サークルクラッシャー麻紀

サークルクラッシャー麻紀(第1話)

佐川恭一

小説

10,223文字

文芸サークル「ともしび」は真面目な活動を重ね、各種文学賞においてかなりの成果をあげていた。しかし超絶美女・麻紀の加入により様相は一変。荒れに荒れる人間関係、失われる童貞、飛び交う精液――「ともしび」に明日はあるのか? 京都大学サークルクラッシュ同好会会誌vol.4掲載作品。

サークルクラッシャー麻紀の朝は早い。相当早く起きてシャワーを浴びる。その方が髪がいい感じになるのである。観るのは『す・またん!』。食パンは焦げ目が結構つくまで焼く。電気ケトルで沸かした湯とインスタントコーヒーの粉末を銀色のスプーンでかき混ぜる指は白く細くセクシーである。爪にはわりと高めの鮮やかな装飾。ショートボブの髪をコテで内側に巻いていく。化粧はナチュラル。ぴかぴかの鏡でチェック。サークルクラッシャー麻紀は今日も美人である。明るく元気に大学に通う。すれちがう男子学生たちのうちヒエラルキー下位の者たちは目を合わせることもできずうつむく。サークルクラッシャー麻紀の放つ輝きはヒエラルキー下位に耐えられるようなものではない。ヒエラルキー上位は「おう」「ウィス」「よっ」などと軽やかに挨拶をし、時には短くまとまったオシャレな会話をやり取りする。それを眺めるヒエラルキー下位はルサンチマンをみなぎらせる。そのエネルギーは彼を演劇に向かわせたり、絵に向かわせたり、文学に向かわせたりする。芸術とはヒエラルキー下位のものなのだとヒエラルキー下位は言う。生きる才能に恵まれ現実と馴れあうヒエラルキー上位に芸術はわからない。そのようにヒエラルキー下位は言う。読書好きの父親の影響で幼い頃から活字に親しんでいたサークルクラッシャー麻紀はしかし小説に造詣が深い。読解力にも定評がありセンター現代文も満点。趣味は読書とサークルクラッシュ。得意技はだいしゅきホールド。サークルクラッシャー麻紀が京都大学の中でもっとも芋くさいとされる文芸サークル『ともしび』の部室に足を踏み入れたとき、時が止まった。サークルクラッシャー麻紀はそういう瞬間が三度の飯より好きである。ザ・ワールド! 心の中で叫ぶ。男4、女1。すばやく人数を確認。女のルックスは中の下。男どもはおしなべてヒエラルキー下位。おし隠せない童貞の香り。右手にべったり貼りついた精液の幻影が見えるようである。もっともサークルクラッシュの起きやすい「紅一点」の戦形ではあるが、部屋の雰囲気、男どもの表情からして、この文芸サークルは平穏期にあると即座に判断する。サークルクラッシャー麻紀は低姿勢を装って挨拶する。

