(第2話)

瀧上ルーシー

小説

40,319文字

統合失調症で生活保護受給者のサチコの酒と肉欲の日々。

サチコは相も変わらず狭い安アパートで男のちんこをしゃぶっていた。ベッドの上で相手の男ジョウジの股間に向かって頭を下げ、口ではちんこをしゃぶっている。上目遣いにジョウジの顔を見ると、ぼけぇっとした顔をしていた。あまり気持ち良さそうではない。サチコにとってそれは業腹だった。いくら寄生虫でも身体まで男に相手されなくなるのは困る。サチコはいつも頭の中で自分のことを寄生虫だと卑下していた。いや現実にサチコみたいな人間を寄生虫だと思う他人は多々いるだろう。それを悔しいとか悲しいとか思わなかった。もう慣れてしまったし、サチコ自身もそれは認めていた、彼女を寄生虫だと思う他人がいることを。肉の茸のような物体を口の中で頬張る、唾液を舌先から分泌させて上下に口を往復させる。愛撫しながらサチコは考えていた。クーラーの立てる音がやけに耳についた。今は平日の午後二時だ。大の大人なら仕事をしている時間だ。女にしたって結婚していれば、家事に子育てに大忙しだ。嫌なことを考えてしまったためにサチコはまたおまじないを頭の中で口にした。わたしは寄生虫、寄生虫は働かなくたって罪悪感を感じない。わたしは寄生虫、寄生虫でも夏は涼しい場所が好き。またクーラーの音が気になった。自分を寄生虫に見立てて頭の中で何かつぶやくのはサチコの癖だった。ストレス解消に役立っているかどうかはわからない。十分足らずの時間ちんこをしゃぶっているとジョウジは「もういい」と言った。サチコは倒していた上体を上げる。ジョウジは肩をつかみベッドの上へサチコの身体を仰向けに倒すと、背中に腕を入れ、年甲斐もなく着ていた水色のキャミソールを脱がしていった。白いブラジャーもすぐに剥ぎ取られる。あざやかな手つきだった。もう幾度となくサチコとジョウジはセックスをしている。仮に他の女とそういうことをしてないとしても、セックスが上手くなるには十分な経験値だった。ジョウジはサチコの若い頃はピンク色だった乳首を口に含み、舌先でコロコロと転がした。少しは気持ちいいがそれだけではオルガスムを与えられるほどではなかった。というかジョウジはいつだって自分だけ先に達して、サチコをイかせてくれることはない。ジョウジはスカートをお腹くらいまでまくり上げると、スルスルとパンティを剥いだ。

