理非道賛歌 リビドーサンカ 第1章

理非道賛歌 リビドーサンカ(第2話)

大和柚希

小説

14,904文字

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第1章

 

   一人で暮らす自室にて、私は余所行きの服を着て、化粧を自身に施す。

   自分が就職活動の時に作っていた、自然で健康的な印象、それは些かでは済まない違和を私に与えた。その為、今では極力にそう言った行動は自ら避けている。何せ、落ち着かなくて気持ちが悪いのだ。自身の存在が分離して、一人歩きを開始する感覚。その破綻を防ごうと必死に追い掛ける他方。それらの自分を思うと、履歴書を記入する時点から、意味の分からない競争が始まっていたのだろう。そして二者の距離が開いた状態にて、私は面接の場へと臨んでいたのかも知れなかった。
   別に、それらが私にとって、嘘や偽り、といった存在だとは捉えない。両方が、自分の姿だと思っている。
   私はこう言った仕事に就きたいから、こう言った事を考えて、こう言った姿で相手へと会う。それは、自立したいが為に。分離は、自分の願いと希望が募った結果だったのか。だからこそ私は、不採用通知を貰う度に、酷く落ち込んだ。
   他県にて、私の父親は私立高校の数学、母親は他の私立高校の英語担当者として、今頃も教鞭を振るっている事だろう。この両親は、自身が優等を受け続けた事しか無い為なのか、又はそう言った生徒のみを評価する職業に染まっているからなのか、大学卒業目前の娘を放り出してしまった。
   元々はT大学へと通学する目的で、T市のS区へと独居した私だったけれども、今から半年前に両親からこう通達されている。
「就職するか、進学するまで戻って来るな」
   これは命令、と言って差し支えが無いと思う。私の銀行口座へと、親から生活が出来る程度の振り込みは、たまにある。けれども当方は、その蓄えへと手を付けなかった。付けられない、と言うのが正しい表現かも知れない。
   私は自分を売って、金銭を手に入れる。そちらを選んで生きた方が、断然に楽だったのだ。
「骨が浮いているなあ」
   私は鏡面に映った、自分の鎖骨を見て、呟く。露骨にそれを主張する自分の体型は、皮膚と骨格だけで構成されている風にも、見えた。
   近頃は、食品を目にするだけで気分が悪くなる。暑さの所為だろうか。何かを身体に入れないといつしか倒れる事は知っているから、水、そして食べられるものは口にしている。しかし、親からの振り込みに手を付けず、身体を売る、つまりは男と寝る事で不定期に手に入る額は、少ない。最早、食べられてそれが栄養へと変換されたら何でも良い、と言う感情にて、私は何かを噛み砕いていた。美味しいものを満腹になるまで外食する、と言った発想は無く、自炊で作って食べる手間と時間、金銭が惜しくて気力も出ない。日々、無言にて独り、部屋の隅で何かを自分へと放り入れている。
   化粧は手順を追って、流れるままに進んだ。二十二歳にしては幼稚な顔の造りと、百六十センチメートルを超える身長はバランスが良くない。そう、自分で分かりつつも、椅子から立って全身鏡の前へと移動した。
   やはり、私は均衡が取られない。大学の学生に紛れて講義を受けても、もしかしたら高校生に紛れてもおかしくない位に童顔だ。反面で、体型には丈が長く、袖の無いワンピースがよく合っていた。
   そうして常に、私はアンビバレントの中を生きる。
   普段は他者との接触を断つ私が、外出の準備を行うのには、勿論に理由があった。「フィエスタ」だ。
   私はあの喫茶店で音楽を聴いた後、店員へと放送の事を訊ねた。その彼は、頬に髭をまばらに生やした中年の男性で、片方の耳にはピアスが刺さっている。
「今の曲、ですか。へえ」
「はい」
「お嬢さん、良い耳を持っているね。これはフィエスタと言うバンドの曲だ。俺も好きでね」
「フィエスタ、スペイン語ですね」
「そこまでは知らない。でも、そうか」
   少し視線を下げて黙り、店員は続ける。
「今の曲については、済まないが名前を忘れた。フィエスタは好きでも、この曲は俺の好みで無いから」
「多分、曲名はレフトライト、ではありませんか」
「そうかも知れない。フィエスタは、ここの地元のバンドだ。たまにだが、ライブも演る」
   言い終わると、店員は向こうで手を挙げた、女性客の元へと去って行く。その女性は先程から気怠そうに煙草をくゆらせ、どこか遠くの窓の外ばかりを見ていた。もしかしたら、早く私と店員の話が終わって欲しかったのかも知れない。
   私は手元に運ばれていた、冷めきっているコーヒーを啜る。この飲料に費やされた私の金銭は、栄養と成り得ない。単純に、排泄へと向かうだけだ。
   苦味で覚醒する頭の中へ、私はフィエスタ、レフトライト、の二つを刻み込む。

