性器の傲慢

応募作品

藤城孝輔

小説

4,467文字

合評会2016年10月 (テーマ「去年まで女子校だった高校に一人だけ男子が入学した」)への応募作です。3万円ほしいです。

少年には、なぜ排尿管を兼任するその小さな生殖器によって自分が定義されなければならないのか理解できなかった。自分という存在を定義するものは、思考をつかさどる脳であるべきではないのか? 啓蒙主義の時代以来、人間の存在の基盤は思考であると見なされてきた。人間は考える葦である。我思う、故に我あり。現行の法律においても、脳の機能が停止した瞬間に人が死んだと認められる。たとえ手足やある種の内臓を失っても自分が失われてしまうことはないが、思考する脳がなければ自分は決して存在し得ない。

にもかかわらず、生殖器――特に男性生殖器はあたかも特権的な地位を与えられたかのように大きな顔をしてはばからない。そのサイズは人間的資質に対する評価を左右し、その喪失は指の喪失などとは比べ物にならない恥辱をもたらす。さらには「男性自身」(大文字で “Man Himself” とでも訳せばよいのだろうか)などという尊大な別称を名乗り、生殖器こそが存在の本質であるかのごとく主張する。不安に陥った思春期の男子生徒たちは生殖器の色や曲がり方、包皮の有無、陰毛の生え揃い具合などについて微に入り細をうがって互いに噂しあい、少しでも平均的でない特徴が見つかった生徒を嘲笑の対象にする。少年は自分の性器が直接物笑いの種になったことこそなかったものの、そんな中学時代がたまらなく嫌だった。

男根至上主義は、人をただの歩く生殖器に貶める。男の本質はリビドーに突き動かされるだけの勃起したペニス。女の本質は男に快楽と子孫をもたらす膣と子宮。人間は欲情する性器である。我ファックす、故に我あり。そんな命題は、人間を他の動物と区別することさえできない。人間は性交して遺伝子を後世に残すために生きているわけではないはずだ。国家レベルだけでものを見て人口減少を憂う年寄りもいるが、世界では人口爆発と食糧危機が以前から叫ばれている。いまさら産めよ増やせよなんて流行らない。生殖器の形や機能とは関係なく、思考する葦として生きて別の葦たちと関わっていきたい。少年はずっとそう考えていた。

だから去年まで女子校だった私立高校に最初の男子生徒として入学することが決まった時、少年は胸が軽くなる思いがした。一方的にエロ本を押しつけてくる男子はもういないし、休み時間にトイレの個室で誰かがせっせと自慰にふけっている場面に出くわす心配もない。自分も他人もひとまとめに動物レベルに引きずり下ろそうとする、あの脳髄に精液のつまった連中からは永遠に解放されたのだ。これで安心して知的刺激にあふれた高校生活を満喫することができる。高校に入学したらESSに入ろう。紅茶を飲みながら機知に富んだ英会話を楽しむなんて、最高じゃないか。

ところが実際の高校生活は少年の思い描いたとおりにはならなかった。新学期早々、彼は事あるごとに男子だからという理由で廊下のガム剥がしや重い教卓の移動などの面倒な雑用を押しつけられた。少年を除けばクラスには女子しかいない。彼女たちが一致団結して作り上げる「クラスの総意」に彼の意見が含まれることは決してなかった。

ある雨の日の昼休み、少年が空っぽの腹を抱えて廊下に這いつくばり、かつて誰かが吐き捨てたガムを剥がしていると級長の田尾八女子が来て言った。
「悪いけど、清貴くんはお昼のお弁当外で食べてくれる? 男子がいると話したいこと話せないし、昼休みくらい女子だけがいいってみんな言ってるから」
「みんなって誰? 今日、外どしゃ降りだし」
「みんなはみんなよ、クラスの総意。女同士だけで話したい話題もあるの。男なんだから少しは空気読んでくれない? お弁当くらい、どっか雨が当たらないところ見つけて食べればいいでしょ?」

この日以来、少年は男性用トイレの個室で弁当を食べるようになった。いわゆる便所飯である。共学になったばかりなので、男性用トイレは職員室の隣の一か所しかない。清潔に保たれてはいたが、昼休みの終わりに男性職員が殺到するのが難点だった。弁当を手早く腹に収めた少年が文庫本を読んで暇をつぶしていると、きつい大便のにおいが鼻を刺した。

