ある朝の毒虫 – 7

ある朝の毒虫(第7話)

斧田小夜

小説

17,500文字

タォヤマがひっくり返ったと連絡を受けたセブジはイェナへ向かっていた。思い出すのは昔のことばかりだ。

小刻みに揺れる機体に身を任せ、セブジはぼんやりと暗闇を眺めていた。

飲み物のサービスに回っていた搭乗員は着席し、空間移動に備えている。不測の事態が起こればもろとも空間のひずみに落ちるだけで彼らがなにかできるわけでもないのだから、そうやって着席しているのは単なるポーズでしかない。これは星間移動に慣れていない他生命体のためのパフォーマンスにすぎないのだ。

移動自体はものの数秒、その後安全域展開と圧縮空間の解除におよそ一時間、そこから中央BBNYAC空港までの星間航行は三十分だ。ラブセドル星が所属するRU787TT星系への入星系を済ませたら、そのまま中央BBNYAC空港周辺に宿をとって二日ほど待機せねばならない。ラブセドル星行きの便は一日二便あるが、イェナ国際空港に着陸する便は四日に一便しかないからである。

もちろん星内移動も考えてはみたのだが、ニンゲンにまじってニンゲン用の座席にじっと身を潜めての移動を丸二日、休憩時間もなく耐えることを考えると広い部屋で二日、非常時に備えつつ仕事を片付けている方がずっとましだ。いずれにせよ、ラブセドルに行く便は明日をまたねばならない。

セブジだってあらゆるものを投げ出してタォヤマの元へ駆けつけてやりたかった。もし彼が社長でなかったら、宇宙空間に住まう他の生命体のことなど無視して一息にイェナまで移動していたかもしれなかった。とどまった理由はただ一つ、会社が潰れると生きていけなくなるたくさんのシュルニュクの顔が思い浮かんだからだ。もちろんその中にタォヤマも含まれている。

連絡を受けると同時に家を飛び出した彼は、空港に移動してもまだ航行機のチケットを手にしていなかった。カウンターに飛び込んで中央BBNYAC空港に一番早く到着する便のチケットをもぎ取ったあとは、係員に励まされながらこのシートに飛び込むまで必死に走ったのに、それでもまだ、イェナは遠い彼方だ。

もう何度目かになるため息をつく。

調査用の資料を目の前に広げていても、離婚調停の後始末の書類を読もうとしてもさっぱり頭に入ってこない。やはり、タォヤマを一人で出すべきではなかったという後悔ばかりやってくるせいだ。しかしだからといってセブジが最初から一緒では、進む話も進まなかった。

「お客様、お気分はいかがです? 少し良くなられました?」

断じてノー。頭のなかで即座に答えてから、セブジはのろのろと首を巡らせた。声の主はセブジを励ましながら航行機に飛び込んだ乗務員である。

「ええ……」反射的に声を発してセブジは迷った。イエスといったものの、その後が続かない。ピンピンしている? 大丈夫? なんとか少しは回復した? いや、どれもちがう。断じてノー、完全無欠なノーだ。「おかげさまで少しは……」

「移動後のポイントで隕石群が通過したそうで少し揺れるかもしれませんから、なにかあったらすぐにおっしゃってくださいね」

鼻をヒクヒクとうごかして、乗務員はそんなことを言った。折り目正しい中性的な容貌をしているのに、鼻だけを動かすのはどこか奇妙だ。子供じみている。

軽くうなずいてセブジはそれ以上答えなかった。いつだったか、イェナに行った時も重くるしい気持ちを持て余していたことを思い出させられたような気がした。

あの少し前からオガはおかしかった。正確にいえば、セブジに一緒にイェナに行こうと誘ってきた時から、オガはおかしかった。後になればなるほどその思いは強くなる。めずらしく自発的にこのままでは終わらないと戻ってきたこともそうだし、帰ってきた足でセブジのところによって報告をしに来たのもそうだ。

あの日、セブジは事務所で期末にむけて決算処理をしているところだった。事務所のソファではタォヤマが横になってぼんやりと宙を眺めており、騒音を立てるものはどこにもない。その静寂を破ってオガは入ってきた。

「似てないな」

まっすぐにソファに歩み寄ったオガはセブジがタォヤマを紹介するよりも早く、そんなふうに言った。さすがにその声には反応したタォヤマもつい、と視線を上げてオガの顔を見ただけで、あとは糸のように目を細くしてふて寝を決め込んでしまう。セブジは呆れてオガをたしなめた。

「傷心の少年にそんなこと言うなよ」

「こいつ、俺のコピーだろ? でも似てないなぁ。結構似てないもんなんだなぁ……こいつ、生きてるのか?」

「生きてるけど落ち込んでんだよ。さっき暴走したから」

「この歳にもなって?」ふうん、と鼻をならしたオガである。悪辣にも聞こえる言葉だが、オガは本音を隠すという芸当がまったくできない男だったのでとりたてて悪意があるわけではない。ひくりと鼻をうごめかした彼は中腕を腰にあててため息をついた。「なぁ、俺、このソファに座りたくてここに来たんだけど、こいつどかしてくんない?」

さすがにセブジは呆れた。

タォヤマは飛躍的に能力がのびて、スプシュトを少しずつコントロールできるようになっていた。

その日は小石を小石にスプシュトするというゲームで、はじめてタォヤマがセブジを負かした日だった。だがゲームに勝ったタォヤマは喜びのあまり暴走した。それですっかりしょげかえっていたのである。

