ある朝の毒虫 – 8

ある朝の毒虫(第8話)

斧田小夜

小説

18,641文字

セブジとオガ。シーシがなぜできたのか、今明らかに。

セブジがタォヤマと出会ったのは百年ほど前だ。

運命のあの日、セブジは燦々と光が差し込む渡り廊下で忘れ物をとりにいった養成所の養育係を待ちながら、頭をひねっていた。どうしても目の前の光景に納得できなかったのである。

渡り廊下の上を覆うガラスの天井には蔦が絡みつき、涼やかな風を散らしている。地球系植物の旺盛な繁殖力については既知であるから、ゴオリバはともかくそれ以外の地域ではいつの間にかはびこってしまわないように厳重な監視が行われている。彼の訪れた街ペーザルは植物の撃退に成功した街として、あちこちで取り上げられていたはずだ。しかし一枚ちぎってみても、この感触はまったくフェイクとは思えない。

「あ、すいません。遅くなりました――ああ」背後からうんざりとしたようなため息が聞こえたので、セブジは指で葉をつまんだまま首をめぐらせた。やってきた養育係は表情を曇らせ、左中腕でセブジの手の中のものを指さしている。「いやぁ、『強すぎる』子がいましてね、制御できないんですよ。つい先日も暴走して――」

「地球系のイメージでも与えたんですか? ずいぶん精巧ですけど」

「いえ、なにも見せなくてもすぐにスプシュトしちゃうんですよ。できるだけ刺激を与えないように注意しているんですけど」

なるほど、とうなずいてセブジはもういちど青い葉をためつすがめつ眺めた。

何度みても感心する。濃い緑色をした表側はふれるとしっとりとした触感があるが、裏側は硬いかさかさとした素材に本物のように葉脈がはりめぐらされている。それだけでもおどろくが、茎には細かい産毛がはえており、引きちぎろうとするとぶちぶちと引きちぎれるような感触がある。よくある形だけを模したぺらぺらのプラスチックのような植物の葉とは一線を画す造形だ。細部にまで神経が行き渡っている 。いつの間にか地球系の植物が根付いてしまって、今では駆除の手が追いつかないのだと言われたとしてもきっと信じてしまうだろう。そんな正確なスプシュトができるわずか百歳にも満たない子供がいる――これはスカウトしに来た甲斐があると彼は胸を踊らせた。

だが、隣を歩いている養育係は浮かない顔をしている。

「あの子は本当に問題児で……」

「素行が悪いんですか?」

「いや、素行は別に……というより殻にとじこもってて扱いにくいというか……とにかく動くとなんでもスプシュトするんで困ってるんです。いくら強いって言ったってあれは強すぎますよ、本人のためには早々に腕を切ってもらったほうがいいかもしれませんね。とても日常生活をまともに送れる状態じゃないですから」

「へぇ、そりゃすごい。どこの系列ですか? 後で記録を――」

涼やかな音を立てている植物の隙間から太陽の光と一緒に野太い声がやってきて、セブジは思わずそちらを振り返った。声はコの字型になった建物の壁で反響しながら空に向かって助走をしている。首をのばしてそちらを見やると、地面が一面芝生となった中庭が見えた。はるばる養成所の寮からあるいてきて彼らはようやく講義棟の一角にたどり着いたところだから、これは授業の声か何かだろう。

「ああ、噂をしたら……あの子ですよ」養育係は陰気なため息を一つついて右中腕で地面を指差した。しかしセブジから見えるのはシワだらけの少し尖った頭だけだ。あれは大人の頭である。「たぶんちょうどこの下にいますね」

ふむ、とうなずいてセブジは渡り廊下から身を乗り出した。たしかにちょうど足元のあたりに子供たちがたむろしてわいわいと騒いでいる。まだ小さな子供たちだ。一番小さな子供は五十歳にも満たず、一番上でも百二十歳、金切り声をあげて走り回っていないだけまだおとなしい。

「どの子ですか?」

「あの壁際にいる……」右上腕の第二指をちょいちょいと動かして、養育係はまたもやため息をついた。「またなにかやらかしましたね、あの子」

指先の方向を追う。

講義棟の壁はどれもそっけない灰色をしているが、その一部に縦に模様がはいっている。よくみればそれはひび割れで、ひび割れの中からは緑色の植物がのぞいていた。緑色は地面に近づくほどに濃くなり、壁を這う蔦の密度も増える。そしてその中心に小柄な子供が一人立っている。

匂い立つほど濃い緑色にくらくらとしてセブジは渡り廊下の柱を掴んだ。まるで地球系の入植地にきてしまったようだ。うっかりするとこの植物は体の中にまで侵入してくるのでは、とはじめて地球系の入植地を訪れた時セブジは思ったものだったが、その場面を再現したかのような光景だった。

それにしても小さな少年だとセブジは思った。年の頃は分からないが身長や立ち方からして五十歳前後ではないだろう。百歳くらいだとすれば少し痩せすぎだし、なぜか年寄りのように背中が曲がっているのでますます年齢不詳に見える。少年は背中でぎゅっと背腕を組み合わせているようだ。体が震えているようにも見えるが大丈夫か、とセブジは訝った。

「あの子、いくつですか?」

「歳ですか? ええと――九十六歳だったと思いますね。年中隔離されてるんで、授業に出てくることがめったになくて」

「隔離?」

「他の子供達を危険にさらすわけにはいかないでしょう。落ち着くまでちょっと一人部屋にうつさせるんですよ、それだけです」

セブジは顔をしかめた。だが養成所というのはそういうところだ。セブジも養成所で育ったのでどんな場所かはよく知っているが、ちょくちょく一人隔離される少年の気持ちを忘れるほどセブジは年をとっていないのだった。