「急にすみません、あの、わたし小説とか好きで、興味あって」

ヒエラルキー下位たちは一様に顔を真っ赤に染める。その中で部長を務める男、ある有名な、『ともしび』が毎年目標としている文学賞(以下A文学賞とする)の最終選考に残った一番の実力者でもある男がサークルの説明をたどたどしく始める。ヒエラルキー上位などには小説はとんとわからぬのだ、HAHAHA……といつも内輪で盛り上がっている彼らであるのに、手の届かない別世界に住むヒエラルキー上位が目の前に、しかも自分たちとのかかわりを望んで現れた途端、ヒエラルキー下位たちが丹念に磨き上げ自己暗示を繰り返したはずの逆転の論理――現実的に下位の者こそが芸術的に上位に立つという論理――はもろくも崩れ去る。男たちは欣喜雀躍し、「一緒にがんばっていきましょう!」とニヤつきを隠せないまま言う。紅一点は、男たちがいつも「小説がヘタなやつなどウチにはいらないのだ、HAHAHA……」などと豪語していたのに、その作品をろくにチェックすることもなくサークルクラッシャー麻紀をすんなり受け入れていることに、特に怒りを感じているわけでもない。紅一点は男たちのあらわになった愚かしさをつぶさに観察し小説の題材にしようと考えている。これがブスだったら? 紅一点は考える。きっと男たちは厳しい試験を課してブスの混入を避けようとしただろう。私が入るときには三十枚の短編のチェックがあった。なんとか一定のレベルを超えていると認められ、晴れて『ともしび』の一員となれたのだったが、この絶世の美女を前にした男どもは誰も試験を行おうとしない。本人にどうすることもできない、また本質的でもない表層の「容姿」を選考の一基準に採用することは、芸術からもっとも遠い行為であるとは思わないのだろうか……紅一点はいろいろ考える。考えるのが好きなのである。会話は苦手。趣味は読書と執筆とプロレス鑑賞。得意技は長州力と橋本真也の罵り合い(通称コラコラ問答)のモノマネ。紅一点は頬杖をついて場の流れを見守っている。はしゃいでいる男たちの中では唯一、冷静な目を保っているのが部長である。サークルクラッシャー麻紀の加入について、部長と残る男三名との間には明らかな温度差がある。もともと学歴を天皇とする軍隊式の男子校出身であり、実際に受験戦争を勝ち抜いた部長には、ストイックに努力を続ければ必ず道は拓けるという信念があり、また恋愛などという桃色の誘惑に負ける者はどんな道を選ぶのであれろくな成果を上げることができないと考えている。事実、彼の通っていた予備校の現役生向けのコースには恋愛慣れした女子高からの刺客「玲奈ちゃん」通称「れいにゃん」が送り込まれ、男子校の仲間たちの童貞が次々に奪われるという惨劇が繰り広げられた。そして童貞でなくなった者はほとんど全員が京都大学に落ち、同じ予備校の浪人コースで一年ないし二年あるいは三年に渡り学費を搾り取られたのである。部長は、れいにゃんは予備校の雇った傭兵だったのではないかと今でも考えている。れいにゃんは、男子校の凄まじい受験指導によって偏差値以外に価値を見出さなくなった男たちの強烈な洗脳をいとも簡単に解き、彼らがいかにひどい視野狭窄に陥っているのかを身体をもって教え込んだ。世の中には星の数ほどの異なる価値観があるのよ、それらはすべて幻想かもしれない、ある人間にとっては至上の価値を持つものも、別の人間にとっては塵のように無駄なものであるかもしれない、あなたたちの学歴信仰は乱立する幻想的価値観の中のちっぽけな一つにすぎないのよ……れいにゃんは裏筋を丹念に舐め上げるフェラチオによって、あるいはヴァギナにペニスを挿し込まれてイキ狂うことによって、そうした「事実」を男たちに伝える。確かな快感、幻想でない生身の、若い女性の聖性さえ帯びた肉体の魅力によって伝える。男子高生たちの偏差値は下がった。めちゃくちゃ下がった。全国模試で七十台前半だった偏差値が五十台半ばにまで下がる者もいた。誰も京都大学に届かない。部長はしかしそのようなれいにゃんの誘惑に敗北しなかった。れいにゃんは現在付き合っている彼氏に関する悩みを他の男に相談することによって、男たちの友人関係を対戦車砲のようにも破壊しながら、数珠つなぎの要領で恋愛関係を更新していった。その一環に部長が選ばれそうになったことは確かにあって、「最近な、○○くんとうまくいってへんねん」などと帰りの駅にいたる道のりの中でさめざめと泣き出され、思わず抱きしめて「おれじゃだめか?」と言いたくなったことは一度や二度ではなかった。れいにゃんは殺人的にかわいいのである。髪をダークブラウンに染めており、化粧は濃い目で、制服のスカートはかなり短く、ふとももは最高に白い。これを○○や××はぺろぺろしたというのか? その先にある神秘までもなめ回し、汚らしい男根を突き入れ性的絶頂を迎えるまで往復運動を繰り返したというのか? だが部長は強烈な誘惑に耐え、「親身に相談に乗ってくれる下心のない優しい男友達」の地位を守り抜いた。しかしそれはほんとうに守ったのだったか? おれは受験にかこつけて、新たな一歩を踏み出す勇気のない自分を正当化しただけではなかったのか?「学歴で人を判断するなんて、カッコ悪いよ」と、まるで全盛期の吉川晃司のようなキメ顔で一様にのたまい始めた同級生たちから目を逸らすようにして、部長は猛烈に勉強に励んだ。机に向かっている間だけでなく、電車の中でも、ご飯を食べている間も、風呂に入っている間も、通学路を歩いている間も参考書を開いて勉強した。通学路では何度か車に轢かれかけ、右足の小指だけタイヤに踏まれたこともあったが、絶対に勉強をやめなかった。その姿はほとんど病人と区別がつかなかった。もしかすると、ある種の強迫性障害だったかもしれない。かなりのスパルタ系教育ママであった母親でさえ「ちょっとあんた、もうやめといたら?」と心配して声をかけるほどだった。しかし部長はやめなかった。右手中指にできたタコはまるで寄生生物のようにふくらみ、頬はみるみるこけていき、顔全体から生気が失われ、もともと青びょうたんのようなガリ勉生徒の多かったその高校の中でさえ「まなぶ」とあだ名されるほどだった。ちなみに部長の名前はまなぶではない。部長は予備校の行う京大模試でも文学部で一桁の順位を取るようになり、本番にとんでもなく弱い豆腐メンタルを圧倒的に上回る実力をもって余裕で合格した。努力は報われたのだ。そうして今、文学に対しても同じようにストイックな取り組みを行っている最中だというわけである。しかし部長の中でまだれいにゃんは生き続けている。あの触れる指をしたたかに押し返すほどにもみずみずしい弾力をもつ肌におおわれた、若さみなぎるれいにゃんの圧倒的なかわいさ。京都大学へのチケットと引き替えに捨てた「れいにゃんとのセックス」は部長の胸の中で美しく剥製化され、大学で同質のものを取り返そうとしてももはや極限まで補正のかけられた「れいにゃんとのセックス」にどれもかなうことがない、そういう冷たい砂漠の中で、部長は「れいにゃんとのセックス」の劣化ヴァージョンを味わって失望するよりは、受験を文学に置き換え、ある目的へのひたむきな努力を要する世界、そしてその努力が完全に自己の内部で完結可能なものであり他者との関係性に左右されない、つまりは自分のもっとも得意とする世界の中で、情熱を燃やし続けることに決めたのだ。

