ドレミファソドムの血は騒ぐ

南沢修哉

小説

5,114文字

渋谷の蔦屋に用事があった。そこにしか置いていないカルト映画のDVDを借りに行くためだった。私はNHKの近くに車を停め、神山通りから東急本店を経て渋谷駅のほうに向かって歩いていた。陽は暮れ、ありとあらゆる種類の光が飛び交って眩しかった。

蔦屋の前までくると、そこらじゅうの建築物の目立つところに掲げられた巨大な看板や街頭ヴィジョンを何種類も同時に見ることができる。街全体が一つの巨大なコマーシャルになっていた。この広告街の真ん中をのろのろと走る大型トラックはティーン向けアイドルの新曲をBOSEのバスレフ型フルレンジ・スピーカーで流し、その荷台の外側にはアドビ社のフォトショップで特殊加工されたティーン向けアイドルの挑発的な笑みが何倍にも拡大され貼りつけられている。広告街で撮られた写真はすぐさまSNSに投稿され、二次的なコマーシャルに発展、それを目にした有象無象によってコマーシャルの連鎖が起こる仕組みになっていた。誰かに雇われたり金をもらったりしているわけでもない、ただ流行に敏感な女学生が他人のためのコマーシャルを情報空間にばんばん流してくれる。渋谷という街の名前そのものが高級ブランドのロゴとなり、権威となり、無邪気な女を手っとり早く洗脳するための決めゼリフとなる。このような総合的システムを編み出した巨大広告代理店のアカウント・エグゼクティブたちこそ真の天才と呼ばれるにふさわしかった。一方、こうしたコマーシャルの洪水に飲まれた私の頭脳はいつしか荒唐無稽なパラノイア的思考を逞しくするようになっていた。

異次元の億万長者たちが住んでいる松濤美術館周辺の家々にミサイルを落として木っ端微塵にしたい――超巨大トレーラーで道玄坂の頂上からたっぷり助走をつけ駅前のスクランブル交差点の人ごみに突っ込みたい、そのような妄想をくり広げているAVのスカウトマンはきっと渋谷にわんさかいるのだろう。いまさらそんなつまらないことでおどろくくらいなら、誰もハーシェル・ゴードン・ルイスの映画を不正入手してまで見たりしないだろう。誰も「イエス・キリストは真の神」などと書かれた恥ずかしいプラカードを持ってセンター街の入り口に立ったりしないだろう。そして今日も『血の祝祭日』は貸し出し中で、鼻つまみのキリシタンはいつものあの場所に立っている。そこは去年、全員オールバックのSPを百人近く侍らせた安倍晋三が道玄坂と文化村通りを大渋滞に陥れ選挙前演説を敢行した場所と奇しくも同じだった。

渋谷の高層ビルに向かって火焔を吐く大怪獣ガメラの姿は創世記の神がソドムを滅ぼすシーンを彷彿させる。あのような非娯楽的表現を可能にしたのは、いったい何だったのか。ハルマゲドンが不発に終わることを人々がまだ知らなかった二十世紀末特有のペシミズムのせいかもしれない。あるいは人々がソドムと看做し得る余地さえあれば、その街を滅ぼしてもかまわないというめでたい発想でつくられただけかもしれない。いずれにせよ我々が鰐亀の化け物を見て抱くのは、平和を脅かすカルト教団や気の狂った無差別殺人犯といったネガティヴなイメージではなく、千年紀の終末に下る神の裁きという神話的世界観だった。それはセンター街の前で聖書の文句を高らかに掲げている連中とあまり変わらない発想なのかもしれない。結局のところすべては似たようなものなのかもしれない、神も、亀も、人殺しも。

道路を挟んでドン・キホーテ前の歩道から、私がいるH&Mのほうに向かって大声で怒鳴っている女がいた。私はちらりとそちらを見たが、わざわざ立ち止まりはしなかった。渋谷の雑踏で女性器の俗称を叫ぶような女の知人などいなかった。このごろよくいる頭のおかしな人間だろう。渋谷にスカッド・ミサイルが落ちることを願っている世捨て人か何かだろう。無視して歩きつづけることにした。こんな騒々しく狭苦しい場所にこれ以上いたくなかった。早く帰宅して紅茶でも飲みながら防音室で軽快なチャールストンを聞きたかった。女は甲高い声でさらに怒鳴っていた。

