいるテオに向かって、苦笑いを浮かべてみせた。「おれがタキシードをクリーニングに出した途端、あそこは中華料理店になったんだ」ちなみに、おれもトゥルーリ主催の〈V・V〉結成二周年記念式典にはリハーサルのみ参加した。リベもその日の日記を盛り上げるために無理やり〈ミン・チャン〉に来ていた。奴は自分の死後に日記が出版されるというかすかな希望を抱いていた。
「あのときは、あんたのじいさんが来てくれて良かったよ」テオは言った。
「でも、その代わり、式典の本番が中止されただろ、だから〈ミン・チャン〉、予約キャンセルで赤字らしいよ。テオナハールの卒業生のアルファ・グッドマンとベータ・ウベベーも式典に来る手筈になってたことも考えると、グッドマンとウベベー、こっちを永遠に許さないだろうね」
「おれたち、テオナハール・ケンブリッジのドイツ野郎に逆さづりにされるんだよ」
ケル・ケラングが、野暮ったい前髪をいじくりまわしながら小声で言った。
「あいつのパンチは、マーマロンドン幼稚園の頃から痛かったよ。なのにトゥルーリときたら、明日の喧嘩について全然関心ないんだよ。おれが『トゥルーリさん、こんど〈テオケン〉の連中が、あんたをぶちのめしに来るってよ』と言ったら、『おれをぶちのめしにバルカン半島にでも行けばいいさ』なんて答えてね。おれが思うに、あいつら、バルカン半島じゃなく、ここへ来るんだよ」
「ウーロウ・パッチルデルスとドルゴラース・タティントゥー」エマングは敵の名前を連呼した。「どっちも鈍くさいが、キレると手に負えねえ」
「おれ、いやだよ」ケラングは泣きそうな顔になっていた。「前々から、ドイツ野郎に目つけられてるんだもん」
おれは言った。「やあ、シトワイヤン。〈テオケン〉への詫びの気持ちも込めて、連中を〈ライヴ・オブ・パ〉に招待するのはどうかな?」
「だめだよ」テオが腕くみして(ちっともかっこよくなかった)言った。
「あんたの〈ライヴ・オブ・パ〉とやらには、怒りを増幅させる効果がある。でも大丈夫だ。なんてったって〈サウケン〉軍には、ジュネ・カダールがいるんだから」
「あの女は寝不足だよ」おれが言った。「しかも、カフェイン中毒だ。コンディションがうまく調整されていない」
「どうしてわかるのさ?」
「あいつの顔をよく見てみろ」おれは〈ライヴ・オブ・パ〉のビラをクソメガネの手に押し付けながら言った。奴の手に浮かんでいた脂汗のおかげで、ビラは程よく張り付いた。
「目の下には隈が浮かび、顔全体がむくんでるんだ」
「そんなこと、どうだっていいや」ケルが自信なさげに呟いた。
おれは息と同レベルに声を発した。「黙れ、ゴリラ。おれはこないだ、ゴリラに脱毛を奨励するために、ロンドン動物園へ行ったよ」ケルはちっともゴリラに似ていなかったので、これは腹の底から出たでまかせだった。おれは〈ライヴ・オブ・パ〉のリハーサルをしながら、その場を去った。「バババババ・パ・パ・パ、バババババ・パ・パ・パ……」
「〈ライヴ・オブ・パ〉には、ぜひ出席するよ」馬面とも鹿面ともいえるリベルジェ・イベルセンが、物理の参考書を抱えて背後からやってきた。「いい記事が書けるだろうからね。それにしても、エマングとケラングにはいい加減むかついたよ。さっき、車椅子のジャクリーン・メイスンの通行を邪魔してた。ケラングなんて、エマングがいなけりゃ何もできないくせに、ひどいことするよ。あとは、あのクソメガネとスーツ野郎のコンビ、ありゃ最悪だね。だけど、あれでケラング、ジャクリーン・メイスンが好きならしいよ。ロッポロが言ってた。自分の気持ちを素直に表現できないんだね、あいつ」
「月並みな野郎だ」おれは歯噛みした。「リベ、今度の喧嘩には出る?」
「コンディションが良ければ」との答えだった。おれは、リベが間近で見ると結構な美青年だということに気がつき、自分の目を疑った。おれはリベとほとんどの授業で会うことになっていた。さらに言えば、ケラングを除く例の連中とは、いつも一緒だった。
