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光ってみえる白

応募作品

高橋文樹

小説

4,815文字

私には霊感がある。長らく養護教諭をしているのだけれども、この学校には生徒たちの集合意思のようなものがあって、生徒たちが廊下に三人も集まると、彼女たちの集合意思が薄い紗のような膜として見える。攻撃するときは赤。嫉妬すると黒。喜びを分かち合うと黄。悲しみの共有は青。恋心は踊りだしたくなるようなピンク色。彼女達が織りなす感情の織物は、養護教諭としての私にとても役立っていた。

仕事柄、私は保健室に常駐していて、気分の悪くなった生徒を見るようにしている。私が着任してからは、不登校の生徒が学校に戻って来やすいよう、保健室登校用の机と椅子が用意してある。言葉少なに自習用の課題に向き合うあの娘たちの感情が見えたらいいのだけれど、集団ではない一人の生徒の心は見えない。私が見えるのは、あくまで集合意思だけだ。一人ひとりの感情まではわからない。それがもどかしい。この霊感がもっと役に立てばいいのだけど、なかなかそうはうまくいかない。クラスにいじめがあるときは、薄いグレーの靄が大きく立ち込めているけれど、それを防げたためしがない。

そんな私の能力が役立ったことが一度だけある。

私の勤務先である小清水川女子学園は経営上の理由から四年前に共学化を果たし、男子生徒を迎え入れるようになった。初年度の志望者は二十名で、合格者はわずか五人、しかもそのうち四人は別の公立校へ進んだ。唯一残った生徒には理事長(数少ない男性職員!)自ら「君が唯一の男子生徒になってしまいます」と告げ、なかば共学化の失敗を諦めていたが、不幸中の幸いというか、彼は公立校に落ちて入学を決めた。

経緯がなんであったにせよ、女子ばかりの環境にたった一人の男子が入ってきたのだ、これはまあ大変なことになるだろうというのは明らかだった。しかし、理事長がはしゃぎすぎたのだろう、「彼が退学などすることになってはまずいので、教職員一丸となって彼を守りましょう」という訓示が出た。

「小清水川が少子化という波を生き残るためには、共学化を成功させるしかないのです」

そう言って息巻く理事長の言葉には学校経営者としての苦労がにじみ出ていた。小清水川には進学校と呼ばるほどの実績がない。そもそも生徒の側に「いい大学へ行こう」という意思が希薄で、有望な生徒でも熱心に勉強をしない。その代わり、マナー教育などの授業があり、家庭科のコマ数も多い。手芸部、華道部が全国規模コンクールへの入賞をするほど盛んだ。「いい男をつかまえて結婚する」という前時代的な婦女観が蔓延していて、それも良妻賢母を育てるという校風と無縁ではないのだけれども、アラサー未婚の私からすると……このご時世で一番厳しい将来計画を生徒に植え付ける残酷な教育方針だ。結果、私立高校としてはそれほど人気が出ず、近年の少子化で生徒が減少傾向にある。共学化すれば潜在的顧客(受験生のこと!)は倍になるわけで、逆にいえばそれぐらいしか小清水川の生徒を増やす方法はなかった。

そんなわけで、一人だけ入学することになった男子生徒を優遇するという教育機関にあるまじき方針がわりと明確に教職員に告げられたわけで……。日本史の近藤先生なんかはその生徒の名前をとって「武臣の変」と呼んでいた。

そう、その男子生徒は武臣結城くんといって、名字と名前が逆になったような、おとなしい少年だった。まあ、私も鞠子ゆいだから、あんまり変わらないんだけど。

茶色とベージュに赤のリボンという「小清水川カラー」と呼ばれる制服の男子版として作られた同じ配色のブレザーをまとった武臣くんは、入学式の日、女子生徒にまじってぽつねんと壇上を見上げていた。式の途中で入学生代表として突如指名され、まごまごと挨拶した。私はその瞬間をいまでも忘れないのだけれど、上級生たちにさーっと嘲笑の茶色い霞がかかった。

武臣くんが入学してから夏休み明けから保健室登校になったのは三つの事件がきっかけだった。

一つ目は更衣室事件。それまでは女子校だったので、体育の時間に教室で着替えていたのだけれど、共学化に際して更衣室が用意された。が、みんな(とくに上級生は!)全然使わなかった。移動教室で視聴覚室に移動していた武臣くんのクラス一年B組は、二年生の前の教室を横切る羽目になるのだが、その際に教室で着替えていた二年生の一部が「武臣くんが覗きをしていた」と騒ぎ立てた。恥じらいを覚えて素直に更衣室で着替えてくれればいいのだけれど、それどころか「自分たちを更衣室に追いやるうざいヤツ」という印象を持ったらしかった。