女は走って道路をわたり、さらに怒鳴りつづけた。左右からくる車を少しも気にせず一直線にこちらに向かっていた。メルセデスのけたたましいクラクションの音に私は嫌でもそちらを振り向くことになった。女は顔面を紅潮させ、あきらかに激昂している様子だった。見ず知らずの女が肩まである髪を振り乱し、哮り狂いながら全速力で私のほうに向かってきた。怖ろしくなった。とうとう女は飛びつくように私の胸ぐらを両手でつかみ、女性器の俗称を連呼しながら激しく揺すぶってきた。H&M前の喫煙所で意味もなくタバコを吸っている間抜け面がいっせいにこちらを向いた。何十人、下手をしたら何百人という通行人がこちらを見ていた。スマホによる撮影会がはじまった。まるでゲリラ上演された路上パフォーマンスか何かでも見るように、即時的衣装哲学洋裁店ザ・テーラー・ファーストリテーラードの名の下に凡人化ユニ・コロナイゼーションされた一角獣的複製人間ユニ・クローンたちは運よくその場に居合わせた選民として事のなりゆきを愉しんでさえいるようだった。そんな雑魚は歯牙にもかけず、女は相変わらず女性器の俗称を叫びつつ、私のことをなじり倒していた。

見ず知らずの女からいきなりまんこ呼ばわりされるなんてまったくわけのわからない世の中だ、と私は思った。敢えて書くなら、私は人からまんこなどという穢い言葉で罵られたことは一度もなかった。まして渋谷の雑踏で人から怒鳴られたことさえ一度もなかった。おそらくこれは人違いだろう。この女は私を誰か別の人間と間違えて認識しているのだろう。渋谷の雑踏でまんこ呼ばわりされるにふさわしい人物がほかにいて、その者の代わりに私が怒鳴られ、不当な言いがかりをつけられているのだろう。そうにちがいない。そしてこういう人違いは世界有数の繁華街である渋谷ではよく起こるのだろう。なにしろ釧路の祭りとは比べ物にならないほど大勢の霊長類が行き交っているのだ。何が起きてもおかしくなかった。

女は向日葵の絵が描かれたワンピースの裾に両手をかけ一気にがばっと脱ぎ捨てた。下には何もつけていなかった。乳房を品定めする隙も与えずふたたび私の胸ぐらを引っつかんできた。世界でいちばん往来密度の高い街のど真ん中でフル・モンティになった女を傍観者の一部は平気な顔でぱしゃぱしゃと撮影していた。人々の無邪気な様子は、これが渋谷という広告街では頻繁に起こる疑似イベントの一つにすぎないことを物語っているかのようだった。当事者である私自身、これは新しい種類のコマーシャルなのではないかと思いはじめていた――白犬のTVコマーシャルを流すだけで飽き足りないソフトバンクが子供騙しのガラクタを売りつける目的で私の理性を崩壊させようとしているのではないかと、そうあってほしいという希望さえ混じっていた。しかし実際のところそれは完全に誤った推理だった。ソフトバンクといえども消費者庁を蔑ろにはできないからだ。私は奇妙なトラブルに巻き込まれている、やはりそう考えるのが妥当だった。