不愉快な養育係から目をそらし、ふたたび少年を観察する。彼が立ちすくんでいるのはなんということはない、大人に怒鳴られているからだ。少年の前に立ちはだかり、ガタイのいい教育係が頭の天辺まで真っ赤にして喚いている。ふつうの子供でも萎縮するような場面だろうに、あの少年はきっと消えてしまいたい気持ちになっているだろうとセブジは同情した。いずれにせよ、これは良くない事態だ。早めに止めなければならない。

「怒鳴るのはあんまり良くないですねぇ」

「ええ。でも怒鳴りたくもなりますよ。一時が万事これなんですから」渡り廊下の緑を顎でしゃくり、養育係は肩をすくめた。「それに命の危険を感じることもあるし――」

下にいる男が少年の肩を押している。よくない、とまたセブジは思った。スプシュトを制御できない子供の体に触れるのは平静なときであっても勇気が必要だ。だというのに怒りに任せて小突くなど、恐ろしく勇敢かバカか無知かのどれかである。あの男の場合は紛れもなくバカの部類だが、それに巻き込まれては少年もかわいそうだ。

「彼の利き手は?」

「背腕ですよ。今はちゃんと後ろで組んでるので危険じゃないと思います、かなり言い聞かせましたから」

「いや……」

「何度言ったらわかるんだ――!」男のひときわ大きな怒号が建物の壁に響き渡った。少年はますます小さな体をちぢこめて、中腕で体を抱え込んでいる。完全に守りに入っていてとても説教など聞ける状態ではなさそうだ。それどころか、すべての刺激を遮断しようとしているようにも見える。

危険だ。

思わず左右を見回してセブジは階下に降りる道を探した。どこかに階段はあるはずだと思ったが、目に見える範囲には見当たらない。しかも悪いことに階下にはシュルニュクの卵がわんさかといて、少しの刺激も混乱に拍車をかける可能性があった。特に幼少グループは怯えたように固まっているから、なにか事故が起こってもおかしくない。訓練をうけていない子供など猛獣のようなものだ。互いに喰い合いをはじめる可能性だってある。

そうしている間にも喚いている男は、あろうことか少年の肩を掴んで揺すぶり始めた。

セブジは舌を打った。実にバカな男だ。一度死んでも治らないバカかもしれない。

「離れて!」

手っ取り早く彼は怒鳴った。一斉に階下の子供たちが空を仰いでセブジに視線をむけたが、件の少年だけは動かなかった。遠目で見てもはっきりとわかる。肩をふるわせ、自分自身を守ろうと体をこわばらせている。怯えきって、正常な判断などできなくなってしまっている少年――強大な力を持つユフにとっては最悪の状況だ。たとえスプシュトに使う利き腕を縛り付けられていてもスプシュトしてしまうのが彼らなのだ。そしてこの少年もきっと――

「はやく! 離れて!」

子供たちも、元凶となった男も、ぽかんと口をあけてセブジを仰いでいる。彼は苛立って拳を手すりに叩きつけた。

「建物の中に入りなさい! 急いで!」

欄干に巻き付く蔦をむしりとり、頭のなかでイメージを組み立てる。少年の安全を確保することが第一、被害を最小限に食い止めるのが第二、そのためにはどうすればいい?

頭のなかにはじめに思い浮かんだのは毛布だった。少年を包み込み、安らぎを与えるやわらかい毛布――いや、とそこでセブジは頭をふってイメージを霧散させた。下手をすれば星を一つ作ることも可能な力を持つかもしれない相手に、一枚の毛布などなんになるというのか。もっとやわらかく、衝撃を一時的にでも吸収するもの――綿、クッション、泡――しかし当人を窒息死させてしまっては元も子もない――風船、雲、あるいは固い遮蔽物? しかし遮蔽物を打ち壊されてしまったら被害は甚大だ。その辺りでぼけっとしている子供たちまで怪我をしかねない。それに、とセブジは目を閉じて念をおした。あの少年に必要なものは暗闇だ。感覚を遮断し、彼を苛むもののない小さな密閉空間があればパニックがパニックを呼ぶことにはならないはずだ。巨大なバルーン。

カチリ、と思考がはまる音がする。少年の上に覆いかぶさる半球体ドーム状のバルーンのイメージを育てながら、セブジは闇雲に蔦を引き剥がした。ぐるぐると腕をふりまわしてそれをまるめ、大きく息を吸う。

「あの子の名前は?」

「タォヤマですが……あの、なにを?」

「はやく子供たちを誘導してください! 暴走しますよ、あの子!」

ぼんやりとしている養育係を腹の中で罵って、彼は右中腕を振りかぶった。この規模ならメリヴォをわざわざ作るほどのものではないが、メリヴォなしのスプシュトなどひさしぶりだ。うまくいく自信はない。しかし、このうすらぼんやりとした養育係と、怒鳴り散らしているバカな男がこの場面を切り抜けられるとはとても思えない。セブジは息を止め、力を振り絞って蔦を投げた。

空中に緑色の葉が舞う。

少年の頭の上に頼りなく飛んでいった蔦の玉は、意思を持っているようにぱっと広がった。ちょうど網状の形になって、自由落下する先端をおいかけるように、むくん、むくんと茎が膨張する。

ふたたびセブジは手近な蔦をむしりとった。

怒鳴っていた男はまだぽかんとしている。だが、目の前に網の先端が落ちてくると流石によろめくように後退った。彼と少年の間にできた境界はまだ膨張を続け、白いワタが茎からはみ出している。少年の姿が見えなくなる――

と、悲鳴があがった。

なにか起こったのではとぎょっとしたセブジは慌てて身を乗り出して階下を覗き込んだ。だが、見えたのは走り回る子供たちだけだ。少年より先に彼らがパニックに陥ったらしい。なにかに躓いてころんだ子供の一人がうっかりスプシュトしたらしく、ぬいぐるみが庭にころがっている。その上にちょこんと乗っかっているのは気味の悪い虫だ。しかしどれも小さなものなので危険はなさそうである。

