Natural Born Fairies ~織田作之助について⑥~

九芽 英

エセー

5,197文字

坂口安吾も実に文章が上手い。僕は「無頼派」という言い方よりも「戯作派」という言葉の方が好きなんです。確かに坂口・太宰・織田の三人は個性としては「無頼派」でしたが、その文学的特性は文章の巧みさにあると思います。戯れに作った文章がとても生き生きとしていて、まるで作品と戯れているかのように嬉戯とした文体なのです。読んでいて引き込まれます。小説はもちろんですが、彼らの評論もぜひ読んで頂きたいと思います。

【『夫婦善哉』と『水いらず』と『可能性の文学』】

 僕は、『水いらず』を読んだ時、これは『夫婦善哉』に似ている、と思った。すなわち、リュリュが蝶子で、アンリーが柳吉である。蝶子と柳吉にとってのリレットは読者だ。読者は蝶子に対して「あんたはどうしても柳吉といっしょにいる法はない。もうあの人にほれてはいないんだもの。罪悪だわ。」と言ったであろう。そして二人がぜんざいを食べている姿を見て「じゃ、満足なのね!」と言いながら、「ある苦い悔恨があふれてくるのを感じていた」はずである。宇野浩二の言う「読みながら何か、「助からない」といふ感じ」というのはまさにリレットの心境ではないか。

 

もちろん、二組の男女は性格も職業も異なるし、話の筋も全く違うが、二つの作品の出どころはかなり近いところにあるのではないか。一組の男女を執拗に追いかけた結果、オダサクは『夫婦善哉』を書き、サルトルは『水いらず』を書いたのである。女性の姿に目が向いていることも共通だ。

 

 ここからは想像でしかないが、オダサクは『水いらず』を読んだ時に、『夫婦善哉』はこのように書くべきだった、と思ったのではないだろうか。彼が『水いらず』を読んでから間もなく書かれた『二流文楽論』で「「世界文学」十月号に訳載されたジャン・ポール・サルトルの「水いらず」は終戦後の日本文壇にとっての、唯一の新しい戦慄である。」と書いているが、戦慄したのは他でもない、オダサク本人なのである。

 

姉夫婦の幻影を借りることなく、話の種に種々の商売模様など使うことなく、男女二人の生身の肉体だけを書くべきだった、と。しかし、当時のオダサクにそれを書くことは出来なかった。「サルトルの「アンティミテ」(水いらず)という小説を、私はそんなに感心しているわけでもない」と言っているのは裸のデッサンを書くことに終始しているからであろう。しかしながら、そのデッサンこそ、『夫婦善哉』が持つことの出来なかった肉体なのである。

 

『可能性の文学』に先立ち、坂口安吾が『水入らず』について語るには、

 「この小説には倫理などは一句も説かれてゐない。たゞ肉体が考へ、肉体が語つてゐるのである。リュリュの肉体が不能者の肉体を変な風に愛してゐる。その肉体自体の言葉が語られてゐる。我々の倫理の歴史は、精神が肉体に就て考へてきたのだが、肉体自体もまた考へ、語りうること、さういふ立場がなければならぬことを、人々は忘れてゐた。知らなかつた。考へてみることもなかつたのだ。サルトルの「水いらず」が徹頭徹尾、たゞ肉体自体の思考のみを語らうとしてゐることは、一見、理知がないやうだが、実は理知以上に知的な、革命的な意味がある。(中略)これからの文学が、思考する肉体自体の言葉の発見にかゝつてゐるといふこと、この真実の発見によつて始めて新たな、真実なモラルがありうることを私は確信するのであるが、この道は安易であつてはならぬ。織田君、安易であつてはならぬ。」(『肉体自体が思考する』)

これもまた名文である。オダサクのみならず、『水入らず』のような作品を誰も知らなかったのである。新しい発見だったのである。末尾に残したメッセージを見ても、やはりオダサクは『水入らず』にかなりのショックを受けていたのだろうことが窺える。

 

 オダサクは蝶子と柳吉の二人の絆の根拠を明示していない。彼が書けなかったそれを、サルトルが示してくれた、あるいはサルトルによって示されてしまったと言える。そうなれば『夫婦善哉』など、何も書かれていないも同然だ。ただの茶番である。『水いらず』が裸のデッサンであるならば、『夫婦善哉』はキモノのデザインに過ぎない。肝心の肉体がないのでは、オダサクがあれほど嫌っていた「造形美術」に他ならない。もちろん、キモノを書くことが悪いわけではない。志賀直哉の書いたキモノは一つの極みと言っていい。しかし、キモノはどこまで行ってもキモノのままである。