「まあ、今の説明だけではよくわからんと思いますから、今日みんなで飲みに行きませんか? そこで色々話しましょう」

サークルクラッシャー麻紀は部長の提案を快諾する。他の全員も快諾&快諾。サークルクラッシャー麻紀は居酒屋(くれしま)の中でおおよその力関係を把握する。似たり寄ったりのヒエラルキー下位たちの中にもまたさらに細分化されたヒエラルキーが生まれる。狭く閉じた世界の内側でヒエラルキー下位たちは外部存在であるヒエラルキー上位に唾を吐きながらもヒエラルキー下位内ヒエラルキーの上位を争わされる。サークルクラッシャー麻紀が知りたいのはそのランキングである。それはアルコールの入った場ながらもすぐに明らかになった。男4の中で頂点に位置するのは当然部長であり、その次がA文学賞の三次選考を通過したことのある男(以下三次とする)。そして次がA文学賞の一次選考を通過したことのある男(以下一次とする)。まだ何の成果も出せていない残りの男ケンタが最下位である。紅一点は応募者を女性に限定した文学賞で入選を果たしており、男性陣のヒエラルキーの中に単純にあてはめることはできなかった。

「えっすごーい! A文学賞って聞いたことあります! それの最終選考ってもうほとんどプロじゃないですか!」

部長は緊張にこわばっていた顔を少し緩める。三次と一次が嫉妬心を燃やす。「いや、おれも三次までは行ったんやけどさあ」「おれも一次は行ってんねん。二千ぐらい応募あるから一次も結構難しくて、こないだやっとさあ」などと自分もある程度すごいことを何とか示そうとする。実績なしのケンタは笑っているだけである。紅一点はライムサワーをちびちびやりながら飲み会をひっそり録音している。後で文字に起こして小説に使うのだ。サークルクラッシャー麻紀は褒められたがっている男たちを順にたっぷりと褒め殺し、さりげないボディタッチも忘れない。すごくいい匂いがする! 童貞四人全員がそう思っていた。ほとんど匂いだけで勃起しそうなぐらいのかぐわしきかほりである。「ほんとに私なんか、ただ何か書いてみたいなって思ってるだけで……ちょっとレベル高すぎるところに来ちゃったかも」落ち込むふりをするサークルクラッシャー麻紀を、部長と紅一点をのぞく面々が必死で引きとめる。そのへんはおれらが教えるから! 大丈夫やから! この日サークルクラッシャー麻紀は晴れて『ともしび』の一員となった。その週末、『ともしび』の例会に現れたケンタの様子がおかしい。いつも小説を書いては叩かれ気弱に笑うばかりだったケンタが、自信に満ちあふれた様子で「まず、僕の小説から読んでみて下さいよ!」と普段の三倍にも達するほどの声で言ったのである。みんなで首をかしげながら読むと、それはケンタがこれまでに書いたこともない、凶暴なセックス・ドラッグ・ロックンロール小説であった。その童貞らしからぬあまりにも生々しいセックス描写にたどりついたとき、全員が気付いた。

2017年7月23日公開

作品集『サークルクラッシャー麻紀』第1話 (全4話)

サークルクラッシャー麻紀

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© 2017 佐川恭一

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"サークルクラッシャー麻紀"へのコメント 3

  • 編集長 | 2017-07-24 10:41

    部長にやらせてあげないなんて、紅一点は嫌な女だと思いました。

    • 投稿者 | 2017-07-25 23:16

      部長からアクションを起こせば、あるいはワンチャンあったのかもしれません…!

      著者
  • 投稿者 | 2018-06-03 19:05

    『ヤングマガジン』で『アゴなしゲン』が『ヤングジャンプ』で『カジテツ王子』がそれぞれ連載されてた頃のもっというなら電車男直前くらいの2000年代中頃の雰囲気を詰め込んだような。そんな感じ。
    でもって、麻紀ちゃんは眞鍋かをりさんとか美竹涼子さんとかそんな感じなんだ、きっと

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