東京寝物語 第一夜ー揚羽嬢ー

狐塚月歩

小説

4,575文字

「東京」という魔界都市の有象無象を寝物語に話す田舎の祖父は彼の叔父から、何を聞かされたというのだろう。ちなみにフィクションです。

東京寝物語 ―揚羽嬢―

 

―東北の田舎に住まう私の祖父が幼少の時分、彼の叔父から聞かされたのだという東京の話。

―日の本を担う主要都市への憧れと畏怖が交雑する彼は、彼の叔父から、寝物語に何を聞かされたというのだろう。

水銀灯のもとに照らされる影は駅前に散りばめられて、羽虫の身が焦がれるさまが視界への黒点になる。

東京は帝都と呼ばれて久しく、そこかしこに儚げを形容するだろう空襲の余波を消し炭のようになった街並みで形容している。

時代を感じるとすればまさしく闇を担った、極彩の色を見据えたような揚羽の羽根のごとく。

過去の面影ならば捨て去ればいいのだと叫びたてる米国からのべられた手を掴み、蠱惑という鮮やかを纏った人々のあっけらかんとした物悲しさ、物が無しさ。

娼婦たちの「おいで。」といざない招く手のひらは皆いちように白い。

繁華街に並べたてられてある嬌声の棚引くこと、棚引くことこの上ないような気持ちに駆られて、いっそ誰もが人畜となり果て飼われてゆくような錯覚。

いや、錯覚だというのならば夢幻から早く醒めればいいだけだというのに。

ヒト科としてこの世に生をうけた優越と現実が交差する夜、遠藤誠という男はふらりと繁華街へと足をはこんだ。

この男が叔父とどんな関係なのか、私の祖父は尋ねなかったらしい。

独りでジャズが流れるバーで安くて強い洋酒をあおってから勢いづいて、そのまま、若い女が男性客の相手をする店へと立ち寄ったのだった。

揚羽という源氏名の女に相手をされた。

肌の色が白く、厭に長くてきれいな黒髪と黒いドレスが印象的な眼つきの鋭くとがったような女だった。

善いか悪いかで人を判断せずに恋愛の対象として見做した場合、たいていが悪いとされているほうが魅了的なのではないだろうかといった判断をくだすときが往々にしてあるのではないだろうか。

