ある朝の毒虫-A

ある朝の毒虫(第10話)

斧田小夜

小説

12,054文字

三人の前にあらわれた男は一体誰なのか?

シーシを腕に抱えたまま、タォヤマは慎重に後ずさった。膝はまだしゃんとしていないが、シーシを守らねばならないと直感的に彼は悟ったのだった。

「あのおじちゃんのお肉おいしかったね、シーシ知ってるよ」

肉? とチトが険しい顔でシーシを振り返った。しかしすぐに視線を戻し、姿勢を低くする。

彼女の視線の先にいるのは、腕が風船のように膨らんだ男だ。シーシのいう「おじちゃん」とやらが誰だったかタォヤマはまだ思い出せていなかったが、すくなくとも今のタォヤマがあの男に太刀打ちできるわけがないことだけははっきりとわかった。

「おお」芝居がかった仕草で男は両手を広げた。「お嬢ちゃん、覚えててくれたのか。うれしいねぇ」

「うん! お肉おいしかったよぉ!」

タォヤマ、とチトが低い声を発した。「こいつ知ってんの?」

「わからん。ニンゲンなんてみんな同じに見える」

「バカ。あいつはリュボヤだよ」

「そうなのか? ニンゲンに見える」

「これだからユフは……」

そりゃそうさ、と男は鼻で笑った。先ほどまでは完璧なバツヴァク語だったが、流暢な第三公用語に変わった。

「リュボヤとニンゲンの違いがわかるのはリュボヤだけだぞ、嬢ちゃんは世間知らずだな」

「うっさいなっ!」

「その点ユフはわかりやすいよなぁ、見た目からして違うし」

唇の両端を引き上げて男は表情を作った。笑顔、パトリシアがよく見せる表情と同じだ。チトにたいしてもセブジがしょっちゅうそんな表情を作っていた。ポジティブな表現を意味していると図鑑にあったが、セブジの様子を見る限りポジティブな気持ちでないときも作る表情らしいとタォヤマは思っていた。この男がなぜ今、その表情を見せたのかはわからない。

「ま、俺もユフの見分けはつかないんだけどな。イミグレーションはイェナに渡航記録が残ってないやつがきたって言ってたけど、それがあんたかどうかもわかんないんだからさ! でも中央BBNYAC空港では再構築リビルドがどうのこうのとか言ってたらしいっていう情報があったからね、空港からずっと見張らせてもらったよ」

にこにこと男は笑っている。気の良さそうな、どこにでもいる男だ。とても悪名高いVOAのメンバーだとは信じられない。タォヤマはうっすらと恐怖を感じてシーシをしっかりと胸に抱いた。

「再構築ってなんだ……? ヴェシュミ・ビセのことか?」

「なんじゃない?」

「俺達はこのまま延々と再構築されないほうが嬉しいんでね、ちょいと取引でもしないかって相談に来たわけさ」

タォヤマとチトのひそひそ話は聞こえていないのか、男は軽く腕を広げ、目を大きく開いた。そして肩をすくめて口を尖らせる。なにを意味するジェスチャーなのか、全くわからない。

が、話していることは別だ。

VOAの言い分としては筋が通っている、とタォヤマは冷静に思った。彼らの目的はニンゲン社会を混乱させること、イェナ再生計画が頓挫するのも嬉しくないはずだし、成功したとしても旨味がない。このまま延々とデモやら、あわよくば暴動が起こったほうが彼らは混乱に乗じて「狩り」をしやすくなる。

しかし、だったらどうしてタォヤマに接触してきたのか?

タォヤマの所属するダヮウェーユ Ltd.は会社だ。利益が出なければやっていけない。利益を出すためにはヴェシュミ・ビセを完了させて客から支払いを受けなければならないのだから、VOAの狙いとは真っ向から対立するに決まっているのである。

そもそもだ、とタォヤマは目を細めて腹の中で憤怒した。リュボヤのいうことでもあまり信用できないのに、VOAとどうして取引ができるのか?