二つ目は将棋部事件。武臣くんは将棋をずっとやっていて、奨励会に入るほど有望らしいのだけれど、小清水川には将棋部がなかった。そこで彼なりに将棋部を作ろうと奔走したのだけれど、部員は集まらなかった。それだけならば問題はないのだけれど、彼が学内に貼ったポスターがめちゃくちゃに落書きされてしまったのだ。しかも、彼は校務の許可をきちんと得ないで貼っていた(それ自体はよくあること)ので、お咎めなしという後味の悪い事件になった。

三つ目は六高生事件。小清水川の隣の駅にある六大寺高校の生徒が小清水の二年生をフッたというそれだけのことらしいのだけど……。らしいというのは、あくまで二年生から聞いた話とあとから武臣くんに聞いた話を統合したから。小清水川は女子高ということもあって、近くにある六高が貴重なカレシ供給源になっていた。なんでも、二年生が武臣くんにオトコ友達を紹介するよう頼んだところ、その紹介された友達というのが武臣くんの親友で、なんとなくいじめられているっぽい雰囲気を感じて「わざとフッた」らしい。それはそれで男気溢れる行為だとは思うんだけど……やっぱり女の子にとってはフラれるというのは一大事なので、やはりその原因となった武臣くんは恨まれるようになったというわけ。

終業式まで残すところ二週間となった七月六日、武臣くんは保健室登校になった。私が心配したほど悲壮感はなく、与えられた自習課題をきちんとこなし、放課後は少し将棋の棋譜なんかを見ながらスマホをポチポチいじっていた。私はSNSかなにかをやっているのだと思ったんだけど、訪ねてみると、詰将棋とか、定石研究とか、要するに将棋の勉強をやっているらしかった。

「将来はプロになりたいの?」

私が尋ねると、武臣くんは慎重に顎を掴んで、じっと机の上を眺めていた。「沈思黙考」という四文字熟語がぴったりの表情で、言葉を選びながら、武臣くんがポツリと呟いたのは、「高校卒業までに芽が出れば考えます」という控えめな言葉だった。

「なんで高校なの? 年齢制限あったっけ?」

「もう二段まで取ってるんで年齢制限は大丈夫だと思うんですけど……十八歳までに四段になれなかったら、やめようかなって」

「そう。厳しい世界なので。私なんて、教師になったの二十三歳だけど」

武臣くんは困ったようだった。たしかに、養護教諭にいじけられても困るだろう。答えを探してまごつく彼の幼さに助け舟を出すつもりで、「まあ、君ならなれるわよ」と言ったら、かえって心を閉ざしてしまったようだった。

保健室登校のまま終業式を迎え、彼を残したまま講堂に向かうと生徒たちは黄色い霞をまといながら、楽しげに整列していた。武臣くんを排除した彼女たちもまた、こうした美しい色を見せることがある。できることなら、保健室で悩んでいる武臣くんのような生徒を受け入れたままその色を放ってほしいというのが、私が見て感じることだ。

夏休み明け、武臣くんは相変わらず静かに保健室に通っていた。色を見ることはできないけれども、彼が傷ついているだろうことはわかった。もしかしたら、この状況は彼の夢を妨げているかもしれなかった。でも、私が養護教諭としてできることは彼の自発的な立ち直りを待つだけ——と、そう思っているのは私だけで、理事長はそうではなかった。プロ棋士の可能性がある若者がいじめで保健室に追いやられているのはよくないと考えたらしく、私と担任を呼び出して、二人組のバディ形式で武臣くんを復帰させるべく努力してほしいということだった。

私のこれまでの経験だと、いじめが解消する理由にはこれといった理由がないことが多い。いじめの対象が移り変わることもあれば、なぜそんなことになるのかはわからないが、集団そのものが突然「いじめはよくない」と反省して生まれ変わることもある。もちろん、いじめがなくなるのはよいことなのだけれど、そういうコントロールできないものを仕事として与えられるのは厳しい。まあ、それでも仕事は仕事。私は担任の有働先生と一緒に定期的にミーティングを開くことになった。

有働先生はさすが担任ということで、いじめを行っている生徒をほとんどリストアップしていた。有働先生の分類によると、いじめの主犯格は二年生の一部グループ。一年生は部活やなにやらで二年生の支配下に置かれる形となって、なんとなく武臣くんを嫌っているということだった。

「二年生を潰せば、これは解決しますね」と、有働先生は自信ありげに言った。

「大丈夫ですか? その、問題が悪化したり……」

「大丈夫です」と、有働先生はさらに断定的な口調で告げた。「これは嫉妬が原因です」

「嫉妬?」

「はい。二年生には男子がいません。女の嫉妬です。鞠子先生もわかるでしょう?」

「はあ……でも……どうやって解決するんですか?」

「任せてください」

不安げな第一回ミーティングを終えた後、有働先生は馬鹿正直に二年生の主犯グループ(武臣くんが覗いたと騒いだ子達!)に接触を図った。そして、そのまま「嫉妬するのはやめなさい」と伝えたそうだ。もちろん、いじめはよりひどくなったのだが、その対象に私が加えられた。