彼女は鋭くとがった眼つきで遠藤誠を見遣り、小馬鹿にしたような笑みをうかべながら、特徴的な、厭に長くてきれいな黒髪をかきあげてみせた。

赤くくっきりと引かれた口紅が、三日月のように弧を描く。

次の瞬間、彼は呑みすぎたアルコールが効いてきたのかばったりとその場に倒れてしまった。

それが、揚羽という女との初めての出会いだった。

「あら。おはよう。」

翌朝、目が覚めたとき、遠藤誠は現在地が揚羽という女のひとり暮らしをする路地裏の古いアパルトメントで布団の上なのだということを知らされる。

―これはまさしく夢ではないだろうか。

彼は我が身に降りかかったまたとない幸運に舌鼓を打ちながら、昨夜のことをじっくりと思い浮かべてみた。

バーの強い洋酒を呑んでから勢いづいて訪れた女が居る店でのことを。

自分はたしか、店で女がこちらを見て笑ったさいに酔いが回って倒れてしまったのだ。

いったん恥をかいてしまったが、こういう状況なら願ったり叶ったりだ。

礼を言ってからいったんアパルトメントを立ち去った遠藤誠は、揚羽の勤めているらしき店に通いつめることにしたのだった。

揚羽という女は比較的おとなしい部類に属する静かな類で、人の話を黙って聞いていることが多いようだった。

しかし、無口なのだろうかと思えばそうでもなく、自分の意見はしっかりと言うことのできる芯の強さを持っている。

「めっけものじゃないか。」

兵役を終えたばかりで印刷工をしている加藤重信という同僚にその話をすると、彼もその店へと行きたがった。

「あげはさんという人だが、割ときれいな人だよ。」

その話をするごとにふたりして盛りあがったあと、いざ店へとゆき揚羽という女を見ると加藤は言った。

「あれは、いかん。毒婦に違いないから俺は帰るよ。」

その場では詳しい理由を聞かずに遠藤はにやついた。

―しかし、俺にだけ美人に見えるとすればそれはめっけものじゃないか。ここは少し、粘ってみよう。

この前見たときよりも気持ち、揚羽という女は背が高くなっているような気がした。

しかし、気にもせずに楽しく酒を呑むうち、遠藤誠はそのことを忘れてゆくようだった。

その日もしこたま呑むうちに意識が遠のき、彼は倒れてしまった。

アルコールに弱いわけでもないのに、こんなことは珍しいのではないだろうかと疑う間もなく気が付けば翌朝、彼はまたしても揚羽の家に敷かれた布団の上で眼が覚める。

「いやあ、すまない。また君の家で眼が覚めるとは思わなかったよ。」

「いいのよ。」

化粧を落とした姿で彼女は微笑んだ。

それは、夜に見せるのとはまた違ったふくよかな笑みだった。

三回目に倒れたときも遠藤は疑いを抱くことをしなかった。

が、四回、五回と倒れたさいに彼は、何かを疑って同僚の加藤に尋ねた。

「近ごろ俺は、背が縮んだように思えるのだが。」

加藤は答えた。

「ああ、それは、俺も思っていた。」

「店で酔って倒れると、決まってあげはさんの部屋で眼が覚めるんだが。」

「どういうことだ。」

「そのとき決まって俺は、あげはさんの背が高く見えてしまうんだよ。」

次に店で倒れたらあとをつけて、ことのなりゆきを見張っていてほしいのだと遠藤誠は同僚の加藤重信に頼んでみた。

「店で呑むと倒れるのか。もう、そんな店には行くな。」

「そんなことを言われても、濡れ衣だったらどうするのさ。あらぬ疑いをかけてはいかん。」

店の外に加藤を待たせながら、またしても遠藤は店で呑みながら、倒れたふりをして今度は意識は保っていた。

加藤はその間店の外で張っていて、上背のある揚羽嬢が遠藤誠を背負いひとりきりで自宅まで運びだすのを尾行しにかかったのだった。

暗がりのうちにアパルトメントの入口まで差しかかったところで、彼女、揚羽は背負っていた遠藤誠を地面におろし、遠藤の唇から出た白い糸のような何かを手延べそうめんを操る職人のような手つきでさばきながら彼の身体に巻きつけているではないか。

はたから見ているそれはとても奇妙な行動に思われたので、加藤重信は、誰にも見つからないように息を詰めて揚羽が遠藤の身体に巻いてゆく白い糸のようなものを眺めていた。

白い糸のようなものが巻かれてゆくと同時に、身体全体も萎れ、本人が気にしていた背が縮んでゆく。

揚羽という女性の背が伸びたわけではなく、遠藤の背が縮んでいたことを加藤重信はしかと確認したのだった。

さながら芋虫から蛹へと変化しようとしているかのごとく。

―何かの見間違いだったらどうしよう。

そんな思いに苛まれながら、勇気をだして加藤は精いっぱい太い声を出して叫んだ。

「おい。何をしているんだ。」

振りむいた揚羽には、どこからともなく寄ってきた羽虫がまとわりついているような気さえしていた。

肝心の遠藤はというと自分の口から出た粘着質な糸につつまれたまま、青ざめた顔色をしている上にうめき声をあげて、おそらく意識がないようすだ。

「起きろ、遠藤。」

驚愕した顔の揚羽を尻目に、多少気持ちが悪いのを我慢した加藤は、身体全体を覆う巻きついていた白くて細い粘着質を素手でむしるようにして取りのけた。

遠藤は目蓋を固く閉じたまま、微動だにしない。

―このままいっそのこと、逃げ去るか。

揚羽が口を開いた。

「あの。」

その間にしばし逡巡したのち、

「うわあ。」

腹の底から叫び声をあげながら加藤は縮んでしまったままの遠藤を抱えるなり、走りだした。

社宅の寮まで帰りつくころには汗だくになっていたけれども、揚羽が追いかけてはこなかったことに感謝しながら加藤は意識のない遠藤と共に自室に敷いた布団にくるまって夜明けの太陽が昇るまで、まんじりともせずにいた。

