ビターチョコレート

応募作品

モチ代

小説

10,253文字

恋愛は、必ずしも明るく楽しいものだとは限らないなどと思い、二十歳の時に書きました。
ほろ苦いチョコレートでも片手に、読んで頂けると幸福です。
ちなみに実体験ではないです。

 チョコレートと、かけまして恋心と解きます。その心は、どちらも非常に甘いからでしょう。

 なんとなく、友人のクラスの授業が終わるのを廊下で待ちつつ、謎かけを作ってみた。ボクは、昔から緊張したり、高揚したりすると、訳の分からないフレーズを考えたり、物事に対して深く悩んでしまう癖がある。その理由は自分が単なる妄想少年だからなのか、それとも、心を安心させるために悩んでいるのだろうか? 実を言えば、自分でも分からない。ただ、今回の場合が後者なのは明白だ。
 何に対してそこまで心拍数を上げて、考え込んでいるかというと……うっ、恥ずかしい……あまりにも、自分に無関係の行事なので、名前を口にすることさえおこがましい。頭文字を口にした瞬間「おこがましいと思わんかね?」と、ブラック・ジャックの本間先生の言葉が脳内で響きわたる程だ。
 そんなことを考えている間に、友人である神谷君のクラスのホームルームが終わったようだ。彼の教室の前は、まるで火曜市のジャスコの様に混雑していた。人混みの中から、目をキョロキョロさせながら神谷君を探す。すると、すぐに彼は見付かった。

 彼は、ボクと目が合うと笑顔で「よっ、隆志! 昨日、電話で話してた相談って何?」と言って、こちらへ歩いてきた。神谷君とは、昨日の晩に電話で話した。彼とは、中学時代からの友人。クラスは違う今でも、一緒に帰宅する程の仲だ。
「付いてきて欲……あっ」
 説明しようとした瞬間、言葉で表現できない程の緊張感と、感情が稲妻の様に体中を駆け巡った。同時に、顔が紅葉の様に紅潮した。なぜなら、クラスメイトの麻倉さんが、こっちに向かって歩いて来たからだ。客観的に見れば、ボクは彼女を凝視していたに違いない。いや、あるいは氷漬けマンモスの如く、硬直していたかもしれない。視線に気付いた麻倉さんが声をかけてきた。
「あっ、大原君!」
 麻倉さんの声は天使の様に可憐だ。学校で聞く彼女の声は、耳に絶大なるヒーリング効果を与えてくれる。
「あっ、麻倉さん、掃除終わったんだ」
「うん。一緒の班の男の子達が頑張ってくれたんだ。ところで大原君、昨日、紅しょうが三箱くらい食べたでしょ?」
「えっ? ど、どういうこと?」
「だって、顔があまりにも赤いから」
 麻倉さんはそう答えた。そして微笑みながら、つぶらな瞳でこっちを見つめてきた。眼はパッチリと黒目勝ち。可愛い大きな眼が、ボクを捕らえる。
「ああっ、そ、そういうことか――」
 なんて、奇妙なボケなんだ。でも、いいんだ。会話が出来るだけで心が癒されるから。
「じゃ、また明日ね。大原君」
「えっ、バイバイ! 麻倉さん」

 彼女は、靴箱で靴を履き替え、女友達と帰って行った。ボクは、揺れる漆黒のポニーテールにまるで神聖な物でも崇拝するかの様に見とれていた。多分、恍惚とした表情を浮かべていただろう。
「あのさ――」
 唐突に、神谷君が口を開いた。現実に帰還した。
「どうしたの?」
「間違ってたら悪いけど……もしかして、隆志って麻倉さんに惚れてね?」
「な、なんで?」
「見てたら、なんとなく分かるし。それに麻倉さんの名前は、頻繁に隆志が口にしてたじゃん」
 図星だった。人を意識すると、無意識に名前を出してしまうものなのだ。恥ずかしさが込み上げてくる。顔から火が出るとは、正にこの事だ。
「アルパチーノとスタローンって似てるよね」
「どっちも、同じアメリカ人だからな。それにしても、お前、そんなことずっと考えてたのかよ」