一度だけ膣とクリトリスを下から上に舐め上げると、指を膣の中に突っ込んでくる。「もう濡れてるのか」

サチコは顔を赤くもさせないで答えた。「体質だから」

三分足らずの時間指先でまんこを愛撫して、ジョウジは穿いていたズボンとボクサーパンツを脱いで勃起したちんこをサチコの膣に押しつける。サチコは慌てた。

「ゴムはつけてって」ジョウジの目を軽くにらみつける。

「この間はナマだったじゃん」ヘラヘラと笑っていた。

「あれは無理矢理でしょ」

そうなのだ。ジョウジはたまに無理矢理ゴムをつけないでちんこを挿れようとしてくる。サチコとしては貰える金も増えるし妊娠しても構わないのだが、子育てなんかしたくないし、今日はゴムをつけて欲しい気分だからゴムをちんこにかぶせることを要求したのだ。ジョウジはベッドの横の机の上からコンドームの箱を取ると、自分でちんこにかぶせて、サチコの膣にそれを埋没させた。すぐさま腰は振られる。滅茶苦茶と言うほどではないが、性的に気持ちがいい。そこまでではないが演技をすると男が悦ぶことは知っているのでサチコは、あっ、あっ、あっ、あっ、とあえぎはじめた。ジョウジはもうすぐイきそうなのか、口を真一文に結び、笑っていない、まじめな表情をしている。あっ、あっ、あっ、あっ、自分でクリトリスをいじればもっと気持ちがいいのだろうが、サチコは海外のAV女優ではないのでそんなことはしたことがない。あっあっあっあっ、セックスはもちろん好きだが、身体しか相手されないので仕方なくセックスフレンドを三人も抱えているのだ。心までジョウジがサチコのことを愛してくれるのなら、いろいろな日常の話をしながらセックスをしてみたいし、愚痴をこぼしながら一つのバスタブに浸かりたい。だがジョウジはサチコにセフレ以上の扱いをすることはなかった。あっあっあっあっ、ジョウジは腰を大きく振ると、ちんこをサチコの奥にまで挿し込み反り返らせた。しばらくびくびくとちんこが震える。ジョウジはちんこを抜くとコンドームを外しベッドの上に放り投げ、下半身裸のままシャワーへと歩いて行った。へろへろになったコンドームから精子が溢れ出しベッドのシーツを汚した。レディファーストしてくれないジョウジが一瞬憎く感じたが、それよりも終わった後は煙草を吸いたいので、机の上の丸い小さな灰皿を引き寄せると、煙草に火を点けた。冷静になる一瞬だ。なんで自分はジョウジとなんかセックスをするのだろうか。ジョウジは太っていて短い髪を金色に脱色している大学生だ。しかも二回留年している大学三年生。間違ってもかっこよくはない。経済力もない、ときたまコンビニ弁当や酒をアパートまで持ってきてくれるだけだ。しかもサチコを愛してくれない。セックスは寂しい女の最後の慰みに思えた。男はどいつもこいつも膣の中で精子を出すという目的のために女に優しくする。身体が疼かないなら、どうせ心は繋がらないのだからセックスなんてしない方がいい。サチコはそう思った。そのままとりとめのないことを思案しながらサチコは立て続けにメンソールの煙草を数本吸った。なにもしなくても金が入るとはいえ、経済的に楽な生活ではない。メンソールは諦め、煙草をエコーやわかばにすれば少しは楽になるが、まだほんの少しは残っている見栄というか惰性というか、サチコが吸ってる煙草はマルボロメンソールライトだった。ジョウジが全裸のままシャワーから出てくる。腹は太鼓腹だし、胸毛も濃い。それを気にしているのか、ジョウジはセックスの最中上を脱がないことが多い。脱いでくれれば乳首ぐらい吸ってやるのに、とサチコは思った。サチコは今度は自分がシャワーを浴びるために、身体に残っていたスカートを脱ぎ捨て、ジョウジの肥えた身体を押しのけ、ユニットバスへと入っていった。シャワーを浴びている最中、自分はイかなかったので、指をまんこへと持って行きたくなるが、せっかくセックスしたのに自分を寂しい女だと思いたくなかったので、我慢した。シャワーを終えて部屋に戻ると、当然のようにジョウジの姿は消えていた。もう帰ってしまったらしい。いつもこうなので少しはイラつくが、怒ったりしない。また煙草を吸いながら、今度は安焼酎をグラスについで飲みながら小さなコタツ兼ちゃぶ台の前であぐらをかき、つまらないテレビを観始めた。ついでに少し遅いが、昼の分の薬を焼酎で胃の中へ嚥下した。そのまま外が薄暗くなるまでそうしていると、人が集まる時間帯だと思って、机に移動しノートパソコンの電源ボタンを押して、インターネットへアクセスした。スマートフォンは持っていないが、家の中でぐらいはインターネットができる。よく観覧する、匿名掲示板へパソコンを繋いで適当なトピックスを読み始めた。いつしか「生活保護受けてる奴は死ぬべき」というトピックスを発見して、見たくないのだが開いてしまった。そこには何百と、罵詈雑言のレスポンスがついていた。「酒と煙草と博打は禁止にすべき」「現金支給を止めて現物支給にしろ」「田舎に収容所を作って入れた方がいい」「半年で強制的に打ち切れ」「賃金安い県でフルタイムで働くより多くの金が貰えるのはおかしい」などと書かれていた。さすがに唇が震えてしまう。サチコは東京で生活保護で暮らしている。もう十年近くも社会的活動をしていない。おまけに統合失調症を患っているから、健常者の生活保護受給者より多く貰っている。サチコは思った。彼らが言ってることは正論なのだ。パソコンもコタツもテレビも全部国民が納めた税金で買ったのだ。どれも安い粗悪品だが、サチコにとっては食費を削って買った品々だ。彼女も働くことの何千分の一かは苦労したが、そんなこと誇れない。サチコには就労意欲がなかった。誰の金で暮らしても、寄生虫はそんなことを気にしないのである。本当はボディにくるぐらい、精神的にダメージを受けていたが、気にしないようにしていた。むしゃくしゃしたので焼酎をさらに飲む、煙草を吸う。違うトピックスを観覧している最中に気がついた。また前みたいに自分でトピックスを立てて、陽気なウサ晴らしをしよう。サチコは携帯電話のカメラできわどい写真を撮るとそれをパソコンの方に移して、「エロ写メアップします」というタイトルでトピックスを立てた。本文には上半身裸で手で乳首をかくしBカップの胸を寄せて上げている写真の画像へのURLを書いて、二十歳女子大生ですとも書き込んだ。嘘だった、本当は三十二歳のアラサーだ。顔はもちろん写していない写真をアップロードしたのだが、サチコはやせぎすだが肌が綺麗で童顔。目も大きいし口も小さいし顔自体が小さい。茶色く染めた髪は肩くらいまで伸ばしたセミロングだった。身体の方も若作りなはずだとサチコは思いたかった。そのトピックスに人はすぐ集まった。「乳首見せろ」だの、「ブラとパンティをアップロードしろ」だの「どこ大?」だの、見ず知らずの匿名の他人達がサチコをかまってくれた。嬉しい。画面の前のサチコの表情はとろけそうな、そしてまた歪んだ笑顔だった。酒を飲んで煙草を吸いながら、新しいレスがつくのをサチコは眺めていた。言われるままに顔以外が写った写メを掲示板へアップロードする。まんこを直接写すのはしなかった、もしかしたら警察から電話がきて逮捕されるかもしれないからだ。深夜まで彼女が立てたトピックスを見張っていると、夜飲む分の薬を服用するのも忘れて、いつしかサチコは机の上に突っ伏して眠ってしまった。

