ここではないどこかへ

日常(第3話)

瀧上ルーシー

小説

2,063文字

〝俺〟は殆ど理由もなく自転車を漕ぎだした。

どうしても欲しい物があって、毎月貰える小遣いを超えて親から金をせびったら母親は元から細い目を更にキツネのように吊り上げて怒った。そろそろアルバイトくらいしなさい、あなた、もう三十五歳でしょ。お金の都合で一日十本しか煙草を吸えないため、既にヤニ切れを起こしているのかとてもいらいらとした。

俺は作家になるために生まれてきたんだ。みみっちい給料のアルバイトなんかして貴重な時間を浪費したくねえんだよ、母親に言ってやると、彼女はさらに怒る。今はそれでいいかもしれないけどね、お母さんもお父さんもあなたより早く死ぬんだから、今のうちからまともな生活ができるようにしておかないと、将来大変な目に遭うのはあなただよ。母親の悲痛な声を聞いて自然と口がへの字に曲がった。いいよ、親父とお母さんが亡くなったら自殺するか生活保護受けるかそのとき決めるよ。親がどんな気持ちなのかあなたわかってる? 怒っているのだがどこか泣き出しそうな顔で母親は言う。わかるわけねえじゃん、人間はどこまで行っても一人なんだよ、それだけ言うと俺は、まだ何か言いたそうな母親を無視して、家から外へ出た。鍵も締まっていない錆でぼろぼろのタイヤの空気も完全には入っていない自転車に俺は跨がった。現実から逃げ出したかったのだ。いくら家で小説を書いたって評価もされないし生活はいっこも変わらない。高校を中退してからまずはライトノベルを書き出して、それから大衆文学、純文学へと書く物のジャンルを変えていったが何を書いてもどこへ行っても俺は評価されなかった。空からは殺人光線でも出ているのか、俺はすぐに汗だくになった。久しぶりに身体を動かしたのでチャリに乗ってるだけでも太ももが痛い。ちゃっかり、サイフと煙草と腕時計は持ってきていたので、家から二十分ほどチャリを漕ぐと、コンビニの灰皿の前で煙草を吸って口から本来不要な白い煙が吐き出される。煙草を吸い終わると百円の一リットルも入っているパックのお茶を買ってきてそれを一気に飲み干した。それからまた自転車に乗る。太陽に身体を焦がされながらもいろいろなことを考えながらチャリを漕いだ。いや、殆どは頭の中で呪いの言葉を漏らしていただけだ。なんで俺は新人賞が取れないんだ、なんで俺は童貞なんだ、なんで俺は格好良くないんだ。なんで女の子と付き合ったことがない、だいたい俺は集団と一緒に過ごせばすぐに攻撃されるようになる、なんで両親は俺より早くに死んでしまうんだ、なんで俺には可愛い妹や兄貴思いの弟がいないんだ、なんで俺達はいつかは死んでしまうのだ。永遠に憧れた。そして永遠に安らいでいたい……そこまで考えて思った。永遠に安らぎたい人が神を信じて天国を夢想するのではないだろうか。神のようなものにすがりたくなるときはあるが、俺はそこまでではないと思いたい。田舎の広い道路の脇の歩道をチャリで走って行く。一時間走ってもまだ目的地には着かない。中学の頃友達と来た道を走っているつもりだが、正しい道を通っているのかどうかもさだかではない。Tシャツが身体にべっとりと張り付く。日差しが熱くて眩しい、キャップくらいかぶってくればよかった。

段々とその場所が放つ独特の香りが漂ってきた。道路を走る車の数も増えてくる。俺はラストスパートと言わないばかりに、チャリを全力で漕いでそこを目指した。盗まれたら困るなあと思いながら駐輪所でチャリを止め、砂浜へ駆けていった。きわどい水着を着た女の子に視線がいきそうになるが、Tシャツにジーンズ、足にはスニーカーを履いたまま俺は波打つ海へと走って行った。そして海水の中へと倒れ込む。冷たくて気持ちが良い、砂が口に入りそうになって、慌てて顔を上げる。ポケットの中の残り二本の煙草はもう吸えないな、と俺は思った。腕時計も水浸しで壊れたし、せめて財布だけでも落とさないようにと気をつけた。そうしてしばらくの間、俺は一人で海の中で遊んだ。俺以外は皆、鮫の浮き輪に複数人で乗っていたり、一家のお父さんが子供にあまり遠くに行くな! と叫んでいたり、一人で来ているようには見えなかった。海の中はとても混雑している。知らない人と肩がぶつかったりもした。ときたま浜辺にいるライフセーバーが何やら拡声器で怒鳴っていたりもした。俺は一人で遊び疲れるとなけなしの金で煙草とビールを買って、海の家で休んだ。そうして俺にはずっと手が届かない青春真っ盛りの水着姿の女の子達を眺めた。風になびく細い髪、海に来てもばっちりきめてる化粧、胸の谷間、人によっては少し弛んでいる腹、太くても細くてもどちらにしてもセクシーな脚。そういったエロちっくなものを俺はちらちらと眺め見ていた。

それからも服を着たまま泳いだり、浜辺で煙草を吸いながら女達を視線で犯したりしていると、空が夕焼けてきた。そんなはずがないのにその夕焼けの空は永遠に赤いように思えた。

帰るか、と独り言ちて、チャリを止めた場所まで歩いていく。

俺はこれからどこへ行くのだろう。

 

2016年5月18日公開

作品集『日常』第3話 (全12話)

© 2016 瀧上ルーシー

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