放課後のESSではレディー・ファーストのマナーに従い、少年は毎回誰よりも先に来て紅茶と茶菓子を準備するようにと言われた。最後まで残って教室の後片づけをするのも彼の役目である。ESSは部員同士の仲がよく、少年と同時期に入部した女子の新入部員たちは土日にも時おり先輩たちと共に集まってカラオケや買い物に出かけているようだった。少年はいつカラオケに誘われてもいいように持ち歌をいくつも準備して入念に練習を重ねたが、彼に声がかかることは一度もなかった。部員たちが待ち合わせの相談をしていたある時、少年は自分も連れていってほしいと正直に頼んでみた。すると彼女たちは口を揃えてこう答えた。
「何ふざけたこと言ってるの? 男女間の友情的なものなんて期待しないでほしいんですけど。これは差別じゃなくって、区別。文句あるんだったら、いつ辞めてもらっても結構だから」

結局、ここでも生殖器で人格を判断されるのか。少年はため息をついた。股間に生えたペニスなんて、くせ毛や左ききなどと同じ身体的属性の一つに過ぎない。「くせ毛は鈍感」だとか「左ききは信用ならない」といった身体的属性と人格を直結させた言説が荒唐無稽であるように、たまたま男性生殖器を持って生まれたというだけの理由で疎まれ、隷属させられるのは醜悪な社会的偏見によるものだ。世界は性器で回っている。大っぴらに口にしようとはしないけれど、誰もが性器に執着し、性器でものを考える。どこにも逃げ場のない、醜い世界だ。

少年が非常階段の踊り場に一人で腰かけて泣いていると、ESSの顧問を務める英語教師が通りかかって彼に言った。
「こんなところで何をめそめそしてるの? 男らしくもっとしっかりしなさい!」

英語教師は勢いよく少年の背中を叩き、ハイヒールのかかとで軽快なリズムを刻みながら階段を下りていく。彼は返す言葉を見つけられないまま、ぽかんと彼女の後ろ姿を見送るばかりだった。

少年の脳裏にある考えが芽生えたのはこの頃だったのかもしれない。ほどなく彼は欠席がちになり、登校しても一日中うわの空で過ごすことが増えた。教師に注意されても、目を泳がせながらズボンの中に入れた手をしきりに動かすばかり。クラスの女子たちは大げさに悲鳴を上げて教室の反対側に逃げた。これでは授業にならないと判断した担任の計らいにより、祐太朗がスクールカウンセラーとして勤務している心理相談室に少年は通うことになった。祐太朗は男性ではあるが、ゲイであることをオープンにしている。そのためもあってか、女子生徒たちの多くは胸中の悩みごとを気軽に彼に打ち明けた。この高校が女子校だった頃から、彼を慕って心理相談室を休み時間や放課後のたまり場にする生徒は少なくなかった。

祐太朗は、心理相談室を訪れた初めての男子生徒である少年を物珍しい生き物のように観察した。少年は180センチ弱ほどの長身で、やせ型ではあったが肩幅はしっかりしている。色白の顔立ちはバランスよく整っており、二重まぶたに縁取られた深い茶色の瞳は思慮深げな印象を与えた。猫背になりがちな姿勢に気をつけさえすれば女子にもてそうなタイプだと祐太朗は思った。最初のカウンセリングでは一言も口をきかずにうつむいたままだったが、何度か通ううちに気分が落ち着いてきたようである。男子同士のグループに嫌悪感を抱いていた中学時代のことや女子ばかりの学校環境にうまく溶け込めない現在のことについて少しずつ話すようになった。少年の低い声は注意深く耳を澄まさなければ聞き取れないほどだったが、選択された語彙の一つ一つは頭の中で何度も反芻されたのちに発せられているようだった。肘かけを枕代わりにして二人がけのソファに横になった姿勢で、少年は独り言のようにつぶやいた。
「僕は思考と思考が触発しあえる対人関係を探してきたんだと思います。性別や身体的特徴とは無関係な、純粋な思考のつながりです。でも、周りの人たちは僕の思考そのものではなく、体だけを見て僕がどんな人間か決めつけてしまう。残念なことに目に見えるのは肉体だけで、思考は目に見えないんです」

相槌を挟みながら話を聞いていた祐太朗は、ふと昔読んだ本を思い出した。
「哲学者のプラトンは、肉体的な欲望から人が誰かに惹かれるのは、影とたわむれているみたいなものだと考えたんだ。だから肉体的な愛と精神的な愛を区別した。目に見える部分だけを愛するんじゃなくて、魂の美しさを心の目で見つけて愛さなくちゃいけないっていうのが彼の主張だった。体の美しさは年老いてなくなってしまう一時的なものだけど、魂の美しさは永遠のものだから」