 

さらに坂口安吾が『デカダン文学論』で、

 

 「人間にとつて、人間ほど美しいものがある筈はなく、人間にとつては人間が全部のものだ。そして、人間の美は肉体の美で、キモノだの装飾品の美ではない。人間の肉体には精神が宿り、本能が宿り、この肉体と精神が織りだす独特の絢は、一般的な解説によつて理解し得るものではなく、常に各人各様の発見が行はれる永遠に独自なる世界である。これを個性と云ひ、そして生活は個性によるものであり、元来独自なものである。一般的な生活はあり得ない。めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何者が人生の目的だらうか。」

 

 と、既に述べている通りである。確かに、蝶子と柳吉は、ひとつの独自で誠実な生活を発見したかもしれないが、そこに人間の肉体はあったのだろうか。オダサクは、サルトルの裸のデッサンが自分の書いたキモノを見事に着こなす姿を思い浮かべ、己の書いていたものが肉体に付随するだけのもので、本体ではないことを身を持って知ってしまったのではないだろうか。この『夫婦善哉』と『水いらず』の出会いこそが、この時期に『二流文楽論』、『可能性の文学』と文壇への攻勢を強めた動機であり、タンスの奥からボロ布をかき集めてでも『可能性の文学』という大風呂敷を必要とした所以である、と僕は思う。

 

以上の点をまとめてもう一度述べる。作之助は『夫婦善哉』で作家人生が始まって以来、常々文壇への反発心があったが、サルトルの裸のデッサンを見て、自分も結局のところ、「文壇進歩党」と同じようにキモノを書いていただけに過ぎないことを知り、大いに恥じたのである。省みて周りを見回してみると、自分だけでなく「猫も杓子も」疑うことなく一心不乱にキモノを書き続けている。なぜなら日本の文壇が、心境小説的私小説という小河のほとりで志賀直哉を神として崇め、古代造形美術に高い評価を与え、人々に「末期の眼」を植え付けているからである。

 

恐らくオダサクは、自分の作品が他の作家の作品に劣っていると思ったことはなかっただろう。今まではそれでも良かった。しかし、サルトルによって明確に示されてしまった肉体と、それを覆うだけのキモノとの間に広がる、埋めることのできない有機物と無機物の断絶。今までにない敗北感を感じたオダサクが、己の死期を知ってか知らずか、このギャップを埋めるために立ち上がったのは必然と言える。

 

戦うためには旗が要る。そこでオダサクはタンスの奥からボロ布をかき集めて、つぎはぎだらけの大風呂敷を作ったのである。過去には見向きもされなかったボロ布も、太宰や坂口に並ぶ流行作家が掲げれば、否が応でも目に入る。太宰、坂口と盃を交わした数時間後に『可能性の文学』が書かれたことを考えると、彼らの存在もきっかけの一つだったのかもしれない。

 

さて、出来上がった大風呂敷に『可能性の文学』という、急こしらえだがそれらしい名前を与えれば、立派な旗の完成である。新しい理論や内容など、はなから必要としていなかったのだ。オダサクは「文壇進歩党」の「離れて強く人間に就く」という旗に取って代わって、この「可能性の文学」という旗を、文壇の上にたなびかせることに命を懸けて挑んだが、無残にも討ち死にしてしまった。

 

この戦いに勝つためには『可能性の文学』ではなく、キモノを着た肉体を書いた実作、タイトルをつけるならば、『夫婦水いらず』を持って挑むべきだったのである。オダサク最後の読物小説とされている『恐るべき女』に至って初めて、彼の作品からサルトルのような肉体を感じるが、実に惜しいところまで作之助の刃は迫りながらも、残された時間があまりにも短かったようである。

 

