ペニー・ファージングの恋人(たち)(1)

ペニー・ファージングの恋人(たち)(第1話)

アサミ・ラムジフスキー

小説

7,823文字

 

職務質問を受けたとき、職業を何と名乗るか。この難題を前に、目下私は苦悶の日々を送っている。「人間は苦悩するようにできている」というのは釈迦の言葉だが、それが正しいならば、私は自己紹介の方法を考えるためだけに生きているのかもしれない。フー・アム・アイ。ホワット・アム・アイ。

そんなものは所詮ラベルでしかない、という考えもわかる。肩書きよりも中身が大切だということは、説教臭いフォークシンガー風情に言われるまでもなく重々承知していた。が、同時に私たちは、ラベルなしには日常生活すらままならないという一面ももっているはずだ。たとえば商品を購入する際、一切ラベルに目を通さずに直感と嗅覚だけで手に取ろうとする人間がどれほどいるだろうか。生鮮食品であれば、産地や加工日や分量などをラベルから読み取る。大量生産の食品ならば栄養表示やカロリー、添加物の有無なども確認する。衣料品ならサイズや素材や洗濯方法などを、日用の消耗品であればコストパフォーマンスを、電化製品であれば型番やスペックなどを小さなラベルから読み解き、比較選択のためのヒントにしている。世の大半の人間は、説明もなしに物品の性質や実態を確認できるような超能力者ではないのだ。

そう考えると、安易な肩書きを採用することには抵抗があった。人間の第一印象は顔で決まるが、それに続く第二手として頼りにされるものはやはり肩書きだ。たとえば手荷物の中に女性の裸の載った本が何冊も入っていたとして、所有者が美術教師である場合と痴漢常習者である場合とではまるっきり印象が変わってしまう。トラックの荷台から大量の火薬が発見されたとしても、運転者が花火職人である場合とカルト教団の幹部である場合とでは警察の対応が大違いだろう。少しでも相手に好印象を残せるような肩書きを名乗りたいと考えるのは当たり前だ。

もちろん嘘はいけない。いかに連中が他人様の貴重な時間を奪っているのだという意識を微塵も感じさせない不遜な態度を纏っていようとも、職務質問は警察官の公務なのだから市民はできるかぎり協力すべきだし、協力する以上は正しく答える義務がある。意図的にラベルを改竄するようなことがあれば、信用は瞬く間に失墜し痛くもない腹まで探られることになる。そういえばつい最近も、経歴詐称が露呈してすべての仕事を失ってしまった人気コメンテーターがいた。十数年前には学歴詐称を理由に大バッシングを受けた国会議員もいたし、もっと昔には息子を替え玉受験させたことで干された芸能人もいた。こういった無用なトラブルを招くことは、私の本意ではなかった。

だから、正直に答えるつもりはあるのだ。しかし正直であることと無防備であることはまた別の問題で、嘘にならない範囲で答えを選択する権利も私にはある。

肩書きを複数もつ人間は少なくない。たとえばプロ野球選手が自営業と名乗っても嘘にはならないし、個人事務所で活動しているコメディアンなら会社役員と名乗ることもできる。本業だけでは食えずにカルチャースクールの講師で生計を立てているイラストレーターも、イラストレーターであることに違いはない。ホステスは飲食店勤務と答えるだろうし、風俗嬢は接客業と答えるだろう。警察官だって、プライベートでは公務員としか名乗らないそうではないか。人々はTPOに応じて肩書きを使い分けるのだ。私だってそうしたい。最も無難で、最も社会的信用が高く、最も深く追及されないような、そんな職業を名乗りたい。では、どう名乗ろうか?

 

たとえば今日の午前十一時十三分の事例の場合。私は自営業と答えてみた。

実はこれは、記憶している二千六百八十二回の職務質問の中でも最も多く、八百九十五回も採用されている答えだ。とはいえ、私はけっしてこの肩書きを気に入っているわけではない。職務質問に対して自営業と答えれば、どのみち具体的には何をしているのかと訊かれることになる。いわば、これは緩衝材だった。自営業と答えることによって相手の出方を待ってみるわけだ。

最初の質問の時点では、警察官たちの言葉はマニュアルの復唱でしかない。何百回と繰り返してきた台詞だろうから、彼らはベテラン噺家のように余裕綽々だ。まだ羽織も脱いでいない段階からボロを出す真打ちはいない。爪を隠したままの相手に対していきなりこちらから攻勢に出るのは、まったく得策ではなかった。