そう言って祐太朗は、少年の柔らかい前髪を掻き上げて泣き腫らしたまぶたにそっと触れた。少年はズボンに入れていた手を即座に抜いて、祐太朗のきゃしゃな手を振り払った。
「魂とかきれいごと言ってるけど、あんた男の体に興奮するんだろ? 生殖が目的じゃないだけで、体の交わりを求めるのはあんたも他の連中と同じじゃないか」
「プラトンだって若い男の子の体は大好きだった。清貴も若くて可愛い顔をしているうちにいっぱい恋もセックスもしたらいい」
「僕が求めてるのはセックスなんかじゃない! これだけ話したのに何でそれが分からないんだ?」

少年はそれだけ言い残して心理相談室を飛び出していった。祐太朗は少年の荒らげた声の調子に驚き、しばらくのあいだ動揺が収まらなかった。それでも、少年が数日後にあんな事件を起こすなどとは想像すらしていなかった。

その日、少年が教室に入ってきたのは二時限目の英語の授業の最中だった。彼はつかつかと黒板に歩み寄ると、遅刻をたしなめようとする教師を突き飛ばしてクラスの前に陣取った。手にはガムを剥がすステンレス製のへらが握られている。呆然とした顔つきのクラスメイトたちの視線が注がれる中、彼はズボンと下着を下ろして自分のペニスを教卓に載せた。クラス全員が息を吞む。ペニスはこれまでに見たことがないほど隆々と勃起し、ひりひりと痛みを感じるほどの熱を帯びている。冷たい教卓の上で亀頭が二、三度首をもたげるように震え、ひとりでに射精した。少年の全身から精力を抜き取りながら、濁流が激しくほとばしる。最前列に座っていた田尾八女子の顔面に精液が命中する。田尾八女子の近くの席にいた女子たちがするどい悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる。

少年は顔を真っ赤にしながら痙攣の止まらない両手でへらの柄を握り、ギロチンの刃を落とすようにペニスの根元に振り下ろした。射精で弛緩した神経を激痛が焼き尽くした。切れ目の開いた股間から血液が噴き出す。遠のく意識の中で少年は幸福の絶頂にあった。ついに傲慢な性器に打ち勝った。思考する脳が動物的本能を克服したのだ。

2016年10月16日公開

© 2016 藤城孝輔

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"性器の傲慢"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2016-10-23 08:35

     肉厚で知的な文章がよく書けていると思いました。哲学的だとも思います。
    ただラストに主人公がペニスにへらを振り下ろすのは、インパクトを持たせようとする作者様の作為が見え隠れしていると思います。物語上に書かれている理由も弱いように感じました。

  • 投稿者 | 2016-10-23 15:04

    思春期の青少年が抱く性(と言うよりエログロ)へのドロドロとした思いや、男女論への閉塞感が思い起こされる。ペニスの描写が良い。
    ただ、男性機能を滅ぼすなら陰茎じゃなくてキンタマを取った方がいいと思った(しかしそうすると絵面がマヌケになるかも……)。

  • 投稿者 | 2016-10-26 13:48

     3万円が本気で欲しい作者の投稿作のタイトルが『性器の傲慢』かよ、と突っ込みたくなった。そこが笑いどころだ。リード文とタイトルの組み合わせで見事なボケをかましている(・_・)ヾ(^o^;) オイオイ。3万円を狙う人ほど性的な内容の小説を書いてしまうのは不思議な人間の心理である。私にそんなことを考えるきっかけを与えてくれた。ありがとう。
     でも(この作品はエンタメを目指していないようで、それならば陳腐にならないことが必要だが)性器に対する考察は私が考えたことがある範囲だなぁ。最後の「教室で陰茎を露出し射精して陰茎にへらの柄を振り下ろす」シーンに関しても、その衝動が伝わってこない。読者それぞれに「真似しよう」とは思わせなくとも、「その状況ならそういうことをするのもわからないでもない」くらいには思わせてほしいなd(@^∇゚)/
     星4つ!

  • 編集長 | 2016-10-27 14:12

    性器に対する考察パートが長すぎてやや退屈。
    保険医との対話などから掘り下げていけると良かったかも。

  • 編集者 | 2016-10-27 18:01

    感情の温度をしっかりと逆算したであろう構成力が光る。いち作品として見るのであれば、コンパクトによくまとめられた小説だと思った。
    今回の合評会用の作品と考えると評価に悩むのは、「去年まで女子校だった」という部分を生かしきれていない点。男女比が極端な環境(たとえば一部の専門学校など)でさえあれば、ずっと昔から共学の学校であっても成立する話ではないだろうか。
    田尾八女子のようなくすぐりのあるネーミングセンスは好み。

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