殺意の行方

揺籃(第1話)

瀧上ルーシー

小説

1,976文字

中卒青年とアル中の親父の話。

本日の仕事を終えた辰也は満員電車に揺られて、住んでいるぼろアパートがある最寄りの駅まで移動していた。県内のいろいろな場所で交通整理をする仕事なのだが、現場に行く前に行かなければならない事務所までの通勤時間は片道一時間を超えていた。帰宅ラッシュの満員電車内は、皆疲れきった顔をしたスーツ姿の男女に溢れていた。自分はTシャツにジーンズ姿で汗臭いので少し他の乗客に悪い気がした。辰也はホワイトカラーの仕事への憧れが強いのだがどうせ自分は中卒なのだから、それはどだい無理な話だと諦めていた。吊革を握り締め考えていた。俺はこれからどうなるのだろう、今より状況が悪くならなければいいのだが、神様じゃないのだからこれからどうなるのかはわからない。いつもそうだが、腹も減っているしヤニ切れも起こしていらいらとした。痴漢などするはずもないが、スーツ姿の若い女性の姿に少しだけ欲情した。辰也は童貞だったし風俗店に行ったこともないし、小学校中学校と誰にも告白したこともないしされたこともなかった。性欲の処理はオナニーだけしかなかった。仕事で忙しいので合間に便所で抜くことすらあった。男なら誰でもわかるだろうが、身体から精子を抜くと頭も身体もとてもすっきりとするのだ。段々と電車の中が空いていく。辰也が降りる駅ではその車両内で、誰も他に降りなかった。とても田舎なのだ。駅のホームを抜け、一服してから有料の駐輪所から自転車を取ってくると、辰也はそれに乗り、途中でスーパーで夕食を買ってアパートを目指した。更に自転車で二十分もかかるのだが、仕事なんて殆どない土地なので仕方がないことだった。原付免許は試験に三回落ちたので一旦諦めた。夏の空に虫たちの声が合唱していた。ふと思った、今日自分は必要最低限以上に言葉を発しただろうか、きっと発していない。別にそれでも良かった。

アパートの駐輪所に自転車を止め、一番家賃が安い一階の部屋へと辰也は入っていった。1DKの一室で、辰也の親父はちゃぶ台に突っ伏していた。左手にはまだ酒が入ったグラスが握られている。母親は辰也が小学生の頃に逃げた。ヤニとアルコールと汗の臭いが充満していた。点けっぱなしのクーラーの低い稼働音が響いている。今日も疲れた。夕食は買ってきたものの体力的にすぐには食べられそうにもない。親父のように日本酒や焼酎やウィスキーには手を出さないようにしているが、缶詰を肴に辰也は五百CC入りの第三のビールを三本ほど立て続けに飲んだ。酔っ払って食欲が湧いてきたので、半額シールが付いているスーパーの弁当をぼちぼちと食べていく。何か少し寂しいと思い、テレビをつけると、酔いつぶれていた親父が眠たそうな目を開いた。うるせえ、テレビ消せ、ちょっとは我慢しろよ糞親父、辰也がそう言い返すと親父は腕を振りかぶって辰也の頬を殴った。腹だけ出ていて痩せすぎている親父のパンチは大して痛くなかったしこんなことは有り触れているのでとくに怒りも沸いてこなかった。わかったよ、と言い、辰也はテレビを消してやって布団も敷いてやった。おれあまだ飲むぞお、などと酒臭い息を吐きながら親父は言った。それから焼酎をストレートで二杯ほど飲むと親父は今度こそ完全に酔いつぶれ、辰也は身体を持ち上げて布団まで連れて行ってやった。それからテレビを再びつけて、音量を絞りだらだらとテレビを眺めた。もっと飲みたいと思い、冷蔵庫を開けるとビールが二本入っていた。自分が買った覚えはないから、親父が気まぐれで買った物だと思う。どうせ自分の金だと思い辰也はそのビールをゆっくりと味わいながら飲んでいった。

テレビの中では着飾った男女達が面白可笑しいことをしている。給料はきっと辰也の十倍や百倍だ。千倍の芸能人だっているのかもしれない。そんなことを考えるといらいらとしたので煙草を立て続けに何本も吸った。俺の人生は自分の人生のはずなのにぜんぜん自分のためには何もしていない、親父を食わせていって毎日酒を飲んで煙草を吸うだけで精一杯だ。やりたいことなど何もないが、旗振りなんて本当ならしたくなかった。毎日のように小便を我慢して交通整理をしているので、近い将来膀胱炎になるかもしれない。布団の上でいびきをかいている親父を睨みつけた。こいつだ、こいつさえいなければ俺はもっと自由に生きられるのだ。アルコール中毒の父親は辰也にとって重荷でしかなかった。こんな糞親父が死んでさえくれればもっと華やかな場所に辰也は引っ越す。少なくともそう思っていた。最後のビールを飲み干すと、煙草をくわえたまま、仰向けに寝ている親父の上に辰也は乗っかった。親父は寝苦しそうに唸っていた。寝言のように、何すんだよお、と彼は言う。

辰也は右手で架空の包丁を掴むと、一思いに親父の腹に突き刺した。

 

2016年5月27日公開

作品集『揺籃』第1話 (全2話)

揺籃

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© 2016 瀧上ルーシー

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