全裸の女は私のシャツもろともサファリ・ジャケットの襟をつかんでいた。ひとまずその手をどけさせるために、私は離してくれと何度も口頭で懇願したが、聞き入れられることはなかった。むしろ私のリアルな応対が路上パフォーマンスの信憑性を高める結果となり、益々誰もこの女の行為を止めようとしなくなった。私は自力で彼女の手をほどこうとした。ものすごい力だった。その形相は『陰陽師』に出てくる生成にも似ていた。シャツのボタンが弾け飛び、びりりと生地の裂ける音がした。私は本気でどうにかしようとして身体をばたつかせた。そして次の瞬間、私と女の身体が離れた。我々は同時に尻もちをついた。私は女よりもコンマ数秒疾く立ちあがった。その一瞬の隙に私は走って逃げた。人が多い歩道から車道に降りて、車と車のあいだを縫うように走った。なだらかな坂をおりた。ちょうどスクランブル交差点の歩行者用信号が青に変わった。人の波に進路を塞がれ、走ることができなくなった。女も追いかけてきた。こちらには気づいていないようだった。これだけ人がたくさんいれば、私のことを見失っている筈だ。私は安堵して走るのをやめ、勝ち誇ってふたたびうしろを振り返った。見あげた109の街頭ヴィジョンには女の姿が映っていた。まるでアルカイダの殺人予告のように私に対する脅迫のメッセージを読みあげていた。その場を埋め尽くす人々はしばらく街の象徴的な巨大ディスプレイを見あげ、またすぐ歩きだした。私は波打つ喧騒に飲み込まれ、その悪臭に嘔吐しかけた。目眩がした。渋谷という嗜糞症的な街が私を殺そうとしていた。走った。逃げた。ぶつかって転んだ。怒鳴られた。無視して立ちあがり、また走った。手足がちぎれそうだった。すぐうしろには全裸の女が迫っていた。叫んでいた。喚いていた。私はさらに疾く走った。無関係な人にぶつかり、その反動で別の人にぶつかり、ピンボールと化した私の身体はJRの高架のほうへ吸い込まれていった。鉄道の轟音を女性器の大絶叫が突き破った。響いた。聞こえた。そして共鳴した。青天井のハウリングが耳を劈いた。ゾンビたちの呻き声は屠殺場に引きずられる牛たちの暴風雪にも似てもうもうと吹き荒れていた。そこには釧路の湿原より爀く幻想的なランドスケープが広がっていた。得体の知れない旅行者に喰いちぎられた臓腑を踏みしめながら歩いた。鮮血の驟雨に染まる109の街頭ヴィジョンには、ブロック状にあちこち剥落し滲んでいるティーン向けアイドルが落ち着きない障害児のように無意味でしどろもどろな動作をくり返している奇妙な映像が映っていた。やがて洪水は勢いを増してゆき、膝下まで血に浸した。皮肉にも空は快晴で、降り注ぐ太陽の光が赤黒い地平を隅々まではっきりと見せていた。私の身体はそこにぷかぷかと浮かぶ大鋸屑に等しかった。波も風もなく、静かに水嵩だけが増していった。これは本当に渋谷なのか? 声に出さず自分に問うた。そこには宮益坂のほうへ伸びる私の影を除いて誰もいなかった。そして無論、影は何も答えず私の動きを忠実に模倣しつづけているだけだった。あの女はどこへ行った? そうだ。逃げなければ。ここもあぶない。私は人々の臓腑をかきわけて泳いだ。東に行けばまだ血に浸かっていない高台がある筈だ。ふたたび陽はどっぷり暮れ、私は自分の影を見失った。気がつくと女はもうすぐうしろに迫っていた。可もなく不可もない乳房を上下に揺らしながら私に襲いかかろうとしていた。途端に私は走った。ドタドタと人にぶつかった。可愛らしい小柄な女学生を倒した。無視して走りつづけた。JRの高架をくぐり抜けた。明治通りの前には三十五フィートの白いリムジンが停まっていた。ふとビックカメラの街頭ヴィジョンを仰ぎ見た。Jポップのヒットチャート番組がPVつきで放送されていた。私はそこで逃げ惑った。明治通りには車がびゅんびゅん通っていた。右に行けば246、横断歩道がない三車線の大通りだ。その先にある渋谷警察署に駆け込むのも悪い考えではなかったが、その前に赤信号でつかまってしまったら明治通りよりも絶望的だ。まっすぐ行けば宮益坂、おそらく坂の上まで走りきる体力は私にはないだろう。私は宮下公園のほうへ逃げることにした。シダックスの前を通ってNHKのほうへ行けば、自分の車に戻れる。車で逃げれば勝ったも同然だ。私の勝利は目前だった。ちょうどそこへスケボーに乗った若者がやってきた。私は彼の目の前に飛び出して進路を塞いだ。スケボーの若者はすぐには止まれず、私と衝突して派手に転んだ。私はがらがらと音を立てて転がるスケボーを這いつくばって追いかけた。必死だった。

「なにするんだ!」

「あとで返す!」

私は奪ったスケボーに颯爽と飛び乗った。想った以上にスピードが出た。背後を気にしながら走った。誰も追いかけてこなかった。どうやら逃げおおせたらしい。勝った。私は勝ったのだ。勝利の余韻に浸りながら前方に向きなおったとき、曲芸的な手放しスタイルで自転車に乗った全裸の女が、両手に握った「世界平和」のプラカードですれ違いざまに私の顔面を叩きのめした。意識の向こうで女性器の遠吠えがディレイしながら消え失せていった。

目を覚ますと私は渋谷警察署の建物内にいた。通行人を金属バットで殴打し重傷を負わせた容疑で刑事から取り調べを受けていた。

2017年2月4日公開

© 2017 南沢修哉

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

---

"ドレミファソドムの血は騒ぐ"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る