 恥ずかし過ぎて、誤魔化し切れなかった。
「実を言うと昨日に、電話で伝えた相談っていうのは、恥ずかしいけど麻倉さんについての話なんだ」
「ひょっとして、麻倉さんにチョコレート渡すのか?」
 なんで、考えていたことが分かるんだ! もしかすると、彼は他者の心が読める能力でも、持ってるのだろうか?
「何で分かったの?」
「明日、バレンタインデーだから、そう思ったんだけども……」
「そっか、だから分かったんだ。実は、麻倉さんに渡すためのチョコレートを買いに行きたいから、着いてきて欲しいんだ。でもさ、バレンタインに、男子が女子にチョコを渡すって変な気もするんだよな。おかしくないのかな?」
「今は、男子が女子にチョコを渡す逆チョコとか、友達同士で渡し合う友チョコとかもあるから、変でも無いと思うけど」
「そっか、じゃあいいや。とりあえず、家に帰って私服に着替えたら買いについて来て欲しいな」
 ボク達は靴を履き替え、午後五時に公園の前で待ち合わせをして、いったん帰路についた。学校を出たのは夕方の四時過ぎだった。ちなみに、なぜ私服に着替えてから買い物に行くかというと、寄り道している姿を先生に見られると、やっかいだからだ。

 

 

 午後五時前、公園の前に到着すると、既に神谷君は到着していた。彼は、ケータイを操作し橙色の街灯に照らされながら待機していた。その姿は、まるで演劇の舞台に立ちスポットライトを一身に浴びている役者の様だ。
「早いね。ひょっとして、少し待った?」
 白い息を吐きながら声をかける。
「いや、さっき来たところ」
「そっか、さっきも言った様に、麻倉さんに渡すためのチョコレートを買いに行きたいんだけど」
「じゃあ、ガトーに行こうぜ。あそこなら、お洒落なのが売ってるから」
 ガトーとは、町中のスイーツ(笑)が、アメ玉に群がるアリの様に集いしオアシス……というのは冗談で、いわゆる町のお洒落なケーキ屋さんだ。普段はケーキ、焼き菓子、マカロン等しか売っていないのだが、今の時期だけチョコレートを売っている。
「ガトーか、確かに美味しいよね。小さい頃、母さんによく連れて行ってもらったよ。あそこの、抹茶ケーキが最高なんだ」
 ガトーに向かい歩き出した。公園からは徒歩六分くらい。
 チョコを買ったついでに、ケーキ食べて帰ってもいいな。最近、スイーツ男子が増えてるらしいよ。自販機でコーンスープを買い、会話しながらガトーを目指す。
「そういえばさ、綾さんは最近、元気なの?」
 ボクは寒かったので、コーンスープをチビチビと飲みながら聞いた。
「うん。綾さんとは、昨日にバイト先で会ったばかりだけど、凄く元気だったな」
「そっか、でも凄いよ。バイト先の先輩に告白するなんて。花の女子大生じゃん。もう、皆で神谷君のこと恋愛マスターって呼んでたもん」
「いやいや、そんなことないよ。俺も始めは付き合ってもらえるなんて、思ってなかったんだ。でも、【当たって砕けろ】の精神で告白したら、二つ返事でOKでさ。プレイボーイや、モテ本に載ってた心理テクニックなんて必要なかったよ。告白した俺が、一番びっくりしたもん。やっぱり、実行してみるもんだな」
 神谷君は、陽気に笑いながら答えた。楽しそうな笑顔だった。
「そうだよね……」
 ボクは、足下の黒いマンホールを見て言った。俯きながら静かに笑って。下水道へと続くマンホールは、かすかな異臭を放ち黒光りしている。きっとこの蓋の下には、暗い闇と腐臭の地下世界があるのだろう。
余談だが、彼はボクの友人の中では、唯一の彼女持ちだ。そして、結構アクティブな人でもある。そういえば、中学時代も友達が割と多かった。今回、彼に声を掛けた理由は、もしかすると何か良いアドバイスを聞けるかもしれないとも思ったからだ。

 そんな会話をしている間に、ガトーに到着した。だが、時間が遅かった様だ。チョコもマカロンも既に売り切れ状態だった。さすがに、ケーキを学校に持って行くなんて、ナンセンス極まりない。とりあえず、二人で会話しながらお茶をした。男だけの放課後ティータイムというやつだ。会話した結果、駅前のイオンモールに行くことになった。どうやら、期間限定でギフト用のチョコレートを大量に売っている様だ。

 ガトーからイオンモールは、徒歩で約二十分程度だ。こんなことなら、自転車で来ればよかった。そんなことを考えながらイオンモールを目指す。
「なあ、隆志。中学の時に、クラスの女子から聞いた話なんだけどさ」