私ぐらいの歳になると、高校生にいじられてもへこたれないし、「あれ、ちょっといじられてる?」と思う瞬間もなくはないのだけれど、いじわるな子は相手をどうやって傷つけるのかについてよく考えられるもので、「ババア、喘ぎ声超デカイ」とか、独身アラサーという私が負い目を感じている部分を的確についてくるのだった。それも生徒専用SNS(学校が監視してるヤツ)に一瞬書き込んですぐ消すという、いやらしい手法で。私はなんとなくそういう噂というか、当てこすりのようなものが続くなぁと気付いてはいて、一度その子達がいるクラスを訪れてみたら、驚くような赤黒い怒りが渦巻いていた。それに関して有働先生はなぜか自慢げに「この波を乗り越えれば収まります!」と断言するし、どうしたもんかなぁ、と悩んでいたが、「ほんとにゴメン!」となったのは、武臣くん本人から謝られたことだった。

「すいません、僕なんかと変な噂になっちゃって……」

私はそう言われると、なんだか泣いてしまった。こんなオバサンと噂になった上に、いじめが終わらないなんて……。私は武臣くんに慰められながら、一つの決意をした。彼がプロ棋士の夢に邁進できるようこの保健室でサポートしようと。たとえ、どんなに年齢のことを言われようと、彼がもう一度教室にいけるようサポートしようと。

結局、私と武臣くんの耐え忍ぶ日々は、半年続き、彼はそれを生き延びた。二年生を中心としたいじめは、新入生の男子学生が五人入ったら終わったのだ。武臣くんはその寄る辺ない五人の先輩となった。後輩と話す武臣くんは喜びの黄色をまといながら、保健室を出ていった。

それから武臣くんと私は時折話すだけの仲になった。私にとって、彼は戦友。彼にとって私がなんなのかは、結局わからなかった。ただ、卒業式の時ふたりで話したとき、彼が白い紗をまとっているように見えた。それがどんな感情を示すものなのかはわからない。そんな色をした生徒は一人もいなかったから。

2016年10月20日公開

© 2016 高橋文樹

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"光ってみえる白"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2016-10-23 06:37

    すごく読みやすかったです。特に、武臣がいじめられるに至るまでの過程を説明的になることなくエピソードを積み重ねて描写する手法はさすがだと感じました。ただ、武臣に対する直接的ないじめの場面が何者かに一度ポスターを破られた程度しかないので、「耐え忍ぶ日々」や「戦友」という表現にあまりピンとこなかったのも確かです。この学校における武臣の孤立に「いじめ」という言葉で表されるような明確な集団の暴力が不可欠なのかどうかという点が心に引っかかりました。

  • 投稿者 | 2016-10-23 08:39

     読みやすくて綺麗な文章です。すらすら読めてそれが快感に繋がると思います。だけれど話に毒のような成分がもっと欲しかったです。インパクトや意外性に欠けるように感じました。

  • 投稿者 | 2016-10-24 01:35

    とても読ませられる話だった。「多人数の中で異る人が一人」と言う場で起きるだろういじめなどの問題を抑えている、真っ直ぐな作品と言う印象を持った。人間にまとわりつく色の表現もイメージが浮かびやすくて良い。

  • 投稿者 | 2016-10-26 13:57

     ディテールをおもしろく、それでいて文学的に表現することで、読者に読ませるというタイプの小説だ。その手法は見事だった。候補作の中で完成度、質は頭ひとつ出ていたヽ(*´▽)ノ代表マイリマシター♪。
     保健室の先生の視点で話が進められていくが、子供がいる作者というだけあって大人が子供を見る視点がうまく書かれていた。アッパレ!
    「学園もの」といえば、そういう世代の読者を想定して書かれるものであるが、この作品を高校生視点で読むと印象が180度変わってしまう。私のように若い心を持っている者としては、生徒の視点で読んでしまう。もちろん、まあまあ生徒の視点も書けてはいるのだが(←工藤はじめ偉そうだぞ)、首をかしげるところもあった。男子がいじめられた理由が「嫉妬」というだけでは、それでその男子をいじめるの? という疑問を持った。いじめる側の心の表現で、何かが足りない気がした。女子たちの中にひとりいる男子が、いじめられて、保健室登校になるけど、そんな内向きでいいの? と思った( ̄ω ̄;)。そういう読み方をした瞬間、ひどい印象も持つ。──それを狙った作品なのか?
     星5つ!!

  • 編集者 | 2016-10-27 18:01

    ヘヴィーなテーマを取り扱いながら読後感が爽やかで、作者らしい筆致が存分に発揮されている。
    主人公がいじめの対象に加えられて以降の展開があまりに駆け足なのは、時間的な問題か。このサイズの作品にまとめるにはモチーフと道具が大きすぎたように思えるので、50枚程度の分量であらためて読みたい。

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