廃兵

合評会2019年01月応募作品

Juan.B

小説

4,550文字

※2019年1月合評会作品。

※作品とは関係ないが、動物はまあまあ好きである。
※1月27日大体午後5時20分に、作品末尾に、作中の本棚の一部を再現(適当)した画像を乗せた。

商店街の隅にある古書店の、棚と棚の間を、白髪の男は静かに分け入った。映画に出てくるような、美女の店員が鎮座するような、そんな洒落た古書店ではない。白い天井も鼠色の書架もそして色とりどりの本も静かに黙っている。この時間、古書店には店主夫妻と男しかいない。やがて白髪の男は300円均一の棚から、一冊の古びた本を抜き取り、それだけを持ってレジに向かった。

「はいどうも、300円」

頭頂が禿げて眼鏡をかけている店主は、テレビの野球中継からすぐ目を離しつつ、本のタイトルを一瞬見た。「無知の涙」。

「……」

白髪の男は無言で百円玉三枚を出し、本を受け取った。店主は気を利かせた様に、男の横顔に話しかける。

「……あいや、今年はどこ優勝するんだろうね」

「……野球ですか」

「え、ええ」

「……」

男は硬い表情で視線を下に落としたままだ。好きなチームとか選手の名前とか、何か……急に気まずくなった店主は、そう言えばと言う風を装ってチラシを渡し、早口で説明した。

「ああ今度この古書市にね映画のパンフとか色々たくさん出すんですよ、是非来てください、ダーティハリーとかねえ、あなたイーストウッドに似てるね、ハハ」

「どうも」

男は口角を少し上げただけのぎこちない笑みを浮べ、チラシを受け取り、そのまま出て行った。別の棚を掃除していた妻が、本の束を店主の横に下ろしながら苦言を呈した。

「あなたねェ、あの人随分長いお得意さんなんだしもうちょっと気を利かせたら」

「利かせたよ、利かせてアレなんだよ」

「何がイーストウッドだって」

「いや、似てるから……でもどこに住んでるかも良く分からないんだよな」

「本当に色々な本を買っていくねー」

しかしそれ以上の事は話さなかった。誰が何を買っていったなど、売り上げ以上の事は無い。古本屋の窓から微かに見えた男の後姿は、一月後の改元を祝う飾りの向こうに消えた。

 

~~~

 

俺は狭い路地の間を抜け、錆び切った金網の門を開けた。ブロック塀の閉塞から解き放たれた場所に、時代から忘れ去られたかの様な、朽ちたベージュ色のアパートが横たわっている。階段を昇りながらチラシを隅に捨て、先ほどの会話を思い出していた。

「仮に俺が……あの映画に出たとしても、正義じゃなくて、犯罪者として殺される側だろうな……」

俺は正義って観念が――少なくとも、その一辺倒が大嫌いだった。だが、今やそんなことを考えても何も意味はない。鍵を開け部屋に入ると、すかさず罵声が飛んでくる。

『負け犬! 』

『どの面下げて生きてる? 』

部屋には俺の他に誰もいない。ただ、無数の本が一間に積み上げられている。夕日が差し込むが美しくはない。ドアや台所の前、古びた家電、敷き布団と机がある場所以外はほとんど本が占有している。

『お前の人生に意味なんかねえよ』

『寝てもクズ、動き出してもクズだ』

『クズにクズ並みの人生なんかないぞ、朽ち果てるだけだ』

無数の本が罵声を浴びせてくるのだ。机の前に座り静かに部屋を見回すと、本棚に収まってる本は2割か3割ぐらいで、残りは積みあがったり転がったりしている。完全に時代から取り残されている。いや、自分から落伍したのか。人が主で時が従なのか、あるいはその逆なのか。俺は机の前から這いつくばって布団に移り、天井を見上げた。ここは犬小屋だ。負け犬の小屋だ。それもニートやフリーターなどの意味ではなく、もっと悲惨な……途方も無い時間の奴隷だ。

『お前は社会を裏切っただけじゃない、その逃げ先ですら裏切り、自分すら裏切ってんだぜ』

週刊誌の山の方から嘲笑する声がした。

『今からでも遅くはない、こっちに来なさい、謝るなら三等臣民にしてやるから……』

古新聞の一面で笑顔を浮かべる天皇。

『まあまあ彼を馬鹿にするなよ』

資本論の解説本が低い声で語りかけてくる。マルクスの声なのか本の声なのか分からない。俺は微かに視線を動かし、ただ何も語らない、写真が飾られた棚を見た。

 