   そのフィエスタが出演する、と言うライブの情報を知った上で、現在の私は身支度を整えていた。情報を知ったのは全くの偶然で、調べ物を行う際に色々を見ていたら、告知が小さく紛れ込んでいたのだ。それには、四十代と思われる男性が四人、前から後ろへと少しずつ位置を変えて立つ写真が掲載されていた。全員が、怖い位に真顔で睨み付ける、と言っても合致しそうな位の眼で写っている。この人達があの様な曲を演奏する、と思うと、私は店員に教えられた内容を信じられなかった。
   けれども、それはもう後が無い、と言う雰囲気が滲む写真にも、私は捉えられる。
   会場は、私の住むアパートから地下鉄と徒歩にて、二十分程度は掛かるクラブハウスだった。彼等の盤を探すにしても、市販はされていなくて、その理由も分からず。だからこそ、私は直接に本人達を観て、曲を追体験したい、と言う衝動を抑え切られなかった。もしかしたら会場で物品販売が行われ、音源が手に入るかも知れない。仮にライブと言う場に耐えられなくなっても、せめてレフトライトは自分に収めて帰りたかった。
   何かへと押し込められた、実家住まいの時代や大学の頃は、この様な自由も効かなかったのだ。今でも私は自分の中へ収容されたままだけれども、監視の目が外れただけで、まだ気は楽になった。実家では、両親が常に目を光らせ、気に食わない事があると私は狂乱的に罵られたのだ。体罰を受けた記憶は無いけれども、少しでも彼等の価値観なり、理想から外れると、一人娘の自分はそれらを背負わされる。大学では単位、そしてTと言う名の下に品行方正を貫け、と言う空気に圧される毎日。卒業が確定してから、自分が売春へと走ったのは、そう言った経緯もある。
   両親が私を放り出そうと出さまいと、Tの校風が違うものだったならば、もっと以前から私は自分を売った事だろう。

   私の住むアパートが建つS区は、県庁所在地のT市の中でも外れにある、比較的に閑静な場所だ。T市は、幾つか大学が集まる都市だけれども、国立校は私の卒業したT大学しか無かった。
   そこは名門、と言われる学校だけれども、大した思い出も回想すべき事も、自分は所有していない。
   私の実家があるのは東北の地方で、両親は教師と言う職業柄、無理に標準語を日常から遣い、私にもそれを染み込ませた。周囲、例えば私の通っていた地元で有数の私立中高一貫進学校の同級生と私は、遣う言葉の違いで溝が埋まらずに終わる。周りが方言と本音を駆使して喋る中、私は標準語と建前しか出せない。何かを話そうとしても、言いたい事は標準へと変換されるのと同時に、無害だと思われる内容へと改築されてしまうのだ。
   標準な言葉も、無害な内容も、無機質に聞こえるらしく、そこへと溝が掘られて行った。
   当方が何かを発言しても、先方は、「余所者が口出ししている」としか見ない。誰からも本気で受け止めて貰えないから、私は次第に言いたい事を押し殺すか、無理に周囲へと合わせた。すると皆は気を良くしたもので、私を「そう言った人間」と認識し、結局は観念と言う枠の中へと窮屈に嵌め込んでしまう。
   その構図は、実家になると更に顕著だった。
   両親と私の三人が住むには、余りがあり過ぎる大きな一軒家。大きいと言うよりも、空疎、と表現した方が良いかも知れない。その中で展開される生活と圧力の負担に、私は潰れそうだった。出不精の父親は居間を独占し、潔癖症の気がある母親は隙間だらけの室内を神経質に掃除する。かく言う私は、出不精、そして潔癖に駆られる両親の溜めた鬱屈を、引き受けていた立場に居た感がしてならない。しかも、自身にはそれを発散なり、解放する相手を持っていなかった。
   鉛筆を何本も怒りに任せて折り、ペンを掌へと突き刺す。大学に合格し、地元を離れるまでの私は、正しく何もかもをそうして抱え込む人間だった。
   T大学は自分自身が決めた志望校で、両親はその知名度や偏差値に納得し、合格した場合の一人暮らしの許可を、私へいとも簡単に与えた。その時も今でも、私はこう思う。