 神谷君が、ポケットに手を突っ込みながら口を開いた。
「うん、何?」
「二年一組に、林さんっていただろ、覚えてる? ほら、お前と一年の時に保健委員してた女の子」
「うん、もちろん。仲良かったもん」
「林さんに、関する話なんだけどさ。彼女、自分の小さな胸に、コンプレックスを持ってたらしいんだ。せめて、Bくらいに膨らまないかなって。それで、どうしたと思うよ? 膨らまし粉でも食べたと思うか? 違うんだな、それが。なんと、メロンパンを下着の中に入れて登校したんだ。高度経済成長期も驚愕の、AカップがCカップに一日で急成長さ。まあ、体育の時間中に発覚したみたいだけど。自分もだけど、中二って本当に面白いよな。メロンパン入れるなんてエキセントリックな発想、普通の人は思い付かないよ。そもそも、パット入れたらいいのに」
「確かに、中二の時って酷かったよ。漫画描いて出版社に送ろうとしたり、モテようとして、エレキギター買ったりさ。まるで、悪夢のパンドラボックスだもん」
 そう言って、急に恥ずかしくなった。自分の、暗黒時代を思い出したからだ。尾崎豊に憧れて、友人から買って始めたギターは二ヶ月で諦めた。だが、デザインが格好いいので、今は部屋に飾っている。自室に遊びに来た友人が、褒めてくれる時だってある。【ボディがいいね】や、【ネックの部分が最高だ】と言われてるのだから、インテリア化したギターも光栄だろう。きっと、静かに嬉し泣きしているに違いない。
「ところでさ、以前から麻倉さんの名前は隆志から聞いてたけど、彼女のどこに惚れたんだ?」
 神谷君が、そう尋ねてきた。彼は、麻倉さんとはクラスが違うから彼女と会話したことは無いのだ。
「どこって、気さくで元気で……そしてなにより、可愛くて優しそうで清楚なところかな。ボクにとって、彼女は太陽みたいな存在なんだ。退屈な学校生活を光で照らしてくれるんだから」
 思っていることを、そのまま口にした。非常に素直な意見だった。偽りや脚色なんて無かった。彼女は、自分にとってのアイドルだからだ。学校での、彼女の挙動一つ一つが、ボクに至福の時をもたらす。
「確かに、麻倉さんは凄く可愛いよな。それに清楚で、雰囲気が優しそうだものな。クラスは違うから詳しくは知らないけど、アイドル的存在なんだろ?」
「うん。彼女は正に天使だよ。顔は可愛いし、クラスのムードメーカーだし、そして誰にでも笑顔で接してくれるしね。口下手なボクにも、同じ班だった時、頻繁に話しかけてくれてたんだ。うれしかったよ」
「そっか。今までの話を聞いてる限りでは、まあまあ仲良くなれたみたいだから、後は自分から行動するのみだな」
 彼は、ニコニコと笑いながらそう言った。笑顔が実に爽やかだった。