「悪い話じゃねぇよ。あんたのとこだって仕事でやってんだろ。ただちょっと俺達とはさ、利害が対立するけど、対立するんなら話し合って妥協案をさがさなくちゃ」

「なに企んでんだ」

体の重心を後ろにずらしてシーシがぱちりとまつげを持ち上げた。なにとはなく親指を吸い始めた彼女はぱちぱちと可愛らしいまばたきをふたつして、こてんと彼の胸に頭をあずけてしまった。男の話には興味がないらしい。

白い建物のむこうには緑けぶる広場がある。そちらまで行けば人通りはあるようだが、空中に突き出したこの灰色のステージには枯れた蔦が地面をはっているばかりだ。強い風がふいていてあっという間に体温が下がってしまいそうだが、チトが隠れるようにぴったりとタォヤマの背中にくっついているのでなんとか体温は維持されている。

「俺達がなにをしようとニンゲンはそろそろ喧嘩を始める頃合いだからな。ちょっと火花を散らせば爆発する。あんたたちが余計ないことしなきゃね」

「つまり指をくわえて見てろって言ってんのか?」

「正直なこというとあんたが、なんだっけ、ええと、裁定者だっていう確証がなくてね。それで出方を伺ってたんだよ」

唐突に話を戻して男は明るい声をはりあげた。誰かに聞きとがめられるとは全く思っていないような声量だ。それとも聞きとがめられても問題がないとたかを括っているのか?

「もう二人いるよな。たまに来てるやつとここんとこずっと来てないやつ。たまに来るやつは気にしなくていいんだろ。あいつは裁定者じゃないし」

セブジとオガのことを言っているのは間違いない。たまに来るやつというのがセブジであるのは疑いようもないが、しかし気にしなくていいというのは不可解だ。セブジでは確かにイェナのヴェシュミ・ビセは行えないが、そう入っても彼だって一般的なユフよりは力がある。建物の一つや二つは造作なくスプシュトするし、きちんとメリヴォを作る時間さえ設ければもう少し大きな――例えば新興住宅街の一角を作ることもあるし、市街地の内装を一斉に入れ替えるテクニックも持ち合わせている。では、だれが彼のことをシュルニュクではないといったのか? オガか?

「俺達にゃユフだってことしかわかんないからねぇ……しかもあんた、こっちの入管ではビジネス・ミーティングがあるからとしか言わなかったんだろ。あの毛むくじゃらと合流してたからだいたいあたりはついたけど、あんたがたまにしか来ないやつなのか、ここんとこずっと来てないやつなのか、それとも新顔なのか、全然関係ない新しいビジネスの相手なのか、なぁんて俺たちにはさっぱりわかんないわけだ。その子と一緒にいるのをみたときにもしかしたらって思ったけど、ただ拾っただけかもしんねぇしな。そんでもってイェナの再開発の話をしても初めて知ったみたいな顔してシラ切りやがってさぁ! 大した演技だったよ、あれは」

げらげらと天を仰いで男は笑った。腰に手をあて、膨らんだ二の腕を誇示しているようだ。先程ほとんど同じ話をしていたはずなのに、微妙に話の内容が異なっている。不気味だ。念のため栄養剤パウチを背腕で掴み取ってタォヤマは歯を剥いた。この男からは全く邪気が感じられない。それが余計に気味の悪さを引き立たせている。

「……チトとシーシのことは知ってたのか?」

「そりゃね」軽く肩をすくめ、男はあっさり頷いた。「あんまり深入りすると危ないから手出しはしやしねぇが、知ってるこた知ってるよ」

「知っててほったらかしてたのか? チトだって昔は――」

「そりゃあんたたちだって人のこと言えねぇだろ」

ちゅうちゅうと音をたててシーシが指を吸っている。とろんとした目をまたたかせた彼女はまた大あくびをして小さな頭をタォヤマの胸にこすりつけた。また眠くなってきたようだ。