「彼等は何も気付いていない」

   どうして娘が文学部の国文学科、近くにもある様なところへ行くに当たって、わざわざ関東の大学を志願したのか。更に、両親がその意志へと諸手を挙げて賛成する事についても。
   初めから、実家は上手く行く人員なり、関係が揃っていなかったのだと思い込むのが得策だ。私は、そう自分の中で家族を終わらせた。悟った瞬間に、何もかもが拒否すべき相手に見えて来て、私は他者へと関心が持てなくなる。
   T大学から合格通知が来ると、早々に私は引っ越した。これが自分の半生の中で、最も努力して行動した事だろう。
   早く逃げたい。逃げ出して一人で生きよう。
   切迫と言うべき思いは、大学生活の彩色も消して行く。常に何かへと向かって迷走を続ける自分と、何なのか自体が分からない、何か。
   一人と言うのは、孤独と言う訳でも無く、淋しいのでも無い。それらは「自由」の反面に付随して来る代償で、私はそれを求めてT市へと転居したのだから、甘んじて受けなければならない事実なのだ。生来の標準語に因り、私は大学で変だと避けられることは無かった。けれども、自身は努めて本を読み、音楽を聴き、自分の世界に閉じ籠もる。訊ねられた事にだけ応じ、自分からも必要のある時しか他者へと関わらない。
   その人付き合いは、楽だった。
   今では、ここが企業採用担当の引っ掛かった部分なのか、と思うけれども。
   コミュニケーションの能力が不十分。自分の内に溜め込む為に仕事が任せられない。当然に報告や連絡、相談も不可と見られる。
   大学を卒業し、就職浪人中の現在、自己を客観的に見る様になった。それで私は強烈に欠点を所有した物件だと気付いたのだが、遅い。それには成育歴や環境だったり、人々との関係だったりも影響がされているだろう。けれども、私は自分の中に空洞が常にある気がして、ならないのだ。全ての感情がそこを通り抜け、「どうでもいい」に帰結してしまう様な。

