ある朝の毒虫 – 3

ある朝の毒虫(第3話)

斧田小夜

小説

13,656文字

ようやく一人の時間ができたタォヤマは街歩きをすることにしたが、予想もしない相手につかまる。

幸い、レセプションに座っていたのは年配の男だった。髪の毛に白髪がまじり、目の周りにシワが寄っている。彼はタォヤマをみるなりにっこりとパトリシアと全く同じ笑みを浮かべ、矢継ぎ早に部屋はどうかとか、不都合はないかなどと質問する。パトリシアからクレームが入ったのだろうとタォヤマは推測した。

喉が渇いたのと軽食をとりたいので街に出ようと思うが、どこかいいところはないかと尋ねると、大きくうなずいた男はいそいそと地図――驚いたことに紙でできている――をとりだし、完璧な第一公用語で説明をしながらペンで印をつけてくれた。

「よい旅を!」

どこかで聞いた文句だとおもいつつ、地図を右上腕に携えてタォヤマは外へ足を踏み出した。

風が吹いている。ビル群を駆け抜ける風が思いのほか肌にしみて、彼はあわてて帽子のつばをぐっとひっぱった。首元になにか巻いて出てくるべきだったと後悔する。

レセプションが一番おすすめだと言っていたのはホテルから出て数分も歩かずにつくカフェだ。夜は遅くまで営業しており、ニンゲン以外の宇宙生命体もよく訪れるという話で、彼が暗に先ほどの騒動を申し訳なく思っていることが察せられた。食事をとるのはひとまずそこでいいとしても、先に首の周りに巻くものを手にいれなければ寒くて死んでしまうかもしれない。

ホテルに一旦もどってレセプションで尋ねようかと足を止めたタォヤマだが、ホテルに隣接する建物に皓々と明かりが灯っているのを見つけてまばたきをした。巨大なビルの中階が一旦ぶつ切りにされた上に、彼の泊まるホテルは建っている。エントランスの前は広場上の踊り場になっており、上を仰ぐと針のように細いビル群が空に突き刺さっているのがみえるというわけだ。

隣接する建物のエントランスは全面ガラス張りになっている。窓の向こうは色があふれ、人が盛んに出入りしているようだ。ホテルの方角まで歩いてくるものはあまりいないが、ぐるりとエントランスから建物に沿うように移動すれば、人通りの多い、繁華街になっているのだろう。

歩けば数十秒もかからない距離である。少し様子を見に行って目的のものがあればラッキー、なくても仕方がないと思える程度なのだから足を運んでみようか、とタォヤマは思った。ダメならホテルに戻って尋ねてみればいい。

上着のポケットに上腕を突っ込んで、彼は背中を丸めた。目深に帽子をかぶっていれば大丈夫だと航行機の客室乗務員は言っていたが、タォヤマは自信がなかった。

いつ、なんどき、だれが、彼のことを指差すかはわからないし、エイリアンと罵るものもいるかもしれない。そもそも言葉がろくに通じないのでは子供に戻ったも同じだ。社会のルールもわからないし、なにをするにも時間と忍耐が必要とされる。異国にくるというのはそういうものだし、早め早めに訓練をかさねていかなければと理解もしているが、惨めな思いをしなければならないとわかっているのに突き進むのは億劫だ――

空気の中には夜の濁りが混じり始め、知らない言葉が時々耳に入ってくる。翻訳機を切ってしまうと、街行く人々の断片的な言葉を理解するのは不可能だ。時折ひっかかる音もあるが、意味を理解するまでには達していないので雑音以上にならない。バツヴァク語はシンプルな発音が多いので、単語さえ覚えてしまえばある程度は理解できるはずだが、第一公用語との関連性は十%以下、すなわち学習難易度AAAの言語なので完璧に習得するには十年はかかる。いくらユフが長生きでも、習得困難に分類される言語だ。

語尾がロヌなら否定だったはず、語尾がヤジバなら念押しか、確認の意。店員には最初にこんにちはと挨拶をしなければならないらしいが、こんにちははなんだったか、もうすっかり暗くなっているからこんばんはのほうがいいのか――頭のなかで確認をしながら、ゆっくりとタォヤマは光の方へと歩いて行った。まばゆい光に胸がどきどきする。