「……俺は、違う――」

「違いやしねぇだろうよ。ユフは長生きなんだからあんただって知ってたんだろ? とにかく悪い話じゃねぇよ。長引く分は後で帳尻があうように払うってさ」

「嫌だって言ったら?」

「いやなのか?」ふん、と鼻を鳴らして男は顎をしゃくった。「再構築する時はその女の子を殺すんだろ。いくら俺達だってそんな……ねぇ。ユフってやつは大したもんだよ」

ケッと鼻を鳴らして男は下顎をつきだした。まるでガイのような表情をする男だ。

「嬢ちゃんもな、あの捜査官とこいたってなんにもいいことねぇぞ。あいつらは命令されたらあっちこっちどこでも行くし、前の赴任地は覚えちゃいねぇ。その点、俺達はずっといる。仲良くできるのはどっちかな?」

「……でもあんたたち悪いやつじゃん」

「悪くなんかないさ。たしかに時々ニンゲンを拝借することもあるけど、あんたらだってその辺の木を引っこ抜いたり花を摘んだりするだろ。おんなじことだよ。もしそれがダメだってんなら、あんたがニンゲン作ってくれりゃいいんだ。え? 違うかい? 国際条約がニンゲンの飼育も食用クローンの生成も禁止してるけど――」

「ニンゲンは高度知的生命体だから」むっとしてタォヤマは言い返した。「だから養殖は禁止されてる。植物は知的生命体じゃない」

「でもニンゲンは知性のある生き物の肉を食うだろ。工場で人工肉を生産してるけど、天然物とかなんとかいって生き物殺して食ってるっていうじゃねぇか。まぁうちでも出してんだけど」

げらげらと胸をそらして男は笑った。そらぞらしい響きだった。タォヤマは左上腕でチトをかばいながら、半歩あとずさった。

「それに聞いた話じゃ意識のないニンゲンはニンゲンじゃないらしいから、食っても別にかまやしねぇよな。けど、ニンゲンはそれもダメだって禁止しやがった。おかしくないか? 俺達は間違ったことはやっちゃない、変なことを言ってるのはニンゲンの方さ」

「だったら正々堂々と主張すりゃいいだろ。こんなふうに影で対立を煽ってたって……」

「そんなことしてる間に文化は消えるんだよ。そのうちニンゲンをどうやって食ったらいいかわかんないやつらだらけになる。だいたいニンゲンと話し合いができると思ってんのか? すぐに世代交代するから、伝言ゲームになるし、だいたい世代交代されたらまた一からやり直しなんだぞ」

ぐ、と口角をさげて男は天を仰いだ。やはり邪気は感じられない。ニンゲンを無断で狩っていることを能天気に認めている。そんな彼の話を聞いていると、なにもかもが正しいように聞こえてくる。

ダメだ、とタォヤマはシーシを抱き寄せたまま思った。このままでは口車に乗せられる。当人がVOAを自称して罪の暴露もしているのだから、今のうちにトルシュを呼びつけて彼を――

「俺、聞いたんだよね。あんたんとこの会社、なんていうんだっけ? 忘れちったな、まぁいいや。ここんとこずっと来てないやつがいないとここの改修はできないんだろ」

「オガはぁ、もういいのよ」こそこそとタォヤマの胸元あたりの布をいじっていたシーシが唐突に声をあげた。「シーシ、ターヤマと――友達になったもん、だからいいんだ」

きらきらとした舌っ足らずな口調で声を発した――というよりは叫んだと表現するほうが適切だろう――シーシに男は眉を上げ下げしたが、返事はため息一つだった。シーシのことはハナからまともに聞く耳を持っていないとわかる態度だ。

