Natural Born Fairies ~織田作之助について⑦~

九芽 英

エセー

3,322文字

小説の歴史の始まりを坪内逍遥の『小説神髄』とするならば、それは1885年のこと。オダサクの時代はそれから5,60年しか経っていないわけです。もちろんその間にも沢山の天才が生まれたわけですが、面白い小説とはなんだ、と誰もが悩んだことでしょう。小説と小説でないものの違いはなんだ。歴史に残るものと残らないものの違いはなんだ。70年ぶりにオダサクに聞いてみましょう。きっと喜んで答えてくれるはずです。

【小説の思想①】

 「小説の思想」と言う言葉がオダサクの手によって初めて世に出されたのは昭和十五年六月十三日付けの「大阪朝日新聞」上に書かれた、その名もずばり『小説の思想』というエッセイのような評論によってである。

 

その当時のオダサクはというと、前年九月に発表した『俗臭』がこの年の二月に芥川賞候補に挙がり、四月には『夫婦善哉』を発表。そしていよいよこの六月、『夫婦善哉』が改造社の第一回文芸推薦作品となり、オダサクにとってこの時期は世間にその名を知られ、新進作家としての地位を築き始めた、まさに人生の転機であったと言っていいだろう。つまり時期から言えばこの『小説の思想』は、オダサクが作家として初めて小説について語った文章ということになる。

 

作家としての椅子を与えられたオダサクが、最初に発したこの「小説の思想」という言葉はその後何度も彼の文章の中に登場するのである。まず『小説の思想』に続く評論が『「小説の思想」と「小説の中の思想」』。さらに『ささやかな覚悟』に『作家の知性』、『二十代の文学』、『文楽的文学観』の中にも「小説の思想」という言葉が登場する。昭和十五年六月十三日から昭和十八年三月五日まで、他に言うことはないのか、と思わせるくらい執拗に「小説の思想」を叫び続けている。

 

僕は実態を持たない「可能性の文学」よりも、不遇の時代に繰り返し叫んできたこの「小説の思想」こそが、オダサクの特色として見るべき部分なのではないかと思うのだ。

 

さて「小説の思想」とはどんなものか、その実態は何か。

 

 「さて、「小説の思想」とはどんなものか、その実態は何かといっても、まさか博物館へ行ってみるわけにも、人間の眼玉のように刳抜いて取出すわけにも行かぬが、実は古今東西の傑作の中にきびしく流れている融通無碍(ゆうずうむげ)なるものだ。などと私は責任逃れをいっているわけではない。恋愛をしてみなければ「恋愛の思想」は納得出来ぬように「小説の思想」も傑作という、物に打っ突かってそこに読みとるよりほかに納得のしようのない代物なのだ。「小説の思想」だけで小説が支えられている、というこの一見何でもないようなことが納得され難いのは、実は小説のもつ不順な性格によるものであって、小説というものは文章の武器を駆使して、どんなことを書いてもよいという特権があり、よってこの特権を濫用して、さまざまな「私の思想」が物語られるからである。

 しかし、「私の思想」をいかに詳細に物語ったところで、それで小説になり得ないということは、例えば多角形の辺をいかに多く増しても円になり得ないようなもので、円い玉子を切りようで四角いなどという新解釈の流行も結局は不易なる「小説の思想」の前にははかないのである。」(『小説の思想』)

 

 謝罪させて下さい。「小説の思想」にも実体は無かった。「可能性の文学」といい、織田作之助とはなんといい加減な男であろうか。彼の数少ない理解者の一人である青山光二も、オダサクの評論を指して「詭弁」と言うのだから、もうどうしようもない。

 

なるほど、確かに話を色々とすりかえているあたりは、やり手の詐欺師といった感があり、まさに「詭弁」のお手本みたいなものであるが、果たしてオダサクには自分の訴えていることが「詭弁」だ、という自覚があっただろうか。

 

もしも彼に「詭弁」であるという自覚があったならば、その後、繰り返し何度も同じ主張をすることはなかったのではないだろうか。あるいは何度同じ話をしても気付かれないほどに無視されていた、ということになるのだろうか。

 

