百合は未知なるインヴィトロ

春風亭どれみ

小説

6,026文字

以前、他投稿サイトさんで習作で書いたものでした。

「こら、馬鹿男子。小百合ちゃんをイジメるな! そういうのは差別っていってすごく恥ずかしいことなんだからね」

 

「うわっ、学級委員長のお説教だー。お説教病が移るぞー、逃げろー」

 

私は馬鹿な男子どもを箒で追っ払って、教室の端っこで泣いている小百合ちゃんに「大丈夫?」と声をかけた。

 

「ごめんね、レイラちゃん。大丈夫だよ、私、慣れてるから……」

 

教卓の裏で膝を抱えて縮こまっている小百合ちゃんはそんなことを言って、笑ってみせたけど、薄桃色のほっぺたには涙の跡が残っていた。小百合ちゃんの瞳は、左目が深い緑色、右目が鳶色っていうらしい甘い茶色をしている。

 

その両方の目がうるんでいるとまるで二種類の宝石が並んでいるかのようでとても神秘的な感じがして私はとても綺麗だと思ったし、小百合ちゃんの微笑みを見ているといつも、何故だか心の奥がトクトクと音を立てて、不思議な気持ちになるのだけれど、今はそれ以上に男子たちへの怒りの方が勝っていた。

 

先生は、「男の子たちはきっと小百合ちゃんが可愛いからついイジワルをしちゃうのよ」と、言っていたけれども、納得いかなかった。だって、綺麗な宝石を見つけたら、金槌で粉々にしてやろうと思うだろうか、少なくとも私は思わないし、理解できない。

 

それにアイツたちは汚い。決定的な言葉の毒をかけるのはきまって、先生がいない時。いる時は大概、「ブス」だとか、「泣き虫」だとかいってイジめている。

 

小百合ちゃんはどこからどう見てもブスじゃないし、泣き虫だって、そもそも泣くことはどうしていけないのとも思うから、その的外れな罵倒はオトナの先生には他愛もないからかい文句くらいにしか映らないのだろう。

 

でも、私は男子が、小百合ちゃんのことを「試験管ベビー」って言葉で、差別することだけはどうしても許せなかった。その差別観がいかに間違っているか、家庭科の時間でも習ったし、テレビでもよく、校長先生みたいな顔をしたジャーナリストがやさしい言葉でその歴史と、必然性を説明して回っている。

 

“わが国では、その科学技術、宗教観、そして少子化の観点から、いちはやくこの問題に取り組み成果をあげてきました。今では、母体への安全性という観点からこの出産方法を選ぶ家庭も増えています”

家庭科の教科書を開いても、この通り。私はお母さんの中から生まれて来たみたいだけれど、隣の席のララちゃんも、サッカー部のケント君も、胎外出産っていう方法で生まれたらしいし、それ自体はもう珍しいことじゃない。誰もそのことでいちいち気にしたりなんかしない。

 

むしろ、それに対して、なにか言っちゃう方が、時代遅れなのである。この前、口の悪いことで有名な国会議員がそういった類の発言をして、バッシングを受けていた。おじいちゃんとおばあちゃんは、それを見て、「イマドキ、昭和生まれの私たちでもそんなこと言わないわよね」と呆れていた。

 

けれども、小百合ちゃんのケースは、ちょっと違っていた。

 

小百合ちゃんの場合は、精子と卵子の受精を経ていない純粋な「試験管ベビー」なのだ。なんでそんなことを私……みんなが知っているかというと、彼女が生まれた時、世間ではちょっとした議論になったからだ。

 

小百合ちゃんは、男女五人のDNAを均等に組み入れて、生まれた子どもで、受精卵から生まれた子どもではないのである。

 

ある声は、「より進歩した」と言い、またある声は「非倫理的ではないか」とも言ったそうだ。一部のとんでもナチュラリストが、受精を経ない子どもは「サイコパス」になると言って、大騒ぎにもなったそうだ。「サイコパス」も、「試験管ベビー」並みにひどい差別用語だと一般的に認知されている汚い言葉だ。

 

当事者のパパとママたちや当然、小百合ちゃんをおいてけぼりにした侃々諤々の議論に納得できる結論は出るはずもなく、最終的には、とりあえず、生まれた子どもを見守ろうという結論になったらしい。彼女の誕生は、道徳の教科書でなく、科学の教科書に記載されている。

 

勿論、プライバシーの観点から、小百合ちゃんの名前は教科書には、直接出てこないけれど、怖いもので、そういうことは言わずともすぐ周りに知られてしまうのだ。国際結婚、同性婚、色んな家族がいるけれど、男女五人の親がいる家族の子どもというのはまだまだ珍しい。こんな小さな町にいれば、みんな何となく、「アッ、あの子なんだ」って、察するものだ。

 

それが藤真小百合ちゃん。ファミリーネームだけじゃなくて、ファーストネームも全部漢字と、名前まで珍しい子。そして、私には見ていると何だか落ち着かなくなる……そんな子。

 