タォヤマもタォヤマで幼いところはあるのだが、それより数百年も長く生きているくせにソファに座りたいという主張するオガもとても大人だとは思えない。

「椅子ならそこにもあるだろ」

「ただの椅子じゃないか! 俺はソファに座りたいんだよ。横に広くて窮屈じゃなくてもちろんアームに圧迫されたりなんかしない。両脇に肘置きがあるなんて航行機の安物シートかってんだ! ないない、絶対ないね。断固拒否する! おれはソファに座りたい!」

喋ればしゃべるほど自分の声に興奮してボルテージが上がるオガがこんなふうに喚くのもいつものことだ。そういう点では、タォヤマもオガに似たところがある。彼の場合腹が立って黙りこむと、その沈黙にさらに腹が立つようでますます意固地になって口を固く閉じてしまう。かといって少しでも声をだせばその声に刺激されてますますカッカとしている。同じ血統のラウセにも黙り癖があり、内に秘める思いに刺激されてどんどん先鋭化していく傾向があり、性格はおもいのほか先天性の要素が強いものだとセブジは思っていた。

「うるさい」

「ちくしょう、明日にすればよかったなぁ。あーあ、せっかくここまで来たのに……それでお前はなにしてんだよ。ゲームか? 女口説いてんの?」

「バカ。お前の尻拭いだよ」

「俺はヘマなんかしねぇぞ」

「ああ、そう。じゃぁこれはなんだ?」

「どれ」

「ホテルフロアのクリーニング代、なんかのツケ、こっちは3000ペグサもする……これは酒か? どんだけ豪遊しやがったんだ」

「いいだろぉ、それ以上の儲けがあるんだからさ。こっちだって知らない土地でやってんだから羽伸ばすくらい大目に見てくれよ。細かいなぁ」

「他のやつだったら自腹切らせてるよ、くそったれ」

ふうん、とオガは鼻をならした。完全に他人事だ。

「まだまだあるぞ。これは航行機。おまえエグゼクティブクラスで取りやがったな……」

「時差があるからね。疲れるとなんにもできなくなるだろ」

手近な椅子をひきよせて、オガはセブジの目の前に腰をおろした。そして机に頬杖をついて請求書のたぐいを眺めている。微塵にもすまないとは思っていないらしい。

「オーケイ、わかった。いいシートをとるのは大目に見よう、おまえは役員だしな。でもこれはなんだ? お前はたった二時間の航行機の旅でどんだけロクボンのクリームを消費するんだよ。これは自腹な」

「いやぁ、うまくてさぁ……なぁ、まだおわんないのか? クリームしか飲んでないから腹減った」

「バカか」

ソファに横になっているタォヤマはまだ目をしっかり閉じている。もしかすると耳も閉じているかもしれない。タォヤマはそういう子供だ。聞きたくないものや見たくないものは一切遮断して受け付けない。

頬杖をつくことすら面倒になったのか、オガは顎を机の天板にくっつけて、大きなあくびをした。目は半分に細めて歯をカチカチと鳴らしている。

「こら、やめなさい」

「なぁ、飯にしようぜ」

「一人で行けよ」

「んー、ずっと一人だったんだぞぉ、せっかく帰ってきても一人なのか? お前冷たいなぁ」

「うるさいうるさい、静かにしてなさい。この整理が終わったら俺も飯に行くから。こら、やめなさい」

ハーモナイザーの先を払って邪魔をするオガを軽く上左腕で叩いて、セブジは目元にシワを寄せた。こんな風にちょっかいをかけてくるところもまるで子供だ。しかもちょっかいをかけ始めるととたんに目をきらきらとさせて、幼児のような顔になる。飽きるまではこの遊びを繰り返すのがオガだということもセブジは熟知している。

「こらぁ! やめなさい。やめろっていってんだろ、外にだすぞ」

「腹減った」

「先に行ってなさいよ」

「だから一人は嫌なんだよ」

「しょうがねぇな……タォヤマぁ、飯食いに行くか?」

ん、と声をだしてオガがソファを振り返った。毛布にくるまり、頭だけをだしているタォヤマはまだ目をほそめ、しっかりと口を結んでいる。いつもの悪い癖がでて、完全に世界を拒絶するモードに入っているのだ。いずれにせよ暴走のせいで体力が回復していないから、今は食事をする気分でもないだろう。

「オーケイ、分かった」

「あいつ、なんも言ってないぞ」

「行かないってさ。タォヤマぁ、二時間したら戻ってくるからゆっくりねてな」

「二時間だけかよぉ、つもる話があるってぇのに冷たいな! お前はほんとに昔から……」

「二時間たったらお前がまだ食ってようとなかろうと俺は帰るからな。まだ仕事があるんだ」

「その仕事の話が終わってなくても?」

きらりと下の瞳をひからせてオガは笑った。まったくそういうところが本当にいやなやつだったと今でもセブジは思っている。

 

 

どうやって市街地まで行くか、とセブジが顎に手を当てた時、あの毛むくじゃらはやってきた。

いつものように軽く腕をあげて挨拶をしたガイだが、いつもとは違って陽気な冗談はとばさなかった。自慢の毛はボサボサだし、頭頂部に生えている毛は絡まり合って鳥の巣のようになっている。伊達男もこうなれば型なしだ。

