華麗なる賭け

応募作品

アサミ・ラムジフスキー

小説

3,975文字

負け戦とわかっていても挑まねばならないときが男にはある。合評会2016年12月度応募作品。

愛情こそが最高のスパイスだ、という戯言を真に受けたわけではないが、とにかく心を込めるほかなかった。丁寧に、真摯に、けっして手を抜くことなく、ひとつひとつの工程をマニュアルどおりにこなしていくこと。男にできるのは、ただそれだけだった。

「よけいなアレンジは絶対にしないでね。いい? 絶対だよ?」

妻からの諫言を暗唱しながら慎重に包丁を動かしていく。だが、アレンジする気などさらさらなくても、具材はイメージどおりの形になってはくれない。ニンジンは包丁を下ろすたびころころと転がったし、ジャガイモは皮を剥いて芽をとったら半分ほどのサイズにまで縮んでしまった。精一杯がんばって、これなのだ

男にはこれまで、ほとんど料理の経験がなかった。作れるものといったらお茶漬けとトーストと、あとはせいぜいカップ麺ぐらいのものだ。苦手というのもおこがましいほど、調理器具とは無縁の人生だった。大学時代は寮生活だったので食事の心配はなかったし、卒業後すぐに栄養士の妻と結婚したため、自ら包丁を握る必要に迫られたことは一度もない。男はそんな自分のことを恵まれていると思ってきたが、よもや四十を過ぎてからそれが裏目に出ようとは、想像だにしなかった。

旗色が悪いのは歴然だ。俎板のまえに立つ姿だけでもライバルたちには見劣りがした。右隣は慣れた手つきでするすると野菜の皮を剥いていくし、左隣は当たりまえのように出汁から自分でとっていた。どちらもあきらかに経験者だ。自信のなさは周囲に伝わるからせめて虚勢を張れ――教え子たちにいつも言っている言葉を反芻するが、虚勢でどうにかなる状況とも思えない。どんなに実力差があろうとも、教え子たちはそれなりに練習を積んだ経験者であり、ルールも把握している。それに対して男は、丸腰で戦場へ放り出されたようなものなのだ。

だが、それでも戦うしかなかった。なにも道楽でやっているわけではない。料理慣れしていない中年男が包丁を握るとなれば、ふつうは気まぐれによるいわゆる「男の料理」である場合が大半だが、今回ばかりは事情が違った。これは真剣勝負だ。この先一年半の命運を分けるような、いや、ともすればむこう数十年にわたって多くの関係者のキャリアに影響が出るような、そんな一世一代の大一番なのだ。このカレー対決に勝てば、男は安田純平を取り戻すことができる。

 

アマテラス以来の大天才――安田純平がそんなふうに呼ばれるようになったのは、いつからだったろうか。遅くとも小学校に入るころには「天才」の名を欲しいままにしていたはずだ。

きっかけは、いわゆる「百発九十九中動画」だ。母によってYouTubeに投稿されたその動画のなかで、まだ三歳だった純平は次々とフリースローを決めていった。バックボードの助けを借りることもなく、リング上で蹈鞴を踏むこともなく、文字どおり静かにネットへと吸い込まれていくボール。リプレイかと疑いたくなるほどに、ボールは幾度も幾度も同じ軌道をとおっていった。二十分にわたる動画中、外れたシュートは一本しかなかった。

小さな体をめいっぱいに屈伸させるフォームはまるでカエルのようだったが、笑う者などいない。なにせ純平の標的は、身長の三倍以上はあろうという大人用のリングだったのだ。年齢を考えれば、ボールが届くだけでも快挙というべきだろう。プロでさえフリースローは苦手だという選手がいるのに、平仮名も書けないような子供がズバズバと決めていくのだから、世間がほうっておくはずはなかった。

あまりの鮮やかさに当初は捏造疑惑も湧いたが、テレビの生放送で十連続成功を収めてみせたことで、純平の腕前を疑う人間はいなくなった。正真正銘の大天才の誕生だ。ジャスティン・ビーバーがツイッターで拡散してくれたことなどもあり、この年「百発九十九中動画」のYouTube再生回数は世界第二位を記録したという。

日本バスケットボール協会の動きも早かった。この逸材を逃してなるものかと、純平の保護者に対し全面的なバックアップでの英才教育を約束する。やはり協会としてはスターがほしかったのだろう。ちょうどそのころは、弱小だったはずのラグビー日本代表が躍進を見せはじめた時期だった。サッカーやバレーがどれだけ強くなろうと「バスケはフィジカルに頼る部分が大きいから」と弁解していた協会だったが、ラグビーにまで置いていかれてはもうその言い訳は通用しない。そこで、ほかの競技に取られてしまうまえに天才を囲おうとしたわけだ。