しかし――

「あんた、あいつじゃないよな」

「…………」

「黙ってたって無駄だよ。名前が違うのはわかってんだ。偽名使ってなけりゃ、あいつとあんたは同一人物・・じゃない。だろ?」

だったら聞くなと歯をきしませてタォヤマは静かに罵倒した。背中につかまっているチトの手が汗ばんでいる。体温があがり、彼女のせいでタォヤマも汗びっしょりだった。強風が吹いているのでなんとか立っていられるが、シーシを抱えているときはチトにあまり近寄らないほうがいいらしい。

「あいつが来るまでなぁんにもできやしないんだから取引したようなもんじゃねぇか。黙ってそのつもりでいたってかまいやしなかったんだけど、俺は紳士協定ってやつが好きでさ。卑怯はよくないよ」

「俺が今すぐスプシュトするって言ったら?」

「そん時はそん時だ。俺達だってカードはひとつじゃない」

腰に再び手をあて、男は肩をそびやかした。自信満々の顔だ。たぶんここにいるのは彼だけではないのだろう。ぐるりとあたりに耳をそばだててみても気配は感じられないが、 空港の入国審査のやりとりまでばれているのだから、イェナの生活のかなりの部分にリュボヤが侵入していると見るのが道理だ。

「取引成立だってんなら、そうだなぁ、その子、面倒見てやろうか? 死なれちゃ困るんだろ。もちろん食ったりなんかしないさ、大事な大事なお守りだからな」

「シーシはあげないよ!」

「あんたもどうせならうちにくればいいよ。店に出てくれりゃこっちとしても助かるし、給料ももちろん払うさ。そしたら金が手に入って、好きな服も買えるし、おしゃれもできるし、ボーイフレンドだってできるかも。あいつらのとこにいたんじゃ、反対派のとこの子供だって白い目で見られたまんまだけど、こっちに来りゃ天国だ。どうだよ。それとも保護施設SPAFに行きたいのか? 行ったらその子とは離れ離れ、二度と会えなくなる」

右手を外側に動かす仕草をみせ、男はまた肩をそびやかした。言い終えてからふたたび口角をぐっとさげ、片眉をあげる。なにもかもわかっているという顔――そういえばそんな仕草を地球系コミュニケーション図鑑で見た――でチトの出方を探っている。

チトはタォヤマの中腕にしがみついている。両手でぎゅっとと絞るように中腕の関節の少し下のあたりを握り込み、唇を尖らせている。

彼女もわかっているはずだ。捜査官の下にいるのは現状維持、VOAの元に戻れば仲間がいる。彼らは彼女を利用するつもりでいるのは明らかだが、利用されている間は仲間がいるし、食事にも容易にありつくことができる、と。いずれそうなることを見越して、捜査官たちは彼女を育てたのだから。

「……嘘だよ。そうやって、騙そうとしたって……あたし、わかってんだから……」

「でも現に俺は普通に暮らしてるぞ」

「いつか、捕まるかもしんないんでしょ……」

「いつかっていつだ? やつらが俺の名前を言ってたか? 俺の店のことは知ってる?」大袈裟にますます両腕を開いて男は前のめりになった。眼球がこぼれ落ちるのではないかと言うほど目を見開いて口元には薄っすらと笑みを浮かべている。解釈できない表情だ。「どうだよ、聞いたことないだろうよ。捕まるやつってぇのはだいたい決まってんだ。俺は捕まらないやつ、だからなんにも心配はいらない」

「……あたしは、捕まる、方なんでしょ。だって、トルシュは、あたしのこと知ってるもん……」

「おいおい、言い訳も考えられないおバカちゃんなのか?」はん、と息を吐いて男はわらった。胸をはって誇示をしている仕草だが、この響きはチトを小馬鹿にしたのだろうとタォヤマは黙ったまま推測した。チトの掴んでいる上腕が痛い。