ともあれ、そんな彼より心配なのはチトなのだった。

ガイはチトを知らないはずだが、彼女の名前をだすと困ったときの癖で目をぱちぱちとさせ、それから無言でうなずいた。顔に「なぜだろう」と書いてある。

「いや、もう、なんていうかなぁ、急に棒みたいにばたーんって倒れちゃって、あ、でもカーペットは敷いてあったんで頭をすごく強く打ったってわけじゃないと思うんです。机にもぶつかんなかったし。どうしたらいいかわかんなかったんでチトがトルシュってひとを呼んで――」

チトは待合室のベンチで丸くなっていた。セブジを見つけた途端、アンバーの瞳を大きく開いて息を止め、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしはじめる。空港の窓から差し込む光が床に虹色をえがき、その光を背に彼女はただ無言で口を引き結んでいる。背中をのばし、髪の毛はざんばらに肩に流してぎゅっと手をにぎりしめて、痛みに耐えているようだった。早朝の便の乗客を迎える待ち人はほとんどおらず、通路のカウンターもほとんどがシャッターをおろしている静かな空港の中で、セブジはなにも言えなかった。

息せき切ってことのあらましを話していたガイが黙りこむとますます静寂が濃くなったようだ。セブジは背をまるめ、彼女のために腰をかがめて手を伸ばした。

「シーシが……」

濡れた目でチトがセブジを見つめている。よほどこすったのか目の下も鼻の下も真っ赤になり、白いふくらんだ頬はべたべたに濡れている。一年前に比べて少し痩せたようだ。骨格がはっきりと分かる体にシャツをひっかけ、子供特有の脂肪は完全に失ってしまった彼女は、この世で一番か弱い生き物にも見える。

「シーシが、行っちゃう……!」

「…………」

「どうしよぉ……!」

セブジはなにも言えなかった。言えるわけがないのだった。彼が精一杯言えたことといえば、家に帰ろうというそれだけだった。

「……知ってるなら言っておいてくれればいいのに……そしたらシーシだって……」ぶつぶつとガイは文句を垂れている。まったく当然だ。「別にちょっと面倒見るくらいなんでもないのになぁ。タォヤマに悪いこと言ったなぁ……」

「悪いこと?」

「いやぁ、過激派のとこの子供かと思ったんですよ。だから面倒見るのは無理だ、危ないって言っちゃったんです。そしたら、絶交するって」

「絶交? タォヤマが?」

しおしおと耳をたれ、ガイはしょぼくれきった声ではい、と答えた。ガイがしおれているのはともかくとして、タォヤマが絶交という言葉を知っていたとは信じがたい。セブジは少々胸を熱くした。

「結局許してもらったんですけど、でも寄生種のことを教えてくれたのもあいつだし、あいつがひっくり返っても俺はなんもできないし、立つ瀬がないですよ。嫌われちゃったかなぁ」

太いしっぽもしょんぼりとおしさげて、ガイは実に悲しそうだ。だがそんな彼よりセブジにとって重要なのはタォヤマのことだった。友達を持ったことがなく、ほんの少し前までまともなコミュニケーション能力すらなくて散々セブジを心配させたタォヤマが、まさかこんなにも首尾よくガイと親交を深めているとは予想外だ。もっともガイは難易度レベル1なので、タォヤマでも比較的仲良くできそうではあるのだが。

「んー、まぁ大丈夫じゃないかね」

「そうですかねぇ……あとでちゃんと謝っとかないとなぁ」

「それより俺のことを黙ってたことのほうがあいつ、怒りそうだけどな」

「ああ、それもあるんだった……」車体を右に振って、ガイは旋回をはじめた。「でも口止めしたのはセブジさんですよ」

「こっちでも色々と政治的な駆け引きがあってさぁ、大変なんですよ。俺は反対したんだけど」

「シーシ……」

顔全体をタオルで覆っているチトがうめき声を漏らした。しゃくりあげすぎて気持ち悪くなったと先ほどまで顔を青くしていたが、風にあたったおかげか少しクールダウンしたようだ。しかしそれでもまだ体を震わせて、時々大きくしゃくりあげるので、セブジは心配して体を支えてやっているのだった。

「シーシは、どうなるの?」

「すぐにはどうにもならないよ。少なくとも四、五年はね」

「でもシーシ、おっきくなるって言ったんだよ。それでタォヤマに……あたし、が……嘘つきって、言ったからだ……」

「またケンカしてたのか? ケンカはしちゃダメだってあんなに言ったのに」

「だってオガの話するんだもん……!」

タオルから顔を上げたチトは真っ赤に充血した目でセブジを睨みつけた。下唇を噛んで、鼻を大きくふくらませている。その向こうからガイがちらちらと視線をよこしているが、タォヤマは答えられなかった。チトに向かって差し出せる言葉は謝罪以外ないのだと、五十年前から彼にはわかっていたのだ。本当は数年で切り上げるつもりだったのに五十年もかかったのは様々な事情がある。しかし、チトにとっては長い五十年だっただろう。長い、悪夢の五十年だったに違いない。

「なんで? なんでオガは死んじゃったの? 勝手に死んじゃってずるいよ! なんで? オガなんて大っ嫌い、大っ嫌いなんだから!」

「暴れたら危ないよ……」

「セブジだって大っ嫌いだよっ! なにさ、たまに来てお金渡せばそれでおしまいなわけっ? あたし、知ってんだから、セブジはあたしのことなんてどうだっていいんでしょ、シーシのことばっかりっ! いっつも……!」

ひくり、と彼女は喉をならした。叫べば叫ぶほど惨めになる。叫び声に心が逆立てられ、声が大きくなる。オガならそのまま罵倒を続けただろう。でも彼女はできなかった。できなかったから、五十年も彼女は待ち続けることになったのだ。

