ペニー・ファージングの恋人(たち)(2)

ペニー・ファージングの恋人(たち)(第2話)

アサミ・ラムジフスキー

小説

7,945文字

 

いつ届いたのか、皆目見当もつかないのです。どうせ僕に送りつけられてくるものはダイレクトメールか督促状かに決まっていますし、そのいずれにも微塵も興味を見出せないので、僕はめったに郵便受けを覗きません。

あの日偶然郵便受けを開けたのは、そろそろ怒られるころだろうと踏んだだけの理由でした。怒られるというのは、もちろん新垣さんからです。なんでも、郵便物が入りきらなくなると配達手たちがその周辺に勝手に置いていって迷惑なのだそうです。それなら怒られるべきは配達手たちの方ではないかと頭の悪い僕は思ってしまうのですが、どうやらそれは僕の頭が悪いからで、思ったままを口にすると新垣さんは「信じられないわっ! きぃぃぃっ!」とでも言いたげな目でこちらをまじまじと見てくるのです。あの踏み潰される直前の爬虫類のような目を見ると、僕は文字どおり蛇に睨まれたアレになってしまって、もはや何にも言えなくなってしまいます。けれど、ごめんなさいと謝ろうにも、僕は新垣さんがアラガキさんなのかニイガキさんなのか知らないので、迂闊に口を開くこともできません。どうやら、世間一般の人たちは自分の名前を間違われることを極度に嫌うようなのです。万一間違えてしまって火に油を注いでは大変です。だったらはじめから胸の名札に読み仮名を振ってくれていたら助かるのですが、もう新垣さんがこのマンションの管理人に就任して一年半が経ちますから、今さら提言するのも無礼というものです。時機を逸すると何事も取り返しがつかなくなると学んだのでした。

ですから、月に一度は必ず郵便受けを開けて中のものを処分することにしているのです。その日も、いつものようにごっそりと鷲掴みにして、そのままゴミ箱に放り込むつもりでした。うちのマンションでは、不要なポスティングチラシの処分用にとエレベーターのすぐ脇にゴミ箱が置いてあります。帰宅して郵便受けを確認したら自室まで持ち帰ることなくゴミを捨てられるわけです。僕もふだんは手紙たちを一瞥することさえなくそのまま暗い箱の中に直行させているのですが、やはりしっかりした封書は手触りが違うものですね。指の片隅が触れただけなのに、これはなにかが違うなと、すぐに直感したのでした。差出人名に心当たりはありませんでしたが、宛名は間違いなく僕です。僕自身です。だって、「未来の革命家様」だなんて書いてあるではないですか! どうして僕が革命を目指していることをご存知だったのでしょう?

部屋に持って帰ると、手洗いうがいをするのも忘れてすぐに開封し、それから思い直して薬用ミューズで手を洗いつつ手紙を読みました。おかげで便箋はぐしょぐしょになってしまい、万年筆で書かれた青い文字も紫色に滲み出してしまいましたが、僕の混乱はそれ以上でした。なぜって、まったく意味がわからなかったからです。結局あの手紙は、何を訴えたかったのでしょうか? 僕にあの手紙を受け取らせることで、いったいどうしたかったのでしょうか? あの人は革命の同志なのですか? ただの冷やかしなのですか? 腐れニートの暇つぶしなのですか?

ひとまず僕は、気を落ち着かせるために金魚に餌をやりました。僕は子供のころからずっと金魚を飼育していて、現在は七匹とともに暮らしています。ペットという存在はただ癒しを与えてくれるだけではなく、自分自身を客観視し見つめ直すためにも役立ってくれます。最近の若者は他人の気持ちがわからないとよく言われますが、それはきっとペットを飼ったことがないからでしょう。餌をぱらぱらと水槽に落としながら、僕は深呼吸をしました。すー、はー、すー、はー。ラマーズ法でもロングブレス・ダイエットでもないやりかたで、すー、はー、と呼吸を整え目を閉じます。うん、もう僕は大丈夫だ。大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせながらあらためてもう一度手紙を読み返します。これをすれば、どんな難解な前衛文学だろうとも、するりと頭に入ってくるのです。『フィネガンズ・ウェイク』も『ドグラ・マグラ』も『KAGEROU』も、全部金魚たちのおかげで読むことができました。

ところが、このときばかりは違いました。何度見ても発明が云々のくだりで頭がすっかり疲れてしまうのです。それで混乱した僕は、うっかり間違えて便箋の方を千切って水槽に入れてしまうほどでした。

悲しいかな、金魚たちはそれも餌だと勘違いしたようで、慌ててそれに食いついたいちばんの食いしん坊であるミカエルは喉を詰まらせて死んでしまいました。ぶくぶくと気泡を吐きながら藻掻くミカエルは、まるでシンクロナイズドスイミングのロシア代表のような美しさでした。その犠牲のおかげでガブリエル以下六匹の金魚は無事でしたので、僕は丁重にミカエルを葬って二階級特進させてやることにしましたが、その作業の間もやはり頭は例の手紙のことでいっぱいでした。葬儀社への連絡も、マスコミ各社への訃報の発信も、すべて必要以上に手こずってしまい、結局ミカエルの通夜は中止にしました。こんな中途半端な気持ちで送ったのでは、ミカエルも浮かばれません。もっとも、死んだあとはぷかぷかと水槽の水面に浮かんでいたのですが。

2015年12月31日公開

作品集『ペニー・ファージングの恋人(たち)』第2話 (全4話)

ペニー・ファージングの恋人(たち)

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© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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