「そういえば、誰が〈ランディー君〉だか、わかったよ」われわれは二年五組の教室に入場した。おれがせっかく綺麗にした黒板には、テオドール・ケントの憎たらしい筆跡で〈虚栄心に乾杯!〉などと書かれていた。今まさにフィフォースが〈万国のプロレタリア、団結せよ!〉と赤いチョークで書き終えるところで、スピーカーからは無政府主義を推し進めるパンクが、大音量で流れていた。
「一年サッカー部にすごくかわいい男の子がいるんだって。きっとその子だよ」おれは何かをぶち壊したい気分でチョークを握り、〈バババババ・パ・パ・パ〉と書き殴った。おれは言った。「くそったれめ、他人を侮辱する勇気もないくせに、おれが〈ミン・チャン〉のテーブル並みにつやつやにした黒板を汚すってのかよ」それからおれは煙草を吸い始めた。奴らを馬鹿にすることなど、そこらへんに転がっている三角形の合同を証明するのよりもさらに簡単だった。
ふと気がつくと、おれの周囲は煙でもうもうとし、一メートルほど先にいたテオドール・ケントが背中を折り曲げ、哀れっぽく咳をしていた。自分を結核になった詩人とでも考えているのは明らかだった。おれはニコチンと二酸化炭素を程よく含んだ息をわざと奴に浴びせた。バッテンベルク・ジスレーヌも空咳を繰り返していた。ラインハルトが言った。
「バッテンかわいい」
エム・エマング、ケル・ケラング、ライラック・スマトラ、ロッポロ・マトスミス、フィフォース・コントラスト・エシャンドルは、豚のような目でおれを睨み付けていた。リベが言った。
「連中、あんたを睨んでるよ」
「奴らには、おれのように煙草を吸う度胸がないのさ」おれは大声で言った。
「どうせ、吸おうとした途端、親の顔だの、イエス=キリストの全身像だの胸像だのが浮かんできてしまうのさ」リベはすぐさま日記におれの発言を書き付け、ひがんでいるような口調で呟いた。
「いいな、パのお母さんやお父さんは、リヨンにいるんだって?ずっと遠くじゃないか。妹さんも出ていったって言ったよね。あんたは道徳的なもの―つまり血縁からは、ほとんど自由なんだな」
「そうじゃない。おれは道徳を捨てたんだ」おれはリベの日記を口述した。
「二〇××年×月×日日曜日、わたしの知人カーネギー・パ・プリカは十字架をテムズ河に投げ込み、初めて母親からの手紙に返信しなかった。そして煙草を吸い、酒を飲み、〈ライヴ・オブ・パ〉を開き、親切な隣町のおばあさんの猫をいじめ、おばあさんがくれたケーキをスプーンで圧縮した。さらには、スーパーのレジ係の目前で脱税をした。また、教会で〈フック・ユー〉と叫び、その場を追い出された。夕暮れ時、人様の墓前に痰を供え、知りもしない他人の葬式に参列し、それまで彼が定期的に雑誌を送ってもらい、リヨンから転校してきたばかりで友だちのいなかったころ、何度か身を寄せていたボランティア団体を、馬鹿にする内容のパンフレットをピカデリーサーカスで配布した。だが、彼は全く酔っていなかった。それどころか、当時の彼なら、フェルマーの最終定理さえも導き出すことができただろう。まあ、今でもカーネギー・パ・プリカには、十分にその素質があるだろうが。
それからパは、〈ミン・チャン〉の店長とトゥルーリ、アルファ・グッドマンとベータ・ウベベーを呼び、ラーメンを下水溝に吐き出すところを見せつけ、彼らと麻雀やポーカー、非合法なカジノを楽しみ、持ち金を失った。その後ウベベーを殴ったパは、ちょうどパトロールしていたスコットランド・ヤードにひったてられ、ドラッグ常用者と間違われた。パは気まぐれから麻疹の予防接種を受けに行き、その帰りにヴィクトリア駅でロンドン・タイムズの号外をもらった。彼は、今日こそは運命の日だと思った。パは家に帰ると、『サイバネティックス』を二時間で読破し、大部分を理解してしまった。彼は某質問センターに電話をかけ、エム・エマングの脱税を密告した。八時頃、我らのパは、〈税金教室〉に行った。この詰め込み塾にはほかにも、テオドール・ケントやラインハルト・バンニーなどが通っている。その日は、お試し講座にマイク・モリエ、ケル・ケラング、ゲイのフィフォースの姿もあった。連中は、つい最近転入してきたジュネ・カダールについて話し合っていた。カダールは学校前で、カワサキのオートバイでフロントターンをしてから構内に入ってきたので、随分と話題になっていたのだ。それに、かなり前から彼女が美人だということが、われわれには知られていた。例えば、わたしは九月の始業式のことを、まざまざと思い出すことができる。わたしたちは威風堂々が垂れ流れる講堂を、行進させられる捕虜のようなツラで、一列になって歩いていた。シティで父親が財閥を展開しており、五歳にして〈小さな資本主義者〉の名をほしいままにしたマイク・モリエは、ケル・ケラングに囁いた。