「ああ、先にいっとくけど、ここから飛べる場所には必ず誰かがいるから、あんたらは逃げられないよ。つまり、俺達に協力するって言うまでは逃げられない。ま、別に」手のひらを二人に向けて彼は小首をかしげた。「拒否する話じゃないだろ。不利益ないんだし」

タォヤマは空を仰いだ。上は空まで抜けている。背後はホバーカーの通り道になっており、振動が聞こえるところを見ると少し下にシャトルが通っているのだろう。直上にむけて短距離なら空間変形しても耐えられそうだが、足場がない。横方向はホバーカーの事故原因になりかねないし避けたいところだ。

となるとあとはおとなしくトルシュを呼ぶか、セブジを呼ぶか――トルシュを呼んでチトといざこざがあったことにすれば地下の彼の部屋に戻れるかもしれないが、緊急でないとなれば無視をされる可能性もある。デモはまだ収まっておらず、一触即発の状況ならトルシュだってそちらに注力したいはずだ。VOAの末端メンバー一人を逮捕したところで尻尾切りにしかならないだろう。男の口調ではイェナの至る所にVOAのメンバーがひそんでいるように思われるし、トルシュも本丸を落としたいから地下でじっと息を潜めているのではないか?

それでも、やはりトルシュを呼ぶべきか? セブジが来てもただ人数が増えるだけだ――それくらいなら木でもスプシュトして新しい〈通路〉を作れるような位置を作り出すか? ガイの言っていたことは気になるが、それほど高くない木ならなんとかなるかもしれない。

「さあ、お嬢ちゃんもこっちおいで。おいしい牛肉のパイを作ってあげるよ」

考え込んでいたタォヤマはぎょっとしてシーシをの背に手を添えた。急に猫なで声になっが男は前かがみになって両手をふっている。なにかとおもいきやシーシに話しかけているらしい。親指をくわえているシーシはぐうと背中をそらして男の方を見たが、ふん、とまるで大人のように鼻を鳴らしてタォヤマの胸に顔をうずめてしまった。気に入らないらしい。

「おやあ? 恥ずかしがり屋さんかな? 怖いおじさんじゃないんだから大丈夫だよ。こっちにはお肉もあるし、チップスもあるし、ケーキもアイスクリームもある! ぜぇんぶ食べていいんだぞ、すごいだろう」

「や」

はっきりとした声で拒否をしてシーシはかぶりを振った。

「シーシ、ターヤマがいいの」

「そいつと一緒にいると食べられちゃうぞ」

「シーシ、いいもん」ぷくんと?を膨らませてシーシは言い返した。「シーシ、オガはもうきやいなの。ターヤマのが好きだもん」

胸の内を冷たい手が撫でたような錯覚をする。ほんの一時前に自分が言った言葉が思い出され、タォヤマは胸を詰まらせた。シーシはなにもかも理解してタォヤマの元へやって来たのだった。大きくなることがどういうことなのか、彼女は完璧に理解しているらしかった。それでもなお彼女は大きくなりたいのだ。メリヴォとして破壊され、新しいイェナになる夢を見ている。

「おや、嫌われちゃったな」

ぎゅっとまたチトが指に力を込めた。小鼻をひくひくとさせて男を睨みつけているチトはいつのまにか顔を真っ赤にして唇を噛んでいる。腹をたてている? 泣き出しそう? どちらとも言えない表情だ。