案の定彼女は声をつまらせてしまった。セブジの腕をつかみ、ぶるぶると体をふるわせている。アンバーの瞳から途切れることなくぼろぼろと玉のように膨れ上がった涙がこぼれ落ちても、彼女はそれを拭わなかった。ただ、体を震わせて痛みに耐えている。

セブジはため息をついた。彼は謝罪の言葉を口にすることすら許されていないのだ。

 

 

あまりにもつらそうだったので甘い味のついた鎮痛剤をのませてやると、ようやくチトは泣き止んだ。しかし精神的な興奮は彼女に眠りをもたらさず、毛布にくるまってうんうんと唸っている。ベッドをスプシュトするかと聞いてみたが、意固地になっているらしく首を横に振るばかりだ。

「俺のベッドもあるけど……」

「やだよ。ノミとかダニとかいそうだもん」

軽口がたたけるのなら大したものだと言いたいところだが、彼女の場合は単なる虚勢である。だからますます心配になる。

「ちょっとさぁ、こんな美しい野獣を捕まえてそういうこと言うかぁ?」

「どこが。ただのケダモノじゃん。臭いし……」

そうかなぁ、とガイは二の腕あたりを嗅いだ。今回はチトのいうことが正しいが、ガイにとっては汗臭いくらいがちょうどいいようなので多分シャワーを浴びてきたりはしないだろう。

ガイの部屋でタォヤマと一緒に留守番――といってもタォヤマは昏睡状態なのだが――していたシーシははじめこそガイを見つけて駆け寄ってきたが、セブジに気づくやいなや身を翻してソファの後ろに隠れてしまった。今は顔だけを覗かせて様子をうかがっている。

いつものことだ。ガイは一生懸命手を叩いて彼女を呼んでいるが、セブジの姿が見えている限りは近寄ってこないだろう。

「おかしいなぁ、どうしたんだよ。ほら、ガイおじさんだよ。ただいまぁの挨拶はしないのかな?」

もじもじと足の先を合わせて、シーシはセブジの姿を追っている。セブジはため息をついて、ダイニングの椅子に腰をかけている人物のほうへと体の向きを変えた。ちょうどシーシには背中を向ける格好である。

「どうした? 人見知りかな? タォヤマにそっくりだろぉ、だから怖くなんかないよ」

この猫なで声である。セブジは苦笑して、落ち着いた表情で部屋を見渡している人物に右上腕を差し出した。ニンゲン相手にはそうするのが礼儀だと彼はすでに学習している。

「どうも。タォヤマがお世話になったみたいで……」

「ええ、急に倒れたそうでチトから連絡がありました。おかげで封鎖を一部解除しなくてはならないし……」鼻白んだセブジにはかまわらず、小柄な男はぎこちない笑みを顔に浮かべた。「ダヮウェーユのセブジさんですね。私はトルシュです。VOA特捜部所属で、今期はイェナ支部のマネージャです。ユズハから話は聞いてます、よろしく」

「ああ、じゃぁユズハの後任ですか。彼女は元気にしてますか?」

これは苦手なタイプだ、とセブジは悟った。リュボヤらしいリュボヤというべきだろうか。ユズハはかなりとっつきやすいタイプだったので油断したが、そういえば最初にオガとイェナに来た時もリュボヤには閉口させられたものだった。

「いえ、連絡がないのでわかりません」

「ああ、そうですか……」

「彼女は長くここにいすぎたので、しばらくはリュボヤ領地での勤務になります。最短八年――」

「わかりました。しばらくは来れないってことですね」

はい、と笑顔をはりつけたまま、彼はうなずいた。やはり最も厄介なパターンだ。しかもうっすらと言葉の裏を読むタイプなのがますます付き合いにくい。前任のユズハが融通のきくタイプだったので、正反対の性格のものが選ばれたのかもしれない。

「それで、タォヤマの状況を聞きたいんですけど」プランB、とセブジは腹の中で号令を出した。「なにを投与しましたか? 栄養剤も含めてリストをください。薬剤などで購入したものはお支払いするので伝票か領収書を出していただけるとありがたいです」

「わかりました」

「倒れた時の状況はガイからききましたけど、その後の対処でなにをしたか教えてもらえます?」

ぱちりとトルシュはまばたきをした。虹彩と瞳孔の境界がわからない黒瞳にぽつ、ぽつと天井の明かりが映っている。表情は、読めない。

「チトからコールがあったのは三日前の二十時三分でした。全く反応がなく体も冷たいということをチトが言っていたので仮死状態にあるのではないかと――」

こういった供述がうまいのはリュボヤの美点だ。ようやくコミュニケーションが軌道に乗ってきたことにほっとして、セブジはかばんを床に下ろした。そして一番手近にあったダイニングの椅子を背左腕で引く。

「地下は封鎖中だったのでこちらにくるための設定などに四十七分、チトは倒れてからすぐに連絡をしたと言っていましたがパニックになっていたので時間経過もわからなかったでしょうから、およそ一時間ほど経過していたのではないかと――」

部屋の隅でガイがごにょごにょと低い声でシーシに語りかけている。多分シーシはまた駄々をこねているのだろう。セブジがいる時は常にそうだ。彼は歯をきしませ、耳の中に忍び込んでくるガイの声を意識の外から追い出した。