 

サチコは昏々と眠っていた。部屋のチャイムがピンポーンと鳴ったのに気がついて、飛び起きた。クーラーはずっとつけっぱなしで、鈍い音を立てていた。携帯電話を開いて確認すると時刻は午後一時だった。時計は他にない。目覚まし時計なんて置こうものなら、秒針の動く音が気になって眠れそうになかった。1DKのアパートでは歩いて数歩だがのろのろと玄関のドアの前まで行くと、のぞき穴から来客が誰なのか見た。ジョウジともう一人知らない若い男が立っていた。二人ともTシャツにジーパン姿で、知らない方の男はやせ細っていた。もう少しで目が隠れるくらいに前髪が伸びている頭にジョウジと同じく細い目。視線を下におろすと足に履いたスニーカーはドロで汚れていた。

「ちょっと待ってて」ドア越しに言うと、サチコは手早く化粧をした。服も昨日とは違う服に着替える。病気を治療するための向精神薬も飲んだ。ドアを開くとおはようとも言わないでジョウジは部屋の中に入ってきた。それに遅れて知らない男が「おじゃましてもいいですか」とサチコに訊いてくる。一瞬なんて答えるか悩んだが、サチコは「どうぞ上がってください」と答えた。知らない男が部屋に入ってくる。ジョウジはすでにベッドの上に腰をかけていた。知らない男は所在無げにゴミが散乱した部屋の中で突っ立っている。サチコは「座って」と、ノートパソコンが乗った机の前の椅子を引いた。男は「どうも」とそれに座った。サチコはジョウジの隣に座った。

