正直者

yohei

小説

53,810文字

すばる文学賞に出したもの。書いたあと、おお、これはいい作品だ、と思った。そして一次で落ちた。読みづらい文体は、当時の私がしゃれたつもりで書いたもの。誤字はそのまま(そっちのほうが、滑稽で面白い)。

目的地である渋谷駅についたので、半蔵門線を降り、電車に乗ろうとこちらに向かってくる人を避けながら、ハチ公前の8番出口を目指して、高速エスカレーターに乗った。エスカレーターというとあたしの住む家のあたりは年をとって足腰が弱ってきているために杖をつきながら歩く人が多く、駅ビルの一列しかないエスカレーターに、うっかり間をほとんどあけずにそのような人のすぐ後ろにのってしまい、そして詰まってあたしのほうが転びそうになるという惨劇に見舞われることもよくあるのだが、渋谷には若い人のほうが多いのでそういうことは起きず、とはいえあたし自身が最初にこの高速エスカレーターに乗ったときはびっくりしたものだった。
エスカレーターを降り改札を出て、出口を目指して歩く。8番出口に向かうエスカレーターの前には一本の柱があり、少し邪魔をしている。あたしたちはエスカレーターに乗っている人に続く列にちゃんと並んだのだが、せっかちな人は左の最短コースに見える列に行くが、結局はあたしたちが並んでいる列に割り込む形になるので、ちゃんと並べばいいのに、と思い、少しイライラしながら乗った。上がりきると、右側にはTOKYUの文字が見える。さらに階段を上がって、外にでた。
スクランブル交差点の信号が赤なので止まった。交差点の前というかあたしたちが立っている側の後ろの広場ではよくテレビの取材が行われている。
青になったので渡る。いつも渋谷のスクランブル交差点では田舎もの(まあなかには、というかほとんどが外国人なわけだが)が自撮り棒をもって、写真を撮っている。きっといっぱい人がいることが珍しいのだろう。いい動画が撮れてよかったね。
あたしもちょっと前までは上を向いて、きょろきょろとあたりを見回しながら歩いていたが、今ではそういうことをせずに歩ける。このまままっすぐいくとタワーレコードなどがあるのだが、今日は左に曲がって、ブックオフに行く。センター街にはいつも、流行っている音楽が流れている。右を向くとLoftや紀伊国屋書店(ここにもよく行く)がある。
あたしが早歩きになると、彼もあたしに合わせて、早歩きになった。やっとブックオフに着いて、なぜか上りだけしかないエスカレーターで2階に上がり、まずは文庫本があるコーナーに行った。岩波文庫や講談社学術文庫があるところの前であたしは彼に、ほらあたし、神保町駅のすぐ近くの大学に通ってたじゃない、だからよく古本屋に行ってたんだけど、そこでさ、岩波文庫とか講談社学術文庫の本を、ああ、あと講談社文芸文庫のもだった、まあとにかく文庫本をよく買ってたのね、大学一年生の頃は、そしたらさ、ブックオフにあるじゃない、どれも、あたしはさ、神保町の古本やで加地伸行の『論語』(講談社学術文庫)のね「絶版」っていうシールにだまされて買ったわけ、800円も払って、そしたらブックオフの100円コーナーに同じ本が、しかも状態はあまりかわらないどころか、むしろこっちのほうがいいんじゃないかって思えるのがあって、頭にきちゃった、と話すと、彼は、ああ、そういうことってあるよね、やっぱりこういうブックオフみたいな新古書店じゃなくてわざわざ神保町にいくのなら資料として買うほうがいいんじゃない? と答えた。ああ、でも講談社文芸文庫ならどちらも値段はあまり変わらないかもよ。それは確かにそうね、なぜかあのシリーズだけは100円コーナーにはほとんど並ばずに「1400円」とかで売るからね。ただ神保町で買いまくってたのにもちゃんと理由があって、今までは古いのも新しいのも全部アマゾンで買っていて、それで1000円とかで手に入れてああ安いなぁとか考えていたら、同じ本が100円コーナーにあって、それで神保町で買うようになっちゃったの。まぁあたしはそういう女なの。ただ、重要な本は買い逃していてね、バルザック全集、いやもしかしたらフランス文学全集かもしれないんだけど、それの『従妹ベッド』が入っている巻があって、おおこれは買わなきゃ、と思ったんだけど、いや最近無駄遣いしすぎだ、っていう謎の、今まで出したことのない正義感が出てきちゃってやめちゃった。あぁ200円だったのに。
立ち読みをしている人に「すみません」と頭を下げて、ああなんでこいつらなんかにマナーを守らなきゃならないんだと思いながら通り、100円コーナーの作者名が「よ」のところで彼は本を探し始めた。ああ、あったあった。え? ほら吉村昭、ああ、あたしが前に進めた作家ね、そうそう、僕ずっと読んで見たかったんだよね。ええと、なんだったっけ? 君が進めてくれたのは。ああ、毎日芸術賞を受賞した『冷たい夏、熱い夏』(新潮社)と日露戦争について書かれた『ポーツマスの旗』(これもやっぱり新潮社)あれ? 新潮社のが多いんだね、そうそう、だからね中瀬ゆかりが言ってたんだけど、吉村先生ってすごい文章を書くのが早くてね、新聞小説なんかも連載前に全部終わらしちゃうらしいの。ああ、そういえば僕もオール読物3月号の、ほら恩田陸が直木賞をとった号の、でね、宮本輝との対談でそんなこと書かれてた。うんうん。ほら書くのが遅いことで有名な作家っているじゃない、そういう人の原稿を受け取った編集者ってやっぱり大喜びしちゃうのよ、当たり前だけど、そういう光景を見て吉村先生悲しそうな顔で、ええとなんて言ったのかは忘れちゃったんだけど、まあそれを聞いて中瀬さんはああやっちゃった、って思ったみたい。ふーん。
中瀬さんの作家話っておもしろくってね、確か浅田次郎だったと思ったんだけど、知らない言葉がでてきたときに、中瀬さんってすぐスマホで、言葉を検索するらしいのよ、で、それをみた浅田先生がね、そうやってすぐに検索するのはよくない、紙の辞書を使って調べるこそ覚える、だったかあ、まあそんな感じ、それを聞いて中瀬さんもちゃんと紙の辞書を使おうと思いつつ、結局スマホで調べちゃう、って少し暗い声で言っててね、でもすぐ調べるだけ偉いと思うのよ、だってあたし、わからないものをすぐ調べるなんてしないからね。へぇ。彼は、でもさ、中瀬さんって、話がうまいじゃん、たぶん前世で怪しい壷とか売っていたんだと思う、と笑いながら言うので、まぁ失礼ね、いくら中瀬さんが壷みたいな体型をしてるからってねぇ、「詐欺師に向いてる」でいいじゃないの。
作家のおもしろい話みたいなのでさ、神保町から消える式ってのがあるよね。えっ? どういうの。うん、例えば僕が聞いたことがあるのは、井上ひさしが脚本か小説の資料を買おうとしたら、すでに司馬遼太郎に全部買われてたって話。それを聞いて、あぁ、あたしもスタジオジブリがたぬきの資料を書おうとしたら井上ひさしに全部買われてた、っていうのを聞いたことある、と言うと、彼は、この話の元ネタって誰なんだろうねっと言った。海外でもこういう話ってあるのかしらね? さぁ? どうでしょ。
あたしが小説に興味を持ったのは作家志望の彼のおかげで、あたしが知らない話をいっぱいしてくれた。例えば小説の初版が5000部だとしたら2刷も5000部(だから合計で10000部)、3刷も5000部(合計で15000部))みたいになるのかなと思っていて、でも純文学なんかでまったく計算が合わなくなり、彼に教えてもらったおかげでもっとちまちましたものだということがわかった。まあ作家界のブルースリー(顔が)、東野圭吾なんかだとわからないけど。
もう一人、彼に紹介したい作家がいるので、今度は「さ」のところへ向かう。ほら、これこれ、鷺沢萠、あっ、そうそう、あたし泉鏡花賞をとった「駆ける少年」(文藝春秋)と「私の話」(河出書房)、あと『ビューティ・フルネーム』(新潮社)が大好きでね、ただ、もうブックオフでしかみないかと思ったら、河出文庫コーナーに一冊と新潮文庫コーナーに一冊、(しかも平成27年だから)最近に復刊されたのがね、あって、ちょっとうれしくなったりもしたのよ。確か中瀬さんと仲がよかったみたいで、もしかしてそれもあって復刊したのかなぁ、なんて、とあたしが言った後に彼は本を手にとって、表紙を開き、でも本当にきれいな人だよねと言った。そうよね、でも最近高橋真麻に似てるんじゃないかってね、いや不快ってわけじゃないんだけどね、なんだかなぁって。確か群ようこと仲がいいみたいで、「お姉ちゃん」なんて呼んだりしてたんだってね。でもこんなきれいな人のお姉ちゃんが群ようこに似ているってねぇ、神様は残酷よね。ええ、本当にそう思う。彼は、でも不思議なんだよね、どんなブスでも赤ちゃんの頃はみんな同じ顔してるのにね、と言ったのであたしは、そういえばボーヴォワールが言ってたみたいだけどね、「人はブスに生まれるのではない、ブスになるのだ」とうそを教えてやると、彼はへぇそれは名言だねと驚いた顔でいってきた。
あたしが紹介したかった作家の話が終わったので、彼とあたしとは別々の作家の本を手に取り始めた。あたしも彼も小説は好きだし、とくに彼なんかは作家志望で色々読んでいるのだけど、あたしと趣味は合わないみたい。いやもちろんW村薫(高村薫と北村薫。W村上みたいにあたしが勝手に呼んでるだけなんだけど)みたいに両方好きって作家もいるにはいるんだけど(オール読物5月号に北村先生の『火鉢は飛び越えられたのか』っていう、泉鏡花が徳田秋声をなぐった話について、里見とんについてや秋声が胃の病だったこと、実は食いしん坊発言をしていないことなど、色々おもしろくて彼と一緒に笑ったりした。そのあと泉鏡花の話になり、泉鏡花って初期の『外科室』とか『夜行巡査』とかは短いから読めたけど、『高野聖』とか『歌行灯』ぐらいの長さになるともう読めないよね、といわれ、そうそう『草迷宮』なんかもう一行目でやめた、といい、そういえばこの前泉鏡花の現代誤訳っていう不思議なものをみたよと言われあたしは大笑いしてしまった)、彼のほうは推理小説、あたしは伝記小説が好きで趣味がぜんぜん違う。あたしは小説をだらだらと、とばしながら読んでいくのが好きで、だから推理小説みたいに飛ばし読みできないものは苦手で、しかもこちらがわざわざ緊張しながら、しかも飛ばさずに読んでやったのになんだねこれは? となるような小説もあるし、だいたいどこの馬の骨ともわからないようなやつに興味はないわけで。逆に彼は飛ばし読みはいっさいせず、ジェイン・オースティンの「自負と偏見」(新潮社で、確か中野好夫訳)を貸したときにも、「なんかあんまりおもしろくない」といいながらも、飛ばさずに全部読んでから返してきたときには、びっくりしたものだった。どうやらあたしと彼とで読書に関する美意識が違うみたい。まあ伝記小説すべてが好きというわけじゃなんだけど。好きな作家はだれ? って聞かれたらあたしは、吉村昭、司馬遼太郎、海音寺長五郎、渡辺淳一、林真理子、山崎豊子、杉森久英、瀬戸内寂聴、宮尾登美子とかかな、って答えてる。そうそう、あと、大江健三郎の『万延元年のフットボール』は読み切ることができなかったんだけど、『取り替え子』は何回も読んで、私の好きな小説ベストテンに入るぐらい好き。そのときちょうど柳美里の『仮面の国』も読んでたからなおさら。
次に単行本コーナーに移動して、ああ、ピエール・ルイスの『女と人形』の訳がどっかからでてて、買おうと思ったんだけど、どこかな、あと唐十郎の『唐組熱狂集成』(西部邁ゼミナールっていうMXの番組でみて欲しくなった)、どんな表紙かぐらい調べてくればよかった。『女と人形』ってブニュエル? そうそう、いつもね、欲しい本のタイトルだけ覚えてきちゃうからね、たまーにこういうことになっちゃうの、調べるにしてもスマホの充電は電車で使い切っちゃったし。ああ、僕もよくやるよ、それで別の本買っちゃったりしてね、ハハハ。
最後にDVD・ブルーレイコーナーに戻ってきて、ブックオフの洋画コーナー(750円以下)って充実しててね、確かブルーレイだったと思うんだけど、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』が108円で置いてたり、DVDでもヴィクター・フレミングの『風と共に去りぬ』(これは確か250円)とかテイラー・ハックフォードの『愛と青春の旅立ち』(750円)とか、あとなんかのシリーズの断片? ジョン・ヒューストンの『アフリカの女王』なんかは108円で売ったりしててね、その割に邦画はあんまり揃ってないのよね、溝口健二も木下恵介も成瀬巳喜男も、黒澤明も。前に『七人の侍』か『どですかでん』(山本周五郎の『季節のない街』が原作)を買おうとしたら、『七人の侍』はあって、でも3000円近くしてね、結局黒澤明DVDコレクションで2000円で買っちゃった、とあたしが言うと、そういうのはまだ需要があるからね、あんまり安くはならないよね、と答え、あれ? でも前になんかいいの手に入ったっていってなかったっけ? ああ、あたし喜劇役者のムロツヨシが最近気になり始めてねぇ、『サマータイムマシンブルース』を買おうと思って、で、それは見つからなかったんだけど、『シュアリー・サムデイ』があったんで、買ってみたの、ぜんぜんムロさんでてこないじゃない。まったくもうって頭にきちゃった。
あっそうだ、ねえ、ここって演劇のDVDとかもあるのかな? いやぁ、わからないや。そうかぁ、あたしシェイクスピアを見たことがなくてね、蜷川幸雄演出のでも買ってみようかなと思って、とは言っても蜷川演出のシェイクスピアっていっぱいあるからね、ええと『ハムレット』の、確かタイトルロールを藤原竜也が演じてるのが見てみたいなぁとおもったんだけど。うーん。
あたしは本屋に行くとうんこがしたくなるタイプなので、トイレに行った。その後いろいろあって、性交しようということになり、広さはカラオケボックスくらいのラブホテルに泊まることにした。あたしはシャワーを浴び、殺菌用ボディソープで体を洗って、歯を磨いた。あたしと彼がはじめてキスをしたときも彼から歯磨きしてからにして、と言われたので、あぁ彼はそういうタイプなんだなと思い、彼にあわせて、そうしている。そしてもう一度服を着てシャワーから出た。彼は服を脱がすのが趣味なのだ。彼はすでにシャワーを終わらせている。ベッドには汚れないようにとタオルが敷いていて、彼はコンドームを膨らませ、サイズの確認をし始めた。
彼はとても不器用だった。電灯を消してと頼まれたので、消すのだが、彼は目を強く瞑っている。また体位もバックと呼ばれるものだ。こうなると、なんだかあたしが教育しているみたいで、とても優越感が味ぐぇぇぇ。おっとつい気持ちよくて雨呼ぶカエルのような声を出してしまった。あぁなんだか夢を見ているような、そんな気持ちいい感じ。
あぁ、おとといは楽しかったなぁ、とあたしは思いながら、起きて、体は仰向けのまま首だけを動かして、横に置いてある、高校の創立記念でもらった目覚まし時計をみてみると朝の7時半だった。爪と指の肉の間に不快感があったので、毛布から布団から手を出して、確認してみると、ああまただ、頭を掻いた後の皮膚がびっしりと詰まっている。どうも最近、ストレスで体がかゆくなることが多くて、まぁ起きている間は我慢できるんだけど、寝るとね、無意識にかいちゃって。そんなふうに考えた後、あたしは首を元の位置に戻して、天井を見つめると、電灯がある。あたしは真っ白の蛍光灯が精神に突き刺さる感じがして苦手なのでいつもひもでオレンジに調節するか、消すかしていて、そのせいか、とても長持ちする。また首だけを動かして、時計があるところの反対側をみてみると、「高清水」の紙パックが転がっている。なんで? 《澄んだ空気、清冽な水、良質の米で醸した秋田の辛口の逸品》だって。なんで「辛口」の字を太く、強調させているんだろう? 「逸品」を大きくすればいいのに。
あたしは朝起きると必ず自律訓練法(自立じゃないよ)をする。大学生だった頃にたぶんストレスの影響でちょっと電車に乗るのが苦しくなり、何か解決法はないかと探してこれに出会った。第一公式から第六公式まであるのだが、あたしは第二公式までをやっている。
本当は自律訓練法を行う前にストレッチをしたほうがいいのだが、朝早くに、布団から出るというのは危険な行為だと思うし、まぁ今は6月なので「さわやかな朝だなぁ」と思って布団からでると即死ということはないだろうが、それでも失神ぐらいはおこすかもしれないので、省く。
まずはじめに体全体から力が抜けていく、と考える。努力して抜こう、抜こうと考えるのは逆効果。つまさき、ふくらはぎ、腰、背中、腕、そして首や口から力が抜けていくことを想像する。そして深呼吸。そうすると、本当に体が重くなってくる。おそらく、あたしが素直な性格だからというのもあるかもしれない。
次に右手に意識を向ける、右手が重い、右手が重い、右手が重い、右手が重い、どんどん右手が重くなっていく、今度は左手に意識を向けて、左手が重い、左手が重い、左手が重い、左手が重い、ますます左手が重くなっていく、次は右足、右足が重い、右足が重い、おーいご飯できたよー、右足が重い、次に左足に意識を向けて、左足が重い、ごはん冷めちゃうよー、左足が重い、左足が重い、どんどん体がリラックスして重くなっていく、両手が重い、両足が重い、ドンドンと部屋のドアをノックする音が聞こえる、今度はもう一度右手に意識を向けて、右手があたたかい、右手があたたかい、右手があたたかい、左手があたたかい、左手があたたかい、ほらー冷めちゃうよーじゃなくて冷めちゃったじゃないかー、右足が重い、じゃなかった、あたたかい、右足があたたかい、左足があたたかい、左足があたたかい。その後、体に力を加え、目を開く。静かな部屋で、何も考えずに自律訓練法を行うと、本当にすっきりと気持ちよくなるのだ。
あたしは布団をマントのようにまとって部屋からでる。6月だと羽毛布団だけだが、冬の時期はその下に羊の薄い毛布も足す。できることなら、シャクトリムシのように布団ごと動きたいのだが、周りの洗濯物やゴミ箱、ほこり、水虫菌などを巻き込んで動くことになるし、なにより部屋のドアを開けるときに、腰をそらさなければとどかないため、ぎっくり腰になってしまう恐れもあり、仕方なく、あきらめた。いや、一度だけドアノブがもっと低い位置にあれば、と考えたこともないわけではない。あぁ、こんな体たらくではこたつをカタツムリのように背負って歩くコタツムリのようには一生なれないだろう。
あたしはあぁ眠いなぁ、と思いながら部屋から出ると、あっ、やっと起きたんだね、おはよー、ほら、もうご飯冷めちゃったよー。あたしは朝起きるとまず、洗面所でコンクールの洗口液でうがいをし、口に味が残らなくなるまですすいだあと、キッチンに行き、冷蔵庫からオーガニックのセントジョーンズワートティーの葉を取り出して、前までは百均で買った、ティーバッグに入れていたのだが、今はそれも面倒になり、コップに直接入れて、お湯を注ぎ、飲む。紅茶などの場合は一番茶を香り付けのためにつかい、まぁつまりは捨てるということで、あたしも味を楽しむためならそういうこともするが、味よりもむしろ栄養をとるために飲んでいるんで、なんとなく、医学的根拠はないのだが、一番茶も飲んでいる、葉っぱごと。ただ、セントジョーンズワートはサプリメントでも取っているので、最近はラベンダーかカモミールに変えようかと迷っている。ちなみに花粉症の時期は甜茶。この「お茶」は自立訓練法と同じ時期に取り入れたもので、ほかのストレス対策としては、酒はほとんど飲めないし、たばこは逆にストレスになると聞いていたので、吸おうと思ったこともないのだが、あたしは酒やたばこをする人の気持ちがよくわかるし、特にたばこに関して、厳しい世の中で大変だろうなとも思う。たばこをしょうがなくやめるのじゃなくて、たばこがいらないくらい気持ちが楽になったっていう理由でやめて欲しいなぁと思ってて、だからだろうか、千代田区でポイ捨てのたばこを見つけたときには感動の余りに踊りそうになったりもした。
お茶を飲んだ後に食事をする。ご飯が盛られている容器は全部、彼と一緒に銀座の「たくみ」や金春通りにある「東哉」で買ったもの。
「ご飯、レンジであっためようか?」
あたしは炊き立てのご飯がほんっとうにだいっ嫌いで、といっても猫舌というわけではなく、熱いほうが好きなものもある、まぁ例えば何、と聞かれてもそれは困るのだが、そのほかのメニューとしては、昨日の残りの昆布と鱈のお吸い物、この味がとても好きなのは間違いないのだが、なんとなく具なしの鍋、といった感じがしなくもない。それときんぴらごぼう、きんぴらごぼうは脂溶性食物繊維と水溶性食物繊維が取れる優れた食べ物で、ええとにんじんとごぼうでどっちがどっちかは忘れてしまったのだが、まあ体にいい。あたしが高校生だった頃はきんぴらごぼうだけで生きていくと言い張ったこともあるくらいで、とはいえあたしはぎんなんやクレソンでもそういったっていうか、いっちゃったことがあるんだけど、あたしは今でもきんぴらさえあれば、ほかにはご飯などの炭水化物、魚や肉のタンパク質、あっ、できればEPAやDHAも取れる鯖がいいな、そして各種ハーブティーやサプリメントがあれば十分に生きていけると思う。
「じゃあ、仕事いってくるね、行ってきます」
ご飯、吸い物、きんぴら、その他粗野な昨日の残り物の朝ご飯を食べ終え、あたしは
「お粗末さまでした」
と言い、エビオス、ミヤリサン、セントジョーンズワートのサプリを飲む。今までに、ビオチン、ビタミンC、ビタミンミックス、ミネラルミックス、ギャバ、ブルーベリー、ノコギリヤシ、にんにく卵黄(無臭加工)、プロポリスなどいろいろ試してきたが、今のところはこの三つに落ち着いた。そして、「オハヨー」というなれなれしい友達のあいさつようなメーカーのカスタードプリンを食べた。
部屋からまとってきた布団を床に敷き、二つ折りにしてちょうどいい高さになった座布団を枕代わりにして、見るわけではないのだが、音がないと少し寂しい気持ちになるので、テレビをつけてから、仰向けになって寝て、あっ、コーヒーが飲みたい、と思い、もう一度起きあがって、さっきのハーブティーで使ったコップを水で軽く洗ってから、インスタントのチコリーコーヒーの粉少し入れ、カルダモンも足し、アラビア風のコーヒーをつくった。どうもカフェインも精神にあまりよくないらしく、実際に動悸を起こしたこともあったので、カフェインがないたんぽぽコーヒーや整腸作用のあるチコリーコーヒーにしている。そしてまた寝て、リビングに置いてある(あたしの部屋からこっちに漏れ出てきた)雑誌を読み始めた。もともとこのリビングはあたしの部屋ではないのだが、やはりテレビがあるということと、部屋に本が入りきらなくなってきた、ということもあって、雑誌などを彼にバレないように少しずつ、こちらに移していったのだが、バレてしまい、片づけろとおこられた。ただ、そんなことで本を片づけるほど、軽薄な女ではないもんで、まだ実家で生活していたころは、同じようなことがあって、怒られても、まったく片づけようともせず、逆に、片づけるからお小遣い頂戴と屁理屈をこね、あたしの育て方が間違っていたのかしら、と親を泣かせたものだったが、彼はあたしの扱いがなれているようで、まぁ最初は同じように片づけろ、というだけだが、それだけじゃ動かないようなふてぶてしい女、ということがわかると、今度は、ねぇ俺が片づけてやろうか、などという精神攻撃を行ってきて、あたしは、自分のものを人にさわられるのが大嫌いなため泣く泣く、部屋に投げ入れたりもしたのだった。
そんななくしたい過去をふりかえっていると、作家志望の彼がやっと起きてきた。あれっ、あいつはもう仕事いった、と聞くので、うん行った、と答え、彼は食事を取り始めた。
あたしは、大学生時代の友人であり、今はサラリーマンになった奴と作家志望の奴との二人とシェアハウスをしている。サラリーマンくんは仕事をして金を稼いだり、またきれい好きということもあって部屋のお掃除や洗濯など家事をやってくれる。きれい好きというと、なんとなく芸術家タイプの人は、きれい好きというイメージがあたしにはあったのだが、作家志望の彼はきれい好きというよりは潔癖に近いといった感じなので、掃除を頼むと、僕の手が汚れちゃうなどと言い放つので、あたしとサラ男くんは頼むことをあきらめた模様。まぁあたしも悪いなぁとは思うのだが、家事は何も手伝っていないのだが。そしてこういう生活をしていると、まぁ何の不便もなく、とても幸せではあるのだが、やっぱり就職も結婚もせずに暮らしていくというのは、意外とストレスがたまるもので、やっぱり退屈すぎるというのは考えものだなぁ、と思い、なんか行動をおこさなきゃ、と一応は考えているのだけど。
彼は食事をとりながら、あぁ、おとといは楽しかったね、と言ってきたので、あたしがうん、とうなづくと、彼は、そういえばあいつとは性交したことあるの、などと聞いてきたから、うん一応、といっても4回だけ、と答えてやると、え? ということは毎週かかさずってことですか、などどふざけたことを抜かすので、そんなわけないでしょ、と少し強めに言っておいた。でもなんであんなのと? そうねぇ、まあいくらあたしの操が堅いっていっても、おちんちんのかたさには負けちゃうのよね、というか負けちゃった。でもね、結構楽しかったのよ、あいつたぶんああいうのになれてないんだろうね、とりあえずあいつがみたいっていうから、AVを流しながらやっていたんだけど、彼、その流れているAVのセリフとまったく同じことを言ってんの。ちょっと、いくらおもしろいからって笑い過ぎじゃない? 失礼よ。いや、ごめん、笑っちゃいけないよね、いくら変でも。そういえば山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』(河出)っていう小説があったじゃない。うん読んだ読んだ。《もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい》ごめんなさい、無理です。そうだよね、だって君は人の真剣な姿をあざ笑うのが大好きだからね。そうそう、そうなのよ、とあたしはうなづいて、だから駅伝とか見るの、大好きなのよね、おもしろくて笑えるから。でもさー、普段からAV見て大笑いするのはやめたほうがいいよ。えっ、なんで? いやなんかさー、自分の彼女はAVを笑いながら見てる、ってのは恥ずかしくってね。別にいいじゃない、誰にだって欠点はあるものよ。
会話をしながら、とりあえず、『月刊Hanada』の2017年4月号を手を伸ばしてとり、坪内祐三の書評のページを見てみる。荒川佳洋という人の『「ジュニア」と「官能」の巨匠富島健夫伝』についての書評でどうやら、別の本をよんで富島が若い頃、文藝誌に作品を発表していたり、『文藝』のスタッフだったということを知って、関心を持った頃にタイミング良くこの本が出たと書いてあるのだが、坪内先生はたまーに知ったかぶりの反対である知らなかったぶりをしていることがあるので、えーほんとー? とちょっと笑ってしまった。えっ、何にんにく? 冷蔵庫にあるでしょ。見つからない? あーもう面倒くさい、よいしょと。あたしが声を男出しながら立ち上がったことを彼は「おばさん臭い」といって馬鹿にしてくる。何いってんだ、あたしのほうが誕生日は1ヶ月遅いのに。えーと、何だ目の前にあるじゃん。いやーやっぱりこういうのは男よりうまいね、今度から冷蔵庫のなかは君に探してもらおう。まったくもう。確か2017年6月号では武田百合子の未収録エッセイについての書評だったがそこで、《それから、「美しい」という言葉を簡単に使いたくない。「景色が美しい」と思ったら、どういう風か詳しく書く。心がどういう風にわくわくしたか書く」》と引用にした後に、《ここまでだったら川端康成でも三島由紀夫でも丸谷才一でも口にできる》とあって、あぁこの人にも、丸谷先生なんか言われてるんだ。この書評で坪内先生が『東京人』っていう雑誌の編集者だったっていうことがわかるんだけど、その東京人で担当してたのがどうも丸谷先生らしくって、そんでこれは扶桑社の『昭和にサヨウナラ』っていう本の書評で知ったんだけど、銀座のバーで再会したとき、丸谷先生の背中にあっかんべーをしたんだって。ここまで読むと彼は食事が終わったらしく、食器や残り物を片づける。あたしもちょうどそのとき、のどが渇いていたので、冷蔵庫に向かい、なんで狭いのにわざわざこっちへ来るんだ、と考えているであろう、彼の顔を見ながら、「菊水」をとった。そうすると彼は、ああ、そうだ、最近僕の友達が熱中症で倒れそうになったっていうからね、ちゃんと水分補給したほうがいいよ、なんか、普通の水よりスポーツドリンクのように塩分をとれるもののほうがいいみたいだね、とCMのようなことをいってきたので、あたしは手にもっているものを彼に見せた。いや、だから、スポーツドリンクがいいんだって、アルコールは逆にだめなんだってよ、とまだ抵抗してきたので、あたしは彼に、まず気持ちを落ち着けて、大きく深呼吸してみて、といいなんのことやら? というような顔をしている彼に、ほら、いいから、大きく息を吐いて、はい吸ってー、はい水分補給終了、だいたいね、日本は湿度が高いんだからね、ほら見てごらん、湿度90パーセントですって! だったら呼吸しときゃいいのよ。そういうと彼は不満そうというかあきれたような顔をして、テレビを見始めた。
また雑誌を読み直す。「早稲田古本劇場」のページに、別の古本屋からもらった、岩波の白秋全集を百円コーナーに入れてみたが、売れないそうである。また、テレビ局から、ドミノをやるから本を貸して欲しい、と言われたそうだ。
ほんの数ページなのだが、ここまで読むのに、だいぶ時間がかかった。というのも、寝っ転がっているとはいえ、頭の中身はフル回転させていて、いろいろ考え事をしながら考えているからである。あぁ、もしあたしがフィクションの世界の住人だったらなぁ、という妄想である。あぁ、なんて狭い世界に住んでるんだろう、夢見る作家志望と、まじめなサラリーマンか、ああ、もっと夢のある世界にいきたいなぁ。あっ、でも山田詠美が芥川賞の選考で、心をやんだ人、物書き志望、出版社勤務、そんなのばかりでうんざり、っていってたからなぁ、小説の世界はぜったいにいや。やっぱりマンガかなぁ、イケメンな王子様があたしに
「つきあってくれ」
なんてね、おっと気持ち悪い笑い方をしてしまった。こんなんじゃ王子様が逃げていっちゃう。あたしは笑顔の練習をしてみた。やっぱり明るいよりはくらーく、陰のある感じがいいかしら。でもなぁ、どうせマンガの世界にいけるのなら『ドラえもん』がいいよなぁ。あたしの人生で足りないのはドラえもんだけなんだもんなぁ。おっと、ついファンタスティックなことを考えてしまった。もっとリアリスティックな生き方をしていかなくちゃ。
4月号の目玉としては作家・放送作家の百田尚樹と思想家の村西とおるの対談で、あたしはどちらも大好きなのだが、最後の《「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! 俺がいる」》という村西先生の言葉には、あぁ、あたし、もうちょうとがんばろう、と泣きそうになったりもしたのだった。
しばらくして、彼は自分の部屋に戻った。おそらくもうすぐ締め切りの新人賞に向けて、小説を書き始めるのだろう。
あたしは雑誌を読み進める。「早稲田古本劇場」という向井透史という人の文章だ。へぇ、学生は、単価は低いけど、結構買ってくれて、逆に先生のほうが買わなくなってるんだ。ふーん。
仰向けの姿勢で、枕はあるけど、というのは、腰や首に負担がかかるので、寝返りをうって、今度は右肩を下に、横に寝る。右肩が痛くなったら、また仰向け、首が痛くなったら、今度は左、左肩が痛くなったらうつぶせ、ともしあたしを観察するための定点カメラがあったら、割と活発に動いていることがわかるだろう。うーん、そういえば最近、政治雑誌や芸能関係の雑誌ならまだしも、文芸誌は買っていないなぁ、ということに気づく。エンタメ系だと『オール読み物』は東海林さだおのとこだけ立ち読みしてるけど、うんうん、あたしは東海林さだおが好きでね、『ガン入院オロオロ日記』とかもおもしろかったし、といってもあたしは、花輪和一の『刑務所の中』とかそういうものが好きなんだけどね、まぁ立ち読みはするけど、買うことはほとんどないなぁ。『小説すばる』の新人賞作品は気になるけど、雑誌には抄訳しかのらないしね。そして、意外と、純文学雑誌のほうを結構買っている。一挙掲載っていうのかしら、それだと、単行本よりは大分安いし、もちろん文庫本のほうがやすいのだけれど、最近は有名作家じゃないと文庫本にならないしね。それどころか、単行本にすらならない短編とかもあって、そういうのを読むために買ってる。まぁ好きな作家がのっている限りだし、ほとんど図書館ですませるけど。
