豚の賤記

南沢修哉

小説

4,047文字

当直の老いぼれは会社のお荷物だった。夕方、すべての社員が退社すると、老朽化した四階建ての社屋は耄碌した死にぞこないの手に堕ちる。あちこちに鍵をかけて閉じこもり、勤務中にもかかわらず二階の事務所の椅子にもたれよだれを垂らしながら不貞々々しく居眠りするのだ。

私はコリドー街の乗禁地区でセンターの寄生虫どもから取り締まりを受けて以降、隔勤組の中でもかなり早く帰庫するようにしていた。次にセンター事案を起こしたら馘首になる可能性が高いからだ。深夜まで違反すれすれの営業をつづけるのはリスクが高い。そのような人事上の危機をまったく意に介さず、本来は全面禁煙である事務所内で隠れてこそこそタバコを吸っているベテランの給料泥棒は、私に対して八つ当たりともとれる幼稚な嫌がらせを働く習性があった。私が営業から帰ってくるのを見計らって、十二歳児の精神構造から何の進歩もないこの死にぞこないは、車庫から事務所に入るためのドアに鍵をかけてしまうのだ。すると私は立体式になった駐車場の長いスロープをえっちらおっちら歩いてくだり、表にまわって階段をあがって二階の事務所に入らなければならない。それが余命幾許もない老害にできるせいいっぱいの嫌がらせだった。ノルマを片付けたらそそくさ戻ってくる私(天才的能力の出し惜しみ)に対する陳腐な嫌がらせのつもりなのだろう。己の無能さ&存在価値のなさを省みず、ちんけな憎悪と嫉妬に基づいて人に嫌がらせを働くしかない、そんな惨めな余生を送るくらいならいますぐ首でも縊って死んだほうがマシだという健全な発想には決して至らないタイプのクズ、祟り殺す価値さえない社会のゴミなのだろう。

豚魔羅はいつも事務所に隣接する給湯室に隠れてこそこそとタバコを吸っていた。事務所と給湯室を隔てるものは何もないので、タバコの煙が事務所のほうまでもくもくと流れてくる。無論タバコ特有の悪臭、目や咽喉の奥を刺すような臭いも充満していた。ただでさえどんよりして湿気臭い事務所の空気が一段と悪くなっていた。バレていないとでも思っているのだろうか。私が大人しく見過ごすとでも思っているのだろうか。豚魔羅はタバコを吸うとき以外は、事務所の椅子に座ったままテクノブレイクしたように眠っていた。肉体的&年齢的にガタがきているので三流以下の知性しか働かないのか、あるいはその逆か、いずれにせよこちらがクレジットカードの領収書に判子を押し納金手続きを済ませ事務所のカウンターテーブルに乗務日報を提出しているにもかかわらず、アホ面の死にぞこないは安っぽいハリウッド映画の雑魚キャラよろしくこちらの存在にまったく気づかずzzz..と惰眠を貪っていた。勤務中に居眠りしている老いぼれの様子を私はスマホで撮影し営業課長に密告したことがあったが、豚魔羅が馘首になることはなかった。

会社のお荷物である老いぼれを馘首にしない時点で、この会社が社会のお荷物であるとも言える。当直は客からの簡単なクレーム処理も担当していた。クレーム処理などという高度な芸当が豚魔羅風情に務まる筈もないのに、あの無能なクズがそのようなポジションに居座りつづけるのは無論ネガティヴな理由しか存在しない。一つは人手不足。もう一つは天性の事勿れ主義、要はクレームの篩としての役目である。たとえばあなたがいきり立って弊社にクレームの電話をかけたとしよう。担当者が使いものにならないバカだった場合、あなたは頭にきて上のもっと利口で日本語の通じる人間を呼ぶよう命じるだろう。しかし十八時をすぎると会社にはゴミ同然の豚魔羅しか居合わせていない。そこには筋金入りの大バカしかいないというわけだ。責任感のかけらもない豚魔羅はのらりくらりと対応しつづけ、あなたは怒鳴ることさえバカらしくなる。クレーム処理をバカにまかせることで客に肩透かしを喰わせ篩にかける、無論それだけで済まないことも多々あるが、社会のお荷物たる弊社のクレーム処理の本質はだいたいそんなところだろう。企業理念もクソもないクズどもの掃き溜め、それが弊社だ。