「この人は誰」サチコは訊いた。

「お茶も出ないのか、この家は」ジョウジはヘラヘラと笑っている。

「そんなもの出るわけないでしょ、で、この人は」

「弟」ジョウジは短く答えた。そのジョウジの弟が立ち上がって、「はじめまして、兄貴の弟のタケシです。なんでここに連れてこられたのかはわかりません」

「なんでなの」サチコがジョウジの方見て訊く。

「3Pでもしようと思ってな」ジョウジはヘラヘラ笑ったままそう言った。タケシは椅子の上で顔色を青くしていた、ぷるぷると手が震えている。サチコは恐怖にひきつった。複数人でするセックスにはトラウマとも言うべき嫌な記憶があるのだ。ジョウジの手の甲の上に手を置いて、「それは嫌だよ」とサチコは言う。

「なんで」

「嫌な記憶があるの」

「別にいいじゃん、3P」

タケシが椅子から立ち上がっておどおどとした小さな声で言う。「その人も嫌がってるしぼくも嫌だよ、帰る」

「帰るな、帰るな、見ているだけでもいいから」

「でも」

「ジョウジ、セックスしたいなら弟さんには帰ってもらって」

「ダメだ」ジョウジは冷たく言い切った。タケシはまだ顔を青くさせている。サチコは考えた。今メインで会っているセフレはジョウジだ。今は夏休み中だということも相まって多いときは週に四、五回もサチコを抱きにアパートへやってくる。他のセフレとは少ししか会っていない。ここでジョウジを怒らせてアパートに来なくなったら寂しい。

「ジョウジはどうしたいの」

「タケシに俺たちのセックスを見てもらう。最近マンネリだし、その方がいいだろ」もしかしたらジョウジは頭がおかしいのではないだろうかとサチコは思った。無理矢理サチコは微笑を作り「それくらいなら別にいいよ」と答えた。サチコは寂しいのだ、ついでに強く出られると断ることができない性分だった。そうしてこの日のセックスは始まった。ジョウジは弟のタケシがいるのに遠慮することなく、好き勝手にサチコの身体をいじくりまわした。サチコはまたあっ、あっ、あっ、あっ、とあえいだ。横目でチラっとタケシの方を見ると、目をつむっていた。ことが終わり、コンドームの中に精子を出すとジョウジはタケシに言った。「次はお前が抜いてもらえよ。こいつ精液便所だから」

「な、な、な、何言ってるんだよ、兄貴」タケシは怒ったようで顔を真っ赤にさせた。

「女の人にそういうこと言うのはよくないと思う」ジョウジは余計に調子づいたように言う。「いいや、こいつはセックスが大好きな淫乱豚だ。そうだよな」そう言われて少しは傷ついたサチコだが、顔は百万ドルの笑顔で「セックスは好きだよ」と答えた。元はと言えばサチコが悪いのだ。飲み屋でジョウジとは知り合った。セックスはするものの知り合って最初の頃は一緒に食事に行ったり、遠くの公園までジョウジの車でピクニックに出かけたりもしていた。ある日、映画館に出かけたとき、暗闇の中サチコはジョウジのちんこをズボンの上からまさぐった。周りに人がたくさんいるから、ジョウジは混乱したような声で、お前なに考えてるんだよ、家に帰ってからにしろ、と言った、ちょっと不安になっちゃった、不安になるとなんで触るんだよ、わたし不安になるとセックスしたくなるの、瞬く間にサチコはジョウジのちんこを勃起させた。ジョウジは怒って映画館から出て行ってしまった。そんなことが昔にあったのだ。それ以来ジョウジはサチコとセックスすることしかしない。もう何も期待していないのだ。