警察官たちが自分の頭と言葉で喋るようになるのは、質疑応答が何往復かしてからだ。質問する方もプロかもしれないが、こちらだって質問されるプロだ。だてに二千六百八十二回も呼び止められてきたわけではない。会話をしながら口ぶりや表情を観察していれば、少なからず人間性が浮かび上がってくる。場の流れを読みながら会話の主導権を握ってしまえば、大概の警察官は意のままに踊ってくれる。その時点で私は、当事者でありながら討論番組の司会者のような心境になる。どう話を転がせばより対立軸が鮮明になって面白くなるか、どの角度から切り込めば不明瞭な争点を浮き彫りにすることができるのか、どこで出しゃばればいちばん自分が目立てるのか、そうした種々の思惑が浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返しはじめる。

今回の事例では、私の対戦相手は二十代半ばほどと見られる背の小さな男だった。自営業だという私に対し、彼は「あのー、それは、具体的にはどういう?」と細い声で訊き返してきた。ポイントは二点。まず、「あのー」という感嘆詞が枕についていること。ここからは、彼の自信のなさと、それを隠すかのように丁重さを張り巡らせていること、そして慎重な性格が窺える。続いて、「どういう?」と語尾を濁して終わっている点。近年の日本語口語に顕著なこの現象からは、あえてメッセージに曖昧さを付加することでニュアンスに振れ幅をもたせようという意図が見え、よく言えば相手の想像力を喚起するための補助を、悪く言えば地雷を踏まないための遠回りをしていることがわかる。おそらく彼はまだ、警察官という職に慣れていないのだと推察できた。ともすると、顔に傷のある職種の人々に凄まれて駐車違反の一つでも見逃したことがあるのかもしれない。

もう少し遊びたくなった私は、「工場を経営しています」と答えた。まだ餌を蒔いているつもりだった。工場と一口に言ってもいろいろある。たとえば私の実家のすぐ近くにも小さな町工場があった。夕暮れになるとチョコレート工場の甘い匂いが河原に漂うのだという児童文学のような情景を歌ったのは槇原敬之だったが、私の場合はまるで違う。近所にあったのはエロ本の工場だ。ショッキングピンクの背表紙がずらりと積み上げられている様は、世界の裏側を垣間見てしまったかのようで幼心に強く印象づけられたものだ。しかし、印刷なのか製本なのかあるいは在庫管理なのか、この工場がエロ本製作におけるどんな工程を具体的に担当していたのかは、閉鎖された今となってはもうわからない。ラベルが一枚貼りつけられただけでは、そこから生成されるイメージの幅はあまりに大きい。

だから私はここで、「その工場は、具体的にどういう?」ともう一度訊いてほしかったのだ。その角度から切り込んでもらうことで、この質疑はより多層的で密度の高いものになるはずだった。地下へ地下へと探索を進めた先にこそ、ダンジョンの真の姿がある。ラベルに記された情報をラベルという二次元の地平から解放し、三次元空間から落とされた一つの影として捉え直す方法は、最下層の宝箱の中に隠されている。それを開かなければ、ラベルはラベル以上にも以下にもなりえない。

だが私の願いに反して、彼はあっさりと、「そうですか。で、今はどちらへ行かれるところですか?」と話を次へ進めてしまうのだった。

どこへ行こうとしているかだと? そんなことはどうでもよいではないか!

二千六百八十二回目の敗北だった。これまで二千六百八十一回もの敗北を重ねながら、私はそこから何一つ学ぶことができていなかったようだ。議題を掌にのせることはできても、そこから上手に転がすことができない。批評と実践の違いを実感させられる。このボールを転がすには、物理の知識がいくらあっても足りないし、単なる馬鹿力でもどうにもならないようだった。

彼は根本的に誤解している。私はただ職務質問をされるためだけに外へ出てきていたのだから、行くあてなどありはしないのだ。わざわざテクノカットにして日食メガネをかけて全身包帯まみれという馬鹿みたいな身なりで外に出てきたのは、それだけのためだった。ハムスターに首輪をつけて散歩させていたのも、スキットルに咳止めシロップを入れて飲んでいたのも、人気のない午前中の児童公園で思う存分ブランコを漕いでいるのも、全部それだけのためなのだ。
「早く家に帰ってくださいよ」

若い警察官はそう言い残すと、溜息とも苦笑いともつかない声を残して自転車で走り去っていった。酷く重たそうなチェーンの音が、そのあとをゆっくりと追っていく。まだ話は終わっていないんだ――そう叫んで追いかけようとしたが、私は立ち上がることもできなかった。いつもそうだ、いつも私は置き去りにされるのだ。今回もまた、世界に取り残されてしまったらしい。ブランコの座板に「ペンキヌリタテ」と書かれた紙が貼られていたことに気づくのは、それからすぐのことだった。

 