走り回る子供たちは三々五々に散らばり、建物中に飛び込んでいってしまった。転んで泣き出した子供は年かさの子供たちが面倒を見ている。概してパニックに陥ったのは年少のこどもたちのようで、こちらは心配がなさそうだとセブジは胸をなでおろした。

「セブジさん、あぶない――――!」

大人の怒号にはっとセブジは首を巡らせた。チカチカと網膜に直接電気信号を伝える強烈な刺激が通りすぎる。焦点からはずれたぼやけた世界の中に灰色のシミが広がっている――違う、石だ。石柱が迫ってきているのだ――

とっさにセブジは欄干にしがみついている養育係の腕を取った。ぐんぐんと迫り来る石柱の少し前を風が走っている。吹き付ける風が音を立ててツタの葉をゆらしたが、セブジは落ち着いて欄干によじ登った。下から石柱が迫ってくる。

ガツン! と足の裏を衝撃が襲った。その一撃で渡り廊下は激しく揺れ、地面にカクカクとひびがはいる。

水平が――

合成建材の床を打ち砕いた石柱はまだ勢力を弱めず、激しい音を立てている。ガツン、ガツン、と二度の衝撃が加わり、建物との接合部からぼろぼろと瓦礫が崩れ落ちた。セブジは息を吸い、しっかりと養育係の腕を掴んだまま、欄干を蹴った。

体をかすめる石柱。細かい縦縞にかすれた黄金の彫金が施されている。太陽の光を受けるたびにそれが輝き、目に刺激を与えるのだ。彫金の施されていないところにはびっしりと細かい――セブジですら見たことのない文字が刻み込まれ、その文字を追いかけて蔦が表面を走り回っている。伸びる石柱の合間をすり抜けて青い鳥が一羽飛び去っていったが、それを目で追っている暇はなかった。

石柱が迫ってくるたびにセブジはクッションをスプシュトし、衝突をさけながら地面に降り立った。養育係は途中で気を失ったらしく静かなものだ。とりあえず地面にうっちゃって少年の様子を見に行かねばと適当なところでセブジは彼を放り投げてしまった。いつの間にか緑色の草原になっている小さな中庭を、白い繭に向かって走る。

あとから――あとから、石柱は伸びている。

規則性もなにもないように伸びている石柱は、ぶつかり合うたびにその先端が砕けるが、砕けた先端はまるで木組みのように別の石柱と組み合わさって、また空へと成長していくのだった。砕けた石は虹色に輝くガラスとなり、更にしたから伸びてきた石柱の上に落ちて再スプシュトされる。針のように鋭い先端はすでに講義棟の屋根を越え、それでもまだ勢い良く空に向かって伸びていた。

セブジは悟った。あの少年ははっきりとしたイメージをもってスプシュトをしている。しかもこの規模を、パニックの中で、だ。

たとえシュルニュクになるような力を持つユフでも、この規模のスプシュトをメリヴォなしでできるものはそういないだろう。イメージの中にはたいてい曖昧な点が残っているから、スプシュトをするとその曖昧な点が崩落の原因となる。少なくとも三階以上はある講義棟よりさらに大きな建造物を設計図なしで無事にスプシュトできるシュルニュクがこの世に一体何人いるのか。

ああ、とセブジは嘆息した。

打ち震えるほどの力。圧倒的に明晰なイメージ、そしてそれを操る才能。セブジが喉から手が出るほどにほしいそれを、この少年はやすやすと実現してみせる。決してうめられない圧倒的な彼我の違いにセブジは思わず嘆息を漏らした。その時に感じた思いは決して薄らぐらいものではなく、むしろ清々しさであったような気がする。

それが、タォヤマとの出会いだ。

 

 

予想にどおりタォヤマの反応は冷ややかだった。

セブジが蔦と綿の繭を切り裂いて中を覗き込んだ時、彼は膝を抱えて座り込んでいた。外界には一切に反応を示さず、固く目を閉じている。感覚をすべて遮断しているのは本能的に危険をさけているのだろうとセブジもスプシュトが終わるまでは彼に触れず、ただぼんやりと空に伸びていく尖塔を仰いでいた。そして彼は決心した。タォヤマを養育し、彼の欲しい人材として育てる。こんな養育施設はタォヤマをつぶすだけだ。

タォヤマのスプシュトした時計台は講義棟の二倍もの高さに達した。しかもどういうわけかぴったり一時間ごとに鐘の音を轟かせる。その音が聞こえるたびに養育係は順々にため息をつき、タォヤマにくどくどと説教をした。肝心のタォヤマは茫洋とした表情でまったく無視をしている。

「あなたもご覧になったでしょう、あれですよ! とても手におえる力じゃない、腕を切るのがこの子のためにも社会的にも最善なんです」

「いや、問題はパニックに陥らせたことだと思いますけど」

事務員の差し出したタォヤマの出生証明書から、血統図を検索する。おそらく誰か一人くらい血統に知り合いがいるだろうとセブジは思っていた。スプシュト力は後天的に得られるちからではなく、血統がものをいう。それに破壊的に力が強いユフは徹底的な管理下にあるから、都市専門シュルニュクを多く抱えるセブジの事務所とは一度ならずとも接触をしているはずだ。

「あなたは――」

「だいたい怒鳴りつけるなんて、ほんとに養育者養成学校を卒業したんですか? 絶対やるなって最初にいわれるでしょうに。もぐりはだめですよ、もぐりは」

いい加減に腹を立てたセブジは男の声を遮った。頭まで真っ赤にしている男は口をつぐんだが、目をぎらぎらとさせてセブジを睨みつけている。気の短い男のようだ。

「まったく、強すぎる子の養成所は別にして専門の養成員に教育してもらいたいもんですね、スカウトに来る手間が省けるし、あなた方だってその方がいいでしょう。強すぎるユフのことなんかわかりゃしないんですから」