雑誌を読むのも飽きて、今度は文庫本を読み始める。あたしは岩波や講談社○○文庫をのぞくと、河出文庫と新潮文庫が好き。河出文庫はぱらぱらとめくっているといいにおいがしてくるし、新潮文庫はひもがついているのが便利で、またそのおかげで横や下はきれいに整えられているのだけど、上の部分は岩波文庫のように少しでこぼことしているのが、味があって素敵。あと表紙の絵も好きで川端康成の『眠れる美女』なんかは平山郁男先生だしね。ただ、中瀬さんが、新潮社のぶどうマークっていってたときには、えっ、そんなマークあったっけ、なんて思ったりもしたけど。あっ、そうそうマークと言えば、幻冬舎なんかは、タジマテルヒサがデザインしたもので、文庫のマークがマンモスでね、会社のマークがやり投げしてる原始人でね、原始人っていうとまた中瀬さんに戻ってきちゃうんだけど。新潮社って確か『文藝年間』も出してたよね。あとは、うっ、ふふふ、『黒い報告書』もだった。
今度は左向きに寝て、あっそうだ、たまった新聞小説を切らなきゃ、と思い、必死で手を伸ばして、ロータリーカッターをとった。昔は普通のはさみで切ってたんだけど、新聞小説って絵も入ってるおかげで横に長く、普通のはさみだときれいに切りづらいし、それで定規とカッターナイフでやってみると、新聞って薄いから、周りを巻き込んじゃうし、っていうことでロータリーカッターと定規にすることで解決した。あっ、そうだ定規忘れた、と思い、必死で手を伸ばしても届かず、腕がつりそうになるくらい頑張ってみたのだが、結局起きあがってとった。あたしの家系は腕が短くなる呪いがかけられているのだ。
あたしは五日分の林真理子の『愉楽にて』を切り取る。新聞小説の短い文章が積み重なっていく感じが結構好きで、前に林先生が毎日新聞に連載していた『下流の宴』は、毎日新聞を取っておらず、かといって図書館も近くにあるわけではなかったので、単行本になってから買ったのだが、もちろんおもしろくて、でも積み重なっていく感じは味わえなかったのが残念である。『愉楽にて』はもうけっこうたまっていて、小説の裏を見ると、天気予報だったり、仮想通貨だったり、宝くじの抽選結果だったりと、色々なことが思い出せておもしろいのだが、なんか小説家にとっては、原稿料はいいといっても、なかなかつらいものらしく、オール読物の宮本輝と恩田陸との対談では、途中で整合性がとれなくなり、ガタガタになりそうになったら、強制的にカーブをきって、単行本で直せばいい、と言っていたり、また柳美里の『柳美里不幸全記録』(新潮社)では、《だいたい新聞小説などだれが読んでいるのか? この世界に身を置いているわたしだって、ただの一度も読んだことがない》と書いてあったし、そういうものなのかなぁ、と思いながら、切り取った小説をクリアファイルに入れた。
小説以外にも『文化往来』という記事や、阿辻哲朗、じゃなかった阿辻哲次の連載をたまに切る。阿辻先生のは、漢字についての記事で、じょ情性もじょ述性も今は同じ「叙」という字を使っているというおかしさだったり、「芸」は実は「ウン」と読む字で「藝」とは違う字だったりと、読んでいて勉強になるし、おもしろい。
腹減ったなーと思い、時計を見てみると、おお、もう十二時過ぎてるではないか、ご飯食べよう、と思い、起きあがってキッチンに向かい、冷蔵庫から、ゆでずに水にさらすだけで食べられるうどんを取り出す。よく夏の昼の定番で、そうめんや冷やし中華があげられるが、冗談じゃない。なんでこんなあつい時に麺をゆでなければならないのだ、と思うし、「あっお昼冷やし中華でいいよー」などと気軽に言ったのが原因で殺人事件が起こらないのも不思議である。朝ご飯を食べたばかりの彼もよんで、器にうどんを入れる。めんつゆにつけて食べるのもいいなと思ったが、あまり食欲もわかないので、醤油、ねぎ、少し多めのおろしただいこん、すりごま、かぼすの絞り汁を入れる。彼は醤油を多めに入れたが、あたしはかぼすなどの柑橘系の絞り汁を多めに入れたほうがおいしく感じる。
食べ終わって、彼は部屋に戻り、あたしはいすに座った。食べてすぐにねるのはよくないらしい。
新聞をまた眺めて、そうそう、前に「シネマ万華鏡」という記事で『ナチュラルウーマン』の作者がセバスチャンというのがあり、あたしは松浦理英子のファンだったので、切り取った。そういえば柳美里も松浦理英子のファンだったよなぁ、などと考えていると、ドアを開く音が聞こえてきたので、首を横に動かしてその方向を見ると、彼は愚鈍そうな顔で、あーやっと書き終わったー、と報告してきたので、えっ、もう? と返すと、いや、もう? なんて言われるほど早くはないと思うのだけれど、と言ったのでカレンダーを見てみると、もう七月に入っている。どうせ暇でしょ、僕の小説、うまくできてるか見てくれない。うん、わかった。ちょっとまってて。そういうと彼は部屋に入っていった。本当は小説なんかどうでもよく、それよりも、一週間同じパジャマをきているということにびっくりしたので、急いで着替えようと思い、部屋に戻った。まぁ最近までは2、3日くらいなら同じ服をきていたのだが、サラリーマンのほうの彼から、
「そんな何日も同じ服を着ているなんて、女らしくない」
などと、衝撃的なことを言われたので、あたしは目をそむけて、相手から寂しそうな、暗い感じに見える表情をつくり(あたしは暗い系の表情、例えば寂しそう、つらそう、などの表情をつくる天才である)
「どうやらあたしが考える女という存在とあなたの考える女という存在は違うみたい」
と、屁理屈をこねた。
その場はそれで終わったのだが、今度は作家志望の彼からも、
「もっと人間らしくしろ。猿じゃあるまいし」
などと、言われ、ふん悪かったね、あたしはあんたの祖先、うん? 先祖か? まあいいや、なんだからもっと敬えと考えたりもして、そう、あたしは気が弱いのでそういうことは考えるだけで口にはできないのだ。それに、まぁ着替えたほうがいいよなとも思い、考えをあらためることにした。あたしはちゃんと、パジャマから、学生時代に体育の授業できていたジャージに着替え、彼の部屋に向かった。
彼の部屋はあたしとは違い、本棚にちゃんと本が入っていて(あたしの部屋には本棚がない。というのも年末の大掃除のときに、調子に乗って捨てた)、また空気清浄機もある(あたしの部屋には空気清浄機のようなものはなく、代わりに敷きっぱなしの布団がある)。
パソコンの電源をつけた後、彼はいやー、小説を書くのはやっぱり大変でね、すっごく時間かかってね。そりゃあなたの頭じゃね。ワードを開き、じゃあ、早速見てもらえる? うんいいよ。へぇ、〈悩みのない二人〉か。きっと悩みのない二人が主人公なんだろうな、ということを強く思わせるタイトルである。少し画面を見てみと、うわぁ、文章が薔薇刑してる。早速読んでみるか、〈悩みのない二人〉とタイトルを口に出してよんだところで、彼は、ちょっと口にだして読むのはやめてよ、という。いいじゃない、口に出したほうがよくわかるもん、それにあなたがねらっているのは純文学の賞でしょ? まぁ、そうだけど。うん、だとしたらね、もし教科書に乗ったとて、そうすると小学生の子たちがね、先生に「大きな声で読みましょう」なんて言われてね、「。読み」するわけですよ、ほら、今ってまだ生きてる人の、うーん、例えば村上春樹とかよしもとばなな、重松清、そうだあたしは川上弘美のも読んだ覚えがあるわ、まっ、そういうことだからね、今のうちになれておきなさい、まっあなたの頭で書いた小説が教科書に乗るとは思えないけどね。うーん、じゃあしょうがないか、口に出していいよ。うん、わかった。〈悩みのない〉あぁ、だからってその読み方はやめてよぉ。
へぇ、どれどれ、とあたしは大きな声を出して読んでみた。〈一章 現在〉うん? 一章? あなたが出そうとしてるのって短編の賞じゃなかった? いや、そうなんだよね、だからまだ迷ってんだよね、一応構成としては、三人称で兄弟を出して、次に兄の一人称、弟の一人称、そしてまた三人称に戻ろうと。それって短編じゃむずかしいんじゃない。そうなんだよねー、一応100枚におさまったんだけど。どうやら彼は天才かもしれない。もう一回読んでみるか。えーと、〈お笑いライブ会場のすぐ近くにある焼肉店。そこは夜になるといつも客であふれ、酒にあう音とにおいが充満しだす〉へぇ、そうなんだ。じゃあ主人公はお笑い芸人かなんか? そうそう、よくわかったね。〈「いやーたかしさん、ようすけさん、今日のライブ大盛況でしたねー」〉このたかしとようすけの名前ってなんか理由あるの。いや、別に、面倒臭かったから大学時代の友達の名前にした。たかし、ようすけ、あぁ、あのうだつがあがらない。そうそう。〈太鼓持ちの一人が〉うん? これ太鼓持ちに「スタッフ」ってルビふってる。 そうそうおもしろいでしょ、と彼。あたしは読み進める。〈太鼓持ちの一人が語尾を持ち上げていった〉ほら、見てここ、いやこれはねぇ、太鼓持ちが語尾を「持ち上げる」っていう僕の考えた発明なんだよね、おもしろいでしょ、と彼が言うので、びっくりしてあたしはめまいをおこしそうになった。あなたって天才じゃないかしら? とあたし。ありがとう、と彼。その後、頼んだ酒、つまみなどが届いたようで、話を進めていく。〈「いやーしかし今日のライブすごかったですねー。まさかあのボケをあんなつっこみで返すとはー。これはまさにお二人でなければできないことですよねー」と太鼓持ちはぬけぬけと言い放ってみせる。しかし言われた二人も酔っていたので、それを受け入れた。〉なんだかずいぶん偉そうな文章ね。いやこれはね、地の文に僕の感情を混ぜ込んでみたら、こんなおもしろい感じになったんだよ。あなたって最低ね、でもなんかこの文章、どっかで読んだような気が、と言うと、彼は、あぁ、それはね君が貸してくれた、ほら、中村うさぎの『狂人失格』(太田出版)を読んでね、思いついたの、といい、あたしは、あぁあれね、と答えた。中村うさぎはあたしが一番好きな作家で、たぶん、ほとんどの本は読んでいて、買い物もホストも整形もデリヘルも、なんでやったのかの理由があたしには本当によくわかる。なんかドストエフスキーみたいになっちゃってる部分もあるけどね。でも、もしたまたま出会って
「あたし、うさぎさんのファンなんです。なんか、うさぎさんの考えてることと、あたしの考えてることってなんか一緒な感じがするんですよね。うん、あたしにはうさぎさんの気持ちがよくわかります」
なーんて言っちゃって、うさぎさんになんだこの自意識過剰女、私はあんたのことなんか知らないし、勝手に共感してんじゃねえよ、と思われたらやだし、実際もしあたしが中村うさぎならそうするし、だから、一番好きってことはかくしてるんだけど、彼にはよく本を貸してる。よく「あたしは性格が正直で何も隠し事なんかしていませんし、だからこそ、人の悪口をずばずば言わせていただきます」みたいないやらしいことをいう人がいるけれど、ふん、何よ、どうせうんこしたくなったら、トイレいくんでしょ、あげくのはてに音姫なんかつかっちゃったりしてね、ほらうさぎさんを見なさい、ちゃんとどこでも漏らしてるでしょ。
彼はほら、あの本に賞自慢を批判している部分あったじゃん、と言うので、あたしはうん、とうなずく。《女の作家たちやその担当者たちがパーティ帰りに飲んでる席で、その場にはいないある作家の悪口大会が始まった》ってあるでしょ、あれ絶対に群ようこだと思うんだよね。彼はこういうのが趣味である。人間性や言動がやり玉にあがってってあるけど、群先生ってクズじゃん。うん。それで、そのあと何も賞をとってないってあるでしょ。それを聞いてあたしは確かに、と思った。小説の賞っていっぱいあるけど、エッセイの賞ってあんまり聞かないよね。そういえばそうだね、でも、もし中村うさぎがエッセイじゃなくて、小説として出してたらね、『さびしいまる、くるしいまる』で芥川賞とって、ああでも長すぎるかもね、まあ何かしらの新人賞をとって、『私という病』で谷崎賞、まぁ『セックス放浪記』のほうがおもしろいんだけどね、そんで『狂人失格』か『あとは死ぬだけ』で野間賞とか読売賞とか、まあ太田出版じゃそういう賞レースには乗れないけどね。うん、そういえば思い出したんだけど、『柳美里不幸全記録』っていうね、なんか変なタイトルだし、表紙は柳美里のヌード写真なんだけどね、その写真が「疲労」とか「憂鬱」とかが似合うもので、大丈夫なのかなぁって思っちゃうシロモノなんだけど、賞レースについてあれこれが書いてあってね、共感しちゃった。まぁ作家でも評論家でもないあたしが言っても、何の意味もないけどね。
彼は
「そういえば君、柳美里のファンだったね」
といい、続けて
「『柳美里不幸全記録』なんかむさぼるように読んでいたしね」
といった。あたしは、
「うん、まあそうなんだけどね、でもあたし、柳美里の本って、ブックオフの200円以下コーナーでしかかったことないのよ。しかもその本は、もともと松浦理英子の『ナチュラルウーマン』を買おうとしててね、その時にたまたま見つけたものだから、おまけのおまけみたいな感じ」
といった。そうすると彼は
「もし僕が作家になったとして、ファンの人に、私あなたのファンです。あなたの本は全部ブックオフで立ち読みしました。ほんとにおも白かったです。なんて間抜けな顔で言われたとしたら、悪気はないのだろうけど、まぁ腹立つだろうね」
あたしは、
「私の家の近くのブックオフの200円コーナーはあなたの本で充実してるんですよ。とかね。悪気があっていってるんだったらひっぱたいている」
と言うと、彼は
「200円以下コーナーで立ち読みしてます」
よりはましじゃない? と言った。
小説を読むのも少し面倒くさくなってきたので、話をそらして、ねぇねぇ、もしドラえもんの道具がもらえるとしたら、何が欲しい? えぇ、どうしようかなあ、まぁ無難にもしもボックスとかとりよせバッグとかじゃない? ふう、だめだねぇ、なんであなたってそんな現実的なのかしら? もっと夢のある道具をいいなさい。例えば? いやねぇ、まぁほら、ドラえもんの代表的な道具って言えばタケコプターじゃない? うん。でもタケコプターって飛んでる最中は別にいいんだけど、着地した後、じろじろ見られるのがいやなのよね、どこでもドアとかもそうなんだけど。えっ、なんで。だって恥ずかしいじゃない。恥ずかしい? うーん、君のその恥ずかしがる感覚ってのはよくわからないねぇ、もっとも別のところで、もっと恥ずかしがったほうがいいんじゃないの? って思うことはあるんだけど。だからあたしはタイムテレビがいいって思うのよね、タイムマシンだと勝手にどっかいったとか、穴がふさがってるとか不便そうだから、んで、タイムテレビを使って伝記小説なんかおもしろいと思うのよ。いくらでもかけるんじゃない? いやーだったらコンピューターペンシルに書いてもらったほうが。えっあれって小説は書けるのかしら? それに伝記ってあまり好みじゃないんだよね。
このような会話をあたしたちはずっと続けた。そしてドラえもんの「現実的」な道具というむなしさに気づくまでにかなり時間がかかった。
じゃあ、続きからまた読むね、といい、ああ、なんか地の文がかなり偉そうというか、まぁ彼っぽいと言えば彼っぽいのだけど、と思い読んでいると、おっ〈一人の女スタッフはダイエットにはまっているらしく、キムチを食べ始めた〉あーいるのよね、こういうやつ、あたし大嫌い、よーし。うん? なんか字間違ってる? いや、あたしが書き足してあげる。〈一人の女スタッフはダイエットにはまっているらしく、キムチを食べ始めた。こいつはこの後、先ベジばばぁと呼ばれるようになった〉書きながらあたしは大笑いした。ねぇどう、これ。いやー君って天才かもね。あらそう、じゃあ、もうちょっと足そう、うーんと、こいつは夏になると人通りが多いところでも迷惑を顧みずに日傘をさす、どうこれ、あたしが嫌いなやつ。うん、君らしさがほんとによく出てる文章だね。あたしはありがとう、と言った。やっぱりほめてもらえると、うれしいものである。このあと、兄の話に移って、夫婦喧嘩の様子がかかれている。どうやら鉄のコップをレンジでチンしてしまったり、トイレを流すときに、レバーを強くしすぎて、水が流れっぱなしになってしまったり、大変なようである。シャワーの温度調節もできないし、インターホンも壊れているらしい。大変なようである。また兄も兄で、夫婦喧嘩の内容を友達に相談していまい、面倒臭がられているようである。大変なようである。彼は話しかけてきて、ねえねえ、この一文をちょっと読んでみて、といってきたので見てみる。〈やはり母は布団のようだと思う。湿度が高いと太陽のようにあたたかいのに、湿度が低いと、とても冷たくなるのだ〉だって。
あたしは自分に言い聞かせる。いい? 絶対に笑っちゃだめ。いくらおもしろくても。だって彼は真剣に書いたんだもの。真。
女は女にうまれるのではなく、女になる。その通りだ。そして女は誰しもが女優。よし、ついつい大笑いしてしまったことをどうやってうまくごまかそうか。いやーあなたって本当に文章うまいわね、あたしびっくりして、笑っちゃった、ほんとに作家の才能あるんじゃないの。ふー、どうやらうまくいったらしい。彼は喜んでいる。単純な男である。
また読む。どうやら次の日も大変らしい。朝から、洗濯物で喧嘩をしているようだ。母は勝手にしまおうとする父に文句をいい、父はおまえは一生やらないだろとおこっている。そのあと、父は暴れ出したらしい。このあとに離婚届けについて話すようだが、彼は、僕はさ、離婚なんてしたことないでしょ、まぁ結婚もしてないんだから当たり前と言えば当たり前なんだけどさ、だから離婚の描写ってよくわからないんだよねー。それを聞いて、あたしは、あぁそうか、そういえば彼は結婚についてどう思っているんだろう、あたしは彼と結婚してもいいんだけどなー、でも純文学の作家だとお金が心配よね、とはいえ考えてもみればお金持ちのイメージがある職業って作家だと一冊のベストセラーっていうよりも、それこそ赤川次郎や西村京太郎のようにいっぱい書いている人がもうかっているし、政治家や官僚、医者なんかだとストレスで大変よね、一番うらやましいのは土地をもっている人なんだけど、そんな人はあたしの周りにいないし、それに大変なことがいっぱいあったほうが楽しいかもしれないしね、と思いあたしは、ねぇあたしと結婚してみる、と聞いてみると、どうやらあたしのこの長ったらしい考えを読みとれなかったようで、えぇ、離婚を味わうために結婚するのかい? それはいやだなー、と言ってきた。〈悩みのない二人〉あぁだからその読み方はやめてって、やっぱり君って最低な人間だね、と笑いながら彼は言うので、ふははその最低な奴があんたの彼女だざまあみろ、と冗談を言った。その後、あたしは、少しまじめな表情をつくり、でもこういうの書きたかったら、お、じゃなかった萩原葉子の『蕁麻の家』とか、島尾敏雄の『死の棘』とか読んでみるといいんじゃない? うん? その本は離婚についてかかれているのかい? いやそうじゃないんだけどね、蕁麻の家は萩原葉子の子供時代の話で死の棘は精神病の妻の話なんだよ。うわぁ、なんかこわそうだね。いやぜんぜんそんなことはないの、死の棘なんかね、マッチを頼んだら、熱い炭火を手渡ししてきた、とかね、もう本当に笑える小説なのよ、あたしなんかこの本でずっと笑い転げてたの。へぇ、ちょっとおもしろそうだね、今度貸して。うんわかった、手汗でよれよれになってるけどね。
もう一回小説を読む。離婚が決まり、子供をどうするのか、という話になり、あぁこれが伏線になっているのね、と思い、朝になると〈鬱勃とした太陽〉がでてきたようで、ったく、不意打ちは卑怯だからやめてほしい、これには柳美里でなく、あたしですら「憂鬱」になる、そんなふうに考えたので、あたしはねぇねぇ、この鬱勃っていう言葉かっこいいから、太字にしてみたら。太字って舞城先生みたいなの? そうそう。うんいいかもね、このぐらいでいい。いやもっと太くして。えぇこんなもんかい。そうそう、傑作よ傑作。
あれ、でも鬱勃ってどっか聞いたことあるような? あぁ、それは西部邁ゼミナールの柳美里がゲストだった回でやってたんだよ。あぁ西部邁ゼミナールね、あたしは毎週録画して見てる、昔ね大学生だった頃に、社会学の授業で、西部先生の話がでたんだけど、それで、社会学の先生があれ? まだ生きてるよね、なあーんて言ってね、まだ生きてるって心のなかでつっこんでやったのよ、といったあと、西部先生って話がうまくてね、うんと、誰がゲストの回だったかしら? まぁそれは別にいいんだけど、ほらよく結婚式なんかで人生には三つの坂がある、あんな坂、こんな坂、まさかっていうのをきくじゃない? うん。そんな感じで嘘には三つの嘘があるっていったあと、あんな嘘こんな嘘だったか、いい嘘悪い嘘だったかはわすれちゃっただけど、最後の三つ目が統計学だって。彼は笑った、あと、うれしそうに、西部先生に影響を受けた人にもおもしろい先生ってたくさんいるんだよね、民俗学者の大月先生、確か思想家の浅羽先生、漫画家の小林よしのり先生とか、あああとくれともふさ。あたしは頭がこんがらがった。最初の三人は知っているけどくれともふさ? 彼に聞いてみると、ほら『バカにつける薬』の。あたしは衝撃を受けた。ずっとごちえい先生だと思ってたのに。ねぇ、あれって「ごちえい」って読むんじゃないの? そう聞くと彼は困った顔をして、えぇどっちでもいいんじゃないのという、あいまいな答え方をした。謎は深まるばかりである。呉智英先生の本ってね、役にたつんだよね、と彼はいうのだが、あたしはまったく役にたったことがない。というのも、デッドロックのロックは岩じゃなくて鍵なんだよ、とかタックスヘイブンはタックスヘブンじゃないって、ずうっと前から言ってるのにね、と友達に話しても、へぇ、だからなんだバカ女、という顔をされるばかりである。あたしって結構こういうところがあって、塩野先生のローマシリーズで、サラリーマンのサラリーは塩である、と教えたり、ネットの情報で、よくvの発音を、たとえばデヴューとかセルヴァンテスとかみたいにしちゃう人がいるけど、デビューはフランス語だし、イスパニア語ではVを「�ぁ」とかみたいに発音しないんだよ、と本やネットで覚え立ての知識を披露した結果、まぁあたしの周りにいる人ってそういうのばっかなんだけど、嫌がらせをして、フランス語だからなんなの? 英語だとデヴューじゃん、とあたしをなめ腐ったとような顔をしていってきたり、逆に純粋すぎて、ふーん、ところでイスパニアって? と聞かれたときには、こんなに厳しい人ははじめてであった、と思ったりもしたのだった。そういうことがあるので、雑学を集めたり、披露するのは、くだらないことだと思い、もうやめた。そんなことを考えていると、彼は、呉先生っていうとやっぱり「すべからく」だよね、といい、あたしは、ねぇ、ずっと思ってたんだけど、そんなにすべからくの誤用って多いの、と尋ねると彼は変な顔をしたので、あたしはつづけて、だって呉先生の本って頭がいい人向けにかかれてるわけでしょ、東京、京都、早稲田、慶応出身みたいなね、ってことは大学受験ように漢文の知識も学んだと思うのよね、再読文字とかいって、すべからくと読んだ後、べしに続けるって、だから、間違うわけないとおもうんだけど、そう言ったら、彼は納得したようで、そうだね、高校で習うことをまちがうわけないじゃんね、といって、呉先生もそういうつまらないことを気にしすぎて、あんな髪型になっちゃったんじゃないの? と笑いながらいい、あたしは、ほんとそうよねぇ、あたし、先生の頭の中身にはあこがれるんだけど、髪型にはあこがれないわ、と返して、その後、呉先生の髪がふさふさな姿を一緒に想像して笑いあった。そうだ、大学受験といえばね、センター試験で小説がでてくるじゃない、その対策として、石原千秋先生の大学受験の本を買ったのよ、んでね、それが今のあなたにも役に立ちそうだから、あとでかしてあげるわ、というと、石原千秋? きいたことないなぁ、というので、うんとね、学者というよりも文芸評論家なんだけど、テキ、じゃなかった、テクスト論の先生、そういうと、気持ち悪い顔をしながらテキスト論ではなくテクスト論ってのはセルヴァンテスとかデヴューみたいなことかいといったきたので、あたしは失敗を活かし、「イスパニアはスペインだ」などの補足情報も加えながら、話、そうねどちらかというとダイドードリンコみたいな感じね、と言った。あたしはね、この本を受験期前後症候群の頃にね、読んでね、うん? 受験期前後といってもつらいのは受験前なんだから、受験前症候群でいいのか、そういうと彼は、ちょっとちょっと、何があったかは知らないけど、受験ノイローゼのことかい? といったので、あたしはあっそうだそれそれ、と思い、まぁとにかく受験の役に立った、と言うと、彼は意地悪そうな顔をして(表情が豊かである)、それでフロイト的にいって、受験はどうなったんだい? というので、そうね、フロイト的にいうと、第一志望に落ちちゃったというと、彼はうれしそうにしだした。こういう男である。でもしょうがない、あたしは三流の大学で、彼は超一流の私立大学だもの。あたしの高校ではセンター国語の小説で40点とったという事実は、かなりすごいことなのだが、彼らの世界では普通のことである。なんでこんな話になったんだっけ? あっそうか、西部先生のせいか。僕ね、小説の紹介文とかで西部劇って言葉でてくると、必ずにしべげきって読んじゃうんだよね。あらまぁ、あたしも、西部邁ゼミナールっておもしろいのよね、あたしなんか毎週録画予約してるもの、といったあと、彼はまたまた衝撃的なことを口にした。あぁ僕なんか毎朝、早起きしてみてるよ。それは、あたしにはかんがえられないことだった、その番組は土曜の朝、七時だか七時半だか、八時だか、まぁ詳しいことはしらないのだが、そんな時間にテレビを見る人がいるなんて、都市伝説だとおもっていたのに。あたしは、彼のことを信用していいのだろうか? 疑いの目を向けながら、また読み進める。その後いろいろあったようだが、もう飽きたし、口がつかれたのでやめるといった。えぇ、僕は口に出してよんでとはいってないんだから、口がつかれたっていうのはちょっと。うるさい、あたしはそういう女だ。そうして強引にやめた。窓から外を見てみると、梅雨の時季特有のオレンジと紫の対比がきれいな空だった。
ちょっと早いんだけど、風呂に入りたいとおもったので、まず湯船や床をシャワーでごみ、といってもほとんど陰毛なんだけど、洗い流した。まぁ風呂場に陰毛が落ちてるってのはよくわかるんだけどね、陰毛って思いがけないところに落ちてることがあるんだよね。意志でももってるんだろうか。「お風呂がわきました」という丁寧なアナウンスが流れるまでに、パジャマを用意したり、風呂上がりのハーブティーの準備をしたり、部屋から「アロマのやさしさ」というシャンプー、アレッポ石鹸エクストラ、こんにゃくスポンジ、ブラシ、ジップロックにいれた時計を持ってきて、風呂場においたり(これは野郎どもが間違って使わないように。彼らには粗悪品で十分である)、ごろごろしたりと、忙しく動き回っているとアナウンスがなった。実家も今住んでいるところも、同じ音が流れるのだが、これは全国共通なのだろうか。冬は風呂を沸かすためのガスをつけっぱなしにするのだが、夏はすぐ消す。普段は、アナウンスが鳴り終わってから消すのだが、心があれていた時期は、音が鳴り始めてすぐに消したり、「お」といいかけた瞬間に消したりした。そうやって憂さ晴らしをしていたせいか、夢でお風呂がわいたときの音楽の後、「お風呂がわきました」ではなく「死ね」といってきたので情緒不安定なとてもおそろしいできごとだった。
風呂に入る。髪をブラッシングして汚れを落とし、シャワーで軽く体を流して、とくにケ、お尻の穴を重点的にね、というのもトイレでうんこしたあと、しっかり尻をふいたつもりでも、着替えるときにパンツを確認してみると、しみになっていることもよくあって、もちろんそれはまるでデンタルフロスのようなTバックではなく、ぶかぶかなパンツでもそう、そうだ最近は風呂に入ってリラックスしているとき、茶色い何かが泳いでいて、おや、石鹸のかけらでもはいったのかな、というのも、オリーブオイル石鹸は熟成期間にもよるのだが、表面は茶色でなかにいくほど緑色になるのだが、その茶色いものを手ですくってみると、なんのことはない、あたしのかけらだった。あたしは肛門関係には色々と問題があって、たまに尻を開いて、洗おうとしたらあまりにも痛くて開けなかったことがある。哲学者のコジコジが「なぜ尻は二つに割れているのか」という問題に対し、一つだといきなり穴で危険だし、三つだと無意味だから、という答えを残していて、いきなり穴だと危険? どういうことだと、疑問に思っていたのだが、ああこういうことか、と納得した。洗い終えて、風呂に入ろうとすると、そういえば、ラベンダーオイルを垂らすのを忘れていたと思い、風呂からでて、体を軽くふき、服を着るのがめんどうだったので、彼に見られませんようにと、そのときだけキリスト教徒のように神様に強く願って(かなり都合のいい神様である)、すると運良く見つからずに風呂に戻ることができ、あぁよかったな、と思いながら、キリスト教徒をやめた。あたしはいつも刺激が多いというか、ストレスの多い生活をしているので、リラックスのためにフランス産の有機栽培のラベンダーのエッセンシャルオイルを風呂にたらしているのだ。はなくそをほじり、あぁやっとリラックスできると思ったら、どうやら虫が飛んでいるようである。昔のあたしだったら「ふはは、馬鹿め」などとつぶやきながらシャワーを浴びせてやるところだが、なにしろ当時のあたしは大馬鹿だったため、虫に水をかけても意味がないということに全く気づいていなかった。蝶々がりんぷんで水をはじくように、アメンボが足の先から油を分泌して水に浮くように、おそらく小さな蠅もりんぷんではなさそうだから、羽の構造か、油かなんかを分泌しているかの影響で、シャワーじゃ死なないのだろう。しかし、あたしはそのような反省を活かすことができる人間である。水ではなく、シャンプーを、もちろん男どもの粗悪品だが、それを垂らすのだ。そうするとシャンプーの流れとともに虫も落ちていく。はかないものである。
ゆやーん
ゆよーん
陰毛を海草のように動かして遊んでいたら、屁がしたくなったので、お尻を外に出して、一発こいた。立派なものだったなぁと感心していると、湯に浸かってから10分たったので、シャンプーで頭を洗ったり(もちろん泡パックも忘れずに)いろいろしたりして、お風呂からでた。どうやらすでにサラリーマンの彼のほうも帰っていて、たぶんシャワーの音でドアの開く音が聞こえなかったのだろう。夜ご飯をつくってくれていた。普段は見下しているのだが、こういうときはありがたいことである。十一時になったので、布団に入り、自律訓練法をやったあと、モーツァルトのクラシックの音楽をかけた。なぜか、よくわからないのだが、なかなか寝付けないことがよくあって、そのためにリラックス効果を期待して、かけている。ただ、古いCDということもあって、傷もあるので、たまに同じ場所で引っかかって、ジャンジャカジャンジャカとそれ以上進まないということがあり、夜中ともなると、よく部屋のきしむ音がするということもあって、呪いなどオカルトのことも考えてしまい、あぁもしここで目を開いたら、幽霊がいて「やぁ」とか話してくるんだろうなと思い、目を強く閉じた。
いつものようにごろごろとして、本を読みながら、考え事をしていると、彼が本屋のビニール袋を手に掲げて、話しかけてきたので、彼は買い物が早いなー、あたしならいっぱい立ち読みしてくるのに、と考えていると、それはどうやらあたしの勘違いらしく、すでに夕方になっており、時間がたつ早さや、あたしは今まで何をしていたんだろうということを考え、例えばサラリーマンの彼なら、まぁ当たり前といえばそうなのだが、ちゃんとまじめに会社で働き、文句も言わずに家事もこなし、休日はつりだのゴルフだの活発に動いていて、作家志望の彼なら、色々な映画や小説、マンガを読んで、それを活かし夢に向かって小説を書いていたりしてるというのに、あたしといえば、ごろごろして、食事やサプリで接種した栄養、あっ、ちなみに、今日はおやつとしておこわに蒸した大豆をまぜたものに、少しおおめの昆布の佃煮と梅干しを一粒のせたものをたべたんだ、で、それらはトイレにいくことと、排泄物としてだすというだけに使うという、それはほんとに無駄なことをしているなと自分でも思うのだが、まぁようするに人を感心させるようなことは何もしていないということをいいたいのである。このようにすると長いのだが、彼はそれを「暇でしょ」の一言で片づけてしまい、あたしの人生って何なんだろうというむなしさまで感じる始末である。まぁそれはいい。あたしはうん暇、といって彼と一緒に〈悩みのない二人〉の選評を読み始めた。なんだかんだ言って、あたしはこの二人に嫉妬しているのかもしれない。一緒に選評のページを開いてみた。彼が、ほら、やっぱり、あの鬱勃を調子にのって太字にしたのが不味かったんだ、もう君のせいだよ、という。人のせいにするんじゃない、まぁ実はあたしのせいなんだけど。ところでさ、選評よんで思ったんだけど、あなたが書いた小説ってこんな内容だったの? ときくと、彼はうなづいた。ぜんぜん知らなかった。