もういろいろと面倒だった。別にタケシとやっても、死ぬわけでもないのでそれでも良いような気がした。「ぼくは好きでもない人としたくありません」タケシは言った。その台詞にカチンときた。口ではそう言っているが、三十二歳の婆とはやりたくないと言われてるようにサチコは感じた。セックスをしてもまだ身体に残っていた衣類をすべて脱ぐと、サチコは屈んで椅子に座っているタケシが穿いているジーパンのベルトをカチャカチャと鳴らしながら外していった。「本当にするんですか」タケシは不安そうな顔でそう言った。目に少し涙がたまっている。「どうせ童貞なんでしょ」少ししてタケシは答えた。「はい」サチコは機嫌が良くなった。「お姉さんが、筆下ろしさせてあげる」ジーパンと中学生が穿いているような派手な柄のトランクスを脱がすと、タケシのちんこは既に勃起していた。綺麗に剥けている。サチコはパクりとそれを根本まで飲み込む。口をいくら上下させてもタケシはイかなかった。サチコは立ち上がり座っているジョウジを退かすと、ベッドの上に寝そべった。「次はタケシくんがわたしを気持ちよくさせて」「もういいです、やめにしましょう」タケシは弱気そうな顔でそう言う。「わたしに恥をかかせないで」そう言ってやると、タケシはしぶしぶといったふうにベッドの上に移動してきた。「ここに指を挿れなさい」サチコは自分で膣を指さす。タケシは人差し指一本をまんこの中に挿れてきた。「上にあるざらざらしているところを撫でて」ゆっくりと、タケシは指を動かした。タケシは初めてなのに上手だった。一定のリズムでGスポットを愛撫してくる。サチコは身体をビクビクさせて連続で何回かイった。「もう挿れて」言われてタケシは勃起した長さ十八センチもありそうなちんこを挿れようとしてくる。サチコは慌ててコンドームをつけてあげた。ジョウジより大きい。ちんこをまんこの中に埋没させると、タケシは正常位で腰を振った。あまり上手に振れないで、何度もちんこがまんこから抜けそうになる。「ちょっと待って」そう言って、サチコは枕を腰の下に敷いた。それからタケシは幾度となくちんこをまんこの中で擦った。サチコは何度もイかされる。へんな話だが、ジョウジとするより気持ちがよかった。タケシは絶倫なようで二十分以上も腰を振ってもまだイけないようだった。このままでは何度イかされるかわからないと思い「もう止めて」とサチコはストップをかける。椅子に座って見ていたジョウジがげらげらと笑った。タケシはまんこからちんこを抜いた。煙草を吸う気にもなれず、サチコはすぐにシャワーを浴びにいった。身体を洗いながら思った。恥ずかしい。それは気持ちがいいが今の今まで童貞だった男に何度もイかされるのは恥ずかしかった。恋をしてしまったかのようにサチコは一人で恥ずかしがった。おまじないも頭の中で唱える。わたしは寄生虫、わたしは寄生虫、寄生虫は年下の男に何回イかされても恥ずかしがらない、わたしは寄生虫。頭の中で唱えると不思議なもので恥ずかしさは喪失した。シャワーから出てくると、部屋から二人ともいなくなっていた。そこで気分が一転した。

どいつもこいつもバカにしやがって

あまりにも腹立たしいのでサチコは食事も取らず独りで焼酎をがぶ飲みした。テレビを観ながら飲み、飲んだ総量が二リットルを超えた頃、ちゃぶ台の前で眠りこけてしまった。

 

サチコは夢を観た。これはその夢だ。真っ暗で街灯しか明かりがない広大な場所にサチコは立っていた。ぐるりと一周どこを見ても、建物や自然が遠目にも見えてこない。恐らく日本中探してもこんな場所はないだろう。サチコから数メートル離れた所に顔が影で塗り潰されたあの男が立っていた。男は直接サチコの脳内に響くように言った。

