骸骨歌

一個

小説

6,364文字

人間から余分なものを全てそぎ落としたら——

こう歌って笑う骸骨がいるという。

――そぎ落としたら、後に残るのは骨だけだ。

だから自分たち骸骨は、人間様よりずっと身軽なのだというのが彼らの言い分だ。但し、土の中で過ごす決して短いとは言えないその期間は、彼らから必要なものさえ奪ってしまうらしい。そうした骸骨の多くは、落ち窪んだ眼孔の中からカラカラと笑い声を立てては無意味なお喋りに死後の全てを費やしていた。彼らには脳味噌と呼ばれる部分が、元より存在しないのである。悩みが無くて良いものだと言う者もいれば、さながら案山子のように中身を欲しがる者もいた。けれど彼らの会話はそれより発展することはなく、そのうちまるで関係のない話に花を咲かせてしまう。つまり、彼らにとって「頭があったら」とか「ないので」といった話題は一種のエンターテイメントでしかなく、真面目に交わされるべき論議では無かったのである。

そうした空気の中にあって、彼は異端としか言いようがなかった。

第一、夜に群れをなして人間を脅かす死者の群れの中では、骸骨は愉快なものだと相場が決まっている。人間を死後すぐに火に投じて骨へと変えてしまう東洋でも、はたまた長い年月をかけてじっくり土に食わせる西洋でもそれは同様だ。五臓六腑と頭を失った骸骨は、歯をカチカチと鳴らして冗談を飛ばし合うのが世の常なのだ。最も死者の言葉が人間に通じない以上、そうした光景さえ我々にとっては恐怖の対象でしか無かったのだが。

ともかく、そうしたお約束をまるで無視して、彼はいつでも頭を抱えていた。文字通り、首の上から頭蓋骨だけを取り外して膝の上に乗せ、まるで大切なものでも守るように抱えていたのである。他の骸骨どもがするように墓石の間を投げて遊ぶなど言語道断だった。そんな彼を周囲の骸骨たちは馬鹿にしたが、彼は気にもとめなかった。彼の記憶には残っていない遠い昔、かつてこの空っぽの頭蓋は、何か大切なものを守っていたような気がしていたからである。

彼には生前の記憶と呼ばれるものは殆ど残っていなかった。それは他の骸骨たちと同様で、一旦地面の中に溶け出してしまえば、かつて自分が男だったか女だったか、或いはその身にどんな嫉妬の炎を滾らせていたのか、指に染み付いていたのは金の匂いだったのか泥の匂いだったのか、といったことはどうでも良くなってしまうからだった。自分の記憶は失うべくして失われたものである。そのことに関しては、骸骨自身も了解していた。

それでも尚、暗い地中に逃げ出してしまわなかった何かが自分の真っ白な頭のなかに残っているような気がした。それは頭頂部の裏側かもしれないし、鼻孔の淵にこびりついていたのかもしれないが、とにかくそれだけは絶対に失くしてはならないものだったのである。

しかし、がらんどうの頭をどんなに手の内で弄り回してみても、それらしいものは見つけられなかった。彼の頭蓋骨の中で唯一特徴的な点はといえば、頭の真横にあいた小さな穴である。頭蓋骨にうっすらと亀裂を入れたそれは、彼の死因になったものらしかった。

他に自らの頭に特筆すべき点は見つからなかったので、彼はもっぱらその穴の正体について思いを馳せていた。しかし肝心の頭の中身はとうに失っているのである。いくら考えても答えの出る筈がない。

墓石に腰掛けて自らの頭を抱え、ともすれば陰鬱な雰囲気さえ漂わせる彼を、周囲の骸骨たちは大いに笑った。

 

この穴は恋人からの贈り物だったのだ、と彼は考えてみた。彼は若い詩人の卵で、恋人の家に居候していた。金も才能も無くとも、自信だけは有り余るほど持っている、そんな青年だった。彼の恋人はうらぶれたバーの人気歌手だった。彼女見たさに、日雇い労働者たちが薄汚いズボンのポケットに入れた金貨を鳴らしながらその店を訪れた。彼女は若く艶やかな声と豊満な体つきをしていて、流石にこれは知らないだろうと、年配の客からしたり顔でもたらされる一昔前のリクエストさえ難なく歌ってみせた。だが彼女が最も愛したのは、自らの恋人たる男が自分のために作詞した歌であり、閉店の間際になるとまるで子守唄のように優しく、手ずからピアノを弾きながらそれを歌ってみせるのだった。