「食事の前だったそうで口にしたのは炭酸水だけとのことだったんですが、もしかするとからだにあわない成分が含まれていたのではないかと思いまして、まずは体内洗浄をしました。少し痙攣が見られたので体内洗浄後に鎮静剤、それから各種検査をして……ユフは暴走が怖いので栄養剤は投与していません。低エネルギー状態で睡眠を維持しているほうが安全ですし、移動もできるとエマージェンシーメディカル読本に書いてあったので、低体温にならないように毛布にくるんでソファに……」

「ええ、下手に覚醒させるよりは低エネルギー状態のほうが扱いやすいですから……ありがとうございます、適切に処置していただいたようなので後遺症が出る可能性も低いと思います、ほんとなんてお礼をしていいか……」

体内洗浄は少々やり過ぎだが、毒物を疑うのは妥当な線だ。それにユフは睡眠状態を少なくとも百年は維持できる。目覚めるためには栄養剤の投与が不可欠だが、睡眠状態を維持させておけば毒物はそれ以上体内に広がらないし、危ない化学薬品を吸い込むこともない。なによりタォヤマで一番懸念されるのは暴走だ。暴走が最も起こりやすいのは半覚醒時、タォヤマの場合、イェナを軽々と破壊しかねないので深い睡眠状態を維持させるのがほとんど唯一の解といえる。

「チトぉ、そっちだめぇ、危ないよぉ!」

「どうしたんだよ、危なくなんかないよ。あの人はタォヤマの……んーとぉ、なんだろな。とにかくよく知ってて、タォヤマを助けに来てくれたんだから」

「ダメなのぉ! チトぉ!」

はなたれ声で叫んでいるシーシの声はくぐもって聞き取りにくい。いつものことだとはいえ、セブジはため息をついた。彼女のこの声を聞くと、オガの言葉を思い出してしまう。そしてどうしても彼の期待に応えられなかった自分自身に対する失望もありありと蘇るのだ。

「領収書は全部オフィスですね……ちょうど十二分後には戻らないといけないので、次に来れるのは四十一時間四十八分後です。至急必要ですか?」

「いえ、お時間のある時で大丈夫です。とりあえずあのでかいぬいぐるみにでも送りつけといてください。すいませんね、忙しいのに……」

「ええ。本当に忙しいのに困ります」実に忌憚のない意見である。

「すみません……」

「抗議デモが終われば少し時間もできるんですが」

「ああ、そうですね……」

セブジは右上腕で目元を押さえた。裏表のないトルシュの性格は伺われるが、真正面から切り込まれるのはやはり疲れるものだ。

「では、私はこれで失礼します。四十二時間後にまたきますので」

「ええ、四十二時間後が昼なら……ああ、いや、四十二時間以内に一度連絡します。それで次に会う日を決めましょう。抗議デモ終了後なら、ここよりそちらに伺ったほうがいいと思うので」

「わかりました」

きっぱりと答えたトルシュはやおら立ち上がるやツカツカととベランダへ歩いて行ってしまった。別れの挨拶はないらしい。実にリュボヤ的、清々しいまでに噛み合わない。もしセブジでなくタォヤマだったら怒り狂って黙りこみが始まっていたところだ。早々に倒れてくれたのは実は良かったのではなかろうか、とセブジは思った。そしてため息をついた。

「だってぇ、あぶないんだもん!」

「大丈夫だよ。困ったなぁ……セブジさん、結構子供に嫌われるタイプですか?」

目元をほぐしていたセブジは背をそらしてガイをみやった。ゴキゴキと骨同士がこすれあって嫌な音を立てるのは、ここ暫く眠れない夜を過ごしたからだ。タォヤマのことが心配だったこともあるし、単純な時差ボケもある。

ガイの影から顔を三分の一だけだして、シーシがセブジを伺っている。眉をきゅっと尖らせて、警戒している表情だ。セブジはまたもやため息をついた。

「んや……そうでもないけどシーシは特別だな。さて、どうしようかな……チト、横にならなくていいのか? そのほうが楽だと思うぞ」

「お腹痛い……」

「泣きすぎだなぁ。ベッドをスプシュトしてやるから、おとなしく寝てなさい」

これじゃ野戦病院じゃないか、とガイはぶつぶつぼやいている。彼がぼやくのはいつものことなので放っておこうと、セブジは立ち上がり、スプシュトの種になりそうなものがないかと辺りを見回した。

汚い部屋である。ダイニングテーブルの上には空いたプラスチックパックが山のように積み上げられているし、机の下には瓶が何本も佇立している。端に寄せてあるビニール袋の中身は間違いなくゴミだろう。床のカーペットにも椅子にも青緑色の毛がついていて、じっとしていると肺の中にまで侵入してきそうだ。明日には青緑色の毛玉を吐き出せるようになっているかもしれない、とセブジは思った。

しかしソファの周辺になるととたんにきれいになっているところを見ると、これはタォヤマがカンカンになって掃除をしたのだろう。なにはともあれ、ほうっておくのが一番だ。セブジは掃除がなによりも嫌いなのである。

床の瓶を拝借して、簡易ベッドをスプシュトする。もう一本拝借してマットレスをつくってやり、壁におしつければベッドはできあがりだ。青白い顔をしたチトは気分が悪いのか横っ腹を押さえつつもおとなしくその上に横になった。反抗する気力は多分、もうないのだ。

「チト――」

いい淀んでセブジは頬の裏側を噛んだ。のそのそと丸くなったチトは目をとろんとさせてセブジを仰いでいる。セブジは目を細め、彼女の視線から逃れた。

「……セブジのせいじゃないって知ってるよ……」

「いや――俺のせいだよ。ごめん」

「ちがうよ……オガのせいだよ……セブジは謝っちゃだめなの」

鼻の穴を閉じ、セブジは笑顔パターンを作った。それ以外に彼女にしてやれることを思いつかなかったからだ。

 

