征南録 一

征南録(第1話)

趙Q

小説

2,199文字

時は後漢末期、黄巾の乱が起こった。乱は全国に広がり、漢朝は顛覆。天子・霊帝は益州に逃れるが崩御。子の献帝が益州に蜀漢を建国する。北方幽州の武人・楽春は遼西より配下の鄭焉、曹良と五千の兵を率いて冀州への侵攻、黄巾賊の撃退を目論む。また徐州では徐瓢が、荊州では呉子馗が台頭し各地で黄巾賊の乱を鎮めていく───。三国時代突入前の空想歴史小説!

 幽州ゆうしゅう

 

 後漢末期。霊帝れいてい光和こうわ七年(百八十四年)五月、偏将軍へんしょうぐん楽春がくしゅんは、配下の鄭焉ていえん曹樊良そうはんりょうを連れ、兵数五千と号して、冀州中山きしゅうちゅうざん黄巾賊こうきんぞく征討の為、幽州遼西郡りょうせいぐん令支れいきを明朝より発ち、代郡北平邑だいぐんほくへいゆうを目指した。彼らがひる過ぎに遼西を去り、隣郡右北平りんぐんゆうほくへい郡治所ぐんちじょである土垠とぎんへ入城したのは、遼西を発ってから十日のことである。こうは薫風の頃合ころあいとなったが、北地の辺境を歩む兵卒たちは折からの北風に酷くくるしみ、無終むしゅう止営しえいする頃には、兵馬共々困憊こんぱいの身であった(唯一春だけはまだ平然な面様かおを保っていた)。

 彼らは右北平を過ぎる前に無終に陣を敷き、少なくて三日、長くて五日の休息を入れた。辺境ゆえの荒地あれちで、ただ荘厳そうごんな更なる北方の山々が、彼らを漠然とした自身の危機を察知させた。そうして三日には無終を去り、翌日右北平を越え、漁陽郡潞県ぎょようぐんろけんへの入城を果たした。そこからの具合は思っていた以上に早いものであった。

ず、安楽県あんらくけんにて黄巾賊の動きが見え始めると、潞県の城主である宋建兪そうけんゆの命によって、彼らは入城して二日余で出陣することになった。ここまでは善しか、悪しかと云われれば後者の方であるのだが、逆にこの出陣が、彼らの冀州到達への大きな契機きっかけとなった。

潞県の城を出た楽春一行は、やがて安楽県に着くと、郡治所の漁陽県から龍文越りゅうぶんえつという長身の者が後援として(彼の方が先に賊の動きを察知し、安楽県に着いてから春一行の存在を知ったのだが、)二千の兵を率いやって来た。その為攻略が大変容易な物となり、また賊の行動が尚早しょうそうであったのとで二刻にこくもすれば決着が付いた。戦後、文越は手勢二千を楽春の下に加え、自らを鄭焉、曹良たちと並ぶ側近として軍の中に入った。また、彼の生家である獷平きょうへい村中むらじゅうからおよそ五百の馬をこしらええた。安楽県の攻略を終えた一行はそのまま上谷郡じょうこくぐんへ進入し、涿鹿県たくろくけん寧県ねいけんで亦しても黄巾を討ち、徐々に兵数を増やし、もう幽州を出る頃には、初め五千の兵が八千強まで膨れ上がったのである。

 

十二分に黄巾賊との対峙への支度が整った春一行は、北平邑へ入城し、十日余の休息をとった。鄭焉がこの儘冀州への侵攻を進言したが、黄巾賊によって(彼らではなく、彼らを防ぐ為の民衆の所為せいだが)北方からの冀州進入が難儀なんぎになり始めたので、并州へいしゅうを通じて西方から冀州へ進むのがよかろうと云った。楽春はやると云ったら早急さっきゅうに事を行う人であった。北平邑の城で馬を調達し、兵卒全員に騎乗きじょうを命じ、即刻雁門がんもんへ進軍した。この時(雁門に着いた時)光和七年六月、既に緑風は冷め戎衣じゅういを裂くように吹き、軍は迅速に北方を去らなければならなかった。平城へいじょうに着き、楽春は歩哨ほしょう史九竜しくりゅうに、黄巾賊征討の為幽州遼西郡より偏将軍楽春来たる。一ヶ月後帝都ていと・洛陽に到着する予定と報告するように命じた。生まれる前日に母親が九竜の夢を見た為名付けられたあざな壮佼わこうどは、駿馬しゅんめに跨がりむちを打って城を出、洛邑らくゆうへと疾走はしっていった。九竜が去った後、楽春は命じた通り一ヶ月後には洛陽に着いていなければ、虚偽いつわりの報告として彼が処罰されるだけでなく、九竜もその伝達を行ったとして処罰される。望むなら、一ヶ月後より五日程前が丁度ちょうどい。一刻も早く進まなければならない。楽春は軍に、「翌明朝より平城ここを発ち、帝都を目指し行軍する。常時出発できるようにしておけ」と伝達を行い、一人へやに戻って毛布を被って死んだように眠った。

翌朝、軍は伝達通り充分じゅうぶんな支度が済んでおり、平城を去った彼らは汪陶おうとうへ向かった。

 

───────────────*        *        *───────────────

 

并州雁門郡平城県。候はおおむね晴れにて吹く風は涼しく、洛陽から北千五百里。偏将軍・楽春は郡城ぐんじょうを出発し、南およそ二百里、汪陶県へ向った。晴天に兵卒の士気はすこぶる高く、今まさに義軍北方より都へ警衛けいえいとして参らんと、ふるいさんでいる。汪陶に着いた頃には、日は白昼はくちゅう*にしても矢張やはり涼しく、城内は若干じゃっかん蒸している。とは云え、休む暇など無いので、彼らは兵糧ひょうろう、軍備を調達した後直ぐに城を発出した。そして郡治所・陰館いんかん広武こうぶ原平げんぺいを五日ではしり、平城を出てから五日余。春一行は雁門を抜け太原たいげん郡の慮虒りょし這入はいった。……

雁門と太原の国境に差し掛かった時、二里程先から塵埃じんあいが視えた。楽春は磐良に先方の偵察ていさつを行わせた所、黄巾賊来襲、兵数およそ二万と報告した。楽春は直ぐに陣形を調ととのえた。先鋒せんぽう隊は弓をつがえ、次鋒じほうは騎馬隊、中堅に長槍ちょうそう、副将に焉、文越、大将に春と磐良を配置した。

賊との距離五十五けん、賊二万にして春軍八千強、あまりに近ければ呑まれる。黄巾を装った風采みなり男等おとこらが眼前に迫った時、先鋒せんぽうが矢を放ち、軍の不意をいた。春は散開のめいを下し、次軍の騎馬隊が仕掛け、賊軍の大部分を討ち取った。賊は頭、はらを射抜かれ、馬から顛落てんらくする。即座に軍は乱れ崩れる。春軍の兵卒たちは遮二無二しゃにむに、ほぼ初陣ういじんであるこの戦に死力をくした。

 

戦後、慮虒の往来は屍体が積まれ、春の兵卒たちはすべて磧に流した。相手の黄巾賊は唯驀進と突撃をしてきたからか、春の兵は余り減っていなかった。

 

───南へ行く程、黄巾の数は増えてくる。

 

彼らはそれを充分に理解していた。唯時機がなかった。若し、黄巾の軍勢について、甘い思案を抱いていたのなら、今頃磧へ流されるのは果たしてだれだったか。楽春は慮虒を去ってから、初めてその事を考えて身震いをした。

2025年5月7日公開

作品集『征南録』第1話 (全4話)

© 2025 趙Q

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"征南録 一"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る