彼はまぁ、新人賞には落ちたのだが、といっても、今はたくさん、そういう新人賞があるので、あまり悲観してないようだし、それはそれでよかったのだ。あたしは、部屋においてある、ほこりのかぶった本を持って、ほこりを払おうと、彼の部屋に行き、そうすると、彼はちょっと、そんな汚い本持ち込まないでよ、と悲痛の叫びをあげたが、あたしの部屋にはあいにく、布団があるので、その布団にほこりがかかるのがいやなのだ、と丸め込み、彼の部屋でほこりを払った。彼はちょっと怒っているようで、ぶつぶつと文句をいいだし、しょうがない、なだめてやらなくてはと思い話をする。前にね、大沢在昌の『売れる作家の全技術』って本で読んだんだけど、大沢先生って、前は「永久初版作家」って言われていたそうでね、『新宿小判鮫』が賞をとって売れる前までは、重版がかかったことないそうなのよ。そういうと彼はそうかぁ、やっぱり大変なんだねという。うんうん。そんな状態だからね、せっかく新しい本をだしても、有名作家の本の土台として使われていたそうなの。かれは悲しそうな顔をした。よしよし。あたしの部屋はね、本棚がないから、どんどん積んで言っているんだけど、やっぱり順番があるわけよ。さくらももこの『神のちから』とか『永沢君』の上に、西原理恵子の『ゆんぼくん』とかできるかなシリーズを置いてね。うん? それはさくらももこの本が、西原理恵子の本の土台になっているっていうわけ? うんうん、違うの、さくらももこのほこりよけ。そういってあたしは、手に持っている『ちくろ幼稚園〈さいご〉』という雑誌を見せた。彼は笑って、何の話がしたいんだい? などと笑う。まぁ色々あったが、彼の小説を読ませてもらうことになった。いやーまだ途中なんだけどね、おまわりさんと高校生ぐらいの女性の恋愛小説でね。へぇどれどれ。ふーん。夜、ラーメン屋で飲み会をしてるんだ。そうそう、それでね、ほら、読んでみてこの文章。なになに〈あ、ちょっと失礼、といって、にんにくをとりながら、さりげなく後輩のふとももを触る〉と、ええと、まぁいいたいことはわかるんだけど、どういうこと? つまりね、この主人公は、同性愛者でね。いや、そこじゃないんだけどまぁいいか。彼は続けて、今はやってるからね、こういうの。えぇそう? ちょっと古いんじゃないの? と思ったがいわないでおいた。そして、飲み会の後に、二人が一緒に歩いている。どうやら海の近くを通っているようだ。後輩がなにやら人影をみつけたよう。後輩に教えられ、主人公も見てみる。目を細めてみてみると、どうやら高校生らしい。彼は、いやね、ここの描写には力を入れてね、ちゃんと夜だから、はっきりとわかったわけじゃないよー、ちゃんとみなきゃわからないよーっていう風にしているわけ。
「ほんとにすごいわね。感心しちゃう」
そういうと、彼は照れだした。あたしなんかね、ほら、小学生のときに夏休みの宿題として、日記なんかがあるじゃない、まぁ面倒だから、まとめてやるわけでしょ。かといって最終日に全部っていうと大変だから、2週間ぶんくらいかな。数少ない思い出を無理矢理思い出して、というよりもない思い出を作り出していたんだけどね、あまりにも集中しすぎて今日が8月3日なのに、ずっと先の8月9日くらいまで書いちゃってたりするのよ。ほんとドジよね。そういいながらあたしは笑った。彼を見てみると、困ったような顔をしてどういう意味、と尋ねてきた。うまく伝わらなかったようなので、まぁつまり、あなたはしっかりしてる、っていうことがいいたいの、と。へぇ。そのあと、間が少しあいて、その後輩と高校生が死んだ後の話になっている。どうもこのシーンを一番の目玉にしたいらしい。頑張ってね、まぁ所詮他人ごとなんだけど。うんありがとう。
というわけで、その部分を飛ばして、読もうとすると、彼はいきなり、ねぇ、今から怖い話をしていいか、と聞いてくるので、どういうことだろうと、少し奇妙に思ったものだが、とりあえずきくことにした。いやこれはね、僕が体験した話なんだけどね、ほら僕、作家とか有名人の墓に行くのが趣味でしょ。うん、知ってる、いやらしい趣味ね。それでね、多摩霊園にね、ほら三島由紀夫とか徳富蘇峰とか。徳富蘇峰って『近世日本国民史』の? そうそう。それで、墓の見学はすぐ終わったんだけどね、道に迷っちゃって、だんだんおなかが痛くなってきたの。それを聞いて、あたしは、おぉもうすぐくるぞ、と思い、笑う準備をした。それでね、何か赤い光と地面に何かを引きずる音が聞こえるの。うん。もうね、怖かったから、ぜったい見ちゃいけないと、思ったんだけど、その光と音がどんどん近づいてくるわけ。もうね、恐ろしいでしょ。うん、なんておぞましい。それで今度は白い何かが見えてきてね、黒い服を着た人が降りてきて、職務質問してきたんだ。いやね、大学名伝えて、学生証と保険証だしたの。なにしに来たの? って質問されたから、いやーちょっと三島由紀夫の墓参りに、って少し照れながらいったら、おまわりさんがおーって少し驚いてね。それで、なんで職務質問しにきたの、って聞いてみたら、「家出」対策だって。あはは、おかしいよね、こんなところに家出するやつなんているわけないじゃんって。一応、全部聞いて、しっかりと確認してから、「それはあたしの話だ」とつっこんだ。そうすると彼は、そうそう、そうなんだ、んで、そのこともこの小説に書かせてもらったんだよ、などと言う。経験した当初はおもしろくてこの話をみんなにしていたのだが、それがまさか文芸誌にのるかもしれないなんてね。4000人くらいがあたしのドジ話を聞くのか、とおもうと暗澹たる気持ちになってきた。暗い気持ちを引きずりながら、例の部分を読んだ。うわ、まんまだ。どうやら警察と死んだ高校生の妹との出会いを書いていて、警察が「こら君、大人に向かってそんな態度をとるとは、非常識じゃないか」っていうと彼女は「こんなところに家出しにくるほうが非常識でしょ」と言い返している。生意気な女である。しかし、よくこれで彼は笑えるものだ。気分を害されたし、もういいと言って部屋から出ようとすると、彼はえっ、もういいの、これからおもしろくなるのに、などと述べる。そんなにあたしを馬鹿にしたいのか。でもあたしは、女。そう強く思って、お得意の愛想笑い(あたしは愛想笑いの天才である)を浮かべながらうんうん、いいの、ちょっと急いでいるから、と言った。何に急いでいるんだか。