店の入り口からはすこし離れたところで立ち止まり、彼は店名を口の中で読み上げた。パトペ・イラ――イェヤかもしれない――・メジタ――メディパ? マドツァだろうか。 パトペは青または青い、イラもしくはイェヤは知らない単語、最後の単語は動詞か? 犬か? それとも人名だったか? バツヴァク語は後置型言語なので最後は動詞である場合がほとんどだが、店名なら名詞かもしれない――わからない。タォヤマは理解をあきらめ、次の手がかりを探した。

ショーウィンドウの中は色にあふれている。パトリシアのようにひっつめに髪の毛をまとめた、比較的髪色の暗めの女が二人、商品を手にとってまじまじと眺めている。棚の影から出てきたのはヘーゼル色の目をした男、彼は金色のなにかを手にしている。入り口のそばにはソファ、ソファに上に本が重ねてあり、足元には緑色の植物――まったくどれだけ植物が好きなんだ! とタォヤマは心のなかで毒づいた――その奥の棚は金色のものがかかっていて更に奥は――カード? 本? とにかく紙でできたなにかが飾られている。棚の下には棒状の長いものや紙袋が無造作に置かれている。

順繰りに注意深く商品を眺める。色がどぎつく、目がチカチカする。女の一人が布地のなにかを手に取り、鏡の前で体の前にそれをかぶせているのでおそらく服も売られているのだろうということをタォヤマは理解した。服があるなら、首の周りに巻くものもあるかもしれない。店員に聞くとまた悲鳴だろうか。それとも親切に教えてくれるだろうか。言葉は通じるのか? 惨めに敗退することにはならないか。

「いた!」

が。

彼が煩悶から抜けだすより先に、声が耳をつきさした。

「ねぇ――」

バツヴァク語だ。声は甲高く、発音がはっきりしない。翻訳機が動作しない――いや、翻訳機は切っているはずだ。だというのになぜ、最初の言葉の意味はわかったのか? それよりこの声は――

「ねーえ」

そろそろと彼は視線を斜め下方向へと動かした。スラックスを掴んで誰かが揺すっている。

嫌な予感。

「あのね、あたしね、シーシっていうの!」

また、だ。

また、あの幼女がいる。

 

 

タォヤマが固まっていたのは数秒か数十秒だっただろう。幼女がまたなにかを言ったので、彼は我に返ったのだ。

「――、――!」

なにかを言っている。先程までははっきりと意味がわかったのにまったく理解できなくなってしまった。彼女はゆっくりと喋っているのでバツヴァク語であることだけはわかるが、それ以上の情報を彼は得られなかった。彼はあきらめて翻訳機の電源を入れた。

「あたし、シーシだよ、――あなたは?」うううん、と耳の中で唸った翻訳機は拙い少女の声音をうまく模倣している。タォヤマは面食らって一呼吸置いた。

「僕は、ええと……タォヤマだよ」

「ターヤマ?」

「タォヤマ。朝一緒にいた人はどこにいったの?」

「んー、――問題なし!」

タォヤマはため息をついた。薄暗がりの中でもシーシの目の中には光が宿っている。店から溢れ出る光が映っているのだとはわかるが、彼女の瞳の中に昼が置き去りにされているように思われて、タォヤマは胸が苦しくなった。

「問題ないわけないだろう、心配してるかも」

「ターヤマ、なにしてるの?」

それはこっちの質問だ、とタォヤマは憮然と思った。

それにしてもシーシの服装は貧相だ。夏物のノースリーブのワンピース一枚を身に着けているだけである。この街に暮らす人々でさえ長袖に薄めの上着を羽織っているような陽気だというのに、平気な顔をして笑っていられるのが不思議なくらいだ。タォヤマはいくらかこの幼女を不憫に思った。

彼女の頬は垢で汚れ、赤くなっている。髪の毛もくしゃくしゃで絡みあった毛が毛玉になっているし、ワンピースなどは胸元がすっかり黒く汚れて模様が判別できなくなっている。きっと替えの服もないのだろう。シーシの連れの女は腹立たしいが、あの女も若いふうだったし、手に負えなくなって適当に放り出していったのかもしれない。あるいはちょっと目を離した隙にシーシが迷子になったか――

「ターヤマ、どうしておてて隠してるの?」

「手? 手ならここにあるよ。それより、シーシはどこに住んでるの? 服は? あったかくしないと風邪引くよ」

「これ? これきれいでしょ」

「きれいだけど、ちょっと寒そうかな」

「これ、もらったの! ここのお花がね、一番なの。それでね、こっちはね」お腹の辺りを指差して、彼女は説明をはじめた。タォヤマはそぞろに相槌を打ちながら、彼らに光を分け与える店の方へと視線を送った。

それにしてもあの少女はどこへ行ったのか。もしかしたらこうやって誰かを捕まえては服を恵んでもらうのが二人の作戦なのか?