~~~

 

六歳児が、母親と手を繋ぎ記念撮影をしている。だがそこは奇妙な施設の前だ。

生まれは座間だった。父親は米兵で、日系人と白人の混血だったから、俺は言わば四分の三日本人だ。だがよくある“約束”の通り、父の行方は分からない。混血、米兵のガキ、片親、さらに母親は日蓮系の新宗教にハマり、何重苦だろうか。いや、生まれは苦にならない筈だが。外では虐められ、上空にはジェット機、家に帰れば題目……。

十六歳、ディスコの前で足を組んで気取ったポーズをしている。

母を殴って金を毟りディスコに行く。誰の言う事も聞く気など無かった。誰が自分を大切にすると言うのだ? 黒人の兵隊と日本人の女が腕を組んでクラブの片隅にいるのを見て、将来混血が生まれるのかと思うとむしろワクワクしてきた。だがこの頃、自分が「自分だけ」でない事も分かってきた。そこら中の暗闇に、自分の同類が潜んでいる。

十八歳、ある工場の前で真面目腐った顔をしている。

母親の消息が分からなくなったがどうでも良かった。自動車整備工場に住み込んで働いている時、米兵のアメ車のトランクから拳銃や火薬、様々な資料を二度か三度盗んだ。元々持ち出してる米兵が悪いのだ。盗みは結局表沙汰にならなかった。拳銃の一丁は手元に隠し、後は一番うまく扱ってくれそうな奴の所を探し回った。何もかもが嫌になっていた。

二十一歳。ある写真館で、昔の無政府主義者の真似をして記念写真した。片隅に1978年とある。

あの時は仲間が居た。学生運動の時代には遅れたが、その方が良かった。虚無的な、だが熱意に満ちた集団の中にいた。仲間は全員合わせて六人、男四人女二人。どいつも三癖四癖あった。集団就職先で上司の差別に切れて腹にヤスリを刺し逃げてきた秋田県出身の奴がリーダーだった。夜中、薄暗いアジト部屋の中で、配線を紡ぎ、信管を組む、あの時間が懐かしい。オマンコも良くした。そして、持ち込んだ火薬は最高の使い方がされた。手始めに混血を虐める事で悪名高かった警官と交番を吹き飛ばしてやった。その次は一気に目標を高めて、東京の総合軍需商社に。

 

吹き飛んだ交番やビルの映像を見た時、一言で言うと最高だった。一世紀前の無政府主義者の気持ちが分かった。一人の人間、そしてその手の一掴みや一握りの物体が、どうしようもない「社会」を吹き飛ばす力を持つ。それまでの苦しみもともに瓦礫と煙の中に埋もれて行く。見向きもされなかったものが見向かれる。そして、今まで封じ込まれていた言葉が湧いてくる。社会も俺も同じ言葉を言う。「何故?」社会は問いかけとして。俺は答えとして。

 

だが、次の目標を巡り、周囲が警視庁を目指す中を、俺は皇居と言い続け、言い争いとなった。少し頭を冷やしにアジトから離れていた時、まさに警察がアジトに乗り込み、俺以外を拘束した。気が付いた時にはすでに大量の野次馬や報道陣と警官がそこら中に溢れかえり戻る事が出来ず、俺はただ逃げ出した。俺は卑怯なのか。状況からすれば裏切り者とすら思われたかもしれない。死ぬときは同じと誓い合った仲間と永遠に分かれることになった。仲間は順次死刑になって行く。だが、何故か俺の名前が出ない。警察は「一人、謎の人間が居る」ことを察知し、情報提供を呼び掛けていたが、仲間の誰も自供しなかったらしく、目撃情報もでたらめで、俺の名前は未だに明かになっていない。そんなことがあるのか? ……混血はその末路まで社会から見放されたのか。あれから40年、途方もない時間が……。