あぁほんとに忙しい。頼りにしていたサラリーマンくんはいまどきめずらしく、出張でいないのだ。とりあえず玄関とリビングルームをきれいにしなくちゃ。まずサラ男くんの革靴の何足かと、作家志望くんのスリッポンやコンバースオールスターのハイカットをきれいに並べ、玄関で荷物を受け取るときにだけはく、これは確かセリアで買ったものだと思ったが、ビーチサンダルと、履きつぶしたスニーカーなどはしまっておく。うーん、傘はどうしようか。といっても、あたしがコンビニで買ったビニール傘ばっかなんだけどね、まぁあたしのお気に入りの、ホワイトローズのビニール傘、というのもね、あたしは傘の素材はビニールしか信頼してないのよね、どんなにいいかさでも、やっぱり使い続けていると雨がしみこむんじゃないの、その点ビニールはいいわね、あぁ、できれば折りたたみのビニールがあればいいのにな、っていうことであたしのと作家志望くんのどこでかったのか、得体の知れない傘を残しておいて、あっちなみにサラ男くんは折りたたみ派だから、持ってないのよ、うーんと、この傘も靴と同じ場所に入れておくか。床に掃除機をかけて、ウェットシートで拭いて、そうだ、サラ男くんがいないから、どんどん洗濯物が積み重なって、それが見えちゃうのよね、洗濯機にぶっ込んでおこう、ここまでするなら、もう洗濯しちゃえばいいのに、って思うのだけど、あぁ、どうしてもあと一歩、といっても手なんだけどね、動かないのよ、よーしどうせリビングだけだろうし、あたしたち、というかあたしの部屋はどうでもいいね、と思って、リビングを掃除し始めた。うーん、どうしてほこりってたまるんだろう。あー、やっと掃除終わった。うーん、そうだな、テーブルの上に本を置いておくか。前に、『ユリイカ』の西原理恵子特集の、大月先生との対談で思い出したんだけど、『BSマンガ夜話』で大月先生が、うんと、なんだったっけなぁ、今年の一冊? だったようなきもするけど、なーんか三冊ぐらいあげていたような、かといって引っ張り出すのもめんどくさいし、まぁ大月先生が西原の『怒濤の虫』っていうエッセイ(これは『文藝』の西原特集で読んだのだけど、さくらももこの『もものかんづめ』の影響で、漫画家のかくエッセイってのがはやっていたらしい)をあげたんだけど、西原が評論家はそういうことをする。まず一つ目にこんなのも読んでいるんですよーという感じでこういうのをあげて、残りは難しいものをあげると。でもあたしはインテリではないので、これの逆のあたしはこんなに難しいのも読んでいるんですよーというのをアピールしなくちゃね。
あたしは部屋に戻り、まずマスクをつけて、本を探し始めた。さて、何がいいかな? うん、まず一冊目は富岡多恵子の『波うつ土地』にしよう。はじめてこれを読んだとき、この主人公はあたしたちなんじゃないか、と思うほど、人間性がよく書かれていて、何度も読み返したなぁ。うんと、次は、おー、金井美恵子の『文章教室』か。そうだ、これだ、あのにっくき、ネット通販で買ったら神保町の100円コーナーにあったやつ。ただこれ、あたしが持っているのは福武文庫のやつなんだけど、なんか背表紙の「文章教室」っていう文字が少し右にずれているし、においをかいでみると、なんだかバニラの香りがするのよね。本が腐り始めているのだろうか。あと、『カストロの尻』も一応持っているんだけど、もし相手がスタンダールの『カストロの尼』という元ネタを知らなくて、スカトロの尻だなんて、間違われて、「なんだこの淫乱女」なんて思われたら迷惑だしね。やめておこう。そうだ、それよりも、蓮見重彦が偏愛する本フェア、だったっけ? それに選ばれてたやつにしておこう。えーと、確か選ばれたやつで、持っているのは、あぁそうだそうだ、彼に買ってもらった、というよりおしつけられたんだけど、たぶんほとんど持ってる。
藤枝静男が確か2冊くらい? と、
多和田葉子『犬婿入り』
松浦理英子『犬身』
阿部和重『シンセミア』と『ABC戦争』
中原昌也『ニートピア2010』
村上龍『コインロッカーベイビーズ』
このあたりだったかな? うわ、ほとんど読んでない。確か、もらったとき、なんだこの重さは、と思ってみてみると、分厚くて読むきがしなくなったんだよな。でも松浦理英子は『ナチュラルウーマン』なら読んでるし、多和田葉子は読んでないんだけど、阿部和重は『グランドフィナーレ』を読んだ後、友達に、ねぇねえ、この本読んでみて、主人公がね、あなたそっくりなのよ、って言って、渡した覚えがある。人に渡した本と言えば、あたしが高校生だったころ、同じように自律神経失調症に悩んでいるこがいて、大学受験とかつらそうだったから、応援の意味で、この本はいまのあなたにぴったりよ、といって林真理子の『下流の宴』をわたしたのだが、その当時はもちろん何もかんがえてはいなかったが、渡されたほうとしては、あなたにぴったり、と言われて渡された本のタイトルが『下流の宴』というのはどのように思っただろう。今更ながら。『ABC戦争』は解説だけ読んだ。村上龍は読んでない。中原昌也だけは結構読んでいて、おもしろかった。って、片づけ最中に本を読んじゃだめ、とまらなくなるから。ふぅ危ない危ない、と思いつつ、とりあえず松浦理英子と中原昌也と阿部和重の本を持って、村上龍と多和田葉子に関しては、なんだか全くよんだことないのに、利用するのは悪いよねってことで部屋に置いておいて、よし、ちゃんとみんなに見えるように、ちゃんと積み重ねておかなきゃね。よーし、あとは久しぶりに化粧でもするか。昨日、たっぷり、すっぴん風メイクの練習をしたんだからね、成果を見せてやろう。よし、うまくいった。あたしはしばらく、鏡をみつめて、ほほえんでいた。おっと危ない、着替えなきゃ。
約束の時間から5分ほどおくれた頃であろうか
インターホンがなり彼がでた。おじゃましまーす。おっやっときたね。ねぇねぇ、どういうこと? あれっ? いってなかったっけ? 今日友達よんだって。えっうそぜんぜん聞いてなかった。どうしよう、部屋片づけてないし、こんな格好だし。あたしがそういうと、彼のともだちは、いやいやそんなことないですよ、部屋、とてもきれいじゃないですか、という。もう今度からはちゃんとあたしにいってよね。ごめん。
ともだちをリビングルームにまねき、あぁ、もうほんとごめんなさいね、本片づけなきゃね、といいながら、全員に、といっても愚にもつかないやつばっかだけど、本の作者名とタイトルがみんなに見えるようにもって、部屋に入れた。ごめんなさいね、何にもないんだけど、こんなのでいいかしら、といい、冷蔵庫から、クラッカー、生クリーム、いちごなどのフルーツ、そしてクリームチーズ(もちろんブリアサヴァラン)、のりをだした。あたしはずっとリッツパーティーというものをやってみたかった。ただリッツが手には入らなかったので、普通のクラッカーなのだが。はーい、どうぞー、と笑いながら、並べる。みんなはおいしそうだ、とよろこぶ。好きなもののせて、食べてね。あたしがそういうと、友達の一人の、えーと服装が、ボーダーの、なんだっけこれ、カッターシャツ? に黒のスラックスをあわせていて、うーん顔はなんていうんだろうな、あぁ、もうめんどくさいな、顔面偏差値55くらいの男が、へぇクラッカーにのりとチーズは知っていますけど、果物と生クリームははじめてみました。そうですよね、と偏差値54の男と52の男も相づちをうつ。いやー、実はしょっぱいクラッカーと甘いものって意外とあうんですよね、というのも甘いビスケットに甘いものを足すと、とても退屈な味になるんですよ、あはは。よかった、みんなはたぶん感心している。そうなんですか、こんどやってみます、と偏差値25の女がいった。うるせぇ、だまれ、あはは。お茶とコーヒーどちらがいいですか?
この4人は彼と同じ大学の同級生で、みんな評論家志望だそうだ。まぁあたしも彼らのことはよく知っているが、友達というわけではないんだよなぁ、かといって知り合いでもないんだけど。55の男に向かってあたしは、そういえば、あなたのツイッターをみましてね、評論家のA先生のツイートをリツイートしてましたでしょ、昨日はB先生でしょ、あんな難しい内容をリツイートしているなんて、やっぱり超一流の私立大学出身は違いますよね。そういうと55はほほえんだ。友達でも知り合いでもないんだけど、たまーに彼らのツイッターをみてみると、もちろん自分が本や雑誌で学んだ知識を披露するのは当たり前だが、それだけでなく、偉い先生のつぶやきをリツイートすることが、彼らのステータスになっているようである。でも最近はそれだけではない。54がみんなに向かって、そういえば最近おもしろい人をみつけましてね、ほら小説家の○○って方がいらしたでしょ、そのかたの手紙とか日記とかを集めている、あぁプロじゃないんですよ、なんでも趣味で集めているそうで、えぇそのかたのツイッターをフォローいたしましてね、ときどき会話なんかも楽しんだりしているんですよ、個人的に楽しむだけで、伝記とかを書くわけではないそうですね。そうそう、こういうのが流行っている。54の話を聞いたあと25ががさつな声でなにかしゃべりだそうとしたので、あたしは聞かないように努力した。前こいつに
「好きな作家は誰ですか?」
と聞いてみたら、うぬぼれながら
「うーんと、そうですねえ、まぁ最近は小説なんてよまないんですけどぉ、強いて言うなら金井美恵子と古井由吉ですかねぇ」
といってきたので、こいつは、あたしのなかで「面倒くさい女」ということになり、あまり関わらないようにしている。25のくだらない話が終わり、あたしは、食べ物の話をしだす。あたしってねぇ、どうも発酵したチーズが苦手でしてね、そうそうブルーチーズとか、だからクリームチーズとかが好きなんですのよ、あっそうそう、最近はカッテージチーズは簡単ですからね、手作りしていますのよ。そういうとみんなあたしのことをほめ出す。
なんか音がないと寂しいですね、と55。あぁそうだ、今日はぜひみなさんにと思いまして、クラシックのCDを持ってきたんですよ、とうーんと偏差値なんだったっけ? 自分でも忘れた。へぇ、ぜひ聞きたいです、とあたしはいい、CDプレイヤーにかけた。あら、これはモーツァルトですね。へぇ、よくわかりますね。彼はこれは誰の演奏なんです? と聞くと、いやこれはね、プロじゃなくて、アマチュアのかたが演奏したものを収録してあるんですよ。ほう、とあたしも含めて一同が感心している(たぶん)。一同の一人がクラシックしか聞かないんですか? と聞くと、いえ、そんなことはないんですよ、まぁもちろんほとんどはクラシックなんですが、それ以外にも、チャランポランタンとかキノコホテルとか、ストロベリーソングオーケストラ、あぁほかにもアーバンギャルドや黒色すみれなんかも聞きますね。へぇ、とみんなは知らないようだが、あたしは全員しっているのだ。結構支離滅裂な組み合わせである。いやー、あなたは音楽に詳しいんですね、とあたしがいうと、やっぱりよろこんだ。はじめのころは、みんなクラッカーに生クリームを塗って、フルーツをのせて、とやっていたが、だんだんめんどくさくなってきたのだろう、フルーツに生クリームだけつけて、たべたりしている。あたしものりでチーズをまいて食べた。クラッカー、どれくらいあまるだろう。
こんどは25女が、マンガの話をしだす。あたしって、マンガに詳しいわけではないんですがね、最近丸尾末広ってかたの『少女椿』ってのを読んだんです、はじめはびっくりしたんですよょ、でもあの絵は素敵ですよねぇ、ああいうのを耽美主義って言うんですかねぇ。それを聞いたあたしは、あーわかりますよぉ、でも丸尾末広をよむだなんてけっこう「通」なんですね。そういうと彼女はうぬぼれたような表情をした。ほかに好きな漫画家っていらっしゃいます? いや、あまり読まないんでね、わからないんですよ、逆に、おもしろいマンガ、教えてくださる? あたしは少し考えて、そうですねぇ吾妻ひでおとか、つげ義春とかいいんじゃないですか? あたしがそういうと、一同の一人が、あぁつげ義春は僕も大好きです。えーとなんでしたっけねぇ、あーそうだそうだ、『おばけ煙突』、あれはおもしろかったですねぇ。それを聞いて、彼は、そうそう、あとやっぱり『ねじ式』もはずせないですよねぇ。おぉ、わかりますか。これらの作品は、別に巧みなストーリー構成を楽しめる、っていうわけじゃないんですけどね、あぁそうですよね、最初は僕もよくわかりませんでした、うんだけど、何か絵のパワーという、へへ、抽象的すぎますよねごめんなさい、でもそういう何かがかんじられるんですよ。いやー、言いたいことがすごくわかります。あたしは生クリームをなめて、『スペクテイター』という雑誌につげ義春の特集がありましてね、読んでみます? おぉ、それはそれは、ぜひ貸してください。
そして今度は小説の話になる。ほんとはもうどうでもよかったのだが、もしこの場所から離れると、あたしの悪口になるだろうという考えから、なかなか離れられない。ほんとは、彼らのああいう、インテリ特有のシニカルな態度が大嫌いなんだけど。へぇ、そんな難しそうな小説読んでるんですか、すごいですねぇ、うう、なんだか自分で言ってても、嫌みったらしく感じてしまう。
やっぱり作家志望の彼にとっても、評論家志望の彼らにとっても、小説の話が一番盛り上がるらしい。でも評論家って、なるのが大変そうですよね、やっぱり『群像』に送るんですか? あらまぁ、そうなんですの。
25が、そうだ、最近、文芸評論家のスガ先生と渡部先生が書かれた本を読みましてね、えぇ、みなさんはもうとっくに読まれてるでしょ。彼はもちろんそうですね。いやぁ最初読んだときはびっくりしましたね。少し間をおいて、みなさんにとってはくだらない話かもしれませんが、とくに、佐伯一麦の描写について、このようにすると走っているようには感じられないとかね、確かにそうだなぁとかんじましたね。一同がうなずいた。そのあとに彼は、あとこれはネットでみたのですが、斎藤緑雨が二葉亭四迷に、こんなに描写してたら、たばこの火は消えてる、っていうのを読んで、おもしろいなぁと思いましたね。それを聞いて、あたしは、それはあれですね、古今亭志ん生の「言い訳をしているうちにそばがのび」っていうことですね。あら? あなたもしかして、落語がお好きでいらっしゃるの? いえいえ、そんなことはないんですよ、あたしなんか付け焼き刃程度で、顔面偏差値25さんのほうが落語はお詳しいじゃないの。まぁそんな謙遜なさらなくても、ただあたしは 子供のころから落語を聞かされてたってだけなんですの、演芸場も近かったものでね。あたしは素直に、うらやましいなぁ、と思った。彼らは、歌舞伎や落語を子供のころからみたり聞いたりしているようで、とてもかなわない気がする。あたしもがんばろうと思って、講談社学術文庫に『きのふはけふの物語』の全訳があったから、読んでみたんだけど、まぁ最初は本文も、全部読んでたんだけど、それだと、一生終わらなさそうだったので、現代誤訳にして、それでもまだ読み切ってない。しかも、唯一覚えている話が《「お児さまの実家が貧乏なので、表立った席のときは、何から何までが借り物となる。借りられぬものは、ちんぽだけだ。ああ気の毒に」と三位がいうと、児がそれを聞かれて、「ほんとうにくやしいです。でもそのちんぽも、わたしのものではないようです」「なぜそういうのだ」「人が見ると、馬の物だ馬の物だとばかりいうので」といった。》だけ。ほんとうに。しかも、はじめてよんだとき、大笑いした。なんだか親に申し訳ない感じがする。あたしは生クリームをなめた。
彼は、そうだ、ほかにも、鷺沢萠の『川べりの道』の最初の情景描写についていろいろいったりしててね。あたしは、あぁそういえば丸谷才一先生が芥川賞の選評でありきたりの小説作法に習熟しすぎたって書いてらしてね。おぉ、そういうことでしょうね、お二人は意見がぴったりですね、結構気が合うんじゃないでしょうか。一同が笑った。
でも渡部先生ってテクスト論で有名だって、ウィキペディアに書いてありましたけど、ほんとなんですの? 確か『「電通」文学にまみれて』でしたと思いますけど、そうそう、文芸誌にのっている作品をすべてまるとかさんかくで評価している、その本は金井美恵子先生との対談で締めくくられているのですが、金井先生が何であたしの小説の評価で、前衛性の項目にまるがついていないんだってプンプンおこりながらいったら、渡部先生、金井美恵子ならそれくらいやるかと思って、っておっしゃっていたんですね。そういうと、55が、そうなんですか、あぁもしかしたら、もうやめたのかもしれないですね。だってほら、今は誰も、テクスト論なんて言わないじゃないですか。一同納得。
そのあとみんなだまってお茶を飲んだり、お菓子を食べたりしはじめる。少し気まずく感じたので、今までの話とはあまり関係ないのですが、古屋健三先生の『仮の宿』はもうご覧になりましたよね? それにランボオの詩について、堀口大學訳だと、こんな風に感じるし、小林秀雄訳だとこうだし、それに比べて永井荷風ならこうって、役者によって未来形にするか過去形にするか、結構違うのですよね。作家や評論家になるとこのような一つ一つの言葉を大事にしていかないとだめなんだろうなぁ、とあたしは思いますね。一同感心。
25が、渡部先生といえば「不敬文学」といい一同もいろいろ話だしたのだが、あたしは全く知らないのでだまっておいた。あら、お茶がなくなってますね、入れます? あぁコーヒーがいいですか、はいどうぞ。あたしはクラッカーを食べた。ちょっと買いすぎたなぁ。しかし、黙っていられないことに気づく。うーん、うまく話さなきゃ。まぁ聞いていればなんとなーく、それは本当になんとなーくなのだが、わかってきたので、北条民雄の話をする。そうそう、北条民雄の日記、ありますでしょ? あれで、天皇批判をしているという、有名な部分があるのですが、えぇそうそう、川端康成が削った方がいいんじゃないか、といったところ、それの直筆のものをみてみると、ほかのページは黒ではっきり読めるように(汚いけれど)書いてあるのに、その天皇批判のところになると、ところになると、あぁまただ、うーんと色鉛筆でうすーく書いてあることは覚えているのだけど、赤だったか青だったか、なんで正反対の色で迷っているんだ、あたし。しょうがないうまくごまかすか、その部分は色鉛筆で薄く、読みづらいものになっているんですよね。話したあと、みんなの顔を確認してみる。よかった。みんな感心してるね。ということは変なことを言ってなかったというわけだ。調子にのって、あたしはよく作家の直筆原稿を集めるのが趣味って人、いますでしょ、ほんとは見たことないけど、日記や手紙ならともかく原稿ってねぇ。そういうと一同の一人がちょっとあざ笑うような感じで、あまり大きな声じゃいえないんですけど、作家って字が汚い人が多いですよね。一同笑う。あたしは、ほんとそうですよね、あたし横溝正史の『獄門島』の直筆原稿を見たことがあるんですが、原稿用紙のマス目におさまってないんですよね。あたしは笑った。彼が、金井美恵子も、よく小説やエッセイの文章が強烈と言われてますけど、もちろん顔も、一番は字ですよね。男が中上健二は古代文字みたいなどという。字がきれいな作家っていうと誰なんだろう?
一同の一人があっ、そういえば時間といって、時計をみる、すると、あぁもうこんな時間(はて、どんな時間、とあたしは心の中で思う)そろそろ帰りましょう。一同はそうですねといった。いやーおじゃましましたー。ほんとほんと。果物や生クリーム、のり、チーズは全部なくなっているけど、クラッカーはだいぶあまっちゃった。
帰り際25が、あらこのビニール傘素敵ね、しっかりしてるし、持ち手がバンブーふうで。えぇ、それはホワイトローズってメーカーの傘なんですよ。私も買おうかしら、と25はほほえんだ。あたしは、でもあなたのお洋服も素敵ですね。それにあなた、Slatしていますから、よく似合うと言った。いえいえ、そんなことはないですのよ、じゃあおじゃましました。私は思う、ありがとね、本当に。
夜、サラリーマンの彼が帰ってきた。はいおつまみどうぞ。あたしはクラッカーを差し出す。えっこんなに食べていいの? うんいいよ、全部食べて。今日のリッツパーティーで一番おもしろかったのは25の横顔である。