「ええ、そうしていただきたいですな、こちらとしても」まだ顔を真っ赤にしているくせに男はふんぞり返って鷹揚に返事をした。精一杯見栄をはっているらしいが、実に底の浅い男である。「こっちだって毎日これじゃ身が持たないんですよ! たかが名もない一事務所の思惑に振り回されて命まで落としたくない――」

「なら話は早いですね。僕がこの子を引き取ります」

と、その時机の上が光った。白い細い線が絡みあい、交点に番号が浮き上がっている。血統図だ。タォヤマを示す個体識別番号は赤く点滅し、その少し上にいくつかの個体識別番号が年代別に羅列されている。セブジは苛立って一番手近にあった番号を指先で叩いた。こんなものはただの記号だ。先程のスプシュトがなにもかも語っている――

「まぁまぁお二人ともそう感情的に……」

「あなた方に任せていても腕を切れ、腕を切れってそればっかり吹き込むでしょう。腕を切れば確かに暴走はなくなりますよ、でも日常生活でどれだけ苦労するかご存じなんですか? だいたい!」

「セブジさん」

「生まれたときから死ぬまで自由にならない上に腕を切るように強要して教育を放棄するなんて――!」

「セブジさん、落ち着いてください。タォヤマの意思も尊重してあげなければ……」

おもわずセブジは左中腕の平を机の上に打ちすえた。少し立場が悪くなるとすぐにこれだ。意思を尊重するといえば聞こえはいいが、今まで散々力を否定され、失敗すれば閉じ込められ、意思を持たないようにと教えこまれてきたタォヤマが、急に顔を輝かせてセブジについていくと明るい声で言うとでも思っているのか? せいぜい養育係の顔色を伺って首を横に振るか、なにも反応しないかのどちらかだ。どう考えても初対面のセブジをえらぶはずがない。

「尊重。へえ、そりゃすばらしい理念ですね」

「この子はまだ子供ですし、後見人とも連絡をとってからでないと。なにより本人が望まないなら」年老いた所長は小さくしぼんだからだをまるめ、ためいきをひとつついた。セブジがこの養成所にいた時はよく怒鳴っていた男だ。年老いて雰囲気がかわっても、頭の中身は一つも変わっていないことくらい、セブジだって三百年近く生きているのだからわかっている。「暴走する危険に怯えながらの生活になるのですから、大人が責任をもって道を考えてあげなければなりません。ふつうの子ではありませんから」

「じゃあ聞きましょう」鼻から息をはき、セブジは胸の前で上腕を組んだ。頭のなかがカッカと燃えている。「タォヤマ、このままここにいるのとゴオリバにいくのとどっちがいい」

しん、と場は唐突に静まり返った。椅子の上で小さくなっていたタォヤマは口を尖らせ、目を細めている。

「正直にいってくれ。俺の仕事は才能あるシュルニュクがいなくちゃ成り立たないから、一緒に来てくれることを希望する。ここの人たちは危ないから腕を切り落としてくれって思ってる。どっちがいい」

タォヤマは口をますます尖らせ、物憂げにまばたきをした。するりと二つの目玉が動き、血統図の上にうかびあがった顔写真を見ている。

「どっちを選んだっていいよ、好きな方で。タォヤマの人生だ」

「…………」

もにょもにょと口の中で彼はなにかを呟いてまたふくれっ面にもどった。セブジは首をかしげ目を細めた。

「ごめん、よく聞こえなかったんだけどもう一回いってくれるかな」

「……どっちでもいい。ほっといてよ」

今度は顔を背け、タォヤマはさらに口を尖らせた。セブジは得心した。怯えるかおどおどしているのは予想していたが、そのどちらでもなくひねていたらしい。しかしひねているのなら見込みはある。自分の意志があるということだからだ。つまり養成所の職員の言い分も、セブジの言い分も聞きたくないという意思が。

「よし、それなら後見人と話をしよう。後見人は誰です? この中の……ああ、なんだ、オガの直系か、どうりで……後見人は?」

ぐい、と口元に力を入れた所長はその年老いた要望に似つかわしくない眼力でセブジを睨みつけた。養成所の職員はそこに在籍していた子供たちのことはよほどのことがない限り覚えていない。特に手のかからなかった優秀なタイプなどは在籍中から忘れ去ってしまうものだ。だからきっとセブジのことも覚えてはいないのだろう。

「この子の叔母のラウセさんですな」

「ラウセ? ああ、なんだ、なら話は――」

「彼女もここの卒業生です。ちょうどいまのタォヤマくらいの年のころに腕を切って……」

ええ、知ってますよとセブジは腹の中で毒づいた。そして腕を切ったことによる負担に苦しんでいまは酒が手放せません。だがこの所長はきっと耳も貸しはしないだろう。

「連絡をとってみましょう。忙しい方なのでつかまるかどうか」

セブジは鼻をならした。そして振り返った男を促すために中腕を軽く広げた。

 

 

「よく考えたら」

「ん?」

手をすり合わせながら皿がくるのをいまかいまかと待ち構えているオガは横顔で返事をした。

「仕事の話なら事務所で話せよ。外だとコンプライアンス的に――」

「あいつがいたからさぁ」

「あいつ?」

「なんだっけ。名前忘れたけどソファに寝てたやつ」

「タォヤマか」

タォヤマっていうのかぁ、とつぶやいたオガは通りかかったウェイターの持つ皿を覗き込んで、口をとがらせている。

こうやって対面しているとつくづく、客先で妙なことをしていないかと心配になるのだった。当のオガは大丈夫というし、客先からクレームが入ったこともないので特に口を出さないようにしてはいるが、オガに仕事を頼むときはいつも気が気ではない。