「チト――」

「あたし」ひくりとチトが喉を鳴らした。しかし彼女はそれ以上言葉を発せなかった。歯をくいしばり、ぽろぽろと涙を流している。

「チト。とりあえず脱出しよう」

「シーシ、おっきくなるんだもんね! すっごくおっきくなるんだから! もうしらない!」

きんきんとシーシの声が耳を刺すが、タォヤマはぐっとこらえてチトに囁いた。

「直上何メートルまで飛べば新しい〈通路〉の経路を見つけられる?」

「やんなっちゃう!」

いやにこましゃくれた口調で言い放ったシーシはむんずとタォヤマの胸元をつかんだ。しかし今はそれに構っている場合ではない。

「でも、〈通路〉……」

「初期位置が変わると経路もかわるんだろ。直上なら空いてる。あんまり重量のあるものはスプシュトできないけど、ある程度なら――」

「あたし」

「とりあえず逃げてどこかに落ち着かないと」

「でも、あたし」

「シーシが喋る番だよぉ! シーシはぁ、ここにいるのぉ! どこもいかないんだからぁ!」

タォヤマは混乱した。鼻をすすっているチトのことはまだわからなくもない。なにに腹を立てているのか定かではないが、男の言葉に心を揺さぶられて不安定になっているのだろう。養育所育ちのタォヤマには優しい言葉をかける存在に対する憎しみがよくわかる。そして心が揺さぶられる自分の弱さに腹が立つ気持ちもわかるのだった。

しかしシーシはわからない。なにに喚いているのかもわからないし、どうやって納めればよいのかもわからない。そのうえうっかりしていると彼女の蹴り出したつま先が腹にめり込んで息が詰まってしまう。

「おいおい、大丈夫かぁ? 手伝おうか? 俺ぁ、子供の世話にはなれてるぞ。なんたって六人も育てたからな」

「来るな」

焦ってタォヤマは中腕を突き出した。まだ左上腕を掴んでいるチトは静かに鼻をすすりあげて体を震わせており、男が近づけば激高して噛み付いてもおかしくなかった。子供は猛獣のようなものだ。気を抜いていると噛みつかれ、食われてしまう。

「あやしてやるからちょっと貸しなよ。二人も泣いてちゃ大変だろ」

「いいから来るな」

「心配するなよ。困ったときはお互いさまさ、これを餌に取引をせまろうなんてせせこましいことは――」

と、その時だ。

はっと上空を仰いだシーシが突然喉から金属質な悲鳴をほとばらせた。可聴域すれすれの金属音に思わずタォヤマは飛び上がりかけたが、ぐっと腹に力を入れて耐える。そのすきをついてシーシは突然タォヤマの腹を足場に、地面に飛び降りてしまった。そしてタォヤマの足の間に頭を突っ込んでまた静かになる。男も彼女の豹変ぶりには驚いたのか、両手を顔の横に掲げて目を丸くしている。

「シーシ……?」

「あちゃ、もうバレたか」

 

 

男が形相を変えた瞬間に最悪の事態を察知して、タォヤマは仮想棚に手を突っ込んだ。

(武器!)

手近にあったものを掴んでみたものの、武器のイメージができない。焦った彼は反射的に指に掴んでいたものを前方に放り投げた。

緑が走る。

あとから、あとから指の先を視点に緑が飛び出してくる。いけない、とタォヤマは息を止めた。暴走する――

「タォヤマ!」

ぎゅっと彼は指を握りしめた。走り始めた緑は一直線に男へ向かっている。口を大きく開いた男がふところから黒光りするものを取り出そうとしているが、彼の指の動きよりも早くうねった緑の線が一息に彼の体を飲み込む。

「あえー」

「シーシ! こっちきて!」

「や」

ぎょっとして彼は足元を見下ろした。

指先からはまだ青緑色の線が流れ落ち、地面にぶつかるたびに水のように弾けちっている。その飛沫がシーシの頬にはね、ほんのりと赤みがかった白い肌を汚している。

シーシは笑っている。きらきらと若草色の目を輝かせ、下唇を噛んで笑っている。タォヤマが暴走していることに気づいていないのか? それとも暴走が危険なことだとわかっていないのか? あるいは彼女はタォヤマの暴走をのぞんでいたのかも――

「タォヤマはそれ以上動くな!」

突然の声にぎくりとして彼は肩をすぼめた。それからカッとなって空を仰いだ。

セブジの声だ。さきほど緊張感のない声がした時からそこにいるのはわかっているが、居丈高に動くなと命令されると腹が立つのだった。彼はやみくもに背腕を宙に突っ込んで口の中で罵声をとばした。