 オダサクの晩節を汚すつもりはないが、『可能性の文学』は織田作之助の作家人生の総決算、と言えば聞こえは良いけれども、その実体はつぎはぎだらけの大風呂敷と言う他にない。人々は騙されているのである。がしかし、理論を持たずとも「伝統形式へのアンチテエゼ」を持ってして、「可能性の文学」とするのであれば、森安理文氏の「『可能性の文学』そのものが、既に評論のように見えて、充分に作品なのである。従って、『可能性の文学』は『世相』をまたずして、それだけで充分に血肉化した実作と見てよいのではなかろうか。」という指摘の通り、例え破綻していたとしても、それも含めて、自身の命を顧みず文壇に切りかかった『可能性の文学』以上に、「可能性の文学」を冠するにふさわしい作品はないのではなかろうか。もし仮に、織田作之助の言う「可能性の文学」というものが存在するのであれば、『可能性の文学』以上の「可能性の文学」は不可能と言うしかない。中身なんかは必要ない。人々を騙してこそ「可能性の文学」なのである。

 

【織田作之助の原点】

 以上、オダサクが戦後に書いたほとんどの作品にとって、『可能性の文学』の影響は皆無であると言っていい。むしろ、「可能性の文学」という色眼鏡をかけていては、読みにくくなるというようなものだ。『可能性の文学』こそが「可能性の文学」であるように、戦後のオダサクの姿は作品に表れているのである。「作品に表れている」とは良く言ったもので、『世相』、『それでも私は行く』、『土曜婦人』と、本当に作者が「作品に現れている」のだから、話は早い。

 

三枝康高氏は、太宰、坂口、織田の三人の戦後無頼派作家の活躍を指して

 

 「このような「無頼派」の精神にとって、規制の権威やイデオロギーから開放され、アナーキイな状況のなかに投じられた戦後の混乱と退廃の世相は、むしろかれらの「虚構」なり「想像力」を託すべき、無限に自由な世界であった。かれらは堰を切った水のような凄まじい勢いで、当時の解体した社会の中に躍りでたが、それはすでに述べたように戦時下に体験した虚無と孤独と自己喪失を逆説的に転化して、新しい人間の可能性とその方法化とをすでに用意していたからである。」

 

 と指摘しているが、特に織田作之助がいち早く活躍できたということは、堰を切った水の勢いが一番強かったということである。繰り返しになるが、世相の後押しを受け、凡百のありふれた作家から、ごく短い間に『アド・バルーン』や『世相』から始まって、『それでも私は行く』、『夜光虫』といった戦中の実績をきれいさっぱりと洗い流してしまうような傑作を生み、あっという間に一躍流行作家の仲間入りをしたのであるから、その水の勢いは、既成の概念を洗い流し、まさに文壇の足元をさらうほどだったのであろう。勢いのあまり、わずか一年半と持たずに水がなくなってしまったくらいなので、戦後のこの一時期に織田作之助ほど、自由を謳歌した作家はいないだろう。

 

戦後を迎え、全てを洗い流すくらい激しく溢れ出した織田作之助の堰に溜まっていた水とはいったい何か。織田作之助が戦後にいち早く頭角を現した理由として、三枝氏は、「戦時下に体験した虚無と孤独と自己喪失とを逆説的に転化して、新しい人間の可能性とその方法化とをすでに用意していたから」と挙げているが、少し引っかかるところがある。僕は『可能性の文学』をボロ布のツギハギといっている以上、この「可能性」というものを認める事ができないのである。オダサクにとっては、何度も何度も口にしているくらいなので、「可能性」というのものの明確なイメージがあるのだろう。しかし、太宰、坂口は別にして、オダサクの作品の中から、何を持って「可能性」というものを見出せば良いのか、僕には分からない。

 

 「可能性」というのは例えば、オダサクの愛読書であるスタンダールの『赤と黒』のように、身分も財産もない平民の一青年が、生来の美貌と才能を持って上流社会への進出を企て、波乱の恋愛を重ねた末、断頭台で死ぬ、というようなことではないのだろうか。そういう意味では、『それでも私は行く』を例に挙げた場合、最も「可能性」を花開いたのは、恐らく君勇の元旦那の三好春吉であろう。大阪の有名な呉服屋の主人であった三好が、殺人に至るまでに密着すれば、それは「人間の可能性」を書いた小説なのかもしれない。しかし、オダサクはそんな事はしていない。主要な登場人物は個性的ではあるが、案外平凡なまま終始している。「可能性の文学」はツギハギだらけの大風呂敷なのであり、オダサクの堰に溢れんばかりに溜まっていた水は「人間の可能性」などではない。眼を向けるべきものは出来上がった旗ではなく、ボロ布の方である。

 

それを指してオダサクは「小説の思想」と呼んでいた。

2017年1月22日公開

© 2017 九芽 英

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