エーテル

光源のない走馬燈(第3話)

アサミ・ラムジフスキー

小説

6,366文字

夏祭りの思い出は、いつになってもほろ苦い。

帰る家はない。それでも町は生き続けている。

最終列車に運ばれて、僕はこの地へ戻ってきた。何年ぶりになるだろうか。思い出したくもなかった。会いたい人がいるわけではないし、語りたい思い出があるわけでもない。昔よく遊んだはずの景色にもほとんど見覚えがない。年月とともに変わってしまったということなのか、それともただ単に記憶から消えてしまっているだけなのか、その答えすら出なかった。そもそも、暗くてろくに周囲を見渡すことさえできないのだ。

あたりはすっかり闇に包まれていた。ふだん僕の暮らしている都会では、どう足掻いても得られないほどの漆黒の闇だ。学校の美術の授業でこんな真っ暗な黒を使ったら、逆にリアリティがなくて教師に怒られかねないほどの純度一〇〇パーセントの黒。かろうじて灯りがあるのは駅の周辺だけで、少し歩けばすぐに自分の居場所もよくわからなくなる。前方も闇、後方も闇。だが、恐怖はない。それはただの暗闇でしかなかったからだ。なにもかもを覆い尽くし、光さえも逃げ出せぬほどの暗闇は、なんの象徴にも暗喩にもならない。虫さえも寝静まったかのような暑い夏の夜、耳に届くのは、どこかの誰かの足音ばかりだった。

もうじき日付が切り替わろうとしている。こんな時間にこの田舎町を訪れる者は、いつもならまずいない。ときおり天体観測を目当てにどこかの若者がまぎれ込んでくることはあったが、地元の者に訝しがられることは避けられない。これが田舎のコミュニティの狭さだ。今ではそんな文化とはすっかり無縁になってしまった僕だが、その恐怖は記憶以前のレベルで刷り込まれているのかもしれない。近所の女の子をちょっと泣かせでもしたら、次の日にはもう誰もがそのことを知っていたものだ。人目を避けるつもりがあるならば、夜中にやってくるというのは完全なる逆効果だった。

にもかかわらず、今日僕はこの時間にやってきている。いや、予定が狂ったわけでも乗り継ぎを失敗したわけでもないのだ。この日ばかりは事情が違ったということだ。僕は知っていた。この日だけは、いくらヨソ者が訪れようともわざわざ顔を覗き込まれたり警戒されたりすることはない、と。

 

今夜、町じゅうのすべての目と心は、正行寺に向いている。

若者たちは、はじめての経験に興奮を隠しきれずにいるだろう。中年は古い記憶を呼び起こしながら、答え合わせをするように事の進捗を見守っているはずだ。老人はといえば、町の息吹のすべてを目に焼き付けようとしているかもしれない。

町を出ていった人々も、このときばかりは戻ってくるのが習わしだ。僕の乗ってきた最終列車も、まるで大都会の通勤ラッシュかと見まがうばかりの超満員だった。いまだにエアコンすら完備されていないこの田舎の車両では、サウナのような地獄絵図となる。しかしそれすらも人々は楽しんでいるようだった。そのなかには、町と無関係の者だって大勢いる。メディアの発達につれて、回を追うごとに部外者の来訪が激増しているのだと誰かが言っていた。それが良いことなのか悪いことなのかは僕にはわからない。ただ、好都合ではあった。なにせ、ふだん知った顔しか通らないはずの路地や参道が、これからの数日間だけは見ず知らずの人々で埋め尽くされるわけなのだから。

真っ暗な道を、僕は堂々と歩く。誰も僕のことなど気にするわけがない。誰も僕を覚えてなどいるものか。二十五年前にそうしたように、ゆっくりとした足取りで、地面の凹凸を靴底で確認しながら歩いていく。あの日のこの道と今日のこの道は繋がっているかもしれないし、繋がっていないかもしれない。いずれにせよ、頭が覚えていなくても足は覚えているような気がした。

やがて、次第に目が暗闇に慣れてくる。するとどうだろう、視線の先には無数の影が闇から浮かび上がってくるではないか。夜空に星を見つけるときのように、ひとつ人影を見つけると次々に新しい人影も浮かび上がってくる。想像していた以上に道は人で埋め尽くされていた。急いでいる様子はないが、どの足音も弾んで聞こえる。みんな正行寺を目指しているのだ。だんだん境内が近づくにつれ、足音は音量を増していく。リズムも複雑になる。しかしアンコールの拍手のように、ときどき奇妙にそれらが一致したりもする。リズムの隙間からさまざまな音が聞こえては消え、消えては聞こえる。若い女の笑い声。むずがる子供の声。誰かの口笛。突如わき起こる歓声。誰かに蹴られて転がる小石の音。キーホルダーかなにかがジャラジャラと響く音。すべてが、この真夜中のパレードを彩るマーチだ。

もうすぐ、二十五年に一度の大祭がはじまろうとしている。

2015年8月8日公開

作品集『光源のない走馬燈』第3話 (全7話)

光源のない走馬燈

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© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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