たとえもしそうだったとしてもシーシをこのままにしておくのは良くないと彼は思った。彼女は子供だ。自分の身を守ることができない子供を寒空の下に放り出しておけば、あっという間に死んでしまう。

「シーシ、僕はこのお店で買い物するつもりなんだけど一緒に中に入る? 寒くて死んじゃいそうなんだ」

「んー、入ったら怒られるからいい」

「どうして怒られるの?」

「わかんない」

この「わからない」の意味は、理由が煩雑すぎて説明できないということだろうかとタォヤマは訝った。ニンゲンの子供の見かけと中身の成熟度が判別できない。タォヤマの困惑を嗅ぎとったのか、「勝手に入ったら怒られるの」彼女はいくらかしぼんだ声で付け加えた。

「僕は大人だから一緒に入ろうか。あとそれじゃいくらなんでも寒いから、上着も買ってあげる。だからお店から出たらちゃんと帰るんだよ」

うん、と元気よくうなずいたシーシはおとなしくタォヤマの上右手を掴んだ。汗ばんだ、小さな手だ。

「ターヤマ、なに買うの?」その場で飛び跳ねたシーシは行動に触発されたかケラケラと声を上げて笑った。「ねぇ、なに買うの? お菓子?」

強く腕を引っ張らないようにシーシを制し、勇気を奮い立てて店内に足を踏み入れる。光は思った以上に眩しいが、帽子をもう少し目深にかぶれば我慢できないことはない。彼は息をとめ、カウンターにもたれかかっている店員の方へと向かった。

胸が苦しい。話しかけるときはなんといえばよかったのか。こんにちは? すみません? 店に入ったらこんにちはというのが普通だとかいてあったが、いきなり要件を切り出してもいいのか? 「こんにちは」はバツヴァク語ではウジーヴ・イハャ――ウジューブだったか?――すみませんはナルダイヨ? それはごめんなさいだったか? やはり「こんにちは」が無難か。話しかける前に叫びだされたら――

「あのう、――コニショワ」タォヤマは息を吸い、はいた。遅れて耳に届いた翻訳が期待とは異なっていたことにしゅるしゅると心がしぼんでいくようだ。ぼんやりとしていた店員ははっと背をのばし、それからタォヤマの顔を見てますますぎょっとしたらしく一、二歩あとずさった。タォヤマは腹に力を入れ今度は第一公用語で言った。「あのう、この子の羽織るものをさがしてるんですが」

店員は目を見開いてタォヤマの目を凝視している。シーシはお行儀のよいもので、飛び跳ねたり声を張り上げたりせず、しっかりとタォヤマの指をにぎりしめている。居心地の悪い沈黙。

「あと――なにか、首の周りをあたたかくするものも」

「――探索ですか?」

「探索? ええと、探してるんです。ほしい、買いたいんです」

「ああ、買いたいんですね」震える声で彼女は復唱をした。まだタォヤマの目を凝視している。「ええと、――医療はこのあたりで……子供用は――これらです」

「シーシ、黄色か緑がいいと思うな。だってかわいいもん!」しっかりとシーシはタォヤマの指を掴んでいる。じろじろと彼女を見下ろす店員にさえもシーシは満面の笑みを分け与えてみせた。大した度胸である。

「今日は――でこっちは三十%――、これはこちらの一――を合わせて買うと――ですよ」余計なことを言うなとタォヤマは苛立った。ごちゃごちゃと言われるとわからないものがさらにわからなくなる。あるかどうかだけで十分だ。「もし――会員になっていただければさらに十%――で――、――一つの――のたびに贈りものが」

「ありがとう。ちょっと見てみます」

店員は口を閉じ、そろそろとあとずさった。表情は分からないが今にも逃げ出したいという思いだけはありありと感ぜられる。

服はタォヤマの腹のあたりの高さにいくつかぶらさがっている。シーシの注文にぴったりの緑や黄色はないが、紺色のものは長袖でフードがついているし、生地も分厚そうだ。その隣にぶら下がっている茶色は動物の毛で織り込まれたもののようで、触ってみると柔らかくあたたかいが、もろそうである。

