快晴

縹 壱和

小説

3,677文字

合評会、間に合いませんでした。
明日世界が滅びる二人の話。


朝の冷たさも、潮風の匂いも、水平線も、どれもいつもと同じで平凡だった。唯一挙げるなら、梅雨の最中とは思えないほど、雨の予感をさせない雲一つない快晴だった。
僕は自転車を止めると、浜に人を見つけた。後ろ姿でも、誰だか分かる。
「おーい」
呼びかければ、振り返る。白いワンピースの裾が揺れる。
いつもは全てを呪っているような目で睨みつけているのに、今日ばかりは、まるで向日葵のような、無邪気な笑みを浮かべている。
「楽しそうだね、遥」
「まあな。旅に出たんじゃなかったの?」
「今日帰った」
「短かいな」
「六日も行けば長い方でしょ」
「旅というにはなー」
がさつで少年っぽい口調に反し、首も肩も腕も、どこをとっても華奢で女の子らしい。だけど、肌にはまだ、いくつも痣が残っている。
「御両親は?」
「帰ってない」
「良かったね」
「ああ」
また向日葵のような笑みを浮かべると思っていたのに、穏やかな微笑みだった。
こんな表情も出来たのか。今日は、見たことない表情ばかり見る。

一週間前。突然だった。
ある新興宗教があった。それは、過激なプロパガンダと、様々な国に支部がある規模の大きさから、危険視されていた。危険視した世界のとった対応は、無視することだった。
街中に危なそうな人がいたら、誰が指示したわけでもなく、その人の周りから人は避けるし、関わらないだろう。プロパガンダばかり過激で、何のテロも起こさなかったから、こちらが何もしなければ、均衡は保たれる。そう、思っていた。
間違いは、この危ない人には求心力があったこと。そして、資金と人材が潤沢だったこと。
世界は、この宗教を楽観視し過ぎていた。もっと、警戒するべきだった。どんな宗教にしろ、信者は、神への信仰心という曖昧なもので、命を投げ出していたのに。人を殺していたのに。
世界滅亡の予告は、朝、SNSや動画サイトに投稿された。どれも文言は同じだった。
「世界中、四方八方に向け、原子爆弾や水素爆弾を投下するスイッチを押した。一週間後、幾数の爆弾が降り注ぎ、世界を浄化する」
幼稚な冗談だと笑うか、不謹慎だと怒った。が、アメリカの研究機関により、本当のことだと伝えられたのは、その日の夕方だった。新興宗教の教祖、幹事、信者達は、皆自殺した。爆弾の恐怖の中に、世界を突き落として。

「旅はどうだった?」
対して興味無さそうな表情だが、遥が社交辞令であれ思ったこと以外を言えるほど器用でないことを知っている。少しは、気にかけていてくれたのだろう。
一週間後に世界が滅ぶと報道されて、僕はその日の内に自転車で旅に出た。どこにも逃げ場は無いのだし、それなら、したかったことをすることにした。その際、他の友人達には何も言わなかったが、遥にだけは言った。
「色々な人と出会ったよ。君も来れば良かったのに」
遥は鼻で笑うと、僕の傍に寄って、砂を気にする素振りもなく腰を下ろした。
「面白く話してくれるんだろう?」
倣って、僕も隣に座る。
「お気に召すよう、下手なりに頑張るよ」