そろそろ模範解答を発表しよう。客観的には、私は発明家ということになっている。なぜなら自宅兼工場の玄関に「発明家」とはっきり明示しているからだ。これを見て私のことを八百屋だと思う人間はいないし、医者だと思う人間もいない。

だが、私がこれまでの人生で発明家を志したことは一度もなかった。発明家だと宣言したこともない。発明家というものは、国会議員や弁護士などとはまったく意味合いの異なる肩書きだ。選挙もテストもないし、第三者の承認も不要だ。発明家は、発明家自身が発明家の自覚をもった時点で誕生するのだ。あるいは、誕生してしまうと言うべきか。

そんなおかしな話があるものか、との反論も多い。曰く、発明には許認可が必要であるとか、名だたる発明品もない人間が発明家を名乗るのは不当であるとか、愚かな人間ほどそういった理屈を吐く。たしかに、彼らの言い分は一面では正しかった。世間で発明家だと認められウィキペディアにも個別項目が作られているような発明家たちは、彼らの言う条件を満たしている者ばかりだ。だが、それ以外の九十九面ではまったく無関係でもあった。ここで私が語っている「発明」と百科事典に掲載されている「発明」との間にナイル川より広大な断絶があることを、彼らはまったく理解していない。

いわばステージが違うのだ。どちらも球技だからというだけの理由でアメフト選手と卓球選手を砲丸投げで対決させても、どちらが優れたアスリートであるかの評価はできない。それと同じことだ。この説明で理解できないようであれば、おそらく永久に理解できまい。

いや、もちろん発明家である以上、私だって発明は得意なつもりだ。発明家としての自信もプライドもはある。ただ、その発明が発明たるために、どこぞの公的機関に承認されることが本当に必要なのだろうか?

ここで一度、発明家という言葉について考えたい。この言葉は「発明」と「‐家」という二つの要素に分離することができる。構造的には、「発明」という言葉に「‐家」という接尾辞が加えられたものだ。では、ほかに「‐家」がつく言葉にはどんなものがあるだろうか。芸術家、建築家、文筆家、画家、彫刻家、音楽家、楽天家、倹約家、愛妻家……その数には際限がない。これらの言葉から、「‐家」という語が英語における「-er」および「-ist」に相当することはすぐに類推できる。語尾を変化させることで語の意味を操作するというのはロマンス諸語の得意技だが、遠く離れた極東の言語においても同じテクニックを利用できるというのは、いささか感動的な話かもしれない。しかしながら、さすがに言語が違えばその意味まで一筋縄とはいかなかった。同じ波動拳コマンドを入力してもゲームやキャラクターによって技の名前や効果が違うように、この「‐家」という必殺技の効果も微妙に違う。

たとえば建築家や文筆家における「‐家」は、役割や担当領域を示している。建築の専門家だから建築家だし、文筆の専門家だから文筆家という寸法だ。屋号や家制度の歴史を考慮すれば、「家」という文字が役割を示すというのは多くの日本人が感覚的に理解しやすい用法かもしれない。ところがこれが楽天家となると、「‐家」の意味合いはまるっきり変わってしまう。楽天家とは、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手のことではない。現実に彼らが楽天家である可能性は否定しないが、この場合の「‐家」は役割や担当領域を示すものではなく、性質や気質、主義主張などを示すものだ。先ほど列挙した中では、倹約家や愛妻家もこちら側に分類される。英語の「-ist」がピアニストやバイオリニストのような用例だけでなく、ファシストやマルキシストといった場合にも使用されるのは、偶然の一致ではないだろう。

さて、それならば「発明家」における「‐家」には、どんな意味を期待されているのだろうか。

思うに、一般大衆は発明家という言葉に幻想を抱きすぎだ。常に白衣を着用し人間嫌いで子供にだけは優しく爬虫類を愛玩し極端な偏食家でコーヒーを淹れる際にも実験器具を利用し一度集中すると何日間も研究室に閉じこもる、といったような発明家像はまったく現実的ではない。こんな思考をしているようでは、日本人がサムライとニンジャとゲイシャだけで構成されていると頑なに信じている欧米人を笑うことはできないだろう。これらの特徴のうち、私に当てはまるのはせいぜい人間嫌いだという点ぐらいのものだ。僧侶が児童買春の常習者だったり医師が薬物中毒者だったりアイドルが不細工だったりすることも珍しくない現代において、どうして発明家だけが依然としてステロタイプなイメージを押しつけられなければならないのか。

