スモール・ドーグ

応募作品

アサミ・ラムジフスキー

小説

4,442文字

生まれる時代を間違えたのか、生まれたことが間違いなのか。第2回縄文小説ワークショップ参加作品。

いつもナイフを忍ばせていた。護身用というわけではない。誰かを威嚇するつもりもない。料理をするには刃渡りが短すぎる。ヒゲダンスを披露する趣味もない。ましてや誰彼構わず切りつけて新聞に載ろうなどという幼稚な野望もなかった。自分を大きく見せるためだけにナイフを扱うようなことは、絶対にしないと決めている。「武器に頼れば隙が生じる」と言ったのはウルトラマンレオだったが、なるほど、たしかにパニック映画で最初に死ぬタイプのチンピラどもには安っぽい武器がお似合いだ。

少年にとってナイフとは、武器ではなく、あくまでも道具でしかなかった。自らの美学を具現化するための、夢と希望と妄想と欲望とイデオロギーと信仰と愛とその他諸々とを詰め込んだ、小さな小さな道具。

ナイフを用いて、少年はひたすらに鉛筆を削った。彼のナイフは鉛筆を削るためだけに存在した。電動シャープナーでは駄目なのだ。手でゴリゴリと削ってこそはじめて得られる書き心地があるのだとかで、彼は必ずナイフで削ることにしていた。数本のナイフを鉛筆の硬度に応じて使い分けるほどのこだわりようだった。

もっとも、少年が幼少期を過ごしていたのはすでにバブルが崩壊して何年も経ったころだったので、日常生活で鉛筆を使うような場面はほとんどなかった。学校でもシャープペンシルの使用が公認されていたから、勉強をするときはいつも、長時間握っていても疲れないことが売りの太いシャープペンシルを使った。漢字の書き取りなどのときには、鉛筆とそのシャープペンシルとでは書き心地が段違いだった。より便利な道具があるにもかかわらず、わざわざ手と指とを疲れさせてまで鉛筆を使わなければならない理由はどこにもなかった。

唯一の例外は、長い長い文章を書くときだけだった。小説のような、エッセイのような、詩のような、戯曲のような、謎の暗号のような、遺書のような、まだ発見されていない惑星の言葉のような、そんな文章を少年は毎晩毎晩書き連ねた。それは初期衝動をそのまま叩きつけただけのような文章で、自動筆記に限りなく近いものであったかもしれない。どういうわけか、このときばかりは鉛筆でなければ筆が乗らないのだった。あきらかにシャープペンシルよりも指は疲れやすかったが、その疲労感や倦怠感がまた意識とは無関係に文章をドライブさせてくれた。「みっちり練習してへとへとに疲れたあとのバッティングフォームこそが最も自然で理想的なフォームだ」(大意)とデーブ大久保は西武ライオンズの打撃コーチ時代に語っていたが、それと似たような話だろうか。

少年にとってその行為は趣味というほど気軽なものではなかったが、といってライフワークと呼ぶほど壮大なものでもなかった。思春期特有の「なにをしたらいいかわからないけれど、なにかをしたい」という隣の芝生以上に真っ青な欲求が結実したものだったように思える。文化祭でバンドを組んで技量以上に難易度の高い楽曲をコピーしたくなってしまう連中のメンタリティと、おそらく大差ないだろう。まあ、麻疹のようなものだ。機が熟せばいつかあっさりとやめてしまうはずの思春期病だ。通過儀礼だ。

ところが幸か不幸か、少年にはたまたま文章の才能があった。それも、素人にしては巧すぎるがプロとしては中の下、といった程度の中途半端な才能だった。しばしば褒められはするものの、その先になにがあるわけでもない。けれど多くの人はずっと褒めつづけてくれる。だから、彼はその行為をやめるタイミングを完全に逸してしまった。通過儀礼は通過しなければならないのに、いつまでもその儀礼の内側に留まりつづけた。ちやほやされた経験を忘れられなかったのだ。才能とルックスだけは中途半端がいちばんまずいとも知らずに。

そうして彼は、いつしか少年を脱ぎ捨てて大人になってしまっていた。まともに就職することもせず、ときどき叔父の経営する書店でアルバイトをするだけの、ただただ文字を書き連ねる大人になってしまった。ノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング。実に現代型の不幸だといえる。典型的なモラトリアム病だ。典型的なリベラル病だ。典型的なノマド病だ。おまけに聡明だった彼は、自分がそれを職業にできるほどのレベルにはないことも理解していた。書かずにはいられなかったが、書いてもどうにもならない。その事実を知りながら、それでもひたすら書く。

いつまでそんなことをつづけるつもりだ、と忠告をしてくれる友人もあった。無視していたらみんな離れていった。両親はすっかり諦めていた。諦められることにも慣れていた。結婚を誓った恋人には不貞を働かれたうえで逃げられた。べつにどうでもよかった。それでも、そんなすべての体験が彼にとっては文章を書くための材料でしかなかった。彼は来る日も来る日も、書いて書いて書いて書いて書いて書いて書きつづけた。

ある日のアルバイト中、叔父がとあるご先祖様の話をしてくれたのは、そんな彼を見かねてのことだったかもしれない。

 

いったい何世代前まで遡るのか、いつごろの時代の話なのか、まったく見当もつかないのだが、キハチという名のご先祖様がいたのだという。この一族のなかでは、伝説的存在として長年名前が刻まれているらしい。写真どころか肖像画すら残っていないにもかかわらず語り継がれているというのだから、その存在の大きさが窺える。もちろん、悪い意味でだ。

奇遇にも、このキハチもナイフを携帯する習癖があった。今のような金属製のナイフではなくナイフ型の石器だったらしいが、用途は同じようなものだ。キハチもまた、そのナイフを護身や威嚇や攻撃には一切使わなかったという。やはりキハチにとってもナイフは武器ではなかった。そもそもキハチは血を見るのも嫌いで、野蛮な行いをする仲間たちには常に軽蔑の向けていたほどだという。

だから友人なんか一人もいなかった。人々が狩猟によって生計を立てていた時代にそれを野蛮だと糾弾するような人間が、周囲から好かれるわけがない。現代でたとえるならば、広島で生まれ育っていながらカープを大嫌いだと罵るような行為だ。ドングリや木の実も食べてはいただろうが、さすがにそればかりでは腹が膨れない。動物性蛋白質と脂質だけがご馳走だ。そんな時代に「血を見るのが嫌い」などとぬかす人間は、誰がどう見ても普通ではない。あからさまに周囲から除け者にされたとしても仕方のないことだった。

にもかかわらずキハチ自身、それを意に介する様子もなかった。現代ならば時折見かける程度の「変人」だが、コミュニティが狭く濃密だったであろう時代にそのスタンスを貫いていたというのだから筋金入りだ。「狂人」というほうがより適切かもしれない。

いや、事実キハチも好んでイノシシやシカの肉を食らっていたようではあるのだ。ヴィーガンなんていう思想もなければシーシェパードさえなかったはずの時代に、肉食を躊躇する理由はない。そうでなければ、この時代の人間が健康に生き延びることはむずかしい。キハチの家にも、一丁前にシカの角が飾られていたとの記録もある。ただ、こっそりナイフで刺し殺していたというわけでもないようだった。キハチのナイフから血の臭いがしたことは、一度たりともなかったという。

では、それではどうやって獣肉にありついていたのだろう。友人の一人もいないような人間なのだから、誰かから譲り受けていたとは考えづらい。もしそんな天使のような存在がいたとしても、たちまち露見して一緒に村八分にされていたはずだ。ならばハイエナのように死肉を貪りあさっていたのだろうか。しかし、キハチはほとんど自宅の周辺以外まで出向かなかったらしいので、これも現実味はなさそうだ。

こうした不気味さもまた、キハチを周囲から遠ざける原因となったのだろう。一部では「あいつは呪術使いだ! 呪術で動物を呼び寄せて殺しているんだ!」と畏れられてさえいたそうだ。まかり間違っていたら、キハチの名は日本初のシャーマンとして歴史の教科書に記載されていたかもしれない。だが、わざわざ言うまでもなく、キハチは魔法使いでもマジシャンでも超魔術師でもイリュージョニストでも細木数子でもない。

そろそろ答え合わせをしよう。

ここでナイフの登場だ。キハチは、毎日のようにナイフを使って丸太の表面を滑らかに削っていたらしい。まるで暇を持てあました老人たちがラジオ体操や太極拳に勤しむかのように、日々のルーティンワークとしてひたすら丸太を削っていた。素手で触っても一切引っかかる部分がないほどに、徹底的に、偏執的なまでに丸太は削られた。それは磨くと表現してもいいほどに滑らかな仕上がりだった。こけしのような丸みを想像してもらうとわかりやすいだろう。ガウディ建築のような人工的な曲線美が、そこにはあった。

キハチはその不思議な棒を使って、石を打つ練習ばかりしていたという。手で投げるよりも丸太で打つほうが遠くまで飛ぶということを、キハチは直感的に理解していたのだった。そして、丸太が滑らかであればあるほどコントロールしやすいということも。

もう答えはおわかりだろう。まるで野球のバッティングのように、キハチは石を打ち当てて獲物たちを一撃で倒していたのだった。前打席で頭部死球をくらった落合博満が東尾修の顔面を狙ってピッチャー返しをしたように、キハチは獲物の急所を必ず一発で打ち抜いた。血を見ずに獲物を狩るための、唯一にして最高の方法だった。もし今の時代にキハチが生まれていたら、ほぼ間違いなくプロ野球選手になっていたのではないだろうか。イチローにも負けないくらいの安打製造機として歴史に名を刻んでいたに違いない。国民栄誉賞第一号がキハチだった可能性もあるし、ミスタープロ野球の称号がキハチのものだった可能性もある。日曜日の朝に「喝!」と叫ぶ老害の役割を引き受けていたのもキハチだったかもしれない。一部映画マニアのなかでカルト的人気を誇る「菩提樹Tシャツ」のモデルも別当薫ではなくキハチだったかもしれないのだ。

 

「でも、時代が違ったんだよ。キハチは最後まで変人として避けられて、ひとりの友人を作ることもなく、結婚することもなく死んだ。なんて虚しい人生だろうな。おまえにはそうなってほしくないんだよ」

叔父は諭すように、元少年にそう言った。まるで最後通牒かとばかりに、叔父の表情には憐憫と懇願とが覗いていた。

それを知ってか知らずか、元少年は「なるほど」と思った。そうか、つまりどれだけ無茶なことをしていても数千年後に評価される可能性もあるのだな、と。ならば飽きるまで延々とこの謎の文章を書き続けてやろうと。

こうしてすっかりと叔父からの忠告をまったく違う意味で受け取ってしまった元少年は、今こうしてあなたのもとにこの文章を届けている。

2015年9月30日公開

© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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