「しかし、驚いたな」パの考えでは、奴は地球が爆発してもエマングと呼ばれ続けるということだった。「おれたちがみんな、同じクラスだなんて。ケル、おれと一緒になったからって、ここをモデル育成所と勘違いするなよ」パによれば、奴はモデルとして消費税を稼いでいるらしかった。そういえばエマングは、わたしの馬面に比べれば、マシな顔をしている(わたしは、これでも時折人から美青年と言われる。そういった人はみな、自分の眼を疑うそうだ)。エマングとケラングは、そろって席に着いた。ケラングときたら、エマングといるときには、わたしの鞄の中身を床にばらまいたり、シューズを隠したりするくせに、一人では何もできないのだ。わたしは奴らの前の列に既に着席し、校長の話に耳を傾けていた。
「進級おめでとう」校長のピ・チョンソンは、五十歳以上年上の妻が受け取る年金を、牛乳でも搾るように搾取しているとされていた。つきとめたのはあのロッポロ・マトスミスだ。
「あなたたちの瞳は、ここから見る限り、とても輝いています。それは―」わたしはいぶかしく思って、周囲の人々の眼を眺めた。見たところ、網膜炎で目やにがきらきらしているライラック・スマトラ以外に、瞳が発光している人はいないようだった。ところで、わたしはライラック・スマトラとは初対面であったにもかかわらず、行動に入場するまでの時間、新しい名簿が配られた途端、それらの名前と顔を一致させることに全力を注いでいたので、彼のことをちゃんと認めることができていた。わたしは、クラスメイトの顔と名前をさっさと覚えないことは、周囲に対して無気力を発散させるのと同じだと考えている。しかし、エマングらは、到底網膜炎を患っている奴のことを知らなかった。
「なんだ、あいつ。オカマか?」(ライラック・スマトラは、ライリーを故意に詰まらせてリリーと呼ばれるようになった。それは、彼が無理やりメゾソプラノの声を絞り出しているからだ)。
エマングの言うことには何でも賛同するケラングは、見るだけで人をイライラさせる長い前髪をかき上げながら言った。
「バービカン中学の野郎だよ。二年前おれらピ・ムリコにペンキのはけで泥塗りやがった」
チビなため前列に座るしかないテオドール・ケントが、例のきいきい声で言った(彼は先ほどから年金搾取者に背中を向けていたため、いつでもわたしと目が合い、不審を極めた)。
「みんな、保護者席にトゥルーリがいるぜ」
「なんだって?」男子生徒のほとんどが後ろを向いた。わたしもかすかな興味を感じ、わずかに体を後方へ向け、保護者席に、ワイシャツのボタンを全開にしたイタリア人の姿を確認した。
「まったく、誰を保護してるつもりなんだか知らないが」フィフォース・コントラスト・エシャンドルは首を振った。エマングは気づくのが少し遅かった。
「ほんとだ、畜生!」ようやくトゥルーリを見つけると、彼は舌打ちして言った。
「ペンキのはけで泥を塗ったのがバービカンなら、そのはけをこしらえたのはあいつなんだぜ。隣にいるのはアルファ・グッドマンにベータ・ウベベーじゃないか。あの無知どもめ!」
「無知は嫌だね、たしかに」フィフォースはわざとらしい笑みを浮かべた。わたしは彼の演技を見抜いており、彼が大嫌いだったし(余談だが、彼はピ・ムリコ中学校のころ、2×3の回答を5にして笑われた)、そのいまいましい相棒、テオドール・ケントのことも好ましく思ってはいなかった。
「ところで、聞いたか?」金髪の天使エマングは、大そうなおしゃべりだった。