あたしも文章、書いてみようかな。提案してみると彼はおっいいんじゃない? いつも暇そうにしてるしね。うん、そうなの、でも雑誌とか本はたくさん読んでたから、なんだか書ける気がしてきたのよ。ほう、僕と同じように、小説でも買いてみる。うんうん、あたしは首を横にふり、小説ってなんだか難しそうでしょ、だから軽いエッセイみたいなのからはじめてみようかなぁって。まぁいいんじゃないの、頑張って。でもその前に、またあなたの小説が読みたいの。もう、しょうがないなぁ。あたしは画面をのぞく。どこまで読んだか覚えてないなあ。へぇ勝手に読んだくせに、覚えてないとはねぇ。あっそうだ、高校生と後輩の警察官が一緒に死ぬとこはもう書いた。うんもう書いたけど、ずいぶんうれしそうだね。だって楽しみですもの。あぁそう。ほぅどれどれ、警察官が女子高生を見かけて、ねぇところでこの女子高校生ってどんな顔? え、そこまで考えてないよ。もうだめね。うーんだめっていわれてもなぁ、まぁ普通にどこにでもいそうな感じ。ってことはややブスね。えーとなんでもいいや。で、ややブスを助けようとして後輩の警察官が死んじゃったんだ、もったいないね。そんなふうに言われると腹立つね、でもこれは重要なところで、後輩が死んだことで、同性愛の主人公がいろいろ悩んだり、ややブスの妹がでてきて、恋に発展するんだよ。えっと、その妹はややブスと同じ顔? まぁ同じ顔ってわけではないけど、ちょっとは似てるんじゃないの? ってそんなことより、ここの描写をよんでみて。彼はにこにこしながら言う。いやな予感がしたが、まぁ読んでみると、大したことはなかった。星空と魚がきらきら輝いていて、それは大量のカメラマンが二人の写真を撮っているようでした、っていうこと。あはは、何がおもしろいのかしら。でしょ、うんここはかなり力をいれてかいたんだよね。うん、やっぱりあなたって天才じゃない?
「いやぁ、君なんかにでもほめられるとうれしいもんだね」
「おかげさまで」