 しばらく黙々とアスファルトの道を二人で歩く。ふと、空を見上げてみる。空は決して快晴ではなかった。アスファルトの色と類似していた。雨雲のせいで、空は汚く灰色に濁っていたのだ。急に、心が倦怠感に支配された。実は、言って無かったが相談事はもう一つあった。
「ねえ、神谷君。麻倉さんとは関係ない話なんだけど、実は悩みが、もう一つ有るんだ」
 立ち止まって、ため息をついて重い口を開いた。内容が内容なだけに、言い辛かった。
「何?」
「最近、他人と上手く喋れないんだ」
「え、なんで? 普通に喋れてるじゃないか」
彼は、信じられないという感じに、目を丸くしながら聞き返してきた。
「違うんだ。自分でも分からないけど、最近、誰かに話しかけてもらえないと喋れないんだ」
「クラスに友達はいるんだろ? 以前、カラオケや映画に、同級生と行ったと言ってたじゃないか」
「うん。でも、相手に話しかけてもらえないと、最近は殆ど声も掛けられないんだよ。何を話せば良いかが分からないというか、面白く無くてオチのない話しか出来ないのに、自分は他人に話しかけて良いのかとか、そもそも話しかけても、内心はイラつかれてるんじゃないかとかさ……。しかも、葛藤があるから、喋れないなんて誰も気付かないから、根暗で無表情とか、協調性がなくて性格の悪い奴って思われてると、被害妄想してしまって……。そう考える度に自己嫌悪に陥ってしまうんだよ。 正直言って、本当に息苦しくて仕方がないんだ。心が、すごく痛いんだよ……」
 ドブ川のヘドロの様に蓄積された鬱憤は止まることを知らない。心の中に溜まっていたネガティブな言葉を、壊れた蛇口から出る水の様に放出した。神谷君の表情は、何かを深く考え込んでいるようだった。しまった、もしかして、少し言い過ぎたかな。ひょっとして、イタイ奴って思われてるかな? そんな、考えが脳裏をよぎる。
「ずっと、悩んでたのか? 本当にごめんな、全く気付かないで」
 彼の口から出た言葉は温かった。いや、正確に言えば彼はいつも優しかったし、ボクのことを考えてくれていた。
「うん、昔から、他人とコミュニケーションを取ることは苦手だったんだ。でも、高校に入って以前に増して、会話したり人と接することが、精神的苦痛になってしまって……」
「そうか。実は、俺もその気持ちはすごく分かるんだよ。小学生の頃は、陰気で周りに溶け込めなくて、友達も少なくて、休み時間も図書室に行ったりしてたからさ」
「えっ、本当に?」
「うん、本当なんだ。ただ、小学校卒業を節目に、自分を変えようと思ったんだよ。このままじゃ駄目だってさ。でも、やっぱりそう簡単に、キャラなんて変えたり出来なかったんだ……変化出来なかったんだよ。そんな時に、優しく話しかけてくれたのが隆志でさ。あの時、俺すごく嬉しかったんだよ。遠足で、お前が話しかけてくれなかったら、今でも暗いままだよ」
 彼が小学生時代に陰気で、友達がいなかったなんて知らなかった。始めて神谷君と接したのは、中学一年の春遠足だった。行先は登山だった。確か、山頂を目指す道中で話しかけたのだ。理由は、ボク自身が友達が少なかったというのもあったが、彼が話しかけやすかったからだった。当時の彼は、短髪で眼鏡をかけていた。少しシャイな点を除けば、今と全く同じで饒舌だった。だから、彼が暗かったなんて信じられなかったし、話しかけたことに対して、ここまで感謝してくれているとも思わなかった。
「だから、さっきも言った通り喋れない気持ちは痛い程、分かるんだ。でも、他人に話しかけていいか疑問に思うっていうのは、あまりにも自分を否定しすぎだよ。ネガティブは良くないし、そういう人には彼女なんて出来ないと思うぜ」
「やっぱりそうだよね。でも最近、本当に会話が出来ないし、何を話せばいいか分からないんだよ」
「話す内容なんて、そんなに深く考えなくていいと思うけどな。例えば、天気の話とか、昨日のテレビの話とか、趣味の話とかさ。俺と話してる時は、普通に話せてるんだから大丈夫だよ。それに面白くないなんて言うけど、俺にとって隆志との会話はすごく面白いんだ。お前と、他愛もない会話を出来ることが、本当に嬉しいんだよ」
「ありがとう」
「こんな俺でも、明るくなれて成り行きで彼女も出来たんだからさ、きっと大丈夫だよ。お前、優しいしさ」
 彼のおかげで、少し心が落ち着いた。ボク達は、引き続きイオンモールへと足を進めた。

 イオンモールに到着すると、午後七時三十分になっていた。道中で話し過ぎたようだ。バレンタインデー用のチョコレート特設売り場へ向かう。
 バレンタイン・キッスがBGMとして流れる売り場には大勢の女性客がいた。彼女達は、必死にチョコレートを探している。予想はしていたけど、女性ばかりだ。少し恥ずかしくなった。
 神谷君のアドバイスを受けた結果、二千五百円のビターチョコレートを買うことに決めた。海外の、まあまあ有名なチョコレートらしい。洒落た箱に、トリュフチョコレートが数個入っていて実にいい感じだ。チョコを買い物カゴに入れてレジへと持って行く。すると、レジのお姉さんが「チョコレートを渡すんだ、頑張ってね」と、笑顔で言ってラッピングをしてくれた。気持ちいい接客だった。
 BGMは、相対性理論のLOVEずっきゅんに変わっていた。チョコレートを買うという目的を果たしたので、ボク達はイオンモールを出て帰路につくことにした。神谷君は別れ際、「麻倉さんは喜んでくれるさ。頑張れよ、お前なら大丈夫さ」と励ましてくれた。冬なので気温は低かったが、彼の優しさで心は温かかった。

 

 

