征南録 二

征南録(第2話)

趙Q

小説

2,481文字

時は後漢末期、黄巾の乱が起こった。乱は全国に広がり、漢朝は顛覆。天子・霊帝は益州に逃れるが崩御。子の献帝が益州に蜀漢を建国する。北方幽州の武人・楽春は遼西より配下の鄭焉、曹良と五千の兵を率いて冀州への侵攻、黄巾賊の撃退を目論む。また徐州では徐瓢が、荊州では呉子馗が台頭し各地で黄巾賊の乱を鎮めていく───。三国時代突入前の空想歴史小説!

 徐州。

 

徐州琅邪国、北軍中候ほくぐんちゅうこうの内越騎校尉えっきこうい徐文じょぶん嫡子むすこ徐瓢じょひょうは、雨中うちゅう馬に乗って国を飛び出した。梅雨ばいう西方にしよりたいを打ち、ただ一人、曠野こうや駈けんと無心に馬にむちを振るう。

霊帝の中平二年(百八十六年)七月、黄巾賊軍はとうに冀州を呑み、ついには都・洛陽を落とすべく西へ進軍を始めた。早馬は毎月、毎週、毎日と頻度を上げ、一日およそ三回の早馬が来たとき、霊帝は御身の危うさを察し、益州えきしゅうへの遷都せんとを決意した。そして、中平二年八月五日、霊帝は洛陽を捨て官僚かんりょうたみなどを合わせ数万の群として益州へと下った。

徐瓢は夜半やはんより東莞とうかん東安とうあんを抜け、黎明れいめいより琅邪を出た。そして兗州えんしゅう泰山郡たいざんぐんに入る頃にはもう賊軍は冀州を抜け、はるか遠方よりえる砂塵を、彼は丘の上から眺めていた。やがて彼は丘を下り、賊軍の後を追って帷幕いばくを見つけると、二里程離れた林に馬を置き、夜を待った。

 

時はいぬこくを過ぎ、附近ふきんは闇にまみれる時分、草叢くさむらから陣をのぞく徐瓢は、相手が少数の兵団だと知るや否や、背に担いでいた胡簶やなぐいから一矢いっし松明たいまつの火を点け、高く打ち上げたかと思うと、たちまちの内に帷幕は赤く染まり、賊兵は驚いて持っていたさかずきを投げ出した。身をまとう火の粉を振り払う者、無我夢中に転がり回る者、盃の中の酒、びんの中の酒を身に振り掛ける者さえいた。徐瓢はさま小さな丘に登り、亦しても胡簶から一矢取り出し、「我こそは徐州琅邪国守、徐文が嫡子徐瓢なり」と叫び、ひゅっと放った矢はくうを切ること一瞬、敵兵は脳を射抜かれて倒れた。続けざまに徐瓢は矢を放ち、つるが鳴ると同時に敵は射殺いころされていく。ついに後一兵となった時、彼は丘を滑ってくだり、見事残兵を一刀の下に斬り捨てたのである。

賊軍の陣営を奪い取った徐瓢は、林から馬を連れてきて、賊兵のよろいを着、そのまま眠入ねいった。翌日の明朝には陣営を発ち、亦もや馬に鞭打って、泰山郡の中部、牟県ぼうけんの城へただ一騎いっき這入はいり込んだ。

城には最早もはや一兵もおらず、ただあるるのは襤褸らんるに裂かれた漢の軍旗ぐんきのみであった。処々ところどころには屍体したいが横たわり、彼は鼻を抑えざるを得なかった。漢軍の全滅を覚った彼は、牟県の城を飛び出し、博県はくけんへ向かった。中平二年、八月二十日の事である。孤軍趨走こぐんすうそう潘水渡河はすいとか亀山登降きざんとうこう、昼夜問わず馬で駈け、寝、起き、趨り、亦寝る。そうして徐瓢は博県、鉅平侯国きょへいこうこくを越え、泰山郡を去った。大暑とうに過ぎれどいまだ地は熱く、日輪は砂上を照り、彼の額には幾粒いくつぶもの汗が視える。今は唯、乱を鎮める。勇士一剣を帯び、黄巾の後を懸命に追う。無人の荒野に一線の蹄鉄ていてつが、彼の寂寥寂寞せきりょうせきばくの念を強く思わせた。……

 