 

荒野に寝転がっている。

眼前には宇宙の底を暗示するような紺碧の空が広がり、うっすらと白い星が輝いている。左端に控えめに光る太陽ですら消すことのできない星ぼしの強靭さをもってしても宇宙の底は明らかにできないらしい。タォヤマはいつもそのことに満足する。

荒野に寝転んでいる。もしこれが現実なら頭も背中もごつごつとした小石のせいで痛んでいることだろう。だが地面は抱き止めるようにタォヤマをのせ、じっと口をつぐんでいるつまり、これは夢なのだった。タォヤマの知る楽園のひとつなのだった。

いつのまに帰ってきたのだったか、とタォヤマはぼんやりと思った。今回もまた大変な旅だった。楽園を忘れてしまいそうな、一瞬も気の休まらないそんな旅だった。過去の亡霊がタォヤマをせかし、ひっぱたき、まるで恨みがあるかのように引っ掻き回されるだけの旅だった。タォヤマは疲れていた。おもえば物心ついたときから彼はずっと疲れている。

楽園へは。

楽園へはどうすれば帰れるのだろう。

ちょうど天頂で鋭い光がまたたいたが、タォヤマの目にそれはにじんで見えていた。彼はまたもや思った。疲れた、と。

叔母が酔うたびにタォヤマに腕を切れと連絡をよこす理由はわからないでもない。腕があるというだけで彼らは消耗する。生きることは責め苦なのだと、スプシュトをするたびに思う。スプシュトそのものの感触は快感でも、すべて終わったあとには苦しい思いしか残らない。もう二度と嫌だ、誰がなんと言おうと二度とスプシュトなどするものかといつも思うのだ。たぶんオガだって同じように思っていただろう。だから――だからあんなふうに――

光が落ちてくる。宇宙の底から天を目指してタォヤマのもとにおちてくる。ぐんぐんと近づく光が肌をこがし、網膜を焼ききっても、タォヤマはただぼんやりとそれを眺めていた。

卵子を提出したあとは急激に老いるというが、オガはそれから百五十年以上生きた。まだ限界というほど体は弱っていなかったはずだ。本人は疲れやすくなった、スプシュトできる規模に限界が見えたなどと言っていたらしいが、それでも街をひとつ作るくらいは造作なくやってのけた。そしてその直後に、自分自身を頭からスプシュトして死んだ。セブジは事故だったと言いはっている。

楽園へは――

空から光が落ちてくる。まっすぐにタォヤマめがけて降ってくる。まばゆい光に体が押しつぶされ、溶けていく錯覚をする。

楽園へ――

「タォヤマ、起きなさい」

はっと彼は目を瞠った。

声は紛れもなく、セブジだ。

 

 

「セブ……」

「タォヤマ!」

耳にねじ込まれた大量の刺激に思わずタォヤマは首をすくめた。意思とは無関係に背中と上腕の筋肉が伸び、ガタガタとやかましい音が頭の上で聞こえた。体に特に痛みは感じないが、宙にうかんでいるようで落ち着かない。足の指先が少しだけもぞもぞする。

いつものエネルギー切れとは少し様子が違うようだとタォヤマは冷静に思った。ぼやけた視界の中に青紫色の毛玉が動いており、視覚はまだ覚醒しきっていないらしい。

ガイの声がはっきりと聞こえる。ガイはあれこれと思いついたところから口にしている。痛いところはないか、目は見えるか、大丈夫か、手は動くか――声には焦りと興奮と、子供っぽさが混じっており、今にも泣き出してしまいそうだ。タォヤマは目を閉じ、それから苦労してまぶたをこじ開けた。体を動かす力は残っているが、焦って矢継ぎ早に質問をするガイを制する力はない。ガイの汗の匂いに刺激されてくしゃみが出そうだ。

「ガイ、危ないから大きな声出すなよ。暴走するぞ」

セブジ。

ああ、とため息をついてタォヤマは体の力を抜いた。暴走してひっくり返った時に最初に聞こえるのはいつもセブジの声だ。彼は言うのだ。今の、すごかったなぁ、やっぱりお前強すぎるよ、最高だ。

じわり、と目の淵が痛んだ。喉の奥を刺激しないように気をつけながら、タォヤマはゆっくりと息を吸った。

「大丈夫。自発呼吸してるから覚醒してるはずだよ」

「でも反応が……」

「自力で動かせないんだろうよ。末端の神経が生き返るまで時間がかかるんだ。もう少し点滴して栄養を送り込んでやれば……安心しなさい。俺はタォヤマを覚醒させるプロだぞ」

プロ。

聞き捨てならないとタォヤマは思った。確かにセブジがいれば心強いが、だからといってプロを自称するのはどうにも納得がいかない。これではまるでタォヤマがしょっちゅう倒れているような――

そうだ、と彼は我に返った。彼は倒れたのだ。なにが起きたのか自分でもわからなかったが、意識が途切れる音ははっきりと耳に残っている。まるで体が引きちぎられ、頭だけを闇の中に沈められた心地がした。

記憶の底をさらってあの時のことを思い出そうとタォヤマはつとめたが、頭のなかはまだはっきりとしない。想像の中の手を動かそうとしても、自分の手が動かないことの方に意識がいってしまうせいだ。もう少し覚醒してからでなければまともな思考はできない、と彼は判断した。