気が早すぎるんじゃないかと懸念する声もあった。「バスケはシュートだけの競技じゃない」としたり顔で笑う評論家もいた。しかしそれでも協会は純平の才能に賭けた。なにもしなくてもどうせ先細りなのだから、ギャンブルに出る価値はあるはずだ――当時の協会内部はそんな意見で一致していた。

 

はたして純平は、期待に応えて順調にエリート街道を歩んでいった。最高の指導者と最高のチームメイトと最高の練習環境が用意され、一度も負けの味を知らずに毎年全国制覇を達成した。日本代表の合宿にも特例で参加したし、毎年必ずアメリカ遠征にも連れていってもらった。NBAの試合はいつでも無料で観られた。『スラムダンク』から『DANDANだんく!』までバスケ漫画の名作も提供された。学業についても抜かりはない。なにがあっても進級できるよう、協会が文科省を抱き込んで裏工作をおこなった。変な女に溺れないよう完璧な美少女も用意した。身長は相変わらず低かったが、垂直跳び五メートルという人類最高の身体能力で補った。超能力のトレーニングもおこない、ボールの軌道を空中でコントロールできる特殊技術を身につけた。いざとなれば、時間軸を超えて失点を取り消すことさえできるようになった。

その甲斐あってか、はじめての国際試合となった十五歳以下の世界大会では計五試合で一〇一五二得点を記録し見事得点王に輝いた。なかでも、決勝戦で見せた三分以上滞空する奇蹟のダンクシュートは、世界中のバスケットファンの心を鷲掴みにしたに違いない。純平が世界水準のプレイヤーであることは、もはや誰にも疑いようがなかった。

それなのに、だ。

高校一年の冬、純平はバスケット部を自主退部してしまう。本人が明言していないので理由はよくわからないが、チームメイトの証言によれば「もうやりたくない」「つまらない」「Negiccoのライブが観たい」などと日ごろから漏らしていたという。

 

男はいま、「天才をつぶした指導者」として責任を取らされようとしている。

客観的にみて、男にこれといった非はなかったはずだ。天才だからと甘やかすことはなかったし、逆に体罰をあたえたこともない。将来を見据え、むしろオーバーワークの防止には通常以上に気を配っていたほどだ。

しかし、それまで順風満帆にきていた天才が急にへそを曲げたわけだから、その責任を問われるのはやむを得ない話でもあった。選手にモチベーションを維持させるのも指導者の大切な役割だ。その責務をまっとうできなかったことは、たしかに事実なのだ。

将来を嘱望されたスターのドロップアウトということで、週刊誌も毎号のようにバッシング記事を掲載している。妻の実家からは「買い物にも行けない」との苦情がきた。このままでは、じきに離婚を迫られるかもしれない。妻は「なにがあっても味方だ」と言ってくれているが、世のなかには本人の意思だけではどうにもならないこともある。男は職も家族も失いかねない危機に立たされていた。

最後のお願いをすべく安田純平の家まで訪れたのは、三月末のことだった。指導者が教え子に対して絶対にしてはならないはずの土下座までする覚悟で、男は安田家のインターフォンを押した。ここで駄目なら自分はすべてを失うのだ――そう思えば、プライドなど発泡スチロールのように軽く脆いものだと思えた。男は、なんとしても純平を取り戻したかった。

ところがどういうことだろう、家のなかに通されると、そこには見知らぬ大人が何人もいるではないか。

「相撲部に! 強い日本人横綱が必要なんです!」

「いや野球部に! この国でいちばん稼げるスポーツは野球ですよ!」

「陸上部なら歴史に名を残せます! 金メダリストになりませんか?」

類まれなる純平の身体能力に目をつけていたのは、バスケット関係者だけではなかった。男の知らないあいだに、各競技の協会トップ級や有名指導者やらが純平を口説こうと日参していたらしかった。全裸で土下座をしながら懇願している者もいるし、札束をあからさまに手渡そうとしている者さえいる。安田純平をいちばん過小評価していたのは、もしかすると自分たちなのかもしれない。気づけば男も、服を脱ぎ捨てながら純平の足元に擦り寄っていた。

「戻ってきてくれ! 君の力が必要なんだ! もう一度バスケットを――――」

 

その後の記憶はさだかでないのだが、なんやかんやあって、とにかく男はカレー対決に巻き込まれてしまったのだった。いちばんおいしいカレーを作った人についていくと、純平がそう宣言したらしいのだから仕方ない。あの場にいた全員の大人がその提案を受け入れたという。冷静になってみるとなんとも馬鹿馬鹿しい話なのだが、集団心理というのはおそろしいものだ。