 手が汗ばんでいる。こんなに緊張したことが、今までの人生であったろうか。人に告白するなんて、始めてだから胸がドキドキしてるのだろう。夏だったら、緊張感と暑さが混合して溶解していると思う。そういえば、今まで人を好きになっても、小心者なので胸の中に秘めていたんだ。
 でも、実を言うとボクには期待感もあった。なぜかというと、麻倉さんとは学校で、よく話していたからだ。やってやる、絶対に自分を変えてやる! と意気込む。
 ふと、時計を見る。針は午後四時を指している。麻倉さんには昼休み時に、伝えたい話があるから放課後に図書室へ来て欲しいと言っておいた。
 放課後の図書室は静寂に包まれている。昼休み時と違い誰もいない。微かに、時計の針の音が聞こえるだけだ。
 本当に麻倉さんは図書室に来てくれるだろうか? 仮に来てくれても、チョコを受け取ってくれるだろうか? いや、でも以前あんなに仲良くしてくれたから、きっと大丈夫だろう。多分、あの優しい笑顔が見れるだろう。明るい学校生活を送れるんだ。色々と回想を巡らせイスに腰をかける。
 図書室内を夕日が照らしている。微かな茜色に染まる図書室はどこか幻想的だ。そういえば幼い頃、夕方は寂しさの象徴だった。太陽が沈んで、友達と別れて帰宅することが切なかった。真赤に染まる街は、いつもボクを物悲しくさせた。
「大原君」
 突然、声を聞いたので驚いて我に返った。物思いに耽っていたので、図書室に人が入って来たにも関わらず、全く気付かなかった様だ。ドアの方に目を向けると、麻倉さんが立っていた。
「あ、麻倉さん! 来てくれたんだ」
 驚いたので、少し大きな声を出して彼女に近付く。
「うん、伝えたいことって何?」
 彼女は、そう言いながら微笑んだ。とても、可愛いらしい笑顔だった。
「えっと、実は、渡したい物があるんだ」
 ボクはそう言うと、昨日買ったチョコレートの箱を鞄から出して渡した。チェックのリボンと、ファンシーな包装紙が非常にお洒落だ。
「わっ、何これ? 可愛い!」
「あっ、今日は、バレンタインだからさ。チョコレートだよ」
「本当に? 嬉しいな」
 彼女はそう言うと、クリスマスプレゼントを貰った子供の様に、楽しそうにラッピングを破り箱を開いた。そして、箱に詰まったチョコレートを見て、笑顔で「ありがとう! 凄く嬉しいよ」と言った。
 彼女の反応は嬉しかった。ここまで歓喜してくれるとは思わなかったからだ。
「えっと、実は、前から言おうと思ってたんだけど、麻倉さんのことが好きなんだ。だから、仲良くなりたいなって思って……」
 言った。言ってしまった。遂に告白してしまった。これで、恋のモヤモヤがなくなった。後は、彼女の反応を待つだけだ。
「結構、前から分かってたよ」
 彼女の返事は、いい意味で予想外だった。好意を持ってることが知られてたなんて。やっぱり、ボクは分かりやすい人間なんだろう。でも、ひょっとして、これは結構いい感じに話が進んでいるんじゃないだろうか? 急に、ポジティブな気持ちになってきた。
「ところでさ、私も、大原君に言いたいことがあるんだ。前から、ずっと思ってたんだけど」
 少しの沈黙の後、チョコレートを見続けていた彼女が不意に口を開いた。
「えっ、何?」
 ボクの胸は、期待感と嬉しさで張り裂けそうになっていた。ひょっとすると、麻倉さんはボクに告白する気なんじゃないだろうか? 彼女は満面の笑みを浮かべると、こう問いかけて来た。
「大原君ってさ、何で語頭に、【あっ】とか、【えっ】って付けないと喋れないの? 見ていて凄く滑稽なんだけど」
 彼女はニヤニヤと笑っていた。それは歪んだ笑いだった。
「え?」
訳が分からなかった。彼女が何を言っているか理解が出来なかった。
「あっ、分かった! 大原君って、コミュ障でしょ。ちょっと会話しただけで告白するし、自分の得意分野でしか、まともに会話できないなんてさ。面白いね」
 コミュ障という言葉に胸をえぐられた。それは、化膿してドロドロになった傷口の様に痛々しい言葉だった。聞いただけで、眩暈を感じる程だった。なぜなら、自分を最も苦しめている言葉だったからだ。
