赤虫(8)

応募作品

狐塚月歩

小説

1,343文字

最終章。赤虫が赤虫であるからこそ、赤虫は赤虫であり続けるのだろう。

自分は。と阿藤悠馬になった青年は考える。口の中に入ったままの飴玉を噛みくだくか、それとも飲みこむかして、なくさなければいけないような気持ちになりながら考えに考えた。

歯を喰いしばりながら真夜中の街中を全力で疾走する青年は、包帯に染みる、けっしてぬぐわれることのない汗と涙を肌に感じながら故郷を省みた。ずいぶんと長いこと走ったような気がしたけれど実際のところはそうでもなくて、曲がり角を数回ほど曲がったところで屈強な男たちに取り押さえされてしまったのだった。

今度は逃げ出さないように羽交い絞めにされた青年はいつの間にか、口の中にて転がしていた飴玉は溶けたか吐きだしたかはしれずとも、消えてなくなっていた。それが渇いた呼吸器官を行ったり来たりと通過する唾液か血液ともしれぬ液体混じりの外気と相まって、気管支は、「ぜいぜい」と、風邪をひいたさいに咽喉をやられたときのように苦しげな音を立てた。

屈強そうな男たちの一団が、さきほどの老人を引き連れてやってきた。さきほどよりも人員の人数は増えている。飴玉の味。口中にいまだ薄く広がるのは、唾液で薄められたレモンの風味だった。

「やれ。」

命じられたとおりに老人の部下たちのうちからひとりが、取り押さえられた若者へと見せつけるように内ポケットから取りだしたガラス製と思われる、側面に目盛りが印刷されてある注射器に液体を充てんした。

「よし。こんなものかな。」

青年は、どうやら頭部に皮下注射されたらしい薬品の名前を知ることはなく気を失ってその場に倒れこんだのだった。指令を出した老人をともなって出てきた屈強そうな男たちの背後からそれを見ていたのは、顔の火傷を包帯で覆ったひとりの男、赤虫だった。

「北海道で奴の父親は佐藤史郎と名乗り、何を思ったかはしれぬが顔や身体に火傷を負った状態で俺を息子本人だと見做した。そして、列車事故をよそおって殺害されるところだった俺は、すんでのところで奴の父親を殺すことに成功したというわけだ。」

阿藤悠馬と名乗った青年、佐藤史郎の身体が「がくがく」と痙攣しはじめた。

「殺すなよ。」

老人の部下に命じた阿藤悠馬彼本人自身は、至って涼しげな態度でもってして、顔に巻かれた包帯の下より吟じた。

「東京での連続娼婦殺人事件、『オ恨ミ申シ上ゲマス』の犯人を、佐藤史郎と処す。」

飴玉を口中に含むか、それとも含まないかという事態における自体こそがそもそも個人としての選択肢であることに、誰も異論は唱えることはないであろう。そんな疑問を、わざわざ、ことあるごとに人に相談するような者などが口に含んだあとの飴にたいし、たびたび前述したような疑問を投げかけるはずがないからだ。

この未来において飴玉を口に含むか含まないかで逡巡することがあるかもしれないあなたが存在するとしたなら、それはしばしの猶予と判断力を必要とするかどうかで実行するかしないかを決断するに相違ないのだから。

「飴玉など存在しなければよいのではないか。」という回想に囚われながら意識を失ったままの青年は身柄を、警察へと引きわたされたのだった。トパーズの輝きをともなったレモンの吐息に魅了された青年と赤虫の邂逅はこうして、戦後東京の闇へと静かに葬られたのだった。

2016年2月3日公開

© 2016 狐塚月歩

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