 

~~~

 

ある週刊誌を手に取る。

『ハッ、負け犬が今更誰に謝るんだ? 』

一か月前、最後の収監者、サキが死刑となった。その数奇な運命をまとめた記事を眺める。仲間の一人は自殺し、三人は順次80年代に処刑され、そしてサキは病気で昏睡状態になりその間は死刑が行われなかった。そして近年急に意識が回復した所を処刑したのだ。サキは訳も分からず怯え切った中を処刑されたとされ、週刊誌は「罪の意識があるのかないのか」「謎の一人は?」を問題にしていた。寝ていたサキ、起きていた俺……。だがその次のページには、改元を祝う記事が大きく載っている。

『平成の汚れ、平成の内に♪』

いくつも並んだVOWがふざけた口調で歌うが、その横から大声が飛んだ。

『殺すな! 』

『殺せ! 』

死刑反対派のパンフレットと、自称社会派記者の手による死刑容認ルポ本が喧嘩している。

「殺せと言うなら……」

部屋中の本が一斉に俺を見つめる。確かに見つめている。俺は静かにある箱を手繰り寄せ、そこから一丁の拳銃と、酷く風化した英文の書類を取り出した。

『止めなさい』

新約聖書と歎異抄が声を合わせる。

『止めろ、お前に人の幸せを破壊する権利はない』

『これは一つの参考意見として聞いて欲しいんだが、君のその失望を察しながら、そう――絡んだパスタみたいに四十年も引っ込んでて今更何をする? 』

どこかの起業家が出した馬鹿馬鹿しい人生論の本と、村上春樹の良く分からない本が奇妙な声を上げる。無数のざわざわとした抗議が聞こえてくる。

「幸せ……俺の幸せ? 」

俺は更にもう一つの箱を出し、そこからかなり古びた時計式の信管を取り出した。時計の部分を取り換えれば……。火薬をどうにかしよう。

『社会を変えたいなら他に方法があるはずだ』

『君の行為は全く美しくない、何の文学性も感じられない、アプレ以下だ』

社民党の議員が出した人権教育本と、三島由紀夫の金閣寺が声を重ねる。そして、柄ににもなくいつか買った漫画からも声が聞こえた。

『世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に……』

「俺はそれをやったんだがね……」

『バイバイ、テロリスト』

無数の本が俺を引き留めようとする。ビニ本まで!

『一発抜けば? まだ勃つでしょ』

それを遮るように透き通った声がした。

『夜空を見上げよ』

「俺の人生は既に真っ暗だ」

『南無妙法』

「黙れ」

宮沢賢治の題目を黙らせた。俺は拳銃を手にしたまま、あの「無知の涙」を眺めた。

「……」

『……』

本達の声は一瞬聞こえなくなった。そして、部屋の隅の本棚の、さらに隅の地点から、再び聞こえてきた。

『戦いな』

『천황 따위 무섭지 않아요!』

金子文子と朴烈だ。

『ヤマザキ、天皇を撃て! 』

奥崎謙三も。俺は無知の涙を、その本棚の隅に差し込んだ。内容はもう知っている。あの時期、一番読んだ本だから。この本棚の隅は、俺にとって本当に価値のある本が集まっている。

『やられたらやりかえせ!』

船本洲治や山岡強一が俺を見つめる。訳も分からない熱気が俺を襲う。

『地に呪われし者、今ぞ日は来たり……♪』

戦前に秘密出版された、無記名の無政府主義パンフレットが歌いだす。合唱でない、粗野な大声の独演が俺を後押しする。

 

~~~

 

男はリュックを背負い、玄関に立った。もう本の声は聞こえない。男は最後に汚い部屋、そしてカレンダーを一瞥した。5月1日。祝日欄にはメーデーではなく「改元 御即位」とある。ハッ、と男は軽い笑い声を出し、そして部屋を出て行った。将来の爆音を背負いながら。

 

(終)

 

 

2019年1月23日公開

© 2019 Juan.B

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"廃兵"へのコメント 11

  • 編集者 | 2019-01-24 00:02

    ビニ本から聖書まで幅広い本の叫びという発想は新鮮でした。昭和、平成、天皇、基地、アナーキストと社会的題材も織り込まれている割に読みやすく感心しました。

    少し長かったのが気がかりですが、これだけ幅広い題材を扱っているので長編として書いてみても面白いのではないでしょうか。

  • 投稿者 | 2019-01-24 22:09

    年配の主人公にしたことで、時間の厚みが感じられる作品。永山則夫の著書を買った主人公が思想的に真逆なイーストウッドに喩えられる皮肉も利いている。皇居に標的を定めた最も先鋭的な男がなぜ40年間も沈黙していたのか、いったい何の気まぐれで彼の蔵書に三島由紀夫や村上春樹があったのか、など不思議に感じる点もいくつかあったが、私は自分の積ん読本たちにも喋り出してもらいたいと思った。

