ひきこもり女、海へ

少年バタフライナイフ/繭Vol.2(第1話)

瀧上ルーシー

小説

1,967文字

ひきこもり女の困難な日帰りの旅。

電車で目当ての海水浴場まで一番近い駅に移動する。

電車はがたがたと揺れながら走る。精神的な意味では私の頭の中もがたがたしている。大した準備もなしにこんなに人が多いところにいきなり行くからいけないのだ。電車の中で赤の他人がお喋りをしているのだが、何故だか全員が私のことを話しているように感じられる。ネットでリサーチした結果、ひきこもりには他人の話し声はきついものがあるから、ポータブルプレイヤーで常時音楽を聴けとアドバイスする者もいたが、元々持っていないしお金が勿体ないのでその案は却下した。その代わりに、頭が禿げているお父さんの禿げ隠し用のキャップを借りてきて目深にかぶってきた。視界の上の方が遮られていい感じだ。服装はTシャツにこの暑いのにジーンズを履いてきた。重たくて仕方がない、ファッション的な意味ではなくても重たく長い黒髪を後ろで一本に縛っている。キャップの中の頭は汗でむれていた。見ず知らずの学生達の笑い声が怖い、おじさん達の咳払いが怖い、何か私に文句でもあるのだろうか……冷静なところでそんなことを考えすぎると、引きこもりにくわえて統合失調症になるぞ、と私は頭の中で思った。ひきこもりの殆どが精神病、または精神病にならないための防衛反応として外に出なくなるという説を唱える人もいる。何年ぶりかに一人で遠出してみてわかった。私は半分病気だ、冷や汗が身体をべっとりと濡らす。下着の上にはTシャツしか着ていないのでブラが透けないか心配だった。心のどこかで男に欲情される対象として見られたいとは思うこともあるが、そんなことは家で思うだけで実際に男にじろじろ見られたらただでさえメンヘラチックな私は狂ってしまうかもしれない。

そうして何事もなく目当ての駅まで電車は着いた。なるべく人混みの中に入らないようにして改札を抜ける。駅を出てロータリーを徘徊するように移動した。ネットで下調べはしてきたのだが、何番乗り場でバスに乗れば海に辿り着けるのかは載っていなかった。そのくらい田舎に住んでいるのだ、私は。だが幸い駅前には交番もあるので私は恐る恐るそこまで徒歩で移動した。

「すすすす、すみません」

私は吃音なのだ。交番から青っぽい制服姿のお巡りさんが出てきた。

「どうかした?」

いきなりタメ語なのだが、そのフランクさが私的には好印象だった。

「な、なななな」

「慌てないでいいからね」

「な、な、な、何番乗り場のバスに乗ったらX海岸まで着きますか?」

同じ言葉を繰り返した後は、いつも早口になってしまう。

「もう一度言って」

別に頭にきたわけではないが、「何番乗り場のバスに乗ったらX海岸まで着きますか!」と私は大声で怒鳴ってしまった。

「三番乗り場のバスだよ」

「あ、あ、あ、あありがとうございます」

終始にこやかで余裕があるお巡りさんだった。きっと幾千の修羅場を経験しているに違いない。

一応小さな屋根がある三番乗り場の先頭に立ってバスを待った。まだ三十分もあるが、それでも乗り遅れるのが心配で私は愚直にも突っ立っていた。あまり綺麗じゃないベンチにも座りたくなかった。

頭の中はぐるぐるしていた。なんのためここまで苦労して海なんかに行かなくちゃいけないんだ……それはちょっとは海で泳ぎたいとも思ったが、ここまで大変なら最初から諦めておけば良かった……だいたい一人で海へ行って楽しいのか……? 泳いで身体を焼いて、海の家でラーメン食べて……そこまで考えて思った。すごい楽しそう! 外は暑くて身体中から汗が噴き出してくるが、海に着けば楽しいことだらけだと思って我慢した。普段冷房の効いた部屋から一歩も出ないのでめまいがするほど暑く感じた。いつの間にか私の後ろに沢山の人達が並んでいる。学生風の子達が多かった。これは自慢だが私も高校生に間違われることがある。本当はもう三十路なのにね。

バスが来た。私は迷わないでさっさと運転席に一番近い椅子に座った。冷房が効いていて生き返る心地だ。田舎の粗悪な道路を揺れながらバスは走る。最初に乗った電車よりさらに話し声がうるさくて頭が割れそうで、全員が私の悪口を言っているように感じられた。絶対に気のせいだけどね。ひきこもって部屋からも殆ど出ない生活は、世界イコール私で、人類イコール私だった。きっと生まれたその瞬間から部屋の中に監禁したら、私以上に自意識過剰な人間が育つ筈だ。そんなことを考えている内にバスはいくつもの停留所に停まったり通過したりして、次第に海の匂いが中まで運ばれてきた。海水浴場の近くの停留所が終点で全員がバスから降りていく。私は人混みに揉まれるのが嫌で一番最後にバスから降りた。心臓が期待でどきどきと高鳴る。まずは水着に着替える前に海の家でアイスを食べよう。

 

2016年6月28日公開

作品集『少年バタフライナイフ/繭Vol.2』第1話 (全3話)

少年バタフライナイフ/繭Vol.2

少年バタフライナイフ/繭Vol.2は1話まで無料で読むことができます。 続きはAmazonでご利用ください。

Amazonへ行く
© 2016 瀧上ルーシー

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


4.0 (3件の評価)

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

純文学

"ひきこもり女、海へ"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2016-07-01 04:44

    愉快だった。然し、もう一回りして対面的ではなく、内面的な、お照れがあれば良いな、と感じました。

    • 投稿者 | 2016-07-01 08:10

      感想ありがとうございます。もっと内面的なものを掘り下げられるようにがんばります。

      著者
コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る