「男の子たち、行っちゃったね……」

 

私はずっと小百合ちゃんの顔を神妙な顔つきで見つめ続けていたらしかった。小百合ちゃんはちょっと困ったように笑いながら、そう言った。

 

「アイツら、放課後、サバゲーしにいくって言ってたから、もう教室には帰って来ないよ。今度こそ、さっきの差別発言、先生に言いつけてやるんだから。私、小百合ちゃんがそんな風に言われるのが許せないの、小百合ちゃん、可哀相だもん」

 

アイツらのしたことを思い出すと、私は、また腹が立って来た。それを見ていた小百合ちゃんは、キョトンとした顔で私を見ていたけれど、ふと思い立ったように、ちょいちょいと私を手招きしてみせた。

 

「ここに来ると、やさしい感じに暗くて落ち着くよ。男の子たちに何か言われると、私、いつもここに逃げ込んじゃうの」

 

そう言って微笑む小百合ちゃんは、泣きそうでも辛そうでも、また困っている感じでもなかった。何か、秘密基地を特別に紹介してあげる時の小さい子どものような無邪気な微笑みという感じに見えた。

 

私は小百合ちゃんに招かれるまま、教卓の裏に潜り込んだ。確かにここに来ると、怒りはおさまっていく感じがした。けれども今度は、小百合ちゃんとの距離が近すぎた。小百合ちゃんのまわりはしっとりとあたたかく、息を吸ったりはいたりする音もかすれて聞こえて、私は胸があからさまにドキドキしてきて、おちつかなくなっていた。

 

「ねえ、レイラちゃん?」

 

「へぁっ!?」

 

小百合ちゃんが急に私の方に振り向いた。薄暗い中だといっそう、彼女の瞳は輝いて、吸い込まれるようで神秘的に見えた。それに比べて、私は何とも間抜けな返事をしてしまったものである。

 

「私、自分のこと、可哀相だと思わないし、試験管ベビーって言われても、全然、へっちゃらなの。だから、ホントに大丈夫。ごめんね、レイラちゃんに心配かけちゃった」

 

小百合ちゃんは、私が思いもしないことを囁いた。てっきり私は、見た目からして、今にも壊れてしまいそうな精巧なガラス細工のような小百合ちゃんはきっと心も綺麗で、繊細で、守ってあげなくちゃいけない存在だと思っていた。

 

それだけに、「へっちゃら」という言葉をつかう彼女が何とも意外にも映ったのかもしれない。

 

「じゃあなんで、小百合ちゃんは泣いてたの?」

 

「え、私、泣いてた?」

 

小百合ちゃんは両手で口を抑えて、少しばかり照れた表情を見せた。とても綺麗な涙、見ていると切なくなるし、心配になるけれど、恥ずかしいだなんて思う必要はどこにもないとても澄んだ涙なのに……ちょっぴり私はムキになって言い返してみたくなってしまった。

 

「小百合ちゃん、泣いてたよ。私、この目でしっかり見たもん」

 

「じゃあ、私、ブスって言われたのが、悔しかったんだ。それで無意識に。だって、私、ブスじゃないもん」

 

小百合ちゃんの心は触れば壊れてしまいそうなガラス細工などではできていなかった。同じように繊細な輝きを持ちながら、実は誰よりも芯の強いダイヤモンドでできているんじゃないかと、彼女の言葉を聞いて、私は思った。

 

「私の左目と右目は違う色をしているでしょう。茶色い方がユカリパパの目の色で、緑の方はアスカママと一緒なの。それでね、この鼻の形はリンママに似ていて、このふわふわした栗色の髪はジョーパパと似ているんだって、でも、もうジョーパパは髪の毛が薄くって。パパはいつも、髪の毛は僕にそっくりっていうんだけど、私、禿げちゃうのは嫌だなあ……そんな感じで大好きなパパとママたちの素敵なところをたくさんもらっているのが私の顔だから、それを悪く言われちゃうと、悔しいのかもしれない」

 

お父さんもお母さんも、学校の先生も、テレビの前のオトナたちもみんな口を揃えて、「目の色、肌の色、宗教、思想、どんな背景を持っていても、私たちはみんな同じ人間です」って言っていたけれど、私は自分の顔に対して、そんな考え方をしたことなど一度もなかったから、小百合ちゃんのいう言葉は新鮮で、不思議で、その彼女の自慢の特別な顔も相俟って、小百合ちゃんはどこか遠い星からやって来た宇宙人なんじゃないかって、ふと思ってしまった。

 

それって、小百合ちゃんをまるで人間じゃないって思ってしまったってことだろうか。そうだとしたら、私は酷い差別主義者なんだ。

 

そんな気持ちが嫌になって、見たくなくて、私の方が膝を抱えて、蹲ってしまった。最初は私が小百合ちゃんを慰めてあげようと思っていたのに。これじゃあ、あべこべだ。

 

塞ぎこんでいる私を小百合ちゃんは心配そうに覗き込み、そっと呟いた。

 