   階段を降り、私は地下鉄の駅で切符を購入した。フィエスタはどう言った雰囲気のライブを行うのかを、私は知らない。どう言った客層が集まるのかについても、無知だった。逆を言うと、「レフトライト」が自分にとって鮮烈を過ぎ、余りに自己を的確に表現しても居た為、どうにか聴きたい、その願いが大きい。バンドについて調べるにしても、フィエスタはT市を拠点に活動を行う男性の四人組、と言うのが限界で、音源も世に出しては居なかった。
   私はその、未知の存在へと半ば怯えもしながら、地下鉄の車両へと足を踏み入れる。自動扉が閉まると、走行音と照明がトンネルの中で反響した。平日の夕方、上り電車は下りと比較すると、格段に空いている。せいぜい、S区の近郊に通う学生が経由する位か。
   過去の事を思いながら目を閉じていると、クラブハウスの最寄り駅に車両は到着する。ライブのチケット代金は、ドリンク代を別にして、一人当たり千五百円だった。私にはこれが高いのか安いのか、判断が付き兼ねる。けれども、地下鉄の片道切符が二百五十円と言う実際を考慮すると、恐らくは安いのだろう。
   地上に出ると、同じT市でもS区とは違う中心街に、私は立っていた。人の群れに気分が悪くなる。慣れない、と言うよりは、受け付けない。頭の中で激しく雑音が木霊する。
   クラブハウスの場所だけを思いながら、私は何に対しても気を留めない様に歩いた。たまに人とぶつかって、冷たく苛立った目で見られても、私は言葉を失ったまま、歩く。
「クラブハウス・マウント」
   市街の中央から少し奥まった路地裏に、それはあった。入口の前に二つ折りの自立する看板が立ち、私はそれに目を遣る。
「フィエスタ、ラストライブ“レフトライト”」
   「レフトライト」と言う名称よりも、ラスト、と言う単語に私は目が行った。これがバンドにとって最後のライブ、と言う意味だろう。それで告知で見た、あの四人組は険しい眼を持っていたのか。
   他にも客と思われる人々が集まって来たけれども、皆も同様の反応を取る。
「え、ラストライブ」
「解散するのか、フィエスタ」
   会場前の細い路地で飛び交う会話に、私は更なる居心地の悪さを覚えた。自分の様な一曲しかバンドについて知らない小娘が、解散と言う節目に来て良いものか。しかし今回を逃すと、二度とレフトライトは聴けそうにも無い予感がした。
   立ち去ろうか、中に入ろうか。
   またアンビバレントの狭間で悩む自分に気が付いて、私は少しだけ肩を落とす。
   定刻が来て、店員が開場を告げる。私はこう言った経験が乏しい為に、諸々に紛れて必死に不安を隠し、前に立つ男性の真似を行った。その人は二千円を払い、チケットの半分とパンフレット、あと何かの黄色い券を貰い、奥の広間へと入って行く。私も同様を行おうとすると、店員は一瞬、怪訝な目でこちらを見た。
「何でしょう、か」
「お嬢さん、未成年ですよね。こちらの黄色いドリンク券ですが、アルコールはちょっと」
「いえ、成人していますが」
「え、あ、失礼しました。何せ、フィエスタさんでこう言った子が来るのは珍しいと思って、つい」
   私は未成年に見られるのか。この当惑をどう処理したら良いのかを自分の中で悩みながら、私は広間の最後方の壁へと寄り掛かった。観客は断然に男性が多い。しかも、三十代から上、位の。女性は自分の受けた感覚だと、男性の連れ、と言ったところか。確かに店員の言った事は、的を射ている。私は珍しい種類の客だろう。