「大丈夫かなぁ……」

と、甘えた声がガイを呼んだ。声は続けて「おしっこしたい」と主張した。

「ちょっと待って、タォヤマが……」

「今は待つしかないから先に連れて行ってやりなさい。チトはまだ起きれないし……」

一番近くにある熱源はセブジ、汗臭く、熱強度の高いのがガイ、甘えた舌っ足らずな声は――

思い出さねばならない、と頭のなかから声がする。確か、とても重要な声だったはずだ。セブジが口にした「チト」という名前ではなかった。もっと暖かくて小さくてそして――木漏れ日のような――

「もれちゃうよぉ」

「ああ、もう、どうして邪魔するんだよ……そんなにセブジがきらいなのか? 嫌いは悪い子のすることだぞ」

「いいから行って来い。漏らされたら後始末が大変だぞ」

ガイのつぶやきはそれ以上聞き取れなかった。しかし汗臭い熱源が遠のいたので、どこかへ行ってしまったことはわかった。近くにある熱源は頭の斜め上、それからずっと遠くに点のように一つ。視界にちくちくと刺さる熱源は弱く、おそらく天井のライトだろう。

胸から上だけがポッカリと浮かんでいるような錯覚がある。まだ体の末端が目覚めていないせいもあるし、体にのしかかる重力が定常的でないせいもあるだろう。先ほどから重力はどういうわけなのか、急に体を押さえつけたかと思うとふっとその手をゆるめるのを繰り返している。バスタブの中で目をとじているような気分だ。

「タォヤマ……死んでない?」

「大丈夫だよ。こいつは意外に強いから心配しなくても大丈夫。チトは自分の心配をしてなさい」

チト。

またチトという名前が出た。か細い、消え入りそうな声をしている。多分声の高さからして子供だろうとタォヤマは見当をつけたが、ちっとも反応しない記憶はその子供の顔の像を結んでくれなかった。それよりももっと大事なものがあったはずだ、と言っている。

「タォヤマ、聞こえるか?」

聞こえる、とタォヤマは返事をした。したつもりだった。覚醒時にエネルギーを使ってしまったので、鼻の穴も耳の穴も動かないし、まぶたはピクリともしなくなってしまったが、それでも彼は全力でこたえたつもりだった。

「オーケイ。起きてるな。あのな、お前に謝らなくちゃならないことがたくさんある。あるんだけどさ、俺、まだぶっ殺されたくないから今のうち謝っとくぞ。起きたらもう言わないからな、よく聞けよ」

これが謝る態度なのかと口を聞けたら罵っていたところだ。タォヤマは腹の底でぎりぎりと歯ぎしりをした。謝罪する前から許したくなくなるような言動をするのがセブジの悪いところなのだった。

「ええと、どこからいこうかな……」タォヤマは憤慨した。どこからなどと口走っているということは、いくつも謝らねばならない心当たりがあるということだ。それだけでも腹がたつのに、さらにタォヤマが動けないうちに済ませてしまおうなど、バカにしているにも程がある。「あ、そうだ。俺とガイは前から面識があったんだ。黙っててすまなかった。けど、ガイとパトリシアに口止めしたのは俺だから、ガイを怒ってやるなよ、ほんとに気にしててかわいそうなんだから。俺には好きなだけ文句言いなさい。それから……」

時系列が合わない、とタォヤマは思った。ガイがイェナに移住してきたのは二年前、その前からちょくちょく旅行に来ていたとしてもせいぜい五年から十年以内だろう。ということは、セブジはその間にイェナに来ていたことになる。決算の時期はタォヤマも経費の領収書に目を通しているはずだが、イェナの名前にはさっぱり記憶がなかった。単に忘れているだけなのか、それとも意図的にセブジが隠していたのか――もし隠していたのなら、後で猛烈に抗議が必要だ。隠し帳簿などが見つかったりなどしたら大変なことになる。

だが、タォヤマの疑念はさして続かなかった。

「えっと、それで……そのついでだから先に言っとくと、俺、毎年イェナに来てたんだよねぇ……それはできれば辞書とコミュニケーション図鑑が揃ってるってあたりで察して欲しかったけど、黙ってたのは事実だし一応謝っとく。隠し帳簿とかはないから安心してくれ、休暇で来たことにしてるから会社の経費じゃないんだ。でぇ、それから……あ、そういえば事務所の冷蔵庫にあったハバのプディングは食っといたぞ。勝手に食ったのは悪かったけど捨てるよりましだろ。あと、それと、ああそうだ、あれも謝っとかないと。ちょっとさぁ、うっかりしてお前のトレーサー落としちゃったんだよ。まあでも今修理出してるから帰ってくるころには修理も終わって埃かぶってると思う。ついでに言っとくとお前の机にベルベローガン仕掛けたのは俺。それで……」

まだあるのか、とタォヤマはげんなりした。しかもくだらないことばかりだ。そうこうしているうちに足の方から汗臭い熱の塊があらわれる。ふうふうと音を立てているが、音がするたびに汗臭いにおいが漂ってくるので我慢ならない。聴覚が過敏になっているせいで、呼吸音がよく聞こえるようだ。

「進展ありました?」

「あったよ。今、懺悔してるとこ。ガイはあとでな」

「どうしてですか、俺だって色々あやまんなくちゃいけないことがあるのに……」

「そりゃタォヤマが怒ったら怖いからな。ただでなくても俺もヤバイ隠しごとをたくさんしてるし、しかもこいつ、俺にはあたりがきついから動けないうちに謝っとかないとぶっ殺されるかも」