「セブジ――!」

彼は瞠目した。空から無色透明の塊が落ちてくる。ほとんど重量を感じない落下速度にもかかわらず、それは男の直上とタォヤマの直上で同時にぶちゅり、と湿った音を立てて潰れた。

「! ! !」

とっさにシーシとチトの頭を腕で守り、タォヤマは頭をかばった。ボタボタと鈍い音を立てて合成石の上に広がった無色透明の物体はその場で震えている。 害のあるものではなさそうだが、目的は不明だ。しかもベトベトする。

「うえ、なにこれ……」

うげえ、と男がうめき声をたてた。いつのまにか緑の線のからみつかれ、輪郭しかわからなくなっているが、幸いにも生きていたらしい。緑の線をかきわけようと手を払っていた男はその動きのせいで、ベトベトに捕まってしまったようだ。

手を動かすと体のあちこちについたベトベトが広がり、ますます身動きが取れなくなる。地面いっぱいに広がってしまった残骸を踏み越えるのは容易ではなく、タォヤマは顔をしかめた。動かないほうが得策だと判断したのである。

「なんだよ、これ! うわぁ、善良な市民になんちゅうことを……」

「どーこが。ま、でもちょっとやりすぎたかな」

ぺたん、とシーシが尻もちをついた。ぽかんと口をひらいているシーシは、あえーとまたうめき声をもらし、タォヤマに向かって両手を差し出した。「ターヤマぁ、だっこぉ」

「ちょっと待って……」

「だっこぉ」

ああ、と彼はため息をついた。空からはもそもそと複数人の声がするが、セブジの声以外はよく聞こえない。念のためゴミを左背腕に掴んだまま、タォヤマは空を睨んだ。
憎たらしい、セブジの声だ。彼から三人は逃げ出したはずだった。でもいま彼の声をきいてほっとしたのは確かだ。

ホバーカーの音が近づいている。姿が見えないのは光学迷彩を展開しているせいか。それともタォヤマが太陽の眩しさに目がくらんでしまっているせいなのか?

「当たり前ですよ。五人分も投げちゃって、五人分ですよ、五人分。大丈夫かなあ……」

「しょーがないだろぉ、あのまま暴走されちゃたまらんぞ」

「ガイだぁ」

まだぐすぐすと泣いているチトの腕をどうにかつかんで、タォヤマはますますむっとして空を睨んだ。男は地面のベトベトに足を取られ、びたん、と音を立てて両手をついたところだ。ああなってしまったらもう動けないだろう。タォヤマの額にもべとべとが流れ落ちてきており、非常に不愉快だった。不愉快さのせいで腹の底が刺激され、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。

彼は息を吸った。

「セブジ! 出てこい!」

「ああ、いかん。オカンムリだ」

「ふざけんなよ! なんだよ、このベトベト! ガイも!」

「そう怒るなって、助けてやっただろぉ。ちょっと待ってな」

なにがちょっと待てだ、とタォヤマは歯を軋ませた。太陽の光を浴びているベトベトはまだ震えている。こんなのんきなやり取りをしていてVOAの援軍が来たら、一環のおわりだ。いくらシーシが切り札だといっても真っ向から対立するタォヤマはなにをされるかわかったものではない。

「ちくしょう、あのやろう……」

「どっこいせぇ!」

ポツン、と空に黒いシミができる。と思った瞬間に黒いシミは大きくなり、空中からにょろりとセブジが飛び出してくる。セブジのくせに〈通路〉を使ったらしい。ますますタォヤマは苛立って背腕を大上段に構えた。

