イ=ドラによる福音書 ~祈りを争い殺し合う~

短編ノナグラム(第8話)

諏訪靖彦

小説

7,199文字

SF雑誌オルタニア vol.8.5 [存在はプエルトリコでお茶を飲む]寄稿作品。

 
 直径一キロを超える黒く巨大な楕円機体は、気体圧縮を最小限に抑えるため速度を落とし、船尾を上げて惑星に対して垂直になるように姿勢を整えると、機体を細かく振動させながら大気圏に突入した。機体後部から取り入れた惑星大気を先端から噴射し、分散循環することにより機体周辺のエネルギー質量の安定を図る。
 地表まで四万キロを切ったところで機体は濃い紫に包まれた。大量に散乱された紫色光の下で僅かに残った赤が大気と地表の境界を形作り、その下で青や緑、茶や白が地形に彩を与えている。
 機体は地表から数百メートルまで接近すると下降を止め、船尾を上げたまま移動を始めた。低い唸り声を上げながら移動する機体は、大きな湖の中心まで来るとゆっくりと船尾を下げ、水面に対して水平になるように機体を傾けていく。太陽光を乱反射させキラキラと輝いていた水面は機体の影で深い青に変わっていった。
「観測船から確認できる範囲では地形の改良は行われていないようだ。大気成分から知的生命体による成分調整痕跡を調べてくれ」
 観測船管制室には不規則に数百のドーム状透過ケースが並べられ、それぞれがボウっと青白い光を放っている。その中で、ひときわ強い光を発しているケースの中から観測船基幹ネットワークであるヨグ=ソフホートに向けて観測者が指示を出した。観測者のケースには惑星観測情報が投射されている。
――大気成分はク=ヤン星域からアル=アジフ星域へ移動中に遭遇した流浪民「地球人」の器に適していると考えられますが、放射性同位体の拡散数が多いのが気になります。地球人の器では高分子生体記録物質の改変が高頻度で起ると思われます。
 観測者はしばし考えてからヨグ=ソフホートに言った。
「地球人の故郷である可能性は?」
――大いに考えられます。何らかの理由により大気中の放射線濃度が増大し、居住が困難となったため……観測者イ=ドラ、説明の途中ですが湖畔にて言語通話を行う二足歩行生物を確認しました。知性化された生命体であると思われます。その数三個体。ケース内に投射するので確認してください。
 観測者イ=ドラはケース内に投射された生物に目を向ける。イ=ドラの纏う器に比べやや背の低い二個体は、他種の角質化物質で作ったと思われる衣を身に着け、湖の上に浮かぶ観測船を眺めている。地球人と非常に良く似ているが、感覚器官に幾つかの差異が見られる。二個体の間にいるさらに背の低い個体は、体表面を晒して背の高い個体の衣を引っ張り口を動かしていた。
「言語を符号化出来るか? 地球人の言語と比較してくれ」
 ヨグ=ソフホートは即答する。
――ライブラリに記録されている地球人の言語と一致しませんでした。背の低い個体の発する言葉だけで正確に判別するのは難しいですが、語順が異なっているように思えます。地球人が主語動詞目的の順に言葉を紡いでいたのに対し、背の低い個体が発する言葉の語順は主語目的動詞となっているようです。しかしそれが地球人との関連を否定する材料にはなりません。この規模の惑星において統一機関が機能していなければ、言語に地域差が生じることは珍しくありません。
「そうか分かった」
 イ=ドラはケース内に投射された観測情報を手で払いのけ、ケース開閉部を押し上げた。「プシュッ」と大きな音を立てて開閉部からハイドロ蒸気が上ると、比重の関係で蒸気が床に広がっていく。黒い鱗で覆われた二本の腕がケースの両端を捉え、「チャリチャ」と鱗をこすらせながらイ=ドラは上半身を起こした。
――降り立ちますか?
「ああ、そうする。直接接触によって意思疎通を試みる。ヨグ=ソフホートは状況を判断して言語解析に必要な指示を出してほしい」
――分かりました。惑星大気はイ=ドラの纏っている器には適していません。放射線耐性を高めた地球人の器を用意します。
「いや、この器で向かう。地球人の体表面はもろすぎる。知的生命体が攻撃的な種である可能性も考慮せねばならない。その場合、クラスト化されたこの器が役に立つだろう」
――では、自立呼吸を停止して電力変換による酸素循環に切り替えます。お気をつけて。
 

2019年7月15日公開

作品集『短編ノナグラム』第8話 (全9話)

短編ノナグラム

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© 2019 諏訪靖彦

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