そうそう次に、ちょっとね、社会風刺みたいなのも入れてみたんだ。
ほー、どれどれ、主人公は仕事をすこし休んで、家でゆっくりしているのね。
まぁ疲れただろうしね、作者がこうだと。それでね、テレビや週刊誌を読んでいるんだ。で、さっそく、この出来事が、のっているの。でもさ、よく、こんな小さい出来事が大きくのることなんてあるのかなぁって思ったことあるでしょ? いやあまり。僕はそれを逆に利用してね、高校生の自殺がはやっているからのったんじゃないか、ってことを主人公にいわせているんだ。すごいでしょ? まぁそれなりに。んで、そのあと、色々な週刊誌やニュースを見て、いろいろな人がしゃべっているけど、どれも自分のいいたいことを、というか普段から言っていることを、高校生の自殺という、ショッキングなできごとを利用して、いっているんじゃないだろうか、ともいわせているんだよ。すごいわね、これならあたしにも書けそう。ふふん、彼は偉そうに笑った。
あたしは、よし、エッセイを書こう、と決心し、パソコンの電源をつけた。
長い文章を書くのは卒論以来(一応書くんですよ、三流でも)かもしれない。
だから、あたしの弱点もよくわかる。
まず、ワードソフトを開く前にネットニュースを確認し、見終わった後、ユーチューブで音楽を聴く準備をする。
ここまでで一日が終わったことが何度もある。 でも今日は我慢しなきゃ。
画面を見つめながら、何を書こうと考える。
そうだな、でもあたしのセンスを信じて書けばどうにかなるだろう。うーん最近何かおもしろいこと、あったっけ?
あぁそうだ、昨日の夜、うんこをしたあと、いつも、状態を確認しているんだけど、そのときにたまーに、字のようになっていることがあるのね。昨日はうんこのくせに「へ」って書いてあった。
うーんだめだなぁ。これを2000字に膨らますのは無理だ。
ほかのことを考えよう。
そうだお風呂でおぼれかけた話をしよう。
あたしは、よく風呂の中で遊んでいる。
だるまのようにゆらゆらして遊んでいたら、尻を滑らせて、鼻に思いっきり水が入って大変だった。
これじゃ短すぎるなぁ。それにこれ、おぼれてないね。
まぁあたしのセンスを少し足してみよう。
よーしかっこのなかに、しかし、足や口ではなく、尻を滑らしたという体験をしたのはあたしくらいだろう。
風呂の話はあきらめて、ほかに考えてみる。
そうだあったあった。よし早速かいてみよう。
題名は〈デビルの呪い〉だな。うんこれしかない。
あたしはずっと永井豪の『デビルマン』がよみたくて、近くにあるブックオフを駆け回っていた。しかし見つからなかった。
たまたま、用事があって遠くへ出かけていった。
そこでブックオフを見つけたので入ってみると、あった。2巻から5巻まで。でもなんで1巻がないんだろう? まぁいいか。
そのあと、近くのブックオフで全巻揃ってあったのを見つけたので、一巻を買った。
うんうん。あたしらしさがよくでた文章ではある。
大学生時代はお金がなかったので、上巻だけとか一巻だけという買い方をよくしていた。
大学の近くにあった三省堂で『白鯨』の上巻だけを、あぁ違った、近くの店で、下巻だけ買ったあと、三省堂で上巻を買ったんだ。店員に聞かれたなぁ? これでいいのか、って。
いい文章がかけたなぁとは、思うのだけれど、でもやっぱり2000字はいかない。
そう考えてみると彼は、内容はともかく、2000字以上書けるというだけですごいのかもしれない。
短編でも原稿用紙30枚以上だし。でもあたしだって、長さはともかく、文章を書くことはすきなんだよなぁ。
あたしは、妄想する。
もし、彼の夢が叶って、作家になったとしたら、あたし、彼と結婚しようかしら。
作家の妻として、彼をいろいろと手助けして、編集者の人からほめられるのも良さそうだし、そうだ日記にでもしてもらって、みんなにあたしのよさを知らしめたい。
あぁそうだ、もし彼が病気になったら、口述筆記とかもしてみたいなぁ。
ふふ、なんだか武田泰淳と武田百合子みたいだなぁ。
あたしたちの世代だと泰淳より(あれっ? 漢字あっているよね?)百合子のほうが有名だもんね。
前、本屋(ちょっと大きめ)にいったら、『富士日記』も『犬が星見たロシア旅行』も『ことばの食卓』も『遊覧日記』も『日々雑記』も、まぁ要するに全部なんだけど、残っているし、それどころか、最近では単行本未収録エッセイだってでている。
それに比べて泰淳のほうは『富士山』と『司馬遷』くらいでしょ、それも加持伸行先生に批判された。
あたしはうきうきした気分で、彼に、差し入れ持ってきたよ、といって、残っていたクラッカーと三年番茶を持って行った。
そして、あたし、あなたの「作家になる」っていう夢、ずっと応援してるからね。だってあたしが有名になるために必要なことだから。
彼は、ありがとう、とうれしそうに言った。