   壇上へとスポットライトが当たり、告知されていた四人が来た。ボーカル、ギター、ベース、ドラム。実際の彼等の眼は柔らかい印象に見えたものの、私は壁にもたれたまま、前へと動けない。三十人も居るのかどうか分からない、けれども密閉された場所で、私は人混みを避けようと頭の中で必死だった。そして、物品販売は行っていない様子が見える。
   鋭いギターの音で、耳慣れたメロディーが掻き鳴らされる。有名な洋楽のイントロが演奏され、ボーカルは白いシャツに首元を緩めた黒ネクタイの姿で、流暢な英語にて歌い始めた。
   平然と、余りにも自然に彼は歌うのに、演奏は反して過激だ。その対比に場が盛り上がっている様に、私は思った。ここで自分はどうしたら良いのだろう。考えあぐねながら、取り敢えず周りに合わせた表情を作る。
   五曲程度、しかも全てが私も知っている洋楽の曲が終わると、ドラムを担当する細身の男がマイクを手に、話し始めた。
「ライブに来て下さり、ありがとうございます。フィエスタです」
   拍手が起きる。
「あの、いきなりで驚かせたかとは思いますが、これはラストライブなのですよね、僕達にとっての」
   一挙に、場が静まり返った。
「今回のライブのタイトル、レフトライト、ですね。これは僕達にとって唯一のオリジナル曲で、曲が音源化されたら一旦は区切りを付けようと話していました」
   皆の目線は、壇上へと集中する。
「つまり、レフトライトの音源は、盤としてライブ後に、この会場で販売されます」
   私も思わず、顔を上げた。
「区切りを付けるだけです。これでバンドが終わる訳ではありません。けれども、僕達の中で、今迄のフィエスタは最後、なのですね。では、楽しんで行って下さい」
   そうか、と私はここへ来た事を後悔せずに済んだ自分へと、安心する。普段は飲まないアルコールでも口に入れようと思い、ドリンクのコーナーへと向かう。
   そこの隅には、男子学生に見える、太い黒縁の眼鏡を掛けた人物が居た。彼は細い指で缶のハイボールを片手に、憂鬱そうな顔で携帯電話を触っていた。
「お嬢さん、アルコールは駄目ですからね」
   ドリンクの担当者にもまた同じ釘を刺され、私は一層の事、生年月日の記載された、自分の運転免許証を出そうかと思う。
「この人はさっきも同じ事を言われていましたよ」
   男子学生が、私の背後からつまらなそうな、それで居て、笑いを堪えても居そうな声色で、告げた。
「リョウくん、となると、この子は」
「成人しているって言っていました、さっき」
   私は無言で首を縦に振り、何を頼むべきか分からないまま、男子学生と同じハイボールを缶で頼んだ。
「あの、すみませんでした」
   一言、私が声を掛けると、リョウと呼ばれた彼は、左手に携帯電話を持ったままで短い黒髪に触れながら、右手で缶を口に運ぶ。
「どうして謝るの」
「え、」
「俺はただ、見聞きした事を言ったまでだよ。フィエスタを観る学生さんみたいな人、初めてだったし」
   学生、そう言われて、私の心はざわついた。
「違います、学生、では無いです、私」
「じゃあ社会人なの」
「それとも、違います」
   彼は暫く私を見た後、少しだけ頬を緩める。
「フリーターとか、浪人生とかかな」
   私は困りながらも、答えた。
「言いにくいですが、就職浪人中です」
「そうなんだ、じゃあ俺と同級かな」
   私は相手を見上げる。彼の身長は、百七十五センチメートル程、あるだろう。
「あなたは社会人、ですか」
   逆に私が訊ねた。
「いや、大学生。留年している。一年」
   何と答えるべきか分からず、私は缶が右手を冷やして行くのを感じながら、立つ。
「名前、何て言うの」
   彼の問いに、私は答えた。
「キカ、です。ハヤセ、キカ」
「キカさんね。俺はリョウ。前、に垣根の垣、で、苗字がマエガキ。宜しく」