彼は彼女を愛していたし、彼女も彼を愛し、そしてその才能を信じていた。二人は決して裕福とは言えなかったが、愛ある限りそんなことは些細な問題でしか無いと思っていた。そう信じていた。

だが、貧乏とは最もしぶとい病のようなものだった。いつしかそれは彼の身体を蝕み、そして現実的な手段――例えばウォッカの茶色い瓶とか――となって彼を苦しめはじめた。

彼はその苦しみを同居人に転嫁しようと企て、ことあるごとに彼女の薔薇色の頬に拳を叩き込んだ。彼が我に帰るのはすっかり酒を飲みつくし、泥のような眠りから覚めた後で、大抵ソファの上で涙を光らせて眠っている彼女を見て、物凄い後悔に襲われるのだった。

そして彼女の額に出来た真新しい痣をそっと撫でながら、こんなことはもう二度としない、自分が許される筈もないが、仮に神がいるのなら誓おう、決して過ちを繰り返すまいと思うのに、その日の夜にはもうそんなことは忘れていて、変に据わった目をして彼女がバーから帰ってくるのを待ち構えているのだった。

彼女はこの地獄のような日々を抜け出す方法を真剣に模索したに違いない。周囲の人間たちはきっと、彼と離別することを薦めた筈だ。彼女はまだ若く、艶やかな声と美貌を持っている。君が出て行ってしまえば彼は家に住むことは出来ないし、新しい家を買うのに時間がかかるなら僕が匿ってあげよう。そう言いよる男性もそう少なくはなかっただろう。それでも彼女は首を縦に振ることが出来なかった。彼女は彼を愛していたのである。彼を差し置いて別の男の元へゆくなど考えも及ばなかった。第一自分が彼を置いて出て行ってしまえば、彼はあの薄暗いアパートの一室でひとりきりなのである。自分の恋人がどれほど寂しがりな性質か、彼女はよく分かっていた。だから、残された方法はそれしか無かったのだ。

 

彼女はいつもより早く自宅へと帰り、パンと果物を入れた紙袋を胸の前で抱えて鍵を開けた。そう広くもないワンルームなので、彼がテーブルに肘をついて酒を煽っているのがすぐに見えた。

「今日はおみやげがあるの」

彼女を見るなり立ち上がった彼を、ほとんど不思議な力で制して彼女は紙袋をテーブルへ置いた。中からパンと林檎を取り出す。彼女が自分を制したことか、はたまたお土産というのが硬いパンとしなびた林檎だったことか、それともそれらを取り出すときの彼女の手つきか。その日もそれらのうち、どれかが彼の怒りに火をつけたことは確かだった。彼は空になった酒瓶を掴み、彼女めがけて振りかぶった。

銃声が響いた。

彼女が紙袋から最後に取り出したものを目にした時には、既に彼は息を引き取っていた。

彼女はもの言わぬ骸となって崩れ落ちた恋人の側へと歩み寄り、静かに涙を流した。そうしてそのまま、彼の側を離れること無く、無断で休み続ける彼女を心配したバーの店主がやってきた時には、既に狂死していたのだ。

 

骸骨は、この物語を気に入っていた。何より自分と周囲の骸骨たちとの精神的な質の違いは明らかだったし、自分が生前詩人だったと考えればその差も然るべきものだと思えたのだ。

自分はかつて愛する人の手によって屠られた、若い詩人だったに違いない。そうなれば、後はかつて自分の薄い唇が歌った唄の数々を思い出すだけだった。それらを無事思い出しさえすれば、後は何もかもが――自分が美しい恋人と暮らしていた日々の全てが――戻ってくる。しかし思い出すには後1つだけ何かが足りないのだった。