「シーシ、どっちが好き?」

「これ、ターヤマ着れないよ。ちっちゃいもん」

「僕のじゃなくてシーシのだからこれでいいんだよ。こっちのほうがいいかな、長持ちしそうだし」

「そちらは一六九〇ペグサになります。ええと――なので十%――で一五二一ペグサですね」

すかさず店員が口をはさんだが、今回はタォヤマも苛立たなかった。というより、驚きのあまりひっくり返りそうになった。スィアツはタォヤマからすると物価の安い国だが、一六九〇ペグサといえばゴオリバの独身者用賃貸アパートの相場とほとんど同じくらいだ。

高すぎる。

「天然素材の――MTSLをつかっているのであたたかいですし、長持ちしますよ……そちらは合成の――なので二十五ペグサです。申し訳ないんですけど――ハズレで」

「高いねぇ」素晴らしく直戴な感想を口にしてシーシはタォヤマの足の頬ずりをした。「シーシ、茶色も好きかな」

「そちらは――スタイルなのでお子様――――お子様が脱ぎ着作り簡単ですよ」

タォヤマはくらくらとしていた。ここにセブジがいえば散々に笑われているに違いない。そうやって面倒ごとに手を出すから、苦しい思いをするハメになるんだ。いい加減に学習しろ。そういうセブジだって今ここでシーシを見かけていたら同じことをするに決まっているのに、だ。彼はシーシを見下ろした。

明るい緑色の目がタォヤマを見ている。口はきゅっと結んで少し前に突き出されている。これはパターン、なんだ?

「……じゃあこっちの茶色い方ください。あと僕の首に巻くものを――」

「あちらです」そっけない返事をして店員は店の隅を指差した。壁に幾つか布がかかっている。いくらかホッとしてタォヤマは礼もそこそこにそちらへ向かって足を踏み出した。

「ターヤマは何色が好き? シーシはねえ、えっとねぇ、いっぱいあるよ!」

頭がくらくらする。

色彩が多すぎるのだと彼は思った。視覚が刺激されて見るべきものの優先順位がつけられない。こんな時は危険だ。いつうっかりスプシュトしてしまうか、わかったものではない。

「これ、かわいいねぇ」

「うん」

「シーシ、こっちも好きだな。かわいいもん」

「シーシ……」

「これ五でしょ? 高くないやつだよ」

タォヤマはあえいだ。緊張のせいで頭痛がする。多少高くても経費で申請すればセブジはうるさいことを言わずに受け入れてくれるのはわかっているし、不安に思うことはなにもないはずだ。店員はわけのわからないことを一人でブツブツ言ってはいるが、少なくとも悲鳴は上げていないし、タォヤマにものを売ってくれるそうだというのに、彼はなぜか不安を感じていた。嫌な予感ばかり胸に去来して足に力が入らない。

「ターヤマ、これたぶん――いい子だよ」だがシーシの声はタォヤマの変調を気遣ってはくれない。彼女は声量をおとさず、それどころかむしろ声をはりあげて「あったかそうだもん」と言った。

ついに彼は膝をおった。というよりは崩れ落ちたといったほうがいいだろう。

しっかりしなければと思う。こんなところでへこたれていては仕事にならない。しっかりしなければ。だが、体がだるくて、体に力が入らない。

「ターヤマ、だいじょうぶ?」

大丈夫、と彼は口には出さず答えた。この不安がどこからやってきたのかはわからなかったが、シーシに心配をかけるのはよくないことくらい、彼にもわかっている。小さな子供は大事に扱ってやらなければならないし、心配させてはいけないものだ。

「……ターヤマ?」

「大丈夫、ちょっとくらくらしちゃったんだ。じゃあこれにしようか」

「うん。五って書いてるよ。五って高くないやつでしょ? チトが言ってた」

彼はのろのろと手を伸ばし、慎重にそれを手にとった。柔らかい感触のモスグリーンの布だ。シーシの言うとおり、たしかにタグには五の文字があるが、それとは別に三十四ペグサと値段が付いている。五がなにを意味しているのかはわからないが、それでかまわないとタォヤマは思った。安くていいものを手に入れるために労力を割くより、とにかく手に入れられるときに手に入れてしまったほうがいい。特に不安でたまらないこの旅では多少の散財は目をつぶらねば、タォヤマ自身がつぶれてしまう。

