ブキヨーな彼

湯之元

小説

2,519文字

高校時代の同級生が死んだ。私は寡黙な彼の数少ない友人だった。彼の死んだ理由は私だけが知っている――

 結局、彼は十八で死んだ。

 

 夭逝した彼は日常会話では敬語しか使わなかった。切れ長の目と、すっと通った鼻筋は、精悍な感じを彼に与えたが、少し大きめの口は、笑った時の彼をたいそう人懐こい風にみせた。

 

ふとした話題のはずみで、普段、とても寡黙なその青年から、

「『人に優しく』っていうのは大事なことだ。でも僕はブキヨーだから自然にそれができない。自分を律さないといけない。怒ることも後悔することも許されない。優しいって非人間的だ。造花のような美しさ、これを人は尊ぶ。僕が本音を言えば、みんな困る。だから黙っている。無口なふりをして。完璧主義者の僕は人から嫌われるのが嫌いだ。でも人から嫌われるということが、ある人の「好き」という領域からはみ出してしまうことなら、人間すべてにこれを当てはめると、僕たちは他人の「嫌い」から逃げるのはほぼ不可能ということになる。僕は消滅したい」

 という「打ち明けメール」を送られたときは、不意を突かれた驚きと、人の心の奥のざらりとした部分に触れてしまったという後ろめたさと、単なる認識の違い(当時の私は優しさこそ人の自然な感情だという考えだった)とで、言葉に詰まって、結局、なにも返信しなかった。彼とは高校を卒業してから疎遠になってしまったけれども、その「造花のような優しさ」の裏に潜む苦悩のようなものを知ったからには、彼の印象はいつまでも私の中に残された。つまり、彼の悲しみは、私の人生と同じ方向に伸びていた。

 

彼はたいへん勉強熱心だったが、受験に失敗し、浪人となって間もなく自分の部屋で首を吊った。遺書には「さようなら」とだけ書いてあった。彼を知る人は過酷な浪人生活に疲れたことが自殺の直接の原因だと口々に言った。

 

私はそのころすでに碌に大学にもいかずアルバイトに明け暮れていた。寮の近くのスーパーの中の、小さな精肉店だった。加工された肉をパックに詰め、客に渡す仕事だった。私はバイトの一日目で控室で喫煙するまだ高校生の「先輩」を見て、この仕事を軽蔑した。床に落ちた肉を何食わぬ顔で棚に戻すという行為も、黙認されていた。しかしそれは報酬をもらう営為である以上、なんの関係もないことだった。そのころは大学を辞めてこの肉屋に就職するという道も考えていた。給料日にはスーパーの向かいにある本屋へ行き、文庫本を買った。バイトのないときはもっぱらそれを部屋で読んだ。大学の講義には飽き飽きしていた。それは私が明晰な頭脳を持つから、ではなく、反対に私の鈍重な頭では運よく滑り込んだこの地方大学の講義を理解するのにひどく難渋したからである。たまに出席してもほとんど寝ていた。

 

彼の死を知ったとき、私はさほど驚かなかった。むしろ驚かない自分を意外に思った。葬式にも行ったが、坊主の読経のあいだ、私は宙に浮いたような感覚でいた。彼が勉強のし過ぎで死んだと思っている人々は、嗚咽を漏らして泣いていた。たしかに私が中学生のころに、勉強熱心な、責任感の強い、生徒会長を任せられるような優等生の少年が自ら死を選んだことがあった。しかし私には、中学の優等生とは違う種類の死を友人が選んだことがわかっていた。彼の死の理由を知っているのは、この世で私ただ一人だということが、彼が死んだという事実をまだ私が受け取りかねている原因だった。彼が死んだことで、私は彼をこの背中に背負って生きていかねばならない。葬式の他の参列者とは違って、よりいっそう存在感のある、彼の悩みや苦しみと一緒に、この人生を渡ってゆかねばならない。そう覚悟することが厭わしく、また恐ろしかった。

私はそれからも肉屋で働いた。私の中の職場に対する軽蔑の念は変わらなかった。しかし極めて堅実に仕事をしたので、そのうち肉の加工も任されるようになった。鉄の作業台の上で、数え切れないほどの鳥や牛や豚の肉を捌いた。みずみずしいピンク色のそれらの肉の感触は私に、かえって残酷な実感をもたらさず、ただ死んだ動物の肉を処理しているだけなのだという不思議な諦念が生まれた。

 

ある日、教授から電話がかかってきた。私の出席状況では単位取得が難しくなる、という内容だった。私は曖昧にそれに対応した。私の中では、講義に出席して単位を取るよりは、肉屋で肉を捌いている方が大切なことのように思われた。今や将来の見通しなどなにもなかった。我ながら不真面目な人間だと思ったが、どちらも生きるための行為であって、あの友人のように死ぬための理由が私にはなかった。人は後悔だけで死ぬことができるのだろうか?

 

「僕、君のことが好きです」と、卒業間際に彼から打ち明けられた。

 

「返事、ないですね。それでもいいです。あなたは、僕のこと、少なくとも嫌ってはいないって、信じてますから。いまはそれだけでいい。いい大学に入って、一流の会社に入って、それからあなたのところに行きます。その時あなたがどんな人になっていても、言います、もう一度。好きだと」

 

「僕を見てくれないんですね。冷たい人だ。あなたこそ、造花のような美しさ、優しさの人ですね。でも、無口な僕を笑ったことがありませんね。僕たち似ていませんか? 造花には造花の恋があるんです、きっと。そうだ、決めました。もしも自分があなたにふさわしくない男だとわかったら、死にます。あ、笑いましたね? でも、本当ですよ。これが僕の本音です」

 

 あのとき、彼になにも言わなかったのはなぜだろう? 恥ずかしかったから? 煩わしかったから? 本気にしていなかったから? 私こそ、本当の気持ちはどこにあったのだろう。彼が受験に失敗してから、一度も会いに行かなかったのはなぜ? せめて友人として、励ますだけでも、なにか違ったかもしれない。彼を助けられたかもしれない。教授からの通話が終わった後、不意に涙がとめどなく溢れ出てきた。手近の文庫本を放り投げる。私は、馬鹿だ。

 

 本当にブキヨーだった彼は、造花に魅せられて死んでしまった。

2016年6月20日公開

© 2016 湯之元

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