   友人も知人も誰一人として居ない中、自分に関心を持つ人間が現れた事に、私は少なからず吃驚していた。今までだったならば、皆は自分に興味が無く、そのまま流れて行き、私だけが残される。そう言った構図なり経路が、当然にあったから。
   未知の領域へ立つと、私は言い様の無い困惑に襲われる。レフトライト、を買ったら即座にアパートへと帰り、寝よう。思いながら、壇上へと意識を逸らす。コントラストの強い演奏が、再び始まっていた。
   ボーカルは無表情だった。ベースは音が強く響いている割に、奏者の雰囲気が弱い。ギターは演奏が上手いと素人の私でも思うけれども、弾いている本人は一切に観客を見なかった。バンド紹介とドラムの担当を行う者だけが、飛び跳ねた印象を与える。バンド内で最も対人関係能力があるのはこの人物なのかも知れない、と私は感じた。
「キカさん」
   唐突に名を呼ばれ、私は慌てて目線を戻す。
「はい、ええと」
「リョウ、で良いよ。同い年、二十三、でしょ」
「では、リョウさん。私は二十二歳ですから、そう呼びます」
「何でも良いけれどもさ。キカさんは、フィエスタを観に来たの」
   私は質問の真意が掴めなかった。
「それも何も、フィエスタのライブだから、来ているのでしょう」
「違う。フィエスタそのものに、興味があるのかどうか、を訊いている」
   リョウは他者の思考へ透視を出来る能力があるのだろうか。彼の訊ねる内容は、私が今、抱えている居辛さと重なっていたのだ。
「いえ、レフトライト、を聴きたいだけです」
   彼は私を一瞥し、また缶を口に持って行く。
「やっぱりね。観客席の後ろで顔だけ作って、この人は何をしているのかと思った」
「そう、ですか」
   向こうからは、英詞と演奏がこちら側へと流れ込む。それらは今、私達の背景としか成り得ていない。
「俺もレフトライト、好きだよ。けれどもライブに来るつもりは、もう無かった」
「それは、どうしてですか。前々からいらっしゃっていたのに、と言う事ですよね」
「フィエスタのメンバーが全員、俺の大学の卒業生でね」
   リョウの発する卒業、の単語は、耳障りが酷く悪い。私は罪悪を含む何か、を発言してしまった気分になった。
「はい」
「N学園大学なのだけれども、その上でドラムの高砂さんと俺は家がG市で近所。最後と聞いて、今日は都合を付けた」
   G市。ここ、T市から二十キロメートル程に離れた、住宅地と田舎町のイメージが混ざり合った場所だと、私は認識をしている。
「俺は、幼少から高砂さんに世話を焼いて貰ったので、来た。そう言えばキカさんは何処なの、家は」
「S区です。T市の、S区」
「へえ。学校も、こっちだったの」
「T大学、です」
   私は半ば自虐を混じらせ、白状した。世間では一目を置かれて良さそうな学校の卒業生が、就職浪人中。そう言った自分が恥ずかしい。しかしリョウは、平然と反応を返す。
「成程ね。何か、キカさんの事情と言うか理由は、見ていて分かる」
「え、」
   詳細を訊ねようと、私は彼の顔を初めて真っ直ぐに見る。一重の切れ長の目に、薄い唇。インパクトを付ける目的で、彼は眼鏡を掛けているのかも知れない。元々の造りは印象が薄そうな、そう言った顔へと、自分は捉えた。
「どう言う事ですか」
   リョウは私の問いに答えず、四人を指差す。
「もう直ぐ、終わりだと思う」
   彼等は、これまで持っていた楽器を身体から外している。
「最後、ですか」
「レフトライトは、流石にあの編成で演奏は出来ない」
   そうか、と私も納得した。恐らく、タイトルにも冠しただけがある為に、レフトライトは最後を飾る曲なのだろう。そしてこの曲は、過剰に尖らせ、歪ませたものとは違う、感触と記憶を私は持っていた。
   壇上では、ドラム担当、つまりはリョウの言う高砂が前に出て、話し始める。彼に光が当たった。
「では皆さん、次が最後です。全力で歌いますし、弾く用意がありますので、どうか聴いて下さい」
   他のメンバーはエレクトリック系統では無く、アコースティック系統の楽器を持ち替えている。
「先程も話しましたが、僕達の唯一のオリジナル曲です。これが人前で堂々と披露が出来る様になったから、と言うのも区切りの一つの意味では、あるのですが」
   会場は静まり返っている。皆が、高砂の次の言葉を待つ。
「レフトライト、右往左往、光が離れる、意味を入れました。僕達はあくまで、そう言った思いで音楽に携わっています」
   前奏が始まった。