この、共同幻想としての発明家は、間違いなく発明に没頭することだけで日々を過ごしているし、それによって少なからぬ対価を手にして暮らしているし、生活のすべてを発明と関連づけているはずだ。すなわち、主義主張を明示する意味での「‐家」と、生業としての「‐家」と、性質を表す「‐家」と、そのいずれをも満たすことになる。よってこの発明家はあらゆる意味においてまさしく発明「家」的なのであり、逆説的に言えば、一点でも条件を満たさなければ、私は発明家として認められないということになる。

しかし冷静に考えてみればわかるように、これらを満たした人間がどういう人間であるかといえば、それは奇人変人でしかない。発明家に奇人変人が多いことを否定するつもりはないが、奇人変人でなければ発明ができないという道理はない。所詮これも、大衆がそうあってほしいと望む幻想だ。庶民に想像もつかないような発想ができる人間には、変わり者であってもらいたいのだ。そうして自らの無能さを弁護したいのだ。

コロンブスの卵のような発想の転換がなくても、発明は生まれる。速く移動したいと思ったから自転車が生まれ自動車が生まれ飛行機が生まれたように、冬でも暖かく過ごしたいと考えたからストーブが生まれホットカーペットが生まれ床暖房が生まれたように、発明の動機は案外単純な欲望だ。多くの発明は、〇を一にすることよりも一を十にすることで生まれる。だから天才的発想力が求められるのは欲望を現実の側に引き寄せる過程においてのみで、目的地までの見晴らしは常に良好であるべきだった。目的地に到達できるかどうかの差は、行動力とモチベーションの差でしかない。その目的地は、万人にとってのユートピアでなくてもよい。世界でたった一人でもその恩恵を受けて幸福になれる人間がいるならば、それは立派な発明となる。発明家の発明は、必ずしもそれ単体では生きる糧とはならないし、特許を取得できなければ発明と呼んではいけないということにもならない。この単純明快な事実を、人々は「発明家」というフレーズのもつ蠱惑的な響きによって見落としてしまいがちだ。

以上を踏まえ、あらためて私について語るならば、私が発明家であると主張するときの「発明家」が内包する「‐家」の意味は、ここまでに語られたあらゆる「‐家」とは大いにその内実を異にするものだということができる。私は発明家だが、一般に想定される/幻想される/希望される意味でのそれではない。ここで言う「‐家」とは、文字どおりhouseのことだった。そう、私は発明の家なのだ。私の内で発明たちが暮らしているのだ。

だからこそ、職業として発明家を名乗ることには一抹の躊躇を覚えてしまう。発明家という言葉は、私にとって脊椎動物だとか哺乳類だとかホモ・サピエンスだとかいったような生命体としての分類項目に過ぎなかった。私が自ら職務質問をされるべく外出するのは、回答を強要される状況をあえて作り出すことで真実を炙り出すためだった。そして願わくば、一刻も早く逮捕してほしかった。すべての罪を暴いてほしかった。しかしそれも現在まで不調に終わっており、私の発明家としての勘を頼りにするならば、今後も不調のままになるように思える。二千六百八十二回も試行を繰り返したのだから、統計学的にもサンプルとしては充分だろう。

 

二千六百八十二回目の職務質問を終えた私は、もう無用だからとハムスターの首輪をはずしてやった。途端にハムスターは猛烈なギャロップを繰り出し、あっというまに目の届く範囲から姿を消した。さようなら、と別れの言葉を告げようとして、まだ名前も与えていなかったことに気づいたが、もうどうでもよかった。あのハムスターはただのハムスターなのだから、名前など何になろうか。ハムスターの世界において、名前という発明はヒマワリの種一粒分の価値もないだろう。彼だか彼女だかもわからないハムスターの面影は、首輪を解いてやった瞬間に消滅したのだ。齧歯目キアゲネズミ科ゴールデンハムスター属に分類される、学名Mesocricetus auratusの一個体としてのあれは、確率計算におけるサイコロの目のように、その個性を保存されることなどない。

私は私の家、すなわち、発明の家の家へと戻ることにした。私を逮捕してさえくれない外の世界にもはや用などなかった。児童公園も、アスファルトの舗道も、テクノカットも、私の発明からはすべて遠く離れた場所にある。発明の家の家の中では、物理的な距離は意味をもたない。いつしか私の五感のすべては、曇りガラスに覆われたようにぼやけていた。二度と瞼を開くことのない少女の微笑みが、実験器具の隣でこちらを眺めている。

この手紙は、私が発明家であり続けるための最後の首の皮のようなものだ。未だ見ぬあなたの家のレターボックスが、世界中のあらゆる人間と繋がっているという事実。それだけで、私は今日も発明家でいられる。

2015年12月30日公開

作品集『ペニー・ファージングの恋人(たち)』第1話 (全4話)

ペニー・ファージングの恋人(たち)

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© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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