僕らと同い年で、高校生のカップルの話をした。世界が終わると知った日に、心中を条件に付き合い始めたらしい。夜に忍び込んだ植物園で、床いっぱいに散りばめられた百合の上に横たわった男女に、窓から月光が射し込む様は、絵画のように綺麗で、息を飲んだ。結局、毒はただの睡眠薬で、話の終わりを「これも運命だったのよ。もし、赦してくれるなら、私なんかと心中してくれた彼と、最期の一週間を楽しんでみるわ」と結んだ彼女は、まだ眠る彼の横でまた眠りについた。
泊めてくれた家族の話もした。科学者である両親はシェルターの無力さを唱え、両親は研究所、娘は優秀な子どもを守るプロジェクトだののシェルター行きの権利があったが、手放した。僅かな可能性に望みバラバラになって死ぬぐらいなら、潔く諦めて日常の中で死ぬことにしたらしい。しかし娘は、諦められなかった。
「家族は好きだけど、家族と離れて死ぬことになってもいい、僅かな可能性でも縋りつきたい。たった十年しか生きてないんだ。両親みたいに諦めきれない」
酷いと思うか訊ねられて、凄く人間らしい良い考えだと思う、と答えるしかなかった。
中学生の少女に泊めてもらったこともあった。そこは廃屋で、自分を苛めたグループのリーダーの少女を殺して、その死骸と共に身を隠していたらしい。人並みに危険だとも思ったが、少女はリーダーと幼馴染みで長年恋を患っていた。愛しさ余って憎さ百倍。なら、僕が怯えるだけ不毛だし、彼女に失礼だ。白いセーラー服が汚れることも構わず、暑さですでに蛆が湧き腐臭のする亡骸を抱え、見つめる目は、真っ直ぐな純粋な眼差しだった。
車で旅をする男の人三人組にも会った。一人は大学生、一人は会社員、一人は病気で長いこと入院してて高校を留年、休学中。しかし、どうせ一週間後に死ぬのなら、都合が合わず先伸ばしにし続けた旅行に今行こうとなり、病院を抜け出し、または仕事を投げ出して旅に出たとのことだった。偶然トイレで高校生の青年と鉢合わせた時、彼は血を吐きながら咳き込んでいたが、落ち着いた後、二人には言わないでくれと頼んできた。
「今が一番楽しいんだ。だから、心配されたくない」
強がりも無理も感じられない、心底楽しそうな笑顔が忘れられない。彼は、僕がトイレを出てすぐに二人からありがとうと言われたことを、すでに気付いていながら気付かない振りをしていることを、知らないだろう。
とあるデパートの本屋には、青白い肌に濃い隈、濃い口紅にゴシック服と、魔女のような人がいた。彼女の周りには沢山の本が積まれていた。幼い頃から勉強ばかりだった彼女は、お洒落なども禁止され、唯一許された娯楽が本だった。しかし、世界が破滅し今までのことが無駄になり、抱えていた鬱憤が爆発した。初めてデパートに行くと、ずっと興味のあったゴシック服を着て、化粧をした。他にも、ゲームなど初めて娯楽を楽しんだ。そんな風に徘徊していると、小さな本屋を見つけた。そこには、好きな作家の新刊をあった。読んでいる内に別の本、別の本と手が伸びていき、結局、我慢していたお洒落への欲をなくし、寝る間も惜しんで読み続けているらしい。

「僕が出会った人達の話は、これで終わり」
他にもいるが、話にして面白いのは、このぐらい。
「いい旅だったんだな」
「うん。遥の方はどうだった?」
「クソみたいな両親は帰ってこないし、学校は無いしで、殴られることはなかったよ。近くのコンビニは店員いないから、飯が食えたし。良いことずくめだな。何て言う神様だっけ、知らないけど良い神だな」
「最期に、したいことはなかったの?」
海を見つめていた目が、僕を見る。横顔は楽しそうな笑顔だったのに、無表情だ。ほんの僅かに口角が上がって見える。この表情を何と言うんだっけ。漫画の手法か何かだと、テレビで言っていた気がする。
「何だと思う、最期にしたいこと」
目が凪みたいだ。
「分からない」
「アンタと――悠生と二人きりになること」
凪みたいな目が近付く。僕も遥も黙ってしまったから、海の音と二人の呼吸ばかりが響く。
額と額がぶつかりそうな眼前で、遥がニヤリと勝ち気に笑った。可笑しそうに声をあげる。
「困った?」
「困らないけど、照れた」
遥は笑いながら、よーしと立ち上がると、お尻を叩いた。砂塵が舞う。
「海に入ろうよ。これが最期にしたいこと」
手を伸ばされて、やれやれと立ち上がった。

冷たい水が素足を浸す。
「明日死ぬのに、後悔とか、恐怖とか無いの?」
「とっても清々しいよ」
えい、と水を蹴りあげるから、僕に飛沫がかかる。
「悠生が会った人達もそうだろう。心中したがった彼女は、一週間だからこそ前向きになれただろうし、彼氏だって世界滅亡ってきっかけがあったから告白したんだろう、どうせ。中学生も、滅亡しなければ捕まって、愛しい死骸と離ればなれ。三人組は滅亡するからこそ飛び出したわけだし、魔女もおかげで溜まってた欲を吐き出した。皆、何だかんだ言って、世界が終わることが清々しいんだよ」
「シェルターの家族は?」
「それは知らない」
「えー」
ばっさり切られて苦笑すれば、遥は、そんなこともあると言った。そして、そういえば、と話を変えた。
「原爆はわかるけど、水爆が落ちたら、人間はどうなんの?」
「島が蒸発した記録はあるらしいよ。人間もそうなんじゃないかな」
「ドロドロになりながら熱い熱いって彷徨いながら死ぬより、蒸発する方が人道的だよな。折角なら神様も、水爆だけにしてくれりゃあ良かったのに」
「ここなら水もあるし、大丈夫じゃない?」
「焼けた皮膚に塩水とか、拷問だろう」
そうだねと納得すると、僕は笑った。笑い事じゃないけど、笑った。
唐突に腕を引かれるて、遥に被さるように倒れていく。このままだったら、さほど濡れなかっただろう。けど、咄嗟に遥を抱き締めて、受け身をとってしまい、二人とも横向きで海に倒れた。僕は左半身びしょびしょだし、遥は右半身びしょびしょになった。
何すんのって笑いながら上半身を起こせば、遥は楽しいねって笑った。

2018年7月25日公開

© 2018 縹 壱和

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