「フランスからの転入生がいるんだってよ。男だという話だ。ロッポロから聞いたんだが」
「ひどくかっこいいんだって」ライラック・スマトラが続けた。
ケラングはおずおずと声を発した。「ここはモデル育成所じゃないよね」
エマングは彼を睨み付けて黙らせた。―唐突ではあるが〈税金教室〉に話を戻そう。エマングが不快さをあらわにして言った。
「転入生、女だったじゃないか」みんなは一様にうなずいた。「ロッポロめ、嘘つきやがったな」そう、まさしくそのとおりで、ロッポロはほらを吹いたのだ。奴はハーメルンのほら吹き野郎だ、というパの意見には、みなが賛成した。これにはわたしも賛成だ。あの転入生がやって来た日、校舎の昇降口は、公共向けに開かれていた。エマングがモデルのような歩き方でゴキブリのようにこちらに向かってきて、わめいた。「一体何事だ?」外からは、オートバイのエンジンの音が聞こえてきていた。「犬の鳴き声じゃないってことは確かだが。おい、テオにフィフォース、ちょいと見に行こうぜ」
「そうとも、あんな風に鳴く犬は保健所に叩き込んでやらねば」と、フィフォースは力強く言った。その反面、テオは成績を気にしていたので、先生に気に入られることが必要不可欠ということもあり、しばらく立ち尽くしていた。「まったく!」エマングがつぶやいた。
「先公のご寵愛なんぞ、どうして必要なのかね?」
「先生はみな出払ってる!」ライラック・スマトラがせきこんで昇降口に現れた。
「大変な騒ぎだよ。転入生がバイクで来たんだ。フロントターンで入ってきたんだぜ」
連中はわたしの後ろをばたばたと駆け抜けていった。そのときテオドール・ケントがバーバリーのコートのボタンを上から下まできっかり閉め、ぴちぴちしたスキニージーンズを履いていたことは、わたしの眼に焼きついている。フィフォースはスーツのポケットに手を突っ込んだまま、不快そうに言った。
「野次馬の中心にいるのがおれだったらな!」
「中心には何もないさ」テオが早口に言った。
わたしとゴルフ部でいっしょのテラシー・アベール、それにカーネギー・パ・プリカ(当時のパはアフロヘアでも挑発的でもなく、リヨンから来たばかりで友だちの少ないことにおびえている、ただの地味な生徒だった)は、背伸びしてバイクの転入生を見ようとやっきになっていたが、突然ゴリラ並みの力で押しのけられた。エマング、ケラング、フィフォース、クソメガネの四人組だった。エマングが言った。「どいてろ、ザコども。二等席はあっちだぜ」
「一等席はトイレの便座だぞ」わたしもかっとなって吠えた。テラシーとパは横でびくびくしていた、あるいはそんなようなふうを装っていた。エマングらクソ野郎どもは、もう転入生の前に現れていた。グランドピアノのようにつやつやした、大きなオートバイに乗った黒髪の女の子が目の前にいて、おびえた表情で周囲を見回している。フィフォースが言った。
「犬はどうした」
「おいおい、ロッポロの奴、あの情報屋にかぎって、間違えるってことがあるのかね」
エマングは威勢よく言った。「女だったのか、転入生ってのは。肺が黒ずんでいそうだな」
「肝臓もめちゃめちゃさ」ケルも言った。「だけどこの子、ここをモデル育成所と思い込んで来たみたいだ。同じクラスで光栄だよ」
「〈ミン・チャン〉のテーブルみたいなバイクですね」テオが言った。
「それは賛辞ですか?」転入生はケル並みにおびえていて、人混みの中のわたしと目が合うと、あわてて下を向いた。健康極まりない心臓に、マッサージを受けたようだった。わたしはあの女の子を知っているぞ!エマングなんかのことより、ずっとよく知っている。エマングはマリヤ・ユーリとか、キャロル・ユルリックみたいな軽々しい女を誘うときの、お得意の表情をして、転入生に向かって言った。
「明日〈V・V〉二周年記念式典リハーサルをやるんだ。来ないか?ソーホーの中華料理店〈ミン・チャン〉で十時集合だ。ああ―〈Ⅴ・V〉ってのは、モルカルド・トゥルーリの作ったチームだ。本来は、〈ブイヨン・ブヨン〉と呼ぶところなんだが、あんなぶよぶよした言葉、口に出したくないからさ」