豚魔羅は私が帰庫するのを見計らって車庫の灯りをすべて消す。あたかも防犯上それが必要な措置であるかのように装い、私に対して幼稚かつナンセンスな嫌がらせを働く。私が車から降り事務所に戻って帰庫処理をするときでさえ、領収書をまとめるためのホッチキスから針をすべて抜きとったり、ホッチキスの針やホッチキスそのものを隠したり、判子を押すためのスタンプを乾燥させたり、幼稚さに事欠かない嫌がらせを飽きもせずくり返した。新しい文房具を用意するよう私が頼むと、もたもたと面倒くさそうに椅子から立ちあがり、事務所の机の抽斗や棚を漁った末、わざと間違えて別の文房具を出す始末だった。無能さの極まった豚魔羅は遅れたり間違えたりしたことについて何の謝罪もせず、次の日には相変わらず給湯室の陰に隠れてタバコを吸い、また次の日には事務所の椅子でぐーすかぐーすか惰眠を貪るのだ。自分以外に誰もいない会社で居眠りしている当直という、絵に描いたような雑魚はありふれたアクション映画のパロディと言ってさしつかえなかろう。私に対してはろくに挨拶もしないくせに、運管の責任者には媚び諂ってハキハキと挨拶する。定年を越えてなお会社のお情けで雇われている死にぞこないの老害に出世の道などあるわけがないのに、いまさら運管のボケナスどもにへえへえする意味がわからない。どういうつもりなのだろうか。私を笑わせるために行われる、早朝の業務報告という形式をとった新手のパフォーマンスなのだろうか。普段は老人ホームの末期患者じみた挙動のトロさを誇るくせに、運管だけには信じられないほど矍鑠として応じる。豚魔羅のバカげた序列意識が見え見えで、私はあふれる笑いを隠すのに必死だった。老害の死を全力で祝いたいと思った。排泄物のような顔をしたこの老いぼれを一刻も早く便器の水の渦に葬りたかった。

運管の責任者はというと、甘ったるい缶コーヒーと加齢臭の入り混じったドブのような臭いをまき散らしている不快な中年男性だった。老いぼれ同様、単なる豚のくせに大物ぶってちんたらちんたら歩く様が私の癪にさわった。身長の低さと反比例するようにそのプライドだけは無駄に高く、何事においても権柄尽くで支配的にふるまいたがる時代遅れな単細胞生物だった。人間、ひとたび性格の歪みが人相に出てしまうと、あとは豚魔羅よろしく死ぬまで周囲の人々から疎まれ嫌悪され邪魔者扱いされるシステムになっているのだ。何もかもがハラスメントなこの中年男性は、不二雄Aの漫画に出てくるしみったれた小悪党をそのまま引っぱってきたような芋面をしていた。周囲の人々から毛嫌いされているにもかかわらず、当人にはその事実に対する自覚が明らかに欠落していた。それは豚魔羅も同じだった。彼らには、自分がまき散らした悪臭によって周囲の人々を不愉快にさせそのせいで周囲の人々から鼻つまみ扱いされているのだという自覚がどういうわけかまるでないようだった。老害予備軍の無能なゴルジ体は、やがてそうなるであろうアホタレ当直の阿諛追従を迷惑がり、大声で挨拶されることも煩わしそうにしていた。早朝の業務報告や業務を引き継ぐのに不可欠なやりとりさえ避けようとし、老いぼれ絡みの仕事に関してはほかの善良な社員にまわそうとする。いい歳をしてまともにコミュニケーションを図ることさえできない彼らのご立派な職人気質に全力で賛辞を贈りたいと思った。バカげた皮肉だ。まるでバカどもを出汁にとって煮込んだスープに浸かって自分までバカになってゆくようだった。

死にぞこないや中年運管のために自分の手をこれ以上汚すつもりはないが、小説の材料にしたところで筆の穢れにはならないだろう。私とてそれほど高貴な文章を書いているわけではないのだ。私はもっと華々しく煌びやかな職業に就きたかった。何億という大金を扱う仕事に就きたかった。どうせ争うなら、己の首を賭けた壮絶な出世争いがしたかった。実際はどうだろう。余命幾許もない老害相手に車庫の門を閉めるor閉めないという下等な小競り合いをしているだけではないか。完全にナンセンスで、存在価値がゼロに等しい者同士で水面下のにらみ合いをつづけている。明日こそどうにかしてやると息巻いて自分に誓いながら、実際にはちっとも積極的に果敢に攻撃を仕掛けることができない。相手の挑発を無視したりわざとらしく咳払いするのが関の山だ。私が本気になれば営業所の当直ごとき簡単に始末できるだろう。しかしそんな荒っぽい真似をして何になるのだ。いつくたばってもおかしくない耄碌一匹排除したところで、私には何のメリットもない。「車庫の門を開閉するのは当直の仕事だ」という正当な指摘をまったく理解できない脳死状態の老いぼれにいまさら手を下す必要などあるまい。当直に限らずこの会社の人間は誰一人として消す価値さえなかった。くだらない虫けらどもを私が敢えて野放しにしているのは、殺す手間が惜しいからにほかならない。目ざわりな虫けらを感情まかせに踏みつぶして自分の靴が穢れるのは不本意だろう? 私のように慈悲深いサイレント・マジョリティの善意に生かされているにすぎないのだという事実を悟り得る知性など、もとより虫けらや老いぼれには備わっていない。職業上、不可欠なマニュアルが二つ三つ頭に入っているだけで、そんなものは少し賢い犬や猿なら覚えられるだろう。芸を仕込まれた犬や猿なら可愛げがあるものの、口があるのにまともな会話もできない無愛想で無価値な老いぼれにはまるで救いがなく、遅かれ早かれ孤独に死ぬのだろう。私は畜生未満の死にぞこないにことさら大きな期待を寄せているわけではない。私の安寧な生活にふざけた影響を及ぼしさえしなければいつ死んでくれてもかまわないのだ。ただ一つ……いや、まあ、それはいいだろう。

2017年1月23日公開

© 2017 南沢修哉

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

散文

"豚の賤記"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る