だからと言って、僕までいじめっ子の仲間入りをすることは無い。僕が初めて『木の都』でオダサクに出会った時、僕は彼が何を言いたいのか全く分からなかった。すなわち、彼の作品には「私の思想」が全く含まれていなかったのであり、そのうえで『木の都』に僕を惹きつける「何か」があったと言うならば、僕は間違いなく「小説の思想」に触れたのだ。僕は自分の名誉を守るためにも、もう少し「小説の思想」を追いかけなければならない。

 

 「「小説の中にある思想」と「小説の思想」とは厳密に区別して考えねばならぬ。小説家が信じている、或は疑っている、または闘っている唯一のことは「小説の思想」であって「小説の中の思想」とは少くとも小説家にとっては大二義的なことだ。さようなものは小説家でなくとも誰でも持ち得る思想であって、べつに小説家の専売特許ではないのだ。しかし、読者は往々にして「小説の中にある思想」のみを読み取ろうとし「小説の思想」には眼もくれない。読者だけでなく、小説家もしばしばそんな芸当を演ずる。演じて「小説の中にある思想」で浮足立ってみても、しかし小説を支えているものはただ「小説の思想」だけである。これはもう形式とか内容とかの問題をはなれて、いいかえればアプリオリのようなものである。」(『小説の思想』)

 

 この部分は「小説の思想」の中心を成す主張のひとつである。小説と小説でないものの違いは何か。それは「小説の思想」の有無である。しかしながら、読者も小説家も「小説の中の思想」にばかり目が行っており、それではいけない、と注意を促す。しかし、やはり具体的なことは何も言っていないので、このままでは「小説の思想」というものの存在など誰も信じてくれないだろう。

 

 「小説家というものは、学生が学生証をもっている如く、いいたいことは何でもそのまま云えるという特権をもっている。その特権のもっとも利用された小説が私小説だ、といえばいえるだろう。」(『「小説の思想」と「小説の中の思想」』)

 

 一連の「小説の思想」群の中で、最も明確に見えるのはこの部分である。単純に「小説の中にある思想」だけで書かれた小説批判という視点で読めば、それはすなわち言いたいことをそのまま書いているような私小説批判になる。「可能性の文学」を形作る1ピースの中には、「小説の思想」も含まれていることが確認できる。

 

 「われわれは、小説の中から簡単に帰納され結論づけられる個々の思想のために小説を作って来たわけではない。われわれの小説が「小説の思想」によって完全に貫かれていることを希って来たのである。そのほかにわれられの文学的精神はなかった。しかも、われわれは「小説の思想」によって完全に貫かれている如き小説を作って来たかどうか?

 謙虚な心で考えるならば、われわれの、少くとも私の小説は曲りなりにも「小説の思想」で貫かれていたかどうかは疑わしい。してみれば、私は今は未だ小説の修行に浮身をやつしているのである。自分の小説が完全に小説の形を成していない現状に於て、「小説の中にある思想」で自分の作品の貧困を凝装する厚顔無恥は避けるべきであると、私は思うのである。

 われわれが今日小説家である所以のものは、われわれの小説が「小説の思想」によって貫かれている故にほかならない。下手な役者が大声を出すことによって観衆の注目を惹くていの浅ましさは避けるべきであると、私は思うのである。先ず自分の小説を自分の特殊な在り様に於て、日本小説文化の伝統の上に立つ小説ならしむる事―これが小説家としてのわれわれのささやかな職能に於て何よりも先ず為すべき努力であると思うのである。」(『ささやかな覚悟』)

 

 小説家が小説家たる所以は「小説の思想」にある。「小説の中にある思想」で小説を書くことは恥ずべき行為である。先ほど挙げた部分と同じように、この部分も私小説批判として受け取ることが出来るが、オダサクが希う小説の姿が「小説の思想」によって完全に貫かれた小説であり、オダサク本人の「小説の中にある思想」に頼ることなく、「小説の思想」によって完全に貫かれた作品を書きたいという意思も見られる。もちろん、そういった小説がどういうものであるのか、ここでは挙げられていないので「詭弁」と思われてもしょうがないが、他の部分を見るとそういった小説とは例えば次のようなものである。

2017年1月25日公開

© 2017 九芽 英

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