「ねえ、レイラちゃん。キスしようか」

 

「は!? 何、言ってんの、小百合ちゃん、絶対、おかしいよ!?」

 

そう言ったそばから、ハッとしてしまった。口に出してつい言ってしまった。あの馬鹿な男子どもと、まったくもって一緒のことをしてしまったと私は思った。

 

けれども、小百合ちゃんはむしろ、そう言われて、喜んでいるように見えた。変なの、小百合ちゃんはやっぱりちょっと変なんだ。

 

「私、まだレイラちゃんにありがとうって言えてなかったし。ありがとうのキス。レイラちゃんのパパとママはキスしないの?」

 

お父さんとお母さんは、何度も繰り返し再放送されるドラマみたいな大恋愛をして、結婚したっていうから、もしかしたら、キスは何度もしていたのかもしれないけれど、私の前では少なくとも二人がキスをしたことはなかった。

 

しかし、恋愛といえば、小百合ちゃんちはどうなっているのだろう。ドラマではよく三角、四角関係というものが場を盛り上げる為にいたずらに設けられて、そのたびに誰かが悲しい気持ちになったり、陰で泣いていたりする。私はそういうシーンがどうしても、見られない性質なので、そんな場面になると、すっと席を立ってしまうのだけれども。

 

「うちはよくするの。ありがとうのキスとか、ごめんねのキスとか、あと大好きのキス。私もパパママたちからよくされるんだけど、ヒカリママはおひげ剃っていない時はちょっぴりチクチクしているんだ」

 

小百合ちゃんは家族のことを話している時、心の底から楽しそうな顔をする。これじゃあ、可哀相なんて思う方が確かに馬鹿みたいだった。小百合ちゃんの心がしっかりと強く輝いているのは、心にしっかり栄養を貰っているからなんだって、思えた。それだけに、私は小百合ちゃんちの小百合ちゃんを含めた六角関係がどのようにして成り立っていうのか、いっそう気になってしまった。

 

「好きってさ、友情とか愛情とか、あるじゃん。ありがとうなのか、ごめんねなのか、分からない時もある。今、小百合ちゃんがしようとしてるのはどっち? どうやってそれは見分けているの?」

 

「それね、昔、私も分からなくてみんなに質問して回ったことがあるの。そしたら、みんな、小百合はヒカリに似ている。その質問なら、ヒカリに聞きなさいっていうから、ヒカリママに聞いてみたの。そしたらね……」

 

小百合ちゃんはひとつ咳払いをして、わざとらしい野太い声をし始めた。おそらくヒカリママの声真似なのだろう。

 

「いいかい小百合。私は、小百合を含めて五人を心から愛しているんだ。その愛のパーセンテージに関して、私は過去に深く深く悩んだこともある。例えば、ジョーのことを私は愛しているが、それは友情という成分もあり、愛情という成分でもあり、それの50%、50%か、いや、7:3かなとか、けれどもね、いろいろ入り混じったこのジュースみたいな好きの形は結局、そのどれでもあり、どれでもない。その相手に一つしかない特別な気持ちなんだ。私たちは出逢ってから、いろんな種類の好きで惹かれあい、尊重し合い共同で生活しようと決めたんだ。そして、五人の結晶が小百合なんだ。だから、君の名前は、綺麗に五人の苗字から綺麗に20%ずつ取っている。五人は苗字もバラバラだけれども、一つの家族のつもりでいる。藤岡ユカリ、真野アスカ、小柳ジョー、百瀬リン、そして、私、合田ヒカリ。プラスワンされたのが、君、藤真小百合さ。我ながらいい名前だと思うよ、実は私が名付け親なんだよ」

 

親の真似を一しきりし終えた小百合ちゃんはとても満足そうだった。似ているか、似ていないかは正直、会ったことがないので、分からなかったけど、彼女が普段から注がれている熱のようなものはしっかり伝わってきた。

 

「やっぱり、教科書じゃ分からないね。ホントはもっと変わってるんだってこと」

 

私が少し、憎まれ口を叩くように呟くと、小百合ちゃんはクスッと笑った。

 

「学級委員長のレイラちゃんがホントはちょっとひねくれ者なことも、教科書には書いてないもんね」

 

「小百合ちゃん、ホントはやっぱり、この中でいつも泣いてるんでしょ?」

 

「加えてイジワルときた」

 

小百合ちゃんは言葉がすぐにポンポン出てきて、言い争いなら、私はすぐに負かされてしまいそうだった。それなのに、いつも小百合ちゃんは男子どもにイジメられても、何も言い返さずにじっと黙り込んでいる。

 

でも、今なら分かる気がした。あんなみっともない言葉などに、大事な自分の言葉を濡らされたくなんかないんだ。

 

私は瞳を逸らさず、小百合ちゃんを見つめて、それから、少し勇気を出してから、そっと唇に唇で蓋をした。 それが何%ずつの感情がまじったのもなのかなんて、知らない。

2017年11月7日公開

© 2017 春風亭どれみ

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