   クラブハウスを出た私を、リョウが追い掛けて来る。
「キカさん」
   私は虚ろな目で、空白の中を歩いていたのだと思う。
「はい」
「驚いた。レフトライトの途中で、泣きながら出て行ったから」
「そう、ですか」
   あの曲を、私は再度は、聴けなかった。自分はフィエスタやレフトライトと同類だと思った瞬間に、この場所を出ないと自身が壊れる、と感じたから。手に持つ、開けてもいないハイボール缶は、夏の蒸し暑さに水滴を垂らす。
「ちょっと休んだ方が良いと思う。足取りがおかしい、キカさん」
「はい」
   リョウは私の左肩を支える。他人に触れられるのが久し振りだった私は、それに大変な違和を覚えた。けれども、何も反応を示せない。
「あそこに入ろう」
   前を見るにしても、濁った自分の視界。私はその中をリョウに連れられて、進んだ。扉が開かれ、それに取り付けられた鈴が鳴り響く。中は肌へと痛い位に、冷房が効いていた。
「マスター」
「お、リョウくん。いつもの帰りかい。フィエスタ、の」
「そう。ちょっとこの人を休ませたいから、ボックス席を借りられないかな」
「彼女、顔色が悪いな。直ぐに準備をするよ」
「済まないね」
   会話は、私の耳から耳へと抜けて行く。どうやら自分はこの場所にて、助けを得られる、らしい。今度は両肩を担がれ、移動させられた。見ると、リョウ、そして彼よりも若干に年上らしいワイシャツ姿の男性が自分を抱えていた。
「すみません」
   それだけを私は言い、席に着くと、右腕で顔を覆う。
「水を飲みなさい」
   男性が私へとそう言い、グラスを前のテーブルに置いて行くのが、眼前に置いた腕の隙間から見えた。
   数分が経っただろうか。混乱がある程度に収束し、私はやっとそのグラスに入った水を飲んだ。リョウはその様子を見て、口を開く。
「立ち入って悪いけれども、キカさんは、何かの具合が悪いのかな。所謂、メンタル、とか」
「かも、知れないです」
「病気、なのかな」
「そう言う所に行った事は、ありません」
「心を診る、病院の事だよね」
「はい」
   リョウは息を吐いて、低い声で語り出す。
「フィエスタ。高砂さん以外は、皆にそう言った感じがあるの、分かったかな」
   私もそれは、感じていた。
「はい」
「あのバンド自体もちょっと変わっているから、俺は高砂さんが居なかったら、ライブに行くのを止めようと思っていた」
「祭り、休み、ですからね」
   リョウは不思議そうに問う。
「それは、何が」
「フィエスタ、の意味。スペイン語です。彼等はそう言うものを求めていたのかな、と思いました」
   私の眼前で煙草を一本だけ取り出し、リョウは火を点けて、深く吸った。
「哲学だよね」
「恐らくは。難しいでしょうか」
「俺は、哲学が嫌いだ。考える事に意味は無いと思う」
   今度は、私がリョウの発言を退ける。
「多分、あの四人、高砂さんも含めてだと思いますが、相当に疲れていると感じました。だから鬱憤を晴らす為だとか、休息を求める気持ちがあって、フィエスタ、と名付けたのだと思います」
「難しい話だな。キカさんの主観も入っているし」
「分かりませんか」
「分かる様で、分からない」
   いつもこうして、自分の言葉や考えは、相手をすり抜ける。その度、私は更なる穴の奥底へと落ちる感覚を味わう。良い加減に、それへと慣れや限界が来ても、不思議では無いのに。
   リョウは黙って、彼の隣に置いていた肩掛け鞄から、何かを一枚、出した。その表面にはこう印字されている。
「フィエスタ   “レフトライト”」
   私は目を上げた。
「これは、」
「キカさんの分も急いで買ったから、渡そうと思っても、追い掛けた。販売の準備中に、店員に頼んで」
「金額は、幾らでしたか。払います」
「俺が勝手に買ったものだから、いい」
   私は無言でそれを手に取る。レフトライトの盤は薄く、文字だけの簡素なデザインとパッケージに包まれているだけ。重量は、殆ど無い。
「ありがとう、ございます」
  リョウは私の礼へと大して嬉しそうでも無く、無造作に手を挙げてマスターを呼んだ。右手に火の点いた煙草を持つその姿は、自分が初めてレフトライトを聴いた時に見た、喫茶店にて物憂げにこちらを見ていた女性を私に想起させる。
  誰かが、いつも何かを彼方から眺めている、と私は薄暗い店内を見渡しながら、思った。
  自分だけが突出して、生活や経歴に屈している訳では無いのだろう。他者の心情など、説明されないと私には分からないから、当然に彼等の思考体系も理解は出来ない。だから当方から先方を知る手掛かりとして、外観なり様子を観察して分析する、と言う実験めいた事を行う必要があった。私の対人接触は常に、実験そのものだ。成功するか失敗するか、いつも先が読めないままに当たっては砕けている。いつもそうなる、と言う事は、断然に自分は失敗する率が高い、と同義だろう。事実に気付いた今では、実験すらも止めてしまった。