あたしは、ドアをゆっくりあけ、隙間からのぞいてみる。いつもなら、イスに座って小説を書いているのだが、今日はいないみたいだ。
どこにいったのだろう。
あたしはもうすこしだけ、あけてみた。
考えてみれば、こんなにこそこそしなくてもいいのだが、なんとなーく。
ふふ、使っていないダンベルやベンチなどの筋トレ用具がある。かわいいなぁ。
もうちょっとだけ。
今度は本棚が見えた。うらやましい。あたしも本は好きなのだ。
あたしが大学生の頃はバイトでためた8万円を全部つぎ込んで本を買っていたようで、というのも、たまったレシートを見てから気づいたので。今まであたしは何にこんなにお金を使ったのだろうと考え、まさか、親が盗んだ? と思い、それは結構本気で信じていた。いやーわりぃ。
あぁそうだ、『源氏物語』のちくまからでている現代語訳をたまたま見つけて、それで財布に結構お金が入っていたから、かっちゃったんだけど、あぁこれはもしかしてバイト先への一ヶ月ぶんの交通費じゃないか? と思い、いやもしかしてではなく確実にそうだろうと思っていて、まぁその通りだった。
あたしは当時を思い出して、声にはださず、顔だけで笑った。
でも最近はお金がないから一ヶ月に2、3冊くらいしか買ってないのだけれど、あぁ、ということは一年で27、とか28冊くらいかな?
彼は一ヶ月でそのくらいの本を買っている。
何の本を買っているのかなぁと思い、もうすこしあけてみた。
「ねぇ、何してるの?」
あたしは驚いて、大声をだした。
「あなたこそ何してるのよ?」
「いやー、なにしてるっていわれてもね、逆ナンじゃない。だってここは僕の部屋なんだけど」
正論である。
「ごめん。気が動転してへんなこと聞いちゃった。ところでどこにいたの?」
あぁそういうことね。ドアの開く方向にいたから、ちょうど見えなかったんだ。

「どう、エッセイは書けた?」
彼は無邪気に聞くのだが、どうしよう。あんまり人に見せられるようなものではないよ。
「いいよ、見せて」
あたしは自信なさげに、とはいえ、自分で書いてて笑っちゃう部分もあるにはある、ということは間違いないので、9割くらい自信なさげな顔をして、みせた。
3本のエッセイを、彼は何も言わずに、ちょっとこわい表情で読む。こんなに厳しい彼ははじめてである。
ただ、たまに、吹き出すように笑う時もある。その姿を見ると、ちょっとだけうれしく感じる。「天才だね」
何を言っているんだろう、この人。
「いやーこんな文章は君にしか書けないよ」
ほんとう? と確認してみると、彼はうなづく。あたしは上機嫌になり、
「ねぇ、あなたのも読ませて」
あたしがそういうと、彼は喜ぶ。
「うん、いいよ」
今日はね、ふふ、ふへへ。何だ気持ち悪い。いや、ちょっとね、セックスの描写をいれてみたんだ。ああ、そういうことね。どれどれ。
ほら、昔の純文学って例えば会話だけでセックスを表現したりしたみたいなんだよね。
へぇそうなの。知らない。ほんとはしってるけど。
で、ちょっと前なら、セックスをなにかほかの物事でたとえてみたりね。まぁ具体例って聞かれても、思い出せないけど。
そう。
でね、ぼくはミックスジュースっていうのかな、あれで、表現してみたんだ。
読んでみて。
本当はあんまり乗り気ではないのだが、自分から、見せて、と頼んで置いて、ここを読んで欲しいと言われ、イヤだ、と断るのは、イヤな奴、と思われるのではないかと思い、愛想笑いを浮かべながら、もちろん、と答えた。
ジューサーとバナナと牛乳と、あぁ、もう予想できた。
「どうわかった」
「えっ? もうぜんぜんわかんなーい」なんて白々しいと自分でも感じる。身体がほてってきた。
えーと彼女に「バナナの皮をむいて」と頼み、彼女は「ずいぶん大きなバナナだね」とアホみたいなことを答える。
そのあと「ジューサーからはみでちゃう」などとも言っている。わたしは吹き出してしまった。
そのようすを見た彼は楽しそうに足をゆすり、僕が読んであげるよ、といってきた。
「うれしい」
バナナか。バナナと言えばあたしは吉本ばななが好きである。
確か最初はブックオフで新潮文庫の『キッチン』に出会い、まぁ有名だし、読んでみてもいいかな、と思ってとりあえず買ったんだっけ?
はぁ主人公の好きなところは台所なのか。あたしも好きだな。料理しないけど。
冷蔵庫にもたれかかるかぁ、それだとちょっと堅くていたそうだし、床と冷蔵庫って角度にすると、90度だから、絶対きついよね。
布団も必要だな。ということはあたしは布団が敷いてある台所が好きだ、ということだ。
そうそう、キッチンよりもあたしは、そのあと読んだ『白河夜船』、これは新潮文庫にもあるんだけど、あたしが持っているのは福武文庫のほう、で、その本に収録されている三編が大好きなんだよなぁ。
あれを読むと心地よくなって、だんだん眠くなっていって、痛っ。
「ねえねえ、なんでさっきから壁に頭をぶつけているの?」
わかっているなら、なんでとめないんだ。
「いや、最初は起こそうと思ったんだけど、たちながら寝る人ってのを僕は始めてみたもんでね、おもしろいからそのままにしておいた」といい、そのあと何かを(まぁだいたい想像はつくのだけれど)言おうとしているのだが、笑いながら話すので、あたしにはなんていっているのかわからない。
彼はあたしの人生を冗談かなんかだと思っているのだろうか? そんなことを考えてしまう。
彼は淫らな顔をしながら
「そんなことより、この文章、どう思う」
と聞いてきた。
「すばらしいね。もう一度聞かせて」
これはうそではなく、ほんとである。何も聞いてなかったのだから。まぁ彼の言った「そんなことより」のほうが気になるのだけれど。
もうしょうがないなぁといいつつも、彼の顔は輝いている。無垢そのものである。
うんと、あたしは寝ぼけた頭で必死に思い出し、そうだ、大きいバナナをジューサーにいれたあとが名文だったよ。これは寝ぼけていったわけではない。
もうしょうがないなぁ、といいながら、また聞かせてくれた。
どうも牛乳の紙パックがうまくあかないらしい。
あー、たまにあるんだよね、と共感しながら読んでいくと、あらあら、どうもあけた瞬間に牛乳が顔にかかってしまったようである。
これでは不思議ちゃんの間抜け話なのだが、どうもこれもエロい話らしい。「顔に白いのがかかっちゃった」って言っているし。
これはあなたにしか書けない文章ね、くだらないし。
ありがとう。
そしてそのあとに、やっと本当の性行為が始まるようだ。〈まずは呂をした〉うん? 呂をした? 「ろ」って何だろう。ろ、ろ。
ねぇねぇ、「ろ」ってなに?
結局、なんのことだかわからなかったので、不本意な結果ではあるが、聞くことにした。
「あぁ、それはね、なんか泉鏡花が使ったそうなんだけど、「キス」って読むんだよ」
あたしにはまだ理解できない。キスだって。
「よく、わからないんだけど」
「いや、たぶんだけど、口と口を棒で結んであるってことから、そう読ませているんじゃないの」
あぁ。納得。でもあなた、よくそんなこと知っていたわね。
いや、僕も書評かなんかを読んで、こういうのがあるってのを知っただけで、実はどの作品にでているのかは、知らないんだ。
彼はすこし恥ずかしそうにしたので、あたしは少し笑ってしまった。その様子をみた彼は、
「いやー図々しいよね」
と、やっぱり恥ずかしそうに言う。図々しいのは前からだぞ、かわいいやつめ。
でもあたしも、泉鏡花って読んだことないなぁ。あっいや、読んだことないっていうとうそになるんだけど、本を開いて、文字を読んでいくんだけど、読むそばから忘れちゃうの。何でだろう?
彼は相づちをうち、僕もおなじだ、という。
「それでも『外科室』とか『夜行巡査』とかは短いから読めるんだけど、中編っていうのかな、『歌行灯』とか『高野聖』とかになると、もうね、まったく読めないんだよ」
彼は少しあきれたように話す。
「渋沢達彦がほめていた『草迷宮』とかの長さになるともうね」
あたしも自嘲気味にいった。
そういえば、泉鏡花の現代語訳なんて、奇妙なしろものを見たことがあるわ。
二人で笑いあう。
でもさ、ついつい読んだふりしちゃうのよね。
うんうん。それはわかるけどさ、なんで小声なの?
なんとなく恥ずかしいからかな。なんとなく。
着物の描写がうまい、とかいっちゃうんだよね。
そうそう、確かカタログをみて研究したんだとみたいだけど。
それにしても、泉鏡花って名前でかなり得しているよね。
彼は、よくわかっていないような顔をする。
例えばさ、これがもし、鈴木誠とか田中誠とか普通の名前だったらあなたどう思う?
いや、それよりも誠さんに恨みでもあるのかなぁって感じてしまうんだけど。
別に恨みなんかないわよ。あんなやつに。
やっぱりあるんだ。
あたしはそういう話がしたいんじゃないの。語気を強めて言う。
ほら、泉鏡花について、色々しらべて見ると、なんかへんな人なんだなぁっておもわない。
あぁ、それは思う。彼は続けて、確か潔癖性で、なまものは食べられないそうだし、酒も煮立たせてから、飲んだそうだしね。
犬も嫌いだってね。
そうそう、北村薫先生の『火鉢は飛び越えられたか』
あぁあれはおもしろかったね。
彼は続けて、
でもあれ読むと、里見とんがいやなやつにみえてこない?
そうかしら?
だって武者小路とか周りにいたひとから正直って言われてるでしょ。
あたしはためいきをつく。
ほんとにだめねぇ。いい、正直と誠実は違うんだから。
そう?
うん。ほら誠実ですねってほめるのはあんたは馬鹿だねっていうのと同じことでしょ。
いやそんなことはないけど。
ちょっと考えてみて。ほら、あなたは誠実な人ですね、って皮肉でしかいったことないでしょ。
確かに。
それに比べて正直っていうのは、人からみるとイヤな奴にうつったりもするの。具体例とか聞かないで。わかるでしょ。
まぁね、いいたいことはわかるよ。
彼はすこし考える。そして納得したように確かにそうだ、という。
あたしと彼は見つめ合って、笑った。

じゃあまた、よんでくれる?
あたしはもちろんと言った。
キスが終わった後、本格的にやるみたいだ。
このあと起こることはね、僕が実際に体験したことなんだよ。
そうなんだ、楽しみ。そう思いながらよんでいく。へぇ電気を消して、男の顔を見ないようにしながらやっているんだ。
彼はあはは、と笑い、中村うさぎのエッセイで読んだんだけど、ホストの若い彼と、くそばばあのうさぎさんが、セックスをしたときに、そうなったんだって。結局いけずに終わったそうだよ。
あたしはあまり笑えなかった。これ、あたしと彼のときもそうだったもの。
あたしのときも、彼は乗り気じゃなかったのかなぁ。
「そしてね、このあとの文章をよく読んで欲しいんだ。自信があるからね」
あたしは彼の本棚を見てみる。あたしは、富岡多恵子の『波うつ土地』が大好きで彼に勧めたんだよなぁ。
そのあと、富岡多恵子が『とはずがたり』っていう題名の本を出していたから、「新潮日本古典集成」のもの、確か、帯を瀬戸内寂聴が書いていた。
一応、どちらもおいてある。そのとなりには、これもあたしがすすめたのだけど、岸本葉子のエッセイがある。
彼の小説を読みながら、あたしは思い出した。そういえば岸本葉子だったよなぁ。俳句をつくっているときに、どうしても、だから何? っておもってしまうって。
ちゃんと読んだわけではなく、流し読みなのだが、まぁこんな感じだろう。
《まつしまやああまつしまやだから》何?
《あかあかと日はつれなくも》だから何?
《鷹ひとつ見つけてうれし》だから何?
《やがて死ぬけしきは見えず》だから何?
《斧入れて香におどろくや》だから何?
じゃあその自信のある文章をみせてごらん。どれどれ。〈結局おれと彼女はわかれることにした〉だから何? 〈俺は携帯から彼女の番号を削除した。携帯を触ったとき、あまりの冷たさにびっくりした〉だから何? 〈おれは布団にくるまった。彼女の残り香が薫ってきた〉だから何?
「ねぇ、すごいでしょ」
「うんそうだね。とくに〈名残〉を〈残り香〉と読ませているところとかがね」
次がクライマックスでね、結局自殺するんだよ。
だから何?
でも、結構難しいんだよね。ちょっと読んでみて。
うん電車に飛び込ませるのね。
そう。それが一番書きやすそうだったから。
なんて都合のいいやつ。
あたしは、そうだちょっと書かせて、といい、少し書き直す。
ほら、〈まもなく2番線に各駅停車○行き〉を到着させるでしょ。でも彼は乗らないの。そして次に快速電車を通過させて、そこで飛び込ませるの。
なるほど、本当に死ぬ気だった、っていうことをかくんだね。
そうね、これで何もかもおわりね。
あたしは当てこすりのつもりでいったのだが、彼は
「いや、それがまだなんだよ。一番最初に住所とかタイトルをつけなきゃいけないから」
あぁまだ終わってないんだね。
どこの賞にだすのかは、もう決まっているの。
うん、もちろん。
そういったあと、申し訳なさそうな顔をしてかれは、今回もまただめだったら、作家はあきらめて、就職しようかとおもっているんだ?
何で?
いや、大学を卒業してからもう2年になるんだけど、小説を書き始めたのは高校生の頃からなんだよね。それなのに、まただめだったら、もう才能ないっていうことだと思うんだよ。
ふーん。彼は深刻そうにいった。
それにほら、サラリーマンくんに申し訳ないしね。
まぁ確かにね。それはあたしも思うよ。あたしでもね。