すとん、と隣に腰をおろしたシーシが無言で腕に頬を寄せる。彼女の物おじしない姿勢にタォヤマは正直なところ圧倒されていたが、しかし今だけはすこし心強かった。彼女は叫ばないし、驚かないし、逃げ出したりもしない。敵意もむき出しにしないし、不信感をあらわにも――

「あの、――合意ですか?」不信感が来た。「そちらは三十四ペグサですが」

「五ってかいてるよ。シーシ読めるもん。五だよ」

膝に気をつけながら、タォヤマは慎重にたちあがった。立ち上がるだけで頭がくらくらとするが、腹に力を入れて手にした布を店員に押し付ける。シーシはまだ五だと主張しているが、そのせいで厄介なトラブルに巻き込まれるのはごめんだったのだ。

「五ってかいてたよ!」

「五じゃなくても別にいいんだよ」

「三十四と五は違うやつだよ! 変だよ。シーシ、間違ってないもん!」

「シーシが選んでくれたから、あれでいいんだよ」

ぷくん、と頬をふくらませてシーシはおとなしくなった。両手でタォヤマの指をしっかり掴み、顎をいっぱいまでそらしている。この表情はなんだ? 困惑? 怒り? 理不尽を感じている? 嘘をつくなと言いたい?

「どうします?」また不信感が口を挟んだ。苛立ちも感じる。タォヤマはシーシの表情の解読を諦め、店員に向き直った。

「これとさっきの茶色いのを、ええと、買いたいです」

「マフラーとウール――を――買いですね。――個人用ですか?」

「個人用?」ちくしょう、また訳せないと彼は心の中で罵った。

「個人?」案の定きょとんとした店員は間が抜けた顔で口をあけ、それから絞り出すように息を吐いた。「……ええと、――贈る用ですか?」

「ああ、いや、プレゼントじゃないです。すぐに使います」

「じゃああちらで――準備するので」

そそくさとレジ台へ行ってしまった女を追いかけ、シーシの手を引く。ふと視線を感じた彼は恐る恐る首を巡らせて店内をぐるりと見やったが、彼を眺めているものはなかった。客は棚の影にふたり、鏡を見ながら服を合わせているものが一人――彼女は鏡越しにタォヤマを見ていたらしいが、さっと視線を逸らした――もう一人くらいいたはずだがいつの間にか消えたらしい。

「五十九ペグサですけど、あと一ペグサで五%――になりますがどうします?」いちいち訳のわからないことを聞くな、とまた彼は毒づいた。買えるのか、買えないのか、どっちなんだ。

「一ペグサ払わないと買えないってことですか?」

「あと一ペグサで――になりますよ。例えば、そうですねぇ……このリボンとか、――手油とかを……」

「もうひとつ買ったら安くなるんだよぉ」シーシがスラックスを引っ張ったのでタォヤマは不信感から目をそらして彼女を見下ろした。ぱちりと若緑色の目をひらいてシーシは真剣な顔をしている。「でもね、そゆの、チトはぁ良くないって言うの。払うほうが多いからダメなんだって。――なもの? えっとお」タォヤマは足元を見下ろした。タォヤマの理解できる言葉で話すのはシーシの方だった。彼女はきっぱりといった。「んーと、シーシ、リボンはいらないな」

「この二つだけで買えるってこと?」

「うん」

それではこの店員はなにを言わんとしたのか、とタォヤマは訝ったが、シーシの言はタォヤマの望むことそのものだ。退ける理由はない。彼が二つだけでいいと念を押すと、幸い店員も無用な押し問答は避けたかったようで、それ以上の追撃はなかった。

やれやれだ。買い物一つにも大騒動である。

身分証をみせ、チェックを切り、決済する。支払いが済んだ後、店員は大きなハサミを取り出して値札をちょんちょんと切り、ほとんど丸めるようにしてタォヤマにそれを押し付けたが、文句をいう気力はすでにタォヤマにはなかった。