いい歳して童貞くんの筆下ろしか、あのときのことをぜんぜん反省していないんじゃない、サチコは頭の中で答えた、うるさい黙れ、いいや黙らない、実は最近のサチコのことをずっと見張ってたんだけど、セフレに心を理解されなくて寂しいんだね、でもそれは無理だよ、なんでだ、夢の中のサチコは口調が現実と違っていた、君はすぐに他人に自分をわかってもらいたいと思う、いくら望んでもそれは無理だ、人は人を理解できない、どうしてお前にそんなことがわかる、わかるよわかるわかる、実際にサチコが大好きな愛し愛されするセックスより俺はみんなで楽しくやるのが好きだったわけだ、サチコは反駁した、違うお前のことなんて最初から愛していない、何かの間違いだ、いいや君は俺のことを愛していたね、少なくともあの頃はサチコだって好きな人間としかやらなかったはずだ、お前にわたしの何がわかる、胸の柔らかさからまんこの臭い深さまでなんでも知ってるよ、夢の中でも男の台詞にサチコは腹が立った。最初の方からこれが夢なんだとサチコは理解している。お前は何が言いたいんだ、いや、サチコが金輪際幸せになれないということを教えてやりたくてね、わたしは十分に幸せだ、働かなくても食事が取れる上にほとんど毎日のように酒を飲み煙草を吸いセックスをしている、少しバカみたいだけど十分幸せだと思うが、いいや、サチコお前は本当は健常者の方がいいし、生活保護だって貰いたくない、本当は身体じゃなくて心を愛されたいと思ってる、サチコのことなんてなんでもわかるよ、違う、わたしは今のこの誰にも縛られない楽で怠惰な生活を愛してるんだ、嘘つけバカサチコ、君は普通の人生をどうしても手に入れられないから今の自分の生活を正当化しているだけだ、どうしてそんなに自分を偽るんだい? サチコは歯噛みした、なんでお前にわかるんだ、わたしは幸せだ、例えばどんな瞬間に幸せを感じるんだい? 朝起きて酒を飲むとき、昼間からエアコンを好きな室温に設定して動かすとき、煙草を吸うとき、セックスをするとき、酒を飲みながら風呂に入るとき、パソコンでインターネットをして無駄な時間を過ごすとき、だいいちわたしはさっき若い男の筆下ろしをした、わたしは価値がある人間だ、本当にそう思う? 寄生虫のサチコちゃん、ああそう思うね、他人の夢の中にまで出てくる変態野郎、ああ俺は変態だよ、変態だけどサチコよりは価値があるね、今現実で俺がどんな生活をしているか見せてやりたいね、サチコはきっと泣いて悔しがるよ、わたしはわたしで幸せなんだ、誰がどんなに大金持ちでも見た目のいい伴侶がいても関係ない、それとは別にわたしは幸せだ、男はこらえきれないようで先ほどからずっとぎゃはぎゃは笑っている、不幸なサチコの必死の虚勢感服したよ、夢の中とはいえそれだけ嘘をつければ上等だ、君の生活がたくさんの国民の犠牲の上で成り立っていることをどう思う? 他人がいくら苦労してもたとえ死んだとしてもわたしには関係ないね、自分の生活や酒や煙草の味の方が大事だ、本当にそう思う? 本当は気弱なサチコちゃん? ああ、本当にそう思う、どうせ他人なんか自分に都合のいいことしか言わないし、戦時中はどの国も自分達が正しいと思ってたくらいだ、わたしはわたしで自分が正しいと思うのだって普通のことだ、男は冷酷に言った、自分が死んだ方が世の中のためだってサチコは思わない? 誰も言わないけど本当は一人の命より地球の方が重たいんだよ、サチコ一人がダメでそのダメな女を助けるためにみんなが苦労しているんだ、よく自分には価値があるなんて言えるね、殺されたいのか? 無理だよ無理、だってこれ夢だもん、だから無理だ、黙らないと殺すぞ、殺してみろよ? 三十二歳の婆で親からも見捨てられ統合失調症の上に生活保護受給おまけに胸はBカップの村田サチコくん?

夢の中でサチコの身体は怒りに膨れあがった。どんどん身体が大きくなり、身長が街灯の高さを超えてもまだぐんぐんと伸びた。視界がずいぶんと高くなり男の身体がサチコの足より小さくなると、サチコは男を踏みつけた。足の裏に嫌な感触がした。硬い骨が折れる感触と血のぬめっとした感触が伝わってくる。足を退かすとぐちゃぐちゃに潰れた肉と血の池がコンクリートの地面に広がっていた。サチコは大きな身体のままがたがたと震えた。彼女は人を殺してしまったのだ。下半身の方に尿意がこみあげてくる。この歳になって小便を漏らしたくないと思ってサチコは夢から覚めた。サチコがいる場所は現実の彼女の部屋だった。いそいでトイレに駆け込み酒でできた小便を出してくる。部屋に戻って窓から外を見ると、もう真っ暗になっていた。携帯電話の時計で時刻を確認すると午前二時だった。半分眠っている頭でサチコは昔のことを思い出した。