「なんで。別に聞かれたって問題ないだろ。あいつも一応社員になるんだし」

「でもあいつ、俺の後釜なんだろ」

「後釜っていうかさぁ……」セブジはため息をついた。「お前だっていつかは死ぬんだから、引き継ぎできる奴がいなきゃ困るだろうよ。どっか行ってる最中に急に心臓が止まったらどうすんだ?」

「キャンセルすればいい」

「おまえなぁ」

「いや、俺は別に気にしてないよ。けど今回の件は聞かれたら困るんだよねぇ。あ、あれかな」

落ち着けよ、と彼をたしなめてセブジはグラスの水に口をつけた。落ち着かなければならないのはセブジのほうだった。オガに主導権を握られると後でほうぼうに頭を下げて回らねばならなくなるのは経験上よくわかっている。

「それで? イェナはどうだったんだ。またあれか?」

「あれ? ああ、うん。例のごとく話はまとまってなかったよ。けど――あ、やっぱりあれだぞ」

「けど、なんだよ。なにか他に問題があった?」

まだ手をすりあわせながら、オガは上の空でうなずいた。こうなってしまったら食料が到着するのを待つほかない。セブジは目を閉じ、鼻から息を吐いた。彼の子供っぽさがいまは本当に苛立たしい。

無愛想なウェイターがつかつかとテーブルの隣まで歩いてきた。無言で皿を真ん中にどんと据えた彼は、意外に親切に取り皿を二人の前に差し出し、そしてまた無言で去っていった。彼のおいて行った皿の中には真っ赤な野菜の切れ端とその下に隠れる肉塊がてらてらとひかりながら白い湯気をあげている。オガの大好物、ホリワカセン鳥とガイゼンボウの蒸し焼きだ。ホリワカセン鳥自体はコリコリとした食感のある淡白な食材だが、その腹の中に詰める具材は店ごとの特色が出る。オガはこの店の詰め物が一番好きなのだそうだ。

「やっぱ帰ってきたらこれじゃないとな……」

「それで?」

「ん? ああ、イェナのことか。うん……」フォークとナイフで薄くホリワカセン鳥をスライスして、オガは自分の皿にそれを盛りつけた。次は赤い野菜の切れ端、すなわちガイゼンボウを取るはずだ。「VOAがいるから、ありゃ長引くぞ」

「VOA」

「そんな顔すんなって。飽きるまで待つしかないさ」

「あんな小さくて外部と接触のない街にいるなんて、街の改修で揉めたら絶対に首突っ込んでくるじゃないか。厄介だな……」

「んー。だから仕掛けをしてきた」

「仕掛け?」

おう、と元気よく返事はしたものの、オガは皿にほぼ顔を突っ込むようにして具をさらっている。おそらくセブジにたかる気に違いないのに、セブジのために少し残しておいてやろうなどという殊勝なことを考えないあたり、やはりオガはオガだ。その点でいえばタォヤマのほうがずっと大人――いや、良識がある。

「必要なのはVOAに気づかれないように調査する方法、たとえ気づかれたとしても簡単には手出しできないようななにか、そしてもしVOAが動いた場合に仲間割れするようなくびき、この三点だ。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ、セブジはあったま悪いからなぁ」

「悪かったな」

「俺ももう長くないんだからちゃんとしてくれなきゃ困るよ」

むっとしてセブジはオガの手からスプーンをひったくった。別にスプシュトしてもよかったのだが、奪いとってやりたい気分だったのだ。

「俺はオガとかほかのやつらとはちがうんだよ、やってる仕事もできる仕事も。そんでお前らは、俺のやってる仕事ができない。わかるか?」

「はいはい」

「それで? 仕掛けってのは?」

「メリヴォをおいてきた」

ふん、と鼻で返事をしてセブジは皿にこびりついていた詰め物をこそぎとった。当然という顔をしてオガはホリワカセン鳥のスライスにたっぷりと具をのせて口に運んでいるが、セブジの口に入るのはその一口の半分もない。彼は顔をしかめた。そしてだからオガと食事に出るのは嫌だったんだと腹の中で文句を言った。

「もう作ったのか? これからなにが起こるかわかんないのに? 完全に要求が変わるかもしれないんだぞ、なんでそんないい加減な――」

「いや、メリヴォのなかは空だよ、まだ」

まだ、とセブジはオウム返しした。オガの話の道筋がさっぱりと見えてこない。

「お前の作ったメリヴォとか、また厄介な地雷を……」

「んー、多分お前でもスプシュトできると思うけど」

セブジは憮然としてオガを睨んだ。彼の「お前でもできると思うけど」はもううんざりするほどきいてきたが、一度だってそうだった試しがない。それどころか会社に登録しているシュルニュクのほとんどができないのだから、うんざりするというものだ。これはそのうちタォヤマに引き継がせる案件になるだろう。

「で? それがなんでくびきとやらになるんだよ。ただメリヴォをおいてきただけだろ。時差式で展開するのか? もしそうなら回収に……」

「んや、勝手に展開はしないよ。なぁ、それまだ食うのか?」

当たり前だろう、と首を伸ばしたオガを押し返してセブジはウェイターを呼んだ。もう一皿、同じものを頼むためだ。

「中身は空だよ。自動で動いて情報を収集するようにしてるから、時間がたてばイェナをそっくりそのまま再現できるようにはなる。けど勝手に展開はしないよ、ちゃんとスプシュトしないと」

「ってことはつまり……?」

にやにやとオガは意地の悪い笑みを浮かべながら肉を頬張っている。半分はさっぱりわかっていないくせにわかっているふりをしているセブジがおかしくて仕方がなく、もう半分は好物を腹いっぱい食べられるのが嬉しくて仕方がない、そういう笑みだ。悪意だけではないのがオガを憎めない一つの理由である。