それは一体何か。失われてしまった自分の歌を取り戻すために必要なものは一体どこへ行けば手に入るのだろうか。それが彼のここ暫くの悩みどころだった。

「まあ、随分痩せた人ねえ」

彼は手の中でぐるりと髑髏を回して、落ち窪んだ眼孔を声のした方へと向けた。彼に話しかけたのは痩せた少女だった。着ているワンピースは元々白かったのだろうが、どことなく黄ばんで、あちこちに泥が跳ねているせいで清潔感は失われていた。少女は長い髪を束ねることもなくばらりと垂らし、ほんの少し飛び出した瞳で食い入るように骸骨を見つめていた。

癲狂院の人間だな、と骸骨は思った。墓地の裏に建てる病院となれば、精神を病んだ人間を入れておく、ほとんど檻のようなそれ以外にはない。彼女は汚れた足で扉を蹴破って、そこから逃げてきたのに違いなかった。

少女の瞳と骸骨の眼孔がかち合った。少女はからからと笑って、その頭を彼から取り上げた。

「頭もすっからかんね」

この言葉は少なからず骸骨の気分を害した。勿論彼の頭の中には何も詰まっていないので、彼の頭蓋はまさしく「すっからかん」ではある。だが、それを癲狂病みの少女に指摘されて良い気はしない。

「怖い顔しないで」

骸骨に表情があるとすれば、それは長年を経て骨の表面に刻まれた罅や染み付いた汚れに他ならないのだが、この少女は古代中国の占い師さながらにそれを見てとったというわけらしい。

「ねえ、私の話を聞いてくださる?」

そう言って彼の隣の墓石に腰掛けた。

聞くとも聞かないとも、骸骨は返さなかった。勿論、彼が少女にわかる言葉で返事をすること自体が土台無理な話なのである。しかし少女はさして気にする様子もなく、骸骨に頭蓋を返して口を開いた。

「あのね、私には昔、大切な恋人がいたの……」

その言葉で始まった少女の話は、大体次のようなものだった。

 

少女は昔、あるバーで働く人気の歌手だった。恋人は詩人で、時々少女のために詩を書いた。彼女の一番人気の歌は、そうした詩に少女自身がメロディをつけたものだった。

だがある時から、恋人の様子は激変した。酒に浸り、家に帰ってきた少女に暴力を振るった。地獄のような日々が続き、そしてついに、この生活を断ち切る方法として少女は無理心中を選んだ。

「でもね、私だけ生き残ってしまったの」

少女はそう言うと困ったように笑った。それから少女は、「大きな家」に引き取られてそこで暮らしているいう。

 

彼女が話し終えた時、骸骨は骨という骨が破裂しそうなほどの衝撃に襲われた。

勿論、少女こそが自らの思い描いていた生前の恋人だということを、その時理解したからである。拳銃を使った筈の彼女がどうして生き延びたのかは知らないが、とにかく彼女は無事に生き延びて、病院の白い壁の中でまだ自分を思い続けているのである。

ああ、自分は幸せものだ。骸骨はそう確信した。自分が他の骸骨と違って自らの過去に囚われ続けていたのは、いつかこうして会いに来る恋人を待つためだったのだ。

骸骨は自らの頭蓋をその場に置いて、そっと少女を抱きしめた。化粧っけもなく、痩せていて、栄養失調から年端のいかぬ少女に見えた彼女は、抱きしめてみれば立派な大人の体つきをしていた。何故今まで気が付かなかったのだろう。彼女こそが骸骨のかつての恋人だったのだ。骸骨は強く彼女を抱きしめた。そうだ、今は生と死という到底交わり得ない平行線上にいる二人だが、いずれは彼女とて骸骨の側へとやってくる。その時には、二人は今度こそ永遠に結ばれるのだ。骸骨は彼女の腕の中で、自らの行いを悔いた。謝り続ける骸骨の、音にならない声が通じるのか、彼女は何度も何度も頷き、そして骸骨を抱きしめ返すのだった。

 

やがて日が昇り、彼女はやってきた施設の人間に連れ戻された。

骸骨はそれを止めることは出来なかったが、しかし彼の空っぽの胸の中は、既に幸福で満たされていた。ああ、明日も彼女は骸骨に会いに来るだろう。

自分はそれを待っていればいい。そうして何度も何度も繰り返し、彼女が永遠に連れ戻されずに済む時――棺に入って骸骨の元を訪れる時――を待てば良いのだ。

骸骨は幸せだった。

 

