胸毛百珍

大猫

エセー

2,125文字

初めまして。大猫と申します。ご挨拶代わりに数十年前に書いたエッセイを投稿いたします。胸毛に関する文芸の香り高いアホなエッセイです。クラークゲーブルとかロバートレッドフォードとか、ハリウッド俳優がとんでもなく古いのはどうかご容赦ください。

私は体毛の濃い男が好きだ。
なぜかと言うと、自分が毛深いたちだからだ。
女の私よりも毛が少ない男など、それは男と呼ぶべきではない。
どんな美男でもだめだ。許せん。

では、毛があればそれでいいのかと言うと、そういうわけでもない。
そこはバランスというものが大切だ。全身、腕にも、脚にも、脇の下にも、臍の下から太股にかけても、まんべんなく生えていなければならない。そして何といっても、一番のポイントは胸毛だ。これがなければ困る。男に胸毛がないといって困るのは、世界中で私一人だけかもしれないが、困るものは困る。

しかし、世の中はままならぬものだ。私は中国人と結婚した。そして、中国人というのは、どうやら世界中で一番体毛の少ない人々であるらしいのだ。

むかっ腹の立つことに、私の夫には胸毛などない。毛が生えていないわけでもないが、それは乳首の回りにぶら下がる、数本の黒糸状のシロモノであり、私の求める「胸毛」からはほど遠い。
「胸毛の生える薬はありませんか。」
と薬局で聞いたら、おじさん、私が自分で胸毛を生やしたいものと勘違いして、懇切丁寧に女性の体は胸毛を生やすようにはできていないのだ、と説明した。

 

知合いにイラン人と結婚した人がいる。彼女のダンナは、私の体毛基準によれば、まさに理想的である。なぜ、先に私と知合いにならなかったのだ、などと、考えてしまったこともあったが、最近は私も色恋沙汰よりは友情を重んじるようになったので、彼女の一家とは平穏に行き来している。

白人、コーカソイドと呼ばれる人々に体毛が多いのは、私たちも経験上、知っている。イランという国名は「アーリア人の国」という意味だそうだ。「アーリア人」とはどのような人々か、を論じていたら、終わらなくなってしまうので、それはよそうと思うが、ともかく、イランの人々は遺伝的にはアラブ諸国の人々よりは、ヨーロッパの人々に近いものらしい。

彼女によれば、朝のダンナの髭剃り音は、チェーンソーのエンジン音よりもやかましいと言う。子供が赤ん坊の頃は、よくその騒音で目を覚まして泣いたそうだ。
バリバリバリ、ガシャガシャ、ガガガガガ・・・・・
普段はこのような音だが、二ヶ月に一度くらい、ギュルギュル、ギギギギギギ、ブスブス、バシッ! と鳴って、シェーバーが止まったと思ったら、
「また、刃が折れた」
と、顎をさすりながら出てくるのだそうな。
このシェーバーだってただものではないのだ。日本のあんちゃん用のちゃちいものではとても用が足りないと、わざわざドイツの一流メーカーから、特別「髭の濃い方」向きの高級品を取り寄せているのだ。それすらも叩き折ってしまうとは、いやはや、「鋼鉄の髭」と申し上げねばなるまい。

であるから、この人の体毛もさぞかし立派だろう、と、彼女に聞いて見ると、
「これ見る?」
とダンナと二才になる彼らの娘との入浴シーンを写した写真を見せてくれた。
父と幼い娘。面差しもよく似て、まったく微笑ましい。そして、よくよく見ると、湯船につかっている彼の首の下には、ワカメ状の黒いものがゆらゆら浮かんでいる。
「毛が浮かんできて、湯船が真っ黒になるのよね。」
うむ、見事! しかしここまで来ると、人間というよりはゴリラだ。
一度、湘南ビーチへ行った時に、海パンになるからと、全身の毛を一日がかりで剃ったのだそうだ。後の掃除が大変だったに違いない。それよりも、剃った後の、切先が尖った生えかけの毛は、触るとさぞかし痛かったことだろう。聞いてみると、
「すっかり生えそろうまでは、夜はTシャツを着てシテたわよ。」
なるほど。

 

私のあこがれの胸毛は、やはり「風と共に去りぬ」のレット・バトラーの、「白いシャツの襟元からのぞく黒く濃い胸毛」だ。映画のクラーク・ゲーブルもよかった。ポーカーなんかやりながら、しどけなく襟元をくつろげているのだ。ああ、しびれる。
「嵐が丘」のヒースクリフに胸毛はあっただろうか? そんな描写などなかったかもしれない。しかし、私のイメージでは、暗い熱情に身を滅ぼしたヒースクリフには、絶対に「黒い胸毛」がなくてはならない。
しかし、ロバート・レッドフォードのブロンドの胸毛も捨て難い。
何かの映画でレッドフォードの胸がアップになったのを、目を皿のようにして見たが、ごていねいにも、胸毛にまできれいなウェーブがかかっていた。

成熟した男の胸毛もよいが、少年から若者になりたての「ロリータ胸毛」もなかなか素敵だと思う。たとえばロミオの胸にはうっすらと生えかけの金色の胸毛があって、ジュリエットと過ごした夜明けの太陽にキラリと光ってほしいものだ。そうそう、シェークスピアといえば、やっぱりオセローだ。ムーア人のオセローには肌よりも黒いアフロー胸毛がよく似合う。

 

しつこいようだが男の魅力は体毛であり、その究めつけが胸毛だ。
男が女と決定的に違うのはそこなのだ。
もじょもじょの剛い胸毛を受け止めるためにこそ、女の柔らかな胸が存在するのだ。

そこのおにいさん、毛を剃ってはいかん。
ましてや脱毛など、間違ってもしてはならん。
将来、私のような女が増えたらどうするのだ。
「つるつるのウナギ男」と、バカにされるのがオチだぞ。

2018年1月12日公開

© 2018 大猫

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"胸毛百珍"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る