「つまり……ありふれた形で、自動的に動きまわっててもおかしくなくて、壊すとすごく目立つ?」

「近い」

「リュボヤが壊すのをためらうような造形ってことか? だとすると、愛玩動物とか……」

「いいとこついてる。あ、これもう一つ」

「あとウズマカのパイを一つ。ニンゲンからみてもありふれた形でその辺動きまわっててもおかしくないんだろ。しかもあちこちのぞいて回ってもとがめられないもので、壊すのをためらうような造形をしてる……まてまて、けど壊そうとしたら仲間割れが起こるってどういうことだ?」

「見てみりゃわかるよ。どうせ中断するなら先方と話しなきゃならんだし、うん、今度一緒に行こう」

セブジは目を細めた。オガに同行を求められるなどということは会社をはじめてからこのかた一度もなかったことだ。

怪しい。

「お前、なんか失敗したろ」

「してないよ。なんでまた急に……ひっでぇいい草だなぁ」

じっとオガの目を見つめる。口いっぱいに肉を頬張っているオガはしあわせそのものという顔をしており、邪気は感じられないが、邪気がないのはいつものことだ。しかも案外策を弄することが好きなオガは、ポーカフェイスがうまい。

「あのなぁ、自分の胸に手をあてて考えてみろ。いいか? お前は今まで俺に同行を頼んだことがあった。イエス? ノー?」

「ノー」

「よろしい。俺が疑う理由がわかるだろう。謝るのがめんどくさいからって俺に押し付けようとしてやがるな」

「めんどくさいのは確かだけど謝るようなことはしてないよ。だいたい向こうだって今はVOAの対処でいっぱいいっぱいさ。今はリュボヤからも調査官が派遣されててゴタゴタしてるし、俺がスプシュトしてイェナを壊さないかぎりみんな俺のことなんて忘れてるね。誓ってもいい」

「じゃぁなんなんだよ。オーケイ、わかった、白状するよ。わかんない。さっぱりだ」

「はじめからそういえばいいのに」

にやにやとオガはまだ薄ら笑いを浮かべている。セブジは鼻の穴を閉じて彼を睨んだ。

オガと出会ったのはセブジがまだ夢を持って都市構築学科で勉強していた頃にさかのぼるが、その時からセブジはオガに頭が上がらなかった。

養成所ではずっと優等生で育ってきたセブジは人よりかなりはやく職業専門学校に入学する資格をえたので、同期のオガとは歳が四十はなれている。とはいっても特に力のあるユフは力のコントロールの習得に時間がかかって職業専門学校に入学するのが遅くなる傾向があるから、オガが特別劣等性だったというわけではない。ただセブジが若すぎただけだ。

はじめのうち、セブジはオガの存在にあまり気づいていなかった。彼らの同期には他にも力あるユフがいたが、すでに力をきちんとコントロールすることのできたオガは暴走を起こさないという意味では目立つ生徒ではなく、かといって悪目立ちするほど成績も悪くなく、そのうえ若過ぎもせず、年寄りすぎもしなかった。彼が初めてオガを認識したのはメリヴォ設計のクラスが始まってからである。

オガはセブジのメリヴォをみてふうん、と言った。それが若いセブジには勘にさわった。セブジの作ったメリヴォは教師からの覚えがよく、詳細までよくつめられていて失敗が少ない例として取り上げられる程度には出来がよかった。

一方、オガのメリヴォは可もなく不可もなく、要求は押さえられているもののシンプルすぎる作りで、スプシュトした際になにか問題が起こるかもしれないという評価だった。だが、実地研修でそのメリヴォを展開した時の明暗はくっきりとわかれた。セブジは失敗し、オガは成功したのである。

あれから進路カウンセラや担当教員には何度も、セブジには抽象的なものを具体化する才能や、問題を切り分ける能力は際立っていると褒められた。でも、彼らは一度たりともセブジのスプシュト力については言及しなかった。決して不足しているわけではないし、年を取ればテクニックが身につくとは言われたが、評価は巧妙に避けているようにセブジには聞こえた。彼らが口に出さなくても、生まれ持った力の差はうめられないということは、セブジが誰よりも身にしみてわかっている。そしてその力がなければ、シュルニュクとして活躍することは絶対にできないのだ。

「でもいいところはついてるよ」

とりわけ皿の上のものを喉の奥に流し込んで、オガはにっこりと笑った。そういう顔をするときは本当に幼児そのものだ。決して童顔というわけではないのだが、歳の割に澄んでよく潤った白目がそんな錯覚をさせるのだろう。陰鬱なライトの下でそんな風ににっこりとほほえまれるとニンゲン社会の宗教絵画を思い出してしまう。

「実はさぁ、リュボヤの子供をひろったんだよ」

あまりにもあっけらかんとした口調だ。虚を衝かれたような気持ちになってセブジはまばたきを一つした。

「……リュボヤの子供はその辺に落ちてるもんなのか?」

「んなわけないだろ。あ、下げていいです。きたきた」

行儀悪くフォークとナイフを打ち合わせてオガはぴんと背筋を伸ばしたが、セブジは問答無用でホリワカセン鳥を半分に切り分けた。そして自分の取り皿に大きい方の半分をのせる。

「おい、少しぐらい俺にも……」

「お前はさっきほとんど一皿食っただろうが。それで? 拾ったって、まさか誘拐じゃないだろうな」

「そんなことするわけないだろ。だいたいあんな脂肪の塊、見てるだけで気持ち悪くなる……」

「そういうことを言うんじゃないよ。で、連れて帰ってきたのか?」

「んや、向こうで預けてきた。っていうかリュボヤの捜査官がおいてってくれってさ。まぁ当然だな、俺なんかに預けたら明日には餓死する」珍しくオガは正鵠を射たことを言った。「そもそもその子、VOAのメンバーの子供らしい」

