無職の湯河原温泉行 弐

無職紀行(第2話)

消雲堂

小説

1,512文字

僕とナマコを乗せたバスは15分ほどで現地に到着した。「源泉境バス停」は小さな橋を渡ってすぐだった。バスから降りて橋の上から渓流を見ると、川面にくっつくように垂れ下がったモミジや楓の葉は見事に紅葉していて、真っ赤な炎が川になだれ込んでいるような怪しさに満ちていた。橋の欄干を見ると「ニジマス禁漁」と赤い字で書かれた看板がかかっている。来年はここにフライを振りに(虹鱒を釣りに)来るか? なんて現実味のない夢を見る。

 

急な坂道を上って行くと温泉の源泉なんだろうか、真っ白い湯気を吐き出している錆だらけのボーリングの機械?が懐かしい感じがした。2人でダラダラと坂を歩いて行くと漸く旅館「花長園」に到着した。

 

旅館の建物を見て驚いた。旅館のホームページで見た建物の写真とは少し違って、いかにも古い旅館という感じがする。「ありゃりゃ?」ナマコと顔を見合わせてふたりとも少々不安になる。写真の恐ろしさを認識したのだった。

 

旅館に入ると電話に出た若い主人らしき男性が「菊の間ご予約のお客さんですか?」と言うので「はい」と答えると、玄関に置いた僕の荷物を見て「あれは、お客さんの荷物ですか?」と言う。「そうです」と言うと、その主人らしき男性は、フロントからだだだっと走るように出てくると僕たちの荷物を掴んで、「こちらですよ」って、あっという間に荷物を部屋に運び入れてしまった。予約した檜風呂付きの部屋「菊の間」は玄関&フロントに近いのだ。

 

部屋に通されると、つげ義春の「義男の青春」に登場する仲居さんに似た仲居さんがお茶一式を運んできた。

 

部屋はどこかで見たことがあるなあと思ったら群馬の川原湯温泉に行ったときに泊まった「高田屋(たかたや)」によく似ている。古い旅館は高田屋は妙な構造になっていて、まるでサイレント映画「カリガリ博士」に出てくる建築物のように建物全体がひしゃげているようだった。そのためか廊下も部屋もあちこちがぎしぎし言うし・・・地震でも来たら潰れてしまうだろう。ちょうど花長園も高田屋も同じようであった。

 

期待しながら部屋に付いている総檜の風呂を見ると、通常の部屋の中庭に薄っぺらな板切れで周りを囲って無理やり増設したような安っぽい感じの小屋があり、その中に水深が深い棺桶のような檜の風呂桶が見えた。2方向の壁には大きなサッシ窓があって、外が丸見えであった。内側から隣の客室の庭が見えるし、向かいに建つ大きな旅館の客室からも丸見えのようだった。

 

仲居さんは「お風呂の戸をあけていると猿がいたずらしに入って来ますから驚かないでくださいね」と驚くことを言う。ちょっとびっくりしたので「え、まっじぃ?」なんて軽薄な女子高生のような言葉が口から出てしまった。仲居さんは「ふふ・・・まじですよ」と笑いながら「夕食は6時に支度しますから、よろしくぅ」と言い捨ててスタスタと出て行った。

 

「猿だってよ・・・」とナマコを見るとニコニコしている。やはり仲居さんの冗談だと思っているようだ。僕は「疲れたなあ」と言いながら浴衣に着替えて部屋の縁側の椅子に座っていると、窓の外で「がしゃーん」と大きな音がした。音がしたほうを見ると、ふさふさとした少し緑色っぽい毛をの小さな猿が僕たちを見て驚いてきょとんとしている。すると「人間だ!」なんて言ったのかどうかはしらないが、猿は慌てて“ガチャガチャ”と上の部屋の屋根を引っかきながら逃げ去った。ナマコを見ると、口をぽかーんと開けて僕を見ている。「なんじゃありゃ?」仲居さんが言ったのは本当だったのだ・・・。

 

つづく

2012年11月12日公開

作品集『無職紀行』第2話 (全10話)

© 2012 消雲堂

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