 

人間から余分なものを全てそぎ落としたら――

そう笑って歌う骸骨がいる。

――そぎ落としたら、後に残るのは骨だけだ。

だから彼ら骸骨は、人間と比べてずっと身軽なのだ。

しかし、身軽すぎるというのも困りものだろう。

 

彼らの歌は、墓石の上に座り込んで自らの頭を撫でる骸骨にも届いていた。

だが、骸骨は聞こえているのかいないのか、他の骸骨には到底分かり得ない苦悩の只中にいて、延々と自分の頭を弄り回している。

彼の考え事は、專ら生前の自分についてだった。自分は詩人だった筈だ。骸骨はそう思う。

しかし、それなら自分が生前唄った歌が、この穴のあいた頭蓋骨のどこかに仕舞いこんである筈なのだ。それは一体どこにあるのだろう。それさえ思い出せればきっと、全てを思い出せるに違いない。

「まあ、随分痩せた人ねえ」

骸骨の前に、痩せこけた女が立ちふさがった。かつて初めてこの墓場へと足を踏み入れた頃には少女だった彼女の頬には、今や死相が見えている。

 

やつは頭に穴が開いているから――

そう歌う骸骨がいる。彼らは決して、自らの仲間たるその骸骨を馬鹿にして笑っているのではない。彼らの歌には、どこか哀愁のようなものがついて回る。

――一晩として、大事なことを覚えていられない。

いかれた女のいかれた話を真実自分の過去だと思い込み、そうしてそれを忘れては、毎晩1人で悩むのだ。

骸骨は女を抱きしめる。空っぽの頭に彼女の妄想を注ぎ込み、そうして端から流れていくのに気づかないのだ。骸骨たちの歌は、死せる詩人の空っぽの胸を満たしては、振動させて揺さぶった。

 

女はそっと、骸骨の頭へと触れた。その穴に、小さな十字架をゆっくりと差し込む。

首を傾げる骸骨に、彼女は笑って言った。

「ごめんなさい」

翌日、彼女は来なかった。何か止むに止まれぬ事情があるのだろうと待ってみたが、翌々日も、その次の日も、やはり彼女は来なかった。

風の噂に、彼女は病院で死に、ここから少し離れたところにある共同墓地へ葬られたのだと聞いた。身寄りのない人間が丁重に葬られることなどありえない。噂を聞いて、骸骨はようやくそのことを思い出したのだった。

ようやく出会えた恋人が二度と自らの前に姿を現さなかったことを、骸骨は酷く悲しんだ。

そっと自らの頭蓋骨を撫でてみる。恋人が再開の印に刺した十字架が、彼の穴を塞いでいた。それに手をかけ、抜いてしまおうかと骸骨は思う。だが、それはどうしても外れそうになかった。

力を入れれば簡単に外れそうなものである。だが、骸骨にはどうしてもそれが出来なかった。この十字架は、いわば彼女の最後の贈り物なのだ。みすみす手放すことがどうしてできるだろう。

 

月の明るいある晩、骸骨はようやく、その頭を自らの首の上に乗せた。

仲間の骸骨たちの、愉快でわびしい歌が聞こえてくる。何人かは、頭に十字架の刺さった彼を指さして大いに笑った。

骸骨は墓場を出て歩きはじめた。頭の横に十字架の突き出たその姿は、到底恐ろしさとはかけ離れたものだったのだが、骸骨とは初めからどこかコミカルに語られるべきものなのだから、これはこれで良いのかもしれないとその仲間たちは思う。

彼を追いかけて十字架を抜いてしまおうという者はいなかった。第一これから彼がどこへ行くのか誰にも分からなかったし、今追いかけて真横からその十字を抜けば、きっと彼は流れ出る記憶に流されるように、誰かに正面から発砲されたのなら、到底頭の横に穴などあかないことに気づいてしまうに違いないのだから。

 

月明かりが照らす墓場に、骸骨たちの歌だけが響いていた。

 

2013年2月28日公開

© 2013 一個

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