「その子」

しかし、シーシの上着の値札を切り取りはじめてすぐ、彼女は長いきりりとした眉をひそめた。ちらりとタォヤマの表情を伺い、カチカチとハサミで音を立てる。

「その子、あんまり関わんないほうがいいですよ。多分反対派の子だし――に追っかけられますよ」

「なにに追いかけられるって? 衛生局?」

「――永世局だったらマシですけど、反対派じゃまずいです。イェナを追い出されるかも」声をひそめて、彼女はさっとあたりに視線を送った。なにかを恐れているふうだ。

タォヤマは眉をひそめてそんな女を見つめた。たぶん女はVOAのことを懸念しているのだろうということはわかるが、こんなシーシを前にして分別なくそれを口にすることが腹立たしかった。タォヤマの腹立ちには気づかず、女はため息をついて念を押した。「とにかく反対派には――コネクトしないほうがいいですよ」

「でもこの子は子供だろう。こんな小さな子が反対とか賛成とか自分で決められっこない。だいたい面倒を見てくれる大人もいないみたいだし、ソーシャルワーカーに引き渡すとかしないと」モスグリーンの布を首に巻きながら、タォヤマは思わず声を大きくした。「役所に福祉課くらいあるだろ。これから連絡する」

シーシはスラックスを握っている。少しだけ引っ張る力を感じるので、煙のように忽然ときえたはずはない。

「ほんとやめといたほうがいいと思いますけど……」

タォヤマは女の手から服をひったくった。彼女の声はもうそれ以上聞きたくなかった。

 

 

「わかんない」黙秘。

「じゃぁどこに住んでるの?」

「わかんない」またもや黙秘。

「チトって人はどこで働いてるの? 働いてないの?」

「わかんない。夜になったら帰ってくるよ」半分は黙秘。

「いつもご飯はどうしてるの?」

「チトが持ってくる」

「どこから?」

「わかんない」これは仕方がない。本当にしらないのかも。

「どんなごはん?」

「わかんない」完璧なる黙秘。説明するのが面倒なのかもしれない。

「チトとはいつから一緒にいるの?」

「んー、わかんない。ずっとだよ」ある意味、黙秘。

タォヤマはため息を付いて水に口をつけた。

上着にご満悦のシーシはマントの裾をそれぞれの手でちょっとだけつまんで前であわせている。あったかいと無邪気に喜ぶ彼女を暗闇に放置するのも忍びなかったので、チトと呼ばれる少女をつきとめようと質問攻めにした結果がこれだ。ほとんどは「わかんない」、つまり黙秘である。

腹が減ったというシーシをカフェにつれてきてはみたもののタォヤマは完全に行き詰まっていた。肝心のシーシはチップスが出てくれば目を輝かせ、ジュースが出てくればぱっと顔を明るくして喜んでいるから扱いやすいといえば扱いやすいのだが、しかしいつまでも一緒にいるわけにもいくまい。やはりソーシャルワーカーに相談をすべきか、しかしどうやって連絡を取るのかと彼は頭を抱えた。

「ターヤマぁ」

「ん?」

「これあげる!」

シーシは目を輝かせている。突き出しているのは味のついていないチップスで、遊びの一種だろうとタォヤマは解釈した。

「……ありがとう」

「ターヤマ元気だして!」元気よく叫んだ彼女は、不意に身を乗り出し、テーブル脇のメニューをつついた。そして上目遣いでタォヤマを見つめ、「ねぇ、ケーキたべよ」と言った。

おねだりか、とタォヤマは得心した。彼女なりにギブアンドテイクのルールがあるのかもしれない。もっとも彼女がギブしたものはタォヤマが購入したものだし、テイクするものもタォヤマが購入するのだから、タォヤマからすればギブアンドギブなのだが。

「ケーキはあとでね。それよりシーシ、いま何歳なの?」

「シーシ? シーシはねぇ、えっとねぇ、三歳!」ニンゲンの三歳はわからないが、本人が自称するならおそらく二歳から四歳の間だろうか、受け答えはしっかりしているのでもしかすると五、六歳かもしれない。ユフなら十歳から五十歳のあいだくらいだ。