大学生の頃、お遊びの旅行サークルで知り合った彼氏がいた。その男は彼女思いで、食事や飲みに行けばいつでもサチコの分も払ってくれて、風邪を引けばその頃サチコが一人暮しをしていたマンションまでスポーツドリンクとカステラを持って様子を見に来てくれて、何よりサチコはその男を愛していたし、男もまたサチコを愛してくれていると思っていた。だが違った。サークルの仲良しみんなで行った北海道旅行で海の幸いっぱいの夕食を食べていたら、いつのまにか脱法ドラッグやらマジックマッシュルームが出てきて、乱交パーティになっていた。サチコは誰にも相手されないようなブサイクから女なら誰でも一目やるイケメンまでいろんな男に半分犯されるみたいにやられた。ドラッグのせいで身体は敏感になってたし感覚が通常ではなかったのでサチコは泣きながらあえいだ。あの男はそれを止めなかったどころか、進んでサチコを輪姦した。旅行が終わって男に電話しても番号が変えられていて、大学で会っても男はサチコを無視する。その旅行がすべてを変えてしまったのだ。サチコは人間不信に陥って大学にも行かず部屋でドラッグやキノコを延々とやっていた。ある日、いつも通りドラッグをやっていたら錯乱してしまい表に飛び出してわけのわからないことを叫んでいたら、すぐに救急車がやってきてそのまま精神病院に入院することになった。数年後、退院して実家に戻ったら母を早くに亡くしていた父は新しい女を作ったようで、サチコに生活保護で暮らしてくれと土下座して頼んできた。そのときから現在に至るまでサチコは生活保護で暮らしている。

煙草を吸う。嫌なことを思い出してしまったので立て続けに煙草を何本か吸った。おまじないを唱える。わたしは寄生虫、寄生虫は昔のことなんて気にしない。その後でやることもないのでまた眠ってしまおうかと考えたが、もう眠気なんて残っていなかったので、統合失調症を治療する薬と、精神科医にねだって処方してもらった睡眠薬を焼酎で飲み下した。いわゆる睡眠薬遊びだ。薬が効いてくると、身体にけだるさを感じた、それが気持ちいい。調子に乗ってこんな時間にセフレを部屋に呼び出そうと電話をするが、三人のセフレ達は誰も電話に出なかった。サラリーマンのセフレの留守番電話にサチコはこんなことを吹き込んだ。「寂しい独身の西川さんはもう寝てますか。せっかく二人で気持ちがいいことをしようと思って電話したのに残念でした」

睡眠薬が酷く効いてきた。起きてるのが困難なほどにけだるさと眠気を感じる。サチコはまたちゃぶ台の上に突っ伏して眠ってしまった。それから数時間後意識が朦朧なサチコは裸足のままアパートの外へ出た。何か用があったり出かけたいから外に出たわけではない。酒と一緒に飲んだ睡眠薬の作用でほとんど意識もないまま外へ出て行ってしまったのだ。睡眠薬は酒と一緒に飲むと危険な副作用が出る。部屋の外では虫が街灯に集っていた。甲高い鳴き声も聞こえる。夜の外気でひんやりと冷たくなった錆びてぼろぼろの階段をサチコは下って行く。意識がないままアスファルトの上を歩いた。暑い、そして足の裏が痛いと意識の彼方でサチコは思った。サチコが住んでいる新宿ではこんな時間になっても人の姿がちちらほらと見えた。コンビニの光が暗闇で怪しく光っている。サチコは家から十分くらいかけて江戸川公園の入り口まできた。公園の中をまっすぐ歩いていると、横に神田川が見えた。川の水は汚く濁っている。いたる所で見られるベンチの上ではホームレス達が寝そべっている。公園の奥の遊具がある箇所までくるとサチコはブランコの上に座ってぶらぶらと揺れだした。しばらくそうしていると無意識でも飽きがきたのかブランコから降りて今度は砂場の上に座って砂をいじりはじめる。砂はサラサラとサチコの手からこぼれ落ちた。それにも飽きると最後はそのまま砂場に寝っ転がって眠ってしまった。数時間経って空が明るくなり始める。チュンチュンと小鳥がさえずる。完全に日が出てきたところサチコはハッと目を覚ました。周りをきょろきょろと見渡す。ホームレス達が遠巻きに集まっていた。少しして今いる場所が江戸川公園の中だと気がついた。自分が何をしていたのか記憶が飛んでいる。まだ朦朧とする意識の中思い出した、部屋で睡眠薬と酒を一緒に飲んだのだった。こんなことはサチコにしても初めてだった。裸足なのに気がついて靴を探すが周りのどこにもなかった。サチコはアパートに帰ろうと思い、裸足のまま歩いた。しばらく歩くと、電信柱が気になった。電信柱の前に立ってじっと見つめてしまう。どういうわけだか、その電信柱が人生に対して何か意味があるものに見えた。そんなわけないのに五分ほどじっと見つめた後、最初に抱いた気持ちは霧散していって電信柱から離れた。アパートまで帰ってくると玄関のドアは鍵が閉まってなくて、我ながら不用心だと思いながらも部屋の中へ入れるのでほっとした。不本意な散歩をして汗をかいたし疲れたのでサチコは寝間着のジャージにTシャツ姿に着替えて眠ってしまった。