「あれ? なんで家にいるの?」とサラリーマンのほうの彼に質問する。
「なんで? ってまだ働かす気かい。今日は日曜だよ」
あっ本当だ。気づかなかったよ、と驚き、まぁあたしには日曜だろうと何曜だろうと関係ないのだが。彼に尋ねると、どうやあ作家志望のほうは遊びにいっているらしい。サラリーマンの彼がちゃんと働いていることに感謝をしないのだろうか。
どうやら彼は録画してたまっていたものを一気に見るらしい。
あたしは、トイレにいくついでに、彼の部屋をこっそり、のぞいてみた。
一応本棚はある。
どうやら、彼は仏教に興味があるらしい。講談社学術文庫の『スッタニパータ』や『愚管抄』がある。ほかには、自己啓発本やビジネス書、あと、薄めの食事などの作法のマナー本もある。小説はあまり見あたらないのだけれど、ないというわけではない。あと斎藤学先生のも。
部屋に戻り、バラエティ番組を見ている彼に、ねぇ、あなたが思う、一番頭のいい人って誰? と聞いてみた。
いいながら、なんか変な質問だな、頭がいいってどういうことだとおもう、ぐらいにすればよかったか、とかんがえているうちに
「そうだねぇ、あっ宮崎美子さん」
という。
「ああ、宮崎さんね。あたしもよくしっているわよ。渡部昇一先生の『書痴の楽園』にでてた。話を聞くということもやっぱり知性が必要なのよね」
しかし、彼には伝わっていない様子。少し困惑しているような目で、
「その渡部先生? っていう人、僕は知らないんだよね。宮崎さんをあげたのは、クイズ番組でどんな難問もすらすら答えちゃうからだよ」
そうか。まぁそういう考え方もあるよね。あたしは会話を続けようとするのだが、クイズ番組を楽しんでいたのは小学生の頃なので、話すといっても内容がない。
あたしは彼と、何を話せばいいのか。頭の中でシュミレーションしてみた。
まずネタを探すため、あたしはテレビに目をむける。どうやら芸人のつらさを話しているようだ。そうだ仕事の内容を聞いてみよう。
「そういえばあなたってどんな会社につとめているの?」とまでいい、続けて、職種名を言おうとするのだが、「編集者」とか「ライター」とかしか思い浮かばないので、たぶんちがうとは思うのだが
「出版社?」
と聞いてみると、違う、という。そして彼が商社だよ、とか金融関係だよ、とか、公務員だよ、などと言ってくれればいいのに、そうはしてくれない。めんどうなのであきらめ、いつもあたしたちのためにはたらいてくれてありがとうと言った。
まぁこんな感じだろうなぁ。
考えてもみればなんであたしたちのために働いてくれるんだろう? 損しかしないのに、と、聞いてみたい欲望はあるのだが、まぁ彼が好きでやっているのなら、別にいいよね、と結論づけ、聞かないでおいた。

何分間、だまっているのだろう?
あたしは手持ちぶさたに、お茶入れる? と聞くと、お茶はいいから、コーヒー入れて、と言ってきたので、よっこいしょっと立ち上がり、コップを食器棚から取り出して、コーヒーを入れた。
そうだ、また彼らがきたときのための会話のシュミレーションをしておくか。
そうだ、マンガの話になったときに、ふりむいて裕の話をしていなかったなぁ。
「へぇふりむいて裕。なんだかしりあがり寿と名前が似ていますねぇ」
「いやぁ、じつはその通りでしてね。名付け親がしりあがり先生なんでございますのよ」
「どんな作品を買かれていらっしゃるの?」
「いやーどんなさくひんっていっても、とりとめもない話でございましてね。とんでいったカツラを追いかける話とかなんでございますの」
よし。もしマンガの話になったら、ぜったいこの話はしよう。
そうだ。食べ物も。せっかくチーズの話になったのにモッツァレラチーズをめんつゆにつけるとおいしいっていう話、していなかった。
あたしは後悔の念にさいなまれる。
やっぱり飲食関係はセンスをみせびらかすチャンスなんだし、気をつけなきゃ。
センスといえば、本もそうねぇ。でも本って難しいのよね。
へぇこんなの読んでるんだ、って馬鹿にされることもあるし。
ちゃんと『早稲田文学』をよんでおこう。
そうそう、ちゃんとあたまのなかで練習しておかなきゃ。あたしは運転免許におちるぐらいだから、運動神経がわるいのよね。

あたしの携帯がなった。
確認してみると、作家志望からの電話だ。
あぁ助かった。
電話にでて、あぁ今から帰ってくるの。ところでいまどこぉ? いやあ寝てたから知らないよ。
もう。あたしは笑う。
あっそうだ、あたしは思い出す。
確かそこの近くにおいしいお菓子屋があってね。なんだっけなあ。名前。
あっそうそこそこ。そこでバターフィナンシェとか適当に買ってきて。
あれ、もしもーし、もしもーし。あたしはいろいろな音程で「もしもし」を繰り返す。
わかった。お金払うから。
はい。はーい。じゃあねえ。
彼に向かってもうすぐ帰ってくるって、というと、もう帰ってくるの、やだねぇ、いう。
ほんとそうよねぇ。
お湯でもわかしておくか、と思い、やかんに水をいれ、火にかける。
よく整理されている。この洗い終わった食器をいれるとこ、なんていうんだっけなぁ。
沸騰し、やかんの口(だよね?)から湯気がでたころ、彼が帰ってきた。録画したテレビを見ていた彼はリモコンの停止ボタンをおした。
あたしは200円をわたすと、彼は大げさに頭をかしげ、足りないと、嫌みったらしくいってくる。
だっていつもあなた、何か買ってきてるじゃない。1200円ぐらいのもの。そのバターフィナンシェは確か1400円ぐらいでしょ。足りないのは200円だ、と説得して、その場をおさめた。
彼は、彼に、なんかテレビみていいと、聞いた。彼はうなずく。
彼は五木寛之の『百寺巡礼』をみる。
あたしと彼はああ、と思いつつ、見てみるとこれが意外とおもしろいものである。
そうだ、あなた仏教好きなんでしょ? 『スッタニパータ』なんか読んで。
そうなんだよ。最近はキリスト教にも興味があって、佐藤優さんの本も読んでるんだ。
佐藤優さんか、と思い、テレビに目をやる。
あたしも神社とか行くのが好きでね、そのあとに話を続けようとすると、彼は、確か大学は神保町でしょ、ちょっと歩けば靖国神社もあるしね。
そうそう、何回かいってね、博物館も見学したわ。最初、よくある小さな施設ぐらいだろうって高をくくっていったら結構広いのよ。
最初は驚くよね。
ほんと。
あとは伊勢神宮もいった。あのー、パックツアーっていうのかな、まぁそんな感じの。
あたしは続けて、ああいう場所行くとなんか「ごりえき」ありそうよね。
空気が変わった。あぁやっちゃった。
あたしは結構こういうまちがいをおこすのだ。「ご利益」は「ごりえき」ではなく「ごりやく」だと、ちゃーんと理解しているのに、ついつい「ごりえき」と口に出してしまう。
ほかにもある。「はぎ」と「おぎ」とか。
まぁ「お巡りさん」を「おめぐりさん」とか「西部劇」を「にしべげき」と読むのはみんなおもしろいね、と笑ってくれるのだが、「境内」も「けいだい」とわかっているのに「きょうない」と読んでしまうし、あぁそうだ「大佛次郎」はへへーんだ「だいぶつじろう」じゃないのはわかっているよー、と調子にのって「あそろぎじろう」と少しずつ間違えたりもした。
その後、調べてみたら、どうも「おさらぎじろう」は鎌倉の大仏のすぐ近くに住んでいたそうで、だから林真理子の『女文士』これは解説が中瀬ゆかりの集英社文庫のものをよんだのだが、鎌倉文士として、確か高見順といっしょにでていたし、柳美里の『柳美里不幸全記録』にも、今は福島だが、この日記が書かれた当時は鎌倉にすんでいたので、小津安二郎、川端康成などとともにでてきていた覚えがある。
要するに「だいぶつじろう」のほうがまだマシということである。
携帯の予測変換でもこういうことがよくある。あたしの知能レベルにあわせているのだろうか。
前に「まつうらりえこ」をけんさくしようとしたら、「松浦理恵子」というよくみないとわからない間違いをおこしていた。なのでまず「松浦」とうつと、次に「理英」がでてきて、そして最後は「子」、となるように学習させたりもした。
二人の彼はテレビをみて笑っている。
あたし、生まれてくるのも、間違いだったのかしら。

あれ? 作家志望は?
あぁ今日もいないんだ。
ねぇあたしにも、家事手伝わせて。
なんでそんなイヤそうな顔するのよ。
あたしは笑った。
まぁ最初は邪魔にならない範囲でいいのよ。別に。
あたしはいろいろ教えてもらった。
そんな感じでいろいろあったあと、性交しようということになり。彼の部屋に入った。
話があわなくても、身体があうのなら、別にいいんだしね。
服を脱いで、と言われて、自分でも驚くほど、素直に脱いだ。
そうか。そうだよな。あいつ変態なんだよな。だいたい、部屋の隅っこで何してんだよ。
彼は、首筋をなめてきた。
そのあと、足の指。
そういえば山田詠美が足の指に香水をつけるって書いていたっけ。でもあたしはそんな気のきいた女じゃない。
あたしの身体ってどんな味がするんだろう。
あたしは彼の身体をみてみた。
中年体型で、お腹やふとももなど、うまく隠れる部分に脂肪がついている。逆に目立ちやすいぶぶんにはあまりついていない。だからスキニーデニムなどがよくにあう。
あっきす。うーん、どうしても呂が思い浮かんでしまう。
あぁ、彼はバナナで、あたしはジューサーなのか。舌打ちをする。ジューサーかよ。
あたしが楽しそうにすると、彼もよろこんだ。

まぁいいか。いろいろあるし。
彼は選評を読むために雑誌を買ってきた。
たぶん受賞したら電話くるよね。インタビュー記事とか対談もするんだし。
彼は選評をよむ。
働くってどんな職種か、もう決めたの。
いやそれがね、サラリーマンくんに聞いたら、大丈夫っていうんだよね。
彼は軽薄な顔をしている。
なんなんだ、こいつ。
あたしは部屋を出た。
うーんなんでこんなにいらいらするんだろう。
あたしはテレビを消して、イスに座った。
あたしは彼をびびらせてやろうと、近くにあったチラシを少しずつ、破っていった。
新聞でやると捨てるのが面倒そうなので、チラシにしておいた。こういうことには、ちゃんと頭働くのだ。
一枚、一枚、破っていく。
顔は空虚そうな感じで。
早くみにこないかなぁ。
あっドアを開く音がした。よしよし。
一枚、一枚、ちぎっていった。
あなたが謝ってくれれば、終わるんだよ。もう。
彼はわかっているくせに、無視をした。もうだめだ。追い出すしかない。

いやー悪いねぇ。
いーのよ。全然。
あたしもね、ネットで見て、ちょっと勉強してみたのよ。料理。
まぁすきやきなら簡単だろうしね。
あたしはうなずけなかった。
もうできたし、食べちゃおうよ。
あたしがそういうと、
「まだ帰ってきてないし、悪いよ」
などという。ぜんぜん、そんなことはないんですよ。あたしは笑った。
じゃあ食べようか。彼はまず、春菊をとり、卵をからめて、食べた。
そうでしょ。おいしいでしょ。あたしは安心した。
じゃああたしはネギから。うーん、やっぱりねぎは真ん中がいちばんおいしい。
その後豆腐、しらたきなどをたべて、おっ、作家志望、じゃないのよね、肩書きは何になるのかしら? まぁ、誰か帰ってきた。
「ただいまー」
はじめまして。
彼はのんきな声でおいしそう、といい、自分の部屋(もうすぐなくなるけど)に入っていった。
はやく肉食べちゃお。
あたしがそういうと彼は笑った。
彼は着替えて、こっちにやってきた。
薄笑いを浮かべて、あたしたちを不快にさせる。
箸、うつわ、たまごを自分でだした。
まず彼は、肉から食べる。直箸で。
まぁ一回目ならいいよね、とあたしと彼はアイコンタクトをとる。
そのあと、同じ箸で肉をとったので、あたしは、
「ごちそうさまでした」
といい、
どたどた歩いて、器などを投げ入れた。
卵が飛び散ったが、あたしが後片づけをするのだし、いいのだ。
どちらの男も馬鹿みたいに
「おいしいよ、うん。これなら全部食べられちゃうね」
という。
ちょっとビビらせすぎたか。

あたしはちゃんとあさごはんのことも考えている、残ったすき焼きを活用するのだ。
予想通り大量に残った。
たまごとじにしたり、牛丼にしたりなどいろいろあるが、うどんをつくることにしよう。
よーしできた。はいどうぞ。
あたしは彼らを観察しながら、食べた。何か言え。
「いやー、おいしいねぇ。これが昨日の残ったすき焼きをアレンジしてつくったものだなんて、忘れていたよ」
うんうん。
「いや、まんまだよ」

彼を追い出して、一ヶ月ぐらいたった。
追い出したときのことはあまり詳しく、おぼえていないのだが、逆ギレしだし、彼が止めにはいった。
でていく、っていってんだから、、素直にしたがえばいいのにね。
そして、あたしとしてはどちらでもよかったのだが、結婚についても話した。

彼もどうやら小説について、知りたくなったらしく、じゃあ、渋谷にでもいくか、ということになった。
「えっ、カーディガン着ていくの? もう夏だよ」
いいの、電車の中は寒いのだから。
電車のなかで、いろいろ聞かれた。小説っていってもさ、どれ読めばいいのか、ぜんぜんわからないんだよね。
あなたが読んだことのある作家ってだれ?
あぁ結構読んでる。百田先生の『夢を売る男』って読んだことある。
いや、ないけど。
もうね、絶対読んで。おもしろいから。
ほかには? って、うーんとあたしが好きな作家だと、あぁ思い出した。森見先生だ。
えっよく知ってるね。そうそう『夜は短し歩けよ乙女』の作家。
あぁ、映画化されたんだ。
あたしはつづけて、
森見作品だと、やっぱり初期の『アメリカの夜』が一番好きかな。
えっ、純文学もよんでみたい?
まぁとりあえず、岩波とか講談社文芸文庫にあるのを読んでみればいいんじゃないの?
一緒に探してあげるよ。
でも君って本に詳しいよね。すごいよ。
かれはほめてくれた。そのあとつづけて、それどころか、自分でかいちゃうんだもん。
あたしは聞き返した。どういうことだろう。
彼はあたしと目を合わせず、照れたように、君ぼくのパソコンを使って文章書いたでしょ。履歴が残っていたよ。
あたしは悶絶した。
そのあとあの文章の感想を教えてくれた。
ねぇほんとうにすごいと思う? 「うんこ」が
「へ」って話したらばかみたいでしょ。それが文章だからって。
彼はいやがらせのためだろうか、にこにこしながら、小説もよんだよ、などという。
しまった。かれの小説のデータ、あたしのUSBにも入れておいたんだった。なんでけさなかったんだろう。
あたしは言い訳がしたくなった。あれは彼が書いた文章だ。あたしじゃない。
「ほんとすごいよね」
そうだね。あたしが書いたのかもしれないね。あの文章。
会話が止まったので、あたしは乗客を観察してみる。
うん? あの人何しているんだろう? 変な動き。
あっかばんについた、虫をはらっているんだ。外でやってほしいなぁ。もう。
なんだろうあれ。ゴキブリじゃあないと思うけど、遅いし。鈴虫をおおきくしたような。
よかった。飛べない虫なのね、ってこっちに歩いてきてるじゃない。
緊張感がおそってきた。
なんでほかのひとはあんなのんきにしていられるのかしら。あぁ向かい側に座っている人の心と交換したいわ。
謎虫がじわじわ、こちらに近づいてくる。
あたしは、念力を送った。
その結果、どんどんあたしから、遠ざかっていき、今度は向かい側の席にむかっていった。ざまあみろ。ふはは。
目的地である渋谷駅についたので、半蔵門線を降り、電車に乗ろうとこちらに向かってくる人を避けながら、ハチ公前の8番出口を目指して、高速エスカレーターに乗った。
エスカレーターを降り改札を出て、出口を目指して歩く。
8番出口に向かうエスカレーターの前には一本の柱があり、少し邪魔をしている。
あたしたちはエスカレーターに乗っている人に続く列にちゃんと並んだのだが、せっかちな人は左の最短コースに見える列に行くが、結局はあたしたちが並んでいる列に割り込む形になるので、ちゃんと並べばいいのに、と思い、少しイライラしながら乗った。
エスカレーターにのり、まずどこいく? と彼に相談した。
上がりきると、右側にはTOKYUの文字が見える。
さらに階段を上がって、外にでた。
スクランブル交差点の信号が赤なので止まった。交差点の前というかあたしたちが立っている側の後ろの広場ではよくテレビの取材が行われている。
前なら、上の看板を目当てに、歩き回っていたが、いまはもうなれている。あたしの目の前で、自撮り棒を片手に、撮影をしている。
あたしは向こう側をみてみた。
すると、見覚えのある人がいて、手をつないでいる。その女は日傘をさしていた。なんなのあいつ、むかつくんですけど。

2019年6月9日公開

© 2019 yohei

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