朝、陽の光が差しこむなかで二人は共に目覚め、昨夜のことは夢か現かなどということは話もせず、そして何事もなかったかのようにランニングシャツ一丁で職場である印刷工場へと向かった。

「おい、おい。」

「あれは何だ。」

加藤重信と遠藤誠にたいするどよめきがほかの同僚たちからあがった。

何のことか判別がつかぬまま二人は背骨をひねるような動きで揃って背後を振りむく。

当然、見えるはずもない。

見えるはずもないものを追いもとめるのがいかに馬鹿馬鹿しいことなのか。

彼らは、おどけた笑みで同僚たちへと振りかえった。

「何だよ。驚かすな。」

しかし、背中の肩甲骨あたりに違和感があった遠藤は、おそるおそる加藤重信に尋ねた。

「おい。」

「何だ、遠藤。」

「俺の背中に何かついていないかどうか、見てくれないだろうか。」

遠藤誠の背中には、揚羽蝶のように鮮やかな鱗粉のついた大きな羽根が対をなしていたので、おそるおそる病院に行って医者に診てもらった。

さすがに気味が悪くなってきたのか、加藤はついてくるのを頑なに拒み、職場で働いている他の五人ほど居る工員たちは、

「ふざけるな。」

「それが何かの冗談でなくとも、帰れ。」

「不気味になりやがって。」

「大変だからこっちに来るな。」

「とにかく帰れ。その羽根が取れるまでだ。」

などと口々に心無い罵声をあびせた。

引っ張ってもとれないし、かといって、刃物で切り落とそうとすれば痛みが走った。

さすがに心配になって病院までゆくと、

「これは、骨から生えていますな。」

年寄りの医者はレントゲン写真を指差しながら遠藤誠に説明した。

「もしも取り除けることになるとしたら、骨まで削らなけらばいけなくなるだろう。背骨の近くには太い神経が通っていることだし、金をかけたわりに危険で大きな手術になる。なので、そのまま隠して生活してはどうだろう。」

―羽根を生やしたまま生活しろというのか。

胴体にサラシの布を巻きつけ、羽根を隠しながら生活すること三日間。三日が経過したある晴れた日のことだった。

街に、真夜中に興行をするので有名な見世物小屋の一団が来訪した。

女子供には見せられないような過激な出し物をするので有名な雑技団だったが、気晴らしにと独りで赴いた遠藤だった。

ひとしきり演目が終わったあと、周りの客たちを見ればかつての熱狂はすでにそこにはなく、客席には人影がまばらに閑散としていた。

「こんばんは。」

座ったままでふいに背後から声をかけられ、はっとして振りむくとそこには、揚羽嬢が居た。

「おひさしぶりね。」

優雅に会釈してみると、彼女はおもむろに白くて細い腕を遠藤誠の襟足へと伸ばし、彼の

背に生えてある羽根を隠すために巻きつけあったサラシの白い布を、「ぐい。」と音がしそうなほど引っぱった。

「見つけたぞ。こいつだ。」

わらわらと駆け寄ってくる見世物小屋の団員たちに捕らえられた彼は、まばらだった観客の前に鎖でもってつながれた上に暗く冷たい鉄格子の檻へと入れられてしまったあと消息を絶ったらしい。

風の噂によれば、揚羽嬢らと共にサイパンのあたりで団員となり、舞台の上で見世物にされていたという目撃情報が叔父の知りあいである数人の帰還兵から極秘に入ってきたことから、東京という場所は何が起こるのか分からないのだという。

話を終えると、東京の地を踏んだことのない祖父は物静かに笑みをうかべた。

まるでそこには自らの叔父が存在するかのような、物静かな微笑だった。

 

2016年9月6日公開

© 2016 狐塚月歩

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