でぶでよろよろの太陽(6章 の3)

でぶでよろよろの太陽(第18話)

勒野宇流

小説

2,014文字

   (6章の3)
 
 
 特別サービスについて、根を詰めてとうとうと話されたわけではない。もはや敵地に乗り込んでのそれなので、相手は強引にでもいい加減にでも、もっと言えば強制してでもできたはずだが、説明は控えめで、極めて丁寧なものだった。

 話は単純だった。夢の中に、三日、生きられるという。
 
「夢のような話だ」
 
 わたしは茶化す。沢田は気色ばむことなどまったくない。うすく、静かに笑うだけ。そして数秒の間を取ってから、また話し始める。
 
 ただの夢ではない。感覚のある、実際の世界と変わらない夢だという。明晰夢、感覚夢などという言葉も途中で出てきて、それらの説明も受ける。幻視や幻覚なども。といって、科学の講義を聞いているような、堅苦しいものではない。
 
 わたしはその話に引き付けられることになった。睡眠時によく見る、漠然とした夢とはまったく違う。現実世界と変わらない世界に、三日だけいられる。つまりは人生の最後に、好き勝手に行動できるという。
 
 貯金をつぎ込むことにはなるが、わたしはそのサービスを受けることにした。家が軽く一軒買えるほどの金額だが、それが高いという感覚はなかった。どうせ持っていたってしょうがない金だ。民法上の相続人に該当する者は、わたしには一人もいない。遺贈したい相手も団体もなく、国庫に没収されてしまうというのがオチというのなら、使ってしまった方がマシだ。
 
 彼ら『業者A』は、綿密に調査をしてわたしのような人間を探しているのだろう。天涯孤独と言ってもいいような、身寄りのない、財産でもめることのない人間。わたしは実にピッタリだったわけだ。もはやホスピスだけが行先となった、身寄りのない小金持ち。それがこの『業者A』の行うサービスにとって、重要な条件となるようだった。
 
 最後の最後に、一般的な生活を送ることができる。体が自由に効き、大地を勝手気ままに歩き回れる。わたしが承諾すると、『業者A』はさらにさまざまな説明を加えてきた。しかし説明などどうでもよかった。もう寿命が残っていないのだ。
 
 もし騙されたとしても、恨むこともない。いや、たしかに恨みはするだろうが、それも意識の薄れた状態とあっては、ほんの少しの間のことだ。意識がなくなれば、恨もうにも恨めない。『業者A』は失敗の可能性は極めて低いことを丁寧に説明したが、別段失敗したって構わなかった。
 
 そんな夢のような世界なのであれば、死を迎えるまでずっといさせてくれとわたしは言った。しかし期限は三日間だけで変えられないという。追加料金を払ってもだめだという。三日をすぎるとなんらかの問題が起こるらしい。業者はもちろんそのことを説明してくれたが、痛み止めのモルヒネに頼る身では、完全に理解することはむずかしい。はいと返事をすることすら億劫なのだ。体が重く、鈍い痛みがずっとずっと続いていた。
 
 そして今、わたしは、その『業者A』が設定する夢の世界にいた。夕暮れだけが続く世界に。ここに入り込んだときは、これが夢の中だとは、あまりに現実感があるので、まったく信じられなかった。
 
 ラーメン屋を出たわたしは、また目的もなく歩く。
 
 学校があり、わたしは校庭に入り込んだ。広いグラウンドを囲むように、ブランコや鉄棒、ジャングルジムがある。夕日がそれら遊具を、鈍く光らせていた。
 
 2階建ての校舎に体育館。プールには水が張ってある。だれもが六年間通う場所。もちろんわたしもそうだった。中がどういう造りなのか、容易に想像できる。教室も、廊下も。
 
 6年、とわたしは思い、愕然とする。なんという長い時間だろうと。
 
 職場を除けば、6年も同じ場所に通うことなどそうあるものではない。小学校というものは、それほど人生の中に多くの時間を占めるものなのだ。しかもその六年は幼いときのものなので、本人が長さを意識しないときている。
 
 平均寿命まで生きている者はいいものだ。小学校ですごす時間は、人生の12分の1程度だからだ。しかしわたしにとっては、8分の1も占めてしまう。なんら悔やむことなどなかったはずなのに、その割合の大きさに後悔の念が首をもたげた。
 
 棒っきれのような布が落ちていて、手に取ってみると固い。中に縦笛が入っていた。
 
 だれかの落とし物のようだ。当時の諸々が、わたしの頭の中に広がる。軽く拭ってから、口にあてて息を吹いた。
 
 掠れた音しか出ない。そう、わたしは苦手だったのだ。
 
 ハーモニカから縦笛に変わったのは小学校三年だったか、それとも四年だったか。不器用なわたしは上手く吹けなかった。音痴なところにもってきて、手先も不器用なのだ。
 
 特に苦手だったのは、基本の「ド」の音だ。下の空気孔を親指で半分開けるのだが、その微妙な感覚がうまくつかめなかった。
 
 音楽だけではない。体育や図画工作、美術に技術に家庭科と、義務教育の間、主要五教科以外はからっきしだった。
 
 こういう人間が面白い人間なわけがない。わたしはあだ名も付かないような、目立たない子どもだった。
 
 

2017年12月12日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第18話 (全30話)

© 2017 勒野宇流

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