 

II. エマングのエマングによるエマングのための政府

社会的な受精卵

ランチのあと、教室で政見演説が行われた。まずはアナウンスのロッポロ・マトスミスがおれの履歴などについて解説した。「無所属の新人で……」マリヤ・ユーリたちのほうからクスクス笑いがきこえた。「無所属の猿人で―いや、失礼しました」マトスミスは真っ赤になった。「パ党の新人で、一九九三年フランスのリヨンで生まれた。バスティーユ幼稚園、モンマルトル小中学校を経由して今に至る。スポンサーはショーディッチとセント・ジェームズの〈税金教室〉……」
「みなさん、どうぞよろしくおねがいします」おれはにこやかに言った。つづいて、テオドール・ケントが紹介された。
「泥党の新人で、一九九三年アメリカのニューヨークで生まれた。マーマロンドン幼稚園、ピ・ムリコ小中学校を経て、」
「奴はダラス刑務所も経ているぞ」おれが言った。
「そこ、静かに」マトスミスは壇上からわめいた。「二〇一〇年、サウスケンジントン進学高校理数科に入学。スポンサーはニューヨークのケント証券です」
「ぼくが学級委員になったら、みんなが仲よく過ごせるクラスを作っていきたいと思います」と、クソメガネは上ずった声で言った。「そこで、次の言葉をモットーに掲げたいと思います。〈ローマは一日にして成らず〉。この言葉どおり、良いクラスが決して一日で生み出されるわけではありません。しかし、みんなで力を合わせれば―」
すると、野次が飛んだ。「党員二名なんて、憲法違反だぞ!」イベルセンが最も馬鹿でかい声を出していた。「そうだそうだ!」
フィフォース・コントラスト・エシャンドルが、いきなり壇上に上がり出て、マトスミスの持っていたとんかちで教卓を叩くと、大声で言った。「いつかそんな憲法、改正してやる」
十二月五日、おれはエマングたちと昼食をとった。ちなみにエマングも、殺虫消毒実行委員会に立候補していた。おれは言った。「みんなが、自分のスニーカーに足裏の神経が通ってるなんて考えている奴に投票するわけがないよな」

 

 

III. 〈ライヴ・オブ・パ〉

雨上がりのセント・ジェームズ・パーク

 

IV. 予言者

ハロウィーンのエマング

 

V. ナポリを見てから

一触即発

 

2017年9月17日公開

© 2017 司馬乂

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学園モノ

"F.C.E"へのコメント 1

  • 投稿者 | 2017-09-17 17:11

    司馬乂です
    中学から高校にかけて書いていた小説です
    小説自体は完成しているといっていい状態なのですが、まだ打ち込んでいないため、随時更新します
    よろしくお願いします

    著者
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