「ターヤマはぁ?」

「僕は二〇九歳だよ」

「へぇ」きょとんとしたもののシーシは上手に相槌をうった。「じゃぁすっごいおじいさんだね」

「僕はユフだからまだ若い方かな。みんな六百歳とか七百歳くらいまでいきるから」

「ふうん」シーシは眉根を寄せて唸った。唸っても可愛らしい女の子だ。「二百っていっぱいでしょ? チトが言ってた」

「そうだね」

「百よりいっぱい?」数の概念はまだ怪しいらしい。タォヤマは仕方なく笑った。

と、そこにぬっと黒い人影が現れる。

「仔牛肉のパイ」

訛りのある第一公用語だ。タォヤマが慌てて水の入ったグラスを引くと、その狭い隙間に叩きつけるように皿が降ってくる。やや底の深い皿の縁をにぎったまだらに毛の生えた薄汚い腕がチップスを押しのけたので、シーシもひゅっと頭を引っ込めた。緑色の深皿の中には茶色の香ばしい匂いがするものが入っており、白い湯気があがっている。

「ボナペティ」

「ボナペティってどういう意味?」チップスを握りしめているシーシは素早く問を口にした。口元はほころんでおり、新しい遊びを見つけたというふうにも見える。

「どうぞ召し上がれ、だよ」

「なんでそういうの?」

「お店の規則でね」愛想なく男は答えた。バツヴァク語だったが翻訳機はすんなりと訳した。「あっちで怖いおじさんが見張ってて、ちゃんと言わないとムチ打ちの刑になるんだ」

「ムチウチ?」

「ビシバシ叩かれるんだよ。お客さん、この子、どこからつれてきたんだい」

ぼんやりと二人の話を聞いていたタォヤマははっと我に返った。男の言葉は再び訛りのある第一公用語になった。訛りはあるが流暢で聞き取りやすい。

「え?」

「この子。あんたの子じゃないだろ。あんた、ナニジンか知らねぇけど、ニンゲンじゃねぇもんなぁ、どっから連れてきたんだい」

「ああ……そこで声をかけられたんですよ。一人にしておくわけにはいかないでしょう、すっかり暗くなってるのに」

「はぁ」口の周りの不衛生なひげをもそもそと動かして、男は嘆息した。胸をいっぱいにはり、顎を逸らしてタォヤマをみている。二の腕が風船のように膨れ上がった奇妙な体型をしている。「あんた、さてはお人好しだね? 悪いことはいわないから、あんまり関わり合いにならないほうがいいよ。この子、たぶん反対派んとこの子だから」

まただ。

多少腹は立ったが、先ほどの店員よりは楽に言葉の通じる相手だ、とタォヤマはぐっと怒りを飲み込んだ。今のうちに話を聞いて状況を整理しておかねばならない。それにこれは仕事にも直結する話だ。反対派とやらがヴェシュミ・ビセに反対するなら、その言い分もしっかり聞いておかねばならないからである。

「あー、イェナのニンゲンじゃないんなら知らないのもしょうがねぇか。ここがもうすぐ生まれ変わるって聞いたことあっかい、ない?」タォヤマがその張本人シュルニュクであることはつゆともしらず、男はますます胸を張った。「イェナはさ、新しい街になるんだよ。俺は、こんなふうに色んな所に木が植わってるのも悪くねぇと思ってんだけど、確かにあっちこっちガタはきてるし、しょっちゅういろんなところが崩れるし、それになんたってふるぅい街だからねぇ、古くなると色々ガタがくるもんさ。うちんとこもこの間根っ子に水道管がねじ切られちゃってよぉ、盛大に吹き出て店ん中水浸しだよ」手足をばたばたさせ、顔を細かく横に振る大げさなポーズ。「ひでぇもんだろ。それを考えたら、確かに、新しくなるのはいいことだよ。こっちだって火事とか水漏れとかはごめんだからな」

ふう、と男は息を吐いて肩をすくめた。表情は脱力しているが、それもなにかのパターンだったはずだ。あとで図鑑を調べようとタォヤマは彼の表情を観察した。

男が息を吐くたびに分厚い胸がすこし下がったような錯覚をする。上半身が風船のようにふくらんでいるが、そのすべてが筋肉でできているのだと気づいてタォヤマは戦慄した。ガイもたくましいと思っていたが、この男はそれ以上だ。ガイの半分くらいの背丈しかないくせにそれだけの筋肉をまとうことができるニンゲンには本当におそれいるのだった。