「あー、こりゃ大変だ。待て待て待て! スプシュトするなよ!」

「…………」

「まあそう怒るなよ。あいつ、捕まえなきゃいけなかったんだからしょーがないだろうよ」

なにがしょうがないだ、とタォヤマは憤慨した。セブジと顔を合わせていると腹が沸騰して頭までおかしくなりそうだ。

「お前さんもおとなしくしてるんだよ。いくら私人逮捕だって言ったてねぇ、こっちには爆弾もあるし、野獣もいる!」

「美しい野獣ですよ」

「あ? なんだって? とにかくぅ、逃げられっこないんだよ、観念しなさい」

タォヤマのすねにしがみついているシーシは胡乱げな顔をしてセブジの方をじっと見ている。その視線の先のセブジは楽しそうにニヤニヤとしているが、鋭い歯をむき出してカチカチと音を鳴らしているせいでまるで獲物を捕食しようとしている昆虫のようにも見えるのだった。

「ちっきしょう、俺は捕まんねぇほうだって聞いてたのによぉ……ちくしょう、こんなことなら爆破させるもん、なんか持ってくればよかった……」

「物騒なこと言ってんじゃないよ。だいたい運が悪いのはあんただけじゃないよ」

「どうだかね。でもあんたも残念だったね、俺の首にかかってる報奨金なんて大した額じゃないし、取引に乗ったほうが儲かったと思うよ。今からでも遅くないよ、どうだい、話に乗らないかい」

まだ言ってるのかよ、とえらそうに中腕を腰に当ててセブジは呆れ顔になった。右上腕は大上段に構えて男の眉間を狙っているが、それ以外の腕でべとべとをかき分けて男を救出――確保しようとしているらしい。しかしそのままでは共倒れになるだけではないのか? 念のため右背腕を掲げたままタォヤマは様子をうかがった。

「紛争ごっこはもう終わりだよ」

「んなわけねぇさ。俺と違って真ん中にいるやつらは頭がいいんだ――」

「そいつらが捕まったって聞いたら?」

タォヤマにしがみついているシーシはすっかりおとなしくなり、口をとがらせて拗ねている。しかしチトはえづくほどにしゃくりあげていて、心配になるほどだ。地球系コミュニケーション図鑑にあったとおり背中をなでてやっているが、落ち着くどころかますます激しくなっているように思われる。

ふん、と男は鼻を鳴らしてセブジの言葉を一蹴した。

「嘘をつくならもっとうまくやるんだな。そんなの……」

「信じられないならちょっと耳すましてみな」

つい。

つい、つられてタォヤマは首を伸ばした。地面から、シャトルが走る振動が伝わってくる。上空で旋回しているのはガイのホバーカーだろう。だがそれ以外――

静かだ。

地面の揺れもシャトルがいってしまえばふっつりと途絶え、風が虚ろにビルの間を吹き抜けている。

デモの音が聞こえない。人が生活を営む音が掻き消え、いつの間にか静寂に乗っ取られている。

「…………?」

「捜査してるのはリュボヤだけじゃないんだぞ」

ずるずると男をゲルの塊の中から引きずりだしながら、セブジは静かに言った。ふざけていないときの彼はまるで別人のようだ。彼が腹を立てて流れるように主張をまくし立てているときも、誰かの前で自信満々に演説をしているときも、こうして静かに誰かを諭しているときも、タォヤマはなぜか寂しくなる。彼がタォヤマのもとへ戻ってきてくれないような予感がするからかもしれない。

「まさか……!」

「そう! そのまさかだな。ちょうど十五分前に『VOA捜査イェナ支部』のメンバーが逮捕されたってさ。VOAと結託し、イェナの騒乱をあおって禁猟を犯した罪で。ついでにもう一つ悪いお知らせがあって、G331星系にあるといわれていたVOAのアジトも同時刻から家宅捜索をはじめたそうだ。残念ながらVOAは壊滅だな」

2017年9月9日公開

作品集『ある朝の毒虫』第10話 (全12話)

© 2017 斧田小夜

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