レギュレーションでは助手をつけたり通信機器を持ち込んだりするのは禁止されだが、メモの持参はOKとのことだった。そこで男は、妻に最初で最後になるかもしれない料理のアドバイスをもらった。さながら最後のラブレターといったところだろうか。

ラブレターの文字がタマネギのせいで滲んでよく見えなかったのは、言うまでもない。

2016年12月15日公開

© 2016 アサミ・ラムジフスキー

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スポーツ ユーモア

"華麗なる賭け"へのコメント 6

  • 投稿者 | 2016-12-16 01:39

    冒頭での疑問が最後にとけて、構成が上手いと感じました。枚数の制約もあり、わざと書かなかったのかもしれませんが、もう少し安田純平の人間性に迫る描写があると、もっと良かったと思います。

  • 投稿者 | 2016-12-17 11:41

    まず、作品外の世界との距離の取り方がうまくいっていない気がします。「華麗なる賭け」と題しながらも往年の銀行強盗映画との関連は不明瞭であり、少年の名前をシリアで行方不明になったジャーナリストと同名の「安田純平」とする意味も今一つ分からない。作中の「安田純平を取り戻す」という唐突なフレーズは、拘束された安田氏を奪還するという政治的なアレゴリーとして読めという合図なのかと困惑しました。引喩であるならばその役割が読者に伝わるようにする、単なる偶然の一致であれば読者をミスリードしかねないので事前にチェックして回避する必要があるでしょう。あと、これは好みの問題なのですが、ジャスティン・ビーバーやYouTubeが出てくるリアルにありそうな世界と、少年のバスケットボールの腕前の誇張された表現描写の並置には、度の合わない眼鏡をかけてものを見ているような心地の悪さを感じました。

    恩師とスポーツエリートの関係をあえて恩師の視点から描いた点には独自性が感じられます。しかし、主人公と純平のあいだに人間的な相互理解や心のつながりが皆無であるため、テーマにある「恩師」という情緒的な表現が活かせていません。主人公は純平がなぜバスケット部を退部したか最後まで理解できず、純平を取り戻そうとする動機も純平のためではなく自らの社会的な体裁を保つためのように見えます。カレー対決の場面にも純平に対する気遣いや彼の真意を察しようとする思いは見られず、心がこもっていない。さらに妻からの「最初で最後になるかもしれない料理のアドバイス」を「最後のラブレター」に喩える結末は、主人公が料理という結構面倒な家事を今後も妻に押し付け続けることを正当化しているようで不愉快に思いました。本作における主人公の行動はすべて純平のためでも妻のためでもなく、主人公自身の社会や家庭における安寧な立場を守り続けるというエゴイスティックな動機によるものなのではないでしょうか?

    なお本作は4000字以下の字数ですが、改行や行あけがあるため400字詰め原稿用紙10枚には収まらないはずです。私自身が破滅派における慣例を理解していないだけかもしれませんが、長さの規定について共通の理解が必要だと思いました。

  • 投稿者 | 2016-12-21 04:18

    長さに左右される内容については他の人が語る事に任せる。皮肉だとか商業的カルチャーだとかぶち込んだ料理小説と捉える事にした。この小説自体がカレー(?)なのかも知れない。
    選手の成り上がりもコーチの叩かれヤケクソ気味も、今起きている事の象徴ではある。
    難しい部分もあったが今回俺は積極批判出来る立場でないからこれくらいにする。

  • 投稿者 | 2016-12-21 09:23

    グダクダ論じる必要はなく、小説とは娯楽で有り、如何に面白く読めるか? だけな故、その点、この作品は知識と云う、まな板にのった、そうした根本に徹しているユーモアで有り、実に清々しく読めた。

  • 投稿者 | 2016-12-22 12:40

    タイトルどおり華麗な文章、華麗な言葉のチョイスによって進められる完成度の高い小説だ。イメージを想起させるという意味で、前回の合評会の作者さんの作品よりも格段に質が高い。
    ただし、最後の、女からの料理のアドバイスを「ラブレター」と表現する部分は、気持ち悪い男のイメージで、華麗な作品の雰囲気を壊しているような気もしないではない。
    星5つ。

  • 編集長 | 2016-12-22 17:30

    設定のバカバカしさが秀逸。安田くんが凄すぎてバスケでなくても良かった。
    難癖をつけるとするなら、料理パートの戦いがもっとバカバカしく書いてあるとよかったかも。

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