「またややこしいな……」

「親は取り逃がしたんだってさ。っていうか子供は捨ててったらしい。まぁまだ言葉も喋れないような子供だからな。十歳かそれくらいらしくて時々言葉みたいなのは喋るけど、親の逃走先についてすらすら話せるような歳じゃない」

「じゃぁ本国に戻して孤児院送りだな」

「それがちがうんだよ」ナイフを左右に振って珍しくオガは鼻の穴を閉じた。「そのうち親が接触してくるかもしれないからイェナに置いとくんだと。孤児院に入れてもいいけど、そっちはセキュリティがしっかりしてるうえに倫理教育もみっちりやるから、成長後にVOAとして取り込むのはほぼ不可能、メンバーとしては接触するメリットがないからってさ」

「囮にするってことか? たった十歳の子供を?」

「ちがうよ」肩をすくめてオガは反駁した。「囮として育てるってこと」

「…………」

「死なない程度には面倒見るけど基本的には孤児として勝手に育ってくれってことなんだってさ。可哀想な状況にあったらVOAが必ず粉をかけてくるだろ。もしそうじゃなかったとしてもある程度歳をとってから実の親が接触してきたら、おそらく情にほだされて――」

セブジは思わず目を閉じた。ついでに耳も閉じたが、しかしいくら不愉快とはいってもオガの話を聞かずに済ませるわけにはいかない。オガのメンタリティはどちらかといえばリュボヤに近いし、放っておけばその子供は確実に不幸になる、とセブジは思った。彼の会社にたくさんいる力を持て余したシュルニュクのように――いや、それ以上に、だ。

「でぇ、俺はまぁVOAの動向を探りたかったから捜査官に情報提供してもらってたんだけどさぁ……」

「…………」

「困ったことになつかれちゃったんだよねぇ……まぁでもいい機会だから使おうと思って」

「使おうと」

「そう。彼女は今、VOAの敵対勢力下にあるだろ。でもリュボヤの籍もないし、身寄りもないし、おそらく成長したらVOA入りする可能性が高い。で、VOAのほうだけど、あいつらは再開発を阻止したいだろ。ってことはメリヴォが喉から手が出るくらいほしいはずだ。もしかすると全力で壊しに来るかも。そこで彼女の出番だ。彼女のおもちゃとしてメリヴォをあたえ、彼女がメリヴォに執着するように仕向ける。そうすると彼女はメリヴォを取り上げられたくないから――」

セブジは思わず両上腕で顔を覆った。オガの口調はふざけている時とまったく同じだ。

自分がどれだけ残酷なことをしているかちっともわかっていない。それどころか、最善手を見つけたすらと思っている。

「VOAにはなるべく取り込まれないように行動すると思うんだよな。VOAはVOAで活動をするかもしれないけど、切り札になるメリヴォを持ってる彼女が敵対勢力と自分たちの間でふらふらしてたら手は出しにくいはずだ。リュボヤは基本的に同族に対しては甘いから彼女を抹殺するよりは懐柔する方向をえらぶはずだし、メリヴォが手に入って俺たちを牽制できるとなったら絶対に手に入れたくなるはず――あ、ウズマカのパイちょっとくってもいいか? 久しぶりに食いたい」

勝手に食えと中腕で皿を押しやってセブジはため息をついた。鼻先をかすめる料理のかぐわしい匂いはとおざかり、胸の中に薄黒い水がたまっているような心持ちになっていた。

オガが昔からこんな性格なのはわかっていたことだ。彼自身、自分が普通のユフと違っていることはよく心得ていて、不調法な態度でそれをカモフラージュしている。だから彼はセブジをパートナーに選んで会社を起こしたのだ。そして自分はあくまでも従業員の立場において、セブジを社長に据えた。

起業を誘われた時のオガの言葉をセブジは今でも覚えている。彼はこう言ったのだ。お前は弱すぎるし、設計の詰めも甘いし、頭もあんまりよくないけど、それ以外は俺とちがういいところがある。それにお前って弱すぎるやつからも強すぎるやつからも頼られるだろ。一人だと大したことないけど、二人になったら実力も信望もある良いチームになると思うんだ。

若かったセブジはオガの言葉を受け止めきれなかったが、今となれば彼は正しかったとわかる。こんなふうにまだ言葉も話せない少女を確実に不幸にする方法を目的のためにたやすく選択するオガがひとりで会社をやっていくことなどできるわけがない。ないのだった。

「……セブジ? どうかしたか?」

顔を覆ったまま、セブジは無言で首を横に振った。肺の出入り口が熱い鉄で蓋をされてしまったような心地がする。まだ見たこともない、それもリュボヤの少女に対して、なぜこれほどまでに感傷的になってしまうのか、それはセブジにもわからなかった。わからなかったが、きっぱりとそんな計画をねるのはやめろと言わねばならないことはわかっていた。

「んー……あれか? 囮として育てるのがだめってこと? でもそれをやろうって言い出したのはリュボヤの捜査チームのほうだぞ。俺は――」

「メリヴォはいずれスプシュトされるんだろ。もしくは壊すか……」

「その頃にはあの子だって飽きてるさ。そう簡単にまとまる話じゃないって。びっくりするくらいでかい街だからな……俺ならぎりぎりなんとかなるけど、今出入りしてるシュルニュクだとどうかなぁ……あのコピーが歳とればできるようになるかもしんないけど」

「お前、さっき俺でもできるって言わなかったか?」

「おぅい、本気で言ってると思ったのか?」

目をとじたままセブジはぎゅっと口を結んだ。オガはただいつもの悪ふざけをしただけのつもりなのだ。セブジが傷つくかもしれないとはつゆとも思っていない。オガにとっては自分より弱いユフはみな同じに見えるからだ。