  怖い、と言う感覚はある。面倒、と言う概念も存在していた。それらは拒絶、と表現するべき情動かも知れない。
  しかし、テーブルを挟み、私の目前に座るリョウは、やって来たマスターに何かを耳打ちすると、次は私に向かって話し掛ける。
「キカさんの事を、訊いて良いかな」
「はい」
  私は腕に着けた時計を、瞬間だけ見た。二十二時の少し前。こう言ったバー、らしき店で、同年代の男性と対面して話すのは、自分にとって初めてだった。
「Tを出て、就職浪人中と言っていたね」
  私は目線を相手から外す。言われた途端に現実へと引き戻され、私は家に帰った後に、自分が取ると思われる行動を、眼前に突き付けられる。このまま消えたいと思いながら、寝床でのたうち回る、毎晩の姿を。
「はい、そうです」
「俺は一回だけ留年しているけれども、論文が受理されたら、今年度に卒業が確定する。単位は十分に取ってあるから」
「卒業論文だけ認められると、大学を出られるのですね」
「そう。だから俺も、身分は就職活動生だよ」
  リョウの言葉を聞き、私は考え込んだ。学校を卒業しても何も実らないままに漂流する人間と、留年を経験しても卒業を予定されている立場の人間は、果たしてどちらが強いのだろう。社会的に、だったり、人々から見られる目に対し、だったり。
  私は就職活動として、ハローワークへ通う日々を送っている。大学には既卒生として応募が可能です、と言う求人が来るらしいけれども、到底に新卒生には敵わないと自己の内で判断していた。
  分かっている、自分は「売れ残り」だ。
  売れ残ったものは脇へと退けられ、誰の注目も集められなくなり、やがて腐って捨てられる。私は正に、この経路を辿っている最中なのだ。腐り掛け、それが現在位置だろうか。頭に掛かる圧力を拭う為に、私は話の方向を変えた。
「リョウさんは、N学園だから、私立の学生さんですよね」
「うん」
「何を勉強していらっしゃるのですか。学部とか」
「理工学部、電子電機学科。舌を噛みそうな名前だけれども」
「コンピュータ関係、ですか」
「そう。だから俺は、システムエンジニア職を探している」
  システムエンジニア。漠然と私は、最近によく聞くその職業が何を意味するもので、どう言った求め方をされるのかを、描く。しかし、文学ばかりを行っていた自分にとって、その作業はほぼ不可能だった。私の知る世界は、かくも矮小なのだ。
  逆に、リョウが訊ねて来た。
「キカさんは、どう言った職を探しているの」
  これを言うと、恥ずかしさに拍車が掛かる、けれども私は言う。
「クリエイティブ職、です」
「クリエイティブ」
「私は文学部の国文学科を出ているので、著述をしたいと思っています」
「作家、小説家の類かな」
「それも含まれますけれども、専業で食べて行くには余りに厳しい時代なのですね。私が目指しているのは、企業が抱える、著述者と言ったところでしょうか」
  リョウは首を捻った。
「想像が付かないな。どう言う事なの、具体的には」
「職で言えば、新聞の記者だったり、メディアに向けて情報や思想を纏めるライターだったり。分かりますか」
「でも、キカさんは、社会を知らない」
  突然の指摘に、私は目を丸くした。会ったばかり、話してまだ僅かばかりの人間が、何を言うのか。
  黙る私へ、リョウはばつが悪そうに頭を掻く。
「ごめん、俺の悪い癖が出た。ストレートに言ってしまう。でも、さっきから見ていると、そう言った印象を受ける」
「はい」
「T出身だからさ、キカさんは凄く優秀な人なのだろうと思うけれども、何かが欠落している感じも否めない」
「それは、雰囲気が、それとも人間として、ですか」
「詳しくは分からないよ。Nは、はっきり言うと二流の学校だし、屯している学生を見ていると、馬鹿だとしか思えない。俺だって、入りたくて入った訳では無いし」
  Nの事も、私は殆どを知らない。T市内にある私立大学、程度にしか捉えていなかった。
「じゃあ、どうしてリョウさんはNに入ったのですか」
「俺はいつも、第二志望に収められる人間だから。第一志望には、落ちた」
  自分の周囲には、今や第一も第二も、志望先が転がっていない状態なのですが、と私は返したくなる。けれども目を伏せ、リョウの話の続きを待った。自分の頭の中で考えが絡まり、纏まらなくなるのを感じながら。
「良いな。Tだからさ、当然にキカさんは第一志望に通ったと言う事だろう」
「そう、ですね」
「俺もそう言う体験が、してみたい」
  この人と自分は、どちらが可哀想なのか。私達は連絡先を交換した後、近くのビジネスホテルに行って、寝た。疲れていて、私はアパートに戻る気が持てなかったのだ。

2017年7月29日公開

作品集『理非道賛歌 リビドーサンカ』第2話 (全4話)

© 2017 大和柚希

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