「それは……そうですね。修理しないと住めなくなっちゃいますね」

「だろぉ? んだけどよぉ、お役所は乗り気で頑張ってるってぇのに、新しい街なんかいらねぇってやつもいるんだよ。そういうのが反対派っていうんだ」

「そりゃいるでしょうね。だいたいそういう時に反対する人はいるもんです」

「このまま置いといたってしょうがねぇのになにを反対してんのかねぇ……俺がこの子くらいにちっちゃい頃からずっと言われてんのにいまだになぁんも出来やしねぇんだから、まったくしようがねぇよ。最初の頃なんてさぁ、俺は子供だったからあんまり覚えてねぇけど、すんごい金をかけたのに失敗したらしくって、もうしっちゃめっちゃかさ。親父が言ってたよ」

五十年前の件か、とタォヤマはひっそりと思った。

料理を前にうずうずしているシーシにフォークを渡し、胸元に紙ナプキンを押し込んでやる。フォークがうまく扱えないシーシはすぐに手づかみになるだろうが、買ったばかりの上着を汚されてはたまらない。

案の定、シーシは張り切って皿の中身にフォークをつきたてた。

「しっちゃかめっちゃか」

「いい大人が殴りあいをねぇ……議会でこんな風につかみ合いの喧嘩をしたりとかしたらしい」ぐ、と誰かの襟元をつかむような仕草をまねて、男はガイのように下顎をつきだした。「あとは賛成派のえらいおっさんが銃撃されて――」

「銃撃」

「そいつぁ死ななかったらしいんだが、でも正気の沙汰じゃねぇ。首都がこんなんじゃざまぁねぇって国も乗り出して、なんとか首謀者を捕まえてその後は芋づる式っていうはなしだねぇ。賛成派を誘拐して殺しちまったりもしてたらしくてな。血生臭くてやだね」

「それが反対派なんですか?」

「過激派のな。過激じゃないやつらもいるけど、まぁめんどくさいやつらだね」

骨肉の争いが繰り広げられたということは、VOAが関与していたのだろうとタォヤマはうっすらと悟った。この男がどれくらいのことを知っているかわからないが、パトリシアがすぐさまVOAの名を出したのは無理もなさそうだ。実際に面会することがあれば肝に銘じておいたほうが良さそうだ――

タォヤマの内心をしらず、男はまだぺらぺらと喋っている。

「過激派はもう最悪だね。家がなくて、汚らしくってな、地下に潜ってなにかやらかしたり、たまに街に出てくりゃひったくりしたり強盗したり、とにかくロクなもんじゃねぇ。その子もたぶんそうだね。まだちっちゃいからわかっちゃないだろうけど、そのうちあいつらにしこまれる。かわいそうに」

「ターヤマ! これおいしいよぉ!」

ぴったりのタイミングだとタォヤマは思った。彼が想像するよりもずっとシーシは察しがいい。本当はなにもかも理解しているのではないかと思えるほどだ。

「それなら今のうちに引き離しておけば……」

「無理だよ。あいつら怖いもんなしだから必ず取っ返しに来る。いまじゃ保護施設SPAFもお手上げさ」両手をあげるポーズ。ボディランゲージが多いのはありがたいとタォヤマは思った。この男の語り口はなまっているが、しかしだからといってわかりにくくないのは、ひとえにこのボディランゲージのおかげだろう。「あんたも気をつけな。飯やるくらいならいいけど、でもそれだってね。一回までだな。ずるずる引っ張り込まれるよ」

ぐちゃぐちゃとシーシは皿の中身をかきまわしている。目をきらきらとさせ、上唇を下唇で抑えて夢中になっている様子だ。これも演技なのだろうか、とタォヤマはひっそりと思った。それとも本当に無邪気な、可哀想な子供なのか? 肝心なことは全て黙秘する知恵があるのに?

情に流されるのはよくない、とセブジには口を酸っぱくして言われている。それにVOAと親密になったという記録がもし万が一残ったら渡航するたびに厳しいチェックをうけなければならなくなる。ニンゲンの領土に入る場合は拒否される可能性もあるのだ。シュルニュクとして仕事をするのなら、それだけは絶対に避けねばならない。

だが。

「まー、あんたに言ったってしょうがないんだけどさ。でも痛い目に遭うのはあんただからねぇ。たしかにこんなちっちゃい子を見捨てるのはかわいそうだけどよ……」

「ターヤマぁ、たべよぉ、これお肉だよ! すごぅいよ!」

タォヤマはため息をついた。

 

 

2017年7月4日公開

作品集『ある朝の毒虫』第3話 (全7話)

© 2017 斧田小夜

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

SF

"ある朝の毒虫 – 3"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る