 人間は、訳の分からない罵詈雑言を浴びせられるよりも、否定出来ない事実を突きつけられる方が傷付くのだ。
「ねえ、何でコミュ障なの? 本当に何でなの? ひょっとして、昔いじめられてた? ほら、こんな風にさ」
 彼女はそう言うと、チョコレートの箱を床に落とした。軽い音と供にチョコレートが床に散らばる。すると彼女は、その散乱した物を冷笑を浮かべながら踏み付けて、静かにこう言い放った。
「私は、人の心を踏みにじるのが好きなんだ」
 今まで見た彼女の表情の中で最も輝いていた。
「そ、そんな酷いよ……」
「ヒドイ? じゃあ、大原君は自分より下等な人を見て、優越感に浸ったことは無いの? 逆に、自分より優れてる人を見て、妬ましいと思ったことは無いの? 自分より弱い人に、八つ当たりしたことは無いの? 人によって、態度を変えたりはしないの? 他人を理不尽に傷つけたことは無いの? 内心では、周りのことを侮蔑してるんでしょ? どう、論破できる?」
 この言葉に対して反論することは不可能だった。これらの行動を一つも経験したことが無い人間なんて、多分いないだろう。それに、妬ましいと思ってしまったことが、最近あったからだ。ボクは、「彼女が出来た」と無邪気に喜ぶ神谷君を、笑顔で祝福しながら妬ましく思った。それと同時に、すごく孤独な気持ちになった。自分は、こんなに悩んでいるのに、なんで彼はあんなに楽しそうなんだと。なぜ、自分には当たり前のことすら出来ないのかと。腹を割って話せる人は彼だけなのにと――。
 自分のことを、あそこまで親身に考えてくれている親友のことを酷く妬んだ。それを思い出すと、麻倉さんに心を蹂躙されたことも相まって、悲しみが押し寄せてきた。酷く自己嫌悪に陥った。
 自分は、なんて最低な人間なんだ、神谷君はあんなに親切に接してくれたのに――
「何も言い返せないってことは、思い当たる節があったんだね。大原君って汚い人間なんだね……」
 彼女はそう言いながら、ゆっくりと潰れたチョコレートを踏みつけた。その靴は、グチャグチャに潰れたチョコレートのせいで茶色くなっていた。
 チョコレートを、ほとんど踏み潰した麻倉さんは「楽しかったよ。じゃあね、大原君。ちゃんと掃除しといてよね」と言って、図書室から出て行こうとした。
「ま、待って、麻倉さん。どうしても、聞きたいことがあるんだ」
 ボクは咄嗟に、彼女の背中に声をかけた。
「何?」
 そう言ってこっちを振り向いた彼女を夕日が照らしていた。仄かに茜色に染まるその姿は、どことなく妖艶だった。
「何で、麻倉さんがこんなことするの? いつも、あんなに優しくて良い人なのに……」
 ボクが、そう聞くと彼女の顔から一瞬、表情が消えた。無表情になった彼女はこう尋ねて来た。
「大原君って、脳内お花畑なんだね。いつも、笑顔で優しい口調で喋ってたら良い人だと思ってるの?」
「え?」
「私、本当は良い人を演じてるだけだよ。みんな、表面上でしか評価してくれないしさ。でもそれって、凄くストレスがたまるし、孤独なんだよ。だから、君みたいな無抵抗そうで、大人しい人を見たら傷付けたくなるの……」
 彼女は静かにそう言った。どことなく悲しそうな眼をしていた。ボクは何も言い返せなかった。
「じゃあね、大原君。もう、話しかけて来ないでね、見苦しいからさ」
 彼女はそう言うと、図書室を後にした。
 図書室には、自分しか存在しなくなった。ボクは、潰れたチョコレートを拾い上げ、弱々しく握った。

 

 

 

「冬の空がとても綺麗だ」

 夕空を見て呟いた。街は、夕日で真紅に染まっている。曇りだった昨日と違い綺麗な空だ。ボクの横を、小学生達が楽しそうに喋りながら駆け抜けていく。
「旬ちゃんは、チョコ何個もらった? オレは一個も貰えなかったよ」
「今年は四個も貰ったよ」
「あはは、やっぱり旬ちゃんはプレイボーイだなあ」
 彼等の会話を聞きながら、僕は体温で原型を留めていないチョコを口に入れた。入ってないはずの塩の味がした。

 

 もう、何も考えられなかった。

2016年5月28日公開

© 2016 モチ代

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