 

まだ少ししか眠っていないのに無情にもチャイムは鳴らされた。いったい誰だろうと思いながらサチコはドアの前まで歩いてのぞき穴を見る。大きな紙袋を持っているタケシがドアの前に立っていた。タケシなら構わないと思いジャージ姿のまま化粧もしないでサチコはすぐにドアを開けた。時刻は午前十一時半だった。

「おはようございます」タケシは昨日とは違うTシャツと昨日と同じジーパンを穿いていた。彼は化粧をしていないサチコの顔に少し驚いているようだった。

「おはよう。何か用?」

「はい……えっとあの……」タケシは尻込みをしている。

「ゆっくりでいいよ」

「はい……すみません……今日はあの」

「うんうん」

深呼吸をすると隣の部屋までも聞こえそうな大きな声でタケシは言った。「昨日のお礼に昼食を作りにきました」

言われてサチコはきょとんとした。自分でも自炊はするので少ないながらも食器と調理器具はあるから、ここで料理をするのも可能だとは思った。「昨日のお礼? セックスのお礼ってこと?」

「ええ……筆下ろしさせてもらいましたし」

まだ若いタケシがサチコに筆下ろしされて嬉しいのだろうか。「ふうん、変なの。まあいいや、入って」

六畳一間の狭い部屋には脱ぎっぱなしの服や、空になった焼酎の四リットルのペットボトル、使いっぱなしの化粧品や、果てには下着まで転がっていた。案の定タケシは顔を赤くさせた。うぶな少年にとっては刺激の強い部屋かもしれないとサチコは思った。

「部屋の掃除から始めましょうか?」

言われてサチコは戸惑った。「え」

「嫌ですか?」

「うん、ちょっと」

「そうですか。へんなこと言ってすみません」

タケシはぺこぺこと頭を下げた。そんなこと言ったら不審に思われるということに頭が回らないようだった。玄関から入ってすぐの横幅が一メートルくらいしかない簡易キッチンの前にタケシは陣取った。シンクの中は洗っていないコップや皿や調理器具でいっぱいだ。

「ここは綺麗にしてもいいですよね?」とタケシは苦笑いの表情で言った。

「いいよ」

手慣れたもので瞬く間に台所を綺麗にしていく。すぐに調理に取りかかった。タケシは紙袋から炊いたごはんが詰まったタッパーとすでに細かく千切ってあるレタス、卵、微塵に切ってある長ネギ、ハム、それらといくらかの調味料を取り出した。フライパンをコンロで熱し始めた。サチコは暇だからタケシの隣に立って見守っていた。

「タケシくんって歳はいくつなの?」

「今年高校を卒業した十八歳です」

フライパンから煙が上がった。サラダ油が敷かれて溶いた卵が投入された。ジュウと音がした。タケシは木べらで手早くフライパンの中をかき混ぜる。

2016年5月2日公開

作品集『』最終話 (全2話)

繭

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© 2016 瀧上ルーシー

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