  • 投稿者 | 2019-01-24 22:37

    いろんな本が声をかけてくるのがよかった。
    冒頭に古書店のシーンがあることで、世界観に延長性が見られ、よい。
    数十年の時間の経過が盛込まれているのもよいです。
    写真館で働いている者として言わせてもらうと、無政府主義者を真似るような人は写真館で大人しく記念写真を撮らない気がします。

  • 投稿者 | 2019-01-26 14:54

    なぜ人は本を読むのか、について考えさせられました。この小説では本が語りかけてきますが、主人公はその声全てにただ従っているのでは決してなく、自らが思うもののみを受け入れ、それ以外は黙らせようとします。それは人が本を読み影響されたり、反発したりしながら、自分が必要とするものとそうでないとものとを取捨選択する過程なのかなと思いました。個人的には、全然適当な本の声によって、主人公が急に揺らぎ、変化していくような話を期待したのですが、そうはならず、主人公の(あるいは作者の)硬い意志、曲がらない信念を感じました。

  • ゲスト | 2019-01-27 17:36

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  • 投稿者 | 2019-01-28 00:05

    とことん「混血」の主題にこだわりつつ、新しい構成表現に挑んでいるなと心強く思いました。思想系のグループでは裏切りはつきもので、その後悔懺悔を赤裸々に描写した文学もあって、素材としては新しいものではないのですが、何といっても「本たちの声」が面白くて新鮮に感じました。いろいろな本の声は、作者がTwitter等で磨き上げた予言者のような短い警告文となっていいスパイスが利いています。

    ところで彼は最後の仲間の死刑まで待ったのでしょうか。そして四十年も眠っていた拳銃はまだ使えるのでしょうか。

  • 投稿者 | 2019-01-28 14:37

    「映画に出てくるような、美女の店員が鎮座するような、そんな洒落た古書店」
    →そもそも古書店ってそんな美女の店員がいるもんなんでしょうか?

    部屋の中で幻聴を書くなら『』でくくるのはグルーヴ感があまりないのでもっと書き方はあったかもしれないです。

    幼児期以降からの章にグっと引き込まれます。
    「外では虐められ、上空にはジェット機、家に帰れば題目」
    というのは端的に幼少期が現れていてとても効果的だと思いました。

    「黒人の兵隊と日本人の女が腕を組んでクラブの片隅にいるのを見て、将来混血が生まれるのかと思うとむしろワクワクしてきた。だがこの頃、自分が「自分だけ」でない事も分かってきた。そこら中の暗闇に、自分の同類が潜んでいる。」
    この描写がめちゃくちゃいい!!
    自分が数ある混血児のうちのただの一人だという絶望が明確に表現されていますね…。

    負け犬が住んでいる俺の犬小屋に「本がたくさんある」ということは世間にある色んな意見にやられているということ。
    ホアンの根本的なテーマとお題によくあった作品だと思いました。

  • 投稿者 | 2019-01-28 23:02

    最近、動作を示すわけではない名詞に直接「した」を続ける用法が増えているようです。言葉は長い時間をかけてじわじわと変化していきます。その一端を目撃しているのかかもしれません。先日も「消費税した」という表現を見ました。ホアンさんは八王子の山奥まで来ていただき、ありがとうございました。レポートも書いていただけて心より感謝申し上げます。

  • 投稿者 | 2019-01-29 23:25

    「オマンコも良くした」っていうのはよかったですね、羨ましいです。わたし、いい歳をして童貞ですから…。あなた、ハーフということもあってもてたのでしょう。でも、わたし、こんな鬱屈した人とはお友達にはなれないです。似たような人間と接触したことはあるけどね。それで、70年代後半…、遅れて来た全共闘はわかるのですが、「仲間は順次死刑になって行く」っていうのはちょっとリアリティーはどうかなとは思ったのです。ちなみに、今年は天皇の即位で恩赦がある由、わたしが助命嘆願している二人の人物、一人は上からガラスの雨のあの人、もう一人はクレーンの鉄球でぶち壊されてのあの人、もうかなりのお歳なので、減刑してほしいです。ついでに否認しておられるカレーおばちゃん…、人間性はサイテーだとは思いますが、息子さんのことを思うと助けてあげたい。

  • 読者 | 2019-01-31 15:03

    太田龍かなと思ったら違いました。
    奥崎謙三とか懐かしいですね。本当の対話、活動家に注目したがもっと欲しい。でも雰囲気は満点です。

  • 編集長 | 2019-02-26 19:06

    奥崎謙三などのその道の人に評価される人がでてきて雰囲気がある。

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