なにやったんですか、とガイは息を吐いた。ガイの足元あたりにもう一つ、独立で動いている熱源がある。しっぽかとも思ったが、右へ行き、左へ行き、そして離れていってしまったので、多分先ほど鼻たれ声をだしていた子供だろう。

「ま、ちょうどガイも来たし、このプロジェクトの背景の説明もしちゃうか。タォヤマにはまだなんにも言ってないからなあ。こんなことになるならもうちょっとヒント出しとけばよかったよ……」

なにがヒントだ、とタォヤマはまたむかっ腹を立てた。だいたいセブジには誠意がない。気が長いのはとりえだが、それは一生懸命になることがないせいだ。常に逃げ道を用意して、限界を超えそうになるとさっと身を翻してにげる。タォヤマにとってそういうセブジは安全を確保するためのクッションになってくれるありがたい存在ではあるのだが、その逃げの姿勢にこそタォヤマはいつも苛立つのだ。

「背景? 背景って……なにか、あるんですか? 再計画だけじゃなくて?」

「なんにもなきゃとっとと終わらせてるよ……VOAのことはあるけど、そんなの、力で排除しようと思えばどうにでもできるんだから、こんなに長引かない。座るとこは? ない? ま、じゃあテーブルにでも座ってくれ。チトは聞ける?」

チトと呼ばれた人物が返事をしたかどうかは聞こえなかった。ただ、ガイのむせ返るほど汗臭い熱源が近づいてきたことだけはわかった。ふだんから汗臭いとは思っていたが、寝起きで神経が敏感になっている時にはなおのこと、きつい体臭だ。くしゃみが出そうだが、筋肉は動かないし、鼻を覆おうにも鼻の穴を塞げないし、追い払おうにも手も口も出ない。タォヤマは泣きたかった。

「ああ、もう、汗臭いな……先にシャワーあびてきなさい。それか……もうちょっと離れて。まったくぅ、なんでそんなに汗臭くなるんだよ」

「いやいや、これきっとフェロモンですよ。これからモテモテになるのかも」

「そんなに臭くて? シャワーあびたほうがいいと思うけどね……まぁいいや、ちょっと離れろよ。タォヤマが暴走するだろ。もっと下がって。その辺。よろしい。じゃ、今からイェナの再開発計画がどうしてこんなにこじれたかについて説明する――」

不意にセブジの声が大きくなった。いつものふざけた調子から変わって声の通りが良くなり、単語一つ一つがはっきりとした輪郭を持つしゃべり方だ。

仕事のモードに入ったのだとタォヤマは察知した。普段はよれよれとした、年齢以上にくたびれている年寄りじみたセブジだが、この声だけは歳相応、そして立場相応になる。だから、セブジの会社に登録しているシュルニュクたちは彼を信用するのだ。この声があるから、この熱い意志を奥底に潜ませて流れるように語ることができるから、自分たちと同じ側にいる者だと認識できるのだ。

「ええと、質問は全部終わったあと、チトは色々いいたくなると思うけど、まずは全部聞いてくれ。オーケイ? よし、いい子だ。じゃぁ、イェナの再開発計画について最初から話すよ」

ガイが大きく息を吸い込んだ音が聞こえた。その音のむこうに、広く大きな熱源がある。目をとじていても、そこに大きな窓があり、日が差し込んでいるのがわかる。おそらく窓枠を覆っている青い蔦の葉の上をかすめて飛び込んでくる風の気流も、なにもかも感じられる。タォヤマはゆっくりと息を吐き、そして大丈夫と自分に言い聞かせた。

「……再開発計画が持ち上がったのは今から六十年前で、その時の担当者はオガっていう、うちの一番力があるシュルニュクだったんだ。チトは覚えてるよね、あのいい加減なやつだよ。いい加減だからこの仕事が終わる前に死んじまいやがった。ま、それはいいとして、とりあえず六十年前から始まったのはいいけど、計画とか資金繰りやらがあって実際にオガがここに来たのは、五十七年前、それで四年間、ここに暮らして街の調査をしてた。けど――」

VOA。

セブジの言葉を待たなくても、タォヤマにはその先がわかった。VOAがいて、計画の邪魔をしつつニンゲンの狩りをしようとしたから、一旦計画はストップした。パトリシアから聞いた話はそうだ。

「イェナにはニンゲンを食べたい奴らがいて、けどそのへんでニンゲンを捕獲して食べちゃったら捕まるだろ。だから隠れてこっそりニンゲンを食べてる奴らがいる。それがVOAっていうんだ。ガイは知ってると思うけど、そいつらがイェナにいて、なんでか知らないけど俺達の計画の邪魔をした。だから一旦プロジェクトは中断して、先にそいつらを捕まえることに注力することになったんだ。ここまではいい?」

「ええ、VOAの件ならパトリシアからも聞きました」

「オーケイ。チトも大丈夫だね。タォヤマは、まぁいいや。もう知ってるとは思うけど、起きてからな。それで、あー、そのときはVOAを取り逃がしたんだそうだ。あとほんのちょっとってとこで逃げられて、やつらが本拠地にしてたアパートはほとんどもぬけの殻になってた」

「ほとんど?」

「そう、ほとんどだ。一人を除いてね。彼らは今後またイェナに侵入するための踏み台として、VOAの中で生まれた子供を残してったんだ。それが、チトなんだよ」

 

 

2017年7月21日公開

作品集『ある朝の毒虫』第7話 (全8話)

© 2017 斧田小夜

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