「うそうそ。そんなに暗くなるなよぉ。できるって。普通にやったらできないけど、多分あのメリヴォをスプシュトするってなったらお前は暴走すると思うよ。そしたらできる」

「暴走? 俺は暴走なんかしたことないし、これからもしないぞ」

中左手の指をにぎりしめ、できる限り冷静にセブジは応酬した。オガはまだにやにやとしている。セブジの心中などこれっぽちも気づいていないし、セブジが何百回となく彼とは縁を切ったほうがいいのではと悩んだことなど死んでも気づかない。それがオガだ。腹を立ててもしかたがないことはわかっているし、彼の性格を知っているのならもっと早くに離れるべきだったのだとセブジは自分に言い聞かせた。

「どうかなぁ、おまえは一回暴走してみたら一皮むけると思うんだけどなぁ」

「…………」

「おまえってさぁ、弱すぎるやつらとそうじゃないやつらのちょうど境目くらいにいるだろ。このへん」ホリワカセン鳥の切り口をさしてオガは言った。彼の中でどちら側が強すぎる方なのかとセブジは思ったが、黙っていた。「弱すぎる方のやつらは暴走したらスプシュトが安定しなくなって全部崩壊する。けど、そうじゃない方の奴らはたとえ暴走してもスプシュトするものが崩壊したりなんかしない。おまえだって何回も見ただろ。モニェイとかガバクとかうすのろ暴走野郎だったけど、作ったものが崩壊したのはたった一人――」憮然としているセブジにはお構いなしで、オガは上右腕で握ったナイフでびしりとセブジを指した。「おまえだけだった」

「そうだよ。俺はうすのろ低速野郎なんだよ、悪かったな」

「違うね。いってみれば暴走はブースターだ。おまえはそのブースターを使ったことがないだけさ。つまり臆病者ってこと」

「おまえは昔から俺を買いかぶりすぎなんだよ」

憮然を維持したままセブジは言い返した。これはオガのやり方だ。完全にオガのペースに巻き込まれている。

一般的に見て、力の暴走は周囲を巻き込んだ大規模かつ修復不可能な事故を起こしかねない重大な過失だ。それをあっさりとブースターなどと言い出すオガはトチ狂っている。彼はいつもそうだ。世間的に見て正しいとされていることは「弱すぎるやつら」の負け惜しみで、能力のあるユフをスポイルする。常識とやらは「弱すぎるやつら」が能力のあるフリをするためのマニュアルで、力があるならそれに従わなくてもいい。そう思っている。

「んー、かもな」すい、と二つの個眼を天井に向けて、オガは首だけを左右に振った。「俺も薄々そうなんじゃないかと思ってるとこ。それで話は変わるんだけど、コピーの調子はどうだ? 前に聞いた時は暴走アンド暴走、制御不能の宝石箱ってはなしだったけど」

セブジはため息をついて、ついにフォークを放棄した。完全に食欲がなくなってしまったのである。

「前に比べりゃましになってる。おまえの言うとおり、タォヤマは暴走してもびっくりするくらい精密なスプシュトをするよ。もちろんメリヴォなしで、だ。特にニンゲンのものになると、ヘタするとおまえよりうまいかもしれないな、たとえば――」

「実物があるのか」

うなずいてセブジは「棚」に左中腕を突っ込んだ。手前に邪魔なガジェットが積まれていて、奥の重要な棚にたどり着くためにうんうんと唸らなければならなかったが、目的のものが弱い熱を放っていたので目的を見失うことはなかった。ガジェットの山を崩さないようにそっと腕を引き抜いて、彼は箱を開封した。

「葉――?」

「あの子と初めて会った時のやつだ。乾燥してるから気をつけろよ。ちょっと触ると全部崩れる」

「これ、本物だろ?」

「あいつがいたのはゴオリバじゃなくてペーザルだぞ。ゴオリバからは距離三千キロメートル、地球系産植物の侵略に完全に勝利してる街だったけど、あいつが暴走してドームをぶっ壊したもんだから今じゃ完全に負けてる。あいつの作ったやつは本物じゃないから繁殖しないけど、ドームが壊れたらおしまいだ。風に乗って種が入ってくるし、一旦入り込んだらもう追い出せない。だから、あいつは今でも多分ペーザルの住人に恨まれてる。一年に一度顔を出して、謝罪しろってな」

「ひでぇ大人がいるもんだ。俺みたいだな」

しげしげと枯れた蔦の葉を眺めながら、オガは息を漏らした。口元を斜めに歪め、口の端から白く尖った歯を見せている。笑っている。

「しかしすごいな……本物にしか見えない」

「あの子は特に地球系と感応性がいいみたいだからな。多分混ざってるんだろうよ」

「俺にリュボヤが混ざってるみたいに?」

「おまえがあんまりにも失敗作だったからちょっとレシピを変えてみたんじゃないのかね」

くすりと息を漏らして、オガは箱をセブジに押しやった。

力あるユフの家系の場合、勝手な自己増殖をして社会を混乱させないように卵子の提供が義務付けられているが、その卵子は均等に能力がバラけるように異星種の性質を埋め込まれると言われている。実際にそれが本当かどうかは誰も――職員以外は――確かめようのないことだが、オガはいつも自分の中にはリュボヤが混じっているといってはばからないのだった。さすがにリュボヤだけはないだろうと聞いた者はたしなめるが、オガはどちらかといえば喜んでいるようにも見える。

「これ作った時がいくつだったって?」

「九十六。今はもっとうまいよ」

「そりゃ頼もしいな。暴走させればイェナを軽々再構築できる」左右のまぶたを均等に動かして、オガはまばたきをひとつした。そして至極真面目な顔で付け足した。

第一候補だ、と。

 

 

2017年8月6日公開

作品集『ある朝の毒虫』第8話 (全12話)

© 2017 斧田小夜

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