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幾月か時が経った。兗州済北郡盧県えんしゅうせいほくぐんろけん。徐州琅邪の勇夫ゆうふ、徐瓢は、盧県へ入城し義勇軍を募り、果てに城主である中尉ちゅうい劉之斉りゅうしせい総帥そうすいとし、兵数およそ四千二百。徐瓢は副官ふくかん参謀さんぼうとして軍に這入った。劉中尉は済北郡を出、南の東平国寧陽県とうへいこくねいようけんへの進軍を決定した。洛陽より東九百七十五里。目指すは冀州魏郡ぎぐん、後に趙国ちょうこく邯鄲かんたん天公将軍てんこうしょうぐん張角ちょうかくが本拠地は冀州鉅鹿郡きょろくぐん、黄巾の中枢ちゅうすうを落とせば乱は終わる。徐瓢はそう考えていた。彼の放った斥候せっこうによるところ、黄巾賊は兗州より東青州せいしゅうからおよそ百万。南の任城国にんじょうこくを襲撃し太守、鄭遂ていすいを殺し北上してくるという。侵攻するならば幾ら百万と云えども退けるのみだと、徐瓢は劉中尉に進言し、先ずは附近ふきんの賊軍を殲滅せんめつするべきだと寧陽県へ出立したのである。

 

 中平二年秋十月、劉中尉、徐瓢率いる歩卒ほそつ三千二百、騎兵(之斉、瓢除く)一千、計四千二百の軍は済北郡盧県を出、東平国寧陽県へ行軍を始めた。対する青州黄巾は優百万。兵力差六千強。稲穂は金色こんじきに実り草は寒露かんろ纏う。すすき高く伸び如何いかにも晩秋の余韻に感極まる景観である。徐瓢はいずれ、この地が血に染まるであろうと先見した。一行は盧県を出てから三日、早くも東平国へ進入し東平陸とうへいりくで止営した。もう日が沈みかけてきた頃、斥候が陣営に駆け込んで、黄巾賊が陣営より東五里。林に伏兵と報告した。夜襲かと中尉は徐瓢にたずねた。そうでしょうと徐瓢は答え、直ぐ様を鳴らして兵を起こし、陣営を一刻ごとに三里移した。朝陽ちょうようが丘から上がる頃には、彼らは東平陸を去っていたのである。

黄巾賊の夜襲から逃れた一行は直ぐに寧陽県へ向かった。大軍というおそれがあるからである。敵に狙われやすいが近路である平沙へいさを通るか、逆に狙われにくいが馬一頭分の隙間しかなく、遠回りになる深い峡谷きょうこくを通るかでは、断然後者の方が、兵力の少ない彼らにとって有利であった。彼らは終日、暗く湿った峡谷を通り抜け、一切の兵を失うことなく、寧陽県へたどり着いた。後から斥候の報告で、徐瓢たちが峡谷を通っている間、黄巾賊軍は既に東平陸を襲撃し、城障じょうしょうを落としていたという。

天日は既に落ち、万里残照に光る。山頂の陣は早くもかげり、軍はまだ一兵も失っていなくとも、未だ彼らを追う賊軍が、山麓より遠くから迫っていることには変わりない。東平陸を陥落おとした賊軍は更に増兵し、漢軍撃破を確実として、任城から刻々と平野を埋める程の人々が進んでいる。百万と、四千では、一疋いっぴきの蟻と、鷹のようなものである(少し誇張し過ぎな気もするが、瓢たちにとってはその位が丁度好いのだ、)。

しかし依然として、瓢も、劉中尉も大して焦り散らかす事もない。二人は知っているのだ。黄巾賊というのは、一見すれば大軍であり、同時に脅威である。だが、その過半おおくは唯の農夫であり、心弱き信仰者である。漢朝に対する不平不満をぶち撒けたくなる心持ちは、義軍の中の誰一人理解の無い者はいない。瓢の父・徐文は、本来であれば越騎校尉よりも、司徒しと属吏ぞくりとして活躍できる技倆ぎりょうを持っているのだが、今の朝廷では賄賂が横行し、技倆無き者でも高位に就ける。徐文は賄賂を一度も送った事はない。位が上がらないのはその所為である。彼は拳を強く握ることしかできなかった。その感覚は今でも記憶している。

 

夜になって、軍議が終わり、徐瓢は陣幕じんまくの外に出た。秋風は、はなはだしい程澄んで視える。……

2025年5月9日公開

作品集『征南録』第2話 (全4話)

© 2025 趙Q

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