夜を跳ぶ

掌編集(第3話)

小渕太郎

小説

1,232文字

少女的残虐性を幻想のなかに。真夜中のものがたり。

誰も少女のあいだには、命の一つもるものだ。

夜陰やいんひそまる街衢がいくの一軒――坂上さかうえわる二階建て。屋根裏へあがると仄白い奥にベッド、上には後ろ向く膝立ちの影、窓枠に腕をかけている。横面よこつら蒼白あおじろい。とろりまたたく目に映るのは夢かうつつか――。

 

坂に並び立つ家々は、下るにつれて、段々と屋根を低める。前方を小径こみちたにが通る。急な石段は、坂下で間道かんどうに合う。下方にのぞく間道の向こうは暫く平地ひらち、人家ばかりが櫛比しっぴしている。屋根屋根は、月明かりにもくらい。外灯で壁の明るい家が点々、窓明りの家は数える程か。――夜が深い。町はしんとしている。

 

どこぞ奥から響いてきたと云う。現にその泣き声が、小女を夢寐むびから追い出した。――赤ちゃん?それとも子猫かしら。小女ははじめ、空耳とうたがい、掛け物を頭まですっぽり、夢裡むりかえろうと試みもしたけれど、寝付かれぬのがまことのあかし、遠くの声はきれぎれでも、しかと耳朶じだに触れ続けていた。小女はいよよたまらず跳ね起きて――窓から夜色やしょくへ飛び出した。

 

隣家はちかしい、屋根は切妻きりづま。斜面を駆けて小女は跳んだ。一段下の家の屋根。小女は又、駆けて跳ぶ。下がる屋根。駆けて跳ぶ。屋根。跳ぶ――。

坂の中頃の家である。方形ほうぎょうの屋根、一面に小女は寝そべり、それから耳寄せる。――ここぢゃないわ。立ち上がり夜空を仰ぐ。上気する顔歪めて小女、息整えること数十秒――再び斜面を駆け出した。下へ跳ぶ。屋根の段々を跳ぶ。跳ぶ跳ぶ跳ぶ――。

 

坂下の家まで来た。屋根のへりに立つ小女、幾らも汚れた寝間着の前。背後には累々るいるいたる屋根屋根、上方は暗がりに溶けている。

真下は崖ぎわ、間道が横たわる。往来もなく何処までもしずか。土地のひらけるその向こう、町は月夜つきよに眠っていた。

小女は向き直り、屋根を登りはじめた。が、半ばへ来たところで不意にうつぶした。小女は瓦に耳当てて、――ここよ。まぢかに聞こえるわ。漆黒に腕立て腹ばう姿態したいはあたかも守宮やもり、横向くおもてあやしげに、月の光におぼろげに、笑みの浮かんで見えていた。

 

小女は屋根を、小径に向く面に移り、再び縁に立った。ベランダの口が覗いている。手摺に降りて中へ入った。窓は半ば開いていて、網戸のみて切っている。小女は躊躇うこともなく、網戸を開けてカーテンを潜った。

窓辺のベッドで、女が寝息を立てている。傍らへ寄り毛布を剥ぐと、現れ出たのは膨らんだ腹、小女は怒気を孕んだ声で、――うるさいわね。アナタのおかげで眠れないのよ。悪態つきながら、この小さな闖入者ちんにゅうしゃ、持ち込んで来た布団叩きでさんざ打擲ちょうちゃく。――悪い児ね、悪い児ね、悪い児ね、悪い……。

悲しいことに、その後、女は死産した。

2016年1月19日公開

作品集『掌編集』第3話 (全8話)

